今日も明太子の国にきております。
昼間駅前を歩いていたら、菜の花を頂いてしまいました。指宿からの観光誘致のご一行さんで、もう指宿では菜の花が満開だそうです。
ああ、この土日のスケジュールさえなければ行きたかったな!!残念!砂風呂大好きです。
それにしてもやっぱり九州はよかとこばい!食べ物もおいしかーー!お値段も安かー!
でも、景気は悪かーーですね。
○12月31日(水)
『Belediye Pazari または Bandabulya』公設市場?でお買い物はなんにもしないで・・見学だけしたkおばちゃん。外に出ることにしました。
外に出るとさっき2つの国旗が掲げられていた塔が
マジかに見えます。
今度はあそこに向かってみましょう。カバーが掛かってるから修復中ですかね?
入り口と思しき
ところから見上げると・・こんな感じですね。
あら?入り口に名前が書いてありますね。
なんて書いてあるかというと、こう
書いてあります。
『SEiMiYE CAMii』と大きく書いてあって、その下に『SELIMIYE MOSQUE』とあり、さらに小さな字で『St.Sophia Catedral』とありますね。モスクでカテドラル??
不思議ですね。
でも、建物の前庭には
こんな建物があります。
これはどうやら、足を洗うための場所のようですね。
違うかしら?
ここの建物には土足で入ってはいけないんです。
ここは、さっき入り口のところに書いてあったとおりモスクです。入り口の一番上はどうもトルコ語ですね。
そしてここは一番下に書いてあったSt.Sophia Catedral『聖ソフィア大聖堂』として1209年とから1228年にかけて建設された建物のようです。だからもともとはゴシック様式の構造の聖堂だったわけですね。
1489年にヴェネツィアにその支配を譲渡するまで、『十字軍の落ち武者が作った』といわれるリュージニャン朝Lusignansの戴冠式はここで行われていたようです。
その後1491年と1547年と1735年には大地震により深刻な被害を受けてしまったようです。
だから内部はステンドグラスこそありませんが・
キリスト教の教会のようですね。
でも現在はこの建物の北キプロストルコ共和国での一番主要なモスクとして存在しているようです。
うーーん、とっても不思議な空間です。
お堂の中の一角にあったものですが・・これはいったい何でしょう?
ミフラーブ ミフラーブ محراب mihrābと呼ばれ、メッカ
の方向を指し示すものなんでしょうかね?
これは説教壇でしょうか?丁度団体さんが見学をして
らっしゃいました。
彼らはドイツ語をしゃべるご一行さん。さっきCathedral of St John the Teologia(Agios Ioannis Cathedral )でご一緒したご一行さんでしょうか・・
そうそう、床に敷き詰められているカーペットの下にはキリスト教の聖堂であったときの王の墓があり、その碑文や模様が隠れているとききました。
kおばちゃんがお堂のなかをうろちょろしてたら
数人のムスリム(イスラム教徒)の方が・・・
やはり現役の祈りの場所。観光気分でいるのが申し訳なくなってきて・・そそくさとお堂をあとにいたしました。
入り口は どうみても
教会堂ですよね。
なんて振り返っていたら突然大音響が・・
頭の上から聞こえてきました。
祈りの時間の始まりですかね。コーランの一説のようですが・・kおばちゃんにはまったく分かりません。
分かるのはこの塔に
括りつけられたスピーカー聞こえてきた・・ということだけです。
現在進行形で問題になっている『ガザ』のもめごとも、根底は宗教の違い。
この国を2つに分断してしまったのも宗教の違い。
でも、『祈る』という行為は同じで、現在も過去もこの建物は『祈りの場』として提供されている。
八百万の神の国のkおばちゃんにとっては、神様も仏様もみんなおんなじ・・なんて思考にはなれない信仰が理解できないのでありました。
現在の紛争の大部分はこの『宗教間の争い』じゃあないんでしょうかね。だからもしこれが動物だったらない紛争。人間ってもしかすると動物より・・・・
と、思ってしまうkおばちゃんです。
みんな仲良く生きましょうよ、神様だってそれを望んでるはず・・なんて考えるのが甘ちゃんなんでしょうね 。
昼間駅前を歩いていたら、菜の花を頂いてしまいました。指宿からの観光誘致のご一行さんで、もう指宿では菜の花が満開だそうです。
ああ、この土日のスケジュールさえなければ行きたかったな!!残念!砂風呂大好きです。
それにしてもやっぱり九州はよかとこばい!食べ物もおいしかーー!お値段も安かー!
でも、景気は悪かーーですね。
○12月31日(水)
『Belediye Pazari または Bandabulya』公設市場?でお買い物はなんにもしないで・・見学だけしたkおばちゃん。外に出ることにしました。
外に出るとさっき2つの国旗が掲げられていた塔が
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今度はあそこに向かってみましょう。カバーが掛かってるから修復中ですかね?
入り口と思しき
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あら?入り口に名前が書いてありますね。
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なんて書いてあるかというと、こう
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『SEiMiYE CAMii』と大きく書いてあって、その下に『SELIMIYE MOSQUE』とあり、さらに小さな字で『St.Sophia Catedral』とありますね。モスクでカテドラル??
不思議ですね。
でも、建物の前庭には
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これはどうやら、足を洗うための場所のようですね。
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ここの建物には土足で入ってはいけないんです。
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ここは、さっき入り口のところに書いてあったとおりモスクです。入り口の一番上はどうもトルコ語ですね。
そしてここは一番下に書いてあったSt.Sophia Catedral『聖ソフィア大聖堂』として1209年とから1228年にかけて建設された建物のようです。だからもともとはゴシック様式の構造の聖堂だったわけですね。
1489年にヴェネツィアにその支配を譲渡するまで、『十字軍の落ち武者が作った』といわれるリュージニャン朝Lusignansの戴冠式はここで行われていたようです。
その後1491年と1547年と1735年には大地震により深刻な被害を受けてしまったようです。
だから内部はステンドグラスこそありませんが・
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でも現在はこの建物の北キプロストルコ共和国での一番主要なモスクとして存在しているようです。
うーーん、とっても不思議な空間です。
お堂の中の一角にあったものですが・・これはいったい何でしょう?
ミフラーブ ミフラーブ محراب mihrābと呼ばれ、メッカ
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これは説教壇でしょうか?丁度団体さんが見学をして
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彼らはドイツ語をしゃべるご一行さん。さっきCathedral of St John the Teologia(Agios Ioannis Cathedral )でご一緒したご一行さんでしょうか・・
そうそう、床に敷き詰められているカーペットの下にはキリスト教の聖堂であったときの王の墓があり、その碑文や模様が隠れているとききました。
kおばちゃんがお堂のなかをうろちょろしてたら
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やはり現役の祈りの場所。観光気分でいるのが申し訳なくなってきて・・そそくさとお堂をあとにいたしました。
入り口は どうみても
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なんて振り返っていたら突然大音響が・・
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祈りの時間の始まりですかね。コーランの一説のようですが・・kおばちゃんにはまったく分かりません。
分かるのはこの塔に
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現在進行形で問題になっている『ガザ』のもめごとも、根底は宗教の違い。
この国を2つに分断してしまったのも宗教の違い。
でも、『祈る』という行為は同じで、現在も過去もこの建物は『祈りの場』として提供されている。
八百万の神の国のkおばちゃんにとっては、神様も仏様もみんなおんなじ・・なんて思考にはなれない信仰が理解できないのでありました。
現在の紛争の大部分はこの『宗教間の争い』じゃあないんでしょうかね。だからもしこれが動物だったらない紛争。人間ってもしかすると動物より・・・・
と、思ってしまうkおばちゃんです。
みんな仲良く生きましょうよ、神様だってそれを望んでるはず・・なんて考えるのが甘ちゃんなんでしょうね 。