川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

安倍さんと丸川さんへ

2007-07-31 06:10:37 | 政治・社会
僕のブログの監修者の一人が入れてくれたwikipedia の記事を読んでみると丸川さんを擁立したのは安倍自民党総裁であるらしい。報道に携わるものが時の権力と癒着して何とも思わないというのも国民の税金で経営される東京大学で学んだ感覚なのでしょうか。今なら補欠選挙の必要がありません。丸川さん、さっさと議員辞職をして保坂さんに議席を譲ったらどうですか。
 僕は安倍政権の対北朝鮮政策を支持しています。北朝鮮の独裁政権や朝鮮総連と自民党の有力者がさまざまな利権やカネで裏で通じあってきたことはすこし勉強した人なら誰でも知っていることです。安倍さんにはそのような匂いはなく、拉致問題にも原則的な対応をしてきました。これは歴代の自民党政権とは違うところです。残留孤児の待遇改善にもリーダーシップを発揮しました。
 しかし、安倍内閣が北朝鮮問題をきっかけにして、軍事力の強化と集団自衛権の発動などを主張し、非戦非武装の国是を一気に葬る提案をしていることには反対です。日本人が一国平和主義に浮かれているときではないことは確かです。誰もが横田さんの立場に立って自分に何ができるかを考え、行動に移していかなければなりません。憲法の改正も含めて議論することは大いに賛成です。僕の意見の一端は先日書いた通りです。
 今回の選挙で安倍政権にNO!と言う国民の意思が示されたことは疑うべくもありません。安倍さんの政策がどうのこうのと言う前にあなた達には民主主議の政治家としての資質がありません、もういちど出直してください、これが国民の声ではありませんか。丸川さんを擁立したことも、安倍さん、あなたの直接やったことというではありませんか。この際、民主主義のルールに則り、身を退き、再起を図ってください。
 無理をして居座れば結局の所、政治は混乱し、自民党は自滅するほかはなくなるでしょう。
 今回の選挙でも投票率は60%にも届きません。高校の社会科教師をやってきて、間接民主主義は「死に体」と僕は認識しています。社会性のない「自己中」がこの社会をウチから蝕んでいます。私たちがそのような社会を作ってしまったのです。自民党は自滅しても自業自得ですが民主主義の死は社会の死です。このシステムに希望が残っていることを歳をとったものは示さなければなりません。 
 

丸川珠代さんを国会議員にしていいのか。

2007-07-30 16:47:10 | 政治・社会
 参議院選挙報道を見ていて一番残念なことは、東京選挙区で丸川珠代という人(自民)が当選したことです。
 どういう人が投票したのでしょうか。この人は少なくともこの3年間、選挙権を行使したことがありません。米国勤務から帰って3年間も住民登録をしていなかったのです。今日現在も選挙権はありません。
 住民税は納めていたのでしょうか(新宿区に納付されていたと丸川事務所側は釈明@Wikipedia)。自分は選挙に行かないくせに、TV局で選挙の報道なんぞしていたのでしょうか。(僕は限られた番組しか見ないので何も知りません)。期日前投票にいって選管から教えられてはじめて選挙権がないことに気づいたと言います。
 自分に投票するときだけ選挙に行ったわけです。こんな自己中の、民主主義の精神を冒涜する無知な人間を候補者にたてる自民党は都民をなめきっています。長崎の市長さんが選挙中に殺されたのに、他人事ですからと言わんばかりの間抜けな発言をしていた安倍首相の顔が浮かびます。
 どんな立派なことを言ってもダメです。民主主義の精神と制度を理解し、尊重する、逆に言えばそれを冒涜し破壊するものと断固闘う、それが政治家の最低限の条件です。先の小泉劇場選挙で大勝してつけあがっているのでしょうか。
 こんなお粗末な候補に投票した人の意見を聞きたいものです。自民党に投票するというのであればもう一人の候補者もいたのですから。
 経歴詐称のため辞職した議員もいました。選挙についての最低限のルールも知らないこんな人を国会議員にしていいのでしょうか。
 なにはともあれ、民主主義の精神をますます腐敗させる一方の自由民主党が敗北したことはめでたいことです。

 
                                                                        

なぜ、地方参政権なのか。

2007-07-29 07:28:58 | 在日コリアン
 我が家の「一応庭」の百合が咲き誇り、ギボシが清楚な花を咲かせました。やりきれない蒸し暑さに夕べは今夏、はじめてエアコンのスイッチを入れました。しばらく、こんな日が続くのでしょうか。僕の体調には暑い方がいいので我慢我慢。
 今日は投票日なので参政権について。民主主義を標榜する今の時代に、祖父母や曾祖父母の代からこの国に生まれ育って自己を形成してきた人たちが選挙権も被選挙権も持たず、今日の一日を過ごす。どんな精神状態に置かれるのだろう。僕にはとんと、想像がつきません。そして、そんな不条理に目立って声を上げる当事者もいないのですから驚きです。40万人の在日コリアンにかかわることです。
 マニフェスト(といっても新聞に出ている一覧表ですが)をみると公明党だけが「永住外国人の地方選挙権付与を実現」と書いてあります。近頃、目に見えて増えている中国人などのうち「永住資格」を持つ人たちについていっているのなら理解できます。人口減少社会に来てくれ、この社会に住み着いて貢献してくれる外国人に地域社会の一員として地方選挙権を付与することは未来志向のよい政策だと僕は思います。
 しかし、在日コリアン問題の解決にはなりません。なぜ、この社会のフルメンバーとして処遇してはならないのか。
 ネックになっているのが「国籍」であることは明らかです。国政に参与するためには国籍を持つことが必要なのです。外国人に国政参与の権利を保障している国は世界のどこにもないのです。40万人の在日コリアンは1952年以来外国人とされ、親子代々それを維持しているために起きている問題です。
 旧植民地出身者が半世紀以上も居住国、出生国の国籍を付与されない等という例は世界のどこにもありません。なぜ、こうなってしまったのか、どう解決したらよいのかを智恵ある者は考えなければなりません。
 先日、ある在日コリアンの知識人と話していてあきれたことがあります。外国人に参政権を認めていないのは世界中で日本だけだというのです。この人は50年あまりをこういう認識を持って生きてきたのです。父母の世代が受けてきた受難と自分が体験した民族差別のトラウマが「日本」という国を冷静に見ることができない感情を育てたのでしょうか。「反日」が衣を着ているようです。
 かつて、朝鮮総連系の学生組織にオルグされて民族意識に目覚めたばかりの高校生が似たような言説を弄したことがあります。自己確立の過程でやむを得ないことと思ってきました。歴史や現実をリアルに認識していくことで自分に自信がつき、地道な生活者となって社会変革の担い手になっていくことが期待されますがなかなかに難しいことです。
 反日感情が先に立ってしまったら、現実が見えなくなってしまいます。在日コリアンの国籍問題がなかなか解決しない一つの原因はここにあると僕は思います。帰化により日本国籍をとった人たちを「民族の裏切り者」と処断してきたリーダー層の感情は今日に至っても根強いものがあります。このような感情を鼓舞し、金父子の独裁体制に囲い込んできたのが朝鮮総連の「民族教育」です。
 ほとんど実体がないにもかかわらず、民団(在日本大韓民国民団)が在日コリアンの代表であるがごとく振る舞っているのも同じ事情によるといえるでしょう。
 民団は定住外国人の地方参政権の獲得を目下、最大のスローガンにしています。朝鮮総連はあいかわらず、金父子への忠誠を誓い、民団の運動は日本人化を促進するものと妨害しています。
 在日コリアンの大多数はこれら二つの組織の影響下にはいません。実体としてはコリア系日本国民として生きている人々が大半です。にもかかわらず、「国民」として処遇していないのが問題なのです。ならば帰化によって国籍をとればいいのではないか、という声が聞こえてきます。事実、そうやって国籍を取得している人が1年に1万人くらいいます。しかし、それでは真の解決にはならないから僕は朝日新聞に投書したのです。16日の「川越だより」をもう一度読んでください。
 matumotoさんが二重国籍に言及されています。僕もそういう検討に賛成です。現に今回の選挙にペルーの元大統領フジモリさんが立候補しています。日本は法律上二重国籍は認めていないのに(22歳までにどちらかを選択)、実際は認めているのです。韓国の場合は日本より厳しく、外国の国籍をとったものは政府が一方的に国籍を剥奪するという法制度になっているようです。ですから、韓国の法律を改正させねばなりません。
 コリアンの友人たちに呼びかけます。もっとしっかり声を上げてください。我々にも選挙権を!と。そしてみんなで力を合わせて「国籍取得特例法」を成立させよう。

参議院議員選挙

2007-07-28 12:36:01 | 政治・社会
 明日は参議院議員選挙の投票日です。僕はどの候補者に投票するか、まだ決めていません。埼玉選挙区はともかく、比例区については投票したい候補者が複数いるからです。選挙用はがきで知友から投票依頼があったひとも10人近くになります。僕が尊敬する候補者本人からのハガキもいただきました。
 今回の選挙ではある政党が<憲法9条の第1項、第2項を堅持した上で、地震、津波などの天変地異、内戦や飢餓などに直面する地域での救助活動や医療支援、住宅再建に駆けつける、富国強兵とは対極の「国際救援隊」を創設し、第3項に明記する。>とそのマニフェストに書いていることが一番印象に残りました。僕の言いたいことをはっきりと言ってくれたからです。
 僕は66年の人生の中で身につまされて学んできたことは、戦争によって問題解決を図るということはなんとしても避けなければならないと言うことです。ですから、今の憲法の9条に忠実な日本にしたいと思っています。
 しかし、北朝鮮の独裁政権のように他国の領海領土を侵し、平和のうちに生活する市民を拉致するという信頼できない国家や政権が存在することも事実です。核大国の中国も社会主義の看板を掲げた帝国主義的独裁政権が支配していると認識しています。これらに対抗して日米同盟の強化、自衛隊の自衛軍への改組を唱える人々の影響力が増しているのが現状です。非同盟非武装はまるでコケにされているようです。
 僕は自分が不勉強で甘い現実認識をしていたことを告白しなければなりません。北朝鮮の独裁政権は「自主的平和的統一」を看板に掲げながら、韓国に攻め入り、多くの人々を死においやり、南北分断を固定化しました。その後も武力による「統一」をあきらめず、日本をその工作の基地として利用しました。在日コリアンの青年による大統領夫人の暗殺、横田さんをはじめとする市民の拉致。これらは皆、彼らの戦略と関わっています。在日コリアンとその日本人家族約10万人の北朝鮮への「帰国」運動も無縁とはいえません。
 これらの歴史的事実についてそれを見抜く目を持っていたとはいえないのです。
今から思えば拉致事件が頻発していた頃、友人たちと対馬を旅した際、旅館に「海岸等で不審者を発見したらすぐに警察に連絡しよう」という趣旨の印刷物が貼ってあるのに気づき、違和感をおぼえた記憶があります。拉致はもちろん、工作員の潜入、出国など想像もしていなかったのでしょう。海上保安庁の活動に対してもきちんとした認識を欠いていたのだと思います。
 こんな僕が非同盟非武装を主張しても誰もなっとくしないことは明白です。それでも僕はその原理原則を譲りたくありません。
 冷静な眼で厳しい現実を見つめ、警戒を強めることは大事です。拉致被害者を取り戻すため、力強い団結が必要です。しかし、戦力に頼ることはごめんです。ならばどうしたらいいのか。
 僕の今の結論は「国際救援隊」の創設です。日本人が世界のあちこちで人々のために役に立つことです。そのために今、防衛に使っている予算はすべて使いましょう。自衛隊は廃止して、自衛隊員は救助隊隊員として頑張ってもらえるよう協力を求めます。これからの若者に憲法と救助隊の精神をしっかり理解してもらって、日本と世界のために働く人材を育てましょう。

 そんな日本を見くびって無法な行為をする国家や勢力があるかもしれません。国民の智恵を結集して闘いましょう。世界中の心ある人々も応援してくれることでしょう。それでも侵略をくい止められなかったら、非暴力抵抗運動でいつか独立を闘い取ります。
 「護憲」「護憲」といっている政党や人々は何を考えているのでしょう。北朝鮮の独裁政権と仲良くし、それに荷担してきた歴史を反省しているのですか。何百万、何千万という死者を出したソ連、中国、北朝鮮、カンボジアなどにおける「社会主義革命運動」をどう考えているのですか。これからどうやって、信じられないような国家とつきあい、東アジアに平和をうち立てるのですか。
 こんな疑問にしっかり答えてくれないかぎり、国民の信頼は得られません。僕が気づいたマニフェストは一つの方向性を示したという点で大いに議論に値すると思います。国会議員2名が早速、離党し、この政党が生き残れるかどうか、僕は密かに注視しています。

生命の重みを感じる時間

2007-07-26 05:28:46 | 友人たち
 25日はK夫妻を丸木美術館に案内し、一日を共に過ごしました。お二人は僕が働いていた高校での職場結婚で、妻のMさんは8月末出産の予定です。
 10時半美術館着。新しくなった原爆観音堂にお参りしたり、休憩所として開放された「流流のいえ」、野木庵等でゆっくりした後、1時近くまでここで過ごしました。案内は妻に任せて僕は『子どものための丸木スマ展ースマおばあちゃんの夏休み』をゆっくり見ました。
 山の上で遊ぶ神様の絵がありました。先日(7月7日)、このブログで「カムイ」について紹介したばかりですが、その文章の世界を彷彿とさせます。神様が集まって自慢話をしているように見えます。楽しそうです。スマさんの想像世界とアイヌの人々の世界とは重なる部分が多いのでしょうか。
 かっぱを描いた絵が何枚もあります。これもはじめて見るような気がします。これを見た子どもたちが下の川(都幾川)におりて、かっぱに出会う遊びに興じるのでしょうか。高知ではシバテンといいます。人間に出会うと「おんちゃん、相撲とろう」と声をかけてくるそうです。スマさんのかっぱは集まって踊っているようです。
 1時半ごろ4人で川島町の小澤屋につき、鰻重の昼食。ここで2時間近くを過ごします。おかみさんがかつて藤村がここに遊んだ時の写真や揮毫をKさんにみせてくれます。当時の越辺川(おっぺがわ)は投網漁を楽しむ清遊の地だったのです。巨大な土手ができて今は部屋から川を望むことはできませんが、小澤屋さんのたたずまいは昔のままです。僕は大島で教員になった年に川越に住む先輩たちにここでご馳走になって以来、40年間おりあるごとに訪ねます。お二人にも気に入ってもらえてよかった。
  小澤屋@Yahoo!グルメ

 
 昨夜のうちにメールがはいっていました。

 今日は充実した休日を過ごすことができました。
Kものんびりできたようです。

丸木美術館を初めて訪れたのは、大学生の頃、かれこれ10年前程になります。
それから何度か足を運んでいますが、
今日は今までで一番思い出深い訪問となりました。

母と子の姿が、これほど痛々しく、いとおしく感じられたことはありませんでし
た。
赤ちゃんにも伝わっていたのでしょうか。
美術館にいる間、元気に動いていましたよ。

いつか3人で、美術館を訪れたいと思います。
 
 M夫人の言葉に喜びを感じました。「母と子の姿がこれほど痛々しく、いとおしく感じられたことはありません」。
 人生のときどきに受け取るメッセージは違うと思いますが、今、母になろうとするMさんに丸木夫妻の絵は命の輝きを伝えているのでしょうか。おなかの中の赤ちゃんも共感しているのでしょう。
 まこと丸木美術館は命の輝き、一つ一つの命のかけがえのなさを感じる美術館です。『丸木美術館ニュース』90号に被爆62年の「ひろしま忌」(8月6日)への誘いの文章が載っています。よろしかったら、どうかお出かけください。

 「揺れ動く時代だからこそ≪原爆の図≫に向き合い、戦争の惨禍や生命の重みを感じる時間を、多くの方々と共にすごしたいとおもいます。」

 昨日は僕の66歳の誕生日でした。左肺摘出手術以来、多くの人々の応援の声を受け、こんな喜びの日を味わうことができました。感謝あるのみです。

残念

2007-07-24 05:44:46 | 友人たち
今朝はよく晴れて朝日がさしています。百合の花も咲き始めました。このまま梅雨明けとなるのでしょうか。
 昨日は東西線の快速に乗ってしまい浦安まで連れて行かれました。西葛西の江戸川球場についた時にはブラスバンドの音で盛り上がっており、京華が1点を先取した後でした。浮き足だったのか、外野への飛球を2度もヒットにしたり、走塁ミスで長打を生かせなかったりで、大島にいいところがないまま、7対2で敗戦となりました。
 この日も知り合いの姿は見えず、孤独な観戦かというときに、O君が駆けつけて来ていろいろと解説してくれました。大島のチームはほとんどが2年生だとのことです。来年に期待することにします。
 これで25日は心おきなく、文京高校の応援ができると思いきや、文京もこの日の試合で小山台高校に負けたことを知りました。これは予想外で、今年は応援に行くよと言う約束を果たせないまま戦いは終わってしまいました。
 かくして両校の対戦という僕の夏の夢は一日にしてついえ去りました。両校の選手諸君の健闘をたたえ、捲土重来を期待します。
 

5年ぶりに伊豆大島を訪ねて

2007-07-22 19:44:10 | 友人たち
 このブログを始めた頃、かさま農園の奥さんに大島のことを書きますと言ってから時が経ってしまいました。大島高校野球部の応援に明日も行こうという勢いに乗って3月のことを書き留めておきます。
 
 3月6日から9日まで大島を訪ねました。02年正月以来5年ぶりです。41年間の教員生活が終わるに際し、どこも雇ってくれなかった僕を教員にしてくれた大島の人たちに感謝のひとことを言いたかったのです。3日間、ホットセンター波浮に泊めてもらいました。

 6日 荒天で東京船が欠航となり、熱海から何とかたどり着く。
 7日 近くのTさん(2・3年HR担任)宅をはじめて家庭訪問。お母さんと懇談。お父さんは海に出ている。電話が通じたTさんが高校生の時好きだった、というポイントを探索することに。お母さんが餡まで自家製の焼きたての今川焼きを持たせてくれる。
 竜王岬灯台ー竜音神社 真っ青な海を目前にした人っ子一人いない秘密の場所。Tさんは喜びにつけ悲しみにつけ、一人になりたいときにここにすわり、沖行く舟に語りかけたのか。波浮港まで歩き、BくんNさん宅も訪ねるが不在。
 たどり着いた「大関」という寿司屋で電話するとB君がやってくる。今の家は目と鼻の先であるという。卒業以来、38年ぶり。親の世話をするために帰島し、今は大きな家に一人住む。父を看取った後、心労からひきこもりがちだったのをHくんに助けられた。一緒に飲んだり、地域の社交場に連れ出してくれたのである。
今もって他の同級生には会っていないと言うので早速、Bくんの車で大島一周をすることにした。
 (元町)Kさんの店。昔の仲良し二人。本当にいい風景である。
 椿小(旧・元町小)校長をしているRくん、風邪で休み。この近くの教員住宅で私たちは新婚生活をしたが割愛。
 大島高校。僕と同い年の家庭科のTさんが41年後も嘱託として働いており、訪問を喜んでくれる。高校の外観はすっかり変わってしまい、昔のままなのはプールだけである。
 (泉津)T君の店 T君は不在。兄のY君が迎えてくれる。Y君は文字通り僕の最初の生徒(着任時に3年生)で、週5時間もつきあってくれた。僕の教員生活の中で5時間も耐えてくれたのはこの人たちだけである。担任でもなかったのに今もときどき同窓会に招いてくれる友誼に厚い連中である。近所に住むMさん、Dさん、Kくんのお母さんも来てくれる。B君と会えて嬉しそう。Bくんは高校生の時、ここによく泊まったらしい。
 大島公園事務所。勤務中のAさんを訪ねる。元担任教師の訪問ということで上司も歓迎してくれる。IT化の進む職場で苦労している。
 夜は「じゃがいも」という社交場になっている居酒屋でHくんとB君が接待してくれる。僕の妻はずうっと昔からこの人たちの「同窓生」として待遇されているので、ぼく以上になじむのが早い。一人娘が薬剤師になって帰ってくる日の近いH君は、大島のけいすけ係のようなものでこの30年くらいは来るたびに世話になっている。池商や北高や文京の生徒まで。今、少年の時から友だちであったB君が島の人となって嬉しそうである。遠慮会釈のない会話が弾む。村の人たちも加わってくれる。
 今日は結果としてB君が島の旧友たちに再デビュウする日になった。本当によかった。

 8日 Hくんが仕事を休んでBくんとともに裏砂漠などを案内してくれる。「まんたて」というところで昼食。Hくんと僕たち夫婦に聞いてほしいとBくんが半生を語る。
僕は聞くことしかできないが、B君もまたイイ奴だなと思う。遅まきながらこれから、友だちになれるだろう。
 (元町)Yさんの店による。Bくんを思い出すまでに時間がかかった。Kさんの働いている事務所にもよる。高齢者と共にあいかわらずよく働く。
 9日  宿近くの椿トンネルを歩く。Bくんが車で来てくれ、Tさん宅を再訪。両家は親戚に当たるらしく、おかあさんがBくんの訪問を喜ぶ。
 B君が少年の頃親しんだトウシキの磯などを案内してくれた後、自宅を訪問。お父さんが残した写真集や本が多い。今は広い家が遊んでいる。暇に任せてときどき遊びに来ることにする。また、「大関」でご馳走になる。魚がこんなにうまいものかと思う。しばらく、川越では食べる気がしないだろう。
 (差木地)S君の工場による。彼とも本当に久しぶり。びっくりしていた。
 (間伏)K農園を訪ねるが留守。無人販売のキヌサヤを買う。元町でF先生の自宅を訪ね久闊を叙す。大島高校の先輩同僚で若い頃、よく議論したと懐かしがってくださった。。郷土史家でもあり、『東京の中の朝鮮』という本を作るとき、おたあジュリアのことで仲間が世話になった。お元気でよかった。
 岡田でO君宅に立ち寄った後、東京船で帰路に就く。大島高校のTさんがわざわざ見送りに来てくださっておみやげまでいただく。そういえばこのクラスが夏に大島公園でキャンプしたときTさんが応援に来てくれた。地元の方と結婚し大島高校に42年つとめられた。まもなく引退である。
 1969年3月卒業の「3の1」の人たちを中心に世話になった人々に[無事退職]の感謝の気持ちを伝えることができた。38年ぶりにBくんに会えたことは特に嬉しいことである。島の人たちになじんで、Hくんたちと共に大島の再生のために働いてほしいと思う。
 

大島高校勝ち進む

2007-07-21 21:23:20 | 友人たち
 今日、2時15分から城西高校と対戦した大島高校は打線ふるい、8対1、7回コールドで4回戦に勝ち進みました。相手打線もしぶとく、よくヒットされましたが好投好守で危なげない闘いぶりでした。
 僕は1時45分に大田スタヂアムにつき、シートノックから観戦しました。誰かに会えるかとカメラも持参しましたが知った顔を見つけることはできません。
 4回戦は23日(月)10時から江戸川球場(西葛西)。相手は京華商業。
 大島の応援はいつもながら自然発生的な拍手と声援だけでいかなるリーダーも存在しません。相手側の統制のとれたそれとまことに対照的です。
 大島の応援席にはどの試合でもトランペットで校歌などを演奏してくれるおじさんがいます。風貌も音色も素晴らしい。しかし、応援の人々はこのおじさんの演奏を本当に生かしているだろうか。校歌を演奏しても指揮をする人も立ち上がる人もそして声を出して歌う人もほとんどいません。
 大島からはるばる応援に駆けつけた生徒も父母やOBたちもたくさんいるのです。一人ぐらいおじさんに協力して声を合わせて歌おうと呼びかける人はいないのでしょうか。僕は自然な応援風景でいいな…とはいえません。考えてくれないかなー。

 さて、シードされた文京高校は同じ23日、11時半から神宮球場で4回戦に臨みます。この調子で行くとこの両校がベスト8をかけて25日11時半から、神宮で対戦する可能性が十分。そうなってほしいが、そのときはどこに座ったらいいのだろう。
 大島高校は41年前に僕を雇ってくれた学校であり、大島は第2の故郷です。
 文京は僕が教諭としては最後に世話になった学校です。全校の生徒が退職する僕を拍手と歓声で送り出してくれました。教員生活のはじめと終わりに世話になった二つの学校の生徒たちの対戦。その日が待たれます。
 バックネット裏で一人、両校の生徒たちの活躍に分け隔てなく声援を送るのだろうか。
25日はKさんご夫妻を丸木美術館に案内する日です。僕の66歳の誕生日でもあります。両校が勝ち進んだら、25日を変更させてください、Kさん。


『きいちご』創刊

2007-07-21 06:33:22 | 友人たち
 今朝は小糠雨。2時からの大島高校の試合(太田球場)はどうなるのでしょうか。昨年ベスト8に勝ち進んだ時の興奮を思い出します。一年ぶりの応援に出かけようと思っています。
 先週末、きいちご多文化共生基金の機関誌『きいちご』が創刊され、事務局を担当する僕が発送の仕事をしました。何人かの方から「とどいたよ」とかのメールや寄付をいただきました。
 基金は「在日韓国・朝鮮人生徒の教育を考える会」の終結後、その精神を引き継いで、「中国残留孤児とその家族、脱北帰国者などの支援と多文化共生教育の振興」をめざして設立されました。
 創刊号はA4版20Pの小冊子ですが、育てること生きることの根源に関わる心を打つ文章が並んでいます。5月20日のきいちご移動教室に参加した方々ばかりですが中国からきたブリンさん、李さん、陳さんなどの文章が僕には特に印象に残りました。
 ブリンさんは内モンゴルの出身で、理科の先生の経験を持っている方です。日本での体験をふまえて、次のように問題提起しています。

 異文化の中での教育についてですが、親としてはなに人であることを強調するよりは二つの文化のなかで育つ子どもがいかに幸運であるかということを認識して、その大切さをこどもに知らせることが大事だと思います。
文化は言葉から始まりますので、自分がどの国の人なのかという問題は、子どもの感情にまかせた方がいいと思います。子どもは何語を話して育ったのであれば自分をその国の人だと思うのは当然のことです。
親としては「私たちはアメリカ人だから私たちの生んだ子ももちろんアメリカ人であり、アメリカを愛するべきだ」と思うかもしれませんが、その感情を子どもに押し付けると、子どもが日本の学校で「私は私である」ことを意識する前にとりあえず「私はアメリカ人である」ことを常に意識していかなければなりません。
でも子ども自身は日本に育ったためアメリカより日本にもっと強い感情を持つことが多いです。つまり親が自文化に対しての気持ちを子どもに押し付けることで、子どもは「生まれながら二つの言語、二つの文化を持って育つことはすばらしいこと」というプラス考えより、自国と思う日本でも「異物」、感情の少ないアメリカでも「異物」というマイナス考えのほうが働いてしまうと、劣等感を持ってしまい、所謂異文化適応問題を引き起こしやすいです。
こんな子どもをみて親は「異文化ってたいへん、日本人って難しい」と頭を痛めますが、実は問題がこの国にではない、子どもにではない、親御さん自身の考え方にあります。
子どもを小さいときから広く考えるように教育すると、異文化体験は子どもの人生にとてもプラスになると私は思います。親の背景となる大きな国のことを背負っていくより、「私は私である、二つの文化を持つ、二つの国を愛する豊かな心を持つ私である」ほうがよいではないでしょうか。

子どもに国や民族を背負わせる教育の問題点をこのようにはっきりと指摘し、「私は私である」という子どもの主体性に立脚した教育論に僕は快哉を叫びたくなります。これを読まれた皆さんはどう思われるでしょうか。
 もっとブリンさんのお話を聞いてみたい。意見の交換をしたいと思われませんか。
 そのような「場」を作ろうと思います。それが「きいちご大学」なのです。基金の皆さんとの相談をさらにつづけて今秋には開校させたいと考えています。
 残留孤児やその家族、脱北帰国者のかたがたと交流を持ち、この日本社会をもう少し人間味のある、お互いを大切にしあう社会にしたいなーと思っている方がいたら「きいちご」を読んでください。僕に申し込んでくれればOKです。
 この基金の会員になるには会費はいりません。自分にすこしでも余裕ができたときに、そしてこころが動いたときに1000円程度以上の寄付をすればよいのです。寄付ですから強制ではありません。
 基金では8月に残留孤児の方々との一泊研修旅行を行います。10月14日は第7回きいちご移動教室です。

嬉しい通知簿

2007-07-20 03:07:08 | 父・家族・自分
 19日は2時半から癌研有明病院でN先生から通知簿をもらう日です。
 思い立って、Aさんに電話をし、月島のもんじゃ通りで昼食を一緒にすることにしました。Aさんは月島に住んでいる池商の卒業生で、3年次に僕がHR担任です。突然のことにもかかわらず、小2の娘さんと一緒に「おしお」という店に連れて行ってくれました。ここは同学年だったO君のご両親がやっている店です。
 昨年、AさんやOくんたちがぼくを励ます集いをやってくれたときに、このお店のことを教えてくれたのです。もんじゃ屋さんが軒を連ねる通りの、駅から遠い方に「おしお」本店はありました。もう1時ですが混み合っています。若い人ばかりです。
 忙しく働いている方がO君のお父さんでした。お母さんもわざわざ顔を見せてくれました。ここのもんじゃやさんの草分けで、もとは食堂をやっていたそうです。僕はO君のHR担任をしたわけではないのですが、僕のことを気遣い、日頃から両親にも話してくれていたようです。
 いつもながら突然のことで、会社つとめのO君とは連絡も取れない始末でしたが3人ですっかりご馳走になりました。息子に怒られるといってお勘定をしてくれないのです。再訪を約して急いで病院に向かいました。ご馳走になったからほめるのではありません。昔からの下町の食堂の雰囲気を残す懐かしいお店です。この町の生き字引というべきおじさん(Oくんのお父さん)がいろいろと世話を焼いてくれます。もんじゃファンのみなさん、今度は計画を立てますから一緒にいきましょう。
  おしお本店

 N先生が笑顔で迎えてくれました。骨シンチ検査でも脳のMRI検査でも転移は見られないとのことです。腫瘍マーカーの数値も低く、血液成分も旧状に復したとのこと。「希望が出てきましたか」と聞くと「大いに」と答えてくれました。先生は「君の場合は最初の2年が大事」と言っていました。その2年は12月ですが、先生の口調はいつになくはっきりとしています。高校のクラスメートたちにも僕の口からこの状況を伝えることを約して退出しました。最後はすっかりN君です。嬉しい通知簿でした。
 帰ってから心配をしてくださっているに違いないカツヨシさんとKさんにメールで短い報告をしました。カツヨシさんから早速電話をいただき、僕はもちろん家族3人で喜びと感謝の思いを深くしました。カツヨシさんのメールには大きな字で「慶祝」「啓祝」から始まっていくつかの言語で祝意が表明されていました。Kさんからは「マンセー」。
 皆さんの励ましで元気にこの夏を迎えられます。ありがとうございます。

 高校野球では19日、大島高校が緒戦を突破とのこと。20日は文京高校が3回戦です。シード校だそうです。かつて在職したこの二つの学校がベスト8をかけて対戦するかもしれません。楽しみです。その前にカツヨシさんがいた学校との対戦もあるかも。室戸高校の甲子園いらい、僕の周りでは縁のある学校が大活躍です。また、甲子園に応援に行けるかな。
 夏休みを思い切り楽しめるようにN先生は19日を通知簿渡しの日にしてくれたのです。

原爆の図・丸木美術館

2007-07-18 14:49:29 | 友人たち
 昨年の今頃、僕の快気祝いだといって、丸木美術館の招待券を送られた方がおられます。その招待券の有効期限がこの7月末となっています。まだ活用されていない方はどうぞお出かけください。25日に来られる方の案内をします。よろしかったらごいっしょに。
 存続の危機にあった美術館ですが、たくさんの人が「友の会」会員になってくれたりして、当面何とかやって行けそうです。しかし、学校の団体鑑賞の減少など入場者数は依然改善されていません。
 7日からは丸木スマ展『スマおばあちゃんの夏休み』を開催中です。8月6日は「ひろしま忌」でさまざまな行事があります。この日は誰でも無料です。僕も一日ここで過ごす予定です。詳しいことはHPでご覧ください。
 
 原爆の図・丸木美術館
 丸木美術館学芸員日誌

外国人から主権者へ…在日コリアンに参政権を

2007-07-16 16:20:21 | 在日コリアン
 以下の文章は3月21日、地方選挙に当たり、『朝日新聞(視点)』に投書したのですが「不採用」という通知を受け、眠っていたものです。参議院議員選挙を目の前にして皆さんに読んでいただければ幸いです。ご意見など遠慮なく、書き込んでください。電話やメールでは言いやすいけれどコメントは一寸という方が何人かいますが、発言の練習と思って一行でも書いてみてください。楽しみにしています。


   <多文化共生をめざす>在日韓国・朝鮮人生徒の教育を考える会世話人                         鈴木啓介

 先人の長い闘いが生み出した選挙権や被選挙権を土台にして私たちがあきらめることなく政治参加していくことが独裁政治を生み出さないための必須条件です。
 自分がこの社会のかけがえのない一員であることを自覚し、他者と交流しながら自分の人生観・世界観を創造し点検していく必要があります。自分が自分の主人公になることですから困難でも楽しい人生を切り拓いていくことにつながります。
 このような自覚した個人の生き方こそが、民主主義を支える根源の力であることを肝に銘じておきましょう。

 私は高校の社会科教師として生徒たちにこんな言葉を送り続けてきた。これにはほとんどの方が共感してくれるだろう。その上に立って私は言いたい。
 なぜ、40万人を越す在日コリアンに選挙権も被選挙権も認められていないのか。なぜ、そのことに私たちは無頓着なのか。

 日本の植民地時代にこの地に住むことになった人々とその子孫は世代交代を重ね、今は3世が主流となり4世5世が成育している。
 日本社会はこれらの人々に特別永住という在留資格を与えているが、<外国人>ということで参政権を認めていない。旧植民地出身者とその子孫が何世代にもわたって参政権がないなどという例は世界のどこにもない。日本の民主主義は重大な問題点を抱えているだ。
 この問題を解決するため、2001年自公などの与党案として公表された<特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律案>は、画期的な内容だった。
 第一は在日コリアンに「届け出」による国籍取得権を認めていること。
1952年、サンフランシスコ講和条約の発効に伴い、在日コリアンは一人一人の国籍選択の権利を認められないままに、一斉に〈外国人〉とされ、主権者としての地位を喪失した。
 2001年の法案が法務大臣の「許可」ではなく「届け出」による国籍取得を認めていることは、この歴史的過誤の反省の上に立つものと考えられ、実質的に国籍取得(選択)権を認めたことになる。
 煩雑で人間としての尊厳を傷つけられかねない「帰化」制度によることなく、望めばいつでも届け出によって日本国籍をとれるようになれば、帰化制度に対する批判から国籍取得を躊躇していた人々が決断しやすくなるだろう。
 第二は民族名を名のることを保障していること。従前の帰化手続きではややもすれば日本式の氏を名乗ってコリアンのルーツを消し去ることを求めてきた。また日本の人名漢字に含まれていない姓や名を持つ人は新たに氏を創ったり名を改めたりしなくてはならない。これは民族的尊厳を傷つけ、同化を強いるものと言わざるを得ない。
 この法案はこうした流れとは明らかに違い、民族名を名のり、コリア系日本人(国民)として生きていくことを保障している。
 これだけで誰もが民族名を名のって生きられるほど現実は甘くはないが、差別を許さないとする市民の運動と相まって、コリア系の人々の自覚が高まっていけば李さん、朴さん、金さん、とルーツを明らかにしてコリア系の日本人として活躍する人が国会や地方議会をはじめとして社会のあちこちで増えていくことが期待できる。
 このことは在日コリアンの人権を確立し、日本の民主主義の基礎をより確かなものにするだろうし、また、多民族・多国籍化が進む日本を真の共生社会に導いていくためにさけられない課題ともいえる。
 法案が発表されて6年近く経つのに国会に上程さえされないのは立法府の怠慢というほかはない。今年は選挙の年、民主主義の根本の問題の一つとして議論されることを願う。



有光成徳さん逝く

2007-07-16 07:48:33 | ふるさと 土佐・室戸
4月7日に「Aさんの故郷訪問」で書かせてもらったAさん、有光成徳さんが7月9日に逝かれたと娘さんから報せがありました。88歳。
 僕はつい先日、できあがったばかりの『きいちご』創刊号を有光さんに送ったところだったのです。今日あたりつくはずです。寄付をくださったので小さな文字ですが芳名を掲載させてもらったのです。
 読んでいただくことはできず、残念ですが、自宅で家族に看取られた大往生と聞き、心静かに受け止めることができました。有光のおんちゃん、長い長い、誠実な人生、本当にお疲れさま。どうぞ、ゆっくりお休みください。
 先にも書きましたが遠戚に当たることは知っていても、このおんちゃんには結局、2回お会いすることができただけです。ですからご本人からその人生について伺うことはついにありません。
 しかし、戦後、文部省で長く、視聴覚教育のパイオニアとしての仕事をされた有光さんには『随想的教育論』『随想的人生論』(日本視聴覚教材センター刊)などの読みやすい著作があります。僕は帰郷支援に当たり、娘さんから『人生論』全9巻をいただき、にわか勉強をしただけですが、大学の先輩にも当たるこのおんちゃんはなかなかにおもしろい人です。「おもしろい」等というとおしかりを受ける向きもあるかもしれませんが、文部省の役人というイメージとは違う匂いが伝わってきます。
 僕は枕辺にいろいろな本を積んで、気の向くままに読んでいるうちに(すぐに)、寝てしまうのですがおんちゃんの本もそうした運命をたどっています。短い文章(このブログの一つくらいか)なのでちょうどいいのです。おんちゃんは学識が深いのですがひけらかすところがなく、ああそうなのか、と素直に知識も入ってきます。(でも、すぐに忘れます)。これからも、こうやって、有光のおんちゃんと出会って、すこしはその人生を理解することが出来るかもしれません。
 有光のおんちゃんの故郷訪問の応援ができ、喜んでもらえて本当に良かった。娘さんやお孫さんにルーツの地・土佐の風光を楽しんでもらえたことも嬉しい。
 きめ細かい心遣いをしながらおんちゃんの介護をつづけ、看取られた娘さんたちに心から敬意を表します。

朴保コンサートin 室戸(2)

2007-07-15 10:00:52 | ふるさと 土佐・室戸
 <けんちゃん>のブログを読んでいただけましたか。嵐が近づいている13日、仕事のやりくりをして、高知市から室戸まで90KMの道のりをものともせず、彼は朴保のコンサートに駆けつけたのです。熱心なファンならともかく、知り合ってまだ日も浅いメル友のカツヨシさんの勧めに従ったのです。見ず知らずの歌手の公演に、ならば行ってみるか、と行動する<けんちゃん>という方はどんな人でしょうか。僕はただただ、敬服するばかりです。
 終わった後も、その日のうちに直ちにブログにレポートを掲載し、生き生きとコンサートの様子を伝えてくれます。この行事を主催した室戸市の担当者の方々は、真っ青になっていることでしょう。市民の税金を使って、差別の克服のために企画した大切なコンサートの様子を、室戸市民でもない方がさっさと市民に伝えたのですから。今頃は、仕事にしている自分たちは、DVDでも作って市民に見てもらうぞ、ということで巻き返しに出ているのかもしれませんが。地元の高知新聞の記者やTV局の記者はどうしたのでしょうか。
 <けんちゃん>に心を込めてメッセージを送った、カツヨシさんは<けんちゃん>の行動に感動してその喜びを僕に伝えてくれました。<けんちゃん>に朴保を知ってもらったことが本当に嬉しいのです。だから、<けんちゃん>が「実際に聞いてみて何とか都合つけて来て良かったなとは思いました。」という言葉を強く意識しています。「とは」の「は」の持つ意味を知りたいのです。
 カツヨシさんは高校の「国語」(日本語)の教師です。文字通り、言葉で生きている方で、言葉を大切にします。言われてみて、気づく僕とは違います。
 カツヨシさんと僕は1980年に朴保という歌手が誕生したときからのサポーターです。この歌唱力の優れた歌手がすこしでも人々に知られ、人々を励ます存在になることを願い続けてきました。ですからこの歌手に関わることはどうしても人ごととは思えなくなったのです。<けんちゃん>をはじめ、この公演を聞いた方々の率直な意見、感想に耳を傾けたいゆえんです。

 「朴保への道」というHPがあります。

朴保コンサートin 室戸

2007-07-14 09:54:53 | ふるさと 土佐・室戸
 台風の近づく室戸の海は素晴らしい。ながめていて飽きることがありません。その室戸で13日、朴保(ぱく・ぽー)さんのコンサートがありました。差別をなくす運動の一環として室戸市が主催し、市内の全中学生と市民が参加したそうです。そのときの様子を報告しているブログがあります。とりあえず、ごらんになってください。

  「朴保(パクポー)さんトーク&ライブin室戸」
    @けんちゃんの吠えるウォッチング