徹夜仕事でいま帰宅。道が凍り付いていて滑る滑る。それも当たり前で、とにかく寒かった。
本当のところは比較の対象にもならないのだが、この寒さは今から35年以上も前に訪れた冬の韓国の寒さを思い出させるものだ。当時は韓国も寒かった。漢江が凍りついていた。氷点下10~20度の間だったと思う。
早い話が、それ以降冬の北海道やら新潟や長野、関西方面のスキー場などにも行ったが、今朝の寒さほどには、肌の痛さを感じなかった。あの時の韓国の朝は確かに肌が痛かった。
正直なところ、今朝の寒さは、それほどのものではないのだろう。ただ、ボクには相当の寒さに感じられたというだけのことだろう。
人がヒトシオの寒さを感じるのは、本当に寒いか、気持ちが落ち込んで寒いか、どちらかのような気がする。そんなに落ち込んでいる気はしないのだが、ボクはどこか気落ちしているのかもしれない。
いま家で、家族がまだ休んでいることもあって1人用の電気ストーブで暖を取っているが、この暖かさもストーブの暖かさなのであって、極めて即物的というかスイッチ一つですぐに失われる暖かさ。
一方で家・家庭の温もりというものがある。家族のことを思えばどこかがほんのり暖かくなる。家というのは、そういうものだ。
暖かさも寒さも、気持ちによる部分が多いにあるということだ。
そういうことが感じられるような人間関係を、家庭だけでなくさまざまなシチュエーションで作ることができたら、本当に嬉しいのだが……。
本当のところは比較の対象にもならないのだが、この寒さは今から35年以上も前に訪れた冬の韓国の寒さを思い出させるものだ。当時は韓国も寒かった。漢江が凍りついていた。氷点下10~20度の間だったと思う。
早い話が、それ以降冬の北海道やら新潟や長野、関西方面のスキー場などにも行ったが、今朝の寒さほどには、肌の痛さを感じなかった。あの時の韓国の朝は確かに肌が痛かった。
正直なところ、今朝の寒さは、それほどのものではないのだろう。ただ、ボクには相当の寒さに感じられたというだけのことだろう。
人がヒトシオの寒さを感じるのは、本当に寒いか、気持ちが落ち込んで寒いか、どちらかのような気がする。そんなに落ち込んでいる気はしないのだが、ボクはどこか気落ちしているのかもしれない。
いま家で、家族がまだ休んでいることもあって1人用の電気ストーブで暖を取っているが、この暖かさもストーブの暖かさなのであって、極めて即物的というかスイッチ一つですぐに失われる暖かさ。
一方で家・家庭の温もりというものがある。家族のことを思えばどこかがほんのり暖かくなる。家というのは、そういうものだ。
暖かさも寒さも、気持ちによる部分が多いにあるということだ。
そういうことが感じられるような人間関係を、家庭だけでなくさまざまなシチュエーションで作ることができたら、本当に嬉しいのだが……。