川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

「朝鮮戦争休戦」から60年

2013-07-27 13:17:01 | 韓国・北朝鮮

7月27日(土)

1953年7月27日朝鮮戦争休戦協定。60年たって「北」では「戦勝式典」が行われるとか。

「祖国解放戦争」として金日成がはじめた戦争だが、米軍の介入を招き、解放=統一に失敗した。「北」が国として残ったのは中国人民解放軍の犠牲のおかげだ。金日成の無謀な「武力解放」戦略の責任が問われなければならないのに、彼はその責任をNO2の朴憲永(パク・ホニョン)に押し付け処刑して切り抜けた。

 それからも「同志」を次々に血祭りにあげて世界に例を見ない「社会主義」の看板を掲げた王朝を築いた。旗印は変わることなく「南朝鮮解放!」。民衆は飢餓と餓死、強制収容所の恐怖の只中に置かれている。

核武装を成し遂げたと称する三代目も安泰気分になっているのだろうか。この日本でも「独裁政権打倒」の声は聞こえてこない。

 それどころか、維新の会の国会議員になったばかりのアントニオ猪木が祝賀に駆けつけるとか。石原慎太郎代表の配下になったからには何かの密命を帯びているのか?

 北朝鮮の独裁者に媚びる勢力は左右を問わず、跡を絶たないが、いったい何を考えている人びとなのだろう?

今日、米国ではオバマ大統領の演説があるらしい。韓国は?中国は?そしてわが日本では?

独裁を終わらせ、「北」の人びとが自由を獲得するために私たちにどんな努力が求められているのか。

 


朝鮮戦争から63年(再掲)

2013-06-25 18:42:48 | 韓国・北朝鮮
 
朝鮮戦争から62年  朝鮮高校の歴史教科書を読んでみよう

6月25日、今日は朝鮮戦争勃発から62年になる日です。日曜日の払暁、北朝鮮の人民軍が韓国に攻め込んで3年にわたる同族相はむ悲惨な戦争が始まったのです。1950年(昭和25年)のこと...
 

 6月25日(火)曇晴

 今日は抗がん剤「アリムタ」の点滴を受ける日で、早朝から一日かかりでガン研に往復しました。夕方、娘が愛知県から再び助っ人に来てくれました。一人暮らしは5日間でひとまず終了です。ほっとします。

倫子は明日、頭の骨を埋め戻す手術を受けます。このため一両日は面会はできません。さしたる心配はない手術だとのことです。

 去年の記事です。

http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/5cfde16ca9eaae318e699857aad7a78a

 

 

 


「慰安婦問題」をこじらせるもの

2013-05-30 16:53:55 | 韓国・北朝鮮

 5月30日(木)曇

 病室が空かないのか、入院の通知がないため自宅待機の日々です。昨日、今日と「がんサロン」でであった新しいガン友を妻とともに訪ねて挨拶をしました。お2人ともご近所さんだったのです。お2人はともに元気に市民生活を送っておられます。

 戦場の性を巡る橋下発言は混乱に混乱を重ねて政争になってきたようです。何が問題とされなければならないのか?原点に帰って考えてみることが大切です。

 この間の言説の中では江川紹子さんの「アジア女性基金」の「失敗」を巡って大沼保昭元理事へのインタビュー記事が一番印象に残りました。

僕は日韓条約(日韓請求権協定)締結から30年たった時点での解決方法としては「アジア女性基金」は衆智の結集だと考えてきました。二国間の条約や協定で解決済みとされているのに被害者が新たに名乗り出たからといって「国家賠償」を求めることは土台無理だということは韓国政府にもよくわかっていたはずです。

それにもかかわらず、韓国政府は無理な主張に固執するNGOを説得しようとしなかったのです。「反日」をアイデンティティとする学者やマスコミに押し流されたのでしょう。

被害者・元「慰安婦」の味方面をして自己の正義を主張する人びとの傲慢さには昔から辟易してきました。日本でも韓国でもこれらの人びとに自省の力がなく、肝心の被害者の思いは踏みにじられたままです。要するにさまざまな勢力がこの問題を自己の正義のために利用してきたのです。

僕は大沼理事の言う「日本の『左派』や『リベラルな』知識人」の一人だったといえます。袋叩きにあうのを恐れて正面からの批判を避けていたからです。

金学順さんが名乗り出てから20年以上がたった今繰り広げられている政争はアメリカがらみにもなっていっそう解決が困難になりました。

誰もが勇気を出しておかしいことにはおかしいといわなければこの問題はますます混迷の度を深めるでしょう。

一番しっかりしなければならない日本政府が自分たちがやってきたことに自信が持てないのか、おたおたして、きちんとした説明を尽くさないのは無責任のきわみです。

以下、江川さんの文章の紹介です。文中のゴチックや赤地は僕が施したものです。


 

日本が誇るべきこと、省みること、そして内外に伝えるべきことを~「慰安婦」問題の理解のために

江川 紹子 | ジャーナリスト

 

「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)という財団法人があった。村山内閣の1995年7月に発足。その最大の使命は、戦時中に日本兵相手の「慰安婦」となった海外の被害女性に対する償い事業だった。

その内容は、

1)総理大臣の謝罪の手紙 

2)国民の募金から1人当たり200万円の償い金 

3)政府資金による1人当たり120~300万円ほどの医療福祉支援ーーといった「償い」を被害者に届けること。

フィリピン、韓国、台湾、オランダ、インドネシアの5カ国で展開されたが、韓国では、日本政府が法的な責任を認めた賠償ではないとして、激しい反対運動が起きた。「償い」を受けようとする被害女性には、強い圧力が加えられた。このため、事業は難航。台湾でも同様の反発はあったが、現地の理解者の助けで、それなりの被害女性が「償い」を受け入れた、という。把握された約700人の被害女性のうち364人に「償い」を届け、基金は2007年3月末に解散。その活動ぶりは、今でもホームページを通じて確認できる(HPはこちら)。

総理からの手紙を示すフィリピンの被害者たち(アジア女性基金HPより)総理からの手紙を示すフィリピンの被害者たち(アジア女性基金HPより)

基金に関わった人たちの回想録を読むと、被害女性たちにとって、総理直筆の署名がなされた手紙の意味が大きかったことが分かる。その文面を知って多くが涙を流し、号泣する人も少なくなかったという。ある人は「総理大臣が、日本が悪かったと詫びてくれた。これで身の証になる。先祖のお墓に入れる」と安堵し、「日本は私たちを見捨てなかった」と喜んだ人もいた。

それだけのインパクトを与えた総理の手紙には、こう書かれている。

〈いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて(中略)心からおわびと反省の気持ちを申し上げます〉(全文はこちら

過去の歴史を直視し、正しく後世に伝える、とも記されている。そして最後は、今後の人生が安らかなものであるようにという祈りの言葉で結んでいる。

橋本龍太郎氏に始まり、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎各氏と歴代四人の総理大臣が署名した。この重みは、とても大きい。

昨今、「慰安婦」問題について、政治家が語る言葉を聞いていると、この重みが忘れられているような気がしてならない。

問題の所在はどこか

そんな思いで、同基金の呼びかけ人であり理事だった、大沼保昭氏(執筆時は東京大学大学院教授、現在は明治大学特任教授)の著書『「慰安婦」問題とは何だったのか』(中公新書)を読んだ。基金が行ったこと、行い得なかったことが非常に抑制的な筆致で書かれ、成果より反省点、問題点、今後の教訓とすべき課題が詳しく書かれていた。

『「慰安婦」問題とは何だったのか』『「慰安婦」問題とは何だったのか』

「償い」の募金には、多くの国民が協力した。大企業などの協力は得られなかったが、職場での募金や、基金の事業を知った様々な人たちからお金が送られてきた、という。その額は6億円に達した。当時、把握できた「慰安婦」の半数に「償い」を届けたにもかかわらず、基金にはしばしば「失敗した」という評価も下される。それは、韓国での事業展開が難しかったからだ。その原因として、基金自身の問題に加え、次のような諸事情があった、と大沼氏は書いている。

〈韓国世論を変える努力をまったくといっていいほど払わなかった日本政府の消極姿勢。(中略)

強硬なNGOの説得に動こうとしなかった韓国政府の無為。

元「慰安婦」を「売春婦」「公娼」呼ばわりして韓国側の強い反発を招いた日本の一部の政治家や「論客」と右派メディア。

みずからが信ずる「正義」の追及を優先させて、ときに元「慰安婦」個々人の願いと懸け離れた行動をとった韓国と日本のNGO

強固な反日ナショナリズムの下で一面的な「慰安婦」像と国家補償論を報じ続け、多くの元「慰安婦」の素朴な願いを社会的権力として抑圧した韓国メディア。

そうした過剰なナショナリズムをただそうとしなかった多くの韓国知識人。

韓国側の頑な償い拒否に、被害者を心理的に抑圧する独善的要素があることを批判しようとしなかった日本の「左派」や「リベラル」な知識人とメディア

これらさまざまな要因が相俟って、韓国における元「慰安婦」への償いに不十分な結果をもたらしたのである〉

問題は、どこか1つに集中して存在するのではない。

(赤地は啓介の加工です)。大沼さんのインタビューは以下に出てきます。じっくり読むに値すると思います。

出典●http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130525-00025178/

 

 


 ぼくの朝鮮認識 1960年(18歳)(続)

2013-04-23 06:45:19 | 韓国・北朝鮮

1960年4月21日の日記の続きです。

大学に入ってマルクス主義の洗礼を受ける前の僕の社会認識がつづられています。韓国の4・19学生革命と日本の安保闘争の最中です。


中産階級の勃興がイギリスで話題になっているなど、マルクスの考えた資本主義の自滅は現在まだ考えられない。しかし、資本主義は次第に社会主義に変わりつつあることは事実だ。社会保障制度の進歩などは両社会の接近を示すものだろう。

 共産主義の社会には自由の制限があるという。国家がある程度の個人の自由の提供によって成立する以上当然ではあろうが、社会主義の国ではそれが資本主義国より強いことは事実だろう。しかし、生産の向上と国力の充実とともに解消されるだろう。

 資本主義社会には大幅な自由が許されている。しかし、無茶な自由競争によって、労働者の労働条件は悪化し、生産品の販路を失う。そして多数の貧民を出す。

 自由が与えられていてもそれを生かすことができない。これはまた大きな自由の束縛ではないだろうか。資本主義社会はそこも是正しなければならない。どうやって是正するのか。

 岸政府は貧乏の追放を言い出したが貧乏は少なくなったか。かえって多くなったかも知れないだろう。資本主義の仕組みでは貧乏はなくならないことは明白だ。歴史が証明している。そこには計画経済など社会主義的な方法が必要になる。

 資本主義は社会主義に接近していくことになろう。そして社会主義も資本主義を放逐することはできまい。どちらもの利点をとりあって新しい世界を作り上げなければなるまい。社会主義も資本主義もないのである。

 アメリカににも強くそれを望む。共産圏敵視をやめること。韓国や日本に米軍がいる必要はない。(略)

 この事件の解決はしたがって李政府の即時退陣、正副大統領選挙のやり直しはもちろんであるが、結局は、在韓米軍の撤退、朝鮮の統一よりほかにあるまいと思う。

もし、韓国政府が国民の目をそらそうとして、北進や李ライン強化の無茶をやれば、この傷はますます深くなっていくだろうし、北進の前に韓国はより大規模な内乱になろう。軍隊が李承晩の命令に反するかもしれないからだ。

 韓国国民は北鮮国民と同胞である。平和的統一を願っていることだろう。それを一部の者たちが阻止している。李政府はそれであり、そのもとはアメリカであるかもしれない。自分たちの利益のために韓国や朝鮮の人びとを欺いているのだろう。

 今、韓国と北鮮と、どちらが好きかと問われたら、恐らく、北と答えるに違いない。民主主義国韓国には民主主義がないし、共産主義社会主義国北鮮には夢や希望があるのだから。そして、恐らく朝鮮は金日成によって統一されたほうがずっといい国になろう。朝鮮人民の大半がそう念じているように思えてならない。(略)

 民主党政権ができれば北鮮との話し合いも可能かも知れない。そして一日も早く、朝鮮の人たちが手に手を取って祖国の創建に立ち上がってほしい。隣人として特に強く朝鮮の人たちを知っている自分は強く希求する。

 日本はかつて朝鮮の国土を踏みにじった。それは自分たちがしたことではなく、一世代前の大人たちがしたことだ。しかし、自分たちはその子孫である。その責任は回避すべきではない。強く立ち上がって成立した統一朝鮮には物心両面の協力を申し出て前科を償うべきである。

 それまでには日本にも真の民主主義が育成されねばならぬ。岸政府ではだめだ。朝鮮の二の舞を演じぬように日本こそデモクラシーのルールに沿った革命を成就すべきだ。

 道は遠いかもしれない。しかし、幸福追求は自分たちの権利だ。朝鮮の事件を単によそ事と見るだけでなく、日本の国にてらしてもかんがえてみるべきである。

 今ごろ岸さんは首をちぢこめているかもしれない。あるいはまた、これだからこそ、自衛隊を強化し、警職法を改定し、安保強化をしなければならないと考えているのかもしれない。

願わくば日本のために第二の李承晩にならぬように。(以下略)


 

高校を終えたばかりの僕の朝鮮認識・世界認識はこんな感じだったことがわかった。

同じ時代を生きた読者はどう感じられただろうか。


ぼくの朝鮮認識 1960年(18歳)

2013-04-21 10:27:47 | 韓国・北朝鮮

4月20日(土)雨 寒い

韓国の学生革命の記事を書いた後、1960年4月の僕の日記を読んでみました。東京教育大学の入試に失敗して室戸岬の生家に帰っていました。おかげで「安保闘争」に直接巻き込まれることなく、四国の東南端から世界を見ていました。悶々の日々でした。


 

1960・4・21(木) 南ア 韓国 日本 北鮮(原文のまま)

   (9Pに及ぶ日記の一部)

 帰還朝鮮人の伝える北鮮はすばらしい祖国だという。第一、青年に夢があるという。金日成首相が国民の圧倒的支持を受けて社会主義建設に邁進しているという。視察に行った自民党員でさえ驚いているのだから嘘ではあるまい。

 夢があり、希望がある国には発達がある。そして、北鮮に帰った人たちは、日本に追いつき追い越せという祖国の旗の下に毎日が本当に楽しいという。日本とも仲良くなるように努力するだろう。今でも北鮮との通商を拒絶しているのは岸首相である。日本である。

 全朝鮮を統一する国家が暗黒の李政権であるか、民主政治といわれる北鮮の人民たちか、明白であろう。米韓条約で米軍が駐在しているので韓国の独立は保たれているに過ぎない。韓国人民の意志は在韓アメリカ軍のために無視されているのかもしれない。アメリカ軍がいなければ朝鮮は恐らく統一されていることだろう。民主主義が守られる社会ができつつあったはずである。

 社会主義と資本主義は、どちらがいいとは簡単にはいえないし、自分たちにはなおわからない。しかし、夢があり希望がある社会がいいに決まっている。一つの壁を越えればその希望に達することができるなら、壁を越える苦労は喜んでするに決まっている。

 現在の資本主義国に夢や希望があるか。ないからこそ、青少年が不健全化しているのではないか。暴力と汚職と貧乏が、この国の発展を阻止しているのではないか。

 でも、また、それだからこそ夢を持たねばならないのかもしれない。この壁を越えて自分たちが夢を持てる社会をきづく夢を持つことが必要なのかも知れない。夢のない中に夢を持つ、大変なことだ。(略)革命を前提とすることになるだろうか。それならば夢のない社会に夢を持つことは大きな勇気のいることだ。韓国の立ち上がった人々はその勇気を示したことになる。

(略)アメリカは民主主義の国である。自分はそう信じる。(略)しかし、米は自分たちの信ずるデモクラシーのみを正しいと信じ、他のデモクラシーを認めない。そして自分の民主主義を守るために各地に軍隊を駐留させているのではあるまいか。時にはそれが各国の民主的傾向を阻害しながら。日米安保条約、米韓条約…。

 アメリカの共産圏を恐れる政策が韓国や日本ではその為政者の利益に結びついて、内政にも大きな干渉をする結果となっている。アメリカは民主主義を守るためだろうけれど、かえって、韓国や日本で民主主義が守られなくなっていくばかりである。共産圏の脅威からたとえ韓日を守っていると考えるとしても、韓国や日本で民主主義が守られないとしたら何の役に立とう。


僕は同級生の中では社会的関心が強く、社会科は得意な科目だった。県立高校とは違って政治的には保守的な学校だったから「社会主義」的傾向を有する先生には出会わなかった。

僕の社会的思考の資料は教科書・授業で培った知識と新聞・NHK(ラジオ)と映画ぐらいであった。春夏冬の休みには室戸岬の生家で父の購読する雑誌『世界』『文芸春秋』を読むこともあったからこれらの影響も受けているだろう。

在日コリアンの北朝鮮帰還は前年(1959)の12月に始まって怒涛のような勢いで進んでいた。新聞やラジオが伝える「北」の情報がどんなものだったか、この高校生の日記からも推し量ることができる。

僕は今北朝鮮から脱出してきたKさんの話を聞く機会が多い。60年に高校生の身で「社会主義」にあこがれて「北」にわたった。日本の中学でも朝鮮高校でも飛びぬけた優等生だった。

船に乗り、「北」の地に着いたそのときから、だまされたことに気づき、「自分」を押し殺して生きる決意をしたという。

 「北」の宣伝に明け暮れ帰還運動を推進した朝鮮総連や共産党の責任はいうまでもないが日本のマスコミや政治家たちの言動の罪も深い。

判断力の乏しい僕のような高校生の世界観形成に大きな影響を与えたのである。恐ろしいことにその影響は僕の人生のかなりの期間に及んだ。

僕は2002年9月17日を期して、北朝鮮王朝とその追随者たちにはっきりと立ち向かうことにした。その結果としてKさんたちとの出会いもあった。それまでにどれだけ多くの人びとの苦難と犠牲を見過ごしてきたことか。

僕が見ている限り、2013年の今になっても高校生や大学生だった60年代に植えつけられた朝鮮観・世界観から自由になれない人が少なくないような気がする。それらの人びとは相変わらず朝鮮総連の随伴者となって「朝鮮学校を差別するな」などと本質とは離れた宣伝に和している。僕には偽善者の最たるものに見える。

青年期に受けた思想的影響から自由になることは困難だ。まして、幼少期から特定の宗教やドグマに縛られて育ったらどういうことになるのか。その罪の深さに慄然とするばかりだ。

(日記では「北朝鮮」を「北鮮」と書いています。当時の新聞やNHKの受け売りをそのままに書いたものと思われます。「朝鮮人」を「鮮人」などと表現するのと同様で植民地支配の時代に由来する侮蔑的表現と考えられます。)

 

 

 


独裁がもたらした「思考や心の歪み」

2013-04-20 14:53:47 | 韓国・北朝鮮

4月19日(金)曇

 1960年の4月19日は韓国の学生革命が最高潮に達した日です。大統領選挙の不正に抗議するデモがやがて李承晩大統領を退陣に追い込み長く続いた独裁政治を終結させたのです。

先日Facebookで石丸次郎さんの短い文章を読みました。

Jiro Ishimaru
木曜日.スーチーさんの京都講演要旨。「ビルマでは半世紀に及ぶ軍事政権支配で独裁的な考え方が形成されたが、民主国家になるにはそうした思考法を変える必要がある。それを早くできるのは女性だ。女性は男性ほど軍事政権の影響を受けていない」。北朝鮮にも繋がる。独裁による思考や心の歪はあまりに深い。


 スーチーさんの講演内容は詳しくはわかりませんが「独裁による思考や心の歪み」を是正する困難が指摘されていることに共感しました。

 北朝鮮の場合は半世紀などという代物ではありません。李朝・日帝時代・ソ連時代・金王朝と「独裁政治」は連綿と続いており、人びとに「民主国家」の体験がありません。
国を固く閉ざした歴史が長いので民主主義の思想に触れることができた人もほとんどいないと思われます。儒教・天皇制イデオロギー・スターリン主義・金日成主義と人民を「奴隷」の地位におしとどめ、体制への忠誠心を煽り立てるイデオロギー教育が幅を利かせました。

 北朝鮮の内側から独裁に立ち向かうのはほとんど不可能といわれるのは「思考や心の歪み」の深刻さからも理解できることです。
 文字を持ち学問がある人ほど体制の思想を身に着ける運命にあり、「思想や心の歪み」が顕著になります。女性差別のゆえに学問から縁が遠く、体制の思想に毒される程度が低い女性に民主主義思想への変革の可能性が高いというスーチーさんの見立ては、当たっているかもしれません。

 北朝鮮にもそうした指摘が当てはまるのでしょうか。

先日、脱北してきた女性の話を聞く機会がありました。
「朝鮮学校の女教員と話してびっくりしました」「日本で生まれて日本で育ったのに言っていることが北朝鮮の教員とまったく変わらないのです」「一体どういうことでしょう」

幼稚園から朝鮮大学校まで優等生で過ごしたら日本に生まれ育ってもきちんと体制の思想を身につけた金王朝の忠臣に錬成されるのでしょう、か。

僕はもう20年近く朝鮮学校の教員と話をしたこともないのでちょっと実態がわかりません。面従腹背で日々を送っている人も少なくないのではと思ったりするのです。罪の深さには変わりありませんが…。

 それにしてもと思います。

 金王朝の独裁は李承晩や朴正煕のそれと比較することができない徹底したものです。平時に300万人もの餓死者を出しても王朝を守るための核武装に狂奔する始末です。
 どうしたら独裁を終わらせることができるか、在日コリアンも日本人も徹底した議論と行動を起こさなければなりません。70年代から80年代にかけて「韓国民主化」に青春をかけた人々はどこに行ってしまったのでしょう。

 


 

 


闘いのときが来た

2013-04-11 08:05:54 | 韓国・北朝鮮

4月10日(水)晴

久しぶりの我が家です。コリンゴがはなざかり。

 写真: 我が家ではコリンゴの花盛り

午後、飯能の病院に義母を見舞いました。順調な恢復で顔の表情も豊かになってきました。


 

先日の新聞記事です。遅まきながら紹介します。

大沼校長は遠い昔、僕の生徒だった人です。

教員や校長は何をしなければならないか、どういうことができるか。

一つの見本を見せてくれました。

理屈をこねまわすこととは無縁な人です。

姉弟はこういう人に出会うことができてラッキーだったと思います。

「ふたつの国がいい関係になる」ためには独裁との不退転の闘いが不可欠です。

僕は何をしなければならないのか、どういうことができるか。

気力だけは充実してきたように感じます。


 

 


「朝日新聞」2013年(平成25年)4月4日(木) 


転校生は北朝鮮から

高層マンションが立ち並ぶ東京都江東区。4年前の冬、区立豊洲北小学校にやせ
細った姉と弟が仲間入りした。始業式の日、校長は全校児童を前にこう紹介した。
「北朝鮮から来た転校生です」


学校、生活物資募り支援

5年生に入った朴さんと3年生の朴くん(仮名)。北朝鮮で生まれ育ち、国の将来
に失望した母親(42)に連れられて国境を越え、日本にたどりついた。父親は事
情があって、いまも北朝鮮にいる。
日本での身寄りは、先に脱北していた祖母(69)だけ。日本語もほとんどできず、
着の身着のままだった。関係者の依頼で当時の大沼謙一校長(62)が、学校を挙
げての支援を引き受けた。大沼校長のつてでアパートを借りた。教職員や保護者
から、不要になった服や電気製品が集まった。

朴さんの担任は、川辺章絵教諭(41)。教科書にぴっしりと読み仮名を振り、予
習をしてくる姿に驚いた。
なぜそんなに一生懸命なの、と尋ねると、朴さんは言った。「勉強する時間があ
るのはうれしい。それに日本にはなんでもある」
北朝鮮の地方では、電力不足で夜すぐに暗くなる。鉛筆もノートも粗悪だった。
「北朝鮮から来たと言うと、特別な目で見られ、プライドが傷つくことがあった。
勉強で負けたくない気持ちもありました」と、朴さんは振り返る。

弟の朴くんが5年生だった秋、悔し泣きして家に帰ったことがある。友達に「な
んだよ、北朝鮮のくせに生意気だ」と言われた。この年も担任だった川辺教諭は、
授業時間をつぶし、全員を厳しく諭した。
「私たちが友達になるときに、どこの国の人だからって選ぶかな?悪いイメージ
の国だからといって、それで人を判断するのは間違っているよ」
 級友の心ない言葉は次第に病んだ。
朴くんはたくさんの仲間をつくり、そして卒業していった。

法律を学び、同胞救いたい

姉弟は中学では、「韓国から来た」ということで通すことにした。迷ったけれど、
北朝鮮のことをいちいち説明するのはわずらわしい、と考えたからだ。

朴さんはこの春、都立高校に進む。将来は法律を学び、北朝鮮の人たちの支援に
かかわるのが夢。中2になる朴くんは部活に明け暮れる日々だ。2人とも社会人
になったら、正直に名乗るつもりという。

拉致問題、核保有、「戦時状況突入」。母国のニュースが流れない日はない。
2人は時々、昔見た北朝鮮のアニメや映画をインターネットで探し、懐かしむ。

4年前、姉弟を受け入れた大沼校長は「大人になるころには、二つの国がいい関
係になっているかもしれない。両国の懸け橋になれるような国際人に育ってほし
い」と話している。(石橋英昭)


日本の脱北者
 北朝鮮から中国に脱出した人のうち、かつて帰還事業で北朝鮮に渡った在日朝
鮮人や日本人配偶者、その子孫らについて、日本政府は受け入れている。199
0年代後半から増え、現在は200人ほど。2006年にできた北朝鮮人権侵害
対処法は保護や支援策を政府に求めているが、日本到着後の生活の世話はNGOや親
族に委ねられているのが現状。日朝両国の赤十字による帰還事業では、59~8
4年に9万3千人余が渡った。



朝鮮総連本部やっと競争入札へ

2013-02-26 09:21:59 | 韓国・北朝鮮

 2月26日(火)今日も明日も寒く、外には出られないかな。それでも日々は過ぎていきます。


 

昨日、朝鮮総連の本部の競売の日程が決まったと報道されました。こんな当然のことが決まるのになんとまあ時間のかかることか。

RCCが朝鮮総連から回収しなければならないのは少なくみても627億円です。本部がいくらで競り落とされるのかわかりませんが、回収目標の一割にもならないのです?。

総連から「北」の王朝に貢がれた巨額の献金が原爆やミサイル、果ては金ぴかの銅像に化けているのです。やりたい放題の「経営」の結果、組織が破綻するのは当然ですが、その尻拭いまで税金でやるのは許せません。RCCは手を尽くしてきちんと回収の仕事をしてほしいものです。

 総連幹部らは各級朝鮮学校まで抵当に入れて借金を重ねました。売却された学校もあるといいます。韓ドクス前議長の豪邸(新宿区中落合)はどうなったのでしょう。本部と同じように総連とは所有者が違うと裁判にでもなっているのかな?

朝鮮総連本部、競売入札は3月12日から

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 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の土地・建物(東京都千代田区)について、東京地裁は25日、競売のための入札手続きを公告した。入札期間は3月12~19日で、購入できる下限の価格は約21億3400万円。同月29日にも売却先が決まる。買い手が現れれば、「事実上の北朝鮮大使館」とも言われた最重要拠点が総連以外の手に渡ることになる。

 中央本部が入るビルは地上10階地下2階、延べ床面積約1万2千平方メートル。敷地は約2400平方メートルある。総連に対して借金の返済を求める権利(債権)を持つ整理回収機構が昨年7月に競売を申し立てた。地裁は土地・建物を差し押さえたうえで、資産価値の評価などを進めていた。買い手がつかなければ、手続きが停止されることもある。

 土地・建物の登記上の所有者は「合資会社朝鮮中央会館管理会」だったが、機構は実質的な所有者が総連であることの確認を求めて提訴。昨年6月に最高裁で機構の勝訴が確定し、競売が可能になった。

出典●http://www.asahi.com/national/update/0225/TKY201302250045.html

朝鮮総連中央本部の競売、来月に入札 評価額約26億円

産経新聞 2月25日(月)10時47分配信

 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に債権を持つ整理回収機構(RCC)が強制執行(競売)を申し立てていた朝鮮総連中央本部(東京都千代田区)の土地・建物について、東京地裁が競売を公告したことが分かった。公告は25日付。入札の下限である買い受け可能価額は約21億3460万円。入札期間は3月12~19日で、26日に開札し、29日に売却先を決定する。

 公告によると、中央本部の土地は約2390平方メートル。鉄筋コンクリート製、地上10階、地下2階建ての建物の延べ床面積は1万1740平方メートル。

 不動産鑑定士による評価書によると、評価額は約26億6800万円。JR飯田橋駅徒歩約4分の好立地だが「東日本大震災で壁に亀裂が入るなどし、建物を十全に使用するには、大規模修繕を行う必要がある」としている。

 RCCは、経営破綻した在日朝鮮人系信用組合から不良債権を引き継ぎ、このうち約627億円については、全額の支払いを総連に命じた平成19年の東京地裁判決が確定した。登記上、中央本部の所有者は「合資会社朝鮮中央会館管理会」となっているが、実質的な所有者が総連であることの確認などを求めた別の訴訟でも、昨年6月、最高裁でRCCの勝訴が確定。RCCの申し立てを受けて、地裁が同年7月に競売手続きの開始を決定していた。


「黄海道で大量餓死」 アジアプレスが伝える

2013-01-28 08:10:27 | 韓国・北朝鮮

1月28日(月)晴れ

川越はうっすらと雪化粧。寒い朝です。アジアプレスの石丸次郎さんらの活躍で北朝鮮の飢餓の実態が伝えられてきました。

北の穀倉地帯で飢餓・餓死とは信じられません。王朝が栄華を装うための収奪の結果です。隣国の首領交代劇の影で進行する人びとの苦しみに目を閉ざしてはなりません。 

 

【朝鮮半島ウオッチ】

飢餓地獄の北朝鮮で人肉食相次ぐ 親が子を釜ゆで 金正恩体制下で大量餓死発生

2013.1.27 18:00

 

 北朝鮮南西部の穀倉地帯、黄海南北道で昨春来、数万人規模の餓死者が発生していたことが、北朝鮮の内部情勢を独自報道してきたアジアプレスの石丸次郎氏が率いる取材チームの調べで分かった。金正恩第一書記デビューの舞台となった首都平壌建設や、北朝鮮人民軍の掌握のための食糧調達を、穀倉地帯から強制収奪した結果の飢餓発生だったもようだ。目撃証言は一家自殺や人肉食など凄惨(せいさん)な内容で、石丸氏は飢餓の実態と背景について報告書にまとめ、今月中にも国連など国際機関に提出する。(久保田るり子)

麗しい首都平壌と穀倉地帯の飢餓地獄

  北朝鮮は昨年4月、金日成生誕100年祝賀行事と「祝砲」のミサイル発射で金正恩氏の新体制を内外に誇示した。ミサイル発射には世界からの21社170人もの外国メディアを受け入れて指導者デビューを飾ろうとした。ミサイルは失敗したものの、首都平壌は高層ビルの建設ラッシュ、その夜空は花火で彩られており「平壌は発展している」などと報じた外国メディアも少なくなかった。

 しかし、石丸氏らの取材は、その平壌の繁栄が虚構であることを暴き、「人民の生活向上を重視」などと年頭に演説した金正恩体制の“正体”に迫ろうとしている。

 石丸氏によると、取材チームが穀倉地帯の異変をキャッチしたのは昨年3月ごろ。以来、中朝国境に出てきた黄海道の住人取材や、チームのメンバーであり石丸氏が養成してきた北朝鮮人記者による潜入取材などを敢行して証言を集めた。

『私の村がもっともひどかったのは昨年4月と5月でした。飢えて全滅した一家もあれば絶望して全員が自殺した家もあった。毎日5世帯、6世帯と死人が出た』(黄海南道、農村幹部)

 『目を覆いたくなるような状況でした。青丹郡というところでは住民の何割が死んだかわからないほど。空腹でおかしくなった親が子を釜ゆでして食べて捕まる事件があった』(黄海道の農村に党の方針を伝達するため域内を回った党中堅幹部)

 石丸氏が衝撃を受けたのは、取材した黄海道住民の全員から人肉食の証言が出たという凄惨な事態だという。親子殺人や人肉の密売流通などで、多くは保安部(警察に相当)に通報され処罰されているため住民の間で公然化していたという。

権力による計画的な食糧収奪と強奪

 

 「国中が疲弊するなかで平壌と軍の安定だけは金正恩体制の至上課題だった。黄海道から収奪されたのは、首都再開発事業に全国から動員された学生や青年同盟(金日成社会主義青年同盟)などを養う食糧と、平壌市民への配給用の『首都米』、軍部隊を維持するための軍糧米だ。地方幹部や警察など権力側がチームを組んで農村から強奪していた。一方、軍用は軍糧米の名目で、収奪は収穫前に田畑に入るケースや収穫後に持ち去るケース、さらになけなしの食糧を隠している住民も、家宅捜索までされて強奪された」(石丸氏)

 約20年間、国境取材などで北朝鮮をウオッチし、約10年前から北朝鮮内部に記者を育成、潜入報道を行ってきた石丸氏は、黄海道が5、6年前から軍による収奪が行われていたことに注目していたという。

 「しかし、昨年から始まった飢餓は明らかに金正恩氏デビューに伴う莫大(ばくだい)な浪費によるものだ。新しい指導者が出たのに『軍に配給もない』では体制は保てないため穀倉地帯に負担を強制したのだ。われわれが取材した証言には、銃を持った軍人が脱穀所から食糧をすべて奪取した目撃談や、上部からの命令でノルマを課され暴力的に奪取する以外に方法がなかったと語る地方の党幹部などの話が少なくない」(同)

 取材チームは、入手した複数証言の分析から餓死者は数万人と推定した。黄海南北道は中国国境に遠いこともあり、中国への脱出者が全土で最も少なく情報が外部に出にくいという。

北朝鮮の食糧事情は好転している?

 

 欧州連合(EU)は2012年秋に北朝鮮に調査団を派遣、食糧事情を調査した結果は「緊急支援は必要なし」とされ、今年のEUによる対北食糧支援は打ち切られている。また国連の世界食糧計画(WFP)と食糧農業機関(FAO)が昨年11月に発表した報告書も2012-2013年の穀物生産予測は前年対比コメ11%増、トウモロコシ10%増で食糧事情は好転したとしている。

 しかし、北朝鮮は政治的な理由から調査を捏造(ねつぞう)データでごまかすことが多い。このため慎重なクロスチェックが求められる。「作柄が好転すれば幸いだが、農村への収奪については国際機関が本格的に調査する必要がある」(石丸氏)

 調査を続ける同取材チームのもとに現地からは、国際機関の報告とは全く逆の「今年の不作」の予測と生活の不安を訴える声がいまも相次いでいるという。

出典●http://sankei.jp.msn.com/world/news/130127/kor13012718010001-n1.htm


「北朝鮮で暮らすということ」 韓錫圭さん

2012-12-31 07:53:49 | 韓国・北朝鮮

2012年12月31日(月)

昨日は年賀状の宛名書きをしました。藤井伸さん、洪大杓さん、日高正人くんから来た賀状が出てきました。もう会うことができなくなった人たちです。

 「登り来て かえり見すれば 伊豆の陸(くが) 裳裾となりて 富士見ゆるくに」 藤井伸(大島高校・元同僚)

 「ようやく 立ち上がりつつ あります」  洪大杓(友人・「弟」)

 「昨年は自分も合計8ヶ月ぐらい入院してしまい、母親の痴呆が進み、6月に老人ホームへ入所しました。息子の顔も名前も忘れてしまい残念です。今年は穏やかな年にしたいものです。自分も現在、抗がん剤で3週間に一度の上京です」 日高正人(大島高校・元生徒)


 

北朝鮮を脱出してきた友人の講演録を読みました。折に触れて直接お聞きしている話ですが、友人たちにもぜひ読んでもらいたいと思います。

 想像を絶する寒気の中で年を越す人たちを想います。

(全文は文末に表示したHPで読めます。終わりの部分だけ掲載します)。

「北朝鮮で暮らすということ」 韓 錫圭

(省略)

大量餓死の時代

 みなさんは不可解に思われるかもしれませんが、どうして北朝鮮は世界で一番ひどい食糧難を経て、大量の餓死者を出したのか。それを理解できない方がいらっしゃると思うのですが、私が最初に行った時に、社会主義という経済のシステムをすごい疑問に思ったのです。

まず、農業システム、日本で農家の方は自分の持っている田んぼや畑にこれを植えたら一番収益になる、自分の持っている土地に対して充分理解したうえでやりますよね。ところが北朝鮮に行ってみたらそうではないんですよね。今年、農業はどういうふうにする、5月1日から田植えをする、そう、上で指示をしたら北の端から南の端まで全部5月1日からヨーイドンと田植始めれ!となるんですよね。

そうしたら、北の端は稲がこれくらいにしかならないし、南の端は伸びすぎているかもしれない。関係ないんです。5月1日から全国の農民が競争なんです。毎日放送でじゃんじゃんやるわけです。どこの農場は何%植えた、どこの農場はこれぐらいだ、と。適地適作なんて関係なく農業が進められる。

 

働かない幹部たち

 農業も工業もそうですけど、幹部たちは働かない。農業だと一番末端の作業班というのですが、作業班の班長でも働かない。その作業班には朝鮮労働党の責任者がいる。農民同盟の責任者がいる。青年同盟の責任者がいる。婦人同盟の責任者がいる。すでに4人、それに班長で5人。それは絶対働かない。本当に何にもレッテルのついていない人間しか働かない。そのレッテルの付いていない人間が働かない人の分まで働かなくてはダメじゃないですか、だから加重になるわけです。

ところが、農民と言うのは都市が支援することになっているんです。農繁期になると学生、会社員全国から行って田植を手伝うわけです。秋の刈り取りもそうなんです。そうすると農民は沢山来た支援者たちに、あれしろ、これしろと言えばいいのです。北朝鮮では指導農民といいます。直接働かない。指導だけすればいい。だから、専門の農民が農業をやるわけじゃない。全国がそういうシステムになっていているし、農業のやり方自体が上からこうやれと言う指示で動く。

 そうなるとどうなるか。土地がだんだん疲弊します。収穫量が減って行きます。治産治水をしない。幹部でなきゃ生きていけない。そういう社会なんです。工業も同じです。ひとつの作業班で各役人は全部働かない。上からは有給はどれくらいと決めてきます。でも実際の現場では、なんでもいいから小さなレッテルがついていれば働かない。一番下っ端しか働かない。そうするとバランスが取れないじゃないですか。北朝鮮の本物の農民と本物の労働者は、自分の背中の上に何人の人間を養っているか、そう思っていました。

経済はどんどん落ち込んであたりまえのシステム、私は飢餓の時代になった時、本当に悔しかったです。私が北朝鮮に行って、北朝鮮について勉強して知識を持ってみると、世界中で北朝鮮ほど地下資源の豊富な国はありません。本来ならば、世界で最高の暮らしができる国土を持っているのが北朝鮮です。無い鉱物はありません。今北朝鮮が核兵器を持っているかどうかといつも騒いでいます。ウランが出るからやっていることなんです。輸入してやらなければならないなら、北朝鮮はできません。ソ連の核開発の最初は北朝鮮のウランでやった。そう言われるほど北朝鮮にはウランがあります。

 

社会主義システムへの疑問

 社会主義と言うシステム自体に私は疑問を持ちました。北朝鮮で現実を見た時、他の社会主義国家はどうなんだろうと考えました。その頃はまだ、ほかの社会主義国家の映画も見せていましたし本も外国のものがたくさんありました。そういうものを見ていると、レーニンのときにすでに、社会主義計画経済のひずみがソ連の出版物や映画にも出ています。それから長い時間を経てソ連が崩壊する前くらいのソ連の出版物を見ると賄賂作戦、上役に賄賂を使わないとダメな、現象も出ています。ソ連だけではなく、中国の本を見ても社会主義というシステム自体がそうならざるを得ない、そういうものじゃなかったのか。ヨーロッパの社会主義国家がざーっと崩壊した時に、あぁ、なるべくしてなった結果なんだと思っていました。でも、北朝鮮ほどひどかったかどうかは分からないのですけど。

 

配給だけに頼る階層は死んでいった

 飢餓の時代を考えてみたら、私は今でもその時代がフラッシュバックすると夜中でも本当に跳び起きます。さっきも言ったように、配給というシステムで成り立っていた社会で配給が遮断された時、大量餓死が起こったわけです。本当にすごいありさまでした。300万人、数字で300万、戦争でない、平和な時代に300万というのは恐ろしい数字です。

朝出勤するために外へ出ると、冬なんかは雪が降って一晩たつとアイスバーンになります。その道のあちこちに人が倒れています。近寄ってのぞいて見て、目が動いている人はまだ生きている。目がじっと固定している人はもう死んでいる。大人は倒れても何も言いません。でも子どもは母ちゃん、腹減ったよ―、1日中怒鳴ります。自分の親に向かって怒鳴っているのじゃないです、道行く人が自分の声を聞いてだれか振り向いて、誰かがパンのひとかけでも握らしてくれないか、そういう期待のもとで怒鳴るわけです。私が考えるに、お前もっと腹減るのに、どうして叫ぶんだよ、と思うのですが。

その叫び声が止まった時が、その子の死ぬ時なんです。考えられないでしょう、日本ではお医者様は食いっぱぐれしない職業だと言われます。一番先に、大量に死んだのがお医者様、教員、科学者、知識人。その人たちは配給にだけ頼って生きていましたから。それに社会主義国家ではインテリ層は基本階級じゃないと宣伝されています。普通は御主人が会社で働くと奥さんは専業主婦になって内職をします。その内職の方がお金になります。おかしいでしょう、正規の会社員として働いているご主人より、手内職をしている奥さんのほうがお金を稼げる。でも北朝鮮はそういう状況なんです。

 私が一番初めに日本に入って来た時、まだ在留資格も得られない時、働けないので内職をしたことがあります。西陣織のネクタイを作る内職をしました。1本1万円で売るネクタイ、あれはみんな手で縫うのですが、1本つくりあげて60円です。手内職というのはそれくらい安いのです、日本では。いくらしたって、自分の食べる分にはならないじゃないですか。ところが北朝鮮ではそうじゃない。私が行った頃には、イグサに似た草で編んだカバンとか、帽子とか、そういうものを輸出していたんですけど、みんな女性の手内職なんです。すごく器用で。その内職の収入がご主人の収入の何倍にもなる。私が大学を卒業して勤めた時、初任給60円くれました。額面は60円なんですが、冠婚葬祭があるとか、職場で今度の土日はどこかの橋の現場で道路工事をしないとダメだとか、それに使う道具とか材料とか、みんなその会社でしないとダメなんです。それを従業員が負担するのです。月給からピンハネしてしまうんですよね。最後残るのは配給を取るお金が残るならいい月で、残らない月はマイナスになってしまうんですよ。生活は維持できない。

でもお医者様とか科学者、技術者、学校の先生とか、みな大学卒のインテリですよね、そういう人たちは資本主義的な方法で金を儲けちゃいけない、内職も正規の労働じゃないので資本主義的とみなされるんです。だからやっちゃダメ、御主人の給料で配給をもらう、それ以外は考えられない。そういう状態で生きていた。工場地帯はご夫婦ともども会社勤めをしていて、配給で暮らしていた。そういう所で配給がパタリと止まったら方法がないわけです。だからバタバタ死んだ。おびただしい数の人たちが死にました。

 

人災としての飢餓

 うちの嫁は優しいので、私が朝出勤する時に嫁に言うのです、誰かが家に物乞いに来たら絶対何もやるんじゃない、外で、道端やヤミ市などで子どもでも手を出して、あなたが食べ物や10円札でも持っていたら、あげてもいい。でも家に訪ねて来た人間には絶対何もやるんじゃない。

そうしたら、ある日、家へ帰ってきたら近所の、まっ黒けの男の子がいるんですよね、どうしたのと聞いたら、どうしたらいいんでしょう、お腹が空いたと言ってきたから、ごはんにキムチをのせて、スプーンを付けて、外に行って食べなさいと言ったら、家の中で食べてそれから出て行かないんです、と。十日くらい居たんですかね。追い出そうと思ってもガッチリ家のモノをにぎって出ないんですね。必死になって。家に帰ったらお腹が空くから。近所の子ですがその親に言ってもしょうがないんです。親は自分が食わせられないから知らん顔なんです。嫁がなんとか連れ出してほしいと言いにいったのですが、食わせられないからしょうがないと。最後に私の娘婿が来て、出しました。お母さん、そんな方法じゃダメ、ビニール袋にご飯を一杯と、おかずを入れて下さい、と言うんですね。その子のところへその袋を持って行って、これをやるから俺についてこい、と。その子は食べ物を見て、出て行く方がいいか、居座っていた方がいいか、見比べて考えて、やっぱりやめたと思ったらしい、そうしたら婿が最後に一発なぐりました。恐怖心を持たせて、それで連れ出しました。

 ものすごい数の人が死にました。1994年、5年、6年、7年、最高に死にましたよね。どのくらい死んだか。私は2番目の娘婿を連れてその実家の田舎に行ったら、道でその娘婿は友達に会ったんですね。お母さん、ちょっとあの子と話してくるから、と。戻ってきたら手に紙束を持っているんですよ。A4の紙を四つ切にした紙を5センチ厚さくらい持っているんです。お母さんこれ見て下さい、と。見たら名前 ○ ○○、性別 男、年齢 ○○、その他 5名と 書いてある紙です。この紙きれ一枚が5人分なんです。死体を5人処理したってことだったんです。一番最初、餓死者が出始めた頃、ひとりひとりを埋めました。大量になるとそうできない、集めて処理します。行政機関に専門の部署がありました。その部署が、ひとり死体を処理したら朝鮮のお金で300円くれたのです。ところが政府がその金を出しきれなかった。だから、こんなに溜まったんです。行政機関の上から、金が付いたから取りに来いって言われて、取りに行くための死体処理の紙がこれくらいあったんです。四つ切の紙がこれくらいあったら何人になります?それくらい沢山の人が死にました。

 朝鮮労働党の党会議、党員の何%か参加しないとできない会議を構成できないくらい、死にました。私はそれは絶対に天災じゃないと思っております。どこまでも人災です。私は政治がどれほど恐ろしいものであるか、本当に骨身にしみて思い知らされました。子どもたち家族を死なせないために、その時初めて、日本に居る親に向かってまとまった金が必要ですと連絡しました。それまで私は親にまとまって何かしてもらったことは無かったのです。送ってくれたお金が日本円で25万でした。それでは足りなくて親しいお友達が足してくれて、食堂を経営しました。経済が金正日の手に負えなくなったから、個人経営をしてもいいという、そういう時期があったのです。そこで家族が食べて、利益金として残ったものは中国製のトウモロコシを買って、飢え死にしそうな人をあつめておかゆでも食べさせるそういう機関があったのですが、そこへ持って行きました。国際的に北朝鮮が手を挙げて、食糧援助が必要ですと言って初めて食料が入ってくるようになったじゃないですか、そのあと、一定期間、餓死は止まったのですけど、このごろまた、それに近い様相を呈しているようです。

 

食糧支援の必要性を訴える

 私は日本に居た小さい時、第二次大戦のドイツのことを、どうしてそこまで行くんだろう、ドイツにも科学者や良心的な人はいたのにどうしてそういうナチスのユダヤ人虐殺や世界的な戦争を出来たんだろう、と思っていました。でも自分がそのシステムの中に入ってみたら、どうにもならないということが分かりました。いったん権力を握ったら、その権力を手放さないためにはどんなことでもやる。

北朝鮮の強制収容所に私の知っている人もいっぱい行きました。今もそうじゃないですか。金正雲体制も受け継いでいますからね。でも私は二度とあんなにひどい飢餓の時代は訪れてほしくないと思っています。ほかの人たちは私に言います。北朝鮮なんか食糧支援したところで、みんな軍隊とか上の奴らが分捕ってしまうんだから、送る必要は無い。そうじゃないと私は訴えます。確かに上の奴らは分捕ります。でも少数の人間がその食料を食べる訳じゃないんです。それは金と替えるために横取りする訳なんです。それでその食料をヤミ市に流します。末端の人たちは金を出さないと食べられません。でも品物があれば、買うために必死になって何かをやって、手に入れる。でももともと品物が無かったらどうにもならない。大量餓死が出た時は、国際支援が無かったから、食糧自体が無かった。食べるものが無かった。どういう宣伝をしたと思います?牛やウサギが食べるものは人間も食べられる。冬に木の葉っぱも集めろ。ピョンヤンは別だと言いましたが、そんなところでもトウモロコシの根っこを掘って職場へ持ってきて納めろ、そうしないと配給券をやらない。そういう時代がありました。地方の人達は草の葉っぱでも木の葉っぱでもいいから集めろ、そして、各家庭ごとにどんなものをくれたか。酵素だと思うんです。ベイキングパウダーに似たような粉を分けてくれたんです。それを木の葉っぱとか、水分といっしょに混ぜて寝かせると食べられるようになる、というんです。私もやってみました。すると、ちょっと発酵するんじゃないでしょうか、ドロドロした感じになります。口に入れましたが、とてものどを通るような代物ではなかった。

 ものが無いとどうにもならないんです。だから支援物資を入れる必要は無い、というのには私は反対です。入ってほしい。そうしたら餓死者は出ない。正直、支援物資はたくさん入って、もらいましたけど、ただでもらったことはありません。ヤミ市に行ったら、最初はアメリカや韓国から来たことを隠すために袋をばらして他の容器に入れていましたが、沢山入ってくるから追いつかない。後になったら、アメリカ、韓国などの袋ごとヤミ市で売っていました。買って食べる食糧でも無いとダメだ。入れるなと言う意見には賛成していただきたくないんです。

出典「北朝鮮で暮らすということ」●http://www.chikyukotobamura.org/forum/salon121027s.html


金芝河(キム・ジハ)と朴槿恵(パク・クメ)

2012-12-22 09:43:20 | 韓国・北朝鮮

金芝河は70年代前半にもっとも尊敬した詩人です。

詩「五賊」などを発表して朴正熙大統領の独裁体制を批判し、「死刑」判決まで受けた人です。

朴政権の弾圧と闘う中で日本人に寄せられたメッセージをぼくは心のよりどころとしていました。

「韓国の民主化は私たちが闘い取る。日本人にできることはない。日本人は日本の社会の民族差別などの課題に向き合ってほしい。私たちの闘いが生み出す思想があなたたちの闘いに力を付け加えることができるかもしれない」。

正確な言葉は忘れたがこんな趣旨だった。ぼくは70年ごろから学校や地域での民族差別を撤廃する取り組みに全精力を注いでいた。金芝河のメッセージに励まされて、韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)などの民主化運動とは意識して距離を置き、「在日朝鮮人生徒の教育を考える会」の創立に力を入れたものです。

その金芝河が朴槿恵候補を支持して大統領に押し上げる一助になったのです。言うまでもなく朴槿恵さんは朴大統領の遺子です。

あれから30年余。それぞれが過酷な人生を生き抜いて力を合わせるというのですからうれしいニュースでした。

何百万の国民を餓死させても自分の地位を守ることだけには狂奔する「北」の独裁政権。世界中を見渡してもこれほどの独裁国家は見当たりません。

新しい大統領が朝鮮半島に民主主義と人権を回復する不退転の闘いの先頭に立つことを願っています。金芝河をはじめ、韓国の民主化を闘ったひとびとが同じ隊列に立てばどんなにか心強いことでしょう。「民主化人士」の真贋が問われるときです。

母に続いて父の非業の死を見せ付けられ、「独裁者の娘」の烙印に苦しめられたはずの人が「大統領」になります。どういう人なのか?

ぼくは何も知りません。自叙伝があるそうです。読んでみたくなりました。

『絶望は私を鍛え、希望は私を動かす【朴槿恵自叙伝】』●

http://www.amazon.co.jp/%E7%B5%B6%E6%9C%9B%E3%81%AF%E7%A7%81%E3%82%92%E9%8D%9B%E3%81%88%E3%80%81%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%81%AF%E7%A7%81%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99%E3%80%90%E6%9C%B4%E6%A7%BF%E6%81%B5%E8%87%AA%E5%8F%99%E4%BC%9D%E3%80%91-%E6%9C%B4%E6%A7%BF%E6%81%B5/dp/4891883529

 

 

【韓国大統領戦】

「恩讐を越えて」あの金芝河氏が朴槿恵候補を支持

2012.12.1 20:17 韓国

 【ソウル=黒田勝弘】1970年代の韓国の朴正煕(パクチョンヒ)政権当時、反朴闘争の抵抗詩人として国際的にも知られた作家、金芝河(キムジハ)氏(71)が、大統領選で与党セヌリ党の朴槿恵(パククネ)候補支持を“宣言”し話題になっている。故朴正煕の長女に対する「恩讐を越えて」の支持表明に左派文化人をはじめ野党陣営は「変節だ」と非難。金芝河たたきに懸命だ。

 金氏は朴政権時代に風刺詩「五賊」などを通じた反政府・民主化活動で逮捕され、死刑判決を受け投獄された。日本をはじめ国際的に救援運動が行われ、韓国を代表する反体制作家としてもてはやされた。

 朴大統領死後、80年に出獄。80年代以降は“生命運動”など伝統回帰の共同体主義的な考え方に傾き、政治至上主義的な闘争には批判的で左派とは対立することが多かった。

 今回の大統領選では「女性が世の中を率いる時代だ」などと語り、テレビインタビューや講演などで積極的に朴候補支持を主張。これに対し左派など野党陣営は「朴支持も政治的風刺か?」「頭がおかしくなったのではないか」など猛烈に非難している。

 左右対決になっている大統領選で野党の在寅(ムンジェイン)陣営は、父、朴正煕の反政府・民主化運動弾圧などマイナスばかり取り上げ、娘の朴槿恵非難に使っている。朴政権時代の政治的被害者である金芝河氏の朴候補支持は「過去との和解」であり、過去非難を続ける野党陣営には手痛い。


朴槿恵(パク・クネ)大統領の誕生

2012-12-20 08:25:45 | 韓国・北朝鮮

韓国の新大統領に朴槿恵さんが当選した。

僕は政権が「従北左派」に行かなくて良かったなあと思っている。

金大中・盧武鉉の左派執権中の10年間を思うとぞっとするからだ。北の独裁政権に迎合し、脱北者らの民主化運動を掣肘した。まるで北の代理人のような人たちが政府内部やTVなどの報道機関に巣食い、北の独裁者への批判さえ封じる始末だった。朴正煕元大統領時代に「独裁打倒」「民主化」を叫んだ人々の多くがこのような人だったのだ。

朴新政権がどんな風に「北」と向き合っていくか、注視していきたい。

朴槿恵vs文在寅の10大価値の衝突
~大韓民国の今後60年のシステムが決まる~
金成
(2012.12.17)

 

 1.朴槿恵セヌリ党大統領候補は北韓人権法に賛成し、文在寅民主統合党大統領選候補は反対する。
 
 2.朴候補の‘北韓問題特別補佐役’は北韓人権運動を行ってきた朴宣映前議員であり、文候補の‘統一政策特補’は駐韓米軍撤退-高麗連邦制を主張してきた林秀卿議員だ。
 
 3.朴候補は合憲的自由民主主義統一を宣言し、文候補は違憲的な‘低い段階の連邦制’と‘南北経済連合’を主張している。

 

 4.朴候補はNLL死守を表明しており、文候補はNLLを守ると言うものの北韓船舶の仁川往来を内容としてNLLを無力化させる仁川-海州直航路と西海平和協力特別地帯を主張する。
 
 5.朴候補は‘天安艦爆沈’と言い、文候補は‘天安艦沈没’と言う。前者は北側が加害者であることを内包するが、後者は一種の海難事故として認識する言葉だ。
 
 6.朴候補は“天安艦爆沈に対する北韓側の謝罪”を強調するが、文候補は“天安艦沈没に対して新しい政権の再調査”を主張する。
 
 7.朴候補は北の変化を条件とした対北支援を、文候補は条件のない対北支援を主張する。
 
 8.朴候補は国家保安法を守る立場だが、文候補は国家保安法の廃止を主張する。国家保安法が廃止されると、南韓で金日成銅像が建てられても金日成万歳が叫ばれても阻止できない。
 
 第19代国会で反国家団体•利敵団体や各種地下党事件に連累した国会議員は20人で、15人が民主統合党、4人が他の野党、1人がセヌリ党所属だ。
 
 9.朴候補は同性愛者を特別に保護する差別禁止法の制定に反対し、文候補は差別禁止法の制定を主張する。
 
 10.朴候補は、基督教学校の信仰教育の権利を認める立場で、文候補はこれを否定する。
先月29日、韓国基督教公共政策協議会(代表;田溶泰)が提案したキリスト教の10大懸案に対する各党の立場によると、朴候補側は宗立学校の宗教教育権を認め、私学の自律的運営を伸長させるための教育関連法令を改正し新しい法律を作ると積極的意思を表明したのに対し、文候補側はキリスト教学校で信仰教育を拒否する学生に他の教育を受ける権利を保障すべきだと主張した。

 *朴-文二人のこのような顕著な差異に対する韓国人の選択は大韓民国の今後60年のシステムを決める。
出典●http://www.gendaikorea.com/Pages/20121217_05_hon.aspx


新潟港 祈りと誓い

2012-12-19 15:08:26 | 韓国・北朝鮮

12月14日(金)曇

 午後一時過ぎ「あの日を忘れない!」第4回新潟港追悼集会開会。曇り空ながら無風の新潟港中央埠頭。

今年は北朝鮮を脱出してきたKさんが北朝鮮でであった日本人妻や残留日本人の窮状を訴えました。

(「新潟日報」12月15日)

この後、善光寺(長野市)から毎回来てくださる若麻績敬史師・福島貴和師・古田幸隆師の読経。帰国がかなわず無念のうちに落命した日本人妻らの鎮魂を祈ります。

 この日、在日コリアンとして追悼の辞を読むことになっていた洪大杓さんは一週間前に急逝しました。若麻績師らは洪さんの供養も併せて行ってくれました。目前の中空にあの笑顔が浮かんだように思いました。

北朝鮮・中国・韓国・日本と政権交代の年でした。この好機に日本政府が強いリーダーシップを発揮して時間がない人々の救出に全力を挙げてほしいものです。

 

 右から若麻績師 坂中英徳さん。移民政策研究所を主宰する坂中さんは「日本人妻等定住支援センター」を立ち上げて、日本人妻らの帰国をいつでも受け入れる体制を整えています。李敬宰さんや若麻績さんが脇を固めています。妻も応援団です。

僕も元気に生きて帰国したおばあちゃんたち(おじいちゃんも居られるかな)の故郷訪問に付き添ってあげたいなあ。この写真を撮ってくれた娘も、その夫君も力強いサポートをしてくれるだろう。来年こそ!

    

 


日本人妻・残留邦人・追悼の辞

2012-12-15 20:56:04 | 韓国・北朝鮮

15日」(土) 8時ごろ無事新潟から帰ってきました。

「あの日を忘れない」新潟港追悼集会での鈴木倫子さんの追悼の辞を紹介します。 

 

追悼の辞  

もう、半世紀も昔のことです。「地上の楽園」と謳われていた北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国こそわが祖国と思い定め、
憧憬と希望に胸ふくらませた多くの在日朝鮮人が、日本人配偶者をも伴って、この新潟港を後にしていきました。

 思い返せば当時私は中学生でした。自分が住んでいる町には日本人だけでなく、朝鮮人や台湾人の家族も暮らしているの
だということは知っていました。でも、あのように鉦や太鼓で送り出されるようにして、華々しくこの国を後にしていった
人たちがいたということを、私はまったく知りませんでした。いいえ、新聞やラジオ、ニュース映画などで見聞はあったで
しょうが、ひとつも記憶がありません。

 大人になって本を読んだり、いろいろな人に出会ったりするなかで、「そういうことであったのか」と一つひとつ知ってい
ったわけですが、知るということと心の中に落ちていくというのは、全然別のことです。

 あまたの知識の断片が一つひとつ意味を持って心のなかに浸み込んできたのは、北朝鮮から脱出してきた家族と出会い、友
人として付き合ってもらえるようになって、北朝鮮がどんな国か、帰国した人たちがどんな処遇を受けたのか、具体的に知
るようになったからです。それが私のほんとのところです。人との出会いというのは、しみじみありがたいものだと思います。

 さて、今年の一月、ふと入ったバーの女主人が、八十歳ぐらいの人でしたが、北朝鮮の開城近くの町から家族で引き揚げた
時の体験を話してくれました。鼻をつままれてもわからないような真っ暗闇の山中で、小休止のとき、ぐっすり眠りこんで
しまったために、独り取り残されてしまった。でも、末娘がいないことに気づいた父親が探しに来て見つけてくれたおかげ
で助かった。そういう体験でした。

 「近所の十歳くらいの男の子が単身で一行の中にいたんだけど、その子はどこでどうなったのか、途中ではぐれてしまっ
てそれっきり、消息不明のままです。私も父親に見つけてもらえなかったら、どうなっていたものやら。そんなふうにして
あの国に取り残された人もきっと数多くいたでしょうね」と、残留邦人の可能性を話してくれました。

 幾人かの脱北者の方から「残留日本人だという人に会った」という話を聞いてもいましたが、まことに考えてみれば、そ
れはあって当たり前のことなのです。でも、私は帰国した中国残留邦人の友人たちからさまざまな話を聞いていながら、長
い間、北朝鮮にも残留邦人がいるはずだということに考えを及ぼすことができませんでした。

 2009年、北朝鮮への帰国第一船が新潟港を出港した12月14日、その日に、五十周年を記念して行った私たちの「あの日を忘
れない」追悼集会は回を重ねて第4回目となりました。

 今年は、日朝政府間交渉で遺骨収集ということではありますが、初めて残留邦人のことが議題に上りました。私たちのこ
の集会でも、元在日朝鮮人と日本人妻だけでなく、残留邦人も併せて追悼供養いたします。

 でも、私たちにとって本当は、一番大切なのは、死者や遺骨ではなく、現にまだ生存している人たちです。例年にない厳
しい寒さの中を北朝鮮で過ごさなければならない人たちは、どんなに辛いことでしょう。その想像を絶する暮らしのことを
思うと、何とも言いようがありません。せめて、日本への帰国を望む人たちすべてが、一日も早く帰ってこれるようにと願
うばかりです。

 「あの日を忘れない」これがこの集会のテーマですが、忘れようにも、記憶さえ持ち合わせてこなかった私のような人間
にとっては、自分に見えていなかった、見ようともしてこなかった人たちの、越し方や思いを一つひとつ、自分の心に手繰
り寄せていくことなのだと思います。

 そしてそれを自分の、さらにこの国の歴史の中に深く刻み込んでいくこと。それが「あの日を忘れない」ことであり、追
悼することなのだと思います。

  2012年12月14日    鈴木倫子


「あの日を忘れない」新潟追悼集会(第4回)

2012-12-14 06:19:15 | 韓国・北朝鮮

今日はこれから新潟に向かいます。新潟の人々と「追悼集会」を埠頭で行います。どういう天候になるのかちょっと心配です。予報は「雨」。

 1959年12月14日、ソ連の船に乗って新潟港を出港 した在日朝鮮人と日本人配偶者はその後、どうなったというのでしょう。朝鮮総連にこそ最大の責任があるのです。彼らは今なお王朝の忠実な下僕となって同胞に君臨しています。在日コリアンの責任も重大です。知らん顔をしている人が多すぎます。立ち上がって帰国同胞の日本への自由往来の実現などを要求すべきです。日本社会の差別をあげつらっていれば格好がつくような時代はもう終わったのです。

北朝鮮の金王朝は長距離弾道ミサイルの発射実験に成功して国威発揚を自賛しています。朝鮮総連の副議長も「歓呼の声をあげた」といいます。

 北の蛮行が安倍・石原らを鼓舞しています。「改憲・国軍・核武装」など勇ましい虚言がこだましています。

私たちは民主主義と人権の旗を掲げて独裁と闘う東アジアのすべての人々と手をつなぐ道をなんとしても切り拓かなければなりません。


 「あの日を忘れない」新潟追悼集会(第4回)

●開催日:12月14日(金)13時~14時

●場所:新潟市新潟港中央埠頭

●追悼法要・政府への要請文決議など
●主催:一般社団法人 移民政策研究所日本人妻等定住支援センター(代表:坂中英徳)
●協力:平和を願い行動する僧侶の会(代表:善光寺徳行坊若麻績敬史)

1959年12月14日に在日コリアンの「北朝鮮帰国」第一船が新潟港を出港しました。今日から見れば「壮大な拉致」ともいえる民族の大移動でした。多くの人の消息が不明です。強制収容所送りになった人も少なくありません。

 随伴した日本人妻の大半がもはや死亡したと考えられます。無念のうちになくなられた方々を追悼する法要を行います。そして北朝鮮に幽閉されているすべての日本人の救出への決意を表明します。