言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

照角へ

2021年03月21日 | 歴史探偵

 今日は計画していた「照角探訪会」に出かけました。いちおう呼びかけてはいたのですが(わずか)7名の参加でした。ちょっと呼びかけが上手くできなかったですが人が多いとたいへんだったと思いました。結果的にはちょうどよい参加者でした。

 照角(てるかく)と書きましたが古い表記です、今の地図では(照岳)とあります。しかし、地元の人は(てるかく)と呼んでいる山です。この山は中世から江戸時代までの八代へ抜ける道路が通っていました。「殿さん道」とか呼ばれています。西南の役で薩摩軍、官軍も通った道です。

            

             照岳頂上 標高506m

 前から気になっていたところだったので地元matumotoさんに案内を頼んで実施したのです。殿さん道がどうなっているかを確認すること、その途中に(鬢水びんみず)といわれる場所や西南の役台場跡を確認することでした。思ったよりも(殿さん道)はきちんとしていました。

   

 (鬢水)は、鎌倉初めの頃、相良頼親が「承久三年剃髪シテ観仙大徳ト號ス」して「庵ヲ照角山ニ結ビ文永元年五月二十二日逝ク。乃チ馬草野ノ正持寺ニ葬リ併セテ照角山ノ一宇及ビ影佛ノ地蔵菩薩ヲ移シ以テ墓石ニ代フ。」という記録があります。この鬢水周辺に庵を置いて過ごされたのだそうです。その跡と思われる場所に地蔵碑が建てられていました。

         

           途中、切通しと思われるようなミチもみられました

 ちょっときついトレッキングでした。でも(道)は歩けるし、少し整備すれば観光にも使えると思いました。私は途中コースを外して急登で照岳を目ざしたので膝が痛くなって“コンドロイチン”が必要なくらいにはなりました。西南の役台場跡は確認できませんでした、また計画して確認しなければ、です。

 今日の天気( 時おり小雨)


(続)指宿に

2021年03月20日 | 日記

 杜の神様ばかりではなく神社にも出かけてきました。揖宿神社、枚開神社、新田神社+αです。同行の二人が神社巡り(研究)をされている方です。神社と云っても二人はちょっと方向は違うようですが。(七巻半)のことを調べておられるのは共通点です。そこに合戦峰天子の七巻半の私?が絡んだということです。(よくわかりませんが)

 いまだ(指宿)と(揖宿)の表記の違いがわかっていません。神社は揖宿神社と表記してありました。とても立派な神社でした。

    

      揖宿神社

 開聞岳近くの(枚聞神社)へ。何と読むのだろうと思っていましたが(ひらきき)と読むのだそうです。鹿児島は地名をも含めて読み方が独特な感じもします。立派な社殿造りでした。

       

           枚聞神社

 最後は薩摩川内まで行って(新田神社)へ。階段をずいぶんと上った所にある神社で、すぐ隣には(可愛山稜)・・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の御陵とされていて入口には宮内庁の事務所が置かれていました。

      

        新田神社

 3社とも神話のふる里と関わる神社で、神社の作りもすごかったです。社殿も同じような朱の色で荘厳さを感じさせられました。嶋津さんの匂いがしました。人吉球磨の神社とは趣が違っていました。

 気候も全く違うと言っていいくらい温暖なところなので(巨木)が多いのに驚きました。まさしく(杜の神)を感じさせられました。子どもの引率修学旅行で行った指宿方面だったので違った面から見ることができておもしろかったです。コロナがもっと落ち着いたら少し他所を出かけてみようと思いました。

 今日の天気(


指宿に

2021年03月19日 | 日記

 じつは、昨日今日と指宿に行ってきました。コロナ禍中なのであんまり堂々ではなくてコソっと出かけました。ひょんなことで知り合った元大学の先生と一緒でした。この方が全く専門外の神社のことを調べておられます。今回は指宿方面でよくみられる(モイドン)を見に行くので一緒にどうか、と誘われたのです。

     

             

         

 モイドン・・漢字で書くと(森殿)でしょうか、たぶん鹿児島では(〇〇ドン)です、人吉球磨でもちょっとだけ〇〇ドンと使うと思います。巨木です、大きな木を信仰の対象としておられます。大きな樹の下に石を祀っておられました。大きな樹は長い間、そこら周辺に生き続け人の生活を知りつくしている・・まさしく神です。樹を見たら何かを宿っている雰囲気を醸しだしていました。まさしく“ご神木”です。

 どうして鹿児島(南九州)で森の精霊かというと、やはり温暖で巨木になりやすい土地柄でもあるように思えました。そこに“神”を感じられた人たちがいたのではないかと思いました。人吉球磨も森が多いところです、同じような民俗信仰がないのかな?と思いました。ちょっと調べたくなりました。

 2日間、温泉にも入れて、久しぶりに人吉盆地から抜け出ることができました。神社も幾社かお詣りしてきました。明日にでも紹介します。

 今日の天気(


石の文化

2021年03月18日 | 日記

 山江村は(石)の産地です。“円蔵山”と“大王谷”がその主たる産地です。ところがその他にもアチコチで石採りが為されていたようです。村内には(石倉)や石で造られた風呂や石で造られた道具、大きなものでは鳥居もみることができます。その多くが(たぶん)加久藤溶結凝灰岩なようです。火山岩なので細工はしやすいようです。

 村内の石倉で“農協倉庫”と“赤坂家石倉”が国の登録文化財です。村内にはまだ多くの石倉が存在していて現在も使用されている現役なものです。その調査もまだ行われていないので令和3年の課題にしようと思っています。石倉よりも小さい“石屋根の小屋”もみることができます。1つを譲り受けて資料館横に建て直す計画をしましたが、予算が取れませんでした。そんな矢先に(石倉寄贈)の話しが新城の森さんから出てきました。

   

 昨日見に行きました。2つの古い倉と2つの新しい倉、計4つの倉を寄贈されるということでした。資料館近くに移築して(石の文化)の展示にと今後計画書を作るようになると思われます。他にも多くの石で造られたモノを見ることができました。すごかったです。

 今日の天気(

  ※今日は用事があって早めのUPにしました。


3月17日

2021年03月17日 | 日記

    

      大柿毘沙門堂です、桜も満開近くです。お堂は傾いたままです。

 今日は水曜日でしたが資料館に出かけました。ビックリしたことは(ツバメ)が到来していたことです。たぶん、去年よりも早かったのではないでしょうか。地球温暖のせいか季節もうんと早めに動いているようです。

 文化財保護委員会がありました。3月も終わろうとするときに今年度2回目の会です。村の文化財を追加指定しようとしています。どうしても保護委員会をしなければならなかったのでコロナ禍の中、無理を言って委員さん方に集まってもらいました。高寺院の毘沙門像3体、三つ子明神の神像3体、犬童家文書と楽隊写真、それに有形民俗で合戦峰天子の祭事を取り上げて諮問してもらいました。コロナのこともあってバタバタと説明して1時間もかからずに会を閉じました。コロナ禍とはいえ、何もかもゆっくり時間をかけて審議するということがなくなって残念ではありますが、致し方ないことなのでしょうか。

 保護委員さんは任期が2年・・3月でいちおうのお終いです。6名の委員さんたちには無理ばかりお願いしています。4月からも継続して委員をお願いしました。よろしく!です。

 昼間はポカポカ陽気でした。

 今日の天気(

 

 

 


3月16日

2021年03月16日 | 日記

      

       猫寺です、すごいこだわりで造られています、美しいです

 大相撲がはじまって⇒また夕方がテレビ付けになっています。たぶんコロナのせいでお相撲さんたちは充分な練習ができていないようです。自分の部屋だけの力士との練習ではなかなか十分ではないようです。中高校生の部活と一緒で自分の学校だけでの練習ではなかなか上達速度は遅くなるはずです、適度に対外試合・練習や大会などを経験しないと自分の力UPにはならないようです。本場所がはじまって自分より同レベル以上の人と相手するのですからままならないと思います。お相撲さんにとっても早めにコロナが去ることを願っているのではないでしょうか。

 今日になって(コロナワクチン接種の案内状)が届きました。人吉では近くの掛かり付け医院で接種できるようです。意向調査みたいですのでさっそくOK!と手を挙げつもりです。

 湯の元観音堂の本尊:観音像が修理が終わったと連絡もらいました。20日にいちおう山江の資料館に還ってくる予定です。春の彼岸開帳には湯の元観音堂はお堂そのものが修理が間に合わなかったようです。修理の目途がそろそろたつそうです。その前に本尊の一応修理が終わってよかったです。復旧復興も一歩ずつ前へ進んでいます。

 今日の天気(


子どもたちとの繋がり

2021年03月15日 | 日記

         

            岩野小6年生と行った猫寺のひな祭り

 以前に岩野小学校の6年生と一緒に学習しました。担任のmiwa先生から子どもたちの感想をまとめたものを持参してもらいました。12名の子どもたち・・24の瞳の感想でした。ちょこっとお手伝いしただけだったのにありがたいことでした。しっかり読ませてもらって私が子どもたちに伝えたかったことが伝わっていたようで嬉しかったです。一つは「普段とは違った視点で見た方がいい」というような話を事前にしました、そうしたら感想の中に「いつも行っている場所なのに新たな発見ができて」とありました。阿蘇神社と霧島神社のことなど知ってもらってこれからの行動に参考になるはずです。はじめて知ってよかったの感想を聞いて、miwa先生の場づくりがよかったことが証明されたようでよかったです。

 もう一人は10数年前の東間小時代の子どものことです。もちろん今や大人でお母さんになっています。ちょっとメールのやり取りをして子どもさんの写真も送ってもらいました。私もすっかり爺さんになった気分でニコニコしました。やはり素直な明るい子どもの6年生でした。

 岩野の6年生も10数年前の6年生もそれぞれに成長して次のステージにチャレンジしようとしています。同じように明るさに共通点を感じて嬉しくなって⇒まさしく教育者冥利に尽きることでした。私にとって嬉しい話題でした。

 今日の天気(


3月14日

2021年03月14日 | 日記

 我が家で数日前よりゴホンゴホンという咳が聞こえていました。移されたのか私も今日はのどが痛くなってきました。困ったものです。まさかコロナではないと思いますが小さな家に9人もいると密になって困ったことです。

 久しぶりに大柿に行ってみました。毘沙門堂は前よりもまた少し傾いたような気がしました。町内会長さん宅に立寄ってきましたが会長さんは不在で奥さんが片付けなどをしておられました。何度も言っているようにこの地区にはお堂や社(やしろ)が4つもあります。お地蔵さんや地神さんも含めるとかなりの数になると思われます。まさしく神さまが宿る里です。7月豪雨で1人も亡くなられた方がおられませんでした。(信仰心の熱い地区)のおかげでは、と思っています。

 そんな地区の毘沙門堂と朝日権現は全壊です、その復興はとても気になっています。会長さんの奥さんに聞きましたが(まだ見通しもついてない)とのことでした。もう少し時間がかかることのように思いました。

 私の車の前に福岡ナンバーの車がいました。クルマの後ろに(人吉在住です)と書かれたシールが貼ってありました。都会ナンバーの車だと気が引けてアチコチと走れないと聞いた事があります。その対応策なのでしょうか。はじめて見たのでビックリしました。

     

 昨日の仏像調査で(平安か?)と話題に上がった仏像頭部の写真です。水に浸かったのでバラバラになっています。修復にはかなりお金がかかりそうです。??

 今日の天気(

 


一日遅れの開花宣言&仏像調査

2021年03月13日 | 日記

      

 木曜日は開花はイマイチでしたが今日行ってみたら咲いていました。たぶん、昨日、咲いたと思われました。3月12日 資料館ソメイヨシノ標準木開花と記録したいと思います。ビックリするほど早い開花でした、地球が熱くなっているのをサクラからもみることができました。

 今日は仏像調査で資料館に出かけました。今年で4回めの(神仏像調査)です。今年はコロナ禍なので実施を躊躇しましたが、1日だけ資料館内で調査というかたちにしました。5名の県内の仏像研究者の方による調査です。Arikiさんを中心に毎年今頃に来てもらっています。昨年までは村内の仏堂等に出かけて調査をしていたのですが、今年は資料館に水害により避難しておられる神仏像を調査してもらいました。

         

 写真撮影と像高などの寸法を1つ1つ記録してもらいました。なかには(これは何時頃の作?)と論議しながらの調査でした。平安末期かどうか!思いを発言しながらでした。ときおり、製作年を記銘してあるのもありますが、その他はこれまでの経験上からの製作年代の推定です。聞いていながら参考になりました。夕方までかかって多くの仏像を調査してもらいました。

 今日の天気(


山江の地名のこと

2021年03月12日 | 日記

 山江で(やまえの歴史と地名サークル)を3年前に立ち上げました。Tateisiさんという熱心な方が会長で現在16名ほどの会員です。月1回の例会をしています。“研究会”ではなく“サークル”としたのは、駄弁ることが主でダベル中に“山江の歴史と地名”のことをお喋りするからです。会員は女性が多く・・全員が高齢者・・男性は私を入れて3名・・これまた高齢者。

 3年のまとめとして(会報)を作ろうということにしました。ところがここ3ヶ月ほどコロナ禍で中止にしていました。おかげで編集作業がSTOPしたままです。まあ、慌てないで作ろうということにしています。

 そんな中に、村誌編纂で昭和33年の文書類を見ていたら、(山刀失 なたうしない)(蟇石 わくどいし)などの珍しい地名が出てきました。山刀失ーナタを失った・・のでしょうか。蟇石の“蟇”は蟇蛙(ヒキガエル)のことです。球磨弁で大きなカエルのことを“ワクド”というのです。大きなカエルのような巨石があります。そのことから蟇石という地名が付いたようです。

 いま山江では通りに名前を付けられています。県道相良人吉線は「山田マロン通り」、県道坂本人吉線は「万江清流通り」です。各地区でも話し合って村道や集落道に通り名をつけて看板を設置するそうです。「権現坂通り」「がらん坂通り」「七曲り」などです。面白い試みだと思っています。

     

    このような山の中にも通り名が付くと面白いのですが。

 

  今日の天気(