■【きょうの人】 0903 ■ 良源 元三大師 ■ 呑龍 子育ての願掛け
独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 良源 元三大師
りょうげん
延喜12年9月3日(912年10月15日) - 永観3年1月3日(985年1月26日)
平安時代の天台宗の僧で、近江に生まれ、諡号は「慈恵(じえ)」、一般には通称の「元三大師(がんざんだいし)」の名で知られています。
12歳で、比叡山の登り、理仙、相応に師事しまし、康保3年に、第18代天台座主(天台宗の最高の位)であり、比叡山延暦寺の中興の祖として知られています。
比叡山の横川(よかわ)には、元三大師堂がありますが、東西両塔と鼎立させる盛況を呈しています。
比叡山の写真
http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/kyoto/kyoto_hieizan.htm
また、中世以降は民間において「厄除け大師」など独特の信仰を集めています。
良源というより元三大師と呼ばれるほど、比叡山での功績が認められているいます。
良源と対比できることではありませんが、私事で恐縮ですが、「コンサルタントのためのコンサルタント」と呼ばれます。何ごとも、石の上に三年で、見る人は、それなりに評価をしてくれるものですね。
■ 呑龍 子育ての願掛け
どんりゅう
弘治2年4月23日(1556年6月2日)- 元和9年8月9日(1623年9月3日)
群馬県太田市の浄土宗大光院(だいこういん)、正式には「義重山大光院新田寺」という寺院があります。通称「子育て呑龍(こそだてどんりゅう)」もしくは「呑龍様(どんりゅうさま)」と親しまれています。
真偽の程は定かでありませんが、徳川家康は源氏の流れを汲む新田義重の末裔であるといいます。
慶長18年(1613年)、家康は呑龍を招聘して大光院を創建させました。境内裏には、新田義重や呑龍の墓があります。義重は九条兼実に従い法然上人に帰依しました。
大光院は、もともとは建久6年(1195年)に、寺尾城内に建立され、家康は観智国師・土井利勝・成瀬正成に遺跡を探させ、墓石と礎石などをここに移させました。
当時、多くの子どもが間引きといわれ、殺されていいましたが、呑龍は、これを悲しみ、これらの子どもを弟子として引き取って育てたため、後世の人々から「子育て呑龍」と慕われました。
話は、昭和の第二次大戦前になりますが、中島飛行機で開発された百式重爆撃機という航空機がありましたが、その愛称「呑龍」でした。
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