今日からまた一週間が始まってしまった・・けど火曜日なのはありがたい。はい、働くの嫌いですから。
夕べは秋刀魚を焼いたのでそのお頭と骨をお外のいつもの場所においておいたのだが・・今朝はきれいになくなっていた。
野良ちゃんが食べてくれれば良いのだが、どうも最近はご近所の半野良状態の飼い猫が出入りしているのでそいつが食べてしまった公算が大なのだ。まったく・・
TP△の加入というかその交渉のテーブルに着くかどうかを巡って色々揉めているようだけど、コノ類のニュースって必ず『○×が危機に立たされる』『生活が成り立たなくなる・・』的な発想のコメントしか出てこない気がしますです。
『経済活動』が悪で、『農業活動』が善であるというシナリオでニュースを扱おうとする姿勢が見え見栄。
その両輪があってこその国民の生活だと思うんですけどね。企業の生産活動が関税のかからない外国にもってゆかれてしまったら、雇用も生まれないしもちろん税収も減る。税収が減れば、現在でも膨大に支出されている農業に対する補助金だってねえ、原資がなくなるじゃないでしょうかね。
そう言うバランス感覚が大切なんだと思うのはkおばちゃんだけでしょうか。
○5月2日(月)
ライディングのリストの生家の展示をはまだ続きます。
リスト少年はその才能が認められて、ウイーンで音楽を勉強する事になったそうです。
さらに期待を膨らませた両親とともにリスト少年はパリ音楽院に入学しようとしますが『外国人』ということで入学がなわなかったということです。
しかしながらその代わり・・と言う事はないのでしょうが、パリのサロンで演奏したリスト少年はサロンの人気者になったそうです。
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こんな感じの少年・・というか青年だったんですからね。でもまだ12歳くらいですよね。
“小さなリスト(le petit Liszt)”と呼ばれて人気者だったようです。
そして次ぎの年には歌劇『ドン・サンシュ、または愛の館Oper „Don Sanche ou le château d'amour 』を作曲翌年には上演されたとか。
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考えて見ると、これがリスト唯一のオペラになってしまったようですね。
そしてこれがリスト少年手書きのスコア・・だったと思います。
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そしてこの頃描かれたリスト少年の姿です。少年から青年へと向って行くころでしょうかね。
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こちらはリスト青年の日記帳。1827年というから丁度、父アダムが急逝した年ですね。
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同じ年の母に宛てたリスト青年の手紙だそうです。
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その後家計を支えるリスト青年は良家の子女にピアノを教えていたようです。
そんな中で弟子のひとりの商務大臣のド・サン・クリック伯爵の娘のカロリーヌとの間に恋愛感情が生まれますが、所詮相手は良家の娘。父に引き離され、リスト青年の恋心はずたずたになったそうです。
この肖像画の頃は1832年だから、リスト青年は21歳位でしょう。
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この頃になると、リスト青年はそのピアノの才能もさることながらご覧の美貌で女性達のハートを射とめ、社交界の寵児となったようです。
彼の持ち物は奪い合いになったとかならなかったとか・・
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まあ、大人気のリスト青年だったのですね。今の日本でたとえるなら・・韓流スターといったところでしょうかね。
残念なことに、それ以降の展示はなかったと思います。
リスト青年がリスト老人になるまでの過程は・・とっても複雑なんでしょうね。
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少年期の彼の辿った足跡が地図になっていました。
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まあ、ここライディングRaidingはフランツ・リストFranz Liszt生誕の地なのだから、青年以降のリスト君には余りかかわりがないのでしょう。
その代わりご先祖様はこのようにルーツが記されていました。
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見ても・・良くわかりませんでしたが・・
夕べは秋刀魚を焼いたのでそのお頭と骨をお外のいつもの場所においておいたのだが・・今朝はきれいになくなっていた。
野良ちゃんが食べてくれれば良いのだが、どうも最近はご近所の半野良状態の飼い猫が出入りしているのでそいつが食べてしまった公算が大なのだ。まったく・・
TP△の加入というかその交渉のテーブルに着くかどうかを巡って色々揉めているようだけど、コノ類のニュースって必ず『○×が危機に立たされる』『生活が成り立たなくなる・・』的な発想のコメントしか出てこない気がしますです。
『経済活動』が悪で、『農業活動』が善であるというシナリオでニュースを扱おうとする姿勢が見え見栄。
その両輪があってこその国民の生活だと思うんですけどね。企業の生産活動が関税のかからない外国にもってゆかれてしまったら、雇用も生まれないしもちろん税収も減る。税収が減れば、現在でも膨大に支出されている農業に対する補助金だってねえ、原資がなくなるじゃないでしょうかね。
そう言うバランス感覚が大切なんだと思うのはkおばちゃんだけでしょうか。
○5月2日(月)
ライディングのリストの生家の展示をはまだ続きます。
リスト少年はその才能が認められて、ウイーンで音楽を勉強する事になったそうです。
さらに期待を膨らませた両親とともにリスト少年はパリ音楽院に入学しようとしますが『外国人』ということで入学がなわなかったということです。
しかしながらその代わり・・と言う事はないのでしょうが、パリのサロンで演奏したリスト少年はサロンの人気者になったそうです。
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こんな感じの少年・・というか青年だったんですからね。でもまだ12歳くらいですよね。
“小さなリスト(le petit Liszt)”と呼ばれて人気者だったようです。
そして次ぎの年には歌劇『ドン・サンシュ、または愛の館Oper „Don Sanche ou le château d'amour 』を作曲翌年には上演されたとか。
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考えて見ると、これがリスト唯一のオペラになってしまったようですね。
そしてこれがリスト少年手書きのスコア・・だったと思います。
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そしてこの頃描かれたリスト少年の姿です。少年から青年へと向って行くころでしょうかね。
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こちらはリスト青年の日記帳。1827年というから丁度、父アダムが急逝した年ですね。
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同じ年の母に宛てたリスト青年の手紙だそうです。
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その後家計を支えるリスト青年は良家の子女にピアノを教えていたようです。
そんな中で弟子のひとりの商務大臣のド・サン・クリック伯爵の娘のカロリーヌとの間に恋愛感情が生まれますが、所詮相手は良家の娘。父に引き離され、リスト青年の恋心はずたずたになったそうです。
この肖像画の頃は1832年だから、リスト青年は21歳位でしょう。
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この頃になると、リスト青年はそのピアノの才能もさることながらご覧の美貌で女性達のハートを射とめ、社交界の寵児となったようです。
彼の持ち物は奪い合いになったとかならなかったとか・・
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まあ、大人気のリスト青年だったのですね。今の日本でたとえるなら・・韓流スターといったところでしょうかね。
残念なことに、それ以降の展示はなかったと思います。
リスト青年がリスト老人になるまでの過程は・・とっても複雑なんでしょうね。
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少年期の彼の辿った足跡が地図になっていました。
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まあ、ここライディングRaidingはフランツ・リストFranz Liszt生誕の地なのだから、青年以降のリスト君には余りかかわりがないのでしょう。
その代わりご先祖様はこのようにルーツが記されていました。
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見ても・・良くわかりませんでしたが・・