ロッキンfには1980年の6月まで在籍した。
ロック雑誌の編集者としては、日本のロック史上、ハードロック系では沖縄のコンディショングリーンがベストグループだと、今でも思っている。
77年頃だったか、沖縄の海兵隊のベースまで出かけて彼らのライブを見た。凄まじいパフォーマンスだった。海兵隊の屈強な連中はおおのりだったが、その連中を黙らせるほどの圧力を持ったバンドだった。
ただ彼らは、ヤマトンチュに馴染めなかった。
もうひとつ、ニューウェーヴ系のバンドでは、P-MODELを最高のパフォーマーだといまでも信じている。まだやってるからね、平沢進は。
当初2~3枚までは、ボクが事務所になってプロモートしたほど、好きだった。ただ彼らはメジャー思考、成功への上昇思考は希薄だったと思う。だから好きだったんだけれど、別のチャンネルでの上昇思考はあって、そこがボクと相容れなかったのかもしれない。
ロッキンfを辞して以降、ロッキンfやJAZZ LIFE、種々の雑誌の音楽欄などにちょこちょことインタビュー記事を書いたり、レコード(!)評を書いたりしたが、徐々に音楽関係の仕事から一般誌の仕事へとシフトし、90年代に入るとほぼ音楽関係者との連携はなくなった。
ただ、ロックといわず、音楽だけは聴き続けてはいた。
ロック雑誌の編集者としては、日本のロック史上、ハードロック系では沖縄のコンディショングリーンがベストグループだと、今でも思っている。
77年頃だったか、沖縄の海兵隊のベースまで出かけて彼らのライブを見た。凄まじいパフォーマンスだった。海兵隊の屈強な連中はおおのりだったが、その連中を黙らせるほどの圧力を持ったバンドだった。
ただ彼らは、ヤマトンチュに馴染めなかった。
もうひとつ、ニューウェーヴ系のバンドでは、P-MODELを最高のパフォーマーだといまでも信じている。まだやってるからね、平沢進は。
当初2~3枚までは、ボクが事務所になってプロモートしたほど、好きだった。ただ彼らはメジャー思考、成功への上昇思考は希薄だったと思う。だから好きだったんだけれど、別のチャンネルでの上昇思考はあって、そこがボクと相容れなかったのかもしれない。
ロッキンfを辞して以降、ロッキンfやJAZZ LIFE、種々の雑誌の音楽欄などにちょこちょことインタビュー記事を書いたり、レコード(!)評を書いたりしたが、徐々に音楽関係の仕事から一般誌の仕事へとシフトし、90年代に入るとほぼ音楽関係者との連携はなくなった。
ただ、ロックといわず、音楽だけは聴き続けてはいた。