川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

厚顔無恥にあきれ果てているだけでは‥。

2011-06-30 07:13:07 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

今日で2011年の前半が終わる。気分一新で7月を迎えたいものだがどうもスッキリしない。この暑さで日本中が狂っているのかと思うほどだ。

①原発再開に「安全」のお墨付きを与えに回る海江田経産相。「必要だから安全だ」と昔と同じセリフを述べているだけだ。福島の事故から何を学んだというのか。玄海町長や佐賀県知事が国が安全だというから安全だというのにも驚く。

 「原発は危険だ」ということを思い知らされたのではなかったのか。それでも「必要」だと言い張るのなら100km圏くらいまでではいざという時の対応をどうするか住民の意思を固めておかなければならないはずだ。

 「安全神話」を振りまくだけの為政者に再び県民や国民が同意するとしたらこの国には希望はない。

②東電の株主総会。脱原発の提案を否決し、税金での補償を求める。この連中に「人間であれ」と説くつもりはないが厚顔無恥・無責任にあきれはてる。

 昭和天皇を思い出した。自分の地位と命のために「敗戦」の決断を先延ばしにし続け、「無辜の民」と将兵を地獄の底にたたき落とした挙句、退位することもせず、「平和」の象徴として君臨し続けた。僕にとっては厚顔無恥、無責任の代名詞。

 東電の歴代社長や会長を逮捕し、裁判にかけなければならない。彼らのために被害を受けたのは人類だけではない。生きとし生けるもの全てはもちろんこの地球という星そのものが果てしのない打撃を受けた。彼らは自らの犯した途方もない罪におそれおののくことも知らないらしい。(一人ぐらい責任に耐えられず死を選ぶものが出てくるかと思おうとしてみたが甘かったようだ)。

 こんな企業に電力の独占権を与え続けるなど狂気の沙汰である。

③こんな事態にどう対処したらいいのか。原発の是非を問う国民投票をやるのが民主主義のやり方だと思うがそういう仕組みはこの国にはない。そういうことを言う指導者もいない。菅首相が次の総選挙をそんな機会にしたいといったというがこの人にどんな考えがあるのかさっぱりわからない。

 人々はどう考えているのか?知友と議論をしたり、出来ることをやったりしていかなければ「生きる」ことにはならない。

 暦には今日は夏越祭(なごしのまつり)だと書いてある。どこかの神社に行って茅の輪をくぐってくるとするか。神(大自然)をも畏れぬものどもが引き起こした災厄を御祓いはしてくれまいが‥。

 

 

 

 

 


浅羽ビオトープ

2011-06-29 05:57:23 | 川越・近郊

6月28日(火)晴れ

 朝から快晴、猛暑の機運。自転車で小畔川(こあぜがわ)を遡ることにする。

①ヤマモモ

 御伊勢塚公園の道路脇のヤマモモは実が鈴なり。誰も取る人が居ないのか地上に落ちるばかり。数個をとって食べたあと小枝をちぎってお土産にする。

②アコーディオンのおじさん

 池の傍らのベンチに人だかり?がするので寄ってみた。アコーディオンのおじさんと数人の同世代が談笑していた。25日の「歌おう会」は30数人の参加があって2時間歌いっぱなしだったという。今度は7月23日午後。86になるというお姉さんが「楽しかった」という。摘んできたばかりの「やまもも」の小枝を差し上げた。珍しそうに眺めておられた。

③山下さん(文京高校元先輩同僚)

 今日はこの方に会えるかもしれないと住所を調べ突撃訪問を試みた。ちょうど在宅で笑顔で迎え入れてくれた。昔から変わらぬ穏やかな学究である。今もHPやブログで英語やラテン語の研究成果を発表しているらしい。

 近くのレストランで昼食のご馳走になったあと車で高麗川の「浅羽ビオトープ」というところに連れていってくださった。時々訪ねる坂戸の「ふるさとの湯」のやや上流に当たる。日差しの強い午後のこととてゆっくり回るというわけにはいかなかったが高麗川の残した古い流れには驚くほどの小魚の群れが見えた。僕の知らない「自然の川」がこんな近くにあったとは‥。今度カンちゃんたちを案内するところが出来たなあ。

 帰りに仕事を終えた奥さんにもお会いすることができた。毎日のように二人で新約聖書の輪読をやっておられるという。世の中にはこういうご夫婦もおられるのか。ただただ驚くばかりである。秋になったら山下さんが得意の和風料理でもてなしてくれるという。その時は私たちも夫婦で遠慮なく伺います、そう言ってお別れした。

 

 

 

浅羽ビオトープ●http://www.geocities.jp/kiutitomoko5963/bioto-pu.html

 

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心に太陽を持て

2011-06-28 09:46:49 | こどもたち 学校 教育

心に太陽を持て

 心に太陽を持て。
 あらしが ふこうと、
 ふぶきが こようと、
 天には黒くも、
 地には争いが絶えなかろうと、
 いつも、心に太陽を持て。

 唇に歌を持て、
 軽く、ほがらかに。
 自分のつとめ、
 自分のくらしに、
 よしや苦労が絶えなかろうと、
 いつも、くちびるに歌を持て。

 苦しんでいる人、
 なやんでいる人には、
 こう、はげましてやろう。
 「勇気を失うな。
 くちびるに歌を持て。
 心に太陽を持て。」

 

  NHKの朝ドラ「おひさま」に「心に太陽を持て」が出てきました。遠い昔、目にし耳に聞いた詩です。小学校だったか、中学校だったか。

山本有三の詩とばかり思っていました。ドイツのツェザール・フライシュレンという人の詩を山本有三が訳したもので1935年に出版された

「日本少国民文庫」の同名の本の中で紹介されたようです。

 少年の頃に映画「路傍の石」を見たりして山本有三の名は記憶にありますが、この詩はすっかり忘れていたところをみるとそれほど感動を受けたわけではなさそうです。ドラマと同じように戦時下に青春期を送った先生方のどなたかが紹介してくれたのかな?僕が幼すぎて受け止められなかったのでしょうか。

 参考●http://www.iiclo.or.jp/100books/1868/htm/frame076.htm

 


章次郎くんの墓参り

2011-06-27 11:08:58 | 友人たち

6月26日(日)曇一時小糠雨

 25日が章次郎くん(池袋商高 84年度1年6組)の17回忌にあたるということで昭島に墓参りに行くことにした。同級生だった良子さんと菜穂子さんが同道してくれることになり10時川越駅集合だ。二人はそれぞれ寄居(埼玉)、赤羽(東京)から定刻に駆けつけてくれ、妻の運転するワゴンRで出発。圏央道・奥多摩道路を乗り継いでまずまず順調に観音寺に到着した。

 良子さんが野の花を摘んで墓前に活けてくれた。クラスが解体して26年になる。こんな形ではあるが旧友が再会した。菜穂子さんが章次郎くんのおかげですと感謝の言葉を述べた。

 5月のクラス会のレポートの末尾に僕はこう書いた。今度はいつ会えるだろう。章次郎くんは無理にしても残りの47人がそろうという奇跡的なことを実現して欲しいな。」

 直後にクラス会の幹事役の正美さんのメールが届いた。「私もえりと何回かお墓参りには行きました。この前のクラス会には章次郎も来てたと思います。えりと康三が章次郎のグラスも用意してましたよ!」

そうだったのかと思った。「無理」なんかではなかったのだ。それぞれの生活を生きることで精一杯の時期にも章次郎はこの人たちと共にいたのだ。

僕は不明を恥じ、みんなに習って墓参りを思い立ったという次第だ。16年ぶりということになる。

 墓地を出る時に小金井のお父さんに電話してみた。昨日の命日には小中学校の同級生たちが家にたくさん来てくれて遅くまで賑わったという。昔はそば屋さんだったが今は居酒屋になったらしい。中年の働き盛りになった倅の同級生たちが時を経ても訪ねてくれてどんなにか嬉しいことだろう。章次郎は今もみんなの心の中に生きている。いい奴だったのだな、改めて思ったことだった。

 この日二人に<1-6>「日記」を見てもらった。日直をサボってばかりいたのか章次郎の文章らしいものは発見できなかった。

 青梅の吉野梅郷まで行って昼食とした。それぞれの人生の話を聞いた。40台というのは人生の転機である。日頃の無理があちこちに出てくる。僕のようなのんびり屋でも「自律神経失調症」と診断されたことがあるくらいだ。でもそういう体験は決して無駄ではない。社会や人や自然を見る目を変えてくれるきっかけにもなる。大切なのはこうやって心置きなく交流できる友達の存在だ。クラス会をきっかけに再び出会った人と人の交流を僕は心から喜んだ。

 近くの「梅の公園」を歩いた。時おり霧雨が降るような感じだが蒸し暑さはなく快適な山道。木から落ちた梅の実がいたるところに転がっている。ここの梅は「収穫」ということに無縁なのか?丘の上の四阿(あずまや)から紫陽花(あじさい)の径が見えた。

 梅の季節の見事さは言うまでもないが梅雨時の散歩もこれはこれでまたいいなあ。

 

 出典●http://page.freett.com/arami/azisai41.htm

 関連「川越だより」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/bec60c96596654c18af71fe09e4a2416

 


 



TV予告 「脱北者たち 大阪・八尾に生きて」

2011-06-26 05:11:57 | 韓国・北朝鮮

6月25日(土)曇

 前日までの3日間が悪夢のように思われる涼しさです。雨降りの予告だったので「歌声」に行くのは止め、上半期の写真整理などで過ごしました。

 クラス会の写真をたくさん送ってくれた美帆子さんと交信。中学生と高校生のお母さん。福島県郡山に住んでいます。忙しい仕事の日々の間のクラス会、楽しかったようです。夏休みは子供たちを東京の実家で過ごさせると言います。(先日、郡山のこどもたちを原告として集団疎開を求める裁判が起こされました)。

 TV番組のお知らせです。「脱北者たち 大阪・八尾に生きて」

 山田文明さんのお話は何度か聞いたことがあります。大学の先生にこんな方がおられるのかと驚くばかりです。夜遅くの放送ですから録画して見ることにします。そういえば地デジ移行とかで我が家ではもうすぐTVが見えなくなります。最後の録画になるのかもしれません。

 


正式タイトル

脱北者たち 大阪・八尾に生きて・・・<ドキュメンタリー大賞>2011年6月28日(火)  26時45分~27時40分 (フジTV)

番組内容

 1959年、朝鮮総連などが「地上の楽園」と宣伝した「帰国事業」で、北朝鮮に渡ったものの、食糧不足や政治的弾圧に絶望して、脱北した在日朝鮮人や日本人妻たち。  日本政府は人道的見地から、入国と定住を受け入れているものの、日本語の習得や日本社会への適応、そして就職など多くの壁に阻まれている。  脱北者たちが、大阪・八尾で暮らす理由。それは彼らを支援している山田文明氏(大阪経済大学准教授)がこの街に住み、生活の自立に向け、尽力してくれるからだ。  つい最近、山田氏を頼って、新たな脱北者夫妻が八尾にやってきた。妻は幼少期まで、西日本の街で過ごした在日朝鮮人。1960年代に、北朝鮮に渡り、現地の夫と結婚。子供も生まれたが、脱北を決意したという。夫婦は八尾での生活をスタート。しかし、日本語もままならず、就職もできないままだ。北朝鮮とは別の試練が、脱北者に立ちはだかる。彼らを支えるのは山田氏とともに先輩格の脱北者。  八尾で新しく暮らし始めた夫婦を縦糸に、彼らを助ける人々を横糸に絡めながら、脱北者の生きざまを描く。

出演者


「現役官僚が激白!日本中枢の崩壊」

2011-06-25 06:20:36 | 政治・社会

6月24日(晴れ)

猛暑3日目。熊谷では39度8分になった。6月の気温としては国内最高だといいます。川越もそれに近かったでしょう。夕方の室温が36度でした。川越公園を散歩したあと市内でも新河岸・南古谷などあまりいったことのないあたりをさまよってみました。

 帯津三敬病院が新築移転しているのにいきあたったので見学させてもらいました。

  ●帯津三敬病院http://www.obitsusankei.or.jp/

 「ホリスティック医療」がこの病院の合い言葉です。聞き慣れない言葉ですが読んでみると僕の「大自然教」と根は同じ考えに立つ?のかな。将来世話になるかもしれません(癌研は遠い)。偶然のことながら帯津良一というこの世界では知られた方に少しだけ近づけた感じです。

 夜になって古賀茂明さんの話を聞きました。今は<経済産業省大臣官房付>となっている方です自分の考えを持っているために中枢から干されてしまったようです。

        INsideOUT6/22(水)「現役官僚が激白!日本中枢の崩壊」

        ●http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-3302.html

 暇がある方はどうぞご覧になってください。「政治主導」と言いながら海江田経済産業大臣がなぜ次々と原発の再開を言い始めたか?言葉はやさしいけれど現役官僚としては腹の座った方だと思いました。こういう人をこの期に及んでも差別して活動の場を奪う民主党政権とは本当になんなんだろう。まさに「壊れている」と言うほかはありません。


真夏日モードへ

2011-06-24 04:45:51 | 父・家族・自分

6月23日(晴れ)

 猛暑日2日目。我が家では冬体制から一気に真夏日体制へときりかえを行いました。

①こたつ・石油ストーブを仕舞い、扇風機を取り出して使えるようにする。

 抗がん剤の後遺症で足が冷えるためこたつをしまうことができなかったのですが35°を超えるとさすがに冷えは来ません。一年中履いている厚めの靴下も不要です。

 妻はこたつ布団を干し、ゴザを敷いて部屋を夏型にシフトしました。僕は扇風機を取り出したあとの押入れにストーブをしまいました。扇風機は翼などを水洗いしたため気分良く回り始めました。

②台所のガラス戸と網戸を取り外して石鹸洗いをする。

 手術以来しばらくできなかったことをやりました。べっとりと付着していた脂分とゴミがとれたので妻もホッとしています。これが一番の大仕事です。

③玄関や窓の水洗い。

 窓辺に付着した土ゴミを水で流し、網戸のよごれを取りました。風通しが良くなるかな。

 午前中だけでは終わらず、一日仕事になってしまいました。それにしても梅雨時からこんな猛暑がやってくるなんて‥。自然界のバランスが壊れてきたとしか思えません。

 巷では夏の節電対策が論じられています。我が家ではエアコンをつけることはめったになく、これといって思い浮かびません。家中の風通しを良くするだけです。

 バラックのような建物ですから壁が薄く、冬寒く、夏暑い作りです。日差しと風通しが良いのが取り柄です。夏は熱風ですので日中、家にはおられません。

 しかし、幸いにも僕は夏型人間です。自転車に乗って関東平野のあちこちを走り回ります。それでも暑い盛りに一回か二回は川越を脱出して森の恵みの世話になります。

 放射能汚染のおかげでこの僕でさえ夏をどう乗り切るか、考えると憂鬱になります。福島の学校は一刻も早く夏休みにしてすべてのこどもたちを世界中の人々の手に委ねるべきです。国内にも受け入れ可能な施設は山のようにあるはずです。人々が力を合わせれば出来ます。菅さんはどうして音頭取りをやらないのか、不思議でなりません。これが夕食時の話題のひとつでした。

    

 苗を買って来て植えておいたハイビスカスの花が次々と咲いています。

 


1970年6月22日

2011-06-23 09:52:23 | 父・家族・自分

6月22日(水)晴れ 猛暑

 今年はじめての猛暑日、川越も35度を超えたかな。久しぶりにドライブに連れていってもらう。

●旧菖蒲町の花菖蒲園とラベンダーの里

 川越からは県道12号を只管(ひたすら)走った県東北部。交通の激しい道端の旗本屋敷跡に菖蒲園。旧役場付近にラベンダーの里。ふるさと創成事業で作られたのかな?

 大勢の人で賑わっている。ハナアブがラベンダーに止まってみつを吸い続けていた。熟年のおじさんとおばさんが怖がっている。いくらなんでもそれじゃ、アブがかわいそう。妻が怖がらなくてもいいと言ってアブの仕事を説明する。

 広大きわまりない関東平野の水田地帯のど真ん中、日差しが強い。

 

 羽生に向かう122号脇の「ふく茶屋」というそば屋で昼食にする。妻が2000円也もするうな重を食べさせてくれた。川島の小沢屋がなくなってから美味しいうなぎにありつくのが難しくなった。鹿児島産だという。美味。

 正月にFさんに教えてもらった羽生の水郷公園をひと歩きして帰った。炎暑の時に来るところではない。

 ●1970年6月22日

 今日は41年前、妻が第一子(娘)を出産した日だ。僕は学校を休んで友人たちと集会とデモに参加した。

 60年に改訂された日米安保条約がこの日で10年になる。あすからはいつでも合法的に廃棄通告ができる。不可能とは知っていても何としても安保を終わらせたかった。

 米軍のヴェトナム空爆が熾烈を極めており、日本の戦争加担は人ごととはとても思えなかった。僕が働いている池袋商高のすぐ近くに一時「王子野戦病院」が開設され、ヴェトナムで負傷した米軍兵士が連日ヘリコプターで運び込まれていた。私たちも「戦場」にいる実感をいくらかは持っていたのだ。

   ●http://www.kitanet.ne.jp/~takashi/yao-jieitai/yasen-syasin1.htm

 御茶ノ水の三楽病院を訪ねて娘と初めて面会した。7時ぐらいになっていたか‥。

 あれから41年。75年にヴェトナム戦争は米軍の敗戦で終結。今や米越(ヴェトナム)は友好国同士であリ、合同軍事演習まで行なっている。

  ●http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2010-08/13/content_20701383.htm

 日米安保の大義名分は「共産主義の脅威に対抗する」から「中国のアジア支配に対抗する」に変わった。「安保粉砕!」の声は僕には聞こえてこなくなった。僕も言わなくなった。こんなことになるなんて想像もできなかった。

 これからの世界で日本はどういう針路を取ればいいのか?冷戦時代の惰性から抜け出せないまま行き当たりばったりの日々を送っているように僕には見える。僕も同じような混迷のさなかにある。

 三人で食卓を囲んだ。ささやかに乾杯! 暑い暑い夏至の夜、今年初めてパソコン部屋のベッドで寝た。窓は全開。


無銭飲食

2011-06-22 04:29:54 | 父・家族・自分

6月21日(火)晴れ

 昼が近づくにつれて晴れて暑い日になってきた。郵便局でお年玉付き年賀状の景品交換をしてもらう。切手シート5組。例年こんな感じ。今日は中学野球はやってない様子なので新河岸川の土手を走って志木のイロハ親水公園を目指す。

 

 この写真の左側にある蓮光寺(川越市渋井)で一休み。本堂の上の空が真っ青に晴れてどこかで見た風景に似ているなと思う。奈良の唐招提寺だったか。

 道は富士見市に入るときれいに舗装され走行は快適。適当に風もあって僕には爽やか。

 志木のいろは橋についたのは1時半頃か。宗岡の「たけのや」で遅い昼食にする。「親子どんぶり」。食後に新聞に目を通したりしてゆっくり休んだ。

 事件が発生した。さて勘定という段になってズボンのポケットに財布がないことに気づいたのだ。念の為に自転車に置いてあるリュックを見てみたが‥。

 非常用に持ち歩いている携帯で妻に救援を求める。どういうわけか、何回やっても「切断しています」。

 とうとう無銭飲食をやってしまうことになったのか。2時を回っていてほかにお客さんはいない。女将さんも事態に気づいたようなので事情を話して勘弁してもらう。質草にするほどのものもないので景品交換をしてもらったばかりの年賀状を身分証明書のかわりに預かってもらった。

 国道254の脇に作られた自転車道をひたすら帰る。12kmくらいか。財布を忘れて家を出たことはあっても無銭飲食に及んだ体験はこれが初めてだろう。

 妻に事情を話して早速車を出してもらったのは言うまでもない。電話がつながらなかったのは僕の卒業生からの身の上相談で長い話になったのだという。

 年寄りの醜態に寛容で対応してくださった「たけのや」の主人と女将さんに感謝のほかはない。おかげで「前科一犯」をまぬがれることはできた。財布はズボンをかけてあった椅子の上にあったという。

 

 


中学校野球大会 初雁球場

2011-06-21 05:39:39 | こどもたち 学校 教育

6月20日(月)晴れ

 日差しが強い。すわ、サイクリング日和とばかり、新河岸川下りに出かける。出発点からすぐの初雁球場からアナウンスの声がするので寄ってみた。川越市の中学校の野球大会だという。山田中学対大東中学。

 早速観戦に切り替え。観客はほとんどいない。大会の看板もない。スコアボールドだけは動いているがしょっちゅう間違う。中学生が操作しているのだろうか。リードされていた山田中が追いつき5-5で延長戦へ。10回からいきなり満塁にしてゲームが始まった。中学野球にはこういうルールがあるのか。決着はすぐについた。6対8。大東の逆転勝ち。僕の気持ちはやや山田中寄りだった。同じ市内でもこちらは毎日の散歩道の途中にある学校だ。

 次は城北埼玉中(私学)対西川越中。試合中だが球場の探検を試みた。一塁側のスタンドの外野寄りには小さな森?がある。踏み跡をいくとブランコのようなものがあった。秘密の場所で遊ぶこどもが残したものか。外側崖下は三芳野神社。急傾斜の坂を滑り降りると外野の芝生席に出た。

 本塁から91mの一塁線の終着点、捕手ー投手の真後ろ(スコアボールド下)、三塁線の終着点‥。誰もいない外野席のあちこちから選手たちの動きを見た。肩入れをしているティームの試合だとこんなことはできないだろうが‥。

 内野席に行くと試合後の大東中学のこどもたちが観戦していた。4月までは小学生だった幼(おさな)顔が沢山見える。3年生とはえらい違いだ。揉まれながら自分を磨いて成長していくんだなと思った。

 中学校の野球大会の観戦ははじめてかな?新しい楽しみが出来たなあ。我が家のこどもたちの卒業した初雁中の試合はいつあるのか?

 昼食を食べた食堂の新聞にも夜になって調べたネットにもなんの情報もなかった。さて‥。

 川越初雁球場               


じゃぶじゃぶ池とペンギンヒルズ 埼玉こども動物自然公園

2011-06-20 05:37:10 | 川越・近郊

6月19日(日)薄曇り

 好天とまではいかないがサイクリング日和になったので埼玉こども動物自然公園を目指す。ペンギンの保護活動が始まったとか。

到着は11時過ぎ、疲れたのでジャブジャブ池のそばのベンチで休む。日曜日とて親子連れが多い。気温が上がってきたのかまだ2・3才

の小さいこどもが次々と池に登場する。男も女もパンツ一丁。なかに一人紙おむつの女の子も。これがなかなか面白い。

おずおずと近づいた水に慣れたのか池の中にどんどん入っていく。遠くから見守る父親にサインを送る。安心しきっていることがよくわかる。

やがてほかの子の仕草に習って腹ばいになったり、岸辺に来て噴水に手をかざしたり‥。紙おむつが邪魔になったと見えてとうとうスッポン

ポンになる。慌てた母親が何かを着せようとするがお構いなしに再び舞台の中央に飛び出して水と戯れる。やがてやおら登場した父親が

ほかのこどもたちを交えて遊びの中心にいる。

 今のこどもはこうやって水に親しんでいくのか。仕組まれた、安全極まりない池。他者との交流。眺めていて飽きない風景だった。

放射能のことも頭をかすめた。福島ではどうなっているのだろう。ここだってどうなっていくのかわかったものじゃない。3・11以来世界は変

わった。僕の精神の働きも変わった。「児童は良い環境の中で育てられる」。兒童憲章の一節を唱える。

じゃぶじゃぶ池

 

ペンギンヒルズ

 世界最大級のフンボルトペンギンの保護繁殖施設だという。ペンギンも絶滅が心配されているのか!南極の氷のうえで生活しているのはごく一部で多くはチリなどの緑の多い海岸に生息しているらしい。造波プールの奥には巣穴のある丘が作られている。比企の丘がフンボルトペンギンの生態圏になるのか。埼玉県の職員の新しい取り組みに拍手。

  これは動画です。●http://www.youtube.com/watch?v=hfnA

「川越だより」を覗いてくれた人がのべ20万人を超えたということです。創刊以来4年あまり、付き合ってくださったみなさまに感謝します。あいも変わらぬ調子ですがまだしばらくは続くはずです。どうぞよろしく。11年6月20日 鈴木啓介

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福島県がやっと「脱原発」へ?

2011-06-19 05:07:31 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

6月18日(土)曇のち雨

 午前中お使いがてら街に出たので伊佐沼まで足を伸ばす。サクランボの苗木を買って一応庭で最も日当たりの良いところに植えた。

                                            

 福島県の復興ビジョン検討委員会が「脱原発」の基本姿勢を決めたという。知事や議会がこれを受けてきちんとした決断を示すことが出来るだろうか。日本(福島)は今や地球上に放射能をまき散らす加害者になった。国民(県民)とリーダーに責任の自覚があるかどうか世界中の目が注がれている。

復興構想に「脱原発」 福島県検討委 姿勢明示へ

 福島県復興ビジョン検討委員会は15日、復興計画の前提となる復興ビジョンに「脱原発」の文言を盛り込み、原子力に依存しない持続可能な社会への転換を目指す姿勢を打ち出した。7月初めに基本理念と主な施策を盛り込むビジョン素案をまとめ、県民から意見を募った上で、7月末に佐藤雄平知事が正式決定する。
 同日県庁であった第5回会合で委員10人の意見が一致した。福島第1原発事故の収束の兆しが見えない中、3項目の基本理念の筆頭に「原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」を提示。政策的には「『脱原発』という考え方」に立ち、自然エネルギーの飛躍的な推進、省エネ、リサイクルの強化を目指す。
 座長の鈴木浩福島大名誉教授は閉会後の取材に対し「スタンスを明確にしないと福島の復興は始まらない。(県として東京電力に強く廃炉を求める)意思を表明した。世界に発信し、事故収束に向けた英知を福島に結集させたい」と語った。
 復興ビジョンは、具体的な施策を盛り込む復興計画(計画期間10年)の方向性を示す。原発事故収束の見通しが立たず、完全な脱原発を目指すかどうかで、委員の間にはこれまで温度差があった。
 県はビジョンを踏まえ、12月末をめどに復興計画を策定。2012年度予算に反映させる。

2011年06月16日木曜日「河北新報」    出典●http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110616t61010.htm

②「新潟日報」社説

     福島県「脱原発」 世界的な論議に広げねば

 「福島が脱原発と言わないでどこが言うのか。世界中が注目している」「原発への姿勢を明確にしないと復興ビジョンは始まらない」。委員たちは力を込めて語ったという。
 福島第1原発の事故を受け、復興の考え方を福島県に提言する有識者会議「復興ビジョン検討委員会」が基本理念の原案を取りまとめ、柱に「脱原発」を打ち出した。
 既に廃炉が決まっている第1原発1~4号機に加えて5、6号機、さらには第2原発も含め県内に立地する合計10基の原発全てを廃炉にすべきだとの意思表明である。
 福島県民、全国の原発立地自治体、そして世界への問い掛けであり、呼び掛けであろう。
 原発で大事故が起きれば、放射能汚染は地元にとどまらず、全国、地球規模へと拡散する。
 検討委の間からは「知事にはビジョンを国連や国際原子力機関(IAEA)などに届けてほしい」と国際社会への発信を求める声も出た。
 検討委は7月末に最終提言を行い、県はこれを踏まえて年末までに具体的な復興計画を策定する段取りだ。
 ところが、佐藤雄平知事は「脱原発」を柱に据えた今回の基本理念案に対してコメントを避けた。
 事故後、佐藤知事は東電や国に対し「裏切られた気持ちでいっぱいだ。県民の怒りと不安は頂点に達している」と憤りをあらわにしていた。
 福島原発に関しては、4月に県庁を訪れた東電の清水正孝社長に対して「再開なんてあり得ない」と伝えた。
 だが、この範囲が第1原発5、6号機や第2原発を含むのかが判然としない。会見などでも「事態の一刻も早い収束を」と述べるにとどめている。
 佐藤知事が胸の内に秘めているものは何なのか。
 福島原発では東電や協力会社の社員ら約1万人が雇用され、家族を含めれば約3万人の生計を支えてきたとされる。地域は電源3法交付金や核燃料税、固定資産税などの膨大な原発マネーにも頼ってきた。
 しかし、原発マネーは地域づくりに貢献するどころか、安易なハコモノ行政に注ぎ込まれた。その維持費が財政を圧迫しているのが実情だ。
 原発が生み出す雇用といっても、事故で一時約10万人が避難し、農地や工場などが汚染され、自殺者まで出して何の雇用だろうか。
 脱原発を掲げた基本理念案の問い掛けを、福島県のみならず日本全体が真摯(しんし)に受け止めねばならない。原発に依存するエネルギー政策でいいのか、世界的な論議が必要だ。日本にはそれを仕掛けていく責務がある。

新潟日報2011年6月17日

 


 


 「脱原発!」心強い意思表明つづく

2011-06-18 09:28:40 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

梅雨空が続き寝たり起きたりの日々です。先日植えておいたハイビスカスが花を咲かせました。このところ社会的に名のある人々が脱原発の意思を表明するようになり、心強い思いがします。私たち名のないものも思いを表現して社会的な力にしていく努めがあるはずです。知恵を出し合いましょう。

文太 吠えた!反原発三国同盟じゃ!!

 原子力発電所への怒りをあらわにした菅原文太(左)と西田敏行=東京・千代田区の憲政会館
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 原子力発電所への怒りをあらわにした菅原文太(左)と西田敏行=東京・千代田区の憲政会館

 俳優・菅原文太(77)が14日、都内で行われた「岩手、宮城、福島の被災者のための『ふるさと支援』発表会見」に出席し、「反原発三国同盟」の結成を提案した。12、13日にイタリアで行われた原発再開の是非を問う国民投票で90%以上が「反対」だったことを受け、先に脱原発を宣言していたドイツとともに団結して流れを作っていくというアイデアを披露。「日本でも原発の是非を問う国民投票を」と呼びかけた。

  ◇  ◇

 「日独伊三国同盟」と言えば第2次世界大戦で連合国側と敵対したネガティブなイメージだが、菅原は「『原発をやめろ』といういい意味での三国同盟を作ればいいんだよ」と前向きな意味で提案した。イタリアでは、原発の是非を問う国民投票で94・05%の反対票が集まり、ドイツでは2022年までに国内の原発すべてを閉鎖することを宣言。菅原は両国の流れに乗る形で“同盟”を呼びかけた。

 会見では、被災地住民の移住を受け入れる地方自治体があることをPRし、仙台市出身の菅原は被災地住民を代表して謝辞を述べる立場だった。

 しかし、福島県相馬市の酪農家男性が「原発さえなければ」と書き残して自殺していたという事件を切り出すと、ヒートアップ。「衆議院の選挙なんかどうでもいいから原発の是非を問う国民投票をやってほしい。そうすれば菅さんはこれまでのことは帳消しになる」と鋭く突きつけた

以前は「~じゃけん」という決めセリフで太陽熱に関する企業CMに出演し、近年は飛騨地方への移住や山梨県で農業を行っている“自然派”でもあるだけに、故郷・仙台の窮状に黙っていられなかった。

 さらに、この日は菅原の呼びかけで同席した福島県郡山市出身の俳優・西田敏行(63)も怒りの声を上げ、「個人的には原発はノーです。東電は防災にかなりいいかげんだった」とピシャリ。ベテラン俳優の強力タッグで原発に対する強い姿勢をあらわにしていた。

                  (2011年6月15日)出典●http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/06/15/0004172766.shtml

 

ジブリ横断幕は宮崎駿監督が考案!

 出典●http://www.cinematoday.jp/page/N0033141

ジブリ横断幕は宮崎駿監督が考案!「攻撃的な意味はありません」とスタジオジブリがコメント

大阪市長が「脱原発」宣言 筆頭株主、関電に要請へ

産経新聞 6月17日(金)21時41分配信

 大阪市の平松邦夫市長は17日、定例記者会見で「『脱原発』という大きな動きをエネルギー施策のなかで出していくべきだ」と述べ、今後、原子力以外のエネルギーへの転換を目指すべきだとする考えを示した。平松市長が「脱原発」に言及したのは初めて。大阪市は関電株全体の8・9%に当たる約8370万株を保有する筆頭株主。大阪市のトップの「脱原発」表明は、今後大きな影響を与えそうだ。

 「脱原発」については、大阪府の橋下徹知事も言及しているが、大阪府は関電株を保有していない。平松市長は20日に予定されている八木誠・関電社長との直接会談でも脱原発の意向を伝える見通し。関電からの15%の節電要請についても情報開示を求めるという。

 会見で平松市長は東京電力福島第1原発の事故をめぐる動きをふまえ、「安全でクリーンなエネルギーという神話が崩れ去った。脱原発目指して力を合わせませんか、と大きな声でいいたい」と述べた。

 平松市長は「今すべての原発を止めるべきだというつもりはない」とする一方「日本で今後、原発は新設されないのが普通」と言及。大阪府の橋下徹知事と同様、原発の新規建設にも否定的な考えを示した。

 市が株主として出席できる29日に予定される関電の株主総会で、脱原発を訴えるどうかについては「20日の会談を受けて判断する」と含みを残した。

 

  出典●http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110617-00000618-san-soci

山本太郎、反原発候補で総選挙擁立の動き

 

 反原発発言で注目の俳優山本太郎(36)が出演するブロードウェー・ミュージカル「太平洋序曲」(17日~7月3日)の公開げいこが16日、横浜市の神奈川芸術劇場で行われた。

 山本は黒船来航の危機を日本に伝えるため、死の危険を顧みず帰国したジョン万次郎役。最初にふんどし姿で大太鼓をたたいたのをはじめ、歌い、踊り、万次郎役以外にも士官役など何役も演じ、八嶋智人との激しい立ち回りにも汗をかいた。山本は「毎ステージ、毎ステージ、真剣勝負で臨みます」と舞台にかける思いを口にした。

 山本は反原発発言を繰り返していたが、5月25日にツイッターで反原発発言が原因でドラマを降板になったとつぶやいてネット上で騒ぎとなり、同29日に「迷惑をかける」と事務所を退社した。今月11日には全国規模の反原発デモにツイッターで参加を呼びかけ、けいこ前に横浜市のデモに参加。「フリーで俳優やってます山本太郎です」と自己紹介し「原発は、この国には合いません。1人1人の力は本当に小さいけれど、みんなで声をあげていけば変えていける」と訴えた。

 そんな山本の反原発の思いが演出の宮本亜門氏を動かした。戦後の歴史を振り返る最後の場面で、宮本氏は「2011年、福島第1原発で事故。レベル7になった」のセリフを付け加えた。一部に山本を次期総選挙で反原発候補として擁立する動きもあるという。山本は「今日が最後かも、今日が最後かもと思って」と毎日舞台に立つことを明かした上で「引退するわけじゃありませんよ」とコメントしている。

 出典●http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201106170033.html

 


「電力買い取り法案」を支持する

2011-06-17 05:26:46 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

 

菅首相が脱原発の方向に一歩を踏み出すために不可欠な「電力買い取り法案」の成立に頑張り始めました。

 200人を越す国会議員の署名を受け取ったり、院内で行われた集会に出席して「闘争宣言」を発したりしたようです。官房長官もこの法案の成立を最優先すると述べたといいます。

 原発利権に巣食う電力会社・電器会社・経団連・自民党などはこの期に及んでも性懲りもなく悪あがきを続け、法案の成立を阻もうとしています。自民党の幹事長を務める石原伸晃に至っては世界的な脱原発のうねりを「集団ヒステリー」だと貶める始末です。この連中の策謀に鉄槌を加え、何としてもこの国の行く方向を「脱原発」に定めなければなりません。

 次の首相を目指す国会議員の誰もが「脱原発」を明言せず、姑息な権力闘争に明け暮れているのには呆れるばかりです。

 今は科学技術信仰に酔いしれてきた近代文明のあり方自体が深く問われ、人類をはじめとする生きとし生けるものの生存が危うくなっているときです。福島で起きた原発事故のもたらした災厄は人間の手で収束させることのできない類のものです。

 事態の本質に気づいた人が恐れおののくのは当然です。ドイツやスイスやイタリアの指導者や国民が素早い方針転換「脱原発」を決めたのは生物として極めて自然な選択です。 我が国民とリーダーの多くは今なお目前の利害に惑わされて、自らが直面させられている危機の本質に気づいていないように見えます。

 菅さんは非常時の首相です。追い詰められてあとはありません。ご自分の全てを賭けてそのリダーシップを発揮してください。心ある国民は支持し、共に立ち上がります。

 

“電力買い取り法案 成立を”

6月14日 23時14分 動画あり twitterでつぶやく(クリックするとNHKサイトを離れます)

菅総理大臣は、14日夜、「脱原発」などエネルギー政策の転換を目指す超党派の議員と面会し、自然エネルギーによる電力を電力会社が買い取る仕組みなどを定める法案を、今の国会で成立させたいという考えを伝えました。

エネルギー政策の転換を目指す超党派の有志議員9人は、14日夜、総理大臣官邸を訪れ、菅総理大臣と面会しました。そして、国会に提出されている、自然エネルギーによる電力を電力会社が買い取る仕組みなどを定める法案について、与野党の200人余りの国会議員の署名を提出し、今の国会で成立させるよう申し入れました。これに対して、菅総理大臣は「経済団体は、この法案が成立すると電気料金が高くなると主張して慎重だが、太陽光発電などが広がればコストは下がり、経済団体の主張に根拠はない。自然エネルギーの割合を大きくすることが重要であり、何としても今の国会で成立させるよう頑張りたい」と述べ、今の国会で成立させたいという考えを伝えました。 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110614/k10013527521

 

参考資料「大連立騒動の裏で電力買い取り法案は廃案へ(日刊ゲンダイ2011/6/11)」●http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-3248.html

 

 

 


嬉しい電話

2011-06-16 05:41:00 | 友人たち

6月15日(水)曇

 朝、自転車で出かけようかとしていたときに電話がありました。Kさん。びっくりするやら、嬉しいやら。

 遠い昔の池袋商高の卒業生です。HR担任ではないが関わりが深く、卒業後も朝鮮語を一緒に勉強した仲です。消息が絶えて20余年。ずうっと心にかかって来た人です。

 電話で長い話を聞きました。近く訪ねてくれるそうです。ここまでくるのに時間がかかったと言います。僕とも妻ともそれなりの付き合いがあったのに話せない課題を持ち続けて来たようです。

 今までもそうであったように僕に何かを解決する力はありません。それでもその人の人生のそばにいて話に耳を傾けることは出来ます。元気に生き延びることが出来てこんな時に出会えてともかくホッとしています。力になってやりたいなあ。

                                     南高梅

 

 三つの大きなざるに広げて干してあった梅を妻は今日、ホウロウの容器に漬けました。8月の土用の頃に取り出して天日干しにします。梅干の好きな息子に送るための年中行事です。今年は和歌山の南部(みなべ)の梅です。