普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

歩く 歩く

2012-02-27 10:26:01 | 普通な人々<的>な
 前にも書いたかもしれないが、最近良く歩いている。
 最低でも4km、多ければ日に10kmは歩く。

 「ちい散歩」ではないが、遊歩道やハイキングロードなどのように、歩くことに特化した道を歩くのではなく、普通の街中を歩くのが面白い。
 「ちい散歩」のように、隣の駅までの一駅を楽しみながら歩くというのも良い。

 もちろんボクのように最近は運動をトンとしないできた、という輩にとっては、運動になるということが大きいのだが、そのことを意識するとなにか歩くことそのものが辛くなることもある。なんでこんなことせにゃならんの? という感じだ。

 それよりは、裏道や横町に潜む「秘密の匂い」を嗅ぎ取ったり、汚いけれどうまそうな店や、看板だけではなんの店なのか不明な店を覗き込むなど、新発見を楽しみながら歩くのが良い。不思議なことに、同じルートでも歩くたびに新発見がある。ましてや5m離れて平行に走っている道を行けば、まったく異なる風景にも出逢う。

 最近最もびっくりしたのは、志村坂上からときわ台まで歩いた時のこと。板橋区前野町の辺りを歩くことになったのだが、実はボクは55年ほど前に上板橋に住んでいた。ときわ台(昔は常盤台と表記した)には母方の祖母が住んでいて、よく遊びに行った。もちろん歩いて行ったのだが、その祖母の家への道と思しき道に出くわしたのだ。

 もちろんかつての面影もない。周辺は家だらけだ。55年前には坂道の途中の、崖崩れが起きても何の不思議もないテラスのような平たい敷地に祖母の家だけが建っていたのだが、常盤台からの方向、その坂道のうねり具合、道の先にあった丘へ抜ける道の感じがまさに「ここだ!」という感じだったのだ。

 これは、別にどうと言うこともないのだが、結構興奮してうれしかった。今度、もう少し時間があったらその周辺を散策して自分の記憶は確かだったと思いたい。

 それと、都電の荒川線の沿線に出向くことが多かったのだが、この沿線沿いに歩いてみたくて何度もトライして「結構大変だ」と思った。それというのも、沿線沿いに道が平行に走っている部分はほとんどなく、ジグザグに歩かなければならないということに気づいたのだ。悪くすると、自分の歩いている位置を見失うこともあった。

 ボクが歩いたのは、いまのところ西巣鴨から早稲田までだが、いつかは三ノ輪まで全線制覇してみようと思う。

 歩くことは本当に良い全身運動だが、油断すると膝や足首、股関節などを痛める可能性もある。自分の限界と相談しながら歩くことをお勧めする。
 それと、歩くというのは、一人がいいかな。まあ夫婦でもいいか……。あまりしゃべりながらというのは、運動として歩くということとそぐわない。プラリプラリと話しながら歩くのは、疲れるばかり。しっかりと早足気味に歩くほうが良い。そして興味ある対象を見つけたときに寄り道ができるという自由は確保したい。そうなると、一人が良いかも。

 まあ、歩かないより歩くほうが良いというのは、当たり前のことなのだが。