1950年代半ばにジョン・オズボーンの「怒りを込めて振り返れ」という戯曲が発刊されました。それは演劇青年となったボクにも、ある種の通過儀礼とでも言える避けては通れない戯曲で、後に60年代後半になり古本屋で買って読みました。後に映画にもなりましたが……。
正直、面白くなかった。タイトルのインパクトは物凄いものがありますが……。
階層差別的、階級闘争的問題になんの解答もない、そういう戯曲。当時で言えばブレヒトなどの方がはるかにわかりやすく、イギリスの戯曲ということで言えば、オズボーンやアーノルド・ウェスカーらと同様「怒れる若者たち」の一人といわれた「ダム・ウェイター」などのハロルド・ピンターの方がはるかに面白かった! 人それぞれの好みですが……。
で、「怒りを込めて…」ですが、オズボーンは「振り返」るわけですが、ボクはなにをするか?と言えば「注視」することしかない。なにをかといえば「背中」、この国を領導する方々の「背中」なわけです。
正直「怒りを込め」て物事を見なければいけない時の様に思います。あまりにも怒りを忘れていた時間が長すぎたようにも思います。文句を言うのではなく、愚痴を言うのでもなく、ハッキリと怒りを口にすべき。そう思います。
福島第一原発に対しても、震災復興の遅さに対しても、消費税増税に対しても、怒りを表に表さなければいけない。そう思います。いろいろの判断材料は有るけれど「山本太郎」くんを見ていてそう思いました。
そして怒りの視線で、この国を正しい方向へと導くことが、後の世の民のためになるのだと感じています。領導者の背中が歪んだら、襟首を掴んで正す。
問題は、その正しさが何人にとっての正しさであるか、常に明らかにすると言うことでしょうか。
正直、面白くなかった。タイトルのインパクトは物凄いものがありますが……。
階層差別的、階級闘争的問題になんの解答もない、そういう戯曲。当時で言えばブレヒトなどの方がはるかにわかりやすく、イギリスの戯曲ということで言えば、オズボーンやアーノルド・ウェスカーらと同様「怒れる若者たち」の一人といわれた「ダム・ウェイター」などのハロルド・ピンターの方がはるかに面白かった! 人それぞれの好みですが……。
で、「怒りを込めて…」ですが、オズボーンは「振り返」るわけですが、ボクはなにをするか?と言えば「注視」することしかない。なにをかといえば「背中」、この国を領導する方々の「背中」なわけです。
正直「怒りを込め」て物事を見なければいけない時の様に思います。あまりにも怒りを忘れていた時間が長すぎたようにも思います。文句を言うのではなく、愚痴を言うのでもなく、ハッキリと怒りを口にすべき。そう思います。
福島第一原発に対しても、震災復興の遅さに対しても、消費税増税に対しても、怒りを表に表さなければいけない。そう思います。いろいろの判断材料は有るけれど「山本太郎」くんを見ていてそう思いました。
そして怒りの視線で、この国を正しい方向へと導くことが、後の世の民のためになるのだと感じています。領導者の背中が歪んだら、襟首を掴んで正す。
問題は、その正しさが何人にとっての正しさであるか、常に明らかにすると言うことでしょうか。