川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

さよなら原発・川越デモ

2012-11-30 08:59:20 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

11月29日(木)晴れ

午後2週間ぶりに散歩。落ち葉を踏みしめる感触が心地いい。フクシマの故郷に帰れない人々、散歩どころではない人々のことを思う。

  

原発事故後も何もなかったかのように「憲法改正」「集団的自衛権」、はては「核武装」などと吹聴する連中を持ち上げるマスコミ、選挙で彼らを応援する創価学会―。いろいろな人の顔が浮かんでは消える。創価学会の若い友人たちはそれでも小選挙区では自民党に投票するのだろうか?

 夜になって森ゆう子さんが「未来の党」の副代表になるとのニュースが流れた。嘉田さん・森さん、これはベストの布陣だ。問題は比例区の候補者だ。2日の発表で名も実もある人々が北海道から九州まで各地の比例区に一人ずつ立候補してほしい。四国だと窪川原発を止めた島岡のおんちゃんがいいかなあ。

 「脱原発」派にとって後がない絶対に勝たなければならない一戦である。

 12月1日は「川越デモ」の日である。僕も楽しみにしていたがクラス会と重なってしまった。銀座の会の終了後、駆けつけられれば少しは一緒に歩けるか。

 

12月1日(土)第4回 さようなら原発・川越パレード開催。川越駅東口緑地公園15時集合 15時半出発 コースは前回と同じ。約1時間。 川越から脱原発の声を挙げましょう!


「人を得た」喜び 嘉田さんとともに闘おう

2012-11-29 12:49:35 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

 今朝(29日)はびっくりするやら、うれしいやら。「川越だより」を見てくれた人がふだんの10倍もいたという。

2012.11.28(水) 3538 PV 2630 IP 82 位  / 1792559ブログ
2012.11.27(火) 807 PV 376 IP 1992 位  / 1792039ブログ

 びわこ宣言を発して「未来の党」を創った滋賀県の嘉田知事の決起は僕と同じように「脱原発」を願う人々に希望が残されていることを教えてくれたからであろう。衆院選の公示まで日はない。私たちも日々を大事にしてできることをやっていこう。


 

11月28日(水)曇

 寒い日だったが「きいちご移動教室」のバス代を払い込みに行った帰りに「小宮山泰子」さんの事務所を訪ねた。小宮山さんは「自由党」の時代から小沢一郎さんと政治行動をともにしてきた人で、「国民の生活が第一」の中ではもうベテラン議員ということになる。

 3年前の鳩山政権時代に一度お会いしてもらったことがある。そのときは在日コリアン特別永住者に国籍選択権を認める特別法の制定に協力をお願いした。当時民主党は「外国人地方参政権」一本やりで話を聞いてくれたのは小宮山さんだけだった。(地元選出の某参議院議員にいたっては政権党になるや約束を覆し、「協力できない」と一有権者に会うことさえ断ってくるという始末だった。)

 事務所では打ち合わせ中?のようだったが秘書の方が応対してくれた。「未来の党」への合併・移行手続きが進行中でビラの印刷もままならないという。町内にビラの配布くらいはできるかと思っていたがそれも公示日以後に配布する法定ビラまでは無理なようだ。(法定ビラは知友に会った際に渡せるビラで、不特定多数への配布はできない。)

 勝手な応援を申し出て帰ろうとしたら泰子さんのお母さんが出てきて丁寧な挨拶をしてくれた。夫の故・重四郎さんは自民党田中派の一員で僕には縁のない方だった。何十年かの後に娘さんの応援をしようとはその頃には想像だにできなかった。「がんばってください」。心からの言葉を返して握手しておいとました。

 それにしても「小沢一郎はエライ」。そう思った。嘉田さんの新党創立決断に直ちに解党・合流で応えた。新党では役を求めず一兵卒に徹するとか。

 僕は「己を殺して心ある政治家の総結集に政治生命をささげられよ」と書いたばかりだが、こんなことができる人が他にいるとは思えない。政治家としては経験の少ない嘉田さんにすべてを託したのである。この人の資質と政治力を見抜いたのであろう。窮余の一策には違いないがたいしたものだ。

 選挙戦をたたかうどの陣営も看板の付け替えであわただしいことだろう。しかし、「脱原発」派の政治勢力がようやく誰の目にも見えるようになってきた。相変わらず揶揄的な目に変わりはないがマスコミもこの勢力を無視するわけにはいかなくなった。民自公も「脱原発」の民意におびえざるを得なくなった。

  数年前の高知県東洋町の町長選挙を思い出す。核のゴミの処理場建設阻止のために澤山保太郎という人が担ぎ出されて勝利した。澤山さんはもともと隣の室戸市の市会議員だった。澤山さんは「時を得」、東洋町は「人を得」たと納得したものだった。

 今、嘉田由紀子という人を得て私たちの「脱原発」の国是を確立する選挙戦の舞台は整ってきた。

 嘉田由紀子という人について少し勉強しただけだがこの人の「卒原発」は決して付け焼刃ではない。琵琶湖に惹かれた少女期からのこの人の人生そのものの発露なのである。「いい人を得た」と僕は心から思い励まされている。嘉田さんを先頭に押し立てて確信を持って闘おう。

 

 

 

 

             
            

                                                                                          


「びわこ宣言」を支持し、ともに闘わん。

2012-11-28 10:22:45 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

 11月27日(火)晴

 滋賀県の嘉田由紀子知事が「びわこ宣言」を発し、「日本未来の党」を設立しました。「びわこ宣言」には京セラ名誉会長の稲盛和夫、音楽家の坂本龍一、俳優の菅原文太、ジャーナリストの鳥越俊太郎、脳科学者の茂木健一郎さんらが賛同しているそうです。

 琵琶湖の見えるホテルで記者会見する嘉田知事の画像をyoutubeで見て、遅まきながらもこういう人が現れて「脱原発」の選挙戦を闘う態勢が整い始めたことを喜びました。脱原発!をめざす市民勢力・政治勢力が総結集してなんとしても次代の要請に応えなければなりません。

  嘉田知事の記者会見●http://www.youtube.com/watch?v=ePdIRZfl9ao


平成24(2012)年11月27日

びわこ宣言

政治は未来をつくるもの。
右か左かではない、私たちが目指すものは日本の未来の安心。

国民のみなさんに日本の未来を選択する、その選択肢を提示したい。

国政への危機感、中央集権体制を変え、現世代につけまわしをしてきた旧体制を変えなければならない。
3.11後初の国政選挙であるにもかかわらず、「原発のない社会」に向けての議論は不透明のまま。自民党はこれまで原発の安全神話をつくり、事故への備えを怠たり福島事故に対する反省は一切なく、原発推進ともとれるマニフェストを発表。

福島の事故は、放射性物質を大気や水中に広げることで地球を汚した、この重い責任を感じることなく、経済性だけで原子力政策を推進することは、国家としての品格を失い、地球倫理上も許されないことである

原発事故の潜在的リスクが最も高いのは老朽化した多数の原発が集中立地する若狭湾に近い滋賀県、琵琶湖である。琵琶湖は近畿圏1,450万人の命の水源であり、その琵琶湖をあずかる知事として、このまま国政にメッセージを出さないことは、これまで琵琶湖を守ってきた先人に対しても、子や孫に対しても申し訳が立たない。

今、ここに、国民のみなさんの信頼を取り戻し、国民のみなさんが希望を持つことができる、未来への選択肢となる新しい政治の軸を立てる「びわこ宣言」を行います。未来を拓く新しい政治を始めましょう。(以下略)

出典●http://blog.goo.ne.jp/ko212km/e/7baa0599f2f1ae6ffd90bf6089dd6603


 

 嘉田さんは近隣の熊谷女子高校の生徒会長だったという。高校生のときに琵琶湖の魅力にとりつかれ、京大農学部に学んだあと、琵琶湖学者から琵琶湖を守る滋賀県知事になった。その方が「卒原発」を主張して国政をリードする。当然といえば当然、日本はようやく人を得たか。

 このブログで何度も書いたことだが「フクシマ」は「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ」に並ぶ人類史を画する大事である。 今ここで原発にはっきりとNO!と宣言しなければその災厄は人類は言うに及ばず生きとし生けるものの生存にかかわる。

 「消費税」も「TPP」も「原発」に比べたら小事だ。「いのち」が大事。

右も左も未来に責任を感じるものは「脱原発」を闡明し、新たな政治勢力の結集に力を貸そう。

 嘉田さん、がんばれ!菅原文太さん、坂本龍一さんらは「未来党」から比例区に立候補されよ。それが今このときに望まれている。

 小沢一郎さん・亀井静香さんらのベテラン政治家にとっては最後の「ご奉公」。己を殺して心ある政治家の総結集に政治生命をささげられよ。

 僕も超微力ではあるが、埼玉7区・「日本未来の党・小宮山泰子さん」の当選を願って勝手に行動する。

 都知事は愛媛の僻村でうまれたという「宇都宮健児さん」。 

 


タルセバの効能つづく

2012-11-27 08:42:14 | 病状

11月26日(月)曇雨

 2時前癌研有明病院で西尾誠人医師の診断がありました。「血液検査にもレントゲンにも目立った変化は見られない。ここまま抗がん剤タルセバの服用を続けましょう」。次回検査・診断は12月26日です。

 タルセバに効能があり、小康状態が続いているということです。目だった副作用もありません。ここまま穏やかに年を越せるかな。

7年前(2005年)の今頃はあわただしい日々でした。

 11月16日(水)公立学校共済組合関東中央病院より職場への電話で「ガン」告知。

     17日(木)癌研有明病院で診察を受ける。

     22日(火)癌研CT検査

     24日(木)癌研気管支鏡検査

     28日(月)癌研PET検査

 12月1日(木) 癌研有明病院呼吸器外科中川健医師の診断

     2日(金)勤務先の学校で病気休業のための諸手続き。

     7日(水)入院

     9日(金)左肺摘出手術

     23日(祝)退院

 旧友にすべてを託せる幸せな患者ですが、手術の夜から退院まで眠られない日々が続いたことを思い出します。本人が自覚する以上に身も心も緊張していたのでしょう。

 5年生存率30%といわれました。

 抗がん剤治療が続き副作用の後遺症がいろいろあるとはいえ元気に手術から7年の日を迎えられそうです。

12月1日には高校のクラス会があります。主治医・執刀医であった中川くんにも会えるでしょう。喜んでもらえるのが何よりです。


 

 滋賀県の嘉田知事が脱原発諸党派を糾合すべく努力中というニュースがありました。かすかな希望。

 

 


姫花ちゃんの黄色いハンカチ 塩屋崎土産

2012-11-26 07:45:31 | 友人たち

11月25日(日)晴れ

 昼前、良子さんと菜穂子さんが遊びに来てくれました。良子さんは県北の寄居から、菜穂子さんは東京の赤羽から。二人は1984年4月、15歳の春、池袋商業入学以来の友人同士です。去年は二人して、級友・西田くんの墓参りに同道してくれました。

 先日のいわきへの移動教室にも参加してくれた菜穂子さんが良子さんへのお土産を披露してくれました。

塩屋崎で大津波の写真展をしていた山六というお土産屋さんで手に入れたハンカチでした。

鈴木姫花ちゃんという小学生の描いた塩屋崎灯台の絵が楽しい。説明書が添えてありました。

心をうたれ、写真に撮りました。 

  

4年生だった姫花さんは震災の犠牲になってしまったのです。

僕も妻もこのお店には下見を含めて二度は寄っています。しかし、「姫花ちゃんのハンカチ」には気づかなかったのです。移動教室の参加者でも気づいた人はほかにはいなかったのではないかと思います。レジのところにさりげなく置いてあったといいます。格別の宣伝は何もなかったのです。

 「さすがに菜穂子の目は違うなあ」。移動教室ではいつも「子ども担当」をやってくれる人です。

僕も塩屋崎に飛んで「姫花ちゃんの幸福の黄色いハンカチ」を買って来たいなあ、そう思っています。

妻が「五目寿司」をご馳走してくれました。5時過ぎまで互いの人生の話を交流しました。悔しいことも、恥ずかしいことも話し合える友だち、ありがたい半日でした。

鈴木姫花ちゃん●http://www.hibinoshinbun.com/files/201/201_toku1.html

 

 

 


12月14日、新潟に行きませんか

2012-11-25 07:21:37 | 韓国・北朝鮮

11月24日(土)晴れ

 寝たりおきたりの一週間でした。おかげで大事に至らず、来週になれば外出もできるようになるでしょう。

12月14日、新潟港追悼集会のビラが届いたので数人の友人に送りました。

命からがら北朝鮮を脱出してきたKさん一家との交流が始まってから「新潟港追悼集会」には欠かさず参加しています。国境の川を渡るとき、支援してくれた人は警備兵に撃たれて死亡したといいます。今、東京で日々を精一杯に生きているKさんと娘さん一家を見ているとどなたも元気溌剌です。でも、心のうちにたまっている悲しみや怒り、苦しみや不安は僕の想像を遥かに超えるでしょう。よくも耐えていきておられると思います。この方たちの家族の再結合!それが今の僕の最大の願いです。

 1959年12月14日以来、北朝鮮に渡った10万人近い在日朝鮮人と日本人妻。50年以上もかの地に幽閉され、社会の最底辺に押し込まれています。日本を夢見ながら亡くなった人の魂は追悼されることもなくさまよっているに違いありません。

 新潟港追悼集会では善光寺の3人のお坊さんがお経をあげてくれます。無念の思いが鎮められるでしょうか。

僕はこのような集いを思いついて実行する坂中英徳さんは偉い人だなあと思います。無念の思いを秘めたまま亡くなった人々を思い、生きている人々の帰還、自由往来を実現しようとしているのです。

日本人妻の帰国に道を拓くことができれば膠着したままの拉致被害者の救出にもつながるかもしれません。幽閉されたままの在日コリアン帰国者の自由往来にも希望が出てきます。

友人たちの協力を願うしだいです。特に在日コリアン、コリア系日本人の奮起を望みます。本来なら「朝鮮総連」が主催してやらなければならないことです。

僕にできることは毎年欠かさず参加するぐらいのことです。ここのところは「司会」の役が回ってきたので少し、緊張します。三河に嫁いだ娘とコリアンの旧友二人が東京駅から同道してくれるというので心強さを感じています。

参加希望の方が居られたら連絡をお願いします。中央埠頭への出入りには港湾管理局への届出が必要なのです。keisukelap@yahoo.co.jp


都政を「脱原発」へ!宇都宮さんの勝利めざし協力しよう

2012-11-24 11:36:28 | 政治・社会

11月23日(祝)曇雨

 「肺炎」を警戒して「静養」の一日です。勝義さんから元気な声が届いて一安心。12月には横浜で「快気祝い」をやれそうです。


 

29日公示の都知事選挙に立候補する宇都宮健児さんの選挙事務所開きがあったそうです。

  宇都宮けんじ東京都知事選挙予定候補 事務所
   新宿区四谷3-3 エスパス・コンセールビル2F
   ※東京メトロ丸の内線「四谷3丁目」駅2分
地図:http://goo.gl/maps/Uj7Xe
TEL: 03-5312-7971 FAX: 03-3351-9903

 なんと「エスバス・コンセールビル」。故・金敬得弁護士のウリ法律事務所がこのビルにあってよく通ったものです。「民族共生教育の確立をめざす東京連絡会」の会合、94~03年。金さんや僕の病気などで「会」は活動停止に。この頃から処分を振りかざした国歌強制がまかり通るなど石原都政下の学校の荒廃は目に余るばかりです。

宇都宮さんを都知事にする闘いがここを根城にするのか。

脱原発を願う全国民の声を結集して「宇都宮都知事」をなんとしても実現させたいものです。 

宇都宮けんじ立候補予定者。とつとつとした語り口で都知事選への意欲を述べた。=14日夜、中野ゼロホール。写真:田中撮影=

僕は宇都宮さんのことはよくは知りません。「脱原発」の市民運動を粘り強く続けてきた人々が押し出す形になったようです。立候補を決断してくれた宇都宮さんに敬意を表します。

「脱原発」にイデオロギーはかかわりありません。「命が大事」というただ一点で力をあわせることができれば必ず勝利することができます。

がんばりましょう。

 27日(火)日比谷公園集会http://utsunomiyakenji.com/pdf/20121127hibiya_yaon_shukai_flyer.pdf

 

 


ともだちINいわき(続)

2012-11-23 13:04:11 | 中国残留日本人孤児

11月22日(木)はれ

咳は収まってきたものの肺炎を警戒して一日中寝たり起きたり。

山野さんの送ってきてくれた移動教室の写真を眺めているといい友人たちと出会えた喜びがじわっとにじみ出てくるような心地がする。

写真: 白水阿弥陀堂

 次の写真の最右翼が山野さん。最左翼は同室の林さん。真ん中は林祐子さん。もともとは「薩摩おごじょ」。

下の写真右から二番目は山田さん。中国から帰ってきて溶接の技術を身につけて働いてこられた。苦難の人生を前向き思考で切り拓いてきたことがカラオケの数々の歌でよく理解することができた。

 

 


ひなたなほこさん、柏でワンマンショー

2012-11-22 07:01:16 | 友人たち

11月21日(水)晴れ

妻の風邪はよくなってきたようです。台所仕事はできないが手芸は始まりました。僕のほうは咳と微熱。「タルセバ」服用に伴う「間質性肺炎」を警戒して療養に努めています。

 山野さんからいわきの海の写真が届いたので昨日のブログに貼り付けました。ごらんになってください。

 ひなたなほこさんがワンマンショウをやるそうです。遠い昔、僕の生徒だったN子さんの娘さんです。

どんな歌を歌っているのだろう?暖かい午後のコンサートにお母さんを誘って見に行こうと思いはじめました。柏方面の皆さん、よろしくお願いします。

 

ひなたなほこさん:歌の好きな子供たち、年明けライブに招待−−柏 /千葉

毎日新聞 2012年11月16日 地方版

 「ひななっちゃん☆」の愛称で親しまれるシンガー・ソングライターのひなたなほこさんが、歌の好きな子供たち400人を、来年1月に柏市で開くワンマンライブに無料招待する。柏をテーマにした自作の曲を歌い、ラジオパーソナリティーや演技講師もこなすマルチタレントのひなたさん。「感性を育むライブを子どもに見せたい」との思いで企画した。

 東京都荒川区出身。父が柏市内の高校教師をしていたため、同市を訪れる機会が多く、「若者の街」として発信力のある柏の魅力にひかれた。5年前、舞台女優からシンガー・ソングライターに転身し、柏市を拠点に音楽活動を開始。柏をテーマにした曲「柏シワ」を作り、保育園や幼稚園30園を回って子供とふれあってきた。

 持ち歌は、牛どん、肉まん、チーズケーキといった食べ物などをテーマにしたコミカルなものばかり。独特の雰囲気で楽しいライブが特徴という。

 来年1月5日にアミュゼ柏クリスタルホールで開くライブに、小学生から高校生まで400人を無料で招待する予定。すでに100席は決まり、残る300席分を募集中だ。

 無料ライブの運営費は、同日に有料で行う夜の部(当日2900円)の売り上げと協賛金でまかなう。ひなたさんは「自分の歌を聴いて豊かな心を育み、将来目標を持つような前向きな気持ちになってほしい」と話している。問い合わせはメール(hinata.kikaku2011@gmail.com)で。【橋本利昭】


「黙祷」 漢詩七篇

2012-11-21 09:29:01 | 中国残留日本人孤児

11月20日(火)晴れ

疲れが出たのか妻は風邪でダウン。僕も咳が出るので日差しの暖かい部屋に閉じこもり。

幼少青壮年期を中国で過ごした山野文雄さんが「きいちご移動教室」で生まれた詩を届けてくれました。(第2弾)。漢詩を読む力がない僕でも場面場面を思い出して山野さんの感慨をいくらかは想像することができます。

 

 

旅は道連れ 世は情け
 
 
秋色のいわき海岸
東日本大震災 鎮魂の旅
移動教室 2011.11.17-18
 
 
雑詩一組
 
 
    『化石館』
 
 
逾越億万年 遠古不得見
幸有化石在 略微知端睨
 
 
 
 
    『誠実』
 
 
古海首長龍 発現高中生
権威不剽窃 青史留英名
 
 
 
    『礦山』
 
 
常磐有炭田 地下六百米
模擬坑道中 体験歴史辛
 
  
 
 
 
    『ゆったり館』
 
 
磐城湯元之地 健康温泉設施
研修宿泊交流 寛敞悠舒適
人与自然融和 風呂管理厳謹
看山望海観覧 癒慰旅者身心
 
 
 
           『脚印』
 
薄磯浜灘留脚印 潮来海浪又抹平
津波爪痕今猶在 家屋残基留至今
 
 
    『黙祷』
 
 
うすいその   
はまべに むらは 
むじょうつなみ
 
 薄磯浜海地
 和寧村落頃劾消 
 無情大津波
 
 
 
 
 
    『三崎潮見台』
 
登台遠眺太平洋 波涛滾滾無邊際
陽光潾潾沐海風 祷念世間求太平
 
 
 
        2012.11.19

漢詩 『南無』

2012-11-20 06:19:48 | 中国残留日本人孤児

 11月19日(月)曇

 急な寒さで体がついていけません。暖房を入れた部屋のコタツで一日を過ごしました。あれこれと移動教室の残務整理をしていると入院中の勝義さんから電話があり、旅の報告をして喜んでもらいました。

 移動教室の「生徒」である山野文雄さんが早速「感想文」を送ってくれました。僕とは同(おな)い年の「中国残留日本人孤児」です。毎回、機関誌『きいちご』に漢詩や俳句を寄せてくれます。今回からは今までのようには『きいちご』を出せないので、とりあえず、皆さんに紹介させてもらいます。

 

鈴木先生 こんにちは
 
 
元気的なお姿を見られて、本当に嬉しいです。でも、移動教室の担任として、実にお疲れ様でした。心から感謝致します。
今回の旅につきまして、簡単的な感想文もできました。粗末のうたなのに、差し上げます。宜しくお願いいたします。
 
 
移動教室は、今回こそ最終回になりましたけど、参加者たちに対し、相当的な意義が持つ活動なので、皆さんとともに、続けて欲しいと存じております。理念の趣意を保っている先生たちの努力を期待しております。
 
 
           2012.11.19
 
 
 
 
 
     感想文
 
 
 
漢詩   『南無』
 
 
白水阿弥陀堂 福島建築国宝
源泉敬造供奉 閲世已近千載
 
 
本尊阿弥陀像 観音勢至菩薩
持国多聞天王 極楽浄土庭園
 
 
木莓移動教室 終回磐城旅行
鎮魂震災犠牲 礪志復興精神
 
 
細雨滌塵紅葉艶 堂前禅境心霊清
双手合掌誠祈祷 蒙難逝者昇蓮浄
 
 
       2012.11.17
 
 
 
 
俳句 『うみ』      漢俳 『海』
 
 
しおやさき   (空間)  塩屋崎灯台
いくとしつきや (時間)  悲喜歳月幾春秋
みだれがみ   (人間)  髮乱情意濃
 
 
       2012.11.18
 
移動教室は最終回となりましたが一日目のHRで「きいちご散歩教室」「きいちご温泉旅行」などを来年から工夫しながら行うことを決めました。
 

ともだちINいわき

2012-11-19 16:00:43 | 友人たち

11月17日(土)曇雨

 きいちご移動教室一日目。石炭・化石館の庭で昼食・見学のあと、白水阿弥陀堂へ。時雨で紅葉がいっそう美しく、まさに極楽浄土の風情です。

 3時にはいわきゆったり館に入り、温泉・温水プールを堪能しました。どなたもがゆっくり、ゆったりのときをすごして喜んでくれました。

一年前に出会った菜南ちゃんとゆいちゃんが再会を喜んでくれました。学校の運動会で秋の「富士山の旅」に参加できなかったのです。

左は菜穂子さん。15歳のときからの長い付き合いです。こども係りを買って出てくれます。

18日 快晴。テルテル坊主の効果てき面。薄磯海岸の村で津波の犠牲者に黙祷。涙が流れたと語る方も居られました。

塩屋崎を望む美しい砂浜のある村です。

②泉田さんと洋子さん。北高時代の先生と生徒。どちらも「残留孤児2世」です。

③塩屋崎の「みだれ髪」の歌碑のところで菜穂子さん。帰りのバスのカラオケ大会で見事な声を披露してくれました。であって30年近くになりますがびっくりする絶唱です。司会の小綿さんが「美空ひばり」がよみがえったか、といっていました。心優しい娘が力強さを身に付けて来たのか。

④捷蔵さんと精さん

「泳いだり、温泉に入ったり、帰国して初めてゆったりした」。捷蔵さんは僕の兄貴分です。石炭化石館で見た「炭住の井戸端の洗濯板のある風景」がいたく心に残ったといいます。幼い日、お母さんの記憶につながる風景です。精さんが同室になってくれて弟分が増えた、かな。

 ⑤三崎公園を散歩している河本さん(近所の「家園」の秋子さんのお母さん)と中村さんにあいました。二人は僕の故郷・土佐に行きたいといってくれます。元気なうちに計画を立てなくちゃ!

⑥高柳教授

 「東京の中の朝鮮」を監修してもらったあたりから、世話になっています。三崎公園の潮見台の天辺。このあと、高柳さんの愛帽は風に舞って太平洋へ。

三崎公園の芝生の上で昼食会を楽しんだ後、小名浜港でお土産を買って帰途に就きました。僕は移動教室の「先生」ですから写真を取っている余裕は余りありません。やがて友人たちが撮った写真を送ってくれることでしょう。

 

 

 


旅は道連れ 最後の移動教室

2012-11-17 04:32:05 | 中国残留日本人孤児

11月17日(土)

「いよいよ最後のきいちご移動教室ですね。
富士山は行けなかったので、今回の移動教室を母子共に楽しみにしております。
宜しくお願いします。」

 足立区のMさんからメールをもらいました。小学生の菜南さんのお母さんです。

そうです。今日は「最後の」移動教室です。6時にMS観光の車庫を出発します。クイズの賞品やお弁当作りで妻は昨夜遅くまで働いていました。おかげで「準備万端」です。

 今日は雨になるかも知れません。昨日のうちに「雨降りコース」に設定しなおして、関係方面に知らせました。大震災で被災した海岸部は天気が回復する日曜日に訪ねます。

 17日(土) 日暮里=いわき湯本IC~石炭・化石館(昼食)~白水阿弥陀堂~いわき・ゆったり館

   早めに常磐炭鉱跡の宿について温泉をゆっくり楽しみます。

 18日(日) ゆったり館~いわき市薄磯(被災市街見学・黙祷)~塩屋崎(津波写真展見学)~三崎公園(昼食・潮見台・マリンタワー)~小名浜港・いわき・ら・ら・みゅう(お土産買い物)~勿来IC=日暮里

 夕方、勝義さんから電話でメッセージが伝えられて来ました。「脱腸」手術のため本日入院です。

 「次々と難題に直面していますが挫けることなくこれからも自分にできることを見つけてやっていきます。皆さんも困難を一つ一つ克服して人生を切り拓いてください。また、お会いできる日を楽しみにしています。」

 「校長」を「病欠」で欠いた移動教室となりました。残念至極、さびしい限りですが、充実したときをすごしてたのしい報告ができるように最善を尽くしたいと思います。

 今回の僕の『説教』は「旅は道連れ、世は情け」とします。幼い日、カルタとりで覚えた言葉です。

中国残留日本人孤児・脱北帰国者の皆さんと出会い一年に二回旅をともにしてきました。「移動教室」はこれで終わりですが生ある限り、助け合って人生のたびを続けていきます。


12・14『あの日を忘れない!新潟港追悼集会』

2012-11-16 05:08:04 | 韓国・北朝鮮

11月15日(木)晴

 横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから今日で35年になるそうです。1977年といえば「在日韓国・朝鮮人生徒の教育を考える会」を創って3年目、在日コリアンの子どもたちが出自を隠さざるを得ないような学校の現状を変えなければと一生懸命でした。北朝鮮の政府が日本人を拉致しているなどとは想像もしなかったことです。僕がこのことにきちんと向かい合うようになったのは2002年9月17日以来です。25年も気づかなかったり、うすうす気づいてからも知らん振りをしていたのですから、めぐみさんにもご両親にも申し訳ないことです。

 モンゴルで日朝局長級協議が始まったそうですが、国民が一つになって奮い立たなければ拉致被害者を取り返すことはできません。

 今年も「あの日を忘れない!新潟港追悼集会」を開催するとの知らせがありました。

 

「あの日を忘れない」新潟追悼集会(第4回)

●開催日:12月14日(金)13時~14時

●場所:新潟市新潟港中央埠頭

●追悼法要・政府への要請文決議など
●主催:一般社団法人 移民政策研究所日本人妻等定住支援センター(代表:坂中英徳)
●協力:平和を願い行動する僧侶の会(代表:善光寺徳行坊若麻績敬史)

1959年12月14日に在日コリアンの「北朝鮮帰国」第一船が新潟港を出港しました。今日から見れば「壮大な拉致」ともいえる民族の大移動でした。多くの人の消息が不明です。強制収容所送りになった人も少なくありません。

 随伴した日本人妻の大半がもはや死亡したと考えられます。無念のうちになくなられた方々を追悼する法要を行います。そして北朝鮮に幽閉されているすべての日本人の救出への決意を表明します。

私たちはこの集いに毎年協力してきました。今年も愛知に嫁いだ娘ともども参加します。

皆さんがご都合をつけて参加してくださることを呼びかけます。


 

 参加ご希望の方は11月30日(金)までに主催団体に連絡してください。
ご芳名:
ご住所:
電話番号:
メールアドレス(あれば):

新潟港湾管理事務所へ届け出の為、上記の情報が必要になります。
お手数をおかけいたしますが、
参加ご希望の方は必ず連絡をお願い致します。

皆様方のご参加をお待ちしております。

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JIPI 一般社団法人移民政策研究所
事務局

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