川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

長崎平和宣言に暑さボケも吹っ飛ぶ

2013-08-10 09:34:05 | 政治・社会

8月9日(金)猛暑

 室温も35℃を示す猛暑。夕方5時半になって入間川の土手を散歩、何とか生気をとりもどす。

娘のfacebookで長崎の田上市長の平和宣言を読んだ。

安倍首相の面前で「核廃絶」に背を向ける安倍内閣の行動をきっぱりと批判した。

暑さボケしている僕の心にも食い入るようなアピールだった。

録画●http://www.youtube.com/watch?v=kCWu1jkPhiY

平和宣言全文(長崎市役所HP)

平成25年長崎平和宣言

 68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
 このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
  非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

 核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。
 2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
 しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

 核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。
 地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
 長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
 先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

2013年(平成25年)8月9日
長崎市長 田上 富久

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(長崎平和宣言の賛同者数を調査しております)
 

 


祝 家園開店5周年

2013-08-09 14:57:50 | 川越・近郊
8月8日 猛暑

室温が34℃。光化学スモッグ注意報も発令されて外出もできません。あちこちでゴロゴロするばかり。





今日は「中国家庭料理・家園」の開店5周年の記念日です。

一年前 の「川越だより」を読むと、ビラ配りのこころづもりが書かれています。

娘 の尽力で素敵な ビラができ、主人とともに近隣に配布しました。

ビラを持って来店する客もいるようで先日主人が嬉しそうに証拠を見せてくれました。

この一年の間に思いついたことを実現できて良かったなあ。
僕が元気になったら主人とふたりで ビラ配りを再開します。

人懐こく少年 のような笑顔に出会えばどなたもお店を覗いて見たくなることでしょう。
家園主人・河本夫妻

章子(ふみこ)さん

2013-08-08 13:59:05 | 父・家族・自分
8月8日(木)晴

昼頃、親戚の章子さんが見舞ってくれました。



祖父どおしが兄弟という関係ですが家が隣り合っていたので幼少時には兄妹のような育ち方をしました。

東京で障がい者の生活支援をしています。お盆には室戸岬に帰るそうです。
倫子の元気な様子を故郷の人たちに伝えてくれるでしょう。

キツネノカミソリ

2013-08-07 11:30:53 | 川越・近郊
8月7日(水)晴

川越は雨らしい雨は降らないままで今日から猛暑に突入のようです。

抗がん剤の後遺症で脚が冷えやすいぼくには動き回るのに良かったのですが、この夏はどうでしょう。



昨日歩いた川越公園のキツネノカミソリ。花盛りを迎えたようです。

冷房が「敵」になるとき

2013-08-06 09:33:03 | 病状

8月5日(月)晴

 午後2時過ぎ、ガン研有明病院の西尾医師の診察があった。

抗がん剤「イレッサ」の隔日服用から2週間がたった。X線で見る限り病状は横ばい、副作用は許容範囲。今しばらく服用をつづけてみよう。次回検査は8月21日。

もともと冷房には弱いが近頃は「敵」になってきた。咳き込んだり呼吸の乱れの原因になる。

ガン研有明病院は◎だが往復の電車やバスの過度な冷房は何とかならないものか。レストランなども僕にはきつい。

僕は弱冷房車を選び、小さな毛布などをかけて冷気から身を守っている。今日は概してうまくいったがいつもこういう風にいくわけではない。

 福一の事故以来「省エネ」がはやった時期があったがもう終わってしまったのか?

夏は暑いのが当たり前である。子どものときから過度な冷房になれたりすればとんでもないことになるのはわかりきっている。


盆踊り

2013-08-05 10:37:30 | 川越・近郊
8月4日(日)曇

夜、近所の県営団地の公園で盆踊りがあった。






若い母親や子どもの参加が多く、なんとはなしにいい雰囲気。

田んぼや畑だったところにアパートがたくさん建った ので若い住民が増えているのだろう。
地元?の秩父音頭を上手に踊る人が多いのに驚いた。
小学生があちこちに群れていた。祭りや盆踊りは特別の日で夜の遊びが天下御免となる。
むかしも今も変わらない。大事なことだ。
僕の時代には子どもにも役割りがあった。盆踊りの口説き に合いの手のお囃子を入れた。「ああ、よういやさ!ああ、よういやさ!」。

あさがお咲く

2013-08-04 09:46:13 | 父・家族・自分

8月4日(日)

 このところ日中の暑さは戻ってきましたが朝夕は涼しくすごしやすい日が続いています。

ベッド脇に植えた朝顔が順調に生育して花をつけるようになりました。

写真: ベット脇のアサガオ  今年はきれいに咲きました。

手を伸ばせば触れるくらいのところに咲いているんですよ。陋屋もなかなかです。

昨日は駅前にある赤心堂病院で診察を受けました。ガン研は遠いのでこれからは何かにつけて世話になります。

 


心機一転

2013-08-02 09:45:33 | 父・家族・自分

8月1日(木)曇晴

午後空も晴れ、体
も動く気がしたので、上尾市の榎本牧場をめざすことにした。
月も変わったし、心機一転といくか!

北山田の水田地帯。ここはまだ穂が出ていない。



荒川を渡った上尾市平方のハ枝神社でひと休み。ケヤキ の巨木の下を風が通り抜ける。


榎本牧場でジェラートをおやつとした後、樋詰橋で再び荒川を渡る。

右岸にはこんな田んぼが。どうしたことだろう?

一休みの土手に咲く花。


6時前に帰着。泰英・順子夫妻が様子を見に来てくれていた。
思いがけなくて賑やかに結婚45周年の乾杯。ありがたいことである。


1968 ・8・1

2013-08-01 09:50:52 | 父・家族・自分

8月1日(木)
昨夕、川越公園の土手を歩いてみました。かわいい花に出会えて嬉しい思いをしました。

月見草


今年はもう花は終わったかと諦めていたので嬉しいこと、嬉しいこと。

「月のしずくを吸って咲く 夢のお花の月見草」

http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_54c7.html

こどものときに歌を知ってどんな花かと思ったものです。


この花は?


45年前の8月1日、私たちは高知県室戸岬の王子宮で結婚式をしました。双方の両親と伯母祖母(母の叔母)が参列してくれました。式後昼食会をしました。それですべてです。僕は28歳、妻は24歳。

新居は伊豆大島の教員住宅、それまで同居していた森さんが譲ってくれたのです。翌年春、川越に転居しました。

 45周年を迎える直前に大事がありましたが、何とかクリアーすることができました。何かの加護があったのか、ありがたいことです。

 「2人で一人前」の人生です。今しばらくの交誼をお願いします。


旧友来訪

2013-07-31 09:39:15 | 友人たち
7月30日(火)
午後 、勝義さんが横浜から呉さんが荒川区から様子を見に来てくれました。



期せずして昔の仲間が揃いました。
韓国は 日本を上回る自殺大国だと言います。若者に希望と元気がない病んだ社会が世界中に作られているのです。
大統領や首相が先頭に立って排外主義を煽るのも共通しています。

老兵に何が出来るのか?

お二人を見送ったあといつもの散歩。
遊歩道 の林床にキツネノカミソリ。



帰り道の田んぼでは稲が穂をつけているの に気づきました。季節は進んでいます。


「寅次郎頑張れ」平戸

2013-07-30 09:47:39 | 映画  音楽 美術など

7月29日(月)雨

 夜、珍しく「寅さん」を見た。1977年12月公開の「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」。

20-post.jpg (76283 バイト)

若い日の大竹しのぶの初々しさと長崎県平戸の風景が懐かしかった。

http://blowinthewind.net/torasan/20.htm

僕らが旧友の案内で平戸を訪ねたのはほんの2年前のことだが長い月日がたってしまったような気がする。

平戸城からの眺めがすばらしかったなあ。

IMG_3178

 ●「川越だより」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/a448ac2c2c4a8e4a03e4a7a8f8240dad


小袖海岸

2013-07-29 11:13:24 | 出会いの旅

7月29日(月)雨

震災から一年経って訪ねた三陸海岸の旅は印象深いものでした。

久慈市の小袖海岸は特に忘れられません。その後、ドラマで有名になったようですがテレビには縁が ないのであらためて写真で辿ってみます。
 2012年7月31日



エゾスカシユリ


中川豊さん
 若き日、室戸のマグロ船の船員だった。津波で流された船にかわる新造船で再び漁をはじめるという。

 

 

 

小袖港





川や森 の恵み

2013-07-28 20:06:10 | 川越・近郊
この3日間、夕方になると自転車を漕いで川越公園に行き、森の散歩道を歩いています。

自転車道から入間川を望む



萩が咲き始めた


ノカンゾウ?の群落


堰下で釣りをする人


セミの抜け殻


入道雲


自転車の曲乗り 15歳から13年間やっているという。思わず、拍手。


エノキの大樹
ありがたい気持ち


「朝鮮戦争休戦」から60年

2013-07-27 13:17:01 | 韓国・北朝鮮

7月27日(土)

1953年7月27日朝鮮戦争休戦協定。60年たって「北」では「戦勝式典」が行われるとか。

「祖国解放戦争」として金日成がはじめた戦争だが、米軍の介入を招き、解放=統一に失敗した。「北」が国として残ったのは中国人民解放軍の犠牲のおかげだ。金日成の無謀な「武力解放」戦略の責任が問われなければならないのに、彼はその責任をNO2の朴憲永(パク・ホニョン)に押し付け処刑して切り抜けた。

 それからも「同志」を次々に血祭りにあげて世界に例を見ない「社会主義」の看板を掲げた王朝を築いた。旗印は変わることなく「南朝鮮解放!」。民衆は飢餓と餓死、強制収容所の恐怖の只中に置かれている。

核武装を成し遂げたと称する三代目も安泰気分になっているのだろうか。この日本でも「独裁政権打倒」の声は聞こえてこない。

 それどころか、維新の会の国会議員になったばかりのアントニオ猪木が祝賀に駆けつけるとか。石原慎太郎代表の配下になったからには何かの密命を帯びているのか?

 北朝鮮の独裁者に媚びる勢力は左右を問わず、跡を絶たないが、いったい何を考えている人びとなのだろう?

今日、米国ではオバマ大統領の演説があるらしい。韓国は?中国は?そしてわが日本では?

独裁を終わらせ、「北」の人びとが自由を獲得するために私たちにどんな努力が求められているのか。

 


漢方で活力もらう

2013-07-26 09:51:33 | 病状

7月25日(木)曇

 謙一くんが薦めてくれた千葉の漢方医を訪ねました。昼前から3時間近く相手をしてくれました。

 「顔色がよい、声もしっかりしている、何より目が輝いている。」

何の心配もありません。といって漢方の処方をしてくれました。

 「症例をたくさん持っている方の言葉だから、ちゃんとした根拠がある。信じて頑張りましょう。」

帰途に謙一くんから電話をもらいました。先生からすぐに報告の電話があったようです。なんだかうれしい帰りの2時間。

 6時前、帰宅すると栄子さんが来てくれていました。ニンニクを二週間かけて燻製にしたというお手製の漢方薬「黒ニンニク」を頂戴しました。

 そして参鶏湯。心づくしのご馳走をゆっくりゆっくりいただきました。

今日は72歳の誕生日でした。期せずして漢方に通じた方々の心のこもった激励を受けてまだまだやれるかもしれないと意を強くすることができた一日でした。ありがたい限りです。