合掌土偶を見学した後は、八戸市博物館の隣にある、史跡・根城に。
根城は、南部師行(もろゆき)が現在の青森県を支配するために、建武元年(1334)に築いた中世城郭。
師行の3代前が実長(さねなが)で、実長の兄、実光(さねみつ)から24代目が信直(のぶなお)、つまりkaneurikichiji が住んでいる盛岡を治めていた盛岡南部氏の祖となります。
というわけで、同じ南部の史跡ですし、“史跡根城の広場”と歴史公園として整備されているので、出かけたわけです。
本丸はこんな感じだったようです。
史跡整備で建物を復元する場合、たいていは中心的な建物が1・2棟のみに限られます。
中心建物を復元しても、それだけでは遺跡の全容がなかなかつかめません。
根城の主殿
が、根城では主殿に加え、蔵や工房・馬屋なども復元されているので、立体的に根城の様子が分かるようになっています。
左から鍛冶工房・馬屋・蔵
しかも、建物内部も主殿だけでなく他の建物内部もどのような状態だったか分かるようにしている親切ぶり。
主殿で行われていた儀式の様子
左から鍛冶工房・馬屋・蔵の建物内部の様子
史跡整備は、やるなら中途半端にしないで徹底して復元するべきだと“史跡根城の広場”で学びました。
当然、ガイドもいらっしゃいます
ここまで完璧な史跡整備はなかなかないですね。
夏休みの旅行先にオススメです。
そして園内にはハクセキレイが。さすが南部氏の拠点(→ハクセキレイは盛岡の鳥)
根城は、南部師行(もろゆき)が現在の青森県を支配するために、建武元年(1334)に築いた中世城郭。
師行の3代前が実長(さねなが)で、実長の兄、実光(さねみつ)から24代目が信直(のぶなお)、つまりkaneurikichiji が住んでいる盛岡を治めていた盛岡南部氏の祖となります。
というわけで、同じ南部の史跡ですし、“史跡根城の広場”と歴史公園として整備されているので、出かけたわけです。
本丸はこんな感じだったようです。
史跡整備で建物を復元する場合、たいていは中心的な建物が1・2棟のみに限られます。
中心建物を復元しても、それだけでは遺跡の全容がなかなかつかめません。
根城の主殿
が、根城では主殿に加え、蔵や工房・馬屋なども復元されているので、立体的に根城の様子が分かるようになっています。
左から鍛冶工房・馬屋・蔵
しかも、建物内部も主殿だけでなく他の建物内部もどのような状態だったか分かるようにしている親切ぶり。
主殿で行われていた儀式の様子
左から鍛冶工房・馬屋・蔵の建物内部の様子
史跡整備は、やるなら中途半端にしないで徹底して復元するべきだと“史跡根城の広場”で学びました。
当然、ガイドもいらっしゃいます
ここまで完璧な史跡整備はなかなかないですね。
夏休みの旅行先にオススメです。
そして園内にはハクセキレイが。さすが南部氏の拠点(→ハクセキレイは盛岡の鳥)
史跡の整備・復元には勿論十分な議論は必要ですが、最終的には勇気と決断力と実行力で決まるのだと思います。
全国の史跡整備は、史跡整備のための整備になっているのが不満です。
その背景には文化庁で作成した「整備のための手引き」が、正確に言うと「手引き」を利用する整備担当者の志の低さがあげられると思います。
私は、樺山遺跡に対するコメント↓↓が忘れられないのです。
http://www.sukima.com/16_hanamaki01_02/18kabayama.html