普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

地震が近いのか?

2012-01-27 10:36:10 | 普通な人々<的>な
 確かに予言や予測の類いは若い頃から好きで、よく目にしていた。だが、地震を予感したり、予知したりしたことなどはない。それほどボクは感度が良くないらしい。

 地震に関しては、ボクの両親がいずれも関東大震災の被災者だったし、なにより奥さんの家族は95年の阪神淡路大震災の経験者、というより全壊指定地域の居住者だった。
 阪神淡路大震災に関しては、多くの被災者に話を聞き、実際の被災地もつぶさに記憶に焼き付けて、身震いはするがそれでも実際の揺れは知らない。高速道路をなぎ倒す揺れがどんなものなのか、知る由もない。

 だが、阪神淡路大震災の時、不思議な経験をしている。
 おそらく、日本の中で被災地域以外の人間で最も早く阪神淡路大震災を知った人間の一人は、確実にボクだという経験。

 神戸在住の義母が、地震の起こった直後に電話をかけてきたのだ。1月17日午前5時47分を過ぎていなかったと思う。早朝の電話で、ボクは不機嫌に電話に出たと思う。

 すると電話の向うで、義母が「地震や」という。「そっちは大丈夫か?」というようなことも言っていたが、酷く興奮しているのが瞬時にわかった。「お義母さん、どうしました?」。ボクの問いかけに義母は「あっ!?」と言って「またあとでかけ直すわ、こっちは大丈夫だから」と言って電話を切ってしまった。

 ちょっと狐につままれた感じでボクはすぐに、寝ている奥さんに「お義母さんから『地震だ』と電話があったよ」と伝えた。
 正直なところ、地震といっても過去にそれほどの揺れを体験していないから、経験値の範囲内で想像をめぐらすしかない。
 奥さんも「フーン?」と言って、その時は布団から出てもこない。だが、次の瞬間「テレビを点けて」と跳ね起きた。
 テレビを点けたのは、義母からの電話が切れた、1分後くらいだろうから6時にもなっていなかったろう。
 
 NHKの画面は、地震速報の地図上の震度表示画面だった。神戸の周辺は震度が刻まれていたが、神戸を中心とした地域は、空白だった。しばらくは、それ以外なにも映らなかったのだが、突然NHKのアナウンサーの姿が映し出された。
 彼は、地震があったことを告げていたのだが、ボクも奥さんも、言いようのない衝撃を受けた。アナウンサーの背後に、横倒しになったビルが映っていたのだ。

 「生田(神社)さん」の北側の道沿いにNHKはあったのだが、NHK前からの中継画面で、NHKから三宮駅方面が写され、確かに横倒しになったビルが映っていたのだ。
「あのビル、お父さんのお得意さんのビル」と奥さんは言って絶句し、電話に取り付いて神戸と連絡しようとしたが、すでに回線は繋がらなくなっていた。

 それから数日もおかず、奥さんもボクも別々のルートで神戸に入るのだが、その話は、いずれまた。

 あとで聞いた話だが、義母は、同じ神戸(といっても六甲山を挟んだ反対側の三田)に住んでいた奥さんの姉・長女の家に電話をしたつもりだったらしい。それでもその間違い電話のお蔭で、多くの人が何日も連絡のつかない状況が続いた中で、少なくとも両親の無事だけは確認できていた。それはどれほどありがたいことだったか。

 この何日か、正直なところ、胸の辺りがワサワサする。それがなにに由来するのか判らない。ただいままで感じたことのない感覚で、戸惑っている。動物特有の地震感知能力なのかもしれないと思ったりもする。感度は低いはずのボクだが、なにか嫌な感じなのだ。

 とりあえず気をつけていよう。だからどうなるというわけでもないのだが……。