川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

≪2009≫うれしい出会い 懐かしい再会 

2009-12-31 08:13:53 | 友人たち
 今年は母のいとこ・桂子おばさんを見送りました。父母が妹のようにかわいがり頼りにもした人です。シベリア帰りの漁師・春利さんと一緒になるときに僕が「樽持ち」をやらせてもらいました。地歌の上手な仲の良い夫婦で室戸に帰ると妻もかわいがってもらいました。

 我が家の飼い猫「月」が8月の末日に死去しました。今も時々姿を見る錯覚に陥ります。昨日、飼い主だった娘が「祭壇」を片付け、遺骨は自分の部屋に持って行きました。月日の経過が傷心を癒やすことになったのでしょうか。

 今年もまた新しい友人との出会いや旧友との再会に恵まれました。

 3月 北朝鮮を脱出してきた李さん一家。二人の子供たちは謙一くんの生徒となり、誰もが舌を巻くほどしっかりとした日本語を身につけています。折に触れて交流する機会に恵まれ、励まされたのは僕のほうです。こどものもつ可能性とはかくも豊かなものか、と。

 4月 高山すみ子さん。満蒙開拓団集団自決の生き残りのおばあちゃん。静かにむごい体験を語りながら政治への関心を持つように若い人に呼びかけます。「きいちご移動教室」での出会いをきっかけに李さんの家族との交流が続いています。地獄の苦しみを体験した人同士という思いがあるのでしょう。

 4月 萩原昭紀くん夫妻。池商81年卒。28年ぶり。秋田の夫人の故郷に根付いてヘアーサロンの旦那さんに。地域の人々との血の通った交流が見事です。

 5月 池商75年1~7の面々 実に35年ぶり。年賀状のやり取りが続いていた西條さんが会わせてくれました。意思あれば通ず、の思い。

 9月 大崎博澄さん。前高知県教育長。「いじめ」の根源に立ち向かうおんちゃんゲリラ。その心はやさしく勁(つよ)い。この方について行くぞ、と思う。

  大崎博澄「常の道にあらず」コニヤンのブログからhttp://blogs.yahoo.co.jp/gogokoniyan/49945680.html

 11月 山本ヒサさん。30年も昔、僕が室戸の被差別を訪ねて教えを請うた時、夫の茂光さんとともに迎えてくれた方。今は僕の同級生の心のよりどころになっておられました。関東から来て室戸の人になってくれました。 

 11月 ケンちゃん。 高知のブロガー。ブログでの交流2年余、やっとお会いすることができました。若い時に身に付けた≪社会主義≫ときちんと向き合おうとする誠実な人。
 頭の中だけでなくさまざまな人々との出会いを積極的に作りだしながら50台のおんちゃんになっても若者のように新たな自己確立を怠らないところが素晴らしい。
 コニヤンなどとの出会いがさらに思想的熟成をもたらし私たちを励ましてくれることでしょう。

 12月 直子さん。新潟の「あの日を忘れない!追悼集会」で北朝鮮で死亡したおばさん(在日コリアンの日本人妻)を追悼する言葉を述べてくださった。18年ぶりの再会。僕の想像のつかない厳しい少女時代を生き抜いてきた方です。人を大切にする生き方が身についています。

 日常的に接する友人知人隣人の人柄や行動力に励まされて来たことはこのブログを読んでくださる方々にはわかっていただけるでしょう。

 たくさんのひとびとのおかげで今年も元気に生きることができました。ありがとうございます。


この声に応えよう 「普天間を廃港に!」

2009-12-30 09:05:22 | 政治・社会
09年が過ぎていこうとしています。今年は間接民主主義の方法による初めての政権交代がありました。
 もしかしたら、社会や政治の在り方や仕組みを私たち生活者の視点に立って変えられるかもしれないという希望を国民が持てたことは私たちの成し遂げた大きな一歩だと思われます。諦めることなく社会への関心を深め、言葉を発し、できることをやっていくことが大事です。

 たくさんの宿題が残されたままですが、北朝鮮に閉じ込められた拉致被害者や日本人妻の救出と沖縄の普天間基地の廃港実現は日本国民が力を合わせて全力で取り組まなくてはならない課題です。
 私たちの同胞の命が確実に日々危険にさらされているのです。日本国民が一つになって立ち上がって初めて北朝鮮やアメリカの政府と国民に私たちの意思がただものではないことを伝えられます。苦しみの中にいる人々に希望があることを知らせることもできます。

 今朝は二つの記事を見つけました。

 ①米軍普天間飛行場とキャンプ・シュワブ沿岸部
http://mainichi.jp/select/wadai/graph/futenma/10.html

 左右をクリックして何枚かの写真を見てください。僕は数年前に初めて沖縄本島を訪ねて佐喜眞美術館の屋上から眺めたことがあるだけで人々の恐怖と苦しみは本当のところ分かってはいません。しかし、少しは想像することができます。

 北朝鮮の独裁政権のやりたい放題や軍拡に暇(いとま)のない中国の現実を見るとき日米安保を直ちに廃棄するという結論には至らないでしょう。沖縄の米軍基地を一掃するわけにもいきません。
 しかし、普天間基地をそのままにしていいという人はいないでしょう。沖縄の県民に耐え忍んでくれというわけにもいきません。グアムか県外にうつしてくれというのは情にも理にもかなったことです。
 ただただ米軍の戦略を重視してキャンプシュワブ付近への移設という「日米合意」を金科玉条とするアメリカの政府や軍部、それに同調する自公両党などの主張はそれこそ日米同盟の基礎を自ら否定するものといわなければなりません。人々の支持と合意のない同盟は砂上の楼閣です。
 
 鳩山内閣と与党三党は知恵を絞って国民の意思を結集し断乎とした姿勢で対米交渉に臨んでほしいものです。

 ②普天間移設:小沢幹事長「下地島」提起 (毎日)

http://mainichi.jp/select/today/news/20091230k0000m010096000c.html

 下地(しもじ)島や伊江島の空港がかねてから候補地の一つとみられていましたが小沢さんが言い始めたとすれば脚光を浴びることでしょう。島の人々や沖縄県民はどう考えるでしょうか。

 下地島空港http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%9C%B0%E5%B3%B6%E7%A9%BA%E6%B8%AF
 
 グアム、関西空港、長崎空港、佐賀空港などなどの名も挙がっています。5月までに政府の方針を決めるとのことです。国外に持っていくのがいいに決まっていると僕は思いますが鳩山さんはまずいと考えているようです。

 新しい年の前半に新政権の統治能力が問われます。

 佐喜眞美術館http://sakima.jp/

即身成仏 恵美ちゃんの話

2009-12-29 08:57:03 | 友人たち
 昨日はいい天気でしたが年賀状作りで家に閉じこもり。例年通り僕らは原稿を書くだけでイラストや構成は娘頼りです。この一年の住所変更や出会った方々のアドレス登録などをしていると日が暮れました。

 北海道十勝池田の陽子さんからは一家が今年限りで農業を卒業したという声の便りがありました。僕の農業の先生である正樹さんは来年70を迎えます。ここらが引けどきと考えられたのでしょう。
 今年はお母さんが亡くなられ夫婦だけの生活になりましたが息子さんと娘さんの一家が近くに住んでいるので時々三家族団欒の時があるようです。
 夫婦で長い年月を農業一筋に歩いてこられました。第二の人生もきっと豊かなものにしていくことでしょう。
 僕が出会ってからは47年が経ちました。来年夏には久しぶりにお邪魔できるでしょうか。

 忘れないうちに先日、王子の恵美ちゃんに聞いた話をメモしておきます。

 恵美ちゃんのお父さんが亡くなられたのは去年の1月12日です。大晦日の日に体調を心配して入院させたのですが自分で歩いて行くぐらいでピンピン?していたそうです。

 しかし、お父さんは自分で何かを決めたらしく、食事を一切摂らなくなり、体も動かさないようになったといいます。食事を勧めると固く拒絶したとのことです。3回目の入院だったのですが、これで自分の人生にピリオドを打つという自己決定をしたのではないかということです。

 恵美ちゃんが結婚してからは一人で生活してきました。晩年に娘の家庭に世話になったがもうこれ以上は迷惑をかけたくないと思ったのかも知れません。

 思い通りに生きてきた人生、死期もまた自分で決める。そういう強い意志が感じられたということです。

 出羽の湯殿山で即身仏を見たことがあります。恵美ちゃんのお父さんが選んだのは即身成仏の道であったのか、と思いました。84歳だったそうです。

 仏壇に飾ってある若いころの写真を見るとなかなかの好男子です。超美人のお母さんと三ノ輪では初めての喫茶店を開業したり、カメラのお師匠さんになったり、モダンで芸達者な人柄が想像されます。
 お母さんと別れてからは魚屋さんをやりました。築地で仕入れてくるのはいいけれど、店に出すのは中学生の一人娘にまかせて自分は喫茶店でコーヒーを飲んでいたとか。

 恵美ちゃんに言わせればわがままで、自分が生きたいように生きた人です。でも彼女は心の奥深くで父を温かく受け入れているように思えます。
 得意だった調理を娘にきちんと教えて、母親がいないからと肩身の狭い思いをしないように育てたといいます。

 「遺言」は自分の死後に残ったカネがあったら、生活費以外のものに使え、というものだったそうです。

 そのお金でただ一人のお孫さんが大好きな沖縄の版画家・名嘉睦念(なか・ぼくねん)さんの犬の絵を買って飾ってありました。おじいちゃんの最晩年に一緒に暮らしてトイレ介護に協力したといいます。この絵がおじいちゃんの思い出と重なってお孫さんの宝になっていくのでしょう。

 こんな話に耳を傾けているとその「壮絶」としか言いようのない死にざまもまさにこの方の生き方そのものだったことがわかるような気がします。

 僕は昔、恵美ちゃんが生徒だった時、魚屋さんを訪ねたことがありますがお父さんにお会いしたかどうかもはっきりしません。近年、恵美ちゃん宅に立ち寄った時ご挨拶したのが最後です。おしいことに直接人生の話を聞かせてもらうことはできませんでした。

 即身仏http://dainichibou.or.jp/soku/index.html   

 文化資源としての<炭鉱>展

2009-12-28 15:25:00 | 映画  音楽 美術など
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 12月27日(日)晴れ

 招待券をもらっていた「文化資源としての<炭鉱>展」が今日までなので目黒区美術館に行ってみました。

 僕は70年代の初めに上野英信という人を知りました。

 『追われゆく坑夫たち』 岩波書店〈岩波新書〉、1960年 / 岩波同時代ライブ             ラリー、1994年

 『地の底の笑い話』   岩波書店〈岩波新書〉、1967年 / 2002年

 京都大学を中退して炭鉱夫となり、やがてこれらの作品を発表した人です。「知識人」といわれるものがどう生きたらよいのかを教えてくれた大切な人です。「人々の中で生き、考え、表現する」…そういう生き方をしっかり身につけていた方ではないかと思います。

 そのころ同時に炭鉱の人々の生活を描いた山本作兵衛という方の絵も知りました。
  山本作兵衛の絵http://www.mmjp.or.jp/pole2/yamaniikiru.htm 

 授業では上野英信・文 千田梅二・絵の「親と子の夜」という版画物語を紹介しました。炭鉱を舞台にして人が何を大事にして生きなければならないかを問いかける作品です。

 千田梅二の版画http://showzan.exblog.jp/3753200/
 


 山本さんも千田さんも上野さんが世の中に押し出したのではなかったかと思います。

 これらの人々の作品に会えるかなと思って珍しく二時間もかけて「美術館」というところに出かける気になったのです。

 千田さんの版画作品(「炭鉱仕事唄板画巻」)はもちろんですが山本作兵衛さんの作品(「筑豊炭鉱絵巻」)がとてもたくさん展示されています。すぐに疲れてしまうのでゆっくりというわけにはいきません。それでもなぜか懐かしいような気になりました。怖い絵は避けて飴売りや芝居の風景などを見ました。

 二階に上がると「北の炭鉱町」という大きな油絵があります。歌志内の風景だということですが気に入ってしばし見とれました。僕の最初の生徒の小山くんはこの炭鉱町から大島にやってきたのではなかったか。「誘えばよかったなあ」。

  浮田克躬 北の炭鉱町(1959年)http://www.google.co.jp/imglanding?q=%E6%B5%AE%E7%94%B0%E5%85%8B%E8%BA%AC&imgurl=http://www.art-kaitori.net/contents/img/ukita.jpg&imgrefurl=http://www.art-kaitori.net/artist/000792.html&h=295&w=400&sz=41&tbnid=qI8N6Yf6iEGr3M:&tbnh=91&tbnw=124&prev=/images%3Fq%3D%25E6%25B5%25AE%25E7%2594%25B0%25E5%2585%258B%25E8%25BA%25AC&hl=ja&usg=__n01v9S9wA6Z4RU3zhOI8fAckse4=&ei=o9s3S8XSEIvW7AOXp9iIBA&sa=X&oi=image_result&resnum=5&ct=image&ved=0CBoQ9QEwBA&start=0#tbnid=xekzHOOc6i3-RM&start=13

 長崎の軍艦島を描いた大作「風巣」の作者を見ると「滝 純一」となっています。遠い昔、僕が東京教育大の学生だったころ、出会ったことがある方です。笑顔の素敵なやさしくて温和な人という印象があります。

 こんなところで再会できるなんて、何となくうれしい気持ちになります。「滝くんの作品に出合えただけでも来た甲斐があったなあ」。

 滝純一さんhttp://www.kanzan.net/shujin/02/tanbo.html


 筑豊の炭坑地帯は80年代の初めに二度訪ねました。二度目には友人たちの計らいで家族4人で廃屋となった炭住で一泊させてもらいました。家が傾いて床が波打っていました。ボタ山にも登りました。

 今はもうこういう追体験すらできないのかもしれません。しかし、近代日本の「発展」の裏側でそれを支えて生きた人々の姿や思いを想像する力を養うことはますます重要になっているのかなと思います。

 人は何によって生きるのか。どんな人生が本当に素晴らしい人生なのか?60年代から70年代にかけて上野さんたちが発し続けてくれた問いをあらためて思い起こさせてくれる一日でした。

 『親と子の夜』http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/01885077.html

映画 『炭鉱に生きる』予告編http://www.montage.co.jp/yama/movie.html

春日八郎「山の吊り橋」

2009-12-27 06:11:19 | 映画  音楽 美術など
 一昨日「一応庭」の手入れをしました。

 コンポストでできた腐葉土を木の下などに撒き、今年の落ち葉を空になったコンポストに入れます。ほぼいっぱいになりました。一応庭の落ち葉はゴミになることはなく土に帰っていきます。

 この後、この一年で2m以上に伸びた萩の茎を根元から切ります。これを束ねてゴミ回収に出す準備。これで終わりです。

 小さな小さな「庭」ですからあっという間に終わります。それでも腐葉土をばらまくのは何年振りかです。息切れがするので敬遠していたのです。疲れ果てたのですが一息入れれば大丈夫、宿題が片付いて気持ちよく新年を迎えられます。

 疲労回復がてら二階の屋根に干してある布団に寝て「春日八郎」を聞きました。

 午後、眠気がなく気分や体調が良い時にする習性です。

 たくさんの曲の中で「山のつり橋」や「月の嫁入り舟」などが特に好きです。

   山のつり橋http://www.youtube.com/watch?v=uaMdVOd0gsk&feature=related

 岩手の山村でマタギのような生活をしたことがある隣のおじさんや四国の那賀川の上流に住む田村さんの姿を思い浮かべたりします。

 田村好さんhttp://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/911843aec7b6b10aca42481155c4e535

 「月の嫁入り舟」のほうは物語の世界に入って太鼓をたたく青年の思いにいつの間にか浸っています。

  月の嫁入り舟http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=FySuMX2OVDY


 夜になって劉暁波さんに対する中国独裁政権の野蛮な仕打ちが伝えられてから心の平和が打ち破られてしまいました。

中国政府に怒りの声を(二)

2009-12-26 07:07:12 | 中国
 「08憲章」の起草をされた劉さんへの弾圧に抗議して昨夜中国大使館に電話をしましたが「時間外」でつながりません。

 今朝、日本政府と民主党に抗議声明を出すように「お願い」しました。

 日本政府の「各府省への政策に関する意見・要望」の送り先はこちらです。

  https://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose

 民主党はこちらです。

http://www.dpj.or.jp/header/form/index.html


 民主党へのぼくの「おねがい」文書です。

中国の裁判所が「08憲章」の起草者の劉さんに懲役刑を言い渡しました。治安
維持法下の日本を彷彿とさせます。

 民主主義と人権の確立なしに「友好」も「共同体」もあり得ません。中国首脳
と太い絆で結ばれた小沢幹事長が断乎たる抗議をされるようにお願いします。

 アメリカ政府が抗議声明を直ちに出したのに、日本政府は何をしているのでし
ょうか。私たちが打ち立てた政府です。悲しくなります。

 党としてまた政府として一刻も早く日本国民の思いを中国政府に伝えてくださ
い。
   鈴木啓介(埼玉県川越市民)


 両方とも確かに受け取ったというお知らせメールが直ちに届きました。ちゃんとやってくれるのでしょうか。

 「川越だより」を覗いてくださる皆さんにはどんな知恵がありますか。昨夜も書きましたが提案をお願いします。

 世界中から抗議の声を突き付けて独裁権力を孤立・震撼させなければなりません。中国の国民には何も知らされていないということです。
 
 日頃「日中友好運動」に取り組んできた方たちの出番ではありませんか。友人なら権力者には断乎たる抗議を、人民には真実の情報を伝えるべきです。


中国政府に怒りの声を

2009-12-25 20:22:23 | 中国
 「川越だより」で紹介したことがある「08憲章」の起草者の劉さんに懲役11年の判決が下されたのことです。

 08年の年の暮れに「08憲章」を読んで深く励まされたことを思い起こします。腹の底から怒りがわいてきます。


 米国政府は声明を発して中国政府を非難したとのことです。

 
  米国:中国を非難 反体制作家の実刑判決で
            (毎日新聞 2009年12月25日 19時11分)
 
 米国務省は24日、中国で国家政権転覆扇動罪に問われた著名民主活動家、劉暁波氏が実刑判決を受けたことについて「政治的信条を平和的に表現することを罰するのは、中国も署名した『市民的・政治的権利に関する国際規約』(国際人権B規約)に違反する」との声明を出して中国政府を非難した。

 声明は、劉氏の妻や米大使館員らが公判の傍聴を拒否されたことも批判。中国に劉氏の即時釈放と、すべての市民の言論の自由を認めるよう求めた。(共同)

 

 日本政府はどうするつもりなのでしょう。

「東アジア共同体」を提唱している鳩山さん、心のこもった政府声明を突き付けてください。

 胡錦濤さんのお友達らしい小沢民主党幹事長、友として「おかしいよ」「付き合えないよ」とはっきりした党声明を出してください。


 私たちはどうしたらいいのでしょう。皆さんにはどんな知恵がありますか。教えてください。できることを一緒にやりましょう。

 とりあえず中国大使館に抗議の電話をしようかと思っています。


   【資料】中国、劉暁波氏に懲役11年 「〇八憲章」を起草

             (東京 2009年12月25日 13時48分)

 


 【北京共同=芹田晋一郎】中国共産党の一党独裁体制廃止などを呼び掛けた文書「〇八憲章」を起草したとして、国家政権転覆扇動罪に問われた著名民主活動家、劉暁波氏(53)の判決公判が25日、北京市の第1中級人民法院(地裁)で開かれ、劉氏に懲役11年、政治的権利はく奪2年の実刑判決を言い渡した。

 同罪の最高刑は懲役15年で、異例の重い判決。中国は民主活動家らへの締め付けを強化しており、象徴的存在の劉氏を厳罰に処すことで、共産党批判を決して許さない姿勢を示す狙いがある。だが、こうした中国政府の対応に、欧米各国などから「人権侵害だ」と非難する声がさらに強まりそうだ。

 関係者によると、劉氏は起訴事実について「憲法で言論の自由が保障されており、罪に当たらない」と一貫して否認。しかし検察側は、劉氏が〇八憲章で「民主的な立憲政治の下での中華連邦共和国の建設」を提起したと指摘し、「デマや中傷で、社会主義制度を覆そうとした重大な犯罪行為だ」と断罪した。

 さらに検察側は、劉氏が2005年以降、英BBC放送の中国語電子版などのウェブサイトに、共産党を批判する六つの文書を発表したことも罪に当たるとしていた。

 出典http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009122501000311.html

 
 08年暮れの「川越だより」 〇八憲章http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/7705c3f8751a381d92e1bce527490263

おかげ様で元気です。

2009-12-24 21:44:46 | 父・家族・自分
 5時前に伊豆から帰りつきました。好天続きでよい「休養」ができました。

 12月21日(月)

 11時過ぎ、癌研有明病院の主治医から恒例の「通知簿」をもらう。

 血液検査にもCT検査にも格別の変化は見られず、右肺に転移したガンは小さくなったままで推移している。脳や肝臓などへの転移も認められない。よかったね、来年も頑張ろう。

 これが西尾先生の言葉。ありがたいことだ。

 05年12月 左肺摘出手術。 07年10月 右肺への転移確認。

 08年4月~8月 抗がん剤治療。

 昨年の抗がん剤治療の効果が続いているということだ。にんにくを食べるようにしているほかは格別のことは何もしていない。あとはこのブログに書いているような毎日だ。付き合ってくれる家族や友人たちに感謝のほかはない。

 新宿から小田急ロマンスカーで伊豆高原の保養所に向かう。4時前には到着。


 22日(火)晴れ 

 伊豆高原の駅から海に出て海岸の遊歩道を蓮着寺まで歩く。ヤマモモとタブの巨木の根に触って精気をもらう。蓮着寺の日蓮の銅像は流罪になった40歳当時の姿だという。先日の新潟での僧侶たちの姿を思い起こす。鐘を撞く。

 蓮着寺のヤマモモhttp://www.geocities.jp/ir5o_kjmt2/kigi/yamamren.htm 

 海洋公園のそばで昼食の後、門脇崎の灯台、つり橋を経て城ガ崎駅まで歩く。今日はよく歩いた。6kmくらい。


 23日(水) 

 8時過ぎに宿を出て、電車・バスを乗り継いで爪木崎へ。スイセン祭りの岬をひとまわりした後、須崎への海岸遊歩道を歩く。台風で傷んでいた道もきれいになっており、快適な歩行。昨日に続いて大島をはじめとする伊豆の島々が美しい。

 細間の段のあたりで会ったサカベさんという方が丘の上の別荘に案内してくれた。ご自分で間伐材を活用して建てたという高床式の家が三棟。これには大いに感心する。森をよみがえらせ川や海を生き返らせるためにも間伐材の活用は喫緊の課題だといわれる。知り合いの社長が間伐材を建材として商品化する取り組みを進めているという。

 勧めてくれるママに客室で弁当を食べながら面白い話に耳を傾けた。父上は旧海軍の天象担当で戦後は海上保安官になり、宗谷の南極派遣の際、気象データーの準備に精根を使い果たしたらしい。このあたりの海図が壁に貼ってある。

 この遊歩道は2~3kmで、やや風もあったが、昨日の疲れをいやしながら歩くにもってこいだった。

 須崎の遊歩道http://www2.tokai.or.jp/younet24310/journey-szh1.html

 4時頃には宿について温泉に入る。

 24日(木)

 快晴無風なので、大室山を歩いて帰ることにする。リフト乗り場に来るとちょうど野焼きが始まったところだった。珍しい風景を眺めながら昇る。

 富士山の眺めがなんとも言いようがない。外輪を一周して「静養」の締めくくりとする。

 大室山からの富士山http://march-drivestation.seesaa.net/upload/detail/image/oomuroyama2-thumbnail2.jpg.html

 歩くのと温泉に入るのとひたすら眠るのとの丸二日間。今回は運転の勤めもなく妻も休養になったのではないか。僕とは違って読書と手芸はあいかわらずだが…。
 

 

荒川河口から王子へ 二人の元生徒を訪ねて

2009-12-21 06:58:38 | 友人たち
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 12月20日(日)

 晴れて無風、暖かそうなので荒川河口までいった自転車の旅を終結させるための一日にすることとしました。

 10時前に西葛西の洪さんの家について預けてあった順子号でまずは葛西臨海公園に向かいました。
 洪さんとは会えずじまいです。どこかにお出かけなのでしょう。前夜から連絡がつきません。勝手知ったる何とかで順子号を連れ出したのです。洪さん、お世話になりました。

 臨海水族園に行って桂子さんに会っていくことにしました。来意を告げると受付の方が丁寧に取り次いでくれ、仕事中の桂子さんと話をすることができました。
 文京高校OGで僕の教員生活最後のHR担任の一人です。高校生の時から動物の世話をする仕事に就きたいと言っていました。
 今宿願を果たして、ガイドツアーなどを担当して、お客さんが動物への理解を深める手助けをしています。先輩の同僚にもかわいがられているようで何よりです。

 せっかくですから、前回訪ねたときに大好きになったエトピリカに会っていくことにしました。

 黄色いくちばしの海鳥です。いつだったか、北海道の霧多布で見て以来ファンになりました。

 エトピリカhttp://zooblog.jugem.jp/?eid=438

 霧多布のエトピリカhttp://homepage2.nifty.com/aigokai/06guide/kiritappu.htm

 11時ころに水族園を出発、鮮やかな富士の姿を遠望しながら、健康の道を走り、清砂大橋で荒川右岸へ。2週間前とは逆に広い避難道路をさかのぼります。
 日曜日とて河川敷は野球などの花盛り。子供たちの歓声が響きます。

 墨田区八広で昼食にしました。土手を下りて少し行ったあたりに「平田屋」さんという小さな昔風の中華料理店があったので入って「レバニラ定食」を注文しました。これが美味。きれいさっぱり平らげました。700円也。

 1時頃再出発。北千住あたりに来ると疲れを感じるようになり、川端の芝生で一休み。外国からやってきた家族や若者たちが休日を楽しむ姿が見えます。中国からやってきた僕の生徒だった人たちもこうして家族と過ごしているのかなあ。

 江北橋で下りて北区王子の恵美ちゃん宅へ。2時半ごろか、無事到着。このあたりは北高校に勤めていたせいで土地勘が働くのです。

 狭い土地に工夫を凝らして建てた三階建てのかわいいビル。恵美ちゃんと会うのは2007年4月29日以来です。近くのホクトピアでの「<多文化共生をめざす>在日韓国・朝鮮人生徒の教育を考える会」の終結記念パーティに姿を見せてくれたのです。
 この間に苦楽を共にしてきたお父さんを喪う一方、この家を建てました。おかげで順子号を預かってもらえます。

 沖縄の版画家・名嘉睦念(なか・ぼくねん)さんのファンで家中がこのかたのミュージアムの風情です。

  http://www.bokunen.com/

 二階の居間で夕方の5時まで二人だけのティータイム。恵美ちゃんは78年3月、池袋商業高校の卒業です。フォークソング部、僕が顧問。付き合ってから30余年。

 僕の人生の先生のような存在です。恵美恵美教の教祖なのです。
 
 手術後の僕に「アジサイにカエル」の絵を描いて届けてくれました。おかげで元の元気な啓介にカエルことができたのです。

 この日のお話の内容はまたの日に。市井のただなかで家族や友人、隣人たちと心開いて誠実に生きてきた人の豊かな人生レポート。ちっとやそっとでは書けません。

 大いなる励ましを受けて帰途につきました。王子駅まで一緒に歩いて見送ってくれました。

 桂子さんからメールが届いていました。本当にありがとう。

 こんばんは。先生、今日は水族館に来てくれて、ありがとうございました!!ほ
んとに嬉しかったです。あまりゆっくりお話ができずに、ごめんなさい。またぜ
ひ、遊びにきてください!!今日は自転車で、無事に着きましたか?相変わらず
元気な先生で、嬉しかったですヾ(^▽^)ノ寒いので、お体には気をつけてくださ
いね。





 今日(21日)はこれから癌研に行って二学期の通信簿をもらいます。皆さんのおかげで最高の療養ができたので先生にほめてもらえるのではないかと思います。

 午後から伊豆高原に行って3泊4日の休養です。火・水と「川越だより」は休刊します。


 


土佐の三人組

2009-12-20 07:02:24 | ふるさと 土佐・室戸
12月19日(土)

 気温はやや低いものの風はなく日差しが暖かい日なので10時過ぎに埼玉こども自然動物園に向かうことにしました。新しい自転車での遠乗りは初めてです。

 昼前に着いて新しくできたカピバラとワラビーのいるコーナーを訪ねました。

 http://www.parks.or.jp/sczoo/map/mapf.htm

 カピバラのために温泉施設ができたと報じられていたのですが入浴は2時からとのことです。土曜日とはいえ人影は少なく動物たちも安心して日差しを楽しんでいるようです。

 カンガルーのコーナーでは一頭が通路に出ていて触ることもできます。前足が極端に短くひ弱に見えます。ここの動物園は森の中にあり、広々としているので動物たちが檻の中にいるという感じになっていないのがいいですね。

 歩行者デッキの下の森にシカや日本カモシカが放し飼いになっているというので行ってみましたが姿を見つけることはできません。

 弁当を食べた後、いつもの通り、キリンとシマウマに挨拶して帰途につきました。
 空気が冷えてきたようです。越辺川の白鳥は土手の上から遠望しただけですが増えている感じではありません。餌をやらなくなって変化が生まれているのかな。

 コニヤンからメールが届いていました。高知の「おんちゃんトリオ」の写真の脇に「昨夜は、鈴木さんのご縁で3人で飲みました。」と、あります。

 けんちゃんとコニヤン・梅原さんの三人が夕方「葉牡丹」で飲み始めて、今月で閉店するという高知名物の居酒屋「とんちゃん」で遅くまで宴を張ったらしいのです。

 ブログを通じて交流しているうちに三人の方と僕の間にも、三人の方同志にもいろいろと縁があることがわかったのです。三人は年もほとんど同じです。(僕とはひとまわり違います。)それぞれに個性が豊かで活動的な方たちです。初めて会っても話が尽きないはずです。
 
 いつの日か、梅原さんがみんなを引率して古巣の丸木美術館を訪ねてくれることでしょう。その時には我が家で土佐のサワチ料理のお客をやろう。飯能に住む萩原の兄(に)やんは来てくれるかな。相模原の谷さんはどうだろう。楽しい一日がもうすぐそこにあるようです。

 縁とは不思議なものですが似たようなものは結局どこかで出会うようになっているのでしょう。「いごっそう」というのか、はみだし者というのか。
 縁を大事にして、時には気炎を上げて、土佐っぽの意地を天下に示したいものです。

 コニヤンのブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/gogokoniyan/49899050.html 

 けんちゃんのブログhttp://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-7095.html

  



 

 




映画『二十四の瞳』

2009-12-19 09:03:41 | 映画  音楽 美術など
 12月18日(金)よく晴れてはいるが風が強いので一日中家にこもる。日当たりのよい二階にもこたつを出して珍しく読書。

 昼寝のあとは図書館から借りてきてあるビデオで映画『二十四の瞳』を見る。小豆島で55年ぶりに(後半だけを)見てから一ヶ月近くが経っている。


『二十四の瞳』 四国路①
http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/78a8b028dfd7387fba9682957cbb6b4a

 感想 ①白黒の画面の風景がすばらしい。

 今はもう小豆島でも失われた町並みや海沿いの村の風景が存分に紹介されている。小学校の修学旅行の場面となる屋島、栗林公園、金比羅さんの風景はとりわけ懐かしい。
 ぼくも小6の秋に2泊3日でここに連れて行ってもらった。1953年(昭和28年)のことだ。屋島でかわらけを投げたことや金比羅さんで中谷校長が駕籠に乗ったことなどを友人たちの笑顔とともに思い起こした。
 封切りが54年だから撮影はこの時期に行われていたのではないか。

 ② 全編を通じて流れる音楽が心地よい。

 テーマ曲は「七つの子」。「仰げば尊し」と「浜辺の歌」も重用されている。
 
 ほかに。「アニーローリー」「おぼろ月夜」「荒城の月」「みなと(空も港も…)」「春の小川」「(ちんちん千鳥…)」「埴生の宿」「庭の千草」「(月なき美空…)賛美歌」「村の鍛冶屋」「ふるさと」「ちょうちょ」「(汽車、汽車…」)「(開いた開いた…)」「あわて床屋」など。

 大正デモクラシーの時代に女子師範学校に学んだ「女先生」の愛した歌の数々。12人の子供たちの心に残り続けたに違いない。敗戦後、僕も同じような歌を教わって育った。今も好きな歌が多い。

 「男先生」が教え込もうとした「千引の岩」は初めて聞く。教え子たちや夫の出征風景と一体となって四つの軍歌が延々と流れる。これもまた心に深くしみる。悲しみ。悔しさ、虚しさ。そして大石先生の子供たちが歌って遊ぶ「兵隊さん」。戦争へと突き進む時代の精神をこれらの歌で表現したのだろう。

 ③父を想う。

 大石先生。

 昭和3年(1928年)師範学校を卒業して岬の分教場に赴任し、12人の子供たち(一年生)と出会う。

 昭和8年(1933年)に本校で6年生になった子供たちを再び受け持つ。昭和9年3月、子供たちの卒業とともに教職を辞す。(戦争へと向かう時代の流れについていけず、静かに抵抗する)。

 昭和16年(1941年)~ 教え子と夫が戦死。敗戦直後にはわが子を喪う。

 昭和21年(1946年) 補助教員として再び岬の分教場に赴任し、かつての生徒たちの子供の先生となる。生き残った教え子たちに「謝恩会」をしてもらい、贈られたピカピカの自転車で通い始める。

 敗戦の日の長男とのやり取り。

 大吉「お母さん 戦争負けたんやで ラジオ聞いたん」

 大石「聞いたよ でも とにかく戦争がすんでよかったじゃないの もうこれから戦死する人はないもの 生きている人は戻ってくる」

 大吉「一億玉砕でなかった」

 大石「なかってよかったな」

 大吉「おかあさんはうれしいん」

 大石「ばか言わんと 大吉はどうなんじゃ うちのお父さん戦死したんじゃないか もう戻ってこんのよ」

 大吉「お母さん 泣かんの 負けても」

 大石「お母さん 泣いたん 死んだ人が可哀そうで 泣いたん」

 
 僕の父は同じ四国の高知県で昭和2(1927)年9月から羽根小学校に赴任した。大石先生とほとんど同じだ。昭和3年の日記をこのブログでも紹介したことがある。

 父の日記 http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/d0f36c3b7c04ab3595ec773aaf402f72

 


 この日記を読んで僕が想っていた以上に師範学校時代には自由な思想を身につけていたことを知った。大石先生と似ている。戦争へと突き進む時代にどう対処していったのか。もう少しちゃんと聞いておけばよかったなあ。

 「もうこれから戦死する人はないもの」。大石先生がこう言ってから64年が経った。ともかくもこの国の若者が戦争で死ぬことはなかった。
 僕は41年間教員をやらしてもらったが大石先生や父のように「教え子」を戦争で失うことだけはなかった。本当にありがたいことだと思う。

 ④世界恐慌の時代である。事業の失敗や家庭の貧しさのゆえに身売りされたり、親とともに夜逃げする子供たちがいる。大石先生がこういう場面がある。

 「先生にもどうしていいかわからないけど あんたが苦しんでいるのあんたのせいじゃないでしょう お父さんやお母さんのせいでもないわ 世の中のいろんなことからそうなったんでしょう だからね 自分にがっかりしちゃだめ 自分だけはしっかりしていようと思わなきゃね 先生 もうほかに言いようがないのよ その代り 泣きたいときは いつでも 先生の所へいらっしゃい 先生も一緒に泣いてあげる ねえ」

 教師にできることは今も昔も変わらないなあ。何の力にもなれず、ただただ聞いているだけの自分のことを思う。
 それでもそれが大切な仕事だ、とも思う。

 ⑤木下監督が持てる力を総動員して作った映画だ。

 一年生と六年生の子供の役をさせるために兄弟姉妹のコンビを募ったという。(なるほどよく似ているなあ)。6歳の子供を12人も使っての映画作りだ。主演の高峰秀子も本当の「女先生」になるつもりでなければ撮れなかったに違いない。
 
 日帰りの修学旅行に出かける子供たちの船が瀬戸内の美しい海で大石先生の夫の乗る遊覧船と行き違う場面も圧巻だ。撮影を何度もやり直したらしい。修学旅行の喜びを最大限に味わわせてやりたいという思いが満ち溢れている。

 ⑥この映画は僕の生徒たちには見せたことがない。見たらどうおもうだろう?テンポが遅く、退屈だろうか?

 僕には子供たちと生きる原点を確かめるような大切で心に残る傑作だ。

  七つの子http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html
 

 


 



北朝鮮の核実験について丸木美術館理事会に問う

2009-12-18 08:50:20 | 政治・社会
 年の瀬が近づき寒い日が続きます。昨夜、秋田の昭紀くんに電話したら大雪で転居が難航しているとのことです。夫婦が力を合わせて働いて待望の新居が完成します。家族6人が新しい家で正月を迎える喜びが伝わってきます。暖は薪ストーブでとると言います。
 春になったら遊びに来てくださいと奥さんが言ってくれました。旅費を貯めて花の頃には会いに行きたいなあ。

  昭紀くん夫妻 http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/03f3df55b46cd33edf49e0d40e7b0ac7

 昨日、丸木美術館に関わる不愉快な出来事について書きました。年越しにならないようにもう一つ気になっていることを書き留めておきます。理事の皆さんが読まれたら真剣に検討していただきたいと思います。

 北朝鮮の金独裁政権は今年5月、2回目の核実験を行いました。私たちは矢も楯もたまらず市民有志の声明を発しました。

  北朝鮮の核実験に抗議する 市民有志の声明http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/22980a42c330be66b344cbeb9e290107

 丸木美術館の正面入り口のドアーにはアメリカのイラク戦争に反対する声明が貼ってありました。理事会の意思表示ではなかったかと思います。

 これから類推して、ぼくは丸木美術館の理事会が当然のこととして北朝鮮の核実験に抗議する何らかのアピールをするものと考えていました。しかし、7月になって原爆忌が近づいてもその気配がないので、事務局に私たちの声明文を渡し、理事長に届けてくれるようにお願いしました。

 この声明は個人や団体がそれぞれの思いで声明を出すことを提案しています。理事長さんに理事会として検討してくださいと一友の会会員としてお願いしたつもりです。


 しかし、結局のところ今日に至るまで北朝鮮の核実験に対する丸木美術館としての意思表示はありません。ぼくに対する説明もありません。

 これはいったいどういうことでしょうか。

 この40年、自宅にいなかったときは別として8月6日は丸木美術館を訪ねて原爆の図のまえに立つようにしてきました。近いところにありますから何でもないことです。8月6日に立つと普段とは違う感じ方をすることにも気づきました。今年は北朝鮮の核実験があり、核の脅威をより身近に感じたのですからなおさらのことでしょう。
 
 でも、今年は出かける気が起きませんでした。理事の方々の顔を見たくないのです。見れば文句のひとつも言いたくなります。

 アメリカのイラク戦争に抗議する声明は出すが、北朝鮮の核実験には黙っている。ふつうの人はそう受け止めると思いますがそれでいいのですか。

 本当のところを聞かせてください。そして断乎とした抗議をしてください。

 位里先生や俊先生が生きておられたら、たちどころに何かの行動をされたと思います。中国の天安門にも招待された人たちですが中国の核実験には断乎抗議して共産党を追われました。天安門事件に抗議して三枚の絵を描きました。
 北朝鮮にも招待され、俊先生は帰国運動に際して朝鮮の絵はがき造りにも協力しています。しかし、このたびの核実験には断乎とした抗議をされたのではないでしょうか。

 ぼくは「丸木美術館友の会」の一員であるに過ぎません。でも、丸木夫妻の画業と謦咳に接することができたことを生涯の幸運と感謝して生きてきたものです。

 昨日、今日と美術館について二つの文章を書きました。喜んで書いたわけではありません。心が痛んで仕方がないのです。
 
 「川越だより」を読んでくれる常務理事さんがおられることもコメントをくださるのでわかります。あれこれと評論するだけでなく、美術館の命の炎を燃やすために行動してほしいと願います。
 


 

 

祈りの力  丸木美術館での不愉快な出来事

2009-12-17 08:52:33 | 友人たち
 17日(木)

 先日、新潟港での僧侶たちの読経や趙さんの鎮魂の舞踊を見て「祈り」の力に感動したことを書きました。
 書いてからいやなことを思い出しました。いやなことはなるべく書かないことにしていますが、大事なことだと思いますので書き留めておきます。

 昨年の8月6日、丸木美術館で若麻績敬史(わかおみたかし)さんの記念講演がありました。この年の春、善光寺が中国政府のチベット弾圧に抗議して聖火リレーの出発地になることを拒否し、当日、犠牲者の追悼法要を行ったときのリーダーです。テーマは「祈りの力」です。

 当日の様子を紹介したブログがあります。ごらんになってください。ぼくがたびたび無断で紹介させてもらうヒキノ村人さんのブログです。

 ヒキノ村人さんのブログhttp://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/121e1999d4d11d23ac67e121b10de02b

 ぼくはこの方と同じく「いいお話」だったと思いました。外国(米国?)から来た女性の方が感動したと感謝の言葉を伝えます。

 びっくりしたのはそのあとのことです。丸木美術館の常務理事の片岡健だという人が立ち上がって非難としか言いようのない言葉を投げつけたのです。

 「感動しなかった」云々は個人の評価ですからともかくとして、話の内容ではなく、当日配られた資料の内容について攻撃し始めたのです。

 チベットで虐殺行為があったと書いてあるが証拠があるのかとか、最近、若麻績さんたちが麻生さん(後の首相)を呼んで講演会をやったのがどうとか…。

 この方は何かの行事のときによく見かけるのですが「常務理事の片岡健」さんとは初めて知りました。そして非常識ぶりにあきれ果てました。

 若麻績さんはお盆前の多忙なときに長野から駆けつけてくれたのです。お願いしたのは財団法人「丸木美術館」です。常務理事というのであれば「遠いところ来ていただいてありがとうございます」から始まるのが当然だと思っていたのです。
 
 ところが自分がいかに日中の友好に尽力してきたかをのべ、若麻績さんを非難することに終始したのです。

 丸木美術館はなぜ8月6日に若麻績さんをお招きしたのでしょう。「祈りの力」について学ぶためではありませんか。

 若麻績さんはこの無礼な対応にも誠実に自分の思いを伝えていました。善光寺の法要ではチベット側と中国政府側の両方の犠牲者の名をあげて追悼したこと、そういう両者の壁を打ち砕く「祈り」についてお話になったのではなかったかと思います。

 新潟での若麻績さんたちの祈りの現場に立ち会って、「祈りの力」を実感してぼくは今この拙文を書いています。昨年夏の若麻績さんのお話の意味がよりよく理解できるようになったのかと思っています。

 片岡さんは「日中友好運動」のリーダーとも言うべき方のようです。

 片岡 健さんhttp://www.kokuminrengo.net/old/information/kataoka.htm

 このような方がなぜ、自分がお呼びした若麻績さんにこうした態度をとり、素直にお話を聞こうとしないのでしょうか。

 これはしっかりと解明する必要がある課題だと思います。日本と中国だけでなく、日本と朝鮮の民衆がどうしたら力を合わせて独裁と闘い、友好を打ち立てることができるのかというテーマにも通底しているからです。

 また、丸木美術館が政治的立場や思想信条に囚われることなくさらに多くの人々に開かれた美術館になるためにも必要なことだと考えます。迎える側に人としての常識さえないとしたらそれは不可能です。
 丸木夫妻の画業には生きとし生けるものへの無条件の愛が宿っています。ぼくはこの絵の前に世界中の政治的リーダーが立ってほしいと思っています。麻生前首相も例外ではありません。

 美術館にお願いです。遅くはなりましたが若麻績さんの講演内容をニュースで紹介してください。そしてなぜ、このような無様な事態を引き起こしたのかきちんと検証する作業をしてください。

 
《参考記事》
チベット動乱で聖火拒否の善光寺僧侶 若麻績敬史さん
  http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2009/06/nozawa22-12.html

音羽御殿で思ったこと

2009-12-16 21:35:04 | 政治・社会
12月16日(水) 今日は寒い一日で大半を布団の中で過ごしました。

 昼過ぎに丸木美術館の手伝いに行く妻にゴミ焼却場のそばにあるリサイクルセンターまで送ってもらいました。先週、ここで買っておいた自転車を受け取るためです。
 防犯登録料500円也を含めてちょうど一万円。放置自転車をシルバー人材センターの方々が再生させたものです。ギアーがついているのが特徴です。これで比企地方の起伏が多いサイクリングも楽になるかな。

 これからは順子号は東京の友人宅に預かってもらい、東京見物に使うことにします。40年間、東京の学校で働いてもまだまだ知らないところだらけです。

 そういえば先日(10日)音羽の鳩山記念館を訪ねました。
 
 癌研の定期検査までに時間があったので江戸川橋で途中下車して寄ってみたのです。最後につとめた山吹高校の近くで何度も通りがかったところですが有料なので敬遠していました。
 観光バスが横付けになっていて高齢者でにぎわっています。入場料は500円也。ぼくはシルバー割引で450円。

 正直言ってがっかり。建物などには興味はなく、展示物に何かおもしろいものがあるかと思ったのですが…。天皇の任命書?で、1954年12月10日に鳩山一郎が総理大臣になっていることがわかったくらいです。
 55年前のこの日だったのです。ぼくは中一でしたが長く続いた吉田内閣が終わったので喜んだのではなかったかと思います。吉田茂は高知県の選出ですがぼくが知る限り、「反動内閣」「ぶっ倒せ」という声が巷(ちまた)に満ちていました。

 「500円払ってまで行くところではない」。ぼくの反省。

 小さいときはこの音羽御殿で過ごしたという鳩山由紀夫さん。

 沖縄の基地問題でがんばっています。TVなどの評判は悪いけれど気にしないで「先送り」して、沖縄以外のところへ持って行ってください。植民地根性に縛られてアメリカの顔色を伺うばかりの報道にはうんざりします。
 
 お母さんからの巨額の資金の流れは「知らなかった」で通用するはずがありません。弟さんも同罪です。
 
 沖縄問題に方向を示したら責任をとって辞任すべきです。総理大臣が脱税したり、政治資金報告書をごまかしていたりするのでは社会は成り立ちません。

 ぼくの家が一坪広がっただけで固定資産税が増えました。いつ壊れてもおかしくない築40年の建て売りのバラックのような家です。収入は100%、国家が把握しており、納税を怠ったことはありません(天引きですから怠りようもないのですが)。社会を維持していくための義務ですから納得しています。
 
 鳩山家には莫大な私財を管理する専門家も付いているのではありませんか。意識的な脱税で、犯罪行為といわれても当然だとぼくは思います。「市民革命」をやろうと呼びかけた人がこれでは「ご一新」はできません。

 ぼくは鳩山内閣を支持します。しかし、新年度予算をつくり、普天間基地の移転問題にめどをつけたら、退陣してください。本当は企業団体献金の廃止などもやってもらいたいと思っていたのですが…。残念です。

 

 

新潟港 2009年12月14日

2009-12-15 22:24:30 | 韓国・北朝鮮
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 昨日21時のNHKニュースをごらんいただきましたか。19時に続いて新潟港の追悼集会の様子を報じたあと、50年前にソ連船で北朝鮮に渡ったAさんのお話を紹介していました。

 地元紙・「新潟日報」の報道はこんな感じです。

  北朝鮮帰還「何だったのか」
          事業開始50年、遺族ら追悼集会
 

 北朝鮮帰還事業が始まって丸50年となる14日、在日朝鮮人や日本人妻ら帰還者の霊を弔う「新潟港追悼集会」が新潟市中央区の新潟西港中央埠頭で開かれた。遺族ら約70人が参加。日本への帰国の願いがかなわず亡くなった肉親らをしのび「悲劇を風化させない」と誓った。

 集会は脱北者支援など人権問題に取り組む「移民政策研究所・人道移民支援センター」(東京都)が主催。帰還者遺族のほか、脱北者8人も参加した。

 同センターの坂中英徳代表が「50年たち、多くの人が(北朝鮮で)無念の死に追いやられている。犠牲となった人々や日本に残された家族の魂を闇に葬ってはいけない」と追悼の辞を述べた。日本人妻の遺族は「人生を翻弄(ほんろう)した帰還事業とはいったい何だったのか。北朝鮮にいるいとこたちに早く会いたい」と訴えた。
           (新潟日報2009年12月14日)
出典http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/7094.html

 14日午後2時の新潟港中央埠頭は雨模様です。東京からの私たちをはじめ70名余の人々が参列して「あの日を忘れない!新潟港追悼集会」が始まりました。この港から50年前のこの時刻、北朝鮮帰国第一船が北朝鮮に向かったといいます。

 主催者を代表して坂中英徳さんが冷たい雨に打たれながら追悼の言葉を述べます。50年前も厳しい気象条件だったといいます。これくらいの雨など何でもないぞという気負いが感じられます。

 ぼくの隣に萩原遼さんが座っておられます。傘は差していますがセーターも着ていません。雨風が強まってもそのままの姿です。同じ南国・土佐の出身です。昔「赤旗」の平壌特派員を務めたことがあるとはいえ、気持ちの持ちようが並大抵ではないのでしょう。

 ぼくはといえばこのような気象条件を予想して妻が万全の防寒体制を整えてくれています。それでも遺族代表の広瀬さんの言葉、読経、献花と続き、舞踊となるところで建物の脇に移って風雨を避けました。

 読経時の様子 http://www.nhk.or.jp/news/k10014399551000.html

 一時間あまりの追悼集会は見事なものでした。

 北朝鮮でなくなったおばさんを想い、従姉妹たちとの再会を願う広瀬直子さんの言葉はご本人にお願いして「川越だより」に近く紹介させてもらうつもりです。私たちの古い友人で、この日17年ぶりにお会いすることができました。この方が50年間も抱えてきた思いをぼくは初めて聞きました。おばさん一家は埼玉県の高崎線神保原からの旅立ちだったといいます。

 若麻績(わかおみ)さん・福島さん・古川さん。長野・善光寺から駆けつけてくださった「平和を願う僧侶の会」のお坊さんたちの読経。腹の底からわき出る「般若心経」が日本海の空に響き渡ります。その声は風に乗って北朝鮮にも届くかと思うほどです。成仏できないまま、宙をさまよってきた在日コリアンや日本人妻の霊が読経のする方に近づいて来られたのかもしれません。一心に祈る三人の姿にぼくは言いしれぬ感動を覚えました。霊を慰めるお経に命を吹き込んでくれるような力強さも感じました。宗派は違いますが遠い昔の日蓮も斯くやと思ったのです。

 趙 寿玉(ちょう・すおく)さんの鎮魂の踊りは形容のしようがありません。雨と風の中で舞う趙さんと招き寄せられた諸霊たちが交遊しています。50年の恨みを語り、やっと会えた喜びに抱き合っているのでしょうか。雨の地べたに半跏して祈る姿はただごとではありません。この方の修業の極相に立ち会っているようです。

  趙さんhttp://www.amy.hi-ho.ne.jp/kisun/2maisugata.htm 

 雨の中で坂中さんが「日本政府への要請文」を読みます。この人の発案と実行力に改めて深い敬意を感じます。わずか一時間あまりでしたが私たちは希有な体験をさせてもらいました。「祈る」とか「供養する」とか、ということの意味が少しはわかったような気がします。
 坂中さんと坂中さんを助けて今日の日を創った小牧さん、呉さん、本当にありがとう。日本人妻とその家族がこの日本に帰ってくるその日はそう遠くないと坂中さんは言いました。今日ここに参列している若い「脱北者」たちがそのときには先達として立派に働くだろうとも。

 日本政府が今日の日をきっかけにして北朝鮮との交渉の課題として真剣に取り組むようにぼくも微力を尽くしたいと思う。それにしても50年間も出国の自由を認めない政権が存在し続けていることは驚くべきことです。また、自国の国民が50年間も帰国の自由を奪われているのに、交渉の課題にさえしてこなかった日本政府も日本国民も「立派な」ものです。拉致事件とは違ってこちらはずうっと昔から「助けて!」という声が聞こえていたのです。

 3時過ぎには帰りの新幹線に乗りました。上越国境のトンネルを抜けたあたりから朴保(ぱく・ぽう)くんが歌い始めます。「恨(はん)五百年」が車内に響き渡ります。幸いにもこの車両は貸し切りなので、コンサート会場に変わりました。霊との交流に続いて生者の交流です。人々の声が合唱となり、通路は踊る人で満ちあふれます。
 朴くんもおじさんを北朝鮮で喪い従姉妹たちとの再会を願う一人です。ぼくとはもう30年以上のつきあいですが、この話は初めて聞きました。連絡すると矢も楯もたまらず、駆けつけてくれました。

朴保くんhttp://www.youtube.com/watch?v=qHL73QbkJ0I 

 私たちは大宮で皆さんと別れました。友人たちがドアのところまで出てきて送ってくれました。萩原の兄(に)やんの「元気に生きちょらないかんぞ」という大きな声が聞こえました。

 役割を果たした娘と妻は駅前の居酒屋でいっぱいやるという。ぼくは足が冷えるといけないので先に帰って風呂に入った。「今日もすばらしい友人たちに恵まれていい思いをさせてもらったなあ」。