昨年まで住んでいた石垣島(八重山諸島)の現状が心配なので、あちこちの情報サイトをちらほら覗いているが、クルーズ船も含めて外国人は2月から引いているが、感染のない島との根も葉もないうわさや学生の春休みもあってか、国内の観光客が3月までわんさか押し寄せたというが、オリンピック延期が確定となってから?東京をはじめとした内地のウィルス感染数が拡大したことを受け、石垣市長や島民が内地からのウィルス持ち込みを危惧して来島自粛をアナウンスし、これをマスコミが大々的に報道し、これを受けてか、観光客が潮を引くみたいに途絶えた。その途端、4月13日、石垣島にも感染者が2名出て、島は、一種パニック状態となっているようだ。大型店では、食品や衛生用品の品薄も起きているようだ。本島から商品を積んだ船便が週に何日も来ないので、買いだめが心配される。
医療面では、島にあるのは、新しく立った八重山病院の感染者専用床が3床とかで、すでに感染した2人で埋まっている。この先、長寿の島のシンボル的オジー、オバーがバタバタ倒れないことを祈るのみだ。
ホテルや観光施設は、相次ぐ休業、ひとあし途絶えた商店街ユーグレナモール、西表島などの島々を繋ぐ高速船は半分以上に減便され、船の発着基地で、昨年まで、安くておいしい島の弁当を食べながら昼の休憩所としてよく利用していた離島ターミナルも、まるで閑散としているようだ。当時は、座る椅子を見つけるのも困難なぐらい混んでいて、出入りの外国人や修学旅行生、家族連れのガキども(失礼)などがうるさいのでイヤホンで「昼のいこい」などを聴いていたのが夢のようでもある。
かつては、定宿としていた西表の旅館やワイルドでお気に入りの南風田のキャンプ場、おととしお世話になったカヌー屋さんなど、軒並み休業してしまっている。主要観光のダイビング船も然りだろう。休業期間を、いく様にGWまで迄としているが、確実に無理だろう。日本全国、騒動が始まったばかりで、政府は中国やヨーロッパのように一時的全産業ストップの号令はかけていないのだから、この問題はだらだら長引くのだろう。
宿屋さん、飲み食い屋さん、ダイビングやカヌー屋さんは、いく様に現金収入が立たれ、働き手は失業し、といっても新しい職はなく、家賃が高いので、島外に出ていきたいが、日本全国同じ目にあっているので、次の仕事は探せず、どうにも救いようがない。
労働者からしてみれば、若者の月収は20万以下なのに、尖閣防衛の海上保安庁職員と観光ホテル労働者の激増で家賃は高騰し、単身でも5,6万くらいか。失業保険が、6割の12万円として・・・とてもまともに生存していける環境ではない。
観光で生きてきたバスやタクシーはもちろん、このままでは、夏のパインやマンゴー農家、石垣牛の畜産家、マグロの海人(うみんちゅー)にも需要減が及びそうで、要は、島全体がこの1年死活の境をさまよう状況となるのではないだろうか。
が、観光なんてない時代、もともと島人(しまんちゅー)は、豊かな自然からの贈り物と温暖な気候の中で、自給自足とゆいまーるで生きてきた。何度か押し寄せる強烈な台風からも、七転び八起き、雑草のように立ち直り生きてきた風土。
始めてこの島に住んだ15,6年前からみても、随分と変わったな。赤瓦の古民家はどんどんつぶされ、中高層ホテルや安づくりコンクリートアパートが立ち並び、クルーズ船の外国人団体が忙しく街を行き来しながら内地資本の大型店で爆買いをし、内外から押し寄せる観光客向けに内地資本の居酒屋、焼き肉店が跋扈し、狭い道路をレンタカーが走り回り、それら客向けに作り笑いをしながら生きていく暮らしが、本来のゆたかな島の暮らしなのか、この困難な時期に、もう一度と顧みるいい機会なのではないだろうか。
自然の豊かさとうっとりするほどの南風だけで、まだまだ生きていける風土なのだ。
お見舞いの花束(2019・3・15バンナ公園のセイシカ)