普通な生活 普通な人々

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弁護士の‘匂い’      

2012-02-17 15:52:54 | 普通な人々<的>な
 法律家という職種の人々は、独特の‘匂い’がある。ことに弁護士という人たちには顕著だ。

 京大の法学部在籍中に司法試験をクリアし、国費留学生として数年間イギリスで学び、帰国後は裁判官への道を歩んでいる青年がいる。傍から見れば猛勉強してさぞや顔色も青白い「いかにも」の青年なのだろうと思われるだろうが、これががっしりとした体格をした快活で気さくな青年なのだ。

 実はボクの甥なのだが、父親は彼が小学校に上がる前に癌で他界した。それから母親(ボクの姉)が女手一つで二人の弟を含めた男の子三人を育て上げた。そんな環境に育ったのだが、前述の通り、優れた資質を発揮して現在に至る。

 それはとても労苦の多い困難な日々だったのだろうが、姉の頑張りにはひたすら頭が下がる思いだ。先日彼が結婚したが、母親思いの甥らしく、母に負担をかけまいとする実に質素でありながら暖かい結婚式・披露宴だった。

 なぜこんなことを書いているのかというと、彼のような法律家がいることで、日本の司法はある意味安心できると思うから。彼であれば人の痛みや思いに正面から対峙できると思うから。

 一方、ボクにはどうしても頭から払拭できない「弁護士」に対する思いがある。それは、これまで出会った弁護士のことごとくが「いかに法律に触れずに、法の網の目を避けられるか」ということに腐心する人々だったと言うことなのだ。

 なぜなのだろう? 確かに法律を良く知ることの結果は、法に抵触する前にその法の裁きを回避する方向に向かうのは、当然と言えば当然なのだが、そのことを法に疎い顧客にさもしたり顔で、指南するかのような弁護士が多い。

 何がいいたいかというと、彼らの多くは「法を護る」というスタンスではなく、「法を破らずにすむ」というスタンスで顧客と対峙する。この差は、結果は同じようであっても雲泥の差がある。

 今度、弁護士を自分の問題で始めてたずねてみようと思う。その時、ボクの前にいる弁護士が、これまで見知った弁護士と同じようなスタンスの弁護士だったら、ボクはどうするだろう? すぐにその場を辞すだろうか? それとも「法を破らずにすむ」というスタンスに同調して、何事かをお願いするだろうか? 

 なんだか自分を試す場のような気がする。