言わなければよかったのに日記

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歴史に学ぶ

2020年10月28日 | 歴史探偵

 被災してきた文化財資料をみるといろんなことがわかってきます。先人たちが今の私たちに伝えてくれていることもよくわかります。今日はその一つの例を紹介してみます。

     

 一王子神社から運ばれてきた棟札2枚です。棟札とはお堂や祠や寺社、民家などの屋根裏の高いところに附けられた記念碑的な木の札です。この家(神社、お堂)は誰が何時作ったというようなことが書かれてあるのです。どこの家の屋根裏にもあるはずです。

 今回被災した一王子神社からも2枚の棟札がみつかって運び込まれて見ることができます。神社は整理統合されているものが多いです。一王子神社(渡阿蘇神社)も近くの熊太郎神社が一緒になっています。(合祀と云われています)。 写真の左が熊太郎神社の棟札です。右が一王子神社のものです。

 熊太郎神社のには(貞享3年再興)と書かれています、1686年に造り替えたときの棟札です。むろん、そのときの建物はなく、棟札だけが残されているのですが、今では貴重なる歴史史料になっています。

 一王子神社のは「奉造作一王子大権現宮社者地頭願阿并長直息災安穏子孫 應永四丁卯季・・・」と表面に書かれています。応永4年(1397年)に建てられたときのもののようです、ところが裏面に「当社棟札星霜相積難文字見故新造之書写畢 于時宝暦十四甲申・・」と書かれているのです。要約すると、應永の棟札は字がかすれて見えにくくなったのでそのまま買い写して新しくした、ということのようです。書き写した年が宝暦14年(1764年)とあります。應永のままで600年経っていたら、見えなくなっている文字がたくさんあったかもしれません、宝暦に書き直してもらったので、いまでもきちんと読むことができます。ありがたい判断をしてもらったと思います。おかげで今の時代に一王子神社の歴史が正確に伝わっているのです。記録の大切さを痛感させられる貴重な棟札です。

 その棟札も含めた神社の貴重な文化財が被災したのです。600年で初めての大きな被害だったのではないでしょうか。600年も繋がってきた文化財をここで絶やさないように今の私たちは頑張るしかないのです。復旧復興にご協力ください。

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