心に残った文章を紹介します。
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手前味噌になりますが、2人には、日本に関心を持ってくれている若い人に、少しでも、生の日本語に触れる機会を作ってあげたい、正しい日本や日本人の姿を紹介したい、という確固たる信念がありました。
父の根っからの教員気質はもちろんですが、旧満州で生まれ育ち、父親を中国の地で亡くしている母は、ボランティアに関わることで、少しでも、中国への恩返しと償いができれば、という気持ちが強かったようです。
「誠実」とはこういうことかと、2人の姿を見ていて思います。
それぞれの国、地域のやり方を受け入れつつ、常に自分たちにできることを考え、実行する。課せられた責任は、どんなことがあってもきちんと果たす。
どの学生にも愛情を持って接し、授業のみならず、普段の生活においてもよき相談相手になる。自宅を開放し、日本語サロンのような状態を提供する。これを11年間ずっと続けてきたのですから、我が親ながら、すごいことだと思います。
時にそのまっすぐさを、「そこまでしなくても」と歯がゆく眺めることもありましたが、2人の蒔いてきた種は、あちらこちらで芽を出し、教え子の中には、外交の担い手として、日本語の研究者として、日本企業の第一線で働くビジネスマンとして、立派な木に成長した人も多いです。
卒業して10年経っても、日本のお父さんお母さんと慕って連絡をくれる教え子たちを見るにつけ、両親は、本当に充実した素晴らしい第二の人生を送ってきたんだなあと、誇らしい気持ちになります。
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これは田端克敏・道子夫妻の娘さんが書かれた文章の一部です。(全文はhttp://blog.livedoor.jp/gongyukari/archives/51536719.html)
田端さんは僕が教員になったとき、大島で世話になった同僚です。餃子を食べられない僕のために餃子をつくって御馳走してくれたり、結婚して妻が大島に来たときには五目寿司をつくって歓迎してくれました。
55歳で教員をやめ、中国各地やタジキスタン、マガダン(ロシア)などで日本語教師を続け、昨年から山東大学で働いていました。もともと「国語」の教員ですが書の大家でもあり、その授業はきっと彼の叡智の結晶だったことでしょう。
昨日、その田端さんから病気のため、大学を辞したとの便りをいただき、慌ててご夫妻のブログを開いたのです。11年に亘るボランティア活動の無理が、ドクターストップにつながったのでしょう。
上の文章は今、広東に住む娘さんが山東大学のご両親の旧居の後かたづけに出向いたときに書いたものです。病を得て、仕事を途中で辞す他はなかった親たちに代わって引っ越しの荷物をつくる娘さんの気持ちが伝わってきます。
「誠実とはこういうことか」。僕もまた、二人の歩みを想像しながら、この言葉を反芻しました。
療養に努め、健康を恢復されることを願うばかりです。
田端ご夫妻のブログ・済南の風
http://www5e.biglobe.ne.jp/~tianduan/
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手前味噌になりますが、2人には、日本に関心を持ってくれている若い人に、少しでも、生の日本語に触れる機会を作ってあげたい、正しい日本や日本人の姿を紹介したい、という確固たる信念がありました。
父の根っからの教員気質はもちろんですが、旧満州で生まれ育ち、父親を中国の地で亡くしている母は、ボランティアに関わることで、少しでも、中国への恩返しと償いができれば、という気持ちが強かったようです。
「誠実」とはこういうことかと、2人の姿を見ていて思います。
それぞれの国、地域のやり方を受け入れつつ、常に自分たちにできることを考え、実行する。課せられた責任は、どんなことがあってもきちんと果たす。
どの学生にも愛情を持って接し、授業のみならず、普段の生活においてもよき相談相手になる。自宅を開放し、日本語サロンのような状態を提供する。これを11年間ずっと続けてきたのですから、我が親ながら、すごいことだと思います。
時にそのまっすぐさを、「そこまでしなくても」と歯がゆく眺めることもありましたが、2人の蒔いてきた種は、あちらこちらで芽を出し、教え子の中には、外交の担い手として、日本語の研究者として、日本企業の第一線で働くビジネスマンとして、立派な木に成長した人も多いです。
卒業して10年経っても、日本のお父さんお母さんと慕って連絡をくれる教え子たちを見るにつけ、両親は、本当に充実した素晴らしい第二の人生を送ってきたんだなあと、誇らしい気持ちになります。
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これは田端克敏・道子夫妻の娘さんが書かれた文章の一部です。(全文はhttp://blog.livedoor.jp/gongyukari/archives/51536719.html)
田端さんは僕が教員になったとき、大島で世話になった同僚です。餃子を食べられない僕のために餃子をつくって御馳走してくれたり、結婚して妻が大島に来たときには五目寿司をつくって歓迎してくれました。
55歳で教員をやめ、中国各地やタジキスタン、マガダン(ロシア)などで日本語教師を続け、昨年から山東大学で働いていました。もともと「国語」の教員ですが書の大家でもあり、その授業はきっと彼の叡智の結晶だったことでしょう。
昨日、その田端さんから病気のため、大学を辞したとの便りをいただき、慌ててご夫妻のブログを開いたのです。11年に亘るボランティア活動の無理が、ドクターストップにつながったのでしょう。
上の文章は今、広東に住む娘さんが山東大学のご両親の旧居の後かたづけに出向いたときに書いたものです。病を得て、仕事を途中で辞す他はなかった親たちに代わって引っ越しの荷物をつくる娘さんの気持ちが伝わってきます。
「誠実とはこういうことか」。僕もまた、二人の歩みを想像しながら、この言葉を反芻しました。
療養に努め、健康を恢復されることを願うばかりです。
田端ご夫妻のブログ・済南の風
http://www5e.biglobe.ne.jp/~tianduan/