3055レ(右)と6096レの擦れ違いになって仕舞いました。左の列車もEH500牽引ですが機番は解りません。
H 27/ 8/ 27 田端~王子
3055レ(右)と6096レの擦れ違いになって仕舞いました。左の列車もEH500牽引ですが機番は解りません。
H 27/ 8/ 27 田端~王子
8月後半から天気が不順ですね。秋の長雨でしょうか、早い気もしますが。夏は急に終わると或る人が言っていました。ウンザリした猛暑が恋しくなるのが不思議に思われます。
H 27/ 8/ 25 南新宿~参宮橋
8月27日は映画「男はつらいよ」の日だそうです、劇場で鑑賞したのは2本位かな。画像とはマルっきり関係ないです。失敬・・・。
H 27/ 8/ 25 南新宿~参宮橋
神田川の脇に石碑が二か所、脇といっても川面から標高差あります。一つは「御茶ノ水分水路」と刻まれています。葉が生い茂って薄暗く文字が醜くいです。
もう一つは「神田上水懸樋(掛樋)跡」となっています。神田上水は井の頭他を水源として江戸初期?に施され、元は平川と云われ分流して神田上水として大名屋敷や町人の多い日本橋方面に配給水されました。
調べた訳では無いので解りませんが、神田(上水)水系はハッキリしない部分もあり奥が深く(TVブラタモリではないが)調べると興味が湧いてきそうです。
H 27/ 8/ 19 御茶ノ水~水道橋
日本の南に台風が二つ、気になるところです。全国高校野球は東海大相模が勝利して幕を下ろし、帰省していた家族も戻りはじめて、夏がちょっぴり静かになった気がします。
H 27/ 8 駒場東大前~池ノ上
東京ー神田間をぶらついて来ました。高架線を走る列車の音は耳にしますが見えるのは一部分で諦めていました。が此処だけは意外と観えシャッターを切る事に、足回りは隠れますが。
H 27/ 8/ 11 撮影
●玉音放送からこの夏は70年を経過、その時の街は焼け野原、蝉・蜻蛉・蝶や鳥もいない暑い日と推測。多くの人々はバラックを建て配給品で飢えを凌ぎました。●やがて朝鮮動乱が勃発(戦争を肯定するもので無し)、町工場等が活発して復興が急展開してゆき、五輪・万博を迎え経済は右肩上りしてバブルと化して突き進む。その間にオイルショック等があり、やがてバブルが弾けたが今は平和憲法の基で割と安定した世の中の様に伺えます。●復興ー繁栄ー安定、その裏では悲劇や挫折も多く苦難の70年間を忘れては為りません。●大雑把に申しあげました、言いたい事は在りますが文筆が苦手で失礼します。
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●タイトルと画像はイメージが一致しませんが現在の銀座四丁目尾張町交差点です。正面は銀座のシンボルとなっている服部時計店(和光)、直ぐ隣は数寄屋橋で嘗ては川が流れていて映画「君の名は」の名場面に登場、橋の袂には朝日新聞社と日劇があり、川は埋め立てられ高速道路と地下鉄に変身、面影はありません。●四丁目交差点は以前都電が縦横に走っていたがモータリゼーションの波に押され都電は廃止(一枚でも写真に撮っておけば・・・!)、この時計塔は70年ずっと見つづけて来ました。
H 27/ 7/ 28 撮影
8/1日に訪れた時は約1時間待って3086レは姿なく猛暑で退散、6日に再び出向き被られる事なく出逢い出来ましたが全編成は無理でした。6日も猛暑で7/31~7日間、8日連続の猛暑日の記録更新です。
8号機は7回目の出逢いになります。
厩道踏切にて
東の新幹線、西の新幹線の接点となって居る東京駅は文字通りの日本の玄関。発着列車本数は約3000本で日本一である。
レンガ造りの駅舎を眺めると丸の内前は地下工事中でその様子が一部見られます。最初の頃の駅名は中央停車場と呼ばれていた。
H 27/ 8/ 8 中央郵便局にて
6年前の画像ですが廃止になった89レ重連、次位車が隠れてしまったので記事にしなかったと思います。ネタに乏しいので張り付けてみました。この時のスーパーあずさ号は記事にしています。
H 21/ 7/ 29 蛇滝口にて
同じアングルで以前も掲載しています。この日は短いコンテナ貨物で登坂してくる85レ?、其れだけに迫力に欠けるものになって仕舞いました。
H 27/ 7/ 30 撮影
車窓から殆ど撮った事が無いですが、空いていたので電車の最後尾から撮らせてもらいました。目線が変わって新鮮な感じです。発車してポイントやカーブでグラ付きますね。
H 27/ 8/ 1 西武豊島線
********昨日京浜東北線の桜木町近くで架線が切れ電車が立ち往生してしまった。この時頭を掠めたのは桜木町事件、架線が車輛に接触して電車が大火災し犠牲者多く痛ましい出来事でした。****
地下鉄丸ノ内線は何か所かで地上に顔を出します。御茶ノ水の聖橋下は絶景な場所で有名ですね。ここは上智大学に沿った土手からで、その昔は江戸城外濠でした。
四谷から赤坂見附に向かって再び地下に、下の画像には左うえに迎賓館の一部が見えます。
H 27/ 7/ 25 撮影