普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

誰もが生きていた

2012-02-24 08:47:10 | 東京「昔むかしの」百物語
昭和45年。1970年。70年安保闘争の敗北が決まり学生も労働者も、気落ちしていた。中には、もはやこの国で生きる価値なしと、ドロップアウトしたまま、身を隠すものまであらわれた。

世界が音を立てて崩れたように感じたのは、ボクだけではなかったろう。

その瞬間から、次のプロセスに移るまで、際限もない時が過ぎたような気がした。たった5~6年のことだったのだが。

活動家の多くは、それぞれの場を模索し生きるための転身を図った。だがそうはいかない連中も多かった。
そんな連中の行き先は、フリーという名の潜在失業者。物書きやカメラマンは絶好の仕事だった。

と、懐かし話を書いていたら、南相馬市で高濃度セシウム汚染が認められる黒い物質が見つかったとのこと。

 具体的にそれがなんなのか情報がないが、安全な物質であるわけもなく、関東圏で発見される可能性も高い。

正直、70年代に日本国内での放射能汚染は、核戦争によるもの以外には考えつかなかった。

まだまだ核に対しては被爆国の国民としての強いアレルギーがあった時代で、一般の生活者レベルでさえ原子力空母の寄港にすら「大きな抵抗感」を抱えていた。
人々は、お笑い番組よりは、まともにニュースや情報に向き合っていたような気がする。

この問題は、日本国にとって大きな瑕疵となりそうな気がする。