■【話材】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 序段 つれづれなるままに
「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。
■ 序段 つれづれなるままに
つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、
心にうつりゆく由なしことを、
そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。
書名にあります「つれづれ」(徒然)とは「やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさま」という意味で、兼好の謙遜がそこに含まれています。す。
◇ つれづれなるままに・・・書きつくれば
何かをしようと思うけど、することもなく、退屈なままに書きつけてみると
◇ 日暮らし、硯に向かひて
朝から晩まで一日中、硯に向かって
◇ 心にうつりゆく由なしごとを
心の中に次々と思い浮かんでくる、たわいのなことを
◇ そこはかとなく書きつくれば
とりとめもなく、書きたいように書きつけてゆきますと
◇ あやしうこそものぐるほしけれ
「怪し」「物狂おし」ということから、「妙に気違いじみた気がしてくるのです」という意味でしょうか。
兼好が、徒然草を書くに当たって、自分を卑下するかのような書きぶりで始まっています。
多忙な、現代人には、なかなかこのような心境にはなれず、ゆとりを持てないものですね。
かつて、城山三郎が「毎日が日曜日」という定年退職後の男について書いた小説があります。その男と、兼好の「徒然なるままに」の心境に共通するものがあるのでしょうか。
私は、若い頃から、何か、気になることがありますとメモに残してきました。アメリカで経営学・マーケティングを学んでいるときに、ファイリングの勉強をしたことがあります。
その時に「コード分類」について、学びましたが、これが後に、「ものごとを体系づけて考える」ということが身につき、自分の仕事やコンサルティングに大いに役に立ちました。
上述のメモもその一環で管理してきましたので、経営士・コンサルタントとして独立してから、大いに役に立ちました。
それらをもとに、ブログを始めとしますSNSなどにも活用して、徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けています。しかし、兼好のように「あやしうこそものぐるほし」の心境にはほど遠いものがあります。
■ バックナンバー
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/eb88c477696adc4e2e78376c81b7274b