Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

電子システムのビニエット(ハンガリー)

2011-10-14 18:01:03 | ハンガリー
夕べも・・ご機嫌ざんのkおばちゃんでした。で、忘れ物というか・・無くしモノをしてしまいまして・・反省でございます。まったくなにやってるんだか・・ね。

気を付けます。

○5月2日(水)

コルト君にガソリンをたっぷりいれて向う先は・・お隣のハンガリーであります。

ハンガリーとオーストリアは準ユーロ圏とでもいうのでしょうか。 欧州連合加盟国で自由貿易協定ではありませんが関税が撤廃されております。で、行き来自由・・というととでその昔は厳しい通関検査が路上でもありました。

そんな時代にドライブした事のあるkおばちゃん。なんと欧州大陸運転デビューはハンガリーからオーストリアということだったのです。

今は昔の物語・・なんちゃって・・じゃありませんが・・国境は誰ーれもおりません。


googleさまのサテライトによると・・こんな感じになっています。



そうそう、このサテライトでもわかる通り、ハンガリーと言う国は自分達で呼ぶのはMagyar Köztársaság
ということで、マジャールと言う言葉を使います。世界的に英語の呼称の Republic of Hungaryで通称 ハンガリーHungaryという名前が浸透してしまっていますけどね。

で、通貨は未だにユーロは使用しておらず『フォリント(HUF)』という単位を使用しています。
考えて見たらドイツとオーストリアは同じ通貨ユーロだったから・・かもしれませんね国境の手前で高速圏のビニエットvignetteを入手できたのは。
とにかくこれからハンガリーの高速道路を走る予定のあるkおばちゃんとしては何としても早急にビニエットを入手しなければ安心できません。


ということで、一番最初に目に飛び込んできたガソリンスタンドに入りました。


ガソリンはさっきたっぷり入れたので・・御用はありません。あるのはこちら・・売店の方です。


さて、ここで困ったな・・と思ったのはハンガリー語でビニエットと言う単語が分からない・・のですが、まあお隣の国の言葉でも大丈夫??ということで聞いて見ました。
すると・・・大丈夫!同じ言葉だよということで話が通じ、一番短い期間の4日間というものを購入することしました。

すると・・イロイロと質問されました。車のナンバーはー?とかです。kおばちゃん念のために言葉が通じなかったら困ると思って、車検書類をもって売店に行ったのでそれを見せて・・OKでした。

料金を払って・・レシートをもらってお終い!ということでほっとして車に戻ると・・あれ???シールをもらうのを忘れました。

あわてて、売店に舞い戻ると『さっき渡したもので大丈夫!』ということです。kおばちゃん『え??』です。


さっきのというのはこれなんですけどね。
だってこのHPにも『シール』という言葉が出てくるじゃありませんか。
それに、オーストリアでもチェコでもシールを張りましたからね。

すると、『高速道路のヴィネットは電子監視システムだよ。貴方の車のナンバーはもう登録したから大丈夫!』と言う言葉。kおばちゃん『え?そうなの!』って感じです。
まあ、ガイドブックを持っていなかったので・・なんとも言えませんけどね。

確かに1枚目のレシートにはこのような表記があるので・・そうなのかな・・と無理やり納得しました。


使用期間が書いてあるでしょ?そして、ナンバープレートの記号も!

2枚目の方はこんな感じなのですが・・


こちらは所謂領収書ということみたいです。


帰国してから(こればかり)調べて見たら・・やっぱりそうでした。このHPに載ってますね。これによると2008年の1月1日からってことは・・もう随分経ってるじゃないですかね?

でも、このときは半信半疑で・・いたkおばちゃんです。まあ、いいや!何かあったらレシートを見せればいいや・・なんて思ってましたけどね。

さあ!ハンガリーのドライブ旅行の始まりです!
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さよならオーストリア

2011-10-13 19:29:09 | オーストリア
今日はあさからバタバタ。大荷物を持って出なきゃ行けないので大変。
お天気もね・・春先みたいにはっきり晴れないのよね。

今朝からお江戸で例の放射線量が異常に高い地域があると騒いでいたけど・・もしかすると『故意にだれかばらまいた?』なんてひねくれて考えたkおばちゃんです。
だって・・あの区ってもしかすると○電の役員さん辺り住んでそうじゃない??なんて思ったのでした。

○5月2日(月)

ライディングRaidingのフランツ・リストの生家を見学した後、向ったのはこんなところです。


教会です。多聞アントニウス教会Antoniuskircheと言うんだと思います。聖アントニウスとは別名パドヴァのアントニオAntonius von Paduaと呼ばれるカトリック教会の聖人だと思います。動物の守護聖人だとか。

違うかしら?中に入って見ましょうかね。



割りとモダンな教会ですね。


小さいながらもオルガンもあります。


尖塔は昔のモノのようですが、教会のお堂は1927年に建て替えられたようですね。

お堂の中にはこのようなものも祭られていました。


『Michael Kiengle』とい名前が読み取れるような気がするんですけどね。
脇の子供達の写真は日曜学校の作品でしょうかね?

教会を見学した後は・・次の目的地に向わないと時間がなくなりました。


さよならライディングです。ほらね。


ここから先はライディンじゃありませんよ!ということでしょうね。

このあたり、ブルゲンラント州Burgenlandはワインの産地でもあります。葡萄畑が続きます。


そうそう、そろそろコルト君にガソリンを入れておかないと・・それとちょっと聞きたいこともありました。


聞きたいこと、というのはハンガリーの高速券のことです。これからkおばちゃんはお隣の国ハンガリーに向います。ここもたしか高速は有料でビニエットVignetteと呼ばれる券が必要なことがどこかに書かれて今した。で、事前に国境の手前で入手しようと思ったのですが・・・スタンドのお嬢さんに『ハンガリーの国内に入ってから入手してください』と言われてしまいました。残念!

まあ、国境を越えるまではローカルな道をゆきますからね。いいですけど。黄色いお花が美しいですね。


暫くするとこんな建物の下を通り抜けました。これは関税のかかったころのオーストリア側の税関跡ですね。


さよなら!オーストリアです。じきに戻ってきますけどね。

緩衝地帯を通り抜けて、向こうに見える建物をめざします。
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新しいホール(ライディング)

2011-10-12 23:45:52 | オーストリア
今日はこの冬の旅行のあれこれを検索して手配しようと思ったのだけれども・・ちょっと躊躇しているのよね。
いえ、デポジットのかかるものの話。

ここのところのユーロ圏の経済状態の話。ギリシャをめぐっての駆け引き。
各国様々なんだけど、この年末にかけてがたんとまた経済状態が変わっちゃったりするのかしらって気になってます。

だって、せっかく先払いしたのに『倒産』でもされたらねえ。
いつもの心配は天候のみだったんですけど、ここにきて他の心配も出てきてしまいました。
まあ、どっちにしても心配性のkおばちゃんの心配の種はつきません。

○5月2日(月)

ライディングのフランツ・リストFranz Lisztの生家の見学を終えたkおばちゃん。窓から外を眺めながら・・


少年リスト君は何を夢見ながら過ごしたのかしらなんて考えたkおばちゃんです。
だって、どちらかというと父親の敷いたレールにのっかって音楽活動を始めた感じがするからです。
ほんとに音楽が好きだったのかしら?それとも他に好きなものを見つける暇がなかったのかしら・・なんてね。
まあ、所詮kおばちゃんのような凡人の感覚とは違うでしょうね。

さて、建物の外に出ました。それにしてもね、記念イヤーとはいえ・・このリスト君はすごいですね。


これはおパリのリスト君でしたね。さよならね。


家全体はこんな感じでとても大きいとはいえませんね。


さて、お次に向かう前に・・お化粧室をお借りしようとさっきのチケットを売っていた建物に向かいました。


この建物は実はチケットオフィスではありません。ホールなんです。

お化粧室をおかりしたついでに・・ちょっと中を見学させてもらいました。(っていっても扉があいてたので勝手に覗いたのですけど)


どうも多目的ホールのようです。椅子は可動式ですもんね。

ステージもそう広くはありません。室内楽程度でしょうかね。


ちょっと失礼して・・ステージの上からの眺めです。ホント簡単な作りのホールですね。


ステージの上にピアノが見当たらないな・・とおもったちゃんと袖に控えていました。


タダ、残念ながらカバーをめくって中を確認しなかった・・というかそこまで度胸がなかったので、どこのメーカーのものかわかりませんけどね。

さて、無断見学はこのくらいにしてそろそろ出発しましょう。再びリスト君のお家を眺めます。


えーとお次は・・と、ふと眺めるとホールの脇から教会の塔のようなものが見えます。


あそこにいってみようかしらね。またコルト君の止まっている広場で場所を確認。


地図によるとこんな感じの町並み?ですね。


この地図によると『D』がリスト君の生家。『E』がさっき見学したホール。そしてこれから見に行こうかなと思うのは『A』のあたりです。

さっきお茶したパン屋さんは・・もう閉店してます。
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美青年のリスト君(ライディング)

2011-10-11 19:16:27 | オーストリア
今日からまた一週間が始まってしまった・・けど火曜日なのはありがたい。はい、働くの嫌いですから。

夕べは秋刀魚を焼いたのでそのお頭と骨をお外のいつもの場所においておいたのだが・・今朝はきれいになくなっていた。
野良ちゃんが食べてくれれば良いのだが、どうも最近はご近所の半野良状態の飼い猫が出入りしているのでそいつが食べてしまった公算が大なのだ。まったく・・

TP△の加入というかその交渉のテーブルに着くかどうかを巡って色々揉めているようだけど、コノ類のニュースって必ず『○×が危機に立たされる』『生活が成り立たなくなる・・』的な発想のコメントしか出てこない気がしますです。
『経済活動』が悪で、『農業活動』が善であるというシナリオでニュースを扱おうとする姿勢が見え見栄。

その両輪があってこその国民の生活だと思うんですけどね。企業の生産活動が関税のかからない外国にもってゆかれてしまったら、雇用も生まれないしもちろん税収も減る。税収が減れば、現在でも膨大に支出されている農業に対する補助金だってねえ、原資がなくなるじゃないでしょうかね。
そう言うバランス感覚が大切なんだと思うのはkおばちゃんだけでしょうか。

○5月2日(月)

ライディングのリストの生家の展示をはまだ続きます。

リスト少年はその才能が認められて、ウイーンで音楽を勉強する事になったそうです。
さらに期待を膨らませた両親とともにリスト少年はパリ音楽院に入学しようとしますが『外国人』ということで入学がなわなかったということです。

しかしながらその代わり・・と言う事はないのでしょうが、パリのサロンで演奏したリスト少年はサロンの人気者になったそうです。


こんな感じの少年・・というか青年だったんですからね。でもまだ12歳くらいですよね。
“小さなリスト(le petit Liszt)”と呼ばれて人気者だったようです。

そして次ぎの年には歌劇『ドン・サンシュ、または愛の館Oper „Don Sanche ou le château d'amour 』を作曲翌年には上演されたとか。


考えて見ると、これがリスト唯一のオペラになってしまったようですね。

そしてこれがリスト少年手書きのスコア・・だったと思います。


そしてこの頃描かれたリスト少年の姿です。少年から青年へと向って行くころでしょうかね。


こちらはリスト青年の日記帳。1827年というから丁度、父アダムが急逝した年ですね。


同じ年の母に宛てたリスト青年の手紙だそうです。


その後家計を支えるリスト青年は良家の子女にピアノを教えていたようです。
そんな中で弟子のひとりの商務大臣のド・サン・クリック伯爵の娘のカロリーヌとの間に恋愛感情が生まれますが、所詮相手は良家の娘。父に引き離され、リスト青年の恋心はずたずたになったそうです。

この肖像画の頃は1832年だから、リスト青年は21歳位でしょう。


この頃になると、リスト青年はそのピアノの才能もさることながらご覧の美貌で女性達のハートを射とめ、社交界の寵児となったようです。

彼の持ち物は奪い合いになったとかならなかったとか・・


まあ、大人気のリスト青年だったのですね。今の日本でたとえるなら・・韓流スターといったところでしょうかね。

残念なことに、それ以降の展示はなかったと思います。
リスト青年がリスト老人になるまでの過程は・・とっても複雑なんでしょうね。


少年期の彼の辿った足跡が地図になっていました。


まあ、ここライディングRaidingはフランツ・リストFranz Liszt生誕の地なのだから、青年以降のリスト君には余りかかわりがないのでしょう。
その代わりご先祖様はこのようにルーツが記されていました。


見ても・・良くわかりませんでしたが・・
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リスト少年(ライディング)

2011-10-10 23:59:36 | オーストリア
今日もお休み・・だけれどもすっきりとした青空ジャなのよね。
遅く起きてお布団干したら・・・直ぐ日が陰ってしまって残念!せっかく近所猫を追い払ったのに。
野良ちゃんは追い払いませんよ。でも飼い猫じゃ『お家で日向ぼっこしなさいね』といってしまいます。

連休中のお楽しみは近所の百円ショップのお買い物。思いっきりお買い物してしまった。それと久々の髪の毛のカット!ああ気持ちが良い!

小さな幸せ!

それにしても・・最近朝起きて何が食べたいか思い浮かばないのがさびしい限り・・

○5月2日(月)

ライディングのリストの生家の展示を見物するkおばちゃんです。
家に入ると最初に目に入ったのはこのようなピアノでした。


大きなお部屋は3つだったかな?もう忘れてます。
右側のお部屋にはいると・・たしかリスト少年の誕生まで・・ではありませんがそんな感じの展示でした。

これはリストのお父さんアダム・リストLiszt Ádám氏だそうです。


音楽をたしなむ彼は、1809年、エステルハージ公の約5万頭に及ぶヒツジの群れの監督官としてライディングの荘園に赴任してここで1810年の夏知り合ったアンナ・ラーガーMarie Anna Lager女史と結婚。でフランツ・リストが生まれる・・ということにあいなったようです。

これは父アダムが領主のニコラス・エステルハージに贈ったテ・デウムなんかのカタログだったような・・


これが母アンナの肖像でしょうか。たしかパリからの手紙だと思いました。


これがご領主さまのニコラスⅡ・エステルハージNikolaus Fürst von Esterházy(エステルハージ・ミクローシュ)


これは、たしか父アダムも弾いたチェロだったと思います。彼は一時エステルハージ公の楽団でチェロを弾いていたんですって。


当時のこの家・・の風景だとおもいました。今とそんなに変わりませんね。


音楽好きで自らも演奏したり作曲したりするような父のもとに生まれたリスト少年。


そんな環境のなか、幼いうちから才能を発揮していたようです。
当時ウイーンの音楽界の最高峰にいたヨハン・ネポムク・フンメルJohan Nepomuk Hummelの教育を受けようと奮闘しますが、それはかなわなかったようです。


こんな机が展示されていました。この当時のものなんでしょうね。


父アダムは息子の才能を伸ばそうと奔走したようです。領主宛の手紙が何通か展示されていました。


1822年にはウィーンに移住し、ウィーン音楽院でカール・ツェルニーおよびアントニオ・サリエリに師事するようになったようです。
そのころの絵でしょうか?ベートーヴェン氏に抱擁される小さなピアニスト、リスト君といったところのようです。


冒頭の画像もそうですがその一年後1823年ころのリスト君です。12才ころですね。


両親の愛情を一身にうけて・・前途洋洋といったところでしょうね。かわいい!
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日本語がお出迎え(ライディング)

2011-10-09 23:16:20 | オーストリア
昨晩は例によって調子に乗りすぎて・・はい。
連休中の非生産的な過ごし方を続けております。

連休であるのを実感したのは、実は電車の中。いつもの時間帯にいつものように向かったのですが、乗り換えの一大ターミナル駅で、休日だとそれほどの混雑もないはず・・なのに、なんだか人がいっぱい。
それに、電車の乗り降りがなんというか自分勝手。まだ人が降り切らないうちにどーーと乗ってきちゃうのです。あららら・・

降りる人が先じゃない!!とぷりぷりしながら下車したkおばちゃんです。

ま、kおばちゃんもお年寄りになった証拠ですね。怒りっぽくて。

○5月2日(月)

kおばちゃんのやってきたのはライディングRaidingというブルゲンラント州 オーバープレンドルフ郡にある集落なのですが、ここは歴史的にハンガリーの一部であった時代もあり、マジャール語(ハンガリー語)ではドボルヤーンDoborjánという名前の集落です。

そしてここはあのフランツ・リストFranz Lisztが生まれたところであります。
彼が生まれたのは丁度200年前。今年は生誕200年に当たる記念イヤーだそうです。
で、ミーハーのkおばちゃんはご訪問と相成ったわけです。

でも、生誕の地にいったいなにがあるのか・・昨年のマーラーのカリシュトの例もありますのであまりは期待していないのですが、事前情報ではどうやら『博物館』があるらしい・・ということはわかってました。

kおばちゃんの一休みしたパン屋さんのある広場の側にもこのようなオブジェが尾で迎えくださいました。


広場から小さな流れを渡るとこのような入り口が見えました。ここかな?


『リストセンターliszt zentrum』って書いてあります。


入り口を入って最初に目に付いたのは冒頭の画像でもあるこれです。


日本語が目に飛び込んできてびっくりです。あらら。そんなに有名なところだったんですね。知りませんでした。

小道に沿って歩いてゆくとこのような白い建物が目に入りました。なんでしょうね?


こんな記念碑も立っていました。


さっきの白い建物とは反対側の左側に建っているこの建物は??もしかすると・・


この建物です。あまり大きい建物ではありませんね。平屋ですし。


これは・・リスト氏の胸像ですね。晩年のリストさんでしょうか。


日本ではどちらかと若いころのイイ男、男前の肖像を使いたがる傾向があるように思われますね。ブラームス氏とは大違い。

とりあえず・・白い建物のほうに道が続いているので向かうと、このようなものが見ました。


お会計所とでも言うのでしょうか。とりあえず人がいるので情報を確認に向かいました。すると・・やっぱりそうでした。

さっきの小さな建物がリストの生家だそうです。でここでチケットを購入して・・受付のおじさん・・いえお兄さんに連れられて建物に向かいました。


それにしても・・この巨大なリスト少年・・記念イヤーの産物でしょうか?

入り口を入るとこのような細長い部屋が左右に続いています。コインロッカーもありますね。




ここかだ先が・・リスト家の居室だったところのようです。
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カフェで一休み(ライディング)

2011-10-07 19:40:44 | オーストリア
今朝はちょっと通勤の経路を代えて見た。
いえ、いつもの電車が遅れていたのもあったし、一度は試して見たいと思っていたのでネ。

で、予想と違ったのは途中までの電車の混み具合。いつも利用している電車に比べたら・・半分位の混雑。
こっちの方が楽か??と思ったのも一瞬。

乗換えの大ターミナル駅は・・思った通りの大混雑。それでも人の少ないところを縫うように歩いて乗換えのホームについたら・・大根雑。覚悟はしていたけどね。

で、乗り込んだ電車は急病人が出たのでダイヤ調整だとかいって停車時間が長くなって段々込み合ってきた。
最後は、押し合いへしあい。kおばちゃんの側にいらしたとてもお上品なご夫婦(ご高齢でした)を押すような形になってしまって思わず『ごめんなさい!』と言ったら『大丈夫よ』と言われてしまった。

混雑路線ではあるけど・・いつものルートの方が乗換えの回数は多いけど・・最後の方が楽チンだから会社に到着した時の疲労感が違うかな?

たぶんいつものコースに戻ると思うkおばちゃんですね。

○5月2日(月)

ウィーンの町を離れて100キロ・・やってきたのはこんな町です。


これじゃ判りづらいですよね。全体でもこんな感じの町?です。


人口が800人そこそこ。900人はいない位の集落でライディングRaidingというろこです。

事前の情報収集・・ったってろくにしてませんが・・でもよく集落の構造がわからなかったので、とりあえずコルト君を止められそうな場所に入り込みました。

するとそこにはカフェのようなものが・・あったので、そこで一休みをしようと思ったkおばちゃんです。


実はここはパン屋さんのようで、上の↑の画像を撮ったのは帰りだったのでもう閉店しています。ご前中だけのようでしたね。

陽射しは強いけど・・外は気持ちが良いのでお店の中へ声をかけて座りました。


何にしましょうね?さっき朝ごはんを食べたばかり・・かもしれませんけどね。

折角だからリンゴのパイをいただきましょう。それとコーヒーと・・


あそこの看板にいあるのは・・リスト・トルテ??


そうなんです。ここライディングは実は「ピアノの魔術師」と呼ばれたフランツ・リストFranz Lisztの生まれた町なんです。1811年10月22日にこの村でリストは生まれたそうです。

で、今年はリスト君が生まれて200年という記念の年に当るそうです。
だからミーハーなkおばちゃんはわざわざ立ち寄る事にしたんです。

コーヒーをいただいて・・お店の人に、コルト君をここに止めて良いかどうか聞いたところ、大丈夫ということだったので少し探検してみることにしました。

探検・・っていったってあそこに行って見るだけなんですけどね。
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ドライブ日和

2011-10-06 18:22:28 | オーストリア
今日は朝も早くから『ピンポン』がなった。
コノ時間にやってくるのは・・ご近所さんしかいないはず・・と思って出たら・・やはりそうでした。
お祭りの寄付と名簿の確認。

町会名簿はここのところずーーとつくっていなかったのだけれども、震災以降『安否確認も町会の仕事』という流れになったんでしょうね。久々に編集すると言う話は聞いていた。

で、注意書きのちらしも一緒に配られたのだけれど・・なんだか笑っちゃったのが『印刷も町内の印刷会社○×△社で行います。』と言う下り。
あーー、顔の見えている人に頼むから安心ですよ・・ということでしょうね。
個人情報保護法という法律もあるのだから、これに違反したら『犯罪者になりますよ』ということを書いておいたほうがよっぽどきくような気がするんですけどね。

それからがっかりなニュースをねっとでみつけてなんだか『お遍路』さんをやるのがイヤになって来た。
例の前総理がまたお遍路さんを始めたらしい。まったくパフォーマンス好きで自己顕示欲の塊みたいな人だ事。
総理経験者にはSPを付けなければ行けないのよね。ということは、彼がお遍路をするといこうとはゾロゾロとSPも移動しなきゃ行けないと言う事。つまりそれだけ余計に国のお金が使われるということですよね。

まあ、全体から見れば大した事はないでしょうけど、本当に祈り気持ちがあるんだったら自宅で篭って修行しなさい!!といいたくなりますよ。ミエミエで情けないったらありゃしません。

今日の国会審議をきいていて、面白い(失礼)なと思ったのは、N総理は野党の質問に対し素直に謝る姿勢。
昔だったら考えられないけれども、あれが審議の本当の姿かなと思ったりした。質問して追及しようとした野党の先生は・・上げたコブシの置き場所がなくなったのか、はたまた想定外の答弁だったからか・・的外れな追及をしてましたけどね。

それからリンゴのPCの産みの親のSteve Jobs氏がお亡くなりになった・・と報道されていますね。あのgoogleさまでさえも、サイトトップで墓碑銘がわりのようにお名前がしっかり出てきます。
kおばちゃんもそもそもはリンゴ・ユーザーでした。OSがまだう7台の時代の頃の話です。
とっつきやすかった・・というのと周りがみんなリンゴユーザーだったからというのがありますが、お仕事で遣うのが窓方式になってしまったので・・それ以降はPCは使ってませんでした。
リンゴのPCは発想が楽しいし、判りやすくて好きなんですけどね。
ご冥福をお祈りします。


●5月1日(月)

さてさて、今日はここのお宿を引き払わなければ行けません。
ざくっと荷造りをして・・朝食をいただきました。まあ、大した物がでるお宿ではありませんけどね。
それから・・近所のタバコ屋に走りました。何しにって?駐車券を買うためです。

今日は月曜日で、平日です。週末は路上駐車が無料で可能でしたが、このあたりは有料駐車なのです。
で、パーキングマシーンではなくってタバコ屋で時間の駐車券を買って・・フロントの見えるところにおいておかなければなりません。

8時から取り締まり時間だときいていたので・・とりあえず急いで1時間分を購入して・・おいておきました。
これで安心!
それからついでに、フロントにいたお兄ちゃんにちゃっかりPCで今晩のお宿の地図を出してもらって・・・カメラに記憶させました。だってここネット利用有料だから・・
kおばちゃんのナビ様はちょっと使い勝手が悪いのです。でgoogleさまの地図と照らし合わせておかないと危なっかしいのです。
今日のお宿はこんな場所です。


寄り道も含めると320キロ程度の移動。そして今晩もご予定が入っている・・ということは夕方までにはお宿に着きたいのです。
だからぐずぐずしてはいられません。チェックアウトをして・・あ、現金で払うと安くするよ!と言われてしまいました。もちろんその誘惑にはのりましたけど。カード手数料が惜しいのか・・はたまた某お役所にお金の流れの内容をつまびらかにしたくないのかは判りませんけどね。

フロントの前に荷物を置きっぱなしにしてこまめに、路上に止めてあるコルト君のところに荷物を運んでいたら・・最後の一個になったらみあたりません。おかしいな・・と思いフロントをお掃除していたふご夫人に聞いて見ルと『アンナ玄関脇においておいたら撮られちゃうでしょ!フロントの中に預っておいたわよ!』と言われてしまいました。
無防備だとは思ったのですが・・まあちょっとの間だしハンドバックなんかじゃなかったんですけどね。でも命の綱のナビ様をいれておりましたので・・あってよかったです。

そうそう、kおばちゃんがそろそろコルト君を出そうかな・・とおもっていたらフロントにいたおにいちゃんがいなくなったのよね。おかしいなと思ったら・・コルト君の後ろの車に座ってました。


コルト君の後ろのいベンツさま・・多聞これが彼の車です。で、今おベンツ様が止まっているのはホテルの入り口で駐車禁止なんですよ。ほんとは・・そこに止めていたのだから、kおばちゃんが出発したら・・おベンツさまをkおばちゃんのコルト君の駐車位置に止めたかったみたいです。ご苦労様なことです。

でも、フロントにいたおにいちゃんは・・おそらくここのオーナーの『ドラ』息子だと思いました。
kおばちゃんのチェックインをしてくれたのも若い男の子でしたけど、彼はおそらく雇われ人。だって働く態度が違いましたから。『ドラ』君のほうが・・やっぱりチャランポランでした。

さて、無事に出発したkおばちゃんがナビ様のお導きのもとに・・ドライブです。次ぎのお宿の前の寄り道です。お天気は最高!


ドライブ日和です。ナビ様も順調にお導きくださいます。


最初の目的地はウィーンから100キロ程の所です。


町から外れてためか・・道はガラガラです。風力発電気が目立つ程度の景色です。


時間がたつにつれ道はこのように車線が少なくなって行きました。


とうとう田舎道に出てしまいました。黄色い花が咲いていますね。菜の花かしら・・


ますます長閑な景色になって来ました。もうそろそろなんだけどなぁ・・


と思っていたら・・ナビ様が『目的地に到着しました。目的地右です』とおっしゃいました。ああ無事到着です。
kおばちゃんの到着したのはこんなところです。
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居眠りご注意!(ウィーン)

2011-10-05 17:29:29 | オーストリア
今日は久しぶりのお湿り。あさから天気予報で大宣伝してましたけどね。
昨日今日と朝から最古の地下鉄が止まっている・・と報じてましたけど、通勤時間帯には復旧しているようなので良いのですが・・原因はなんでしょうね?

そう言えば最近気が付いたのですが、震災の仮設住宅問題ってその昔あった、『引揚者住宅』っていうようなものに似てる気がするんですけど。

kおばちゃんのご近所にもたしかあったような・・なんせお子ちゃまものころでしたから記憶がひじょうに曖昧ですが、周りの大人達が『あそこの引揚者住宅はいったい何時まであるんだろうね?』なんて言っていたのを思い出しました。

その後、公営住宅が建ち・・今はどうなっているかな?

状況こそ違え、住んでいたところから追い出されて日本に帰国せざる得なかった人達をうけいれていたんでしょうから、ある意味災害で住居を失ったのと同じような感じかな?とおもったのでありました。

寒い冬に向って、仮設住宅の防寒のことが問題視されてきたみたいですが、エアコンをいれたりコタツをいれたりと言う議論をするよりも、その燃料費をどうやったら仮設に入っている人達が払えるのかと言うほうが問題じゃないでしょうかね?

○5月1日(日)

お腹もいっぱい、ワインで心地よくなったけれど時間も時間です。お宿に戻る足のあるうちに帰りましょう。

さすがにあの繁華街ケルントナー通りも人ではまばらになりました。


人がいるのはこんなところのみ。


カジノです。ここって昔からなんだか不思議なところだな・・と思っていました。
kおばちゃんがカジノという言葉を連想するのは『保養地』なんですけど、オーストリアの大都会のまんなかに『カジノ』がある・・っていうのがなんだかおかしいと思っていたのです。

うーん、観光地だからでしょうか?地元の人達は利用するんでしょうかね?

そんなものを横目に見ながら・・リンク沿いに走るトラムの乗り場に向いました。
で・・kおばちゃんのお宿はトラムを乗り換えなきゃいけないのですが・・ふと見ルと一台トラムがまさに停留所を出発しようとしていました。
番号はーーいつもとは違うけれどこれも途中でのりかえるやつだ・・と思って駈け乗りました。
いえ、正しくは運転手さんが早く乗れ・・と待っていてくれたのです。そうですよね。この時間になると本数は多くはありませんからね。

ああよかった。。なんて車内にはいって空いた席に座っていました。
途中まで景色を確認したのは覚えているんですけど・・ふと気が付くと・多くの人が降りて扉がしまり出発しました。で景色を確認すると・・・あれ????あれれ???見た事がない・・

どうやらkおばちゃん車内で居眠りをしてしまったようです。で、降りなきゃ行けない停留所を過ぎてしまった・・あららら・・困ったな・・と思いここは何処だ??なんて思っていたら次ぎの停留所も過ぎてしまいました。そしてますます乗客が減って行きます。

あせったkおばちゃん。とりあえず次ぎで降りてしまいました。だって何処へ連れて行かれるかわからなかったので・・
で、まず現在地を確認!っといっても通りの名前を確認しないといけないのですが・・降りたところは周りの建物が工事中で建物に着いている通りの名前が・・見えません。

で、停留所でもう一度乗ってきたトラムの番号を確認して・・お宿で調達して来た路線図付きの地図でそれらしきルートを目で捜すのですが・・なんせ真夜中!でお年寄りのkおばちゃんには細かい文字見にくい!でも必死で何とか読み解きました。

すると・・ちょっと先のトラムの停留所から反対に向って走っているもう一つのトラムがkおばちゃんのお宿の直ぐ側を通る事を発見!!あわてて向います。時刻表をみると・・まだ来るみたいです。よかった!

やっとやってきたトラムに乗り込み・・停留所の数を数えて・・それから地図とカーブの数を数えてなんとかお宿の近くの停留所で降りました。で、よく見ルと・・このトラムはkおばちゃんの窓の下を走っている路線でした。

あーあせった!帰れなくなっちゃうかと思った。
外国で電車内で居眠りをするなんて・・そんな無防備なことはいままでしたことはなかったのですが、kおばちゃんもお年ですね。
まあ、ガラの悪い方向に走っていた訳ではないけれど、深夜の人影のない街角にオペラ座帰りのちょっと小奇麗なカッコウをして立ってると、それも一人で、目立ちますからね。

何事もなくてよかったですけれど、タクシーもあまり通りませんでした。

お宿に戻った頃には翌日になっていたと思います。

お部屋でホット一息ついたときには昨日スーパーで買ったワインを頂きたくなったどうよもないkおばちゃんです。


ホイリゲheurige2010 ホイリゲとはウイーン郊外の酒場のことを良く言いますが、新酒のこともゆうそうです。所謂ボジョレーヌーボーのことだそうです。だから今の時期だとあまり価値はないのかとってもお安かったんです。でもね美味しかった!辛口で!

ウィーン最後の夜を一人酒盛りで終えようとしたkおばちゃんです。
ああ、今日も一日楽しかったです。
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元・満席食堂にて(ウイーン)

2011-10-04 19:00:39 | オーストリア
今日も涼しい。もう狼はでないでしょうか?

冬の旅行をつらつら計画していて・・実は本当に行きたかったのはギリシャのとある場所なのだけれど、この経済情勢のなかギリシャの地方は無謀でしょう・・ということで辞めたのでした。

ギリシャ国民のストライキのニュースをみていると、なんだか腹がたってくるkおばちゃんです。え、だって税金納めるのいやだっていってデモしてますよね。
かたや、イタリアでは先日もぽんと消費税に当る部分をあげちゃったりしてどれなりに努力はしていると思うんですけどね。

どこかの国民と同じで『税金はもらうもので払うものではない』という考えがみえてきちゃうんですけど。

kおばちゃんは公務員ではないけれど、あの公務員住宅凍結とか中止とか騒いでいるニュースをみてもおかしいと思うんですけど。
国のために緊急時にはそれこそ万難を排してもかけつて働いてくれなきゃいけない人達に、通勤に便利な場所に宿舎を建てるのが何故悪いのかが判らないのです。そこを払い下げて一生住むという問題じゃないでしょ?

建築費の見積もりが甘いんだったら、それこそ精査すりゃいいだけでしょ?
民間よりも家賃の安い住宅に住んでルから許せない・・っていうマスゴミの洗脳しか見えない気がするんですけど。

kおばちゃんのお仲間で公務員の子どもだったっという人達は、それこそ親が現職の時は都心にお住まいでしたが、退職して退職金で買える住宅なんてそんな都心部のは手が出ないから、遠い場所に移ってゆきます。
また、民間企業だって企業によってはとんでもない住宅手当なんていうのを付けているのを聞きます。

小手先で浮かせた税金分を大騒ぎしている政府は、ちっとも将来のことを考えていないと思うのですけどね。
増税だって『○年先の景気を見て・・』なんていったら国債とちっとも変わらないじゃ無いですか。
先送りするだけしか脳のないのは、前政権の政党だけだとおもったら・・とんでもない。
有象無象の集団の現政権は、『田舎芝居』の大見得をきることしかできないんでしょうかね?あーやんなって来る。

さあ、気をとりなおして・・

○5月1日(日)

さてさて、劇場のはねた後はちょっとお腹のすいたkおばちゃん。馬鹿の一つおぼえの場所にむかいました。

さすが、日曜の夜遅い時間・・と言うのもあるでしょうが一つ通りを入ると・・だーれもいません。


目的地はこの先・・なんですけれどね。営業しているかしら・・あ、やってますね。


でも・・あれ?佇まいは一緒ですけど・・何だか違います。名前が違うんだ!そう、ここはImmervollという食堂だったはず。Immervollとは満席、いつもいっぱいという意味ですね。通称『満席食堂』だったのですが・・『Gasthaus Pöschl』となっています。

そういえば・・・去年の秋なんだか改装しているとかなんとか・・どこかで書き込みをああ、そうそうオイチャンのところで見たんだ・・と思い出しました。
なんだか経営者が夫婦別れしてコックも変わったとか。やっぱりあれは本当みたいですね。

でも経営者が変わった・・と言う話はきいていないから・・ためしに入って見ましょう。

日曜の夜ということもあるのからか、『満席』ではありませんが、人は入っています。とりあえずお飲み物のメニューを・・


うーん。あんまり変わってない気がするんですけど・・特別高くもなく安くもなく・・ワインをいただきましょう。


お料理の方も・・あんまり覚えていませんが・・変わった感じはしませんね。


kおばちゃんが去年来たのは2010年09月21日のブログに書きましたが・・・そのときの印象は。 ウエイトレスさんたちの顔ぶれが代わって、お好みのしっかりものの『お姉さん』という感じのウエイトレスさんがいなくなってしまった・・なんて書いてますね。
本日はウエイトレスさんじゃなくって。ウエイターのおじさんでした。やっぱり変わったのね。

で、お料理をみて・・ああやっぱりコックも変わったんだと実感ました。それはこれ


シュパーゲルサラダを注文したのですが・・その昔2006年07月13日のブログにあるような典型的なこのようなシュパーゲルサラダだったのを思い出します。


えーこちらのシュパーゲルサラダは似ても似つきませんね。お芋さんの付け合わせではなくてなんと『苺』あえであります。


お味の方は・・特別美味しくも不味くもありませんでしたが・・なんだか心の準備ができてなかったのでビミョーであります。
甘い果実は野獣の肉には合うと思うんですけど・・シュパーゲルはビミョーです。
kおばちゃんの個人的好みでは典型的なオランデーズソースがかかってるほうが好きですかね。

そう、代わったといえば・・いえ、代わったまではいかないか・・このバーカウンターのグラスです。


去年もこのようにかけてはあったのですが・・ほこりがちょっぴりかかっていて・・なんだか年月を感じたのですが、今日はほこりはかかってませんでした。

もしかすると・・これはkおばちゃんの妄想ですが・・kおばちゃんの好きだったしっかり者のお姉さんが抜けてしまって去年はほこりがついてなのかな?なんて思うとともに、彼女が夫婦別れした奥さんだったのかしら・・なんて妄想しながら食後のコーヒーをいただきました。



お勘定はこんな感じで普通でしたね。


あら、大変!もう直ぐ23時。またタクシーで帰るのはいやですもの。急ぎましょう。

そうそう、kおばちゃんのお隣のテーブルは若者のグループで・・殆どがお飲み物だけ。お食事をしていたはの一人だけだったようです。


彼らはkおばちゃんがお店を出た後もまだおしゃべりしてました。
一体あのお店・・何時までやってるのかしらね?

元・満席食堂『Immervoll』現在は、『Gasthaus Pöschl』となってしまっていましがまた訪問して、今度はちゃんとした食事もして見たいなと思ったのであります。

そういえば・・ウイーンの森に『Immervoll`s Postschänke』というはやり食堂ができたようですけど・・顔本によるとウイーンの満席食堂が移動したとありますが・・この辺はどういう経緯なんでしょうね?
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頑張る日本人(ウイーン)

2011-10-03 18:04:01 | オーストリア
10月の声をきいたら・・また一段と涼しくなった感じ。
なんだかあの猛暑騒ぎが夢のまた夢に思えて来たんですけど・・

通勤の服装も皆さん黒っぽくなって来ましたね。kおばちゃんはお洗濯の都合上・・まだ夏物を着ております。
もうそろそろこれだと寒い・・

昨晩TVであの池上氏の公開講座を放映していたけど、とっても印象的だった言葉。
実際の言葉遣いは忘れてしまったけど意味としては『外交問題に良い国、悪い国という線引きは通用しない』と言うような意味。

よく、我々は『あれは正義?』『悪』なのかと分けたがるかそのようなことは国際問題では割り切れない。と言うような意味だったと思う。

確かに水戸黄門のように正義が悪を滅ぼす図式はわかり易いけど現実問題はそうじゃないと言うことだと思います。
kおばちゃんももちろんそう思うし、国際問題だけじゃなくて政治の世界、経済の世界でもそうだと思うのですが、マスゴミの報道はどうしても白黒付けた表現ばかりのようで辟易していたので、思わず『そうだ、そうだ』と言ってしまいました。

彼がマスメディアから引っ込んだのは、もう『次代を育てる事に専念しよう』と思ったのかな?とTVの講義を聴きながら思ったのです。
今晩もあるみたいなので・・忘れなければ聞いて見たいです。

○5月1日(日)

ウイーン国立劇場のバレエの公演は2幕目が始まります。指揮者がピットからご挨拶!


2幕はまるで白鳥の湖??ってかんじのシーンもありました。


もちろん配置がそんな感じがするだけですけどね。そしてこのソリストさんは・・


日本の方でしょうか?たしか主人公じゃなくって・・と思っていたので。

kおばちゃんの肉眼ではオペラグラスのおかげでお顔が見えるのですが・・カメラを通すとねえ・・


ほら、夕べの情報誌に載っていた画像と衣装が一緒ですね。


2幕目終了後の休憩は・・これ以上アルコールをいただくと居眠りするともったいないのでジュースとチョコレートです。


外はもう真っ暗です。おそらく9時は過ぎていました。


そういえば、この国立歌劇場Wiener Staatsoper、昔マーラーが総監督をしていたのよね・・とおもったらいらっしゃいました。


こんなところに。

さあ、3幕目が始まります。


そして全幕無事終了!大拍手のカーテンコールです。


本日の指揮者エルマノ・フローリオErmanno Florio氏も舞台上でご挨拶です。


そして皆さんでご挨拶です。バレエもやっぱり楽しいな!


終演後ロビーに出ると・・もう明日の公演が張ってあります。


外に出ると・・当然真っ暗です。


でも、ウイーン銀座のケルントナー通りの方はまだ人通りがいっぱいです。


さーーて、お腹の空いたkおばちゃん。あそこに行って見ましょうかね?確か夜遅くまでやってたはず・・


やってますね。でも・・名前が・・
ああ、何だかオーナーが夫婦別れをしたとかなんとか・・て噂を聞いた気が・・どうなんでしょうね?
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おタバコは・・・(ウイーン)

2011-10-02 23:59:57 | オーストリア
今日は日曜日・・で一日ゆっくりしすぎた日。結局計画倒れでなんにもしなかったのだが、さすが食べ物がなくなったのでスーパーへ。

そうそう、今日作ったのはなんちゃって炊き込みご飯。
実は夏に頂いた鮎の甘露煮。中々食べる気にならなかったのだけれど・・そうだアレを炊き込んでみよう!と決心?して実行。
もともとが甘い甘露煮。炊き込みにはだし汁と醤油少々をぶち込んだだけ。あら簡単!で、炊き上がったらよーくほぐしました。

なんだか頂き物だったので早く食べなきゃ・・という罪悪感もあったのでようやく開放された気がします。

でも本当に涼しくなったのでご飯を炊く気もおきたのよね。

○5月1日(日)

見所満載のウイーン美術史博物館の見学を切り上げて、お宿に舞い戻ったのは・・そう夜のご予定のためです。

一休みするとのと着替えをするのと・・で、今回はばたばた旅行で例のネットで予約したチケットの控えを持ってこなかった!というハンディがあるのでなるべく早く会場につきたかったのです。
ですが・・例によって気だけあせって・・

向かうウイーン国立劇場にはトラムを乗り継いで向かいます。朝のメイデーの影響はもうなく、順調に走るトラムに乗り継ぐのですが・・Schottentor (Schottenring)の駅で向かい側のトラムに飛び乗ろう・・と走ったら・・バイオリンを抱えたおじ様と一緒になりました。

トラムはリンク沿いに・・ほら市庁舎の脇も走ります。


車両は旧型ですね。


トラムはオペラ座前に到着。kおばちゃんもチケットの件ががあったのであわてて降りましたが・・例のバイオリンのおじ様も急いで下車・・楽屋口の方向にきえてゆきました。
やっぱりね・・今日の演奏者さんのようでした。

無事にチケットを手にしたkおばちゃん。まあ、名前だけ名乗ればなんとかなる・・と思ってはいたのですがね。

今日のお席はこんなところ・・天井桟敷に限りなく近いところです。


で、今日はオペラグラスを借りてみました。


本日のキャストは・・こちらに表示されています。


そうそう、昨日見た情報誌にこの公演の記事もありました。日本人ソリストが踊ってらっしゃるっとか。
お名前がありました。Kiyoka Hashimoto 楽しみです。

今日の演目はドン・キホーテDon Quixoteのバレエです。全三幕なので長丁場ですが無事一幕目が終了しました。


休憩はちょっと贅沢にゼクトと小腹がすいたのでカナッペをいただきました。

バレエですのでおチビちゃんの姿も見受けられますね。


こちらの休憩室は上の階用なので、改装されてモダンな感じです。チョコレートもあります。


こちらは下の階、お高い席の休憩室ですね。豪華です。


人気演目ではないのでしょうか?まあ、ここ国立劇場は『オペラ』の演目は大人気で日本でも有名だけれど・・バレエは日本人にはあまり興味がないようですしね。
kおばちゃんは、音楽も楽しめるし・・好きなんですけどね。

テラスに続くところもがらんとしています。


そういえば・・外のテラスの扉『RAUCHEN VERBOTEN』と書いてありました。
さしずめ喫煙禁止!でしょか・・タバコのみには過ごしにくい世の中になりましたね。
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不思議な展示(ウイーン)

2011-10-01 23:59:46 | オーストリア
今日はオオボケのkおばちゃん。なんと10月1日なのに、9月31日だと思っていたのです。
正しくは10月1日は明日・・だと思っていたのです。
で、あやうくお約束を忘れるところだったのですが・・場所は間違えるし・・どんでもない一日でございました。

まったく涼しくなったと思ったのに・・なんにもなっていないkおばちゃんでした。

○5月1日(日)

ウイーン美術史博物館Kunsthistorisches Museumの見学はまだ続きますが・・もちろん全部をみている体力はありません。。

ミーハーなので有名どころ・・を中心に。
そしてkおばちゃんのお好みの絵画もね。そんな一人はフェルメール、ヨハネス・フェルメールJohannes Vermeer。
なんせ、前にも書いたとおり彼の生活の地だったデルフトDelftまでのこのこ出かけていったんですよね。

彼の作品は・・現在わかっているのは30数点しかないということ・・そしてとても狭い社会に生まれて、また亡くなっていったという不思議な画家です。その彼の一枚がここにあると聞いていました。
やっぱり人気者です。「絵画芸術(The Art of Painting)」別名「画家のアトリエ」


正面から撮ると・・ガラスが光ってしまうので・・斜めから・・


この絵画については2009年に返還をめぐって(もともとナチが購入していた)ごたごたしていたようですが・・その後どうなったのでしょうね?

そしてこちらの絵画も有名ですね。イタリアのラファエロ・サンツィオRaffaello Sanzioの「ベルヴェデーレの聖母(牧場の聖母)Madonna del Belvedere」


これもうん十年前にも見た覚えがあります。
同じような題材でも書き手によって、アングルを違えたり・・こちらのほうもkおばちゃんのお好みでしたが・・だれの作品か忘れました。


この美術史博物館のコレクションはとても沢山ありますが・・そんななかで不思議な光景に出会いました。冒頭の画像もそうなのですが・・大きな布が垂れ下がっている部屋があるのです。


この幕というか布の後ろにも・・実は絵画が展示してあります。


普通のコレクションなんでしょうね?絵画の解説版もみえます・・が肝心の絵画のほうは布で見えません。

不思議におもって展示の監視員にきいてみました。これは何なのか?絵画の保護の目的でもあるのかと思ったのいですが・・帰ってきた答えにびっくり。

これも特別展の一部だそうです。現代アートというのか・・

そういえば・・さっき不思議な展示がやはりあったのを思い出しました。これです。


この左側の絵画。下の絵画はなんとなく他の絵画と共通性があるのでわかるのですが・・その上の絵画はこんなのです。


もちろん解説版もありませんでしたけど・・
考えてみたらこれも特別展示なのかもしれませんね。

とりあえず、駆け足での鑑賞はお終いにします。
本当だったらここのカフェでまったりとお昼をいただくはず・・だったのですが、もう時間はありません。

あわてて夜のご予定のためにお宿に戻るkおばちゃんでしす。
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