川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

希望はここにある 6・29首相官邸前

2012-06-30 08:59:14 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

6月29日(金)☼

 6時過ぎから首相官邸を斜め前に観る衆議院南通用門前に腰を下ろしました。門の脇の一角をなんとか確保することができました。僕は抗がん剤の副作用で下肢がしびれており長時間歩道に立ち尽くすことは困難なので車道の反対側の「集会」には参加せず、言わば対岸からエールを送ることにしたのです。

 しかし、人の波が間断なく続いて「対岸」は見えません。地下鉄の駅から「集会」に参加する人々が国会正面方向に動いていくのです。その密度は満員電車の中ぐらいです。ぼくの目に映るものは人々のお尻や脚ばかり。時々、バギーに乗せられたこどもの表情も。大丈夫かな、という人の群れですが殺気だった気配は微塵もなく、赤ちゃんに怯えた表情はありません。

 僕のすることは周囲の人々に和して「再稼動 反対」と低い声を出すだけです。参加者の中で最も低い地上近くからの声です。時には僕の声がほかの人々のリードをする形になることもあります。そんな時には途切れないように精一杯声を出します。

 「再稼動 反対!」「再稼動 反対!」「再稼動 反対!」‥

 7時半頃になって咳が出るようになったので立ち上がることにしました。足が冷えてきたのです。人垣のむこうが見えてきました。驚くことに車道ももう人の波です。携帯で写真や動画を撮りました。

 60年6月15日にはここで樺美智子さんが死にました。全学連(全国学生自治会連合)主流派のデモが国会構内に突入しようとして機動隊と衝突したのです。

 今ここに警官の姿は影も形もありません。6時過ぎには南通用門を守るかのように警官が並び、人々が門には近づけないようにブロックしていたのですがそれが人の移動の邪魔になっていたのです。

 知性を感じさせる若い女性の姿が目立ちます。衆議院南通用門の真ん前に立って「再稼動 反対!」。果てることなく続きます。気がつくと僕のすぐ右隣で白人の女性が「再稼動 反対!」を叫んでいます。言葉も表情もキリッとしています。

僕の目が潤んできました。日本にもようやく民主主義の広場が出来、しっかりと自己表現ができる若者がこんなにも出現したのです。

 東日本が人も獣も住めない荒野になるかもしれない命の危機にまで追い詰められて人々がようやく立ち上がり始めたのです。遅きに失したかもしれないけれど、「希望がここにある」。そう感じたのです。

 やがて大きな警察車両が4台、首相官邸前に並べられて、国会正面方面への通路を完全に遮断しました。なんのためなのか?広場となった道路に蝟集する人々を守るためか?官邸を人々から守るためか?

 若い女性の演説が聞こえてきました。終わると大きな拍手。隣の青年に通訳してもらいました。

 今日はたくさんの人が集まってこれ以上の集会の継続は無理だ。混乱が起きると来週から集まれなくなる。足元に気を付けて帰路に就こう。周りの人々を誘って次回は5倍にしよう。

 耳の遠い年寄りにわかるようにてきぱきと教えてくれ、握手をしてくれました。

8時ちょうどまで「再稼働 反対!」の声を擧げてぼくも帰路に就きました。衆参議員会館の前を通って有楽町線永田町駅へ。スムーズな人の流れ。おり良く川越市行き電車。車中からFacebookに写真を送るがうまくいかない。

 人々の思いがツイッターなどで伝わり、今日の集まりになった。ほとんどの人が携帯で写真や動画をとっているように見えた。新しいメディアの誕生だ。この人たちのあとに僕もついていく。せっかくのiPhoneを活かせるようになりたいものだ。

 

 

 (出典●http://mainichi.jp/graph/2012/06/30/20120630k0000m040057000c/013.html

参考ブログ●http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2064.html


銀座麒麟・銀ぶら 

2012-06-29 06:25:29 | ふるさと 土佐・室戸

6月28日(木)☁

昼前から「銀座麒麟」で高知県人会。文京高校在職中に出会った旧高知県人3人が年に一度集まる。谷さん、永井さん。今回は妻も来てくれた。谷さんは本町・永井さんは神田(こうだ)。竜馬に関わりのある高知市の育ち。最近、それぞれ郷里のお母さんを見送ったばかりだ。

この店のシェフ・松島徹くんの料理を心ゆくまで味わった。徹くんは遠い昔、僕の生徒だった。今や銀座の料理の達人だ。ありがたいことである。

 3時まえに高知県の出店「まるごと高知」へ向かう。谷さんは視力が極端に落ちたが女性たちにエスコートされて嬉しそう。ゆっくり、ゆっくりの「銀ぶら」。これはこれでいいものだ。


29日夕方6時 首相官邸前へ!

2012-06-28 19:01:19 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

僕は夕方5時半頃、有楽町線永田町駅を出て首相官邸方面に行きます。長く立っているのは困難ですから衆議院南通用門付近で立ったり座ったりして連帯の気持ちを表します。皆さんとお会いできるかな。 

★6.29緊急!大飯原発再稼動決定を撤回せよ!首相官邸前抗議

 

6.29緊急!大飯原発再稼動決定を撤回せよ!首相官邸前抗議

【日時】6/29(金)18:00~20:00 予定
【場所】首相官邸前(国会記者会館前、国会議事堂前駅3番出口出てすぐ)
【呼びかけ】首都圏反原発連合有志

 

★この抗議行動の情報を拡散する為に、緊急拡散のご協力をお願いします!

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ツイート文:【今週金曜!緊急大拡散!】#大飯原発再稼働決定をただちに撤回せよ !6/29(金)18時~首相官邸前と大阪・関電本店前にて再稼働反対の超大規模抗議!次こそ10万人の抗議を!このページの「ツイート」ボタンで拡散にご協力下さい! http://coalitionagainstnukes.jp/?p=623

 

★チラシをダウンロードできます。配布のご協力を宜しくお願いします!

<iframe class="twitter-share-button twitter-count-horizontal" title="Twitter Tweet Button" src="http://platform.twitter.com/widgets/tweet_button.1340179658.html#_=1340877860705&count=horizontal&id=twitter-widget-2&lang=ja&original_referer=http%3A%2F%2Fcoalitionagainstnukes.jp%2F%3Fp%3D623&size=l&text=%E3%80%906%2F29%E5%AE%98%E9%82%B8%E5%89%8D%E6%8A%97%E8%AD%B0%E8%A1%8C%E5%8B%95%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7%E9%85%8D%E5%B8%83%E3%81%AE%E3%81%94%E5%8D%94%E5%8A%9B%E3%82%92%E3%81%8A%E9%A1%98%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%EF%BC%81%E3%80%91%23%E5%A4%A7%E9%A3%AF%E5%8E%9F%E7%99%BA%E5%86%8D%E7%A8%BC%E5%83%8D%E8%BF%AB%E3%82%8B%20%EF%BC%B0%EF%BC%A4%EF%BC%A6%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%80%80A4%E2%86%92http%3A%2F%2Fcoalitionagainstnukes.jp%2Ffile%2F2012_06_29_a4.pdf%E3%80%80A5%EF%BC%88%EF%BC%92%E6%9E%9A%E5%88%86%EF%BC%89%E2%86%92http%3A%2F%2Fcoalitionagainstnukes.jp%2Ffile%2F2012_06_29_a5.pdf%20&url=http%3A%2F%2Fcoalitionagainstnukes.jp%2F%3Fp%3D623" frameborder="0" scrolling="no"></iframe>

A4サイズ↓
http://coalitionagainstnukes.jp/file/2012_06_29_a4.pdf
A5サイズ(2枚分)
http://coalitionagainstnukes.jp/file/2012_06_29_a5.pdf

 

呼びかけ

6月16日、野田政権は、大飯原発3、4号基の再稼動をついに正式に決定してしまいました。

野田首相、枝野経産相、細野原発担当相、藤村官房長官らによる、閣僚会合での中長期の安全対策をすべて後回しにした、「暫定的な安全基準」による「安全」との政府判断。
おおい町議会の、再稼動に慎重な多くの住民の意見を無視する形での再稼動容認。

福井県の原子力安全専門委員会による、「安全」との政府判断の追認。
野田首相の再稼働の必要性を訴える記者会見の「儀式」。
責任を負いたくないばかりに、この「儀式」を受けてようやく再稼動に同意した、西川知事や時岡町長。

こうした出鱈目で拙速なプロセスにより、今回の大飯原発再稼動は進もうとしています。
私たち、首都圏反原発連合は、3月29日より毎週、大飯原発再稼動反対の首相官邸前抗議を行ってまいりました。
当初300名程度だった参加者は、1000人→2700人→4000人→12000人→45000人と、回を追うごとに劇的に増加しています。
福島第一原発事故の収束もままならないまま、そこから何の教訓を得る事もなく、再稼動ありきで物事を進めていった野田政権に対しての怒りがいよいよ噴出する形で、この抗議行動の規模は拡大を続けています。

野田政権は、世論の大半を占める再稼動に慎重な市民の声を無視し、今回の決断を下しました。
したがって、私たちもまた、今回の決定を黙って受け容れる必要は一切ありません。
6月29日(金)18時より、首相官邸前にて原発再稼動反対の抗議行動を行います。

前回の45000人をはるかに凌ぐ、10万人規模の抗議行動で、大飯原発再稼動決定をただちに撤回すること、私たちが一切諦めていないことを、野田政権に対して突きつけましょう。
今まで以上の情報拡散とご参加をどうか宜しくお願い致します。

 

※反原発・脱原発というテーマと関係のない特定の政治団体や政治的テーマに関する旗やのぼり、プラカード等はなるべくご遠慮ください。
※抗議時間中のチラシ類の配布はご遠慮ください。
※その他、基本的に主催者の指示に従っていただきますようあらかじめご了承お願いたします。

 

また、大阪でも同日18時~19時半、関電本店前にて再稼働反対の抗議行動を行います。

【日時】6/29(金)18~19時半予定
【場所】関電本店前(大阪府‎ 大阪市北区中之島3丁目6-16)
地図 → http://www1.kepco.co.jp/office/honten.htm
【呼びかけ】TwitNoNukes大阪有志

 

出典●http://coalitionagainstnukes.jp/?p=623


妻沼聖天山(めぬましょうてんざん)歓喜院

2012-06-28 05:54:43 | 川越・近郊

6月24日(日)

 今は熊谷市になっている妻沼の聖天山に連れていってもらいました。20年振りくらいです。

記憶にあるよりははるかに広大で地域に根付いている寺院です。歓喜院聖天堂が修復なり国宝に指定されたばかりだとか。

  歓喜院聖天堂

 出典●http://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/midokoro/menumasyoudenzan/kangiinkokuho.html

 参詣後 「大福茶屋」でひとやすみ。妻は美味しそうだからと和菓子類を買い込んでいます。沢田さんという若い女将さんが自分たちの「婚記」というものを見せてくれました。

 お連れ合いとの仏前結婚式の時に山主の鈴木英全師が書いてくれたもので賞状のようなものに、夫婦の道を諭してあります。憲法24条を読んでいるような気もします。

 「鈴木英全さんは大学の一つ先輩です」というと「それは喜ばれるわ」と言ってすぐにケータイをしてくれました。あいにく法事なのか、でられないようでした。

 「英全さんは優しい方で悩みの相談にも乗ってくれます」‥。お寺さんと地域の距離が近いようでいい感じです。山主は幼稚園の園長でもありますから小さい時から可愛がってもらったのでしょう。

  鈴木英全 氏

 出典●http://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/midokoro/menumasyoudenzan/interview.html

大学(東京教育大学文学部法律政治学専攻)の先輩といっても親しく付き合ってもらったわけではありません。それでも人々に敬愛されているようすをみて嬉しくなります。同じ埼玉に住む縁でいつかお会いしてもらえるか‥。

やや離れた本坊本堂を訪ねると同世代の方が植木の世話をしています。町の写真屋さんの奉仕活動。ここの庭園を数人で受け持っているとか。秘仏となっている本尊はもちろん拝観できませんが十一面観世音を小さな窓から見せてくれました。

「うどん福福」で昼食の後、利根川をわたって対岸をドライブして帰りました。

 

 


自転車漕ぎで日が暮れる

2012-06-27 08:26:46 | 川越・近郊

6月26日(火)快晴

 金曜日夕の首相官邸前集会に耐えられるように体力調整の自転車漕ぎをしました。快晴無風、爽やかな一日です。

●川越~(新河岸川土手上の道)~志木  いろは親水公園 敷島神社 せせらぎの径(こみち)

河岸が新しく作られるなど親水公園に変化があった。敷島神社の富士山は7月1日が山開きで賑わいそう。用水の後に作られたせせらぎの径をどこまでも行くと羽根倉橋の袂に出た。たのしい散歩道。長い。

(せせらぎの径の「カッパ」 )

 

●志木~羽根倉橋~埼玉大学~領家のNさん宅~(天王川遊歩道)~木崎の勝義さん宅

埼玉在住43年にして初めて埼玉大学に入る。生協食堂で「八王子ラーメン」420円。昼食時で若者がいっぱいだが、広い構内のどこにも「再稼動反対」などの貼り紙ひとつない。ここは幼稚園ではないか。

埼大通りをどこまでも行って記憶にある地番を頼りにNさん宅を訪ね当てたが「不在」。近くに天王川コミュニティ緑道というのがあったのでそれに載る。うまいこと上木崎に出る。勝義さんは引越しのための片付けの日々だが元気そう。

●さいたま新都心~大宮氷川神社参道~大宮公園~(県道216)~西大宮~(国道16)~川越

この道は僕が近頃開発した。国道の騒音は激しいが側道は安全。長い氷川神社の参道は日本的に見ても優れもの。

川越運動公園の芝生の上に仰向けになった。疲れが出ていい気持ち。しばし、夢心地。


起ちあがる時が来た 6・29(金)6時 

2012-06-26 04:38:55 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

遠い昔から原発の危険性を訴え続けてきた広瀬隆さんからのメッセージが届きました。

そのとおりだと思います。

22日の首相官邸付近には4万5000人が集まり「再稼動反対」を叫んだとか。僕が参加した15日は一万人を超えたと言っていました。

29日は10万人ぐらいになるのかもしれません。そのぐらいになれば野田首相を辞任に追い込むこともできるでしょう。

未来を生きるあらゆる命の生存に関わる大切な決断ー「脱原発」をしなければなりません。力を合わせましょう。

僕は夕方5時半頃、地下鉄有楽町線永田町駅に着き、首相官邸前に歩いていくことにします。(雨もようだと自宅待機です)。

  「大飯原発 再稼働反対!」「野田内閣打倒!」 

 

 今日は国会で増税法案が採決されるとか。これに賛成する民主党議員は「詐欺罪」で逮捕されてしかるべきです。ひとりひとりの行動を見極めて主権者として鉄槌を加えなければなりません。

 


朝鮮戦争から62年  朝鮮高校の歴史教科書を読んでみよう

2012-06-25 11:55:01 | 韓国・北朝鮮

6月25日、今日は朝鮮戦争勃発から62年になる日です。日曜日の払暁、北朝鮮の人民軍が韓国に攻め込んで3年にわたる同族相はむ悲惨な戦争が始まったのです。1950年(昭和25年)のことで僕は8歳(小3)でした。

 北(朝鮮民主主義人民共和国)の金日成(キム・イルソン)首相が中国の毛沢東主席の支持とソ連のスターリン首相の許可を得て「祖国解放」を旗印として始めた戦争です。人民軍はあっという間にソウルを占領し、釜山の近くまで攻め込んで「韓国」は滅亡の瀬戸際に追い詰められました。北朝鮮の思惑通り、「朝鮮の統一」が実現するかと思われたのです。

 9月に入って日本を占領していた米軍が本格的に介入し、韓国の滅亡は食い止められました。その後、米軍は北朝鮮の奥深くまで攻め入り、今度は米軍主導の統一なるかという勢いになったとき、中国人民解放軍が「抗米援朝」を旗印に「義勇軍」と称して参戦しました。ここからは実質的に「米中戦争」となり、53年夏の休戦に至るまで朝鮮半島のほぼ全域が阿鼻叫喚の戦場となり、人々は塗炭の苦しみを味わうことになりました。

 社会主義的統一も自由主義(資本主義)的統一も実現せず、分断を深め固定する結果となり、今日に至っています。

この戦争が北側の用意周到な準備のもとに始められたことは今日では誰の目にも明らかです。「東風が西風を圧する」という認識のもとに国際共産主義勢力が中国での勝利(1949年10月中華人民共和国成立)に続いて朝鮮半島でも「勝負」に出たのです。

 日本でも日本共産党が在日朝鮮人を先頭に立てながら反米武装闘争を展開し、アメリカ占領軍と吉田自由党政府と戦いました。彼らは当時、日本でも「社会主義革命」が成就できると考えていたのでしょう。多くの有為な若者がこの戦いに巻き込まれていきました。

 

 あれから60年の歳月が流れました。ソ連をはじめとする社会主義国は崩壊し、「社会主義」のあまりにも無惨な現実が誰の目にも明らかになりました。しかし、中国と朝鮮では社会主義を標榜してきた独裁政権が今日なお君臨し続けて中国・朝鮮の人々は無論のこと、東アジア全体の脅威となっています。

 僕は学生時代に社会主義(マルクス主義)を学びました。誰かに強制されたわけではなくそこに真理があると思うようになったからです。ソ連や中国、北朝鮮を「祖国」と思ったり、讃える気持ちになったことはありません。しかし、これらの国でも社会主義制度の下で人々の生活は改善されつつあると思っていました。共産党の独裁が過渡的にはやむを得ないもので「人民の敵」とまでは思っていなかったのです。

 朝鮮戦争についてもいくつかの疑問をそのままにして曖昧な態度をとりつづけてきました。今日のような認識に至ったのはソ連崩壊後のことであり、先人の著作に裏付けられてからのことです。

 曖昧にしてきた最たるものが「朝鮮戦争は南北どちら側が始めたのか?」です。

「認識には過程がある」と言いますが社会科の教師でありながら自分から解明する勇気に欠けていたことは否めず、まことに恥ずかしいと今では思っています。東アジアと日本の戦後を考えるとき、朝鮮戦争は決定的な出来事です。その評価を曖昧にして来たのですからその歴史観はいい加減だったことになります。

 拉致被害者の肉親や中国の文化大革命の体験者・北朝鮮から脱出してきた方々と出会うようになって我が罪の深さを思い知らされています。

今日に至ってもいけしゃあしゃあとウソの歴史を強要する北朝鮮の独裁政権と朝鮮総連。

日本の左派・人権派の圧倒的多数が今も自らの歴史観を問うことなく、彼らの工作に動かされていることは由々しき事態です。

漏れ伝わってくるニュースでは菅前首相の周りにも工作は及んでいたようです。与党を支持する日教組の幹部の中には北朝鮮の独裁者のお友達を自任する人が何人もいたのですから驚くほどのことではありませんが。

 左派の友人たちにせめて彼らの教科書に書かれていることを読んで欲しいと思います。日本の検定教科書に対すると同様に朝鮮学校の教科書にも目を通し、彼らが友達たりうるかを判断して欲しいものです。



 朝鮮高級学校教科書『現代朝鮮歴史 高級1』


  「第2編 祖国解放戦争(1950.6ー1953.7)」抜粋


 「共和国政府は…祖国の平和統一を終始一貫主張し続け、米帝と李承晩の戦争挑発策動が絶頂に達したときにも、なんとしてでも戦争を防ぎ平和統一を実現するためのあらゆる努力を尽くした。………しかし南朝鮮当局は…ついに全面戦争に挑発する犯罪の道へと進んだ。」(P77~78)

    添付画像

    (『現代朝鮮歴史高級1』P79)

     ②朝鮮戦争の開始と拡大


 1全面戦争への拡大


 全面戦争の開始、「国連軍」の参戦

 米帝のそそのかしのもと、李承晩は1950年6月23日から38度線の共和国地域に集中的な砲射撃を加え、6月25日には全面戦争へと拡大した。共和国政府はただちに李承晩「政府」へ戦争行為を中止することを要求し、もしも侵攻をやめないときには決定的な対策をとることを警告した。しかし、敵は戦争の炎を引きつづき拡大した。 

 6月25日共和国に作り出された厳重な事態と関連して朝鮮労働党中央委員会政治委員会が招集され、ついで共和国内閣非常会議がひらかれた。敬愛する金日成主席様におかれては、会議で朝鮮人をみくびり刃向かう米国の奴らに朝鮮人の根性を見せてやらねばならないとおっしゃりながら、共和国警備隊と人民軍部隊に敵の武力侵攻を阻止し即時反攻撃に移るよう命令をお下しになった。」(P79)

 (参考までに)

 「3年間の祖国解放戦争は、全朝鮮を占領し、さらにアジアと世界を制覇しようという米帝の侵略計画を破綻させた。また、米帝の強大性の神話を打ち砕いてしまい、下り坂の始まりとなり、民族解放のための世界人民の闘争を大いに鼓舞した。」(P111)

 「全世界の進歩的人民は、世界史上初めて米帝に打ち勝ち、祖国解放戦争を勝利に導かれた敬愛する主席様を「偉大な軍事戦略家」、「反帝闘争の象徴」として高く称賛し、わが人民を英雄的人民と称揚した。」
「朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会は、祖国解放戦争で卓越した軍事知略と指揮によって敵に殲滅的打撃を与え、祖国の歴史に不滅の業績を積まれた敬愛する金日成主席様に1953年2月7日、朝鮮民主主義人民共和国元帥称号を、7月28日には朝鮮民主主義人民共和国英雄称号を捧げた。」(P111~112)

(お知らせ)

 日本語訳教科書の入手先。 「星への歩み出版」 ☎FAX072-990ー2887 

                    〒581-0868 大阪府八尾市西山本町7-6-5 3F

参考図書  朝鮮学校「歴史教科書」を読む 萩原遼・井沢元彦著  祥伝社¥780

 


「月の沙漠」  みんなで歌おう会

2012-06-24 04:39:29 | 映画  音楽 美術など

6月23日(土)☼

 自転車を漕いで小畔川をさかのぼり、10時過ぎに伊勢原公民館につきました。2階の音楽室に行くと「一周年記念 13回みんなで歌おう会」はすでに始まっていて、顔なじみの大橋さんの挨拶が終わるところでした。続いていつかお会いしたことのある島崎?さんが指名されて超満員の参加者のただ中で感謝の言葉を述べました。原発事故のため南相馬市小高から川越に疎開されているおばあちゃんです。

 11時半過ぎまで次々と歌いました。同世代、またはやや上の人たちばかりです。隣近所で一生懸命に声を出す女性の姿に小学校の同級生たちを重ね合わせていました。みんな元気かな。

 たくさんの歌の中で僕が思い切り歌ったのはどういうわけか「月の沙漠」。歌詞を見なくても歌うことができます。小学生の頃、焼き付けられた記憶が鮮やかに蘇ってきます。

 御宿海岸の銅像 

「月の沙漠」
作詞者 加藤 まさお   作曲者 佐々木すぐる

 

1 月の沙漠を はるばると 旅の駱駝(らくだ)が 行(ゆ)きました

  金と銀との 鞍(くら)置(お)いて 二つならんで 行きました

 

2 金の鞍には 銀の甕(かめ) 銀の鞍には 金の甕

  二つの甕は それぞれに 紐(ひも)で結(むす)んで ありました

 

3 先の鞍には 王子(おうじ)さま 後の鞍には お姫(ひめ)さま

  乗った二人(ふたり)は おそろいの 白い上着(うわぎ)を 着(き)てました

 

4 広(ひろ)い沙漠を ひとすじに 二人はどこへ 行くのでしょう

  朧(おぼろ)にけぶる 月の夜(よ)を 対(つい)の駱駝は とぼとぼと

  

  砂丘(さきゅう)を 越(こ)えて 行きました

  黙(だま)って 越えて 行きました

 

 歌っているうちに涙が滲んでくるようです。こんな感じは初めてかもしれません。なぜだろう?

帰ってからパソコンで調べてみるとこの歌について考察している方がいました。

 「月の沙漠に秘められたものは?」●http://blog.zaq.ne.jp/demian/article/13/

いろいろな歌手が歌っていますが僕には小林旭の歌が似合っています。

 「月の沙漠」小林旭●http://www.youtube.com/watch?v=fGvNe0p3Qk0&feature=fvwrel

散会時に主催者がばらの花を持たせてくれました。どなたかが一周年の祝に会場に飾ってくれたものです。

そのバラの飾られた部屋で駄文を綴りました。「歌おう会」の世話をしてくださった方々に感謝します。

次回は7月28日。10時。同じ場所。


塩船観音

2012-06-23 05:13:54 | 友人たち

6月22日(日)☁

 同窓会に出席した功子さん夫妻が泊まっていってくれました。

 室戸岬中の3年生のとき、お父さんはマグロ船乗船中に病気のため急逝されました。穏やかそのものの功子さんが「荒れる」ようになったとか。父の死はよっぽどの大事件だったのです。

 生前、お父さんからはお母さんあてに時々手紙が届き、「返句」を求めることもあったといいます。お母さんに頼まれて返事を書いたり「返句」を送ったりしたといいます。どんな句のやりとりがあったのでしょう。

 マグロ船の航海は長く、家族との音信が手紙であったことは想像の範囲ですが、相聞歌のやりとりがあったのか。なんだか心があったかくなってきます。

 青梅の塩船観音に同道しました。ツツジ山のてっぺんに大きな「平和観音」が立っておられました。昨夜来の雨で清浄そのものの小宇宙です。

 

 吉野梅郷で昼食の後、またね。


室戸岬小同窓会

2012-06-22 04:47:26 | ふるさと 土佐・室戸

6月21日(木)☁

新河岸の「曼陀羅」で室戸岬小(旧高知県安芸郡室戸岬町立津呂小学校)の同窓会。1954年3月卒業。

120人あまりの同期生のうち関東在住の4人とその家族。室戸出身の主人の手料理を堪能しながら数時間を過ごす。

新町敏明くん (旧姓)濱口功子さん夫婦 (旧姓)堺政子さん 私たち。

写真: 室戸岬小同窓会

 病気などのためこれなかった人が二人、だんだん寂しくなるなあ。


頑張れ、森ゆう子さん

2012-06-21 06:42:59 | 政治・社会

6月20日(水)☁ 

 嵐の翌日は蒸し暑い真夏日。伸びすぎたコリンゴの枝を伐ったり、屋根の掃除をしたり、夏を快適に過ごすための身の回りの整理をした。

あすには故郷の友人夫妻が遊びに来てくれるので、妻は「客間」のオープン準備に精を出していた。

夕方になって「落ち込んだ」と言ってAさんがやってきた。夕食を共にしながら遅くまで話を聞いた。限りなく修羅場をくぐりぬけてきた人だが

本当に「誠実」そのものの人だ。自分の失敗には違いないがそこまで「落ち込む」ことなのか。日本に二人とはいない大切な人だ。そう思った。

民主党がいよいよ終わりを迎えようとしている。自民党に吸収される。これにきちんと抵抗し、初心を貫く人が何人いるのか。ここ数日が見ものだ。

 僕は「森ゆう子」さんが好きだ。ほとんど一人で検察と対峙し闘ってきた。

近所の本屋で買ってきた森さんの本を読み始めた。政治家の本を買って読むなどと言うことはめったにしないことだ。検察の罠

著作の終わり近くの文章が印象に残った。歳に似合わない言葉ではないか。ここにも自己に誠実な人がいる。時代を切り開く政治的ーダーになっていくだろう。そう期待する。

 

 

 私は恵まれた人生を送ってきた。家族に恵まれ、仕事に恵まれ、もう欲しいものはとくにない。これ以上の自己実現の望みもない。

さらに言うと、生きること自体への執着も少ないのかもしれない。

 もちろん、死ぬのは怖い。ただ、私はこれまでに何度も「死」を身近に感じてきた。政治闘争で怖い思いをしたときには政治家としての死を覚悟したし、大病をして本当に「私は死ぬのか」と思ったこともある。

 そんな経験を通じて、私は死に対する恐れを少しだけ飼いならせるようになったのかもしれない。私が怖いもの知らずに見えることがあるとしたら、それが理由だろう。


池商OGからの便り

2012-06-20 10:35:34 | 友人たち

昨夜の嵐は相当のものでした。

 我が家では10余年ぶりに雨漏りがありました。南側から吹き付ける強い風雨が二階の窓の敷居の隙間から入り込んだようです。10時過ぎに僕のベッドの布団の上に水滴が付いているのに気づいてびっくり。二階に避難して休みました。幸いにも風雨の強い時間は短く被害は軽微です。

 この程度の風雨は故郷の室戸岬ではしょっちゅうです。こんなざっとした家ではとても住めないということです。10年前に直しては貰ったのですが‥。コリンゴの実や葉が散乱したほかは一応庭にも変化はありません。ひまわりも朝顔も順調に生育中です。

 嬉しい便りが二つ。

ひとつは美香さん。87年3月、池袋商業高校卒。僕が3年間HR担任をした人で結婚式以来の音信です。しばらく前のクラス会に姿が見えなかったので心配していました。

 二人の女の子の写真が同封されています。元気で何より。だいぶ前から「川越だより」を毎日のように読んでいてくれた、とか。

これはとても嬉しい。僕の生徒だった人に読んでもらいたいと思って毎日毎日駄文を綴っているのですから。学校がなくなってしまった「池商」と「北高」のOBOGには特に‥。

 やはり僕の生徒だったお兄さんも、顔見知りのお母さんも元気だとのこと。いつかまた会えるかな。

二つ目は石巻・高福寺の慶子さん(85年3月卒業)。

先日訪ねて被災地を案内してもらったばかりです。

写真をたくさん送ってくれました。牡鹿半島でのスナップ写真に混じってお坊さん仲間でやっている「Cafe De Monk」(お坊さんの喫茶店)の写真があります。南相馬市の岩屋寺境内だといいます。

 心が通い合う友人たちと共に被災者の心に寄り添う活動を続けています。

友人たちとの写真のなかに「啓介先生 倫子さん ありがとう」と大書した画用紙をかざす慶子さんがいます。

嬉しいやら恥ずかしいやら。

お寺を訪ねたときに裕昭和尚にささやかなカンパをさせてもらったのです。みなさんに喜んでもらえてよかった。

 裕昭さん慶子さんのお寺は高福寺。石巻の郊外の山の中にあります。池商の旧友たちが訪ねると喜んでくれるでしょう。

 

 


李鶴来(い・はんね)さん

2012-06-19 06:54:11 | 病状

6月18日(月)☼

 14時すぎ、癌研有明病院西尾医師の診断がありました。「血液検査に異常はない。X線検査でも肺炎などの兆候はみられない。」「抗がん剤タルセバ治療を継続しよう」。次回は7月23日。

 右肺に転移した癌は抗がん剤によって小さくなっているようです。X線ではよくはわからないので7月にはCT検査をおこないます。このところ体調も良く、元気に71の誕生日(7・25)を迎えられそうです。

 ガン友のHさんと会いました。奥さんの故郷・土佐に帰っていたばかりで梼原の印象が強いようです。8月のはじめに娘さんの気仙沼公演が決まったとのことです。うまくいけば一日を共にできるかもしれません。夏の楽しみ。

 帰りに衆議院議員会館によって韓国・朝鮮人元BC級戦犯者の名誉回復のための立法の実現を目指す集会に参加しました。

日本軍の一員として連合国の捕虜監視要員として働かされた旧植民地出身者が戦後、戦犯として裁かれました。一度は「死刑」を宣告されたことがある李鶴来さんはサンフランシスコ講和条約発効後、日本国籍を失いましたが引き続き巣鴨プリズンに収容され、日本軍人としての罪を背負い続けました。56年に釈放されましたが日本国民ではないという理由で援護と補償から排除され続けてきました。

 写真: 李鶴来さん  衆議院議員会館

不条理を訴えつづけてきた仲間の多くも世を去り、無念を償う特別立法も難航しています。

A級戦犯を含め旧軍人が手厚い軍人恩給を受給してきた中で一切の補償からシカトされたのですから無念の思いはいかばかりか。

87才になられるとのことです。誰もが心を痛めているのに国会が動かない。本当にこの国は絶望的です。


長野県中川村の村長さん

2012-06-18 05:23:20 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

6月18日(月)☼

 今日はこれから定期検査のため癌研へ。ゆっくり寝たので疲れはありません。

昨夜、笠原さん(元同僚)がFacebookで長野県中川村の村長さんが村の広報に掲載した文章を紹介してくれました。昨年11月に訪ねたことのある村です。

 印象に残ったので紹介します。ここにも民主主義を打ち立てようとするリーダーがおられると心強く感じました。

 

  

東京新聞社会部から「脱原発首長会議」参加市町村長へのアンケート

 東京新聞社会部から、「脱原発首長会議」参加の首長(=市町村長)向けのアンケートが届いた。
 自由表記がほとんどで、字数制限もなく、いろいろ書いたので、こちらにも掲載する。

2012年6月15日 曽我逸郎


* * * * *



自治体名:(長野県上伊那郡)中川村 なかがわむら
首長名: 曽我逸郎 そが いつろう

1) 最も近い原発

 中部電力 浜岡原発 約100km

2) 首長の連携が、国の政策決定に対して どれだけ政治的有効性を持つか

 国政は、経済や安全保障や外交やさまざまなしがらみの中で舵取りしている。他方、基礎自治体は、住民の暮らしだけを基準に判断することができるし、そうすべきである。もし国が、他のしがらみのために、一部地域であれ住民の暮らしを犠牲にするようなことがあれば、基礎自治体は連帯して国に対して異議を申し立てねばならない。
 だが、原発に関しては、距離が離れた自治体ほど不安・憂慮がひろく共有されている一方、原発膝元の自治体は、単純ではない。現に汚染を受け、心配・不安が沸騰しているところがある一方、不安は底流として住民の中に沈殿するのみで、交付金・雇用などさまざまな原発へのしがらみを持つ側が空気を強固に支配している市町村もある。つまり、原発については、膝元か遠方か、またそれぞれの状況によって自治体の反応は異なっており、一致した動きが取りにくい。
 脱原発首長会議は、意識が高く、勇気のある首長が集まっている。しかし、それでも、今問題となっている大飯原発の再稼動について、統一して反対を表明できるかどうかは、個人的には微妙だと感じている。私自身は、すべての原発が停止している中、ひとつでも再稼動を許せば、なし崩し的に再稼動は増やされると考えるので、阻止すべきだと考えるが、「脱原発」をどんなタイムスケジュールで実現するか、「会議」参加の首長にもさまざまな考えがありそうだ。
 野田首相は、まるで耳に栓をしているかのように馬耳東風で、原発であれTPPであれ消費税増税であれ、心配する声は耳に入らないかのように振舞っている。不安に答える姿勢がない。説得力のない発言を繰り返すのみで、会話が成立しない。しばしば無力感・絶望感に襲われる。
 このような有様では、野田政権に申し入れて政策を変えさせることには望みがもてないが、「脱原発首長会議」など、あらゆる場を使って、しがらみに負けずに自由に考えを表明できる空気を創りだし、国民世論の勢いを高め、国の政策を国民の望むものにできるよう、頑張るしかない。

3) 脱原発に向けた自治体での取り組み

 節電。
 ありがたいことに、中部電力では、過剰な節電要請をせずとも関西電力に電力支援をおこないつつ、この夏を乗り切れる、としている。
 しかし、関西電力は、厳しいと言っている。中電エリアの我々としても、できる限り節電に努めることで、関電への支援が増やせ、大飯原発を再稼動しなくてすむ状況が作り出せるかもしれない。
 再生可能エネルギー利用については、国などの制度を利用し、無理のない範囲で取り組むが、原発のない分、慌てて自然エネルギーに走るのではなく、まず、贅沢と便利さに浸りきった今の生活を見直し、省エネルギーに努めることが肝要だと思う。

 脱原発の取り組みではないが、「日本で最も美しい村」連合の仲間である飯舘村の皆さんを、中川村有志が昨年夏、村の祭りに招待し、村も一部支援して、太鼓やヨサコイソーランなど交流が図られた。また、福島市の私立保育園連合への野菜等の支援要請を受け、村保育園保護者会などに呼びかけ、野菜・果物など3.4tを提供した。

4) 首長個人としての脱原発への取り組み

 以前、広告会社に勤めていた頃、電力会社の担当を命じられたが、原発推進を請け負わねばならないので、断ったことがある。それ以降は、格別な取り組みはしてこなかったが、特に中川村に移住して以降は、電力消費の少ない暮らしをしているとは思う。
 東京電力福島原発の事故以降は、東京での反原発サウンドデモ、近隣駒ヶ根市のデモなどに参加。経産省前のテントも一度訪問した。講演会としては、報道写真家・樋口健二氏、飯舘村の酪農家・長谷川健一氏、京都大学原子炉実験所の小出裕章氏らを拝聴。
式典等の挨拶なども含め、あらゆる機会を捉えて、脱原発に言及するよう努めている。

5) 「脱原発首長会議」参加の理由と地元の反応

 被曝労働については、以前から耳にしていた。ウラン採掘現場、原発内労働、今回の福島の災害のような広い範囲の周辺地域、そして、数十万年先の人類・生態系にまで被曝の危険を押し付けている。そうまでして贅沢と便利さを享受する権利は我々にはない。経済的理由をあげて原発再稼動が主張されるが、道徳的理由により、原発は止めなければならない。
 「日本で最も美しい村」連合の仲間である飯舘村の現状を知るにつけ、原発の不条理を痛感する。「までい」に丹精こめて積み上げてきた村づくりが、一日でダメにされた。小さな祠を守ってきた集落もばらばら、家族までもがばらばらに寸断された。受け継がれてきた歴史も文化も断ち切られた。
 中川村でも、高齢化・後継者不足に悩みつつ、なんとか心豊かな暮らしが末永く村で持続させられるように努力を重ねているところだが、原発の事故ですべてを台無しにされてしまいかねない。そんなことは避けたい。
 事故後の国の対応は経済や予算など自分達の都合を優先して、子どもたちを含め高濃度汚染地域に放置した。かつての満州や沖縄と同じ棄民政策である。
 道徳的に原発は許されない。経済は理由にならない。

 地元での反応については、周辺市町村などから共感の声を聞くことはしばしばあるが、村内からはさほど多くない。その点は、残念に思っている。

 

出典●http://www.vill.nakagawa.nagano.jp/index.php?f=hp&ci=10685&i=11065


無事帰着

2012-06-17 21:29:19 | 出会いの旅

「長野県の満州移民~三つの大日向をたどる」小旅行から無事帰着しました。夕方7時前。「家園」で参加者4人が夕食。無事目的を達成出来て何よりです。他日レポートします。

土曜日に軽井沢の大日向開拓記念館でとった写真です。「三つの大日向」を生きた坂本さんご夫妻がお話を聞かせてくれました。

写真: 軽井沢大日向開拓記念館