東中野西口、中野方面を望む山手通りを挟んで右側の桜並木 その先の跨線橋から中央線と桜との撮影地は有名な所です。
東中野はよく利用して西口からは見慣れていたが 出口からの桜を撮ったのは滅多にありません。
向うに中野サンプラザが見えます、取り壊しの話も出ています。
R 03/ 03/ 26 撮影
東中野西口、中野方面を望む山手通りを挟んで右側の桜並木 その先の跨線橋から中央線と桜との撮影地は有名な所です。
東中野はよく利用して西口からは見慣れていたが 出口からの桜を撮ったのは滅多にありません。
向うに中野サンプラザが見えます、取り壊しの話も出ています。
R 03/ 03/ 26 撮影
高尾駅の南にある大光寺 乗り換え駅ですので下車して訪れました。枝垂桜は未だ若木のようです。
水鉢に落ちた花弁。
R 03/ 03/ 26 撮影 お寺の名称を間違いて投稿してしまいました。お詫び致します。
京王線高尾登山口駅で桜と車輌を絡めた場所を探してウロウロ、氷川神社を参拝した後で撮ることに、曇りがちで桜の明るさ具合が出ません。
R 03/ 03/ 26 撮影 (サクラ関連は未だ続きます)
〇〇クリックの帰り道に椿園がありその向こうの僅かな丘に桜が何本か咲いています。 今日は風が強かったが穏やかな日には家族連れで花見をする光景を見るが、コロナ自粛で小家族です。
R 03/ 03/ 24 撮影
御花畑から影森へ行く電車に寸前間に合わず駅員に静止され 秩父行きに変更。それも時間が余り近くの慈眼寺へ。2年前にも訪れています。
R 03/ 03/ 23 撮影
安中貨物が常磐線経由していた頃。 2013年 三河島-田畑間 EF510-513。
H 25(2013)/ 03/ 11 撮影
南武線 登戸~宿河原にある小さな鉄橋は二ヶ領用水を跨ぐ橋で 両岸に桜並木が見られます。
出掛けた日は桜が申し訳なく咲いていた程度で日時が早過ぎました。
通過する電車が早く そして狭いアングルで苦労します。
鉄橋の反対側から。
僅かな花弁をアップ気味に撮影です。 通過する車輌は233系に置き換わっている。
R 03/ 03/ 18 撮影
まだ長引きそうな御茶ノ水駅、縁と神田川に挟まれホームの拡張や機材の搬入が思う様にならない難工事。
聖橋口の旧改札口は解体され新改札口に移っています。
⇩ 聖橋の袂に目立たない小さな神社があります。一口(いもあらい)稲荷神社、読めませんね。 京都にある一口(いもあらい)稲荷神社で太田道灌の娘さんが病から癒えたことに由来して江戸に遷座、明治の初めごろに太田姫神社と改名。 後々総武線との拡張話で大木を残して今の姿に、詳しい言い伝えは長くなりますので省略します。
この近くから-下りの中央線。
R 03/ 03/ 09 撮影
近くの公園入口に満開の碧桃樹に惹かれました。中国からの寄贈で ハナモモの一種だそうです。(あるブログ投稿記事から引用させて貰いました。)
R 03/ 03/ 14 撮影
飯田橋の伸びたホームで鉄を、市ヶ谷駅寄りのホーム端で撮影。
下の画像で真ん中が開いている所にはかつて折り返し用の中線があったところ。
R 03/ 03/ 04 撮影
新装と言ってもオープンしたのは昨年7月頃、外出自粛であったが 原宿から慣れないメトロで飯田橋に来てみた。ホームは水道橋寄りの危険なカーブ部分を排除して市ヶ谷寄りに移行。
西口(神楽坂)改札。
江戸城を囲む見附の一つ牛込見附。名残の城壁 旧改札からは見られなかった角度。
R 03/ 03/ 04 撮影
昨日がラストランだった185系踊り子号、テレビ番組でも放映していました。
未掲載で編成が収まっている画像を記憶しているのですが中々見つからず 東京駅発のこちらにしました。9年前の画像。
H 24/ 2/ 12 (2012) 撮影
東日本大震災、被災地以外の人々も多くが身に感じて恐ろしさを実感している筈です。
この惨事は忘れはしません。
R 03/ 03/ 11 撮影 パソコンが不調になり時間をツイやして 本文が疎かになりました。
コロナ禍で行けなくなっていた新原宿駅へ、人込みを避けて短時間で撤収。ここから飯田橋駅へ移動。
名物の時計台は一時保管でしょか??
上は改札外 下は改札内でホームに通じる渡り廊下。
R 03/ 03/ 04 撮影