昨日、カツヨシさんが様子を見に来てくれたので、高山すみ子さんに借りてきたVTRを一緒に見ました。「遙かなる大地の墓標」(95年・長野朝日放送)など。集団自決で二人のお子さんが銃殺された現場(佐渡開拓団跡)に立って当時のことを語るという言いようのない場面もあります。
5月9日のバスの旅で高山さんにお会いする前に皆さんに見て貰うのですが…、こんな旅ってどこにもないですよね。でも、高山さんにお会いするからにはカットするわけにはいきません。
「残留孤児」の方々はどういう風に受け止められるでしょうか。子供や孫たちは?高山さんとの出会いが人間のすばらしさを確かめ合う場になるに違いないと確信しながら、それでもぼくの心は穏やかではありません。
4月18日(土)快晴
8時半頃にご開帳で賑わう善光寺へ。前立本尊につながっているという回向柱にさわるための長い行列に並びます。思ったより早く順番が来てご縁をいただいてきました。境内を一巡して帰るときには、行列は途方もなく長くなっていました。それにしても善光寺に引きつけられていく人の多さよ。
善光寺ご開帳
http://www.gokaicho.com/gokaicho/
豊田の高野辰之記念館に寄ったあと、木島平村の高山すみ子さんの自宅に向かいます。
挨拶もそこそこに妻の車で「樽滝食堂」へ。初対面であるにもかかわらず、甥か姪の一家を迎えるように心を許してくれます。オヤマボクチという野草の繊維をつなぎにしているというそばを昼食としました。「名水火口(ぼくち)そば」と銘打ったそば粉十割の腰のある名物でした。
オヤマボクチ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%83%81
昼食後、菜の花の丘公園、犬飼小学校跡、福島の棚田(映画「阿弥陀堂だより」の舞台)、黄梅山実正寺と、今は飯山市となっている旧瑞穂村を案内して貰いました。此処こそがすみ子さんが「満州」に渡るまで住んでいたふるさとなのです。
父の死の翌年、家を処分してお母さんと兄夫婦とともに新潟から「渡満」しました。だから実家は残っていません。
「水呑百姓」で貧しかったと言います。子供の時は親戚での子守奉公の合間に長い坂道を学校に通いました。阿弥陀堂の辺りは本家の菜種畑で、よく手伝ったといいます。阿弥陀堂の裏山の三部社は当時からある祠で友達と遊んだところです。子守をしながら村の子供が登ってきたのでしょうか。
お茶を飲んでいけと言われるので木島平のお宅に寄りました。仏壇には「満州」で犠牲になった旭(あきら)さんと玲子さんの写真が飾ってあります。
あれから64年近い月日が流れ、夫君が帰国してからお子さんにも恵まれました。「満州」の地を何度か訪ね慰霊もしてきました。しかし、最愛の子をあの世に送った母の苦しみから解放される時はなかったようです。
あれらのことはなかったかのように進んでいく時代、すみ子さんの思いに寄り添って生きる人がどのくらいいたのでしょうか。10数年前、親戚の人たちが出版祝いをやってくれたそうですが、孤立感がすみ子さんをいっそう苦しめたのではないかと勝手に想像しました。
文字通り「棄民」として何度も棄てられてきた人です。しかし、稟とした気品を漂わせるお祖母ちゃんです。その魅力の秘密にぼくは少しでも迫りたいと思います。妻も菜穂子ちゃんもそう思ったのではないでしょうか。
父母の墓参りも出来て嬉しかったと言ってくれました。折を見て訪ねてまたアッシイくんをやりますと妻は言います。
美しい風景に惹かれて何度も訪ねたこの地にこんな素晴らしいお祖母ちゃんが住んでおられたのです。私たちは何という果報者かと思わないわけにはいきません。
第9回移動教室。菜の花は見られないかも知れません。でも、高山さんに出会うまたとない旅になります。
高山さんの家からよく見える高社山の中腹の宿で温泉に浸り、9時から「遙かなる絆」を3人で見ました。
19日(日)晴れ
渡したいものがあるといわれるので高山さんのうちに寄りました。大切にとっておいた昨年のリンゴを箱ごとお土産にしてくれたのです。
おうちの前の小学校だけかと思ったら、そのウラは「ケヤキの森公園」でまさに花盛り。その豪華さは形容の言葉がありません。
こんどのバス旅行でお祖母ちゃんの出迎えを受ける場所がきまりました。昼時に此処にたどり着ければ最高です。
高社山をまいて中野の土人形館脇の高社郷開拓団慰霊碑を訪ねました。この辺りは桜の名所で大変な人出です。道が狭く大型バスでの訪問は無理なことがわかりました。
これで今回の旅はおしまいです。くだもの街道を南下して須坂ICから信越道に載りました。
菜穂子さんがいい旅ができたと喜んでくれました。高山さんとは初対面なのにまるで古くからの知り合いみたいにうち解けて交流しているのが不思議に思えたといいます。