このブログをのぞいてくれた方が昨日は91人でした。60~70人代の日が多く、90人を超すのはまれです。ありがとうございます。
さて、1928(昭和3)年の父・20歳の日記の紹介はとりあえず今回でおしまいとします。
2月14日(火)雨
議会は遂に解散せられて 我が憲政史上特筆すべき第一回の普通選挙は実に数日の後に実行されんとしている。
政友 民政 その他の諸政党、各々、自己の善 最と自釈する宣言総綱を掲げて一般大衆を自党に誘導しやうと死に物狂いの抗争を続けつつある。此の時に当たりて一般有権者は如何なる覚悟が必要であるのか。
弾圧干渉、買収 情実 利益…一部有産階級の選挙時の与党繁栄策の為の選挙…制限選挙の通弊である…政治の腐敗堕落は是による。
普通選挙は是の弊を救はんが為に生まれて来たものである。先ず お上御最(ごもっとも)の思想、即、事大思想を排撃せよ。古い頭の親方代議士 金持代議士 無能力代議士を一掃して議会に清新の気を注入しなければならぬ。
2月15日(水)晴
大臣とか次官とかいふ官職閲歴を以て 民衆を惑はさんとする似て而非なる政治家を排し、真に正義を愛し、民衆の福祉を考える純情の士を議会に送らねばならぬ。
最早や 金とか地位とかに物を言はして置くべき時代では無い。民衆は自己の力を信ずべき時代である。
腐敗した既成党の代議士を葬れ。民衆の為の新人物を議会に送れ。是をモットーとして私共は来るべき総選挙に邁進せなばならぬ。
聡明なる正義に勇進する事は人間行為の最善なるものであると言ふ事を認識しつつ。
西の浜の安岡氏来たり、大いに飲む。愉快なり。
8月29日(水)雨
(略) 青年団大会 小学校に開催。午後より出席して青年諸君の熱烈なる雄弁に接す。思想の程度、発表の能力に於いて 未だ遺憾の点 少なからずと雖も その中天の意気と呑世の大志は当に愛すべく 学ぶべきである。(略)
大正デモクラシイの時代に学校教育を受けた青年の普通選挙の実施に寄せるあつい思い。このような思いが結集して1925年普通選挙法が成立したのであろう。しかし、時代は父の願いのようには進行しなかった。
29年には治安維持法の改悪(最高刑を死刑とする)に反対した山本宣治が暗殺され、やがて政党政治家の腐敗と軍部のクーデターによって議会政治は死滅していく。
父の日記を読んで、昭和の初めに僕が思っていたより遙かに民主主義の思想を身につけていたことに気づいた。父にとって戦後の新しい憲法や民主主義の思想はマッカーサーによって与えられたものではなかったのであろう。
晩年のある時、父は自分の政治的位置を社会党右派と言っていた。たしか党友で党員では無かったが、自民党の強い室戸で数少ない社会党の人たちが頼りにしていた。学校関係の父の周りには共産党の人が多かったが是には与みしなかった。
「共産党は地の塩で大事な存在だが、権力を握ってはならない」といっていた。共産党が権力を握ったソ連や中国の現状をどう見ていたのかは解らないが、教職員組合の運動の中で大会で決めたことを共産党が一夜で覆した等ということを悔しそうに回想したことがあった。組合運動の中での体験に基づく考えではないか。
父の思想の根底に流れているのは青年期に培われた民主主義へのあこがれではないか。何でも世の中のせいにしてすませるのではなく、我々一人一人が社会を支える一員であることを自覚し、その責任を果たすことの重要性を訴えていたように思われる。
漁師町室戸岬の青年達の意気と大志に励まされた父。今此の国の青年達はどうなっているのか。自己の力を信じて自分に出来ることを精一杯やろうではないか。
さて、1928(昭和3)年の父・20歳の日記の紹介はとりあえず今回でおしまいとします。
2月14日(火)雨
議会は遂に解散せられて 我が憲政史上特筆すべき第一回の普通選挙は実に数日の後に実行されんとしている。
政友 民政 その他の諸政党、各々、自己の善 最と自釈する宣言総綱を掲げて一般大衆を自党に誘導しやうと死に物狂いの抗争を続けつつある。此の時に当たりて一般有権者は如何なる覚悟が必要であるのか。
弾圧干渉、買収 情実 利益…一部有産階級の選挙時の与党繁栄策の為の選挙…制限選挙の通弊である…政治の腐敗堕落は是による。
普通選挙は是の弊を救はんが為に生まれて来たものである。先ず お上御最(ごもっとも)の思想、即、事大思想を排撃せよ。古い頭の親方代議士 金持代議士 無能力代議士を一掃して議会に清新の気を注入しなければならぬ。
2月15日(水)晴
大臣とか次官とかいふ官職閲歴を以て 民衆を惑はさんとする似て而非なる政治家を排し、真に正義を愛し、民衆の福祉を考える純情の士を議会に送らねばならぬ。
最早や 金とか地位とかに物を言はして置くべき時代では無い。民衆は自己の力を信ずべき時代である。
腐敗した既成党の代議士を葬れ。民衆の為の新人物を議会に送れ。是をモットーとして私共は来るべき総選挙に邁進せなばならぬ。
聡明なる正義に勇進する事は人間行為の最善なるものであると言ふ事を認識しつつ。
西の浜の安岡氏来たり、大いに飲む。愉快なり。
8月29日(水)雨
(略) 青年団大会 小学校に開催。午後より出席して青年諸君の熱烈なる雄弁に接す。思想の程度、発表の能力に於いて 未だ遺憾の点 少なからずと雖も その中天の意気と呑世の大志は当に愛すべく 学ぶべきである。(略)
大正デモクラシイの時代に学校教育を受けた青年の普通選挙の実施に寄せるあつい思い。このような思いが結集して1925年普通選挙法が成立したのであろう。しかし、時代は父の願いのようには進行しなかった。
29年には治安維持法の改悪(最高刑を死刑とする)に反対した山本宣治が暗殺され、やがて政党政治家の腐敗と軍部のクーデターによって議会政治は死滅していく。
父の日記を読んで、昭和の初めに僕が思っていたより遙かに民主主義の思想を身につけていたことに気づいた。父にとって戦後の新しい憲法や民主主義の思想はマッカーサーによって与えられたものではなかったのであろう。
晩年のある時、父は自分の政治的位置を社会党右派と言っていた。たしか党友で党員では無かったが、自民党の強い室戸で数少ない社会党の人たちが頼りにしていた。学校関係の父の周りには共産党の人が多かったが是には与みしなかった。
「共産党は地の塩で大事な存在だが、権力を握ってはならない」といっていた。共産党が権力を握ったソ連や中国の現状をどう見ていたのかは解らないが、教職員組合の運動の中で大会で決めたことを共産党が一夜で覆した等ということを悔しそうに回想したことがあった。組合運動の中での体験に基づく考えではないか。
父の思想の根底に流れているのは青年期に培われた民主主義へのあこがれではないか。何でも世の中のせいにしてすませるのではなく、我々一人一人が社会を支える一員であることを自覚し、その責任を果たすことの重要性を訴えていたように思われる。
漁師町室戸岬の青年達の意気と大志に励まされた父。今此の国の青年達はどうなっているのか。自己の力を信じて自分に出来ることを精一杯やろうではないか。