川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

芝・丸山古墳

2010-03-31 05:37:16 | 川越・近郊
 3月30日(火)晴れ

 二時から三田で会議があるので少し早めに家を出て芝・増上寺を歩いてみることにしました。

 増上寺http://www.zojoji.or.jp/info/index.html
 
 この寺の真ん前にある広度院という寺に妻の実家の墓があり、なじみがあるところです。


 花は5~6部咲きで、その下に東京タワーに向かう人々の流れがあります。


 本堂の南側の港区立芝公園に「丸山古墳」があることに気づいて登ってみました。
 
 丸山古墳http://inoues.net/ruins/sibamaruyama_kofun.html

 墳丘には「伊能忠敬測量偉功表の碑」というものがあります。丘の上から麓の花を楽しんでいる人の姿がありました。

 寺を取り囲むように芝公園があることに気づきました。次の機会にはこの公園をゆっくり回ってみることにします。

 今日は急な用事で千葉県東金市に行ってくることになりました。

大井町駅界隈

2010-03-30 06:48:34 | 父・家族・自分
 3月29日(月)晴れ

 蒲田での城戸久枝さんの講演が2時からだ。少し時間があったので二つ手前の大井町駅で降りて従兄の家あたりまで歩いてみることにした。

 1960年2月末に東京教育大学の受験のため大井の伯父宅に世話になって以来50年が経った。
 夜行の急行で朝方、品川に着いて兄に出迎えてもらった。あれから半世紀が経ったのだ。大井町駅前の「阪急」はとうの昔になくなっているが街のたたずまいは余り変わっていない。

 三つ叉通りから滝王子通りへはいる。大井警察の建物は新しくなったが位置は昔のままのようだ。

 滝王子商店街http://tokyo-syoutengai.seesaa.net/article/104461771.html

 伊藤中学校があったあたりに「伊藤学園」いう標識があった。学校改革で区立の小中一貫校になったようだ。
 
 伊藤学園http://www1.cts.ne.jp/~itogaku/

 品川区は学校選択制などの「学校改革」の先陣を切った。そのリーダーは若月秀夫という人だがこの人が都教委在職中に少しやり合ったことがある。
 あくの強い「やり手」だ。この教育長の下でどんな学校が生まれているのだろうか?

 若月秀夫教育長http://www.manabinoba.com/index.cfm/4,2768,81,html 

 ぼくの生徒だったIくんが品川区の別の小中一貫校につとめている事を思い出す。そろそろ学校にも慣れてきた頃だろう。(そのうちに訪ねてみよう)。

 原町の従兄の家の近くまで来たところで時間切れ。ちょうど来たタクシーを捕まえて大井町駅へ。「光学通り」も昔の面影を残しているように見えた。

 ちょっとした思いつきで大井に降りてみたので従兄に声をかけることも出来なかった。ごめんなさい。
 
 1960年、ぼくは思いがけなく浪人することになり、8月末から61年3月まで伯父の家に世話になった。「浅沼暗殺」の衝撃でダウンするなど苦しい時期だったといえるだろう。
 
 ぼくの関東での生活の足場を提供してくれた伯父夫婦はその後郷里の室戸岬に帰り、平穏な老後を送った。たまに訪ねる我が家のこどもたちをかわいがってくれた。こどもたちは「めじろのおじいちゃん」とよんでいた。

 とりとめもないことを書いたが、伯父たちに世話になった地を今度はゆっくりと訪ねてみたいものだ。

 2時から城戸さんのお話。司会者が父上・城戸幹さんの「人生」を聞くというものでぼくにはおなじみの話だった。父と子が書いた二冊の本を読んだり、TV番組を2回も見ているからだ。ぼくとしては久枝さん自身の歩みや考えをもっと聞きたかったように思う。

 移動教室の夜、どんな風に交流したらよいか、少しは考えておかなければならない。
久枝さんはどこにでもいる、どちらかというと地味な感じのする女性かな。ざっくばらんで気取らない。
 
 父上と同じような運命を生きてきた人々との交流だ。上手くいかないはずはないが…。
 
 移動教室の案内を手渡すことが出来てこの日の任務は無事終了。足が冷えて咳が出てきたので早めに帰途につく。

 
 

すき焼き

2010-03-29 07:55:08 | 父・家族・自分
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3月28日(日)曇り

 寒い一日だった。「新婚さんいらっしゃい」「大相撲千秋楽」を見る。白鵬の堂々たる全勝優勝に拍手。いつの日か、双葉山の69連勝を超える日があるか。

 夜は「龍馬伝」。斯くありたいと思う青年の理想像。乙女姉やんをはじめ龍馬を愛する家族の姿もすごい。
 ぼくは中岡慎太郎の銅像を仰ぎながら育った。中学生になってからは龍馬の銅像が立つ桂浜にしばしば遊びに行った。

 維新の回天に命を捧げた人だとは知っていてもその生き方に心躍らせることはなかった。誰もそんなことは教えてくれなかったし、手頃な本もなかった。

 「竜馬が行く」がNHKで放送されてから、司馬遼太郎の本を読んだ。この本の元となった平尾道雄という方の「龍馬のすべて」も知った。60年代後半のことだ。これがきっかけになって「土佐」に関わる人々のことを学んだ。

 「坂本龍馬のすべて」http://www.amazon.co.jp/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E9%A6%AC%E3%81%AE%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6-%E5%B9%B3%E5%B0%BE-%E9%81%93%E9%9B%84/dp/4404009682 


 龍馬が日本史の中でどれだけ偉い人か今もってぼくにはよくわからないが、田舎の名もなき青年が懸命に自己確立していく姿はぼくにも影響を与えてくれた。

 大事なことは現実に体当たりしながら絶えず自己の羅針盤を点検し、修正していくことだ。「教条」や「宗旨」の虜になって自分のやっていることをとらえ返す力がない人がいかに多いことか。

 龍馬が脱藩していく檮原(ゆすはら)の町はぼくの主治医の出身地でもあり、高校生の時から何度も訪ねた事がある。

 維新の門 群像http://www.geocities.jp/ocachincom/Ryoma/yusu02.htm  

 人生はただ一度だ。自分に忠実に精一杯生きたい。「国」を超える勇気も持ちたい。地球のどこかで自分を生かせればよいのだ。

 坂本龍馬の物語が今を生きる青年たちの心に響くといいのだが…。

 今日は妻が「遊びの学校」のお泊まりなので、ぼくが術後のAくんのためにすき焼きをごちそうした。

 今は台湾で闘病中のお母さんがつくってくれた時以来だという。帰ってきた娘も喜んでくれた。
 すき焼きだけはぼくにも出来る。味付けも上手くいった。ほめられたのでいい機嫌だ。

 3周年記念の「川越だより」に書いておけと言うので報告まで。

「川越だより」3周年

2010-03-28 07:34:32 | 父・家族・自分
 明日3月29日は「川越だより」3周年記念日です。

 創刊号の記事です。

 「室戸高校の選手たちはすごい」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/26da4b3ce03713c41df3c34f952f9365

 3月31日付で41年間つとめた都立高校を完全に退職する事になっていました。甲子園から帰ってきたぼくに娘がプレゼントしてくれたのがこの「川越だより」という舞台です。

 山吹高校では生徒の出欠・成績などをパソコンで管理していましたからぼくも否応なくパソコンに向かうことになり、生徒宛の連絡メールぐらいは送れるようになっていました。しかし、ブログを発信するなどというだいそれたことは考えたこともなかったのです。

 左肺摘出手術を受け、退職とともに完全リタイアーを運命づけられていたぼくの身の上を思ってのプレゼントだったわけですが結果としてはなかなかのものでした。

 向上心というものがないのでパソコン学校に行こうとか全然考えません。だから読みにくい駄文のオンパレードです。それでものぞいてくれる方がいるので日課になってしまいました。

 毎日200人を超す方々が寄ってくれています。どんな方かはよくわかりませんが「読んでいるよ」といってくれる人々の顔を時々は思い出しながら書いています。

 世界中に「けいすけ」は一人しかいません。その一人の全貌を知ってもらいたいという欲望がぼくにはあるようです。ですからこれまでの自分、今の自分をなるべくありのままに書くようにつとめています。(かけないことがあることは言うまでもありません)。

 ぼくの書くことが人々にとってどんな意味があるのか、それはわかりません。ただ、「けいすけ」をありのままに理解し、批評し、参考にしてもらえばこんなにうれしいことはありません。

 ぼくがほぼ毎日読ませてもらうのは高知の「けんちゃん」や「コニヤン」のブログです。その人の思いや人生がしっかり伝わって来るような気がします。知らず知らずのうちに何かを学んで居るのです。

 ○「けんちゃんの吠えるウオティング」http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-ab6d.html

 ○コニヤンの『今日も笑顔でボチボチです!』 http://blogs.yahoo.co.jp/gogokoniyan/50424592.html

 二人の先達のようにはいきませんがこれからも相変わらず、日々の生活の中で体験したことや感じたことを書いていきます。ご愛読のほどよろしくお願いします。

 暇なときにコメントも寄せてくださいね。

 

 

小江戸川越春祭り

2010-03-27 15:25:55 | 川越・近郊
 所用で街に出てみたら一番街を交通止めにして「小江戸川越春祭り」の開会行事が始まったところでした。国会議員から始まって県会、市会の議員さんの挨拶や紹介が続いていました。市長を生で見るのは初めてです。

 栄林寺のしだれ桜は三分咲き?http://ton-q.at.webry.info/200904/article_1.html

 川越公園に行ってみました。久しぶりの陽光を浴びて人々の顔もほころんでいます。1kmはある桜並木の下を歩きました。ちらほらと咲き始めた木がある程度です。見頃になるのは来週末くらいかな?

 小江戸川越春祭りhttp://www.koedo.or.jp/0_japanese/index.html

 暇がある方は遊びに来てください。「土佐のタタキ」が待っています。昨日、Fさんが「遊びに行くよ」と電話してくれました。楽しみにしています。

二人で一人前

2010-03-26 21:57:16 | 父・家族・自分
 今日は朝早くから「第10回きいちご移動教室」の案内の発送事務に取りかかりました。昼前に80通程度を郵便局に差し出すことが出来ました。明日中には皆さんの家庭に届き、土日と家族の話題になってくれるようにと頑張りました。

 5月15日からの移動教室には『遙かなる絆』の原著者・城戸久枝さんが同道してくれることになっており、中国帰国者二世たちが多数参加してくれることを期待しています。父母や祖父母たちが歩んだ道を学び取り、自分の人生に生かしていこうとするとき、城戸さんの仕事が大いに参考になるでしょう。

 「川越だより」を読んでくださる皆さんも城戸さん父子の作品に是非とも目を通して欲しいと思います。

 『あの戦争から遠く離れて』 城戸久枝著 情報センター出版局
 http://www.book.janjan.jp/0808/0808013481/1.php

 『「孫玉福」39年目の真実』 城戸幹著 情報センター出版局

 ポニーキャニオンからこれらをドラマ化した『遙かなる絆』(NHK)のDVDも出ているようです。http://www.nhk.or.jp/dodra/harukanaru/faq/index.html

 城戸久枝さんの講演会もあります。

3月29日http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/59d7e9187f75b3198f6d2a15e55355a6

 
 
 今日はぼくの生徒だったAくんが手術を受けるというので妻が付き添っていきました。夕方、長時間の手術が成功裏に終わったと知らせがありました。今夜は病院泊まりです。

 Aくんは天涯孤独とも言うべき状況にあり、妻が母親代わりをしていることになります。
ぼくの生徒だった人ですがいまAくんにとって頼りになる人はぼくの妻なのです。

 ぼくの教員人生を象徴しているような感じです。いざという時には妻が頼りなのです。

 私たちは二人でやっと一人前なのです。「二人三脚」などと言ってくれる人も居ますが実際のところは給料をもらうぼくには「半人前」の力しかなく、二人でやっと一人前の給料分の働きをしてきたのです。

 こうやって42年近くを生きてきました。妻にはただただ感謝あるのみです。

 

きいちご熱川温泉の旅

2010-03-25 21:42:57 | 中国残留日本人孤児
  3月23日(火)曇り

 7時半、上野駅公園口前より「ゆけむり号」出発。Yさん夫婦が間に合わず、「きいちご熱川温泉の旅」の参加者は24人となる。Yさん夫婦は上野駅までは来たが「公園口」が解らなかったようだ。

 昼頃、熱川シーサイドホテル着。ロビーで昼食。

 午後、全員で海岸を散歩。薄日が差してきて大島、利島、新島などの島影も見える。

 磯に降りて貝を探す人、道ばたの山菜採りに夢中になる人…。

 きいちごの群落があちこちに。白い花が満開だ。

 早速、全員で記念撮影。久しぶりに海の気にふれて皆さんの顔がほころぶ。

   きいちごhttp://www.hana300.com/kiichi.html


 夕食後交流会。24人全員の自己紹介。中国から帰った「残留孤児」とその妻、北朝鮮から脱出してきた人…。初参加は夫婦二組。
 
 Sさんは黒竜江省柴河の育ちで「遙かなる絆」の城戸幹さんの故郷のすぐ近くだ。ぼくの生徒だった洋介くんの義父Fさんと同じ職場で働いていたという。

 病気治療で去年一年間きいちごの旅に参加できなかった張さんが「北国の花」という歌を披露してくれた。久しぶりの美声にぼくも大いに喜ぶ。

 散会後、男組は大討論会。

 ○今の学校はこどもを遊ばせて居るだけではないのか。戦後、アメリカに占領されて「日本弱体化戦略」にはめられてしまったのではないか。
「鉄は熱いうちに打て」という。こども時代は大切なときだ。「ゆとり」などといって遊ばせていていいのか?塾の繁盛は日本の学校教育の矛盾の反映ではないか?

 ○首相はなぜくるくる替わるのか?こんな事では責任ある政治は出来ないのではないか?

 ○「知らなかった」という鳩山首相の言うことを信じる人は居ない。なのに、鳩山さんはなぜ、罰せられないのか?

 こんな風なテーマが次々に提起される。被告人席に立たされたようなぼくが懸命に答える。そんな3時間だった。

 中国から帰国(?)して20数年、孫たちの様子を見ていて学校教育への疑問は特に深いようだ。

 根源的な疑問に出会ってぼくも緊張しながら精一杯自分の見解を伝えようとしたが理解してもらえただろうか?

 アメリカの世界戦略と日本のあり方という大きなテーマに発展して議論するなどと言うことは絶えて久しい。有意義なひとときだった。

 ぼくの就寝は11時半頃。

 
 24日(水)雨

 9時、貸し切りバスで出発。城ヶ崎海岸・門脇岬周辺の散歩と海洋公園。

 小雨模様のあいにくの天気だが風がないので散歩は楽しかった。大室山の溶岩流が作り出した景観に時を忘れるひととき。

 12時過ぎ、「ぐらんぱる」で「ゆけむり号」に乗り換えて帰途につく。6時前上野着。5月15日の移動教室での再会を楽しみに解散。

 
 

春が来た!

2010-03-22 15:22:33 | 川越・近郊
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 昨日とうってかわって風もない好天なので入間川サイクリング道路を通って上尾の丸山公園に行ってきました。

 入間川右岸の土手の菜の花はもう満開に近いようです。

  入間川の土手http://blog.goo.ne.jp/kwg1840go/e/0637d3cb40864453be2310d06e0a5248

 丸山公園は池畔の柳が芽吹いて「我差し招く」風情。すっかり春の風情です。あちこちの芝生は団らん中の家族でいっぱい。桜のつぼみはふくらんで開花は週末か?

 丸山公園池畔
 http://maruyamakoen.hp.infoseek.co.jp/haru-1.html


 明日は「きいちご基金」の「熱川温泉の旅」です。参加者は26名、中国東北部で育った方々がほとんどです。待ちこがれた春がいよいよやってきました。
 


 

「浅間嶺に煙(けぶり)立つ見つ」

2010-03-21 09:50:11 | 出会いの旅
「第10回きいちご移動教室」のキャッチコピーを考えているうちに「落葉松(からまつ)」の世界に浸っていました。 

 

 落葉松   北原白秋


からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。


からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。


からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。


からまつの林の道は、
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。


からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。


からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。


からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。


世の中よ、あはれなりけり。
常なれどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。

 出典http://hakusyu.net/Entry/8/


 訪ねるのは5月15日です。このころの嬬恋高原のからまつ林はどんな風景なのでしょう。芽吹きはもう終わっているのでしょうか。

 カラマツ 芽吹き http://blog.goo.ne.jp/3sen6gou/e/5581ca7aeeb30182ae5785e9ee151d9a

 からまつの林を出でて、
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 からまつのまたそのうへに。


 からまつを見たこともなかった高校生のころからあこがれてきた風景です。

 中国で育った人々の目にはどう映るのでしょうか。

 5月中旬のこのあたりの風光を紹介したブログがありました。勝手ながら紹介します。

  石楠花咲く浅間北面http://ymanotayori.at.webry.info/200705/article_5.html

なでしこ ソラ

2010-03-20 08:00:33 | 川越・近郊
 3月19日(金)晴れ

 風もなく温かい朝。久しぶりに自転車で遠出することにしました。「ノーズ・フィルター」の効き目があるか、勇気を出して「埼玉こども動物自然公園」へ。

 越辺川の白鳥はまだいました。20羽ほどがたくさんのカモたちとともに浮かんでいます。11時過ぎには自然公園着。

 ワラビー、カンガルー、コアラなどに挨拶した後、昼食。

 「ノーズ・フィルター」のおかげか、花粉症の気はありません。ありがたいことです。教えてくれたFさん、ありがとう。

 午後はニホンカモシカ。

 ニホンカモシカ なでしこhttp://pub.ne.jp/snowleopard/?cat_id=112693


 僕の訪問に気づくと近寄ってきて金網越しですが身をすりつけてくれます。触ってやると気持ち良さそうです。人気のない山の中で嬉しい体験でした。「なでしこ」は赤ちゃんの時、秩父の山で保護されたとか。人に育てられたので人懐っこいのでしょうか。

 1時半から「アニマルステージ」。ヤギ、ニワトリ、ブタなどの芸の披露。子どもたちも多く集まってきて楽しいざわめき。明日から毎週土・日に行われるステージの公開練習だということです。

 2時からはカピバラの温泉入浴。

 http://capyland.exblog.jp/i16/

 「ソラ」は22日に伊豆大島の自然動物園にお引っ越し、とか。遠い昔、僕の生徒だった愛子さんが働いているところです。北朝鮮から来た二人の子どもたちのお母さんは「ソラ」さん。

 二人の子供たちの校長先生は謙一くん。愛子さんの同級生です。

 君たちの故郷の島の公園でソラさんをソラに会わせてあげるというのはどうだろう。にわかにそんな夢が膨らんできました。

 カピバラのソラhttp://www.parks.or.jp/sczoo/news/20100315/index.html

東京教育大学・E館G館 取り壊し

2010-03-19 07:12:38 | 父・家族・自分
 旧東京教育大学のE館G館(大塚校舎)が取り壊されるということです。M君のニュースで知りました。

 78年に教育大が廃学となってからは筑波大や放送大の校舎として利用されていたのですが老朽化のため4月から取り壊され、来年には新校舎になるといいます。

  旧教育大学校舎・E館は右手の建物http://members.jcom.home.ne.jp/0361437901/b-ima

 文京高校や新宿山吹高校に勤めていたころにはたまに寄ってみることがありました。訪ねる人とているはずもありませんが、多くの人に世話になったところです。

 昔、教育大があったころには4階の社会科学講師室を訪ねると事務の福原慶子さんがニコニコ顔で迎えてくれたものです。

 老朽化で取り壊すというので2月28日には筑波大学主催行事があったそうです。これに対し、M君たち(旧教育大学全学闘有志)は抗議行動を行ったといいます。その際、大学当局に手渡した抗議文です。

  
        抗 議 文

 われわれは今から四一、二年前、一九六八~六九年の東京教育大学筑波「移転」反対のバリケードストライキ、大学占拠闘争を闘った学生の一翼に在った者たちであり、文学部自治会闘争委員会さらには全学闘争委員会の中軸に在った者である。
 本日、二〇一〇年二月二八日、G501教室において「筑波大学大塚地区E・G館想い出会」式典が開かれるのに対して、その態様、趣旨に大いに弾劾すべきものを見出だし、本抗議文を明らかにして、手交するものである。

 一ツ、一九六九年二月二八日の東京教育大学大塚キャンパスへの機動隊導入(この宮島龍興学長事務取扱の行った“ロックアウト”がその後の学内処分と大量刑事弾圧の発端となった)と同じ二月二八日に式典を挙行すること、さらにそれを、われわれが主な会議場としてきたG501教室において挙行することは、ともにわれわれの闘いの記憶を踏みにじる行為であり、大きくは一九六八~六九年の大学占拠の事実を歴史から消し去り、東京教育大学から筑波大学への移行を称揚するものとなっていること。

 一ツ、東京教育大学から筑波大学への移行自体が、一方における東京教育大学の一九七四年からの最終的入試中止(学部学生)から一九七八年の閉学に至る廃校のプロセスと、もう一方における文部省内の「筑波新大学創設準備調査会」の一九六九年の発足に始まり、一九七三年の筑波大学開学に至る創設のプロセスとが同時並行したものであり、到底、東京教育大学の筑波への「移転」「名称変更」とはいえないにもかかわらず、それを移転視するデマゴギーが積年振りまかれているが、今回式典もそれを強化するものとなっていること。

 一ツ、特に東京教育大学の遺物としてのE・G館を、筑波大学の歴史の中に回収し去ろうとの意図を有していること。

 右三点において、本日式典は断乎、弾劾さるべきものである。その開催に対してわれわれ有志は強く抗議し、本抗議文を提出する。

 二〇一〇年二月二八日

筑波大学学長山田信博殿
並びに元学長北原保雄殿

    旧東京教育大学全学闘争委員会有志
               右を代表して 前田浩志

 出典
http://members.jcom.home.ne.jp/lionsboy/bbs.htm

 


 69年1月には東大の安田講堂の攻防戦があり、この年の東大と東京教育大の入試は中止となりました。僕は大島高校の3年目で全共闘の「学問とは?教育とは?」という根源的な問いかけに身も心も揺さぶられていました。

 2月28日がよりにもよって闘争圧殺のため機動隊が導入された日だったとは、主催者は考えもしなかったことでしょう。

 しかし、学園闘争をなかったものにするわけにはいきません。筑波大学は教育大などの学園闘争圧殺の上に特別法で誕生した大学です。

 今、筑波大学に学ぶ人々はこの問いかけをどう受け止めたのでしょうか。


 3月20日には「見納めの会」があるようです。

  <以下引用>

  大塚校舎見納めの会・Homecoming Dayのご案内


  拝啓 梅花の候、皆様にはますますご活躍のことと拝察申し上げます。

 昨年、カウンセリングコース初の試みとして第1回Homecoming Dayを開催し、多くの皆様のご参加・ご協力を賜りましたこと感謝いたしております。

 さて、この度、大塚校舎の建替え・新築工事が決定いたしました。東京教育大学の中心的なキャンパスであった大塚校舎を筑波大学が引き継ぎ、カウンセリングコース設立からも22年が経ち、500名以上の修了生が巣立っていきました。この校舎には、いろいろな思い出が詰まっていることと思います。
 つきましては、第2回Homecoming Dayを兼ねて大塚校舎見納めの会を下記のとおり開催することと致しました。この機会に、修了生の皆様方やOB/OGの先生方にお集まりいただき、大塚校舎との名残を惜しみつつ旧交をあたため、新しい出会いの場としていただければと思います。  カウンセリングコース代表 松井豊
     
            記
 日時:3月20日(土)15:00~20:00(オープン参加形式*)

 *特に出席のご連絡は必要ありませんので,ご都合のつく時間に気軽にお越しください。また、名残を惜しんでいただける方であれば、コースOB/OG以外の方も歓迎いたします。

 会場:メイン会場(集合場所) E館2F グループワーク実習室
    サブ会場 E館2F ケースカンファランス室 他

 会費:無料(ただし、2000円程度で飲み物・食べ物等をご持参ください)

 大塚校舎は本年度末をもって撤去されます。大塚校舎を使用していた筑波大学の諸組織は、神保町にある仮校舎(http://www.human.tsukuba.ac.jp/counseling/news/22_3.html)で1年間仮住まいの後、2011年度より新校舎に移転いたします。新校舎への移転は、2011年4~6月の間となる予定です。

「日本人妻の帰国」政権の課題に

2010-03-18 08:52:52 | 韓国・北朝鮮
 15日の国会で北朝鮮に渡った日本人妻問題が取り上げられ日本政府の課題として取り組んでいくことが確認されました。すでに半世紀が経ち、大部分の方々がなくなっていますが、日本国民の名誉にかけても一日も早い帰国を実現しなければなりません。

 
    北朝鮮日本人妻の帰国実現に全力 中井拉致問題担当相
 

 中井洽拉致問題担当相は15日午前の参院予算委員会で、北朝鮮に渡った日本人妻について「あらゆる機会に、この問題を世界に認識してもらい、一日も早く帰国がかなうよう精いっぱい努力する」と述べた。

 中井氏は日本人妻の状況に関し「望んで北朝鮮に渡ったとはいえ、大変苦しい、抑圧された状況下で生活している。収容所に収監された人の人生は想像を絶する」との認識を強調。

 同時に「存命者は100人ぐらいと承知している。鳩山由紀夫首相からは、北朝鮮にいる日本人生存者をすべて救い出すよう指示されている」と述べた。

 出典http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010031501000287.html

 
 昨年12月、移民政策研究所が鳩山首相あてに要請を行い、新潟で追悼法要を行ってから3カ月。私たちの動きも力になったのかも知れません。

 帰ってくる人々を喜んで受け入れる体制を整え、国民が力を合わせて政府の後押しをしなければなりません。これらの人々に残された日々は少ないのです。


               首相あての要請文

 移民政策研究所坂中英徳代表は、2009年12月11日、内閣府に中井洽拉致問題担当相を訪ね、日本人妻の早期帰国を北朝鮮政府との外交問題にするよう要請しました。




要請文

内閣総理大臣 鳩山由紀夫様

「日本人妻」の帰国を日朝の外交課題に

1959年12月14日、975人の在日朝鮮人および日本人妻らを乗せた第一次帰国船が新潟港から北朝鮮の清津港へ向け出港しました。
その日から1984年まで続く北朝鮮帰還事業で総計9万3340人に及ぶ人々が日本海を渡りました。


あれから50年、本国に帰った人たちが日本に次々と戻ってくるという前代未聞の出来事が起きています。現在、6人の日本人妻を含む、約200人の脱北帰国者が日本に入国しています。帰国者たちが移住した先は人間の住める国ではなかったのです。


帰国者たちは、北朝鮮政府から最下層の身分に指定され、特別監視の下に置かれました。いわゆる「帰国者狩り」が行われた1966年から1980年代初めにかけての期間だけでも、強制収容所で亡くなった人や処刑された人は相当な数に達します。


日本国籍を持っているのに北朝鮮公民とされ、日本に帰国することが許されなかった日本人妻(1831人)のほとんどは、祖国に帰る願いがかなわず無念の死を余儀なくされました。亡くなった日本人妻は、「私が死んだら、頭を日本海のほうに向けて埋葬してほしい」と言い残したと聞いています。日本へ帰ることがかなわないとわかると、せめて遺体は祖国の方角へ向けて埋めてほしいと願ったのです。


日本に残った朝鮮人も帰国運動の犠牲者です。肉親が本国に囚われの身となり、帰国者を「人質」にした北朝鮮政府から「身代金を送れ」とか「日本人拉致に協力しろ」とかの脅迫を受けたからです。北朝鮮への怨念を抱えたまま「憤死」した在日朝鮮人は万単位の数にのぼります。


以上に述べた膨大な数の死者たちの霊はいまだとむらわれていません。


一般社団法人移民政策研究所人道移民支援センターは、北朝鮮帰還事業開始から50年目を期して、2009年12月14日、新潟港において「『あの日を忘れない』新潟港追悼集会」をとりおこないます。追悼集会においては、帰国運動の犠牲者の霊を慰める追悼法要をいとなむとともに、今も北朝鮮に幽閉されている帰国者全員の解放をめざすことを誓います。


北朝鮮には今も、100人以上の日本人妻が生活していると推定されます。70歳代から80歳代の日本人妻は全員、「生きていさえすれば日本政府が必ず助けてくれる」と信じています。「死ぬ前に日本の土を踏みたい」と切実な胸のうちを語っています。


私は、行政官として在日朝鮮人問題と取り組み、いま人道移民支援センター代表として日本に帰って来た帰国者の定住支援を行っています。その立場から日本政府に緊急提言があります。現在も北朝鮮に軟禁されている帰国者全員を救出するため、まず「日本人妻」の帰国を日朝間の外交課題にあげていただきたい。


この問題を日朝交渉で取り上げれば、膠着状態に陥った日朝関係を打開する糸口になるだろうと考えています。人質外交にたけた北朝鮮政府首脳は「日本人妻」を対日外交の切り札として温存してきたので、この話に乗ってくると見ています。


今日の世界では、自国民、外国人を問わず、すべての人の出国の自由は普遍的な権利とされています。しかし、北朝鮮は出国の自由を認めていない国であります。


国交の正常化と人の交流の正常化は不可分のものです。したがって、わが国が北朝鮮との国交正常化交渉を進めるに当たっては、まず在北朝鮮のすべての日本人の出国の保障を前提条件とすべきです。そして、北朝鮮が日本人の出国を完全に認める時、日本人拉致の問題も日本人妻の問題もすべて解決します。


世界は北朝鮮の日本人拉致を指弾しています。北朝鮮が50年間も日本人妻の出国をはばんできたことについても、国際社会は非難を浴びせるに違いありません。
存命の日本人妻に残された時間はわずかしかありません。日本政府は一刻も早い日本人妻の解放・帰国を求めるべきです。これは緊急を要する邦人保護問題なのです。

         平成二十一年十二月十一日 
         一般社団法人移民政策研究所所長 坂中英徳



「川越だより」・『新潟港 2009年12月14日』 http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20091215







「利根川の子分にさせられた鬼怒川」

2010-03-17 10:20:07 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)
 我が家の昨日の夕食。

 ○ホーボーを淡口醤油と酒で煎ったもの。

 ○カタクチイワシとビンチョウマグロの血合いの生姜煮。

 ○カタクチイワシと大根の膾(なます)。

 銚子の「ウオッセ21」で仕入れてきた鮮魚を妻が料理してくれました。僕は磯魚を煎ったものが好物です。ご飯が進んだことは言うまでもありません。

 イワシは地元の方が軽トラでやってきて「ウオッセ」の駐車場の外側で客引きをして売っていたものです。2箱で1100円にするというので買ってきました。
 妻がそのほとんどをご近所さんに配って歩きました。どなたも大喜びしてくれたとか。利根川をさかのぼって運んで来た甲斐がありました。

 
 利根川の東遷について調べていると面白い表現に出会いました。


   縄張りを奪われて子分にさせられた鬼怒川

『坂東太郎』の名で親しまれてきた利根川は、関東一広い縄張り(流域面積)をもつ大親分だ。ところが現在の利根川の下流部は、もともと東関東の川である鬼怒川や小貝川のものであり、西関東を縄張りとする利根川とはまったく別系統のものであった。それが江戸時代に『瀬替え』と呼ばれる人工的な河川の改修によって、鬼怒川の下流部につけ替えられてしまったのである。
そのお陰で利根川は、東関東一帯を縄張りに加え、日本で最も流域面積の大きい河になった。かたや鬼怒川は何か理不尽なものを感じながらも、坂東太郎の子分になった。

 出典http://blogs.yahoo.co.jp/okusan2005/archive/2009/8/27
 
 江戸時代の大事業で江戸湾にそそいでいた利根川を東遷させて今の流れにしたことは知っていましたが下流部がもともとは鬼怒川(毛野川)だったとは初めて知ることです。

 それを「鬼怒川は何か理不尽なものを感じながらも、坂東太郎の子分になった」と表現したところが面白い。鬼怒川(毛野川)に愛着をもつ栃木県人(下野しもつけ人)の感情を表した言葉でしょう。

 「利根川東遷」については次の記事についている二つの地図をよくご覧ください。西関東の川だった利根川が「坂東太郎」になったことがよくわかります。「鬼怒川は何か理不尽なものを感じ」ているのかも知れませんね。

  利根川東遷http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E6%A0%B9%E5%B7%9D%E6%9D%B1%E9%81%B7%E4%BA%8B%E6%A5%AD

 そういえば「入間川」も似たようなものです。荒川の流れを入間川の下部に付け替えたために入間川は川越のあたりで「荒川の子分」にさせられてしまったのです。入間川はもともと東京湾にそそぐ川の名前だったのです。

 

銚子・利根川

2010-03-16 09:08:59 | 出会いの旅
  弘松典夫先生を訪ねる旅?から昨夕帰ってきました。

 14日(日)晴れ

   6時40分川越~国道16号・国道296号~10時前・佐倉の先生宅着

   午後 旭市の国民宿舎飯岡へ行き、休養。

 15日(月)曇り

   ○飯岡港から屏風が浦の遊歩道?を歩く。
    
    
    http://wdbear.exblog.jp/1101458/

   
   ○刑部岬
  
   ○犬岩から太平洋に長く伸びる波消し堤を歩く。

   http://ganref.jp/m/yohtaro/portfolios/photo_detail/3b6bb51f4378a87c44f7825101501642
   ○長崎海岸で「のげのり」の採集風景を見る。

   ○銚子港のポートタワーに登り、大河海に入るグランドパノラマを堪能する。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:20081229%E5%88%A9%E6%A0%B9%E5%B7%9D%E6%B2%B3%E5%8F%A3.jpg
   
   ○利根川左岸を北上し、利根川と利根川の作る平野を見ながら帰途に就く。

 次のブログの利根川サイクリング道路に沿って帰ってきた感じです。いつか、この道を自転車で走ってみたいものです。

 http://harlekin.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-ce1c.html 

利根水郷ライン(国道356号)を走った後、利根川大橋を渡り利根川左岸(茨城県)の道をどこまでも北上、境町の新利根川大橋を渡って埼玉県栗橋へ。ここからは県道3号と12号で川越へ。6時半帰着。

 弘松先生の近況などは日を改めて紹介します。

 Fさんに教えてもらった「ノーズフィルター」をしたせいか、昨日は花粉症の症状が軽く、気分は良好です。でも少し疲れたかな。