先日、岩野小に行ったとき、生善院に立ち寄りました。“猫寺”の別名の方が有名かもしれません。天正10年(1582年)無実の罪で殺された盛誉(お坊さん)とその母親:玖月善女とその愛猫玉垂の霊を鎮めるために、寛永2年(1625年)に建てられた寺院です。観音堂は、国指定の文化財です。
写真を撮っていたら、住職のお母さんヵから上がって見てくださいと(猫を描いたふすま絵)を見せてもらいました。ウロウロとしていて(不審者と間違われたのか)本堂に上げてもらってよかったです。
今日は久しぶりに(鰐口)のことです。気になっていた鰐口だったので見てきました。観音堂の入り口に掛けられています。高いところにあるので下から見上げるようにしか写真撮れませんでした。刻銘もすべては読めませんでしたが「藤原頼尚」は読めました。頼尚とは、(21代藩主相良頼寛)のことです。
「洛陽三条釜座藤原対馬守国久作」「奉寄進/藤原頼尚/寛永二年卯月吉日」と刻銘があるそうです。脚立を持って行って全文わかるように写真におさめたいものです。寛永2年作で、生善院建立と同時に掛けられたもののようです。藩主自らの名がみられるのはこの鰐口だけと思われます。
本堂にも鰐口が掛けられていて、こちらは刻銘を見つけることはできませんでした。こちらも高く掛けてあって、しっかりと見てみたいものです。
今日の天気( 寒い一日になりました)
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