例年のことですが、僕の「屋内待機」はもう数週間も続いています。花粉汚染がひどく、川越公園の散歩も出来ないのです。昨日は近所の主治医のところで「小青龍湯」をもらってきました。22日から川越を離れて高知へ帰郷します。高知はどうなっているのでしょう。花粉汚染から逃れて羽をのばせるでしょうか。
5月の連休明け頃まで続く、スギ花粉の季節はほんとうに憂鬱です。
今春は憂鬱どころの騒ぎではありません。福島原子力発電所の事故に起因する放射能汚染が拡大してこの川越も住めなくなるかもしれないのです。決してあり得ないことではありません。最高責任者の菅首相自身が「最悪なら東日本がつぶれる」と述べているのです。
在日する外国人の帰国ラッシュが起きています。チャーター便で自国民を帰国させている国も増え続けています。外国の人々から見れば関東はもはや「安全」とは認識されていないのです。
一昨日、寛十郎くんから電話をもらいました。中国帰国者3世です。お連れ合いが放射能汚染に「おびえて」、5歳になる息子さんを連れて中国に帰ろうと一生懸命になっているそうです。再入国手続きなどのため入管が長蛇の列で思うようにはいかないといいます。
夫婦ともに中国籍ですが、寛十郎くんには日本が「祖国」だという思いがあり、「逃げ出すわけにはいかない」と考えています。(父母も東京に住んでおられます)。九州の知人宅に一時疎開することを真剣に考えています。一家離散の苦しみを二度と味わいたくないのです。しかし、仕事のことなど悩みも多いのが現実です。
カツヨシさんが工業高校で日本語を教えている生徒たちは一人を除いて早々と帰国したとのことです。ロシア人の生徒は政府の手配によるチャーター機での帰国です。
ドイツ政府は駐日ドイツ大使館を大阪に移し、関東に在住するドイツ人に退去を勧告したと報道されています。
出典●http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920012&sid=auAAN679mWyQ
私たちはどうしたらいいのでしょう。今しばらく、様子を見てもよかろうと寛十郎くんには言ったものの、いざという場合に備えて疎開先を探すくらいはしておかなければならないかと思ったりしています。僕のような病気持ちの年寄り(CT検査を2ヶ月ごとに受けて放射線をしっかり浴びています)はともかく、未来のある子どもを放射能汚染のただ中におくわけにはいきません。
東電・福島原発の事故は原発の立地する地域だけでなく、少なくともこの列島の東半分に住む人々にただならぬ災厄(さいやく)をもたらし始めているのです。
このことに関わって一つだけ苦言を呈しておきます。
茨城県の放射能汚染危険地域からの集団疎開が本格化し始めました。さいたま市のスーパーアリーナには「双葉町」が引っ越ししてきました。県民の一人として出来る協力をしなければなりませんが、僕には何か、引っかかるものがあります。
先日も書きましたがこの町の町長をはじめとするリーダーたちはこの数十年間、国策に便乗して「原発と共生する町造り」を標榜し、バラ色の夢を町民に振りまいて来たのです。その結果が今の惨状です。
果たして「双葉町」が再び元の地によみがえることが出来るのでしょうか。原発の処理が幸いにも上手くいったとしても元のようにはいかないことはもはや確かです。その災厄が自分たちの地域を越えて移転先のさいたま市など広範な地域に及ぶことも十分に考えられます。
こうした事態を招いた責任が第一義的には東電と政府にあることは言うまでもないことですが、町長など町のリーダーが免責されるはずはありません。
町そのものを移転するという時に当たって、責任の所在が表明されたのでしょうか?引っ越し先の市民に対してはどうだったのでしょう?
非常事態に何をいうかと言われるかもしれませんが僕は大いに疑問があります。
原発を誘致したり、受け入れたりすることは経済的な利益に浴するだけではありません。このような途方もない危険に対する責任を同時に覚悟するということです。
それは無理だからといって命がけで原発に反対する人々もいます。その結果、高知県(旧)窪川町のように町民の意志によって立地を拒否した町もあります。
責任が町長一人にあるとは思いません。議員たちにも、選挙した町民にもないとは言えないでしょう。しかし、町長が「町の移転」という重大なときにそれにふれないとすれば世の人々の信頼を得ることは出来ません。それでいいのでしょうか。