このところ、毎日、夕方になると室戸岬新港で泳いでいます。お陰で体調もよく、昨日今日は、父の家の玄関脇と台所脇のウマメの木の剪定をすることが出来ました。小さな木ですが長年放置されてきたのでやりがいがあります。僕は授業で人工林の枝打ちや間伐が必要不可欠であることを説明しますが自分ではやったことがありません。こんな小さな木でも二日がかりです。
高知県の森林の70%が針葉樹の人工林だと読んだことがあります。これをよみがえらすには途方もない労力が必要なことがわかります。ほとんど不可能なことかもしれないけれどこれをやらなければ「日本」は守れません。高知県は森林税を導入して活路を開こうとしていますが国策として若い力の活用を図るべきです。自衛隊を自衛軍にして国を守るなどと時代錯誤の主張をしている人たちは、この現実にどう対処しようとするのか。一日の軍事演習に何億もの金を費やすのなら森林再生作戦を公開し、若者を農山村に定着させるほうがはるかに愛国心を奮い起こすのでは。(脱線)。
今日は港の話です。この室戸岬新港及び周辺のことを紹介したHPをごらんください。
みなとめぐり室戸の港@国土交通省四国地方整備部港湾空港部
父の家は江戸時代に開鑿された津呂港の近くにあります。新港は20年位前までは鯨浜といって村人の魚突き、貝や天草とりの磯であり、子供たちの遊泳場でした。僕もぼくの子供たちも毎年ここで泳ぎ、海に親しむことをおぼえました。江戸時代から、明治の末までは沿岸捕鯨の中心地で鯨の解剖などがここで行われました。長くこの村の生産と教育の基地だったといえます。
そこをつぶして巨大な港を作ったのです。巨額の国費が投入されています。鮪(まぐろ)船の船主たちの悲願だったのです。僕は憲政記念館で行われた吉田茂展で元首相が1960年代の初めに当時の池田首相に宛てた書簡を見たことがあります。吉田さんは高知県選出の国会議員で日本の戦後の進路を決めた総理大臣です。池田さんは吉田学校の生徒といえる人でこの人脈が保守本流と言われ長く日本を支配してきました。その書簡の末尾で土佐・室戸岬港の整備について「宜しく」と元首相は陳情しているのです。
主催者は選挙区への利益誘導などと縁が遠かった吉田さんがその退任後、選挙区の事業への働きかけをした珍しい例として紹介していました。自然の港湾に恵まれない室戸はそれでも日本有数の鮪延縄(まぐろはえなわ)漁業の基地でした。焼津や清水(静岡県)、気仙沼や塩釜(宮城県)に負けない港がほしかったのです。僕の伯父(父の兄)も元船主組合長ですが、その家に将来の大室戸港の図面が飾ってありました。
吉田さんの力が効いたのか、港は次々に拡張され、21世紀には新港も完成したのです。しかし、今、この港に船籍のある遠洋鮪漁船は3隻しかないそうです。それらの船も母港に帰ってくることはほとんどなく、ドックは中国、船員はインドネシアなど外国の人が増えています。地元の若者は船員になりません。室戸岬水産高校は既に廃校となり、県立の漁船員養成所の生徒はインドネシアなどから来ています。室戸の遠洋鮪漁業は崩壊したのです。
町の主産業が壊滅したのですから、過疎化の進行は早く、人口減少率は北海道の炭鉱町(歌志内や夕張)と並ぶ勢いです。
このことはずうっと前からわかっていたのです。しかし、港だけは作り続けられました。ダムや道路、河川改修など全国どこでも繰り広げられている喜(悲)劇です。妻は「平成の阿呆堀」と呼びます。安芸市の河野というところに「兼山の阿呆堀」と言われ続けてきた池があります。野中兼山が港を開鑿してみたもののなにかの事情で工事を中止し、ほったらかしにしてきたのです。(今は漁港として整備され、一部は道の駅になっています)。その二の舞と言うわけです。
近代日本の違うところは、用はなくなっても港はきちんと計画通りに完成させることです。その広大な港という名の太平洋に続くプールで僕は毎日、泳がせて貰っているのです。港の外に出るなどということは僕の力量では考えられません。昨日はインドネシアから来た青年たちが泳いでいる最中に「コンニチワ」と声をかけてくれましたが、彼らも港の一角で充分のようです。
僕は親水階段から数十メートルのところで天を向いて浮かびます。10分でも20分でも。時々手で漕いで仰向きのまま移動します。秋の雲かと思うような筋雲の間に鳶(とんび)がやってきて悠々と舞っています。その数が何羽かになることもあります。波がないのですから心配することは何もありません。ただ広い海をゆったりと漂うだけです。
帰りに少し潜って見ると様々な小さい魚が群遊しています。このあたりは岩の海岸ですから、慣れない人には海水浴には向きません。先年、カツヨシさんが訪ねてくれたときも結局ここで泳いだのでした。貝を採ったり、海草を取ったりは出来ませんが僕のようにゆっくりと時を過ごすだけなら、こんなすばらしい天然のプールはないと思われます。
暇が出来たら声をかけてください。泳げない人、海が怖い人、大丈夫です。海では人は浮くように出来ています。僕が少しだけ手を貸してあげます。自信が付きます。身体が良く動くようになります。皆さんの税金で作った大海洋プールを活用してください。土地の人はここで泳がず、お金を払って海洋深層水のプールを利用しています。
高知県の森林の70%が針葉樹の人工林だと読んだことがあります。これをよみがえらすには途方もない労力が必要なことがわかります。ほとんど不可能なことかもしれないけれどこれをやらなければ「日本」は守れません。高知県は森林税を導入して活路を開こうとしていますが国策として若い力の活用を図るべきです。自衛隊を自衛軍にして国を守るなどと時代錯誤の主張をしている人たちは、この現実にどう対処しようとするのか。一日の軍事演習に何億もの金を費やすのなら森林再生作戦を公開し、若者を農山村に定着させるほうがはるかに愛国心を奮い起こすのでは。(脱線)。
今日は港の話です。この室戸岬新港及び周辺のことを紹介したHPをごらんください。
みなとめぐり室戸の港@国土交通省四国地方整備部港湾空港部
父の家は江戸時代に開鑿された津呂港の近くにあります。新港は20年位前までは鯨浜といって村人の魚突き、貝や天草とりの磯であり、子供たちの遊泳場でした。僕もぼくの子供たちも毎年ここで泳ぎ、海に親しむことをおぼえました。江戸時代から、明治の末までは沿岸捕鯨の中心地で鯨の解剖などがここで行われました。長くこの村の生産と教育の基地だったといえます。
そこをつぶして巨大な港を作ったのです。巨額の国費が投入されています。鮪(まぐろ)船の船主たちの悲願だったのです。僕は憲政記念館で行われた吉田茂展で元首相が1960年代の初めに当時の池田首相に宛てた書簡を見たことがあります。吉田さんは高知県選出の国会議員で日本の戦後の進路を決めた総理大臣です。池田さんは吉田学校の生徒といえる人でこの人脈が保守本流と言われ長く日本を支配してきました。その書簡の末尾で土佐・室戸岬港の整備について「宜しく」と元首相は陳情しているのです。
主催者は選挙区への利益誘導などと縁が遠かった吉田さんがその退任後、選挙区の事業への働きかけをした珍しい例として紹介していました。自然の港湾に恵まれない室戸はそれでも日本有数の鮪延縄(まぐろはえなわ)漁業の基地でした。焼津や清水(静岡県)、気仙沼や塩釜(宮城県)に負けない港がほしかったのです。僕の伯父(父の兄)も元船主組合長ですが、その家に将来の大室戸港の図面が飾ってありました。
吉田さんの力が効いたのか、港は次々に拡張され、21世紀には新港も完成したのです。しかし、今、この港に船籍のある遠洋鮪漁船は3隻しかないそうです。それらの船も母港に帰ってくることはほとんどなく、ドックは中国、船員はインドネシアなど外国の人が増えています。地元の若者は船員になりません。室戸岬水産高校は既に廃校となり、県立の漁船員養成所の生徒はインドネシアなどから来ています。室戸の遠洋鮪漁業は崩壊したのです。
町の主産業が壊滅したのですから、過疎化の進行は早く、人口減少率は北海道の炭鉱町(歌志内や夕張)と並ぶ勢いです。
このことはずうっと前からわかっていたのです。しかし、港だけは作り続けられました。ダムや道路、河川改修など全国どこでも繰り広げられている喜(悲)劇です。妻は「平成の阿呆堀」と呼びます。安芸市の河野というところに「兼山の阿呆堀」と言われ続けてきた池があります。野中兼山が港を開鑿してみたもののなにかの事情で工事を中止し、ほったらかしにしてきたのです。(今は漁港として整備され、一部は道の駅になっています)。その二の舞と言うわけです。
近代日本の違うところは、用はなくなっても港はきちんと計画通りに完成させることです。その広大な港という名の太平洋に続くプールで僕は毎日、泳がせて貰っているのです。港の外に出るなどということは僕の力量では考えられません。昨日はインドネシアから来た青年たちが泳いでいる最中に「コンニチワ」と声をかけてくれましたが、彼らも港の一角で充分のようです。
僕は親水階段から数十メートルのところで天を向いて浮かびます。10分でも20分でも。時々手で漕いで仰向きのまま移動します。秋の雲かと思うような筋雲の間に鳶(とんび)がやってきて悠々と舞っています。その数が何羽かになることもあります。波がないのですから心配することは何もありません。ただ広い海をゆったりと漂うだけです。
帰りに少し潜って見ると様々な小さい魚が群遊しています。このあたりは岩の海岸ですから、慣れない人には海水浴には向きません。先年、カツヨシさんが訪ねてくれたときも結局ここで泳いだのでした。貝を採ったり、海草を取ったりは出来ませんが僕のようにゆっくりと時を過ごすだけなら、こんなすばらしい天然のプールはないと思われます。
暇が出来たら声をかけてください。泳げない人、海が怖い人、大丈夫です。海では人は浮くように出来ています。僕が少しだけ手を貸してあげます。自信が付きます。身体が良く動くようになります。皆さんの税金で作った大海洋プールを活用してください。土地の人はここで泳がず、お金を払って海洋深層水のプールを利用しています。