川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

室戸だより(4)

2011-03-31 07:46:32 | ふるさと 土佐・室戸

29日(火)夜 いつもの帰郷時のように武実くんが奈半利のバーにさそってくれる。過疎地でもここまで来ると若い娘さんもおり 年寄りを楽しませてくれる。亡き妻の墓参りを欠かさない純情一路の武実くんのことを皆が知っている。おそくまでカラオケに興じる。

30日(水)岡の上にある父母の墓参りの後 共同墓地を歩く。江戸時代からの古い墓石を整理して家ごとの立派な墓が山すそに所狭しと並ぶ。

 墓地の片隅の我が家の遠い祖先の墓石も整理されて今は小さな空き地となっている。妻と二人でここを我らの墳墓の地と定めて姉兄と相談することにする。

 墓碑はいらない。小さな木のもとに散骨してもらえればそれでよい。幼い日々 良く遊んでくれた正広くんの墓も近い。

 午後 室戸岬の海洋深層水の風呂に入ったあと 青年大師で知子さんに会った。同級生の情報に詳しい。この一二年の間に健くん 兼一くんがなくなったという。未だ 60台だが我々もそういう年頃になったということだろうか。

 夕刻 津呂(室戸岬)の街を歩いてみた。空き家ばかりが目立つ。港の上の八坂神社は屋根が崩落したままだ。街が廃墟と化していくようだ。家々の軒先に幼い日の友人たちの姿を見たような気がする。

 兄の話だと室戸市でも津呂・室津・浮津という中心市街の人口減少が激しいという。遠洋鮪漁業の衰退と共に産業が壊滅したせいだろう。ちなみに市の広報誌によれば2月の出生は1名 死亡は29名である。

 深刻な過疎の現実に特効薬があるとは思えないが 「何もない あるのは大自然」 というわが故郷が見直される時がいつか来るのだろうか。

今日はこれから故郷を離れて愛媛の友人宅に向かう予定です。


「真相と対策」削除の経緯

2011-03-30 09:01:09 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

藤田さんから寄稿していただいた文章をそのまま紹介します。

「真相と対策」削除の経緯

 
 文中 核爆発と記したのは 水蒸気爆発とすべきでした
 さらに 対策として「爆撃」と記しましたが 爆風による
 放射性物質の飛散 その惨害についての考慮が欠けている
 ように思います
 いつまでも垂れ流してやがて爆発するのなら 一挙にぶっ飛ばして
 しまった方がいいのではないかと考えたのですが
 これらの点は 専門家の意見を聞いて 記すべきと
 思われます
 物理も数学もぎりぎりで卒業した自分には 「真相と対策」を
 書く資格なしと反省して鈴木大兄に削除をお願いしました
 勿論 批判的に読んでいただいたとは思いますが
 ご迷惑おかけしました
         藤田勝久  2011、3、29 
 
 
 
 
 
 「福島の悲劇に思う」

 

 
 
東京大学の寄付講座一覧見た
 
大学が企業と一体ということだ
 
東電は大学院工学研究科に5億円出している
 
テレビによく出てくる東大の連中は 東電の特別社員ということか
 
かって水俣病の原因研究で 東大の連中が犯罪的行為をなして さらに多くの犠牲者を出したことを思い出す
 
金がなきゃ 研究できないというのだろう
 
それにしても これほどの悲劇を生みだして スパッと謝罪する学者が出てこない状況は異様だ
 
太平洋戦争の過程で 陸軍がやったことの繰り返しである
 
最後は 広島・長崎の悲劇に至った
 
巨額の金に群がって 政財官と学者と称する連中らが甘い汁を吸った
 
最後は 福島の悲劇に至った
 
福島では原発5キロ地点で死んだ男の被ばく線量が高すぎるという理由で 警察が搬送を後日にした
 
これからは 暫定基準を緩和し さらに放射線の健康への影響はたいしたことないと合唱することであろう
 
「プルトニウムは 飲んでもガンにならない」
 
震度6の一撃で 配管がぶっこわれた事実を 隠蔽していくことだろう
 
「1千年に一度の 大津波だ! 日本人は優秀だ! 皆で元気出して 再建しよう!」
 
震央真上に位置する浜岡の時限爆弾が爆発するのは いつのことであろうか
 
この福島の悲惨な出来事 今後もさらに継続する悲劇の責任は われわれの世代にある
 
「なんで あの無謀な戦争に反対しなかったのか」
 
「なんで あの無謀な原発に反対しなかったのか」
 
かくも恵まれた日本列島の自然を破壊した犯罪行為を われわれは心中の錘として
 
残り少ない余命を生きて行く
 
「足の腫れが良くなったら 浜岡原発停止のためにいささかでも努力しよう」
 
残された時間はあるのか
 
        藤田勝久    2011、3、29
 

室戸だより(3)

2011-03-29 17:52:11 | ふるさと 土佐・室戸

昨日は脚の治療で長く入院生活を余儀なくされていた姉をさそって馬路温泉に一泊旅行をしました。今回の旅の主要な目的の一つです。言いだしっぺも実際の世話役も全て妻で僕は同行するだけです。なんともありがたいことです。

 馬路温泉は安田川を遡ったカワブチにあります。すべすべとした気持の良い湯です。月曜日のせいか 利用客は3組だけです。もったいないなあー。

 今日は北川村の「モネの庭」によってきました。「庭」はもちろんのことですが 後背部の丘のたたずまいが僕には素晴らしく 頂上の展望台まで歩いてみました。山桜はこれからですが奈半利川が太平洋に注ぐあたりまで続く風景もたいしたものです。

 「光の庭」に植わっているソテツは僕の母校 室戸岬小の庭から移植したものだと庭造りの責任者の方が教えてくれました。極端な過疎の進行で母校はいずれ廃校になるのかと思われます。こんなかたちでソテツが生かされていくのは嬉しいことです。

 僕は先日 五台山の牧野植物園を楽しんだばかりですが「モネの庭」は四周の景観を含めると勝るとも劣らない別天地です。

 奈半利川の水源に位置するヤナセの「千本山」や室戸岬海岸を組み合わせればこれからの時代にふさわしい「観光地」になると思いました。


室戸だより(2)

2011-03-28 10:23:54 | ふるさと 土佐・室戸

【川越だより】のアクセス・ランキング

アクセスとランキングの状況を表示します。ランキングは上位10000件まで表示されます。

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過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)

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3月27日(日)はれ

 

昼過ぎからキラメッセで室戸岬小学校のミニクラス会。武実くん 勝恵さん さとえさん さえこさん。おたがい耳が遠くなりつい声が大きくなる。妻も付き合いが長くなり すっかり同級生の仲間入り。

 夜は勝恵さんが我が家を訪ねてくれ  遅くまで交流。人生話は尽きることがない。


室戸だより

2011-03-27 10:32:28 | ふるさと 土佐・室戸

3月27日(土)はれ

 高知公園(高知城址)を散歩。石垣工事の影響でか 桜の木は少ない。それでもあちこちで咲き始めていて人々の笑顔がこぼれる。

 美和さん 巨樹くん と 室戸岬小の同級生のお宅に寄せてもらいながら室戸に向かう。僕と同じ病と闘う巨樹くんは元気いっぱいで4月には娘さんの住む佐賀県鹿島市を訪ねるという。時期が重なるので佐賀でも会えるかもしれない。

 「イレッサ」の体験者なので情報を貰う。一粒8000円するものを2年半も毎日飲んだらしい。大変なことだ。今は保険適用で自己負担は少なくなっているだろうが ガンとの闘いもまさにカネ次第だ。医者はカネのことについては無頓着で気楽なものだという。

 僕もいずれこの抗がん剤の服用を余儀なくされる?何とか先延ばしさせたいものだ。

 4時前に室戸岬( 津呂)の町に着いた。室戸岬港の長い堤防を歩いて突端までいってみた。真っ青な海のただ中。慣れ親しんだ風景にわが身が溶かされていく。

 この2年の間に港の堤防はさらに高くなり その外側には無数のテトラポットが積み上げられている。

 先年の台風の高波で港の施設が破壊されたため強化されたものだ。だが東日本の津波の記憶が生々しい今ではそう頼もしくも見えなくなってしまった。


高知だより(3)

2011-03-26 09:25:10 | ふるさと 土佐・室戸

25日(金)はれ

 一郎君の中橋金物店を訪ねて章子夫人と交流したあと五台山の牧野植物園へ。

 桜は5部咲きくらいか。開園50周年で園内のあちこちで「花皿鉢(さわち)」に出会う。チューリップなどオランダで生産されている花々と高知県産の花を料理に見立てて皿鉢に盛り付けてある。高知とオランダとの交流を祝う意味もあるらしい。ゆっくりと園内を歩くと心が和む。牧野富太郎という世界的な植物学者を生んだおかげで五台山が地上の楽園になった。ありがたいことだと思う。

 高知では花粉に悩まされることもない。地震と津波と原発で苦しめられた人々を迎え入れてやりたいものだ。

 夕方、「太助」。主人の彰人さんをはじめ皆さんの歓待を受ける。従妹の孫の翔太くんとは初対面。彰人さん仕込の端正な青年。大学二年生。教員志望。遅くまで熱い、熱い、交流が続く。彰人さんの人生哲学は円熟し、弘法大師に近づいたかと思った。杯を重ねるうちに11時になり、打ち止めとする。

 高知の友人たちを彰人さんに会わせることが僕の宿題になった。人を思うことができる人のつながり。何かが生まれるに違いない。


高知だより(2)

2011-03-25 08:52:39 | ふるさと 土佐・室戸

3月24日(木)

 午前中は大崎前教育長が主宰するタンポポ教育研究所をたずねて四方山話。開設からもうすぐ一年、来訪者が多く大崎さんはうれしい悲鳴を上げるほどですが、わたしたちの社会がすっかり壊れていることの証でもある。どうやって立て直すか…。

 午後はお母さんの見舞いで帰省中の谷さん(旧同僚 文京高)とともにその墳墓の地を土佐山田に訪ねる。野中兼山が開いたという水路(中井なかゆ)の脇に谷さんが作った御影石の墓があった。亡くなったお父さんの名前のほかにお母さんと谷さんの名が赤い字で彫られている。シンプルで気品がある。掃除をしてお会いすることはなかった谷のおんちゃんに声を出して挨拶した。

 谷秦山の墓にもおまいりした。土佐南学の祖だという。そこらにある石を並べて作った原始的な墓の姿。<墓を大きくするのは家が滅びる>と言いのこした人である。遠い祖先?の哲学に谷さんの墓作りも学んだらしい。

 物部川の下流部に行って天然色劇場に寄った。谷さんは巨大なステージにあがって<よさこい>を歌った。観客は二人きりだったが歌声は土佐の海と空にひびきわたった。

 河口の堤防からは桂浜、横浪半島が見える。足元の川辺では投網をする人の姿。幼い日、おじいさんにつれられて投網の体験をしたという谷さんにこの風景は見えているだろうか。近年、著しく視力が失われている。それでも土佐の海風を心行くまで楽しんでもらうことはできた。

 谷さんは6時近くの飛行機で東京に向かう。

 


高知だより

2011-03-24 20:41:13 | ふるさと 土佐・室戸

23日(水)

 夕刻、高知について直ちに友人たちとの交流会に参加。4時間もあっという間に過ぎ去ってしまいます。

コニヤンとけんちゃんののブログに写真入の報告が載っています。事実に若干の誤りがありますが熱く、楽しい宴の様子をつたえてくれています。

 ● コニヤンhttp://blogs.yahoo.co.jp/gogokoniyan/51934568.html

 ●けんちゃんhttp://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-4f30.html


「電力会社の国家的陰謀」 河野太郎議員に学ぶ

2011-03-22 05:35:01 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

自民党の河野太郎議員が08年のブログで青森県六ヶ所村の「使用済み核燃料の再処理工場」の稼働に反対していたことを知りました。

 河野議員は原子力発電を容認する立場の人ですが、「使用済み核燃料の再処理」には反対しています。高速増殖炉が幻になって、原発で使う見通しのないプルトニウムを作り続けるために悪くすれば何十兆円もの無駄金が費やされると指摘しています。

 隠されている真の目的は置き場がなくなっている使用済み核燃料をこの工場のプールに集めて原発の停止を避けることだといいます。

 

日本の原子力発電所は、それぞれの発電所の中にプールを作り、ウランを燃やした時に出る使用済み核燃料を貯蔵しています。しかし東京電力の福島第二原子力発電所では、あと一、二年でこのプールが一杯になってしまいます。貯蔵プールが一杯になれば、それ以上ウランを燃やすことができませんから必然的に発電所を止めなければならなくなります。福島の次は中部電力の浜岡発電所、九州電力の玄海発電所、そして北海道電力の泊発電所と次々にこの数年間で使用済み燃料の貯蔵プールが一杯になるために発電所が止まってしまうという事態に直面しつつあります。

 そこで、電力会社は六ヶ所村の再処理工場の近くに使用済み核燃料の貯蔵プールを作り、もし福島第二のプールが一杯になれば、六ヶ所村のプールに移動しようとしているのです。 ですから電力会社にとって、再処理工場本体が動くかどうかは問題ではありません。再処理工場に付属した貯蔵プールが使えれば良いし、使えなければ後一、二年で原発停止という事態になってしまうのです。

 

日々、福島原発のニュースを見るはめになったので僕のような者でも「貯蔵プール」の現実がいくらか想像できるようになり、なんとしても原子力発電を維持しようとする電力会社と政府のねらいが手に取るようにわかります。河野さんは「国家的陰謀」だといって反対しています。

 市民の反対運動はつづいているのですがTVが黙殺し、政治家は黙り込んでいるので社会問題に浮上しません。

マスコミはみんなこの問題に気がついています。しかし、新聞もテレビも報道してきませんでした。なぜならば、電力会社が莫大な広告宣伝費を使っているからです。電力会社の広告はマスコミにとって大きな収入源になっています。だから、公に発表されるような事故でもない限り、原子力の政策に関する報道、とくに国の政策に異を唱えるような報道はマスコミはそろって避けているのです。

 経済産業省はいまだに核燃料サイクルの実現を至上の命題とした政策を遂行しようとしてあらゆる手だてを尽くし、挙げ句の果てには原子力発電の邪魔になるような自然エネルギーを徹底的に妨害し続けてきました。(つまり太陽光発電や風力発電が増えれば、原子力発電はいらないではないかという声があがるのを恐れているのです)

 与党の政治家は電力会社と経済産業省に鼻薬をかがされ、野党の政治家は電力会社の労働組合から様々な支援を受けているためにモノが言えません。

 

河野さんは当時は政府与党の議員です。そのころ国籍取得特例法制定運動に関わって尽力してくれた方ですが、原子力発電に関わる問題でもここまではっきりと主張していたことに気づいて、改めて敬意を感じます。

 知れば知るほど原子力産業の闇は深く無知蒙昧なぼくなどはこのままでは地獄の底までつきあわされそうです。空前の災害がもたらしたむごい犠牲を無駄に終わらせないように今こそしっかり学び、彼らの「国家的陰謀」を白日の下にさらけ出したいものです。

今なら出来るかもしれません。河野議員のブログにわかりやすい講義があります。時間を割いてごらんになって下さい。

くだんの再処理工場の試運転は強行したようですが、完成はまたも遅れて2012年になるといいます。

 河野太郎「原子力発電」  ●http://www.youtube.com/user/KonoTaroGomame#p/u/21/yFCFKk5MOt0

 河野太郎「再処理工場の稼働に反対する」●http://www.taro.org/2008/06/saishori1.php

 朝日新聞「六ヶ所村の再処理工場完成延期」http://www.asahi.com/business/update/0221/TKY201102210397.html

 

今日の夜のフェリーで徳島に向かいます。今月末くらいまで故郷・土佐に滞在する予定です。久しぶりに「高知だより」や「室戸だより」を出せるかもしれません。

土佐は原発や原発ゴミの処分場を市民の意志で拒否したところですが人工林の割合が高い山国です。花粉事情はどうなっているのでしょう。知友との再会、出会いに今からもうわくわくしています。


石巻・水澤屋旅館

2011-03-21 06:07:26 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

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石巻は何かと思い入れの深い町です。漁師だった祖父が世話になった漁港で、「鮎川」などとともに子どもの時からなじんでいた地名なのです。

 09年10月、息子夫婦とここを訪ね、僕らは二泊しました。

 川越だより「石巻・日和山」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/def419571d917a98a953efb6e01c08fe

 その時世話になった水澤屋旅館の女将さんとご家族の消息が昨日分かりました。一家を心配してきた方のブログに避難所に確かにいる

という証拠が掲載されています。私たちも喜んでいます。一日も早く、家族全員の再結合が実現し、家業が復活することを祈ります。このブロ

グのコメント欄を見るとこの一家に寄せる人々の思いが伝わってきます。

 「水澤屋旅館続報」 ●http://blog.livedoor.jp/yonchin_4/archives/51921180.html?1300628383#comment-form

 

 昨日は石巻の門脇町で八〇歳のおばあちゃんとお孫さんが奇跡的に助け出されるという嬉しいニュースもありました。「猫の島」(田代島)に渡る

フェリー乗り場のすぐ近くです。旧北上川河口付近ですから、ほんとうによく助かったものです。

 出典●http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110320-00000072-jij-soci

 

 地震から10日が経っても救助の手はさしのべられ続けています。消防署で働く我が家の隣人も岩手(陸前高田市)に派遣され一週間になるということです。被災の現場を知らない者には分からない困難を極める仕事だと思われます。

 地震の真っ最中に揺れる塀にまたがって遊んでいた子ども時代の彼らを妻らは怒鳴りつけてやめさせたと言います。我が家の紹平も一緒です。(1978・6・12宮城県沖地震)。

 今、四〇近くになって人助けの日々を送っていると聞くと何とも頼もしく、嬉しくなります。

 石巻市だけでも行方不明者は一万人に達すると発表されています(16日・NHK)。

 

 

 

 

 


双葉町長の責任

2011-03-20 11:23:48 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

 

例年のことですが、僕の「屋内待機」はもう数週間も続いています。花粉汚染がひどく、川越公園の散歩も出来ないのです。昨日は近所の主治医のところで「小青龍湯」をもらってきました。22日から川越を離れて高知へ帰郷します。高知はどうなっているのでしょう。花粉汚染から逃れて羽をのばせるでしょうか。

 5月の連休明け頃まで続く、スギ花粉の季節はほんとうに憂鬱です。

今春は憂鬱どころの騒ぎではありません。福島原子力発電所の事故に起因する放射能汚染が拡大してこの川越も住めなくなるかもしれないのです。決してあり得ないことではありません。最高責任者の菅首相自身が「最悪なら東日本がつぶれる」と述べているのです。

 在日する外国人の帰国ラッシュが起きています。チャーター便で自国民を帰国させている国も増え続けています。外国の人々から見れば関東はもはや「安全」とは認識されていないのです。

 一昨日、寛十郎くんから電話をもらいました。中国帰国者3世です。お連れ合いが放射能汚染に「おびえて」、5歳になる息子さんを連れて中国に帰ろうと一生懸命になっているそうです。再入国手続きなどのため入管が長蛇の列で思うようにはいかないといいます。

 夫婦ともに中国籍ですが、寛十郎くんには日本が「祖国」だという思いがあり、「逃げ出すわけにはいかない」と考えています。(父母も東京に住んでおられます)。九州の知人宅に一時疎開することを真剣に考えています。一家離散の苦しみを二度と味わいたくないのです。しかし、仕事のことなど悩みも多いのが現実です。

 カツヨシさんが工業高校で日本語を教えている生徒たちは一人を除いて早々と帰国したとのことです。ロシア人の生徒は政府の手配によるチャーター機での帰国です。

 ドイツ政府は駐日ドイツ大使館を大阪に移し、関東に在住するドイツ人に退去を勧告したと報道されています。

出典●http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920012&sid=auAAN679mWyQ

 

私たちはどうしたらいいのでしょう。今しばらく、様子を見てもよかろうと寛十郎くんには言ったものの、いざという場合に備えて疎開先を探すくらいはしておかなければならないかと思ったりしています。僕のような病気持ちの年寄り(CT検査を2ヶ月ごとに受けて放射線をしっかり浴びています)はともかく、未来のある子どもを放射能汚染のただ中におくわけにはいきません。

 東電・福島原発の事故は原発の立地する地域だけでなく、少なくともこの列島の東半分に住む人々にただならぬ災厄(さいやく)をもたらし始めているのです。

 このことに関わって一つだけ苦言を呈しておきます。

 茨城県の放射能汚染危険地域からの集団疎開が本格化し始めました。さいたま市のスーパーアリーナには「双葉町」が引っ越ししてきました。県民の一人として出来る協力をしなければなりませんが、僕には何か、引っかかるものがあります。

 先日も書きましたがこの町の町長をはじめとするリーダーたちはこの数十年間、国策に便乗して「原発と共生する町造り」を標榜し、バラ色の夢を町民に振りまいて来たのです。その結果が今の惨状です。

 果たして「双葉町」が再び元の地によみがえることが出来るのでしょうか。原発の処理が幸いにも上手くいったとしても元のようにはいかないことはもはや確かです。その災厄が自分たちの地域を越えて移転先のさいたま市など広範な地域に及ぶことも十分に考えられます。

 こうした事態を招いた責任が第一義的には東電と政府にあることは言うまでもないことですが、町長など町のリーダーが免責されるはずはありません。

 町そのものを移転するという時に当たって、責任の所在が表明されたのでしょうか?引っ越し先の市民に対してはどうだったのでしょう?

非常事態に何をいうかと言われるかもしれませんが僕は大いに疑問があります。

 原発を誘致したり、受け入れたりすることは経済的な利益に浴するだけではありません。このような途方もない危険に対する責任を同時に覚悟するということです。

 それは無理だからといって命がけで原発に反対する人々もいます。その結果、高知県(旧)窪川町のように町民の意志によって立地を拒否した町もあります。

 責任が町長一人にあるとは思いません。議員たちにも、選挙した町民にもないとは言えないでしょう。しかし、町長が「町の移転」という重大なときにそれにふれないとすれば世の人々の信頼を得ることは出来ません。それでいいのでしょうか。

 

 

 

 

 


「精一杯生きる」人 名取市の西城卓哉さん

2011-03-19 11:01:39 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

大津波で妻と息子を失った市職員 「負けないで」と被災者に呼びかけ

産経新聞 3月18日(金)22時24分配信

 

大津波で妻と息子を失った市職員 「負けないで」と被災者に呼びかけ
拡大写真
名取市職員の西城卓哉さんが書いたメッセージ=18日午前11時52分、宮城県名取市の名取市役所(沢野貴信撮影)(写真:産経新聞)

 「苦しいけど 負けないで! 名取市職員 S」。東日本大震災で大津波が押し寄せた宮城県名取市の市役所玄関ガラスにこんなメッセージが書かれた紙が張り付けてある。書いたのは名取市職員、西城卓哉さん(30)。津波で最愛の妻、由里子さん(28)が行方不明になり、8カ月の長男、直人くんを失った。自分と同じくかけがえのない家族を失った人たちは多い。それでも精いっぱい生きてほしい-。そんな思いを込めたという。

 3月11日。激しい揺れを感じた西城さんはすぐに、職場から由里子さんの携帯電話を鳴らした。一瞬つながったが声を聴けず、途切れた。すぐに市役所は地震で大混乱、職員としてさまざまな対応に追われ、気が付くと12日未明になっていた。ようやく自宅マンションへ戻ると、エレベーターは止まり、泥に足をとられた。部屋に入ると、2人の姿はなかった。近くの由美子さんの実家へ向かった。

 毛布、食料、紙おむつ…。寒さと飢えをしのげるよう紙袋に目一杯詰め込んで、必死に歩いた。「あとは、2人を見つけるだけ」。しかし、周辺に原形をとどめる家はほどんどなく、がれきの山だ。ひょっとしたら、がれきの下敷きになっているかも知れない…。由美子さんの実家を目指しながら、一晩中捜した。しかし、実家も建物はなくなっていた。

 翌日夜、由里子さんの母親とようやく出会えた。自衛隊のヘリコプターに救出されたのだという。憔悴しきった義母は「2人とも流された。どこにも姿がないの…」という。絶望的な気持ちになったが、わずかな望みを信じ捜索を続けた。

 しかし、直人くんとみられる遺体が安置所にあると聞き、15日夜、身元を確認した。「肌着も服もよだれかけも、妻が好んで着せる組み合わせだった」。安置所で死亡届を出すと居合わせた同僚職員が泣き崩れた。

 職場の後輩だった由里子さんと出会ったのは3年前。「誠実で信頼できる人」と一目で直感し、6月14日の由里子さんの誕生日にプロポーズした。昨年7月には直人くんが生まれた。幸せだった。デジタルカメラには、3人で迎えた最初のクリスマスの写真が保存してある。今年2月に撮影した1枚は3人で写った最後の写真。眺めていると、さまざまな思い出があふれてくる。

 それでも西城さんはメッセージを書いて、市役所玄関ガラスに貼り付けた。

 『最愛の妻と生まれたばかりの一人息子を大津波で失いました。

 いつまでも二人にとって誇れる夫、父親であり続けられるよう精一杯生きます。

 被災されたみなさん。

 苦しいけど

  負けないで!

   名取市職員 S』

 地震発生からちょうど1週間の18日午後2時46分、西城さんの職場でも黙祷を告げるサイレンが鳴り響いた。(吉田智香)

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出典●http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000691-san-soci

 

 震災から一週間が経った昨日深夜、この記事を読みました。一人、声をあげて泣いている自分に気づきました。

この大震災と大津波は人智の及ばない自然の威力を見せつけてくれましたが、人間の持つ力の大きさにも気づかされました。

西城さんという青年の存在もその一つの実例であり、心の深いところで私たちを励ましてくれます。

 こういう方が被災地のあちこちで活躍しておられるのでしょう。先日、僕に見舞い(!)の電話をくれた佐賀の山下さんが同じようなことをいっておられたのです。

 40年前の今頃、僕は29歳、結婚して2年あまり、娘が生後9ヶ月でした。

 偏見や差別の中で生きる高校生や水俣病の患者さんの思いを受け止める力を身につける入り口に立っていました。「全員5」はそういう僕をありのままに表現した行為でした。

 3月の末には義弟を誘って三陸海岸を気仙沼から六ヶ所村(下北半島)まで旅しました。『朝鮮人強制連行の記録』(朴慶植著・未来社)という本をもって、陸前高田市矢作や釜石などの村里を訪ねて本に書かれていること(「朝鮮人虐殺」)について村人の話を聞き回りました。自分なりの精一杯の学習の一環でしょう。

このころ、のほほんと生きてきた僕の、主体的な人生がようやく始まっていたのです。

僕とは違う生き方をしてきた妻の目に学んだり、日に日に「人間」になっていく娘の命の営みに感動しながら生きていました。遅まきながら僕の真の「第二の誕生」だったかもしれません。

 西城さんはこのころの僕と同じ人生のステージを生きておられます。しかし、大津波はお連れ合いと息子さんを同時に飲み込んでしまいました。

 どう生きたらよいか、僕ならどうしたのか、想像もつきません。

 西城さんのメッセージを読んで「よし、負けないぞ!」と励まされた市民が数多くいるに違いありません。

僕は被災地から離れた川越に住む一老人にすぎませんが「オレも負けないぞ」と確かに励まされたことを西城さんに伝えたくなりました。

 地震と津波で亡くなられた方々の冥福を祈ります。

 


ほんとうにここに住み続けていていいのか?

2011-03-18 15:40:05 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

今日はもうすぐ停電になります。

藤田さんが先ほど私たちがほんとうに知りたいと思っていることにわかりやすく応えてくれている学者のブログを紹介してくれました。

このまま福島にいていいのか?このまま川越にいていいのか?

僕のように「原子力に弱い」者にも読むとだいたいのことが分かります。参考になさってください。

高知に住む友人の高橋医師はスリーマイル島原発事故の時ニューヨークにいたそうです。米国人はたちどころに避難する人が多く、米国人の知人の犬を預かる羽目になったと聞きました。

 政府や東電や御用学者たちの言うことをそのまま流し続けるマスコミを信じていていいのか?

 

武田邦彦・中部大学教授

原発 緊急情報(10) 政府・マスコミ、ごまかし。危ない?!


「原発との共生」 Yes or NO!

2011-03-17 14:53:37 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

「最悪なら東日本つぶれる」=専門家自任、笹森氏に明かす―菅首相

時事通信 3月16日(水)22時11分配信

 「最悪の事態になったときは東日本がつぶれることも想定しなければならない」。菅直人首相は16日夜、東京電力福島第1原発の事故をめぐり、首相官邸で会った笹森清内閣特別顧問にこう語った。放射性物質の飛散により、広大な地域でさまざまな影響が出かねないとの危機意識を示したとみられる。
 笹森氏によると、首相は「僕はものすごく原子力に詳しいんだ」と専門家を自任。東電の対応について「そういうこと(最悪の事態)に対する危機感が非常に薄い」と批判し、「この問題に詳しいので、余計に危機感を持って対応してほしいということで(15日早朝に)東電に乗り込んだ」と続けた。 

出典●http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110316-00000211-jij-pol

 

 菅首相のこんな言葉が伝えられた。福島第一原子力発電所で起こっている事態はたぶんこういうことだと原子力事情に通じていない僕も思う。外国の政府が自国の大使館機能を関西に移したり、在日する自国民に帰国や避難を勧告したりしているのは理のあることだろう。

 65年前に「広島」「長崎」を体験した日本人は、今度は自分たち自身の不始末の結果、途方もない災厄(さいやく)のただ中にぶち込まれようとしているのだ。

 なんとしても破局を食い止めなければならない! 首相の責任感から出た言葉だと信じたい。

 しかし、TVに映し出される情報を見る限り、そのような危機感に基づく的確な行動が行われているようには見えない。 東電、政府、原子力保安院、学者…。

 菅首相を最高責任者として責任ある体制を構築して「最悪の事態」をなんとしても食い止めて欲しい。世界中の知恵と技術と能力を借りることに遠慮してはならない。

 私たちただの市民は原発事故そのものをどうすることも出来ないが、この危機の中でこそ考えなければならない。

 この数十年にわたる「原発との共生」を前提とする国造り、町造りをこれからも是認するのか…?

 

 僕は1999年に初めて福島第一原子力発電所が立地する福島県大熊町や双葉町を訪ねた。その時、双葉町役場の入り口近くだったか、「原発と共生する町」(正確な記憶ではありません)というキャッチフレーズが大書されているのにびっくりしたものだ。

 今、双葉町の要覧を見るとこうある。

今後の主要課題

原子力発電所との共生の地域づくり
○財政健全化
○行財政改革の推進
○災害に強い学校教育施設の整備促進
○少子高齢化に対応した子育て支援策の充実
○高速交通化に対応した町内交通網の整備
○産業の振興と商業、農業の基盤の強化
○医療環境の充実強化
(特色ある施策)
 エネルギーの安定供給に貢献するため、原子力発電所増設によるプラスの波及効果を町の活性化に生かして、地域と発電所の共生型によるまちづくりを推進している。

●双葉町http://www.fksm.jp/youran/075469.html

 この町のリーダーたちは日本国の原発推進政策に協力して地域振興を図ってきたのだろう。二つの町にまたがって6基もの原発が立地しているという。こんな所がほかにあるのだろうか。

 国の交付税なども受けて、さまざまな箱物も出来た。他の町の人にうらやましがられて来たのかもしれない。

 しかし、40年余の後に起きていることは「共生」どころの話ではない。

 割に合わないのは南相馬市など周辺の自治体の人かもしれない。原発事故の尻ぬぐいだけを強要されているのである。

 

僕はこの町を訪ねた時、原発を売り物にする町長たちの姿勢に驚いた。こんなことが許されるのかとも思った。

しかし、これが日本国の方針なのだ。「原発と共生する国造り」。

 菅首相は「専門家」としてどうするつもりだろうか。これからも変わることなくこの方針を貫くつもりだろうか。

高知県東洋町ははっきりとこの方針に反対し、原発ゴミの最終処分場の建設を阻止した。あれから4年、沢山町長のリーダーシップの是非を問う町長選挙が近づいている。

 ●「原子力産業への弔鐘」http://sawayama.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-ba43.html

 私たち一人一人も自分自身の知恵を総動員して考え、行動しなければならない。「原発と共生する国造り」。YES or NOW。