普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

歴史上の人物伝④ アルベルト・アインシュタイン

2011-01-18 23:25:26 | 歴史上の気になる人々<的>な
●E=mc2。人類史上、最も単純で美しい公式を作り出した調和の人。

 二十世紀の物理学は、大変革から始まったといわれる。その大変革とはプランクの量子論、そしてアルベルト・アインシュタインの相対性理論に他ならない。相対性理論はやがて、原爆を生む……。
 理論物理学者であり、哲学者、人権闘争家、平和活動家、そして高名なバイオリニスト……アインシュタインを紹介する肩書きは枚挙に暇がない。だが一言で評するなら、アインシュタインは、人間として生きる上での、調和と善なる魂を求め続けた人だったのではないか。
 一八七九年三月十四日、ドイツのウルム市に商人である父・ヘルマンと母・バウリーネの間に生を受け、学生時代はスイスで過ごす。
 アインシュタインは十二歳の時、ユークリッド平面幾何学の調和し整然とした理論体系に感銘し「十二歳から十六歳までの間に微積分学の諸原理も含む数学の初歩を学んだ」と述べているが、同時にこの時代に、生涯を貫く、人間への深い哲学的考察、悪しき権力との闘いをも始める。
「何が悪いって、学校が恐怖や作り出された権威・権力で運営されるほど悪いことはない。生徒の健康な感情、誠実さ、自信すら壊し、卑屈にする」と、当時のギムナジウム(学校)に対し、慣習に縛られず虚栄を捨て、堂々と己の意見を述べることで闘いを挑んでいたのである。
 二度の結婚、ノーベル賞受賞など、生活者としての極まりはあるが、彼の生涯は自ら「ジプシー」と呼ぶ、精神の自由人だった。
 一九五五年四月十八日、アメリカ・プリンストンで逝去するまでに、数えきれない業績を打ち立てたアインシュタイン。
 だが彼の業績以上に、その生き方そのものが二十一世紀を生きる我々をはるかに勇気づけるのだ。
 二十世紀は科学と経済、政治力学に翻弄され「分断と殺戮の世紀」と呼ばれ、その究極の結果ともいえる悪魔の兵器・原爆を生み出した。当初アインシュタインは、原爆製造を当時のアメリカ大統領ルーズベルトに進言している。それはナチスが原爆を製造しつつあるという危機感からなされたものだった。彼等が原爆を持てばなんの道徳的制約も躊躇もなく使うに違いないと、アインシュタインは恐れたのだ。
 だが戦争末期、原爆はアメリカによって製造されたばかりでなく、実際に使用された。アインシュタインは原爆が実際に使われたこと知ると「オー、ヴェー(恐ろしい)」と言ったきり口をきけなかったという。
 やがて彼は、その過ちを素直に認め一九四六年には原子科学者協会を設立、原子力エネルギーの危険性に対する啓蒙活動を開始するのだ。
 そして「我々の世界は、かつてなかった重大な危機に直面している。善悪いずれにも使える絶大な力が誕生したのだ……我々は素手のまま破局へ押しやられようとしている」との有名な警句を発し「この問題の解決は人類の心の中にある」と結んだのだった。
 いま「分断と殺戮の二十世紀」から「調和と共生の二十一世紀」へと時は流れた。新世紀を担う人々の生き方は、アインシュタインの生涯に学ぶことができる。過ちを恐れず、人間の心を大切に生きるのだと、語り続ける勇気を持つことなのだと。

やっぱりね!

2011-01-18 01:38:32 | 普通な人々<的>な
 結局、A型インフル。医者に行くと、抗インフルエンザ薬リレンザを処方されました。

 ところが!

 ボクでも知っていることですが、リレンザは今、一回の吸引で事足りるのです。しかし! 処方されたのは1日朝晩2回、4日間の吸引が必要なものでした。

 これって旧式? と思ったけれど、止むを得ないので吸引2回目。

 病院や医師の処置のなにが嫌いかといって、この、処方された側はなにも知らされずに効果的な結果が出るという幻想を抱かせられること。
 
 薬害の原因の多くは、この歪んだ医師と患者の関係。

 少なくとも「こいつは古いタイプですが効果には何の差もありません。それでもいいですか?」と聞くくらいのことはあっていいのではないでしょうか。

 事件があるたび、医者が偉そうに(ことに薬害エイズの時の帝京大学の安部英!)しているのを見ると腹が立ちます。何様だと思っているのでしょう。「お医者様だ!」と思っているのでしょうね……。