今日は月曜日でエンジンがかからなきゃいけないんだけどね。
いつものとこながら日本の政治って、結局首相が誰でも関係無く動く感じ。だから現在の状況、求心力のなくなった首相が居座っていてもいなくても同じなのよね。
実は、あるグループ(まったくの趣味の団体)の運営にかかわるメンバーの仲間入りをさせられそうになってその運営方法をみていると『衆愚』という言葉を連想してしまった。
周りでワーワー騒いでいるだけで、責任の所在がはっきりしていない。決断する機関がない!
これって、日本の政治と同じじゃないかしら・・と思った次第です。たぶん外から見ているほうがらくちんなので加わりませんけどね。
決定機関がないのなら幾ら話し合っても同じだと思っているのです。
○1月6日(木)
パッシーPassy墓地の中を彷徨い歩いたkおばちゃん。やっとこさお目当てのお墓を見つけました。
総、お目当てはクロード・アシル・ドビュッシーClaude Achille Debussy氏です。
彼は、さっきkおばちゃんがお参りしたガブリエル・ユルバン・フォーレGabriel Urbain Fauréとほぼ同じ年代を生きた作曲家だったようです。
で、複雑なのは女性関係!彼ビュッシーは華やかな青春時代を謳歌した後・・・最終的には エンマ・バルダックEmma Bardac女史と結婚(出来ちゃった婚)したそうですが、このエンマ女史はたいそう魅力的なご夫人だったようで、銀行家と結婚して子どもが2人ありながら、前出のフォーレからも熱烈な求愛をうけ、もちろんドビュッシーからもですが・・で、ドビュッシーを選んだようです。
あーうらやましい!
ドビュッシーとの間に女の子を出産。、クロードエマClaude-Emmaと名づけられ'Chou-Chouシュシュ'と呼び溺愛していたようです。で、彼女のために作曲したのがピアノ曲『子どもの領分Children's Corner』という組曲。
実はkおばちゃん、子どものころからこの曲が大好きだったのです。我が家の数少ないレコードの中に何故かこれがあり・・繰り返し聞いた覚えがあります。
いつか大人になったら弾きたいとずーーと思っていたのですが・・と中で挫折・・・そのまんま、何時しか忘却のかなたであります。
そんな思いもあって是非訪れたかったドビュッシー氏のお墓です。みつかってよかった!
お墓にお供えしてあった『青い薔薇』がなんとも・・雰囲気がおフランスですね。
雨降りの夕暮れの墓地でやっと思いが?かなったkおばちゃんでした。
それにしても・・この地図!青丸のところはどう見ても通り沿いですよね!
実際にあったのはこんなところです。
右端に写っているのは通り沿いのお墓の背中というか後の部分です。
一生、戸籍上は独身であったらしいフォーレ氏とのお墓はこの壁のようなお墓の向こう側です。
そうそう、ドビュッシー夫人となったエンマ・バルダックEmma Bardac女史もここに一緒に埋葬されているようです。あ、お嬢ちゃんのクロードエマClaude-Emmaちゃんも1918にドビュッシーが大腸がんにより死去した翌年、1919年に14歳の若さで世を去っているそうです。もちろんここに一緒に埋葬されているらしいです。
このお墓のある一角はほんと、住宅が迫って着ています。
そこに見える建物なんか、長屋をちょん切ったような感じですもんね。
さて、そろそろ外に出ましょう。こんなところに閉じ込められたら大変です。
最後にもう一度エドアール・マネÉdouard Manet氏のお墓にご挨拶しましょう。
それにしても個性的なお墓も多いです。バチカン ピエタ像のコピーですね。ケースにまで入ってます。
こちらなんか立派なドームが付いています。心配性のkおばちゃんが雷が落ちないかしら・・なんて思いましたけど。
入り口にはこのようは標示がありました。『駐車場なし、進入禁止』といったところでしょうか。
開園時間は朝の8時から冬場は5時半までのようでした。
さあてと、お次はどうしますかね。
いつものとこながら日本の政治って、結局首相が誰でも関係無く動く感じ。だから現在の状況、求心力のなくなった首相が居座っていてもいなくても同じなのよね。
実は、あるグループ(まったくの趣味の団体)の運営にかかわるメンバーの仲間入りをさせられそうになってその運営方法をみていると『衆愚』という言葉を連想してしまった。
周りでワーワー騒いでいるだけで、責任の所在がはっきりしていない。決断する機関がない!
これって、日本の政治と同じじゃないかしら・・と思った次第です。たぶん外から見ているほうがらくちんなので加わりませんけどね。
決定機関がないのなら幾ら話し合っても同じだと思っているのです。
○1月6日(木)
パッシーPassy墓地の中を彷徨い歩いたkおばちゃん。やっとこさお目当てのお墓を見つけました。
総、お目当てはクロード・アシル・ドビュッシーClaude Achille Debussy氏です。
彼は、さっきkおばちゃんがお参りしたガブリエル・ユルバン・フォーレGabriel Urbain Fauréとほぼ同じ年代を生きた作曲家だったようです。
で、複雑なのは女性関係!彼ビュッシーは華やかな青春時代を謳歌した後・・・最終的には エンマ・バルダックEmma Bardac女史と結婚(出来ちゃった婚)したそうですが、このエンマ女史はたいそう魅力的なご夫人だったようで、銀行家と結婚して子どもが2人ありながら、前出のフォーレからも熱烈な求愛をうけ、もちろんドビュッシーからもですが・・で、ドビュッシーを選んだようです。
あーうらやましい!
ドビュッシーとの間に女の子を出産。、クロードエマClaude-Emmaと名づけられ'Chou-Chouシュシュ'と呼び溺愛していたようです。で、彼女のために作曲したのがピアノ曲『子どもの領分Children's Corner』という組曲。
実はkおばちゃん、子どものころからこの曲が大好きだったのです。我が家の数少ないレコードの中に何故かこれがあり・・繰り返し聞いた覚えがあります。
いつか大人になったら弾きたいとずーーと思っていたのですが・・と中で挫折・・・そのまんま、何時しか忘却のかなたであります。
そんな思いもあって是非訪れたかったドビュッシー氏のお墓です。みつかってよかった!
お墓にお供えしてあった『青い薔薇』がなんとも・・雰囲気がおフランスですね。
雨降りの夕暮れの墓地でやっと思いが?かなったkおばちゃんでした。
それにしても・・この地図!青丸のところはどう見ても通り沿いですよね!
実際にあったのはこんなところです。
右端に写っているのは通り沿いのお墓の背中というか後の部分です。
一生、戸籍上は独身であったらしいフォーレ氏とのお墓はこの壁のようなお墓の向こう側です。
そうそう、ドビュッシー夫人となったエンマ・バルダックEmma Bardac女史もここに一緒に埋葬されているようです。あ、お嬢ちゃんのクロードエマClaude-Emmaちゃんも1918にドビュッシーが大腸がんにより死去した翌年、1919年に14歳の若さで世を去っているそうです。もちろんここに一緒に埋葬されているらしいです。
このお墓のある一角はほんと、住宅が迫って着ています。
そこに見える建物なんか、長屋をちょん切ったような感じですもんね。
さて、そろそろ外に出ましょう。こんなところに閉じ込められたら大変です。
最後にもう一度エドアール・マネÉdouard Manet氏のお墓にご挨拶しましょう。
それにしても個性的なお墓も多いです。バチカン ピエタ像のコピーですね。ケースにまで入ってます。
こちらなんか立派なドームが付いています。心配性のkおばちゃんが雷が落ちないかしら・・なんて思いましたけど。
入り口にはこのようは標示がありました。『駐車場なし、進入禁止』といったところでしょうか。
開園時間は朝の8時から冬場は5時半までのようでした。
さあてと、お次はどうしますかね。