川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

闘病の友へ(続)

2011-12-31 07:27:24 | 友人たち

昨日、弘志さんから手紙が届きびっくりしました。

 胃の全適手術後の抗癌剤治療の副作用が激しく入院が一箇月以上に及んだということです。「起き上がれない、目も開けていられないほどの強烈な副作用」に苦しんだ時期があったといいます。

 看護師さんや友人たちの励ましで危機を乗り越え、18日には退院したとのことです。

 夜になって電話をしてみました。いつもの元気な声を聞くことができました。

 10kgも落ちていた体重もかなり回復してきたようです。1月中旬に2回目の抗がん剤治療が予定されています。来年は「日めくりカレンダー」を「一枚一枚めくりながら病との闘いに専念する」といいます。

 僕はこの6年間に3回の抗がん剤治療をしました。副作用に苦しんだ時期もありましたが食事ができないぐらいのことで済みました。3度目は現在進行中の「イレッサ」の服用です。自覚できる副作用はほとんどありません(肝機能障害を引き起こして一箇月くらい休薬したのですから立派な副作用なのですが)。

 弘志さんの闘病生活は今しばらくは続きますが元々が体力に恵まれ、友人たちにも恵まれているのできっと恢復の時を迎えることができます。新年になったら好天の暖かい日に順子号で顔を見に行くことにします。

 弘志さんは古くからの友人ですが闘病のさなかに還暦を迎えたということです。

 僕は今年70歳になりました。新しい年を迎えるに際し、今まで所属していた研究会や社会運動団体を辞することにしました。役に立たないものが老害だけを残してはなりません。今しばらく続けるのは「きいちご多文化共生基金」だけです。

 例え形だけでしかなかったとしても社会的責任を解いてもらって、様々なことに心を煩わせることなく「病との闘いに専念」します。

 弘志さんよりは10年も長く生きて「古希」とまで言われる齢にまでなったのですからなんの不足もありません。それでも命をもらえる限りは元気に生きて人々との交流を楽しませてもらいます。

 年の瀬にあたり弘志さんをはじめ病と闘う友人たちの健闘を祈ります。

今年も「川越だより」を読んでくださってありがとうございます。駄文を連ねることが生きがいのひとつになっています。今しばらくはこんな調子で過ごしていきます。どうぞ、よろしくお付き合いのほどを。

今年は友人にすすめられてfacebookというものに加入し、文京高校OB・OGなど若い人たちの世界の片隅に席を置いています。高校時代の学級日誌を10年後にも読んでいるようです。

 【川越だより】のアクセス・ランキング

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寅さん、26作品勢ぞろい

2011-12-30 09:12:21 | 父・家族・自分

12月29日(木)☼

 珍しく忙しい一日でした。

朝、6時前から年賀状の印刷。製版から印刷まで自分ではできないので全て娘が頼りです。昼まえには宛名の印刷も終わりました。

今年から年賀はがきは大幅に減らすことにしました。パソコンに縁がある方にはインターネットで送ります。寂しいような気もしますが70を過ぎ

た年寄りの処世術です。先輩の中には70を契機に年賀状を廃止した方もおられました。僕にもいつか、そういうときが来るでしょう。

 午後は郵便局や銀行に行って、「きいちご」の印刷所などへの振込。門松が飾られた街は観光客で賑わっています。

帰ってきてからは宛名書き。これで「木苺」9号を30日には発送できそうです。正月に間に合ってよかった。

 夕方、『寅さんDVDマガジン』がどさっと届きました。3巻から26巻まで、これで年内発売分が全部揃ったことになります。新年は隔週で一巻ずつ届き、11月末に全50巻が揃うということです。

 せっかくのビッグプレゼントです。独り占めするのはもったいないので隣の森田さんなどにも見てもらおうと思います。

 山田監督は若い人と一緒に見てくださいと言っています。

 我が家にはTVはないけれど、「寅さん」専用の映画館があります。どうぞ、お出かけください。正月期間なら故郷から届いた「山北みかん」「ぽんかん」は言うに及ばず、「カツオのたたき」の大サービス付きです。宿泊も可能です。


勝義さんを励ます会

2011-12-29 20:17:59 | 友人たち

12月28日(水)☼

 昼前から勝義さんを励ます会。

 悦子さんの四十九日の法要は24日に高崎で行われ、諸事が一段落したところで励まそうと「きいちご」に関わる友人たちが集まったのです。

 妻のカツオのたたきなどのほか、精さん・江沢さん・高柳さんが手料理を持ってきてくれたので食卓に乗り切れないほどのごちそうです。

 勝義さんがよく飲み、よく食べてくれたので妻も喜んでいます。

  思わぬ急逝だったので勝義さんにも娘さんにも自責の念が強く、葬送の諸事は一段落しても心の平安には長い時間が掛かりそうです。

 私たちに出来ることは勝義さんの話に耳を傾けることだけです。夫婦や親子・家族の関わりのあり方は誰にとっても他人事ではありません。

心の奥底までさらけ出して話してもらったことが元気になる第一歩になってくれるのではないかと思います。

 この日、勝義さんと精さんが編集した『きいちご』9号が印刷所から届きました。秋の移動教室に参加したひとりひとりの心のうちが語られている充実感のある内容です。

 14回目になる「きいちご移動教室」は来春5月19日~20日、山梨県富士五湖周辺を第一候補として実施することになりました。北朝鮮や中国(旧「満洲」)から帰ってきた人たちに「楽しかった」と思ってもらえるなら、今しばらくは頑張って続けていきたい。世話人の誰しもが思うことです。

 北朝鮮では金正日の国葬だといいます。彼の地から命からがら脱出してきた友人たちの家族は今、どんな状況に置かれているのか?

 金正日は死んでも王朝は安泰、なのか。

 6時過ぎに散会。みなさん、いつもながら、川越まで来ていただいてありがとう。勝義さん、気がむいたらいつでも声をかけてください。落ち葉の道を歩きましょう。


滝野川5丁目  倍賞千恵子さん

2011-12-28 07:05:22 | 映画  音楽 美術など

僕は近年まで倍賞千恵子さんが歌手だということを知らなかった。女優「さくら」としか。

 パソコンをやるようになってから時々聞いている。いい歌声に魅了される。

 アニー・ローリー●http://www.youtube.com/watch?v=RhDqoceIpmA&feature=related

倍賞さんにはなんとはなしに親しみがある。年も同じ(1941年生まれ)だが北区滝野川に縁があったことが共通しているからかもしれない。

 倍賞千恵子

東京都北区滝野川に育つ。戦時中は茨城県疎開北区立滝野川第六小学校北区立紅葉中学校(現・北区立滝野川紅葉中学校)卒業。父は都電運転士だった。

1957年松竹音楽舞踊学校に入学。1960年、同校を首席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団する。」(http://ja.wikipedia.org/wiki/

 

 僕が池袋商業高校に赴任したのは1969年でこの年に寅さんの第一作が出ている。(キラキラと輝くような魅力に昨日は魅了された。)ヴェトナム戦争の真っ盛りで王子野戦病院撤去闘争のさなかだ。

 お父さんが都電の運転手であることは僕でも知っていたし、生徒間でも話題になっていたろう。しかし、池商の隣にある「紅葉中」の卒業生だと知ったのは近頃のことだ。池商生なら誰もが覚えているガスタンクの近くに住み、あの坂を上り下りして通学していたのだ。

 69年にはもう著名な俳優になっていたから実家には居なかったのかな。残念ながら「生で見る」幸運には恵まれなかった。

市民運動を共にした八木さんの家は「滝六」の見える高台にあった。省悟くんたちとお邪魔しては語り合った。辺りは古い民家が密集していた。倍賞さんはご近所さんだったのかなあ。

   

 「東京ガス」となっている辺りに巨大なガスタンクがあり、池商生は嫌でも見上げるしかなかった。「公園」となっている辺りからが池商跡だが、来春からフランス人学校がここに開校する。

 倍賞さんの映画を見て通いなれた滝野川を思い出した。来春には「順子号」で訪ねてみよう。八木さんの奥さんやキツネ塚商店街の金秀軒のご夫婦にお会いできるかもしれない。

 倍賞さんのコンサートにも一度は行ってみたいものだ。

 きつね塚通

キツネ塚商店街●http://blog.livedoor.jp/burzum_555/archives/173305.html


ビッグ・プレゼント 寅さん全48巻

2011-12-27 18:27:20 | 父・家族・自分

12月27日(火)☼

 昨日の午後、癌研有明病院で西尾医師の診察があり、年末から「イレッサ」を再開することになった。血液検査の数値は一週間前と変

わっておらず、肝機能障害が改善されたとまでは言えないので「隔日服用」となる。正月明けにはまた検査して今後の方針を考える。

 今日午後ビッグプレゼントが届いた。『男はつらいよ 寅さん DVDマガジン』創刊号と2号。

「山田洋次映画監督50周年」記念企画として今年1月から隔週で発行されているらしい。「男はつらいよ」が全部見られるという。

男はつらいよ 寅さんDVDマガジン VOL.1 2011年 1/18号 [雑誌]

出典●http://toramaga.jp/

 「清水の舞台から飛び降りたよ」という言葉と共に娘からのプレゼントが発表されたのは数日前のことだった。嬉しいというより薄給の身を思ってびっくり仰天したものだ。

 届くのは新年からだと聞いていたが年末サービスということか。早速、創刊号を視聴させてもらった。

 第一作「男はつらいよ」 山田洋次監督のインタビュウ 柴又風景、など。

 第一作は見たことがあるはずだが‥、ワクワクしながら見た。

倍賞千恵子がキラキラと輝いて素晴らしい。兄妹・親子の再会など、泣けて仕方がなかった。 山田さんは最初からいい映画を作ったんだなあ。心からひとを思うことができる人の仕事だ。渥美さんとの出会いのなかで生まれた作品だと山田さんはいう。

これから一年間、毎週のように「寅さん」を見ることができる。陽子よ、ありがとう。

 


我が家の10大ニュース

2011-12-26 05:17:39 | 父・家族・自分

12月26日(月)

  2011年我が家の10大ニュース

①11月 妻の母日高市の義弟宅に転居。 

 20余年にわたる川越暮らしから高麗神社に近い息子夫婦の家に転居。安らかな晩年を迎えられそうで何よりです。

②3月 東日本大震災。我が家も大揺れ、柱時計が生き返る。

 何年も時を刻むことを停止していた時計が動き始める。これ本当のことです。

③10月 姉、10数年ぶりに川越へ。

④8月 抗がん剤「イレッサ」服用開始。

 3度目の抗がん剤です。よく効いているが副作用で肝炎となりただいま休薬中。本日の検査でどうなるか?手術後6年生き延びて70才を迎えました。これからも一日一日です。

⑤9月 妻、口唇ヘルペスになる。アタマの神経痛を体験。

 今はもう恢復しているのでご安心ください。僕と違って我慢強い人。要注意信号と受け止めなければ。

⑥11月 関東中央病院を提訴。

 定期健診の医療過誤の補償。示談交渉を進めてきたが相手が余りにも不誠実なためやむを得ず提訴。生まれて初めて「原告」となったが秋田瑞枝弁護士におんぶにだっこ。40年来信頼して付き合ってきてもらった方である。

⑦4月 九州縦貫の旅、各地で旧友の世話になる。

 今年も四国・立山・新潟などあちこちを訪ねた。九州では田上(霧島)・中村(人吉)・山下(武雄)・岩本(伊万里)の4人の旧友に次々と世話になった。こんな豪華な旅は誰にでもできるというものではない。11月には浜松で村上くんに40年ぶりにあった。

⑧7・24 TVよ、さらば。

 宅配新聞もTVもない生活にすっかり慣れてしまった。陽がよく差し込むようになって居間が明るくなった。

⑨「さよなら原発」デモ。

 まさかと思っていた事故が現実に。後生への責任は僕にもある。ただ歩くことなら僕にもできる。新宿と川越で3回歩いた。脱原発は必ず実現しなければならない。

10 川越「室戸ムラ」誕生。

 川越堺の狭山市柏原に室戸の老舗「えび善」が開店し、新河岸には「曼陀羅」が移転してきた。店主は米沢くんと井上くん。二人とも室戸の出身で僕の高校の同期と後輩。自転車で訪ねては土佐弁の会話を楽しむようになった。


民主党議員よ、覚悟せよ  八ツ場ダム問題

2011-12-25 15:27:16 | 政治・社会

12月25日(日)☼のち☁

 昨日、今日と午前中は日差しが暖かく風もなかったので川越公園の遊歩道を散歩することができました。クヌギやコナラなどの落ち葉を踏みしめて歩くのは本当に気持ち良い。久しぶりだからなおさらです。

 今日は正面に富士山を見ることができました。帰りの土手道からはいつになくはっきりと筑波山の双耳峰。

僕は現在、「イレッサ」の副作用による肝炎の治療中なので「激しい運動」はできません。川越公園への往復と散歩ぐらいがちょうどいいのかな。

 一応庭の手入れもしました。2mには伸びた萩とムクゲの枝を切り、古くなったきいちごを根元から切り倒せばおしまい。

 冬至がすぎて日、一日と昼間が長くなっていく。何となく気分がいい(^v^)。

 

 八ツ場ダムの建設再開に抗議して民主党の議員が一人離党を表明したというが、ほかの人はどうするつもりなのだろう。

 体裁だけを取り繕っている前原政調会長を自民党の河野太郎議員が鋭く批判している。自分のやるべきことをやらないでいい格好だけをしてみせる困った人だ。

 河野太郎「またしても隠蔽された国交省河川局の犯罪」http://www.taro.org/2011/12/post-1138.php

 人間であるなら年末から年始にかけて民主党議員たちは恥ずかしくて街も歩けないだろう。全員が「嘘つき」「詐欺師」なのだ。

 党内クーデター、離党、辞職etc‥。何らかの政治的行動を取らない限り、僕はその人には二度と投票しないつもりだ。

 <参考>

「八ツ場あしたの会」抗議声明●http://yamba-net.org/modules/news/index.php?pag e=article&storyid=1495


発送電の分離 (上)橋下大阪市長の提案を支持する

2011-12-24 05:19:23 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

 

橋下大阪市長の発送電の分離を目指す行動を僕は支持します。これほどの災害を引き起こしながら中央政府が「脱原発」の方向すら提示できない中で自治体の首長の役割は重大です。橋下市長の行動が全国的なうねりにつながっていくことを期待します。

 橋本市長の「教育基本条例」や政治手法に支持を与えることはできません。しかし、この点は市民の運動で是正することが出来るはずです。

 <参考意見>高知県東洋町の澤山前町長「ハシズム」●http://sawayama.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-4fa5.html

 

 

(12月23日・「東京新聞」)

Photo


嘘つき民主党 小沢派は決起せよ

2011-12-23 06:16:54 | 政治・社会

12月22日(木)☁

 冬至。寒い。妻は風邪でダウン。

 僕も一日こもりっきりで本棚の奥から『砦の上にわれらの世界をードキュメント東大闘争』(亜紀書房・69年)『東大紛争の記録』(日本評論社・69年)を取り出して内田雄造さんの活動の足跡を探す。

 夕方、国交相が八ツ場ダム工事の再開を決めたというニュース。だいぶ前から分かっていたことではあるが民主党政権にはあきれはてる。

「○川辺川ダム、八ツ場ダムは中止。時代に合わない国の大型直轄事業は全面的に見直す。」

 09年の総選挙に際して民主党が掲げたマニフェストの冒頭にあった言葉である。「政権交代」を支持して民主党に投票した僕もマニフェストを全面的に支持したわけではないし、全部が実現できるとも思わなかった。しかし、マニフェストの冒頭に掲げたダムの中止はいくらなんでもやらないわけにはいかないだろうと期待したのは事実だ。

 それがこの体たらくだ。やっぱりガックリ来る。莫大な利権に群がる者たちの手に民主党政権は完全に飲み込まれた。消費税・八ツ場ダム‥

 さて、小沢一郎はどうする!このまま野垂れ死にの道を選ぶのか。「政権交代」のあまりの虚しさにこの国の民主主義も野垂れ死にの道を歩むことになるだろう。

 集団離党・新党結成で血路を拓くのか。もう遅すぎるような気がするが、やるしかない!のではないか。

 

関連「川越だより」

「ダムは川を殺す」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/2594303eec4aa9ed6cf42e757526346d

「吾妻川は清流か」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/97c502bc5600f69f655500a932f0d734

「品木ダム」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/09354565f7d5a4ae7080788e1ee48632

 


内田雄造さん 

2011-12-22 07:43:39 | 友人たち

12月21日(水)☼

 今日も寒い一日です。勝義さんと精さんが編集中の「きいちご」の原稿を送ってくれたので校正のため目を通しました。お二人の仕事はいつもの通り丁寧そのものです。28日には「きいちご」9号が印刷所から届くそうです。移動教室に参加してくれた人々にお正月に届くように発送できるでしょう。

 午後、今年1月26日に急逝された内田雄造さんのお連れ合いの良子さんからハガキが届きました。心に深く残る文章です。勝手ながら紹介します。

 (略) 人を愛し、読書を好んだ雄造は、60年代後半大学院生の時に東大闘争に参加し、抵抗の都市計画運動がライフワークとなりました。住民サイドにたったまちづくりを志して現地での実践と大学での教育・研究の両面から地道に取り組んで参りました。

 ここ数年、力を注いだ中越地震の被災地・旧山古志村の復興再生計画では、「帰ろう 山古志へ」を合い言葉にした住民の方々と共に復興に取り組み、希望者全員の帰村を果たすことができました。

 結婚以来40年余、暮れのこの季節は雄造が版木に向かい、年賀状の干支の図柄を彫っているのがわが家の風物詩でした。その姿をもう見ることができなくなってしまい、寂しさもひとしおです。(略)

旧山古志村の大工とワークショップしたときの様子。右側が内田さん(写真:アルセッド建築研究所)

 (内田雄造さん。旧山古志村の大工さんたちと。一番右側の人です)

 出典●「復興住宅と内田雄造先生」http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/knp/column/20111128/555717/

 妻との出会いがあり毎年年賀状をいただいておりました。僕は何度か、挨拶をしたことがあるだけです。

 川越にある東洋大学(工学部)の先生で土佐市戸波の都市計画に尽力され、近くは川越の都市計画にも関わっておられました。

 残念なことにきちんとした出会いがないままでした。奥さんのハガキを読んで「そうだったのか」と思うばかりです。

 大島高校の教員3年目の1968年、東大闘争の記録を読んで僕は大きな影響を受けました。「学問とは‥、学校とは‥教師とは‥」。悩みのただ中にいたものに一条の光、ヒントを与えてくれたのです。中でも大学院都市工学科の人々の真摯な思想的営為に深く共感したのではなかったか‥。

 69年4月、池袋商業高校に転勤して以来の僕のあゆみは珍しく極めて自覚的なもので、それは東大を中心とする全共闘の思想的影響を抜きにはありえないことでした。

 内田さんはまさにその闘いのただ中で生き抜いた方だったのですね。同い年ですが僕に深い影響を与えてくれた恩人の一人だったということです。

 土佐市戸波(へわ)を通るときには内田さんを思い起こしていました。山古志村はこの8月に初めて金倉山から遠望しただけですがここにも内田さんの働きがあったのですね。 

   ●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/c36f058c60b60c06bdf5ae0e5bbf5e39

 葬儀では山本義隆さん(元東大全共闘議長)の弔辞があったとのことです。

   ●http://blhrri.org/news/blhrri_news/379/379_topics_005.html

 生涯を通じてどういうことをされてきたのか、もう少し知りたいと思い始めました。同じ時代を生きた大切な方を喪いました。みじかにおられたのに交友を結べなかったことがまことに残念です。(合掌)

 

 


金正日の死に思う 「朝日新聞」は北朝鮮民衆と全世界のヒューマニストの敵である

2011-12-21 09:07:09 | 韓国・北朝鮮

12月20日(火)☼

 寒い一日。日差しの暖かいベッドで150円で買ってきた「朝日新聞」を読む。「金正日の死」をどう報じているかを知りたかった。

「社説」を読んでみた。予想はしていたがこの新聞の論説委員の視点は金王朝や中国共産党の幹部たちのそれと全く同じである。

 強制収容所半島に閉じ込められ飢餓に苦しむ民衆に筆が及ぶのはたった一箇所だがその内容がひどい。これが「人権」を標榜してきた「朝日」の本音なのだ。彼らの似非ヒューマニストぶりがよく現れている。

金正日総書記死去―混乱回避へ各国は協調を(「朝日」社説・20日)

(略)

独裁者の喪失で北朝鮮が動揺し、周辺が不安定になってもいけない。

 後継体制への移行期に、軍や党のエリート内で金総書記死去を機に権力争いが激しくならないか。困窮と規制に不満を募らせつつも、厳しい相互監視のために組織化できないとされてきた住民たちが抵抗し、難民として大挙して流出するような事態に陥らないか。

 こうした混乱は何としても避けねばならない。

    出典●http://www.asahi.com/paper/editorial.html

 

 生き延びるために国境を超えるのは人々に与えられた最後の権利である。江戸時代にだって人々は「逃散」を敢行した。支配層の分裂・抗争が生じるとしたらその時が絶好のチャンスであろう。

 大量の難民が流出する状況を想定し、それを迎え入れる体制を整えるのが民主主義の国に生きるヒューマニストのやらなければならないことである。「朝日新聞」は明らかに北朝鮮の民衆と全世界のヒューマニストの敵である。

 民主主義を標榜する国家(日本・韓国・米国など)の指導者は金正日の死を機会に独裁体制にヒビが入るような工作を果敢に進め、大量の難民が流出できるような状況を作り出さなければならない。そして彼らを何としても救出するのだ。その手立て(作戦)を綿密に立てなければならない。拉致被害者・日本人妻など多くの国民を幽閉されている日本政府の責務は特に重い。

 中国共産党独裁政権にとって北朝鮮独裁政権は困った存在ではあっても見捨てるわけにはいかない存在である。彼らは運命共同体のようなものでこれからも北朝鮮民衆の封じ込めで危機を乗り越えようとするだろう。

 韓国では従北左派の主導で李政権は末期症状を呈している。日本でも「朝日新聞」のような似非ヒューマニストたちがのさばって北朝鮮の民衆を見殺しにする論調が強まって行くかもしれない。

 北朝鮮に幽閉されている日本人の運命は北朝鮮の民衆のそれと分かちがたい。

 民主党政権がいかに非力でも中国政府と渡り合って「難民キャンプ」の創設など人々を救出する道筋を何としても切り拓いていかなければならない。アメリカをはじめとする世界の「人権」圧力も重要だが国民の自覚が何よりも求められる。

 

<関連新聞記事>

中朝国境ピリピリ 北の警備 数百人横一列

2011年12月20日 13時52分

 

北朝鮮側で警戒する北朝鮮の保安要員とみられる人影=20日、中国吉林省図們の中朝国境で(朝田憲祐撮影)

写真

 

 北朝鮮の金正日総書記の死去が伝えられてから一夜明けた二十日、国境を接する中国東北部の吉林省図們(ともん)から対岸の北朝鮮側を見ると、数百人規模とみられる北朝鮮の保安要員らしき人影が、横一列になるように警戒していた。北朝鮮からの難民流出など不測の事態に備えた措置とみられる。

 図們は、図們江(北朝鮮名・豆満江)を隔てて北朝鮮と接しており、地元住民や貿易商人らが図們大橋を往来する。観光客も二十元(約二百四十円)を払えば、橋の途中まで行くことができる。中国の私服警備員は同行するが、普段はのんびりした雰囲気という。

 ただ、冬場は最低気温が氷点下二〇度を下回る日も少なくなく、観光客はまばら。この日に国境の橋を訪れたのは日本のメディア関係者らが大半で、北朝鮮側にカメラを向けると、警備員が手のひらを突き出して「撮るな!」と叫びながら制した。

 図們江は、川幅が数メートルしかないところもある。しかもこの時期は川面が凍っており、歩いて渡れるだけに、金総書記の死去を受け、中国軍が二千人規模の警備部隊を増強したとの情報もある。(中国吉林省図們で、朝田憲祐)

(東京新聞)

 


ちょっといい話

2011-12-20 17:18:56 | 父・家族・自分

12月19日(月)☼

 12時半すぎ、癌研有明病院の西尾医師の診断があった。「血液検査の数値を見ると肝機能障害は改善されてきたがイレッサの服用再開はあと一週間様子を見てからにしよう」。

 と、言うことで来週も通院だ。自覚できる副作用はほとんどないがさすが「抗癌剤」だ。がん細胞を攻撃するばかりではなく内臓の機能をだいぶ痛めつけているようだ。

 帰りにK小学校を訪ねて大沼くん(69年大島高校卒業)に会った。

 コニヤンの『ボチボチ力のすすめ』を手渡したかった。謙一くんならきっと「おもしろかった。若い人に勧めます」というような読後感が帰ってくる、かな?

 いい話ひとつ。

 校長が給食費を長く滞納している親を呼んでこう話した。

 「事情があってどうしても納入できないのであれば、毎朝、弁当を作って持ってこさせなさい」「その弁当は僕がいただく。お子さんには僕の分の給食を食べてもらう」「僕は年寄りだから梅干弁当で良い」

 大沼くんでなければ生まれない言葉である。こどもを心から大事に思い、親とも体当たりで付き合う。エライヤツだ、と思った。

 定年になっても新しい学校で生き生きと働いていた。

 3月には6年生を丸木美術館に連れてきてくれるという。今度は深川のこどもたちと会わせてくれるのか。また一つ春を待つ喜びが増えたなあ。

 

 

 


川島の白鳥

2011-12-19 06:45:09 | 川越・近郊

12月18日(日)☼

 遠戚の章子さんを丸木美術館に案内しました。珍しく若者が満ち溢れていました。3・11以来僕も2度ほど参加させてもらった「さよなら原発」デモのリーダー山下さんらの討論会が行われているようです。

  原爆の図・丸木美術館●http://www.aya.or.jp/~marukimsn/

 満杯で近づくのも無理な感じだったので僕は都幾川の対岸の土手を散歩。

 宿願の「原爆の図」に出会って章子さんはえらく感動の様子です。帰りに川島の白鳥飛来地に寄ってみました。ちょうど夕日が秩父の山に沈む頃です。越辺川の岸辺に20数羽の白鳥を見ることができました。

 茶色っぽいのはシベリアで生まれたばかりの鳥です。遠くからよくも来てくれたものです。この地が記憶に残ってこれからも来てくれるのでしょうか。ここは餌付けはしていません。それでも人が来ると近寄ってきます。

 川島の白鳥●http://www.town.kawajima.saitama.jp/kankou/hakutyou.htm

 女性陣は遅くまで語り合っていました。いずれ劣らぬ「酒豪」です。賀明さんが送ってくれた川辺川の鮎、章子さん手製の室戸のコンニャク寿司などを肴に新潟の「菅名岳」。豪華な酒宴です。飲めぬ僕は早々にgo to bed..




飯豊連峰

2011-12-18 07:26:07 | 出会いの旅

新潟から帰って3・4日経ったがあちこちから眺められた飯豊(いいで)連峰の景観が思い出される。

14日朝、寺泊の宿を出て日本海沿岸を新潟に向かった。新潟近くなって車窓に遠く雪の山並みを見たときは思わず感嘆の声をあげたものだ。

   (瓢湖からの遠望)

 出典●http://terujiji.tea-nifty.com/yamayama/2008/12/index.html

 

 福島潟では16日に今年初めて積雪があったという。青々としていた菜の花畑も雪の下になったのかな。見てきたばかりの風物が雪化粧している様子を想像して楽しんでいます。

      (福島潟)

出典●http://kamuri9.blog14.fc2.com/blog-entry-59.htm

坂中英徳さんの北朝鮮帰国者救出への熱い思いに共鳴して12・14集会に参加するようになって3年。おかげで冬の新潟の良さも知ることができるようになった。皆さんが新潟を訪ねたら福島潟には是非寄ってみてください。僕はもうすっかり魅了されました。

HP「水の公園 福島潟」●http://www.pavc.ne.jp/~hishikui/index.html