また、また、久しぶりのUPです。
昨日、宇城市豊野にある“相良神社祭”に出かけてきました。熊本地震とコロナでしばらく中止になっていたお祭りが去年から復活再開されました。去年、masudaくんや息子たちが呼びかけて参加することになって、今年はその続きでした。21名の方の参加でした。
地元の人たちが朝早くから掃除や準備をしておられました。aitouさんがいろいろと準備取締りをしておられます。この神社は“相良神社” 別名“相良堂” 天正2年(1581)陰暦12月2日、神社周辺で戦いが行われ(響ヶ原合戦)、相良18代当主義陽が討死した場所なのです。相手は阿蘇氏の家臣 甲斐宗運です。この戦いで相良勢の戦死者は700人を超えたといわれています。そして、この場所に義陽の胴体を埋めて祀っておられるのです。豊野の人たちにとってはいい迷惑だったに違いありません。それを400年以上も豊野の人たちが守ってこられていることにビックリです。熊本地震によって神社は壊れてしまいましたが、それも建て直されたのです。またまた驚きです。
戦いの後、義陽の首だけは家臣によって八代まで運び込まれて埋葬されました。当時は松橋から八代,水俣まで相良氏の支配地だったのです。首だけは地元にという気持ちが働いたのではないでしょうか。義陽の首塚にも行ってお参りしてきました。
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