普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

思い出したこと。初めて食べた中華そば。

2012-01-24 00:17:04 | 東京「昔むかしの」百物語
 ボクが初めて食べた中華そばは、上板橋の自宅アパート目の前にあった、鄙びた中華料理屋の「支那そば」だった。昭和30年頃のことだった。ボクはまだ小学校に入る前。店の名前は残念ながら覚えていない。

 上板橋のアパートは、東武東上線上板橋駅から、上板橋東映のあった商店街を抜けて川越街道を渡り、路を入ったすぐ右手にあった。
 典型的なハモニカ長屋で、暗く狭い中央通路の両脇に、6畳と4.5畳の部屋が幾つも連なっていた。廊下の電気は裸電球、トイレは共同。水はポンプ式の井戸だった。

 そこに引っ越した当初、川越街道を牛が引く大八車が行き来していた。馬も荷車を引いていた記憶がある。

 その鄙びた中華料理屋の出す支那そばは、決して奇をてらったモノではなく、本当にオーソドックスで透明な醤油ベースのスープに縮れ麺、ナルト、ほうれん草、周りの赤いチャーシュー、支那チクが行儀良く乗っていた。美味しかった。

 昭和33年になると、インスタントラーメンの先駆けといえる、日清のチキンラーメンが発売され、店に行かなくなった。それはチキンラーメンが美味しかったからだ。
 ただボクの記憶には、チキンラーメン以前に、インスタントラーメンの前段階とでもいえるような、棒ラーメンが発売されていたような気がするのだが……。
 
 チキンラーメンは一袋35円だったが、鄙びた中華料理屋のラーメンは45円だった。当時、インスタントラーメンを食べ続けると、胃に穴が開くと、まことしやかなデマが流れていたのも思い出した。誰がどのような意図を持って流したデマなのか、いまとなっては知る由もないが、ノーマルに考えれば、支那そば屋が流したと考えるのが普通だろうか。

 ボクが6歳から10歳にかけての間上板橋に住んでいた。その最後の1年くらいで、鄙びた支那そば屋はなくなった気がする。

 本当は、あの支那そばをもう一度食べてみたい。
 それと、近くのお大尽「小宮家」の令嬢だった、由紀子姫に会ってみたい。なぜか貧乏人のボクと彼女は仲が良く、近所のガキの中では、ボクだけが小宮家に出入り自由だった。なんだかいろいろなことを思い出してきたぞ……。!!!