1月30日(日)はれ
寒い日が続きます。終日閉じこもりです。洗濯をしたほかは寝たり起きたりで日が暮れました。
こんなニュースが流れています。魁皇の健闘の陰にはこんなおじさんの働きもあったのですね。勝利のたびに故郷の町に花火が上がる。なんだか僕までうれしくなる話です。こんな恵まれた力士がほかにもいるのでしょうか。
新谷さんの冥福を祈り、魁皇関の今しばしの健闘を期待します。直方(のうがた)という町に行ってみたくなります。
<魁皇関>白星の花火師逝く 18年間、福岡・遠賀川で祝砲
毎日新聞 1月30日(日)9時46分配信
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九州場所の千秋楽で、花火を上げた新谷さん=福岡県直方市で2010年11月28日、小畑英介撮影 |
【魁皇の軌跡】91年の十両昇進から1000勝達成まで…魁皇の歴史を写真で
新谷さんは29日朝、自宅で倒れ、搬送先の病院で息を引き取った。
勝てば2発、勝ち越せば5発、優勝は10発。住民は、新谷さんの花火の音で魁皇関の活躍を知ることができた。打ち上げは、魁皇関が幕内に昇進した93年5月の夏場所から。仕事は自動車整備業だが、花火打ち上げの資格を持っていたため、後援会などから頼まれた。
年間90日の場所中は午後5時過ぎに軽トラックで河川敷に乗りつけた。初場所は寒さがこたえるが、土俵に上がり続ける魁皇関の姿に「魁皇が休まんのなら、休める仕事じゃない」と通いつめた。
祝砲の時は「直方におって、魁皇を嫌いな人はおらんから」と上機嫌。負けると「景気が悪い」とすぐ帰った。カド番をしのいで迎えた昨年11月の九州場所で12勝を挙げた魁皇関に「やっぱり勝つと景気がいいよ」と目を細めていた。
魁皇関は「故郷で新谷さんに上げていただいた花火にどれほどの勇気をもらったか計り知れない。ご恩返しのためにも、一番一番を大切に土俵を務め、精進していく」とのコメントを出した。
内藤博俊・後援会長は「寒い日も雨の日も本当によく続けてくれた。魁皇関のように、新谷さんも元気でいてほしかった」と惜しんだ。
葬儀は31日午後1時、福岡県直方市新町2の6の47の直方葬祭直方斎場。喪主は妻リツ子(りつこ)さん。【小畑英介】