今朝(29日)はびっくりするやら、うれしいやら。「川越だより」を見てくれた人がふだんの10倍もいたという。
2012.11.28(水) |
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びわこ宣言を発して「未来の党」を創った滋賀県の嘉田知事の決起は僕と同じように「脱原発」を願う人々に希望が残されていることを教えてくれたからであろう。衆院選の公示まで日はない。私たちも日々を大事にしてできることをやっていこう。
11月28日(水)曇
寒い日だったが「きいちご移動教室」のバス代を払い込みに行った帰りに「小宮山泰子」さんの事務所を訪ねた。小宮山さんは「自由党」の時代から小沢一郎さんと政治行動をともにしてきた人で、「国民の生活が第一」の中ではもうベテラン議員ということになる。
3年前の鳩山政権時代に一度お会いしてもらったことがある。そのときは在日コリアン特別永住者に国籍選択権を認める特別法の制定に協力をお願いした。当時民主党は「外国人地方参政権」一本やりで話を聞いてくれたのは小宮山さんだけだった。(地元選出の某参議院議員にいたっては政権党になるや約束を覆し、「協力できない」と一有権者に会うことさえ断ってくるという始末だった。)
事務所では打ち合わせ中?のようだったが秘書の方が応対してくれた。「未来の党」への合併・移行手続きが進行中でビラの印刷もままならないという。町内にビラの配布くらいはできるかと思っていたがそれも公示日以後に配布する法定ビラまでは無理なようだ。(法定ビラは知友に会った際に渡せるビラで、不特定多数への配布はできない。)
勝手な応援を申し出て帰ろうとしたら泰子さんのお母さんが出てきて丁寧な挨拶をしてくれた。夫の故・重四郎さんは自民党田中派の一員で僕には縁のない方だった。何十年かの後に娘さんの応援をしようとはその頃には想像だにできなかった。「がんばってください」。心からの言葉を返して握手しておいとました。
それにしても「小沢一郎はエライ」。そう思った。嘉田さんの新党創立決断に直ちに解党・合流で応えた。新党では役を求めず一兵卒に徹するとか。
僕は「己を殺して心ある政治家の総結集に政治生命をささげられよ」と書いたばかりだが、こんなことができる人が他にいるとは思えない。政治家としては経験の少ない嘉田さんにすべてを託したのである。この人の資質と政治力を見抜いたのであろう。窮余の一策には違いないがたいしたものだ。
選挙戦をたたかうどの陣営も看板の付け替えであわただしいことだろう。しかし、「脱原発」派の政治勢力がようやく誰の目にも見えるようになってきた。相変わらず揶揄的な目に変わりはないがマスコミもこの勢力を無視するわけにはいかなくなった。民自公も「脱原発」の民意におびえざるを得なくなった。
数年前の高知県東洋町の町長選挙を思い出す。核のゴミの処理場建設阻止のために澤山保太郎という人が担ぎ出されて勝利した。澤山さんはもともと隣の室戸市の市会議員だった。澤山さんは「時を得」、東洋町は「人を得」たと納得したものだった。
今、嘉田由紀子という人を得て私たちの「脱原発」の国是を確立する選挙戦の舞台は整ってきた。
嘉田由紀子という人について少し勉強しただけだがこの人の「卒原発」は決して付け焼刃ではない。琵琶湖に惹かれた少女期からのこの人の人生そのものの発露なのである。「いい人を得た」と僕は心から思い励まされている。嘉田さんを先頭に押し立てて確信を持って闘おう。