「夕風や 白薔薇の花 皆動く 正岡子規」「雷過ぎしことばしづかに薔薇を撰ぶ 石田波郷」「薔薇よりも淋しき色にマッチの焔 金子兜太」「老いにも狂気あれよと黒き薔薇とどく 殿村登四郎」「薔薇を剪る夜明けの音をつくりつつ 原田清次」「記念樹の薔薇の名アンネ爆心地 重本泰彦」「手に薔薇の傷いつぱいよ縫いたかり 矢島 恵」「自らへ贈るくれなゐ強き薔薇 櫂末知子」「少年の指の血甘し夜の薔薇 田口一男」「太宰の恋白薔薇ひとひらづつ毀れ 島貫 恵」『手の薔薇に蜂来れば我王の如し 中村草田男』この句を評した鍵和田柚子氏は、ギリシャ神話やキリスト教との結びつきで、西洋では愛と美の象徴の花である。高貴な美しさを生かした句が多いが、棘の故か、翳りのある句も生まれるが、中村草田男氏の句について『薔薇はイギリスの城館の庭園を埋め尽くした華麗な光景などを思い出される。作者も薔薇の真紅の大輪などを手にして、西欧的な雰囲気に浸り、誇らしげに思っていた。そこへ蜂までがやってくる。まるで家来のように、胸をそらせて王様のようになったような気分の作者。おどけた調子の誇張した表現が』、この句では明るく輝く薔薇の本情を余すところなく生かいている。との講評である。
バラ(バラ科)花言葉は愛。落葉低木。種類が多く、基本形は幹や枝に棘が多く、複数で花弁と蕚は5枚。世界中が競争で改良し、作らた園芸品種は6000種にものぼるという。6月薔薇園を訪ねると、様々な品種が色や形、香りを競い合うさまがまことに豪華である。また各地で薔薇展が開催され、品評会や新種の発表も行われる。花屋では四季を通じて美しい薔薇が観れるけれど、単に薔薇といった場合は初夏である。野山に自生する「茨の花」は、蔓状に伸びた枝先に多数集まつて咲く白い一重の花が可憐である。「うばら」ともいう。「憩ひつつ岡にのぼれば花いばら 与謝野蕪村「古郷やよるもさわるも茨の花 小林一茶」「薔薇喰う虫聖母見給ふ高きより 水原秋桜子」「ふところに朝刊薔薇を頒たれし 長井龍男」「花うばらふたゝび堰にめぐり合う 芝 不器男」「薔薇の香か今ゆき過ぎし人の香か 星野立子」「薔薇一枝挿ぬ忘られてはゐずや 藤田湘子」「花いばら髪ふれあひてめざめあふ 小池文子」「人の恋見て来て薔薇に立ちすくむ 菖蒲あや」「手壺すべてふさぐに薔薇賜ふ 朝倉和江」。(薔薇一輪 挿してコツプの 縁に乗り ケイスケ)