8月9日(金)猛暑
室温も35℃を示す猛暑。夕方5時半になって入間川の土手を散歩、何とか生気をとりもどす。
娘のfacebookで長崎の田上市長の平和宣言を読んだ。
安倍首相の面前で「核廃絶」に背を向ける安倍内閣の行動をきっぱりと批判した。
暑さボケしている僕の心にも食い入るようなアピールだった。
録画●http://www.youtube.com/watch?v=kCWu1jkPhiY
平和宣言全文(長崎市役所HP)
8月9日(金)猛暑
室温も35℃を示す猛暑。夕方5時半になって入間川の土手を散歩、何とか生気をとりもどす。
娘のfacebookで長崎の田上市長の平和宣言を読んだ。
安倍首相の面前で「核廃絶」に背を向ける安倍内閣の行動をきっぱりと批判した。
暑さボケしている僕の心にも食い入るようなアピールだった。
録画●http://www.youtube.com/watch?v=kCWu1jkPhiY
平和宣言全文(長崎市役所HP)
8月5日(月)晴
午後2時過ぎ、ガン研有明病院の西尾医師の診察があった。
抗がん剤「イレッサ」の隔日服用から2週間がたった。X線で見る限り病状は横ばい、副作用は許容範囲。今しばらく服用をつづけてみよう。次回検査は8月21日。
もともと冷房には弱いが近頃は「敵」になってきた。咳き込んだり呼吸の乱れの原因になる。
ガン研有明病院は◎だが往復の電車やバスの過度な冷房は何とかならないものか。レストランなども僕にはきつい。
僕は弱冷房車を選び、小さな毛布などをかけて冷気から身を守っている。今日は概してうまくいったがいつもこういう風にいくわけではない。
福一の事故以来「省エネ」がはやった時期があったがもう終わってしまったのか?
夏は暑いのが当たり前である。子どものときから過度な冷房になれたりすればとんでもないことになるのはわかりきっている。
8月4日(日)
このところ日中の暑さは戻ってきましたが朝夕は涼しくすごしやすい日が続いています。
ベッド脇に植えた朝顔が順調に生育して花をつけるようになりました。
手を伸ばせば触れるくらいのところに咲いているんですよ。陋屋もなかなかです。
昨日は駅前にある赤心堂病院で診察を受けました。ガン研は遠いのでこれからは何かにつけて世話になります。
8月1日(木)曇晴
午後空も晴れ、体
も動く気がしたので、上尾市の榎本牧場をめざすことにした。
月も変わったし、心機一転といくか!
北山田の水田地帯。ここはまだ穂が出ていない。
荒川を渡った上尾市平方のハ枝神社でひと休み。ケヤキ の巨木の下を風が通り抜ける。
榎本牧場でジェラートをおやつとした後、樋詰橋で再び荒川を渡る。
右岸にはこんな田んぼが。どうしたことだろう?
一休みの土手に咲く花。
6時前に帰着。泰英・順子夫妻が様子を見に来てくれていた。
思いがけなくて賑やかに結婚45周年の乾杯。ありがたいことである。
8月1日(木)
昨夕、川越公園の土手を歩いてみました。かわいい花に出会えて嬉しい思いをしました。
月見草
今年はもう花は終わったかと諦めていたので嬉しいこと、嬉しいこと。
「月のしずくを吸って咲く 夢のお花の月見草」
●
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_54c7.html
こどものときに歌を知ってどんな花かと思ったものです。
この花は?
45年前の8月1日、私たちは高知県室戸岬の王子宮で結婚式をしました。双方の両親と伯母祖母(母の叔母)が参列してくれました。式後昼食会をしました。それですべてです。僕は28歳、妻は24歳。
新居は伊豆大島の教員住宅、それまで同居していた森さんが譲ってくれたのです。翌年春、川越に転居しました。
45周年を迎える直前に大事がありましたが、何とかクリアーすることができました。何かの加護があったのか、ありがたいことです。
「2人で一人前」の人生です。今しばらくの交誼をお願いします。
7月29日(月)雨
夜、珍しく「寅さん」を見た。1977年12月公開の「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」。
若い日の大竹しのぶの初々しさと長崎県平戸の風景が懐かしかった。
●http://blowinthewind.net/torasan/20.htm
僕らが旧友の案内で平戸を訪ねたのはほんの2年前のことだが長い月日がたってしまったような気がする。
平戸城からの眺めがすばらしかったなあ。
●「川越だより」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/a448ac2c2c4a8e4a03e4a7a8f8240dad
7月29日(月)雨
震災から一年経って訪ねた三陸海岸の旅は印象深いものでした。
久慈市の小袖海岸は特に忘れられません。その後、ドラマで有名になったようですがテレビには縁が ないのであらためて写真で辿ってみます。
2012年7月31日
エゾスカシユリ
中川豊さん
若き日、室戸のマグロ船の船員だった。津波で流された船にかわる新造船で再び漁をはじめるという。
小袖港
7月27日(土)
1953年7月27日朝鮮戦争休戦協定。60年たって「北」では「戦勝式典」が行われるとか。
「祖国解放戦争」として金日成がはじめた戦争だが、米軍の介入を招き、解放=統一に失敗した。「北」が国として残ったのは中国人民解放軍の犠牲のおかげだ。金日成の無謀な「武力解放」戦略の責任が問われなければならないのに、彼はその責任をNO2の朴憲永(パク・ホニョン)に押し付け処刑して切り抜けた。
それからも「同志」を次々に血祭りにあげて世界に例を見ない「社会主義」の看板を掲げた王朝を築いた。旗印は変わることなく「南朝鮮解放!」。民衆は飢餓と餓死、強制収容所の恐怖の只中に置かれている。
核武装を成し遂げたと称する三代目も安泰気分になっているのだろうか。この日本でも「独裁政権打倒」の声は聞こえてこない。
それどころか、維新の会の国会議員になったばかりのアントニオ猪木が祝賀に駆けつけるとか。石原慎太郎代表の配下になったからには何かの密命を帯びているのか?
北朝鮮の独裁者に媚びる勢力は左右を問わず、跡を絶たないが、いったい何を考えている人びとなのだろう?
今日、米国ではオバマ大統領の演説があるらしい。韓国は?中国は?そしてわが日本では?
独裁を終わらせ、「北」の人びとが自由を獲得するために私たちにどんな努力が求められているのか。
7月25日(木)曇
謙一くんが薦めてくれた千葉の漢方医を訪ねました。昼前から3時間近く相手をしてくれました。
「顔色がよい、声もしっかりしている、何より目が輝いている。」
何の心配もありません。といって漢方の処方をしてくれました。
「症例をたくさん持っている方の言葉だから、ちゃんとした根拠がある。信じて頑張りましょう。」
帰途に謙一くんから電話をもらいました。先生からすぐに報告の電話があったようです。なんだかうれしい帰りの2時間。
6時前、帰宅すると栄子さんが来てくれていました。ニンニクを二週間かけて燻製にしたというお手製の漢方薬「黒ニンニク」を頂戴しました。
そして参鶏湯。心づくしのご馳走をゆっくりゆっくりいただきました。
今日は72歳の誕生日でした。期せずして漢方に通じた方々の心のこもった激励を受けてまだまだやれるかもしれないと意を強くすることができた一日でした。ありがたい限りです。