雨の降りそうな・・いかにも泣き出しそうな空模様です。
夕べは急いで横断歩道を渡ろうとして・・証拠にもなくまた足を痛めたおばかなkおばちゃんです。
一向に進まない政府の救済作。決める人がいないのよね。誰だか首相になるときに宣言していた『強いリーダーシップ』とやらは何処へ??
日本もイタリアのように直接選挙でもして国民自身が責任をもたないと『どうせ人事』でおわってしまうのでしょうね。
○1月6日(木)
さて、やっとお墓参りを終えたkおばちゃん。本日も夜のご予定がばっちりあるので、一旦宿に戻らなきゃ行けません。
でも折角ここまで来たんです。ここは超有名地のようでkおばちゃんみたいなお上りさんが沢山います。で、kおばちゃんも早速その仲間入りです!
通りを渡ってしゃいシャイヨー宮 Palais de Chaillotの方向にkおばちゃんも歩いて行って・・目に飛び込んできたのはこの景色!
うわーーーエッフェル塔が目の前に!!すごい!!一人で大興奮するkおばちゃんです。
だって、ここがこんなに景色が良いとは知らなかったんです。墓地のあるところ・・という認識しかなかったのだから。まったく勉強不足ですね。
どんどんと吸い寄せられてゆきます。きれいですね!その立ち姿の美しい事!東京タワーと違います。
このすらーーとしたお姿!さすがおパリの塔です。だって眺められることを計算して作ってありますよね。
東京タワーの場合は、眺めるというよりも『見える』というだけのこと。毎日見ている聖かもしれませんが、ただ建ってるって気がします。
エッフェル塔の場合は『モデル立ち』の姿、一番美しい姿を見せるコツを知り尽くしていると言う感じですね。
宮殿の端っこまでやってきてやっとその足元まで全景が見渡せました。
エッフェル塔をよく見ると足元に向って道路が付いてるんですね。
そういえば、その昔、初おパリの時にこの塔に『歩いて』昇りました!!歩いて昇ったのは、お金がもったいなかったから・・と記憶してます。だってエレベーター利用と、歩いて昇るのと料金が違ったと思います。今は懐かしい思い出です。
でもそのときには・・対岸からこのようなお姿を眺めた記憶がありません。
時間が合ったらもう一度昇って見たいと思うけど・・さすがに歩いて昇る勇気は全然ありません。
おー向こうのエッフェル塔の下にもすごい人!エッフェル塔を見上げてますね。
エッフェル塔の左側に観光バスが沢山止まっているのがみえました。
あれ?観光バスの向こう、彼方に見えるのはパンテオンでしょうか?ということはkおばちゃんの帰る方向はあっち??
まあ、いずれにしても歩いて帰れるような距離ではありませんね。
そうそう、このシャイヨー宮 Palais de Chaillotの前庭では、只今スケートリンクの造成中のようでした。
今日なんて十数度の気温があって、おまけに雨まで降ってます。ホントにリンクができるのかしらね?
エッフェル塔の足の向こうに見えるのはÉcole Militaire陸軍官学校だそうです。
その歴史は古ルイ15世の頃Louis XV あのポンパドゥール夫人の支援で貧しい家庭出の士官候補生のために設立されたとか。だからかしらまるで宮殿のようですね。
エッフェル塔の点灯もみてみたけど・・そろそろお宿に戻らないと・・振り返ると皆まだエッフェル塔を眺めてます。
そうそう、このシャイヨー宮の真中というか広場にはこのような文字が刻んでありました。
これはなんだろう・・と例によって後で調べました。これは1985年5月30日にここでフランソワ・ミッテランMaurice Adrien Marie Mitterrand元大統領によって宣言された『自由と人類の権利des libertés et des droits de l'humanité』を記念して、2005年第2次大戦時の強制収容所からの開放60周年記念のときに造られたプレートのようです。
もともとは、パリ万博の時に建て替えたれて造られたシャイヨー宮のようですが、その後は1948年に国際連合の総会による世界人権宣言がなされたりと、『人類の権利』の象徴のような場所になっているようですね。
エッフェル塔の絶景万歳!自由万歳!のシャイヨー宮でした。
そうそう、このあたりにはおみやげ物のエッフェル塔売りが沢山出没してました。コンナ感じ・・
これを売っている彼ら・・おそらく移民の子どもじゃないかしら?と思ったkおばちゃんです。自由を夢見てここおフランスにやってきたんでしょうけど・・
夕べは急いで横断歩道を渡ろうとして・・証拠にもなくまた足を痛めたおばかなkおばちゃんです。
一向に進まない政府の救済作。決める人がいないのよね。誰だか首相になるときに宣言していた『強いリーダーシップ』とやらは何処へ??
日本もイタリアのように直接選挙でもして国民自身が責任をもたないと『どうせ人事』でおわってしまうのでしょうね。
○1月6日(木)
さて、やっとお墓参りを終えたkおばちゃん。本日も夜のご予定がばっちりあるので、一旦宿に戻らなきゃ行けません。
でも折角ここまで来たんです。ここは超有名地のようでkおばちゃんみたいなお上りさんが沢山います。で、kおばちゃんも早速その仲間入りです!
通りを渡ってしゃいシャイヨー宮 Palais de Chaillotの方向にkおばちゃんも歩いて行って・・目に飛び込んできたのはこの景色!
うわーーーエッフェル塔が目の前に!!すごい!!一人で大興奮するkおばちゃんです。
だって、ここがこんなに景色が良いとは知らなかったんです。墓地のあるところ・・という認識しかなかったのだから。まったく勉強不足ですね。
どんどんと吸い寄せられてゆきます。きれいですね!その立ち姿の美しい事!東京タワーと違います。
このすらーーとしたお姿!さすがおパリの塔です。だって眺められることを計算して作ってありますよね。
東京タワーの場合は、眺めるというよりも『見える』というだけのこと。毎日見ている聖かもしれませんが、ただ建ってるって気がします。
エッフェル塔の場合は『モデル立ち』の姿、一番美しい姿を見せるコツを知り尽くしていると言う感じですね。
宮殿の端っこまでやってきてやっとその足元まで全景が見渡せました。
エッフェル塔をよく見ると足元に向って道路が付いてるんですね。
そういえば、その昔、初おパリの時にこの塔に『歩いて』昇りました!!歩いて昇ったのは、お金がもったいなかったから・・と記憶してます。だってエレベーター利用と、歩いて昇るのと料金が違ったと思います。今は懐かしい思い出です。
でもそのときには・・対岸からこのようなお姿を眺めた記憶がありません。
時間が合ったらもう一度昇って見たいと思うけど・・さすがに歩いて昇る勇気は全然ありません。
おー向こうのエッフェル塔の下にもすごい人!エッフェル塔を見上げてますね。
エッフェル塔の左側に観光バスが沢山止まっているのがみえました。
あれ?観光バスの向こう、彼方に見えるのはパンテオンでしょうか?ということはkおばちゃんの帰る方向はあっち??
まあ、いずれにしても歩いて帰れるような距離ではありませんね。
そうそう、このシャイヨー宮 Palais de Chaillotの前庭では、只今スケートリンクの造成中のようでした。
今日なんて十数度の気温があって、おまけに雨まで降ってます。ホントにリンクができるのかしらね?
エッフェル塔の足の向こうに見えるのはÉcole Militaire陸軍官学校だそうです。
その歴史は古ルイ15世の頃Louis XV あのポンパドゥール夫人の支援で貧しい家庭出の士官候補生のために設立されたとか。だからかしらまるで宮殿のようですね。
エッフェル塔の点灯もみてみたけど・・そろそろお宿に戻らないと・・振り返ると皆まだエッフェル塔を眺めてます。
そうそう、このシャイヨー宮の真中というか広場にはこのような文字が刻んでありました。
これはなんだろう・・と例によって後で調べました。これは1985年5月30日にここでフランソワ・ミッテランMaurice Adrien Marie Mitterrand元大統領によって宣言された『自由と人類の権利des libertés et des droits de l'humanité』を記念して、2005年第2次大戦時の強制収容所からの開放60周年記念のときに造られたプレートのようです。
もともとは、パリ万博の時に建て替えたれて造られたシャイヨー宮のようですが、その後は1948年に国際連合の総会による世界人権宣言がなされたりと、『人類の権利』の象徴のような場所になっているようですね。
エッフェル塔の絶景万歳!自由万歳!のシャイヨー宮でした。
そうそう、このあたりにはおみやげ物のエッフェル塔売りが沢山出没してました。コンナ感じ・・
これを売っている彼ら・・おそらく移民の子どもじゃないかしら?と思ったkおばちゃんです。自由を夢見てここおフランスにやってきたんでしょうけど・・