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音楽遍歴<番外編:REGGAE>

2011-01-27 22:04:11 | 音楽にまつわる話<的>な
REGGAE

 レゲエと一口に言っても、ブルービート、ナイヤビンギ、ソカ、スカ、ロックステディ、アーリーレゲエ、ルーツレゲエ、ラバーズ、D.J.スタイル、ダブ、ダンスホール、ラガマフィン……レゲエから派生、あるいはレゲエ前夜の音はいくらでもあるが、レゲエがレゲエとして世界のミュージック・シーンに登場したのは、60年代のことだ。
 
 それまでのカリビアン・ミュージックはスティールドラムの音色と共に僕らの耳に届いていたのだが、同じカリブ海のジャマイカから、スカ、ロック・ステディといったリズム的な変遷を経て、レゲエは誕生してきた。

 当初はレベル・ミュージック(反抗の音楽)であり、政治的なラスタファリ二ズム(簡単にいえばアフリカ回帰運動)の象徴的な音と捉えられ、実際にウェイラーズなど初期レゲエ・ミュージシャンのアルバムは、ラスタファリ二ズムと連動したものだった。

 そして70年代に入り映画「ハーダー・ゼイ・カム」('72)のヒットで、レゲエは世界のミュージック・シーンに大きな影響を与えるようになる。映画の主役であり主題歌を歌ったジミー・クリフはスターダムにのし上がり、レゲエ界のスーパースターだったウェイラーズは『Catch A Fire』('72)で世界デビュー、メンバーのバーニー、ピーター脱退後のウェイラーズのボブ・マーリーは『LIVE!』('75)を発表、カリスマとなった。
 
 ロック界のスーパースター、E.クラプトン、J.レノンなどがボブ・マーリーの曲をカバーし、単なる第三世界の一音楽ジャンルに過ぎなかったレゲエが、70年代中~後期には世界的な音楽的潮流となった。

 レゲエを代表するレーベルのひとつアイランド・レーベルは、1959年にクリス・ブラックウェルによって設立され、トロージャンと並ぶレゲエの一大レーベルだった。

 ジュディー・モワットはボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの女性バック・コーラス、アイ・スリーズのメンバー、パブロ・モーゼズ、トニー・タフ、アイニ・カモーゼは、ウェイラーズと同時期、あるいはやや後発のミュージシャンであり、リントン・クウェッシ・ジョンソンはボブ・マーリーにも匹敵する、より政治的なアジテーター役を担ったミュージシャンだった。

 これらのルーツレゲエの音を聴けば、レゲエのレゲエたる所以がわかる!

 トップのジャケ写は、1975年の Burning Spear 『Marcus Garvey』。ある意味最もコアなレゲエ・アルバム。