川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

嬉しいメール

2008-05-31 10:07:46 | 友人たち
 30日(金)気温の低い一日で、終日炬燵か布団の中で過ごしました。
 ずうっと気になっていた多美子さんにメールをおくりました。嬉しいことに直ぐに返事があります。


 啓介先生

お元気ですか?
メールありがとうございます。

私は今、日本○○(株)というところで働いています。
今年の5月からなので、もう1ヶ月経ちます。
IT会社なので、まったく未知の世界に入ってしまいました・・・
毎日が新しいことばかりで、学生のとき以上に勉強しています。
いつまで続くか不安ですが。。。笑

去年の11月にNOVAが会社更生法に入りました。
更正法に入る半年間は、本当につらかったのを覚えています。
特に、3ヶ月間は・・・地獄です。
人を憎み、恨み・・・
人間の負の部分を一気に見て、感じました。

マネージャーという立場上、スタッフを守ることの責任もあったので。。。
とにかく、毎日クレームの嵐でした。
NOVAが倒産した後は、怖くて1ヶ月間は引きこもりになるほど・・・
あのままでは、ウツになっていたことでしょう・・・
体も壊し、病院にも通いました。

しかし!!
啓介先生もご存知のとおり、私は基本的に楽観主義なので、
一人で旅行(NY)に行ったり、国内旅行(沖縄、大分)に行ったりと、
すぐに元気になりました!!!

就職活動も楽しくし、その間に地元で開催されたフェスティバルにダンサーとして出演したりと、
プー太郎生活も充実していました!!

今思えば、本当にいい経験だったな~~って思います。
今年で26歳ですよ~~~!!

◎◎桂子も元気に学生生活を送っているようです!!
桂子はまめなので、よく連絡をくれます!!

啓介先生のメールうれしかったです!!
ありがとうございます!!

いつかお会いしたいです!!
のりこさんにもよろしくおつたえください!!


多美子


 ぼくは朝のNHKのドラマを欠かさず見ています。里親、月島に関心があるからですが、ダンスに打ち込む主人公の姿を見ると高校時代の多美子さんたちをおもいだします。
 大学を出て、就職したNOVAが倒産したニュース以来、あれこれと想像しながら、声をかけかねていたのです。やっぱりそうだったのか、気づいたとき声をかければよかったなあという思いと、さすが、多美子だ、凄いぞという思いが交錯します。
 
「倒産」ということに無縁だったぼくには想像が難しい日々です。いつも前向きでひとびとをぐいぐい引っ張っていく多美子さんが「引きこもり」になったというのです。
 どんなときにも友達のことを思いやる多美子さんのことですから、「スタッフをまもる」に懸命だったことでしょう。大学を出て日の浅い若者のセリフではありませんね。

 ともかくよかった。再就職して新しい仕事に挑戦する多美子さんと祝杯をあげたいものです。浪人を重ねて桂子さんが念願の大学に入って以来だから何年になるのか?
 それにしても世の中のことを何も知らず、いつも若者に教えられる「先生」であることよ。けっこうなものです。
 
 今日はこれから横浜に向かい、我が家の娘のトークライブを聴きに行きます。
 酔月亭 http://blogs.yahoo.co.jp/suigetz_tei/53668411.html#53679823


 おわったら伊豆高原の保養所に向かい、来週火曜日まで療養です。この間、「川越だより」もお休みさせていただきます。昨日は嬉しいお便りもいただきました。紹介は休み明けと言うことで。どうぞご期待ください。昨日の訪問者167人。

茶番判決

2008-05-30 14:30:35 | 政治・社会
 都立高校の卒業式開式前に、処分を振りかざして国歌を歌えと強制する都教委を批判する週刊誌のコピーを配布して保護者に訴えた藤田さんに有罪の判決がありました。
 「威力業務妨害罪」にあたるというのですから驚きです。卒業式の開式前(卒業生入場前)に保護者席に出向いて、元教員がアピールすることが社会的に妥当かどうかには意見が分かれるところでしょう。
 ぼくは藤田さんと同じような危機感を持ち、某高の正門前で卒業生と保護者に問題提起のビラを配布しました。藤田さんのような行動は思いつきさえしません。だからといって、それが著しく常識に反した行動だとも思えません。
 みなさんはどう思いますか?
 
 藤田さんという人はぼくと同年齢で同じ時代を都立高校の教員として生きてきた人です。時におおむこうをうならせる個性あふれる行動をする事があります。教育委員会も、労働組合執行部もおそれる人です。ぼくが知る限り、藤田さんの指摘は正当で、可成りのひとびとの共感をえていました。

 今回の卒業式に於ける行動を「犯罪」として裁くこと自体、ぼくには著しくうさんくさく感じられます。まして、「威力業務妨害罪」とは。そこには権力を持つ側のたくらみが潜んでいると考えるほかはありません。

 上告と言うことになりました。弁護団は「信じられない判決」といっていますが、十分予測された茶番判決です。まして、弁護団がいくら頑張っても、この種の事例を最高裁で覆すことはほとんど不可能です。どうしたものでしょう?
 上告などはせず、20万円を払うためと称して声明を発し、入獄し懲役に服するするのが藤田さんらしくていいのかな、とも思います。こんな裁判官を相手にするよりおちょくってやるほうが国民の共感を得るかもしれないのです。
 
 参考までに弁護団の声明を紹介します。  
      

   板橋高校卒業式 不当判決に対する抗議声明

     2008年5月29日    板橋高校威力業務妨害事件弁護団

1 本日、東京高等裁判所第10刑事部(須田まさる裁判長)は、2004年3月の都立板橋高校卒業式に来賓として招待され,板橋高校に赴いた同校の元教員である藤田勝久氏に対し,卒業式開式前の行為が「威力業務妨害罪」にあたるとして罰金20万円(求刑懲役8月)を課した東京地方裁判所の判断を是認し,藤田氏の控訴を棄却する判決を言い渡した。
 われわれは、この信じがたい不当判決に対し、本日直ちに上告する手続をとった。そして、不当判決をくだした東京高裁第10刑事部に対し、怒りを込めて抗議するとともに、最高裁判所において藤田さんの汚名を晴らす無罪判決を獲得するため、全力でたたかう決意をここに表明する。

2 そもそも本件は,2004年3月の板橋高校卒業式において「君が代斉唱」の際にほとんどの卒業生が着席し,来賓として列席していた土屋都議会議員が卒業生らに起立斉唱を大声で命じたもののほとんど誰も応えなかったことに端を発する。
 土屋都議は式から5日後の都議会質問で「生徒を扇動した犯人探し」を求めるとともに,開式前の時間帯に保護者らに対して教員への「君が代」強制問題の深刻さを訴えた藤田さんをやり玉にあげ,横山教育長がこれに呼応し「法的措置」をとると答弁したことから,公安警察による「捜査」が始まった。
 しかしながら,藤田さんは、卒業式開式18分前に平穏に週刊誌コピーを配布し,その直後,やはり平穏に数十秒間だけ保護者に「君が代」強制問題の説明を行い,説明終了後の管理者らの退去要求に対して来賓として招待されていたことなどを申し述べ抗議をしたものの,卒業式開式前には式場から退去していたのである。


 すなわち,本件は,都教委や一部政治家ら「君が代」を強制的に起立斉唱させることを求める勢力が,卒業式の「君が代」斉唱時の卒業生不起立の責任を,卒業式開式前に校長らの求めに応じて式場から退去していた藤田さんに負わせるという,荒唐無稽な事件であって,特定の政治勢力に呼応して,公安警察,検察がでっちあげた「事件」なのである。

3 本日の判決は,裁判所までもが都教委や一部政治家らの特定政治目的に加担し,「威力業務妨害」罪についてこれまで司法判断が積み重ねてきた「威力」該当性の判断基準を踏みにじったものである。
 また,教頭によるビラ配布制止・保護者への呼びかけの制止の不存在を示す多数の証拠を黙殺し、これら制止行為を認定するなど、都教委や管理者らの完全なでっち上げを追認した恣意的かつ政治的な不当判決に他ならない。
 国家権力による不当な権利侵害に対する人権の砦であるはずの裁判所が、近代刑事司法の核心である「証拠裁判主義」「公平な裁判所」の精神に反する恣意的事実認定及び法適用を行い,一部政治家・行政当局・訴追権力の特定の政治的意図に追随することを絶対に許してはならない。

4 本件では,藤田さんは「都教委の君が代強制に批判的な内容」の記事のコピーを配布し,保護者へ説明した。これに対し,校長ら管理職が,その記事の内容及び発言内容を問題にして体育館から退去するよう命じたことは,公権力が表現内容を問題視し,卒業式に参加させないという不利益を課すことである。これは,表現行為を行ったことを理由とする不利益取り扱いであり憲法21条が禁じるところである。
 にもかかわらず,本日の判決では,退去要求自体を正当な行為であると判断するなど表現内容に基づく不利益取り扱い,すなわち表現内容が公権力の意に反することを理由とする刑事罰に裁判所が加担するなど,その憲法感覚が完全に欠如しており,人権擁護の砦としての職責を放棄したものと言わざるを得ない。
 週刊誌記事のコピー配布およびその説明や平穏な抗議は,いずれも社会の中で行われるささやかな表現行為である。にもかかわらず,このようなささやかな表現行為であっても,公権力の意に反することを理由に刑事罰の対象とすることになれば,「言論・表現の自由」の保障は画餅に帰し,表現者に対する圧殺効果は計り知れない。

5 われわれ弁護団は、あらためて本日の不当判決に抗議するとともに、今日のいっそうの「日の丸・君が代」強制政策や、愛国心法制化など,個人の精神的自由をないがしろにする危険な動きに対して,良心の抵抗を続ける多くの人々とともに、上告審での無罪判決をかちとる決意を表明する。

 昨日は雨の中、忠幸さんが様子を見に来てくれ昼食を共にしました。ソウルから来日して看護婦をしている崔さんが届けてくれた手作りのムルキムチがことのほか美味で堪能させて貰いました。昨日のこのブログへの訪問者は152人で過去最高。感謝します。

愁眉を開く

2008-05-29 08:08:32 | 父・家族・自分
 28日(水) 豊洲駅近くの「竹ちゃん」で遅い昼食。ここは魚河岸にも近く、新鮮でボリュームもあるちらし寿司を食べさせてくれる。癌研に通うようになってスッカリお馴染みになってしまった。
 約束の時間より一時間以上遅れて診察室に入ると主治医の西尾誠人先生のデスクのまえに二枚のCT写真が並んで映し出されている。4月はじめと5月26日のぼくの右肺。患部が小さくなっているのが素人目にもわかる。
 副作用の聞き取りなどで、先生から病状の説明があるまでにはいくらか時間がかかる。抗ガン剤に効き目があり、癌が小さくなってきたことがようやくつげられる。
 ぼくは効果の程はやってみなくては解らない、割合としては低いと承知していたので、正直嬉しかった。お礼を言うと先生は「ぼくのせいじゃないよ」といいながら、第3クールにすすむことを提案してくれる。「本人がもうイイというなら別だが、医者としては勧めます。」
 今回の抗ガン剤は「タキソール(パクリタキセル)」と「パラプラチン(カルボプラチン)」の2種類の組み合わせ。これがとりあえず、効果をみせているので引き続き、治療を続けるということ。
 
 来週後半以降に3回目の入院をして同じ薬の投与を受けます。順調なら7月に4回目。効き目があることが確かめられたので、副作用に耐える期間も気分が今までとは違うかも知れません。とりあえず、あと2ヶ月の辛抱です。先生はこれから一週間シカゴに出張です。抗ガン剤の学会で2万人の医者が集まると言います。一足飛びにと言うわけにはいかないが少しずつ成果はあるということです。

 川越に帰って、行きつけのお好み焼き店で娘と3人で祝杯。横浜の息子にも娘からメールで報された。店主が天然真鯛の兜煮を作ってくれる。超安値、大サービス。家族一同、「愁眉を開く」。
 
 

ボノさんとアフリカ 31日・横浜

2008-05-28 07:50:35 | 政治・社会
 昨日は東松山の農林公園に連れて行って貰い、ポピーの丘を散歩しました。花盛りは過ぎたようですが一つ一つのはなを観察するとそれぞれに見とれてしまいます。
 次は鳩山の農村公園です。白い花の咲く木(ヤマボウシ)の下で昼食。食後、シートの上で仰向けに寝てみると木の葉越しに真っ青なそら。
 いつもの通り、自然林の中をゆっくり散歩。コナラやクヌギの実生が目立ちます。久しぶりに200mは歩いたかな。ふるさとの湯に浸かって帰りました。

 さて、ボノさんの続きです。こんな記事を見つけました。


    「U2」ボノ氏、慶応大から名誉博士号
                      2008.5.27 20:47

 28日から始まる第4回アフリカ開発会議(TICAD)のために来日した世界的なロックバンド「U2」のボーカリスト、ボノ氏(48)は27日、アフリカの貧困撲滅やエイズ対策支援などのこれまでの活動が評価され、慶応大学(安西祐一郎塾長)から名誉博士号を授与された。ボノ氏は授与式後、学生約1000人を前に講演、「毎日3000人もの子供がマラリアで亡くなり、飽食の時代にもかかわらず飢餓で死ぬ人がいる。そんな時代を終わらせなければならない」と訴えた。

 ボノ氏は、アフリカの貧困撲滅を呼びかける活動を続けており、ブッシュ米大統領やローマ法王ら政府首脳らに直接会ってアフリカ支援を働きかけている。昨年3月には英国の名誉ナイト(騎士)爵位の勲章も授与された。

 ボノ氏は、日本の政府開発援助(ODA)が1990年代、世界1の規模だったが、今は減額されていることに言及。「アフリカは日本が90年代、アジアで行ってきたような支援を望んでいる」と指摘したうえで、「日本は変わろうとしており、その胎動を感じる。世界も注目している」と述べ、7月の洞爺湖サミットに期待感を示した。

 ボノ氏はTICAD主催者の日本政府の招きで来日。期間中、福田康夫首相と会談するほか、会場でも発言する。(サンケイ)


 この会議がどんな意味を持つのか、ぼくには判断が付きませんが、ここにもボノさんは積極的にかかわっているようです。

 さて我が家の血のつながった娘が友人たちと31日に次のような集いをやることを発見しました。招待されたわけではありませんが、入場歓迎と書いてありますので横浜まで出かけてみようかと思い始めました。ちょうど体調も回復基調ですし。息子のバーにも14ヶ月ぶりに寄ることが出来ます。



  『U2とアフリカ』
       副題:アフリカに注がれるボノのまなざし

ボノが、アフリカ開発会議(TICAD)出席のために、5月の終わりに来日します。

 私たちは、一市民として、ボノが日本に来ることの意味を考えるつもりです。
「私たちに何ができるのか」という答えは出ないかもしれませんが、
これまでの、ボノのアフリカへの関わりを振り返り、
U2の曲に映されるアフリカを見つめ直したいと思います。

  興味のある方は、ぜひご参加ください。



・2008年5月31日(土)

・場所:横浜関内ホール (B1F小ホール)
     JR関内駅 徒歩5分
     http://kannaihall.jp/access/index.html

・開場13:30 開演14:00~(約1時間30分)

・入場無料
・内容:(予定)
    U2とアフリカに関するスライドショー
    U2の楽曲歌詞に関するトークライブ
    トリビュートバンドメンバーによるアコースティックライブ

・主催:U2 Tribe
    このイベントは、TICAD公式行事とは、一切関係がありません。




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【酔月亭的呼びかけ文】



TICADにボノが出席するという報道がされたのは2007年11月ですが、その後、2008年1月のダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)で福田首相と会談し、改めてTICADへの参加表明をしました。
読売新聞の記事(1月27日朝刊)によれば、出席を決めた理由について、ボノは「アフリカの貧困問題の現状と、日本がどれだけ貢献できるかについて、もっと多くの日本人にわかってもらいたいから」と言っています。



2006年のVertigoさいたま公演で、ボノがステージの上から私たちに投げかけたメッセージは、「We’re so much more powerful when we work together as one./もっとすごい力が出せるんだ、君が傍にいてくれれば」(Kyokoさん訳)というものでした。
私たちはボノの傍にいたい。ボノの力になりたい。強くそう願っています。



私たちはU2を、ボノを通してアフリカ問題に興味を持ったに過ぎません。そんな私たちにアフリカ問題そのものを語ることは到底できませんが、一人ひとりのU2ファンとして、ボノの来日をきっかけにアフリカについて考えることはできます。
ボノのアフリカへの関わりを振り返り、U2の曲に映し出されるアフリカの姿を改めて見つめ直すことを目的に、ささやかなイベントを開催することにしました。
「私たちに何ができるのか」という答えを出す場ではありません。参加していただいた皆さんに共有を迫るような結論を持っているわけでもありません。
ただ、ボノがアフリカのために日本に来ることの意味を考える、そういう場になることを望んでいます。

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ボノさんと「海の森」

2008-05-27 22:10:04 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)
「海の森」については「千年の森構想は今」(4月27日)で否定的に紹介しましたが、東京都は本日、アイルランドからボノさんを招き、実質的な起工式(植樹)を行ったようです。ボノさんはこの事業に非常に積極的で、歌を作るとも言っているとのことです。


 環境対策に取り組む東京都は23日、アイルランドの人気ロックバンド「U2」のボノさんらを招き、27日と31日に植樹イベントを開催すると発表した。
 都は東京湾に浮かぶごみ処分場に苗木を植え、緑の島に変える「海の森」事業を進め、環境保護活動に取り組むボノさんがこの事業に賛同したという。
 27日はボノさんのほか、宇宙飛行士の毛利衛さんや小学生ら計約120人が参加する。31日はノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんも植樹する。
                            (共同通信社)


 皆さんはU2のボノさんに関心がありますか。我が家にはボノさんがアフリカ開発会議に出席するために来日するということで、連日、横浜(?)方面に駆けつけている家族がいます。お陰でぼくも名前だけはよく知っているのですが、コンサートを聴いたこともないし、その社会的活動もキチンとは知らないのです。
 アフリカだけではなく、この東京のことにまで協力するというのですから、この人のことを知りたくなりました。  
 そこで、ボノさんと「海の森」とがどこでつながったかを調べてみました。鍵はこの事業のデザイナーである安藤忠雄という建築家にありました。

 今は東京都の副知事をしている猪瀬直樹さんと安藤さんの対話記事です。


   「10年後の首都のあり方を考える」
      (朝日ニュースター『日本のキーパーソン』07年10月27日放送)
 (略)

○安藤● これからはエネルギーをできるだけ使わないような建築にならない
といけない。私いま渋谷の駅をやっているんです、東急の。地下30メートルで
す。

○猪瀬● 東横線がちょうど地下に入っていくんですね、駅をなくして。

○安藤● 東京メトロといっしょにするんです。

○猪瀬● 東急文化会館か、プラネタリウムのあった下ですよね。

○安藤● そうです。これは地下30メートルの駅まで自然光、自然の風が入っ
     てくるんです。

○猪瀬● 風が流れてくるんですか。

○安藤● はい。風が流れますので、いわゆる強制排気をしなくて済むんです。
     世界で初めての地下30メートルで強制排気をしなくてよい、自然で
やる駅です。これも含めて、住吉の長屋のときの中庭と考え方がつながってい
ると思うんです。

○猪瀬● 安藤忠雄、いよいよ渋谷に進出ですね。

○安藤● ははは、これはまた嫌がられますね(笑)。

○猪瀬● 若者の街であり、通勤の街でありいろいろな雑駁なものも全部吸収
     する渋谷は流行の先端です。そこに安藤忠雄の思想が入ってくると
いうことは、僕はおもしろいと思うんです。それでここに『10年後の東京』と
いう冊子があります。東京湾から風が流れてくる。そこにいろいろな高層ビル
があってぶつかる。そこに風の回廊みたいなものをつくっていかないといけな
い。それであちこちに緑をつくっていくことがあります。

 僕はこの間、参議院の議員宿舎をあんなものやめちまえと言いましたが、あ
そこも代々木公園からずっと明治神宮の外苑から皇居につながる風の回廊で、
あそこの清水谷公園は大事なんです。そこにへんな高層ビルの参議院の議員宿
舎なんかつくったらとんでもない話で。それはそれとして、緑の回廊を考えて
いくにあたって、ひとつは海の森公園があります。

○安藤● これは中央区にある100ヘクタール30万坪のゴミの山です。

○猪瀬● 場所は晴海、お台場とあって道路でつながっている海のほう。ここ
     がゴミ捨て場というか廃棄物の処理したものが埋められているんで
す。それで丘になっている。それで全部緑にして。

○安藤● これを1000円募金で100万人くらい集めてやるときに、世界中に
     ゴミの山がありますから、日本からゴミの山を緑の山にすることに
よってゴミを出さないでおこうという意識になるといいなと思いまして、あち
こちにお願いした。

○猪瀬● 小さいように見えるけど、じつは皇居くらいある。

○安藤● 明治神宮と皇居と同じくらいですよ。

○猪瀬● けっこうでっかい森になる。

○安藤● これをやっていたら、U2のボノという人がいまして、この人はロ
     ックシンガーなんですが。

○猪瀬● ええ、有名ですよね。

○安藤● この人はいまアフリカのエイズと貧困の撲滅というのを、クリント
     ン大統領とビルゲイツさんでしていまして、この人に海の森の応援
団やってくれませんかと頼みに行ったら、俺が応援団をやって「海の森」とい
うレコードをつくりたいと。

○猪瀬● レコードつくるって?

○安藤● 1000万枚売るんですよ、彼らは。それでシラク大統領に手紙を出し
     たんですよ、海の森の応援団をやってくれませんかと。そうしたら、
その話は世界中にゴミがあるからこれからいちばん大事なんで、東京発世界と
いうのはおもしろいからというのでサインをいただきました。

○猪瀬● 東京都の条例がこの間の議会で通って、これ1口1000円で5万口か
     な。

○安藤● 5億円ですから50万人ですね。

○猪瀬● みなさんというか一般市民や都民から集めようと。いいですよね、
     みんなでつくっていくというか、税金じゃなくて。

○安藤● 1000円出して自分の森と思ってもらうために、出してもらった人の
     名前を全部書いた本をつくって入り口あたりに置いておこうと考え
てます。

○猪瀬● 神社に寄付するみたいな感じだ。

○安藤● 講演会をすると、1000人いたら300人出します。この間ボノさん
     がアイルランドで講演会をしましたら、3000人いて700人くれま
した。70万円です。

 それでボノさんが自分も同じだけ寄付をしたいと言っておられますから14
0万円になるんです。それで私もそうしようと思って、私は各地で講演会して
講演料をもらいますから、募金したお金と同じだけ出していこうと思っていま
す。300人いたら30万円だから私も講演料から30万円出すようにしていけば、
けっこう集まるのではないか。やっぱり命懸けで思いをこめてやれと石原さん
に言われまして、やるならば思いをこめてやれと。

○猪瀬● シラク大統領は?

○安藤● シラク大統領は了解してくれて、今度日本に行くときはそういう講
     演会をしてもよいと。ボノさんもボランティアで講演会をすると言
っておられます。ボノはものすごい熱心なんです、これに。私はいまたまたま、
ボノさんの家を設計しているんです。アイルランドのダブリンに。そういうこ
ともあって付き合いがありますので、彼はいま猛烈に頑張っています。私は東
京から世界中にないものを発信していく。東京はおもしろいことをやるなと。
それならオリンピックも可能性あるんじゃないかと世界中の人に感じてもらう
ためには、ビッグなおもしろいおじさんにボランティアで参加してもらう。

○猪瀬● 夢が出てきますね。

○安藤● これは私はいいと思うんです。

○猪瀬● そうですね。結局ゴミの山ですから。この話おもしろいんだけど、
     実際に緑がだんだん増えていく。じつは『10年後の東京』で、小学
校の校庭をみんな芝生にしようとしています。それと並木を徹底的につくって
いく。

○安藤● 電柱も地中化しようと言っておられます。これもすごい画期的なこ
     となんです。

○猪瀬● そういう方向で行けばよいのだけど、CO2の量がその計画を上回
     る速度で進んでいますから。なんとか安藤さんの思想でやっていた
だきたいと思います。これから緑を増やしていくことと安藤さんの生き方みた
いなものも、若い人が学んでいくというか形で見せていくことが必要だと思う
んです。渋谷という若者の集まるところで、外から風が入ってくるというよう
な。これは目でわかるんですか。

○安藤● わかるんです。

○猪瀬● 外は見えるんですか。

○安藤● はい。地下30メートルありますが。東京都というのは自然換気でや
     るとか、おもしろい都市東京と、ゴミを緑にするとかいろいろなこ
とを重ね合って、たとえば渋谷の駅ひとつからだけでも世界に発信することに
なれば、若い人たちも自分たちの考えたことが形になるということを学んでい
ただくと、僕の生き方もちょっとくらいは役に立つのではないかと思います。
      (以下略)
 この対談の全文を読むには次の青文字をクリックしてください。
  
  http://archive.mag2.com/0000064584/20071115150951000.html


 渋谷駅のことは初耳です。まもなく開通する地下鉄副都心線がやがて東急東横線に乗り入れるようになり、川越から乗り換えなしで中華街に行ける日が来るとは聞いていたのですが。「海の森」についてはどう考えたらいいのでしょうか。推進する東京都の関係者が夢を語るのは解りますが、ぼくが知る限りは「千年の森構想」とはかけははれた新たな公園づくりに過ぎないように見えます。関心がある方はこの計画をよく調べて是非とも御意見を寄せてください。ボノさんの考えも聞かせて貰いたいと思っています。

いま、東京新聞のサイトを開くとボノさんが植樹する様子が動画で見られます。


留守番

2008-05-25 18:53:59 | 父・家族・自分
 今日はきいちご移動教室の当日です。昨夜来の雨模様のため、足尾に行くのを昨夜の内にあきらめ、茨城県自然博物館で一日を過ごすことにしました。私たちの訪問を心待ちにしていてくださった「足尾に緑を育てる会」の神山会長も残念がってくれました。次回を期すことにします。
 「利根川の辺に自然の営みを学ぶ」と謳って40名が坂東市に向かったのですが、ぼくは残念ながらお留守番。一日、寝たり起きたり。抗ガン剤投入後11日目のちょうど今頃が白血球が最低値まで下がり、感染症にかかりやすいのです。前回は発熱し、抗生剤の点滴を受ける始末でした。
 久しぶりに会う筈だった昔の生徒達には申し訳ないことをしました。残留孤児2世としてこれから支援相談員として働くのです。その交流祝賀の意味も持っています。ぼくも残念至極で一日いい気持ちではありません。今日を機会に若い人たちが力を合わせて、親や祖父母達の世代のよき相談相手として活躍してほしいものです。
 そういえば、昨夜K君から電話がありました。本当に久しぶりです。89年都立北高入学の残留孤児2世。この年の今頃はまるで「戦場」。ドラゴンと名のる残留孤児2世の暴走族が連日学校にやってきて仲間を獲得しようとするのです。中学まで孤立し疎外され続けてきたK君らも高校で仲間を得て意気軒昂。
あの頃のことを思うと懐かしさと共に冷や汗がでます。近く家族で訪ねてくれるそうです。本当に嬉しい電話です。


 明日はガン研にいってCT検査をします。抗ガン剤が効き目があったかを調べるのです。結果がわかるのは水曜日ですが、それによって今後の治療方針を検討します。
 

ただ、存在するだけ

2008-05-22 22:16:33 | 父・家族・自分
 寝てばかりの生活でしたが、今日は少し楽になったので坂戸の「ふるさとの湯」に連れて行って貰いました。
 夕方、琴欧州が白鵬を寄り切る一番を見ました。体調もよくなったのか、連日立派な勝利です。そして、笑顔が本当にかわいい。長かった試練に耐えて、よくぞ大成したものです。ぼくは白鵬が大鵬にならぶ大横綱になることを期待していますが、ユーラシア大陸の西と東からやってきた若者が日本人に相撲のおもしろさを教えてくれていることを喜んでいます。日本相撲協会を解体して、日本の若者が喜んで相撲の世界に入っていけるような組織になれたらいいなあ。
 NHKはおかしい。大相撲の世界の頽廃に目をつぶり、業界の親分衆に御用解説をやらせるばかり。高校野球をおかしくした朝日新聞と同じだ。国技だというなら、地域や学校にどうしたら相撲が根づくかを考えなければ。大リーグの選手の一投一打や自然破壊のお遊びでしかないゴルフに異常な熱意を注ぐのはどういうことだ。

 備忘録
 
 17日(土)退院後、お台場から海上バスで日の出桟橋へ。アジュール竹芝というホテルでの結婚式。「孫」のミスンが見るからに堅実そうな28歳の青年と一緒になった。ユアンという10ヶ月のこどもの披露宴でもある。ぼくも言われるままに抱いてみたがずっしりと重たくて少し怖かった。
 お婿さんの勤める会社関係の知友が多いのか大宴会場が満杯。家庭生活に恵まれたとはいえないミスンがこれらのひとびとの支援を受けながら堅実な家族を作っていってくれるように祈るばかりである。
 母親のスンジャは15歳の時から31年のつきあいである。父が早くに失踪し、家族というものに恵まれることがなかったが、人一倍責任感がつよい。ある時からぼくが「ぱぱ」ということになった。だからといって何をするわけでもない。ただ存在するだけである。ぼくは今でもたくさんの困難に直面しながら、ときどき笑顔をみせてくれるスンジャがいてくれて嬉しい。母親になったミスンが格段の成長を遂げてきたと喜んでいる。ぼくは親としての責任を果たしたことを心から祝福した。

 20日(火)夕方、matumotoさんがヤマメの塩焼きを届けてくださった。奥多摩からの帰りにわざわざ川越に寄ってくれた。抗ガン剤の副作用のせいで一日中横になっていた日で、玄関に出てお礼を言うのがやっとだった。たまには上がって貰ってあれこれと話したいが、お父さんの介護もあってなかなかゆっくりはできない。お隣のMさん夫妻もあちこちの野山で摘んできた野草やタケノコを差し入れて元気づけてくれる。
 21日(水) 東京都の残留孤児支援相談員に合格したひとびとの辞令交付式(?)があったという報せ。20人の内、18人が残って今後の協力を約束しあったとか。都の斡旋で区市で働くことになるが自治体の姿勢はまちまちである。情報を交換しながら出発できるのはとりあえずよかった。

足尾に行きませんか

2008-05-19 15:42:50 | 出会いの旅
孫の結婚式ということで退院許可をうけ、土曜日の夜自宅に戻りました。脚にシビレ、膝に痛みがあるのが今回の副作用の特徴です。あと一両日の我慢です。
 様々な事情できいちご移動教室の参加辞退者が出、数名の空席が出来ました。地元の方の案内で松木沢という所にも入り、緑の回復に取り組むひとびとの活動の様子も学ぶことが出来ます。今からでもご都合のつく方が居られたらどうぞ連絡してください。049-224-4646

第7回 きいちご移動教室 足尾の山に緑は甦ったか
   
     時     5月25日(日)7時50分  出発 8時
   集合場所  日暮里駅前広場
   費   用  ¥100
    行き先   栃木県日光市足尾(あしお)

  渡良瀬川(わたらせがわ)の源流にある町と谷を訪ねます。

新緑の美しい季節です。しかし、ここにはかつて銅鉱山があり、

近代日本の公害の原点といわれます。精錬所の煙害で山々は

荒廃し、鉱毒は川と田畑を侵しました。田中正造という義士の

名前と共に心ある日本人なら誰でも知っているところです。

朝鮮人や中国人の犠牲の歴史も刻まれています。

  痛ましい歴史の地にも、自然の回復をめざすひとびとの絶え間ない歩みがありました。12年前から続けられている「足尾に緑を育てる会」の植樹活動は奇跡を生み出したのでしょうか。


 植樹に取り組むひとびとhttp://watarasem.exblog.jp/i3/
 

  いつものきいちごの旅のように歴史の学びをしたあと、

新緑のただ中で交流を深めましょう。

  主催:きいちご多文化共生基金

『戦争から遠く離れて』

2008-05-13 22:20:16 | 父・家族・自分
 抗ガン剤治療の第2クールということで明日(水)入院という通知がありました。副作用の情況を観察するため数日間の予定です。前回、白血球が可成り減少し、発熱などの副作用があったため、薬の量を減らすと聞いています。脛から下にシビレのような症状が残っていて、疲れやすいのが現状です。でも、がんばりません、あきらめません、やりたいことをやります、の生活態度に変化はありません。どうぞ、心配しすぎないようにお願いします。
 今回は短期間の入院の予定ですので、パソコンは用意できません。そのためしばらく『川越だより』の更新は出来ません。暇のある方はこの際、ぼくの記事にコメントなどいれてください。励みになります。メールなどと共に娘が印刷して届けてくれます。

 『あの戦争から遠く離れて』(城戸久枝・情報センター出版局)を斜め読みしました。ぼくと同じ1941年生まれの中国残留孤児・城戸幹さんの娘さんが「私につながる歴史をたどる旅」と副題して書いた本です。著者は日中国交回復の前,1970年に帰国した父の子として、78年に愛媛県で生まれた残留孤児二世という珍しい立場の日本人女性です。読みやすい文章です。どなたも手に取ってみてください。

   あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31938451


 本の紹介。もう一冊。『凍土の共和国』(亜紀書房)。是は昔の本の再版です。北朝鮮の現実を知るきっかけを作ってくれたのは『統一日報』という新聞に連載されたこの本のもとになった記事です。佐藤勝巳さんが書いた文章で再版を知りました。
    
  『凍土の共和国』(復刻版)を読んで思ったこと 佐藤勝巳
 http://gendaikorea.com/20080507_satou.aspx

『凍土の共和国』http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7505-0801-6.html

「今日も笑顔でボチボチです!」 こにやんのブログ

2008-05-12 07:13:01 | ふるさと 土佐・室戸
 気温が急に下がったので少し呼吸が荒くなったりしましたが、今朝はもう大丈夫です。
 こにやんから手紙を貰いました。今回の出会いを「意味のある偶然」といって喜んでくれています。いくつもの縁が重なった出会いです。ありがたいことです。
ブログのコピーが数枚同封されています。
 皆さんにも読んでいただきたいのでこにやんのブログを紹介します。
 
 『今日も笑顔でボチボチです!』http://blogs.yahoo.co.jp/gogokoniyan/42207769.html#42250610 


「ボチボチ」はイイですねえ。ぼくも子どもたちに「ボチボチ行こう」とよく話しました。定年で文京高校を去るとき、生徒会長が「ボチボチ行こう」と返してくれ、全校生徒が沸いた日が昨日のようです。
 日々の出会いや発見を大切にして、少しはボチ(凹凸)のある人間になろう。ぐらいの意味です。人に合わせて、自分を殺す生き方におさらばしよう。でもいいかな。もちろん慌てず、自分流で。
 そうやって生きていれば笑顔はついてくるものです。そうありたいですね。
教えることに夢中になっている教師や親に読んでほしい。

 

ケサ子おばあちゃんを偲ぶ

2008-05-11 16:26:11 | 出会いの旅
 10日(土)小諸の弁天水をポリタンクに汲んで、午後早い時間に川越に帰りました。雨模様で急に気温が下がったため、やや体調を崩したので早めに休みました。夜になって元気を恢復したのでブログに篠ノ井の長谷寺のHPを追加しました。若麻績さんのおすすめです。読んでいるうちに真夜中になっていました。仏門に生きる人の真摯な学びに心が洗われます。皆さんも是非、訪れてみてください。

 長谷寺

 http://www.hasedera.net/blog/2008/04/post_43.html

 ぼくはこの寺の住職がチベット問題を次のように我が身に引きつけて考え、学ぶ姿勢に共感します。

 ●今、僕らに何が出来るのか

中国が、チベットとの良好だった関係を変えて侵攻し、かつまたチベット独自の宗教とそれに基づく文化や政治体制などを崩壊させつつある(中国共産党の視点からは、人民の解放である)現状に対して、日本人の僕ら一市民が出来ることは何だろうか。

こうした近代化というものが、近代以前の伝統文化を壊してきた例を挙げれば、中国に限らず全世界規模で無数に指摘できるし、僕らの周囲にもたくさん挙げることが出来るだろう。それによって得られた幸福もあるけれども、失ったものも多い。

そんな中で、チベットの『解放』と近代化を進める中国政府がこの半世紀で120万人ものチベット人を殺害したということを知った。驚くべき数字に怒りがこみ上げてくるが、日本はどうなのだろうか。戦後の近代化と成長主義の中で、殺してきた人がいなかったのか。

自殺者はどうなのか。ここ近年は年間3万人もの人が自殺するという。もし3万人平均が戦後60年間続いたなら、180万人の自殺者だ。もちろん、以前はこの半分くらいで推移していた時期もあるが、100万人を下らない人間が、戦後の日本社会の中で自殺していると考えてよいだろう。中国がチベット人を「解放」し近代化するという建前の中で殺害したとされる死者の数と同等な、もしかするとそれ以上の数に達しよう。

僕ら日本人も、おそらく近代化や現代化、合理化という国づくりを推進する中で、宗教はもとよりかつて人間を守っていた文化も捨ててきてしまったに違いない。

その意味で、僕は、このチベット《問題》ということに取り組むことの中には、チベットと中国というローカルなことにとどまらない、近代化以降の国家建設や国づくり社会作りの方法論が根本的に有する「欠陥」を知り、それを克服していく可能性があるのだと考えている。

したがって、チベット《問題》は僕ら自身の問題と深くつながるであり、ダライラマの種々の発言に対しても、その点で深く耳を傾けなければならないと感じている。

もし、チベット《問題》から耳をそらすなら、日本人は身近な自殺者を減らすことは決して出来ないだろう。チベットを知り、チベットを考えることは、現代社会の本質的な非人間性の暗部に光を当てることに他ならない、と思う。


 9日(金)若麻績さんに教えて貰った萬佳亭という見晴らしのよい料理屋で昼食のあと、小布施のKさんに電話。驚いたことに母上が4月13日にみまかったとのこと。急いでおたずねすると、Kさんが一人仏壇を護って居られます。
 仏前で缶ビールをいただきました。酒類は久しぶりです。Kさんとはこうやって10余年交流してきたのですから、おばあちゃんも喜んでくれているはずです。

 ちょうど一年前の5月9日、ケサ子ばあちゃんを訪ねた時のブログがあります。
   
  ケサ子おばあちゃん http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20070513

 孫娘の教師であったというだけのぼくとその家族を春と秋、喜んで迎え続けてくれました。おばあちゃんの実家、おばあちゃんの子どもたち、親族のかた方も付き合ってくれます。私たちの方も義母や娘。昔からの親戚のようです。
 ことに義母は年が近いせいもあって、おばあちゃんと話が弾みました。そのおばあちゃんが逝ってしまわれたのです。
 仏壇に飾ってある写真はおばあちゃんを挟んでKさんとぼくが写っている写真を引き伸ばしたものです。長く母上の世話をし、孝養を積んできたKさんは母を失った寂しさにやっと耐えているような感じです。幾つになっても母親は特別な存在です。(そういえば今日は母の日で、妻に宛てて息子夫婦から例年のように感謝の品が届きました)。

 一緒にドライブしたときのこと、お焼きをはじめ、そのたびごとにもてなしてくれた御馳走の数々、あれこれと思い出が尽きません。おばあちゃんを偲ぶ一時を過ごしました。
 「ありがとう、ケサ子おばあちゃん」大きな声でお別れの言葉をかけて、帰途につきました。
 おばあちゃんのお陰で信州・小布施はぼくにとって何番目かの特別な町となったのです。



善光寺の若麻績(わかおみ)敬史さん

2008-05-10 16:45:29 | 出会いの旅
 9日(金)
 思いきって長野に行くことにする。千曲川SAから電話すると若麻績さんは喜んで会ってくれるという。
 11時約束通り、本堂前で待っていてくださった。今回のチベット犠牲者追悼法要の中心となった善光寺の僧侶である。ぼくには旧知の方だが一言お礼を言いたかった。「あなたのお陰で僕らも助けられました」。
 善光寺は中国政府と共産党のチベットの人たちに対する弾圧・虐殺にはっきりと抗議し、「聖火リレー」への協力を拒否した。そして犠牲者への追悼の法要。これらの行為はぼくだけではなく、ぼくが知る限り、多くの日本人の共感を得ている。自分が行動に移せなかった気持ちを若麻績さんが中心となって世界中に示してくれたのである。

   宗派超え長野の祈り 善光寺でチベット犠牲者追悼
 
  http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-news/08/news0805/news080501/news080501_01.html

 本堂で行われる定例の勤行に僕ら3人も参列させて貰った。終了後、若麻績さんは戒壇めぐりを勧めてくれ、極楽の鍵を探り当てて、心の奥深くにある自分の願いを念ずれば仏様が聞いてくださると話された。
 真っ暗闇の中をおそるおそる壁に手を当てながら進むと確かにその鍵を握りしめることが出来、ぼくはあられもなく心の内にあることを念じた。

 事務局の応接室で一時まで話を聞きました。どこの世界でも一つのことをやり遂げるのは生やさしいことではありません。今回の法要についても若麻績さんの暴走だとする声が今でも強いそうです。どんなことでも合意形成に努めるよう格段の努力を続けてきた方ですから、時間がなかったとはいえ、心残りであるようです。
 仏教徒としてチベット人側だけでなく、漢人側の犠牲者も発表されている限りの名前を読み上げて供養したといいます。それでも中国政府や共産党の圧力を恐れて(?)、反対する僧侶が多かったのです。ぼくには今度の決断は善光寺の威信を高めたという声しか聞こえてきません。実際はどうなのでしょう。若麻績さんたちの仏教徒としての、人間としての行動は、中国共産党のひとびとを含む、世界中の心あるひとびとに確かなメッセージを届けたとぼくは思います。
 宗派を越えて30代の若い宗教者との出会いがあったことを若麻績さんはとても喜んでいます。その一人が篠ノ井の長谷寺の住職さんです。

 善光寺様での追悼法要と聖火リレー

 http://www.hasedera.net/blog/2008/04/post_48.html#more

 ぼくがきいちご移動教室のことを話すと、残留孤児の方々を徳行坊でいつでも受け入れるといってくれました。この方の導きで善光寺に詣でる旅を企画する楽しみが出来ました。元気になって実現したいと思います。

「こにやん」とやっと出会う

2008-05-09 07:33:22 | ふるさと 土佐・室戸
 こにやん、コメントありがとうございます。やっと巡り会ったなあ、という喜びに朝から気分が高揚しています。
 こにやんについては3月にこのブログで紹介しました。高知市の教育研究所で不登校の子どもたちと日々を過ごし、彼らの自立への道を共に歩いている方です。

 『川越だより』をご覧ください。

  http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20080327

 一水先生を共に思い出すことができる先生の生徒同士です。ぼくが元気になったらこにやんに会いに行きます。子どもたちの話、一水先生の思い出、尽きることはないでしよう。こにやんにメッセージを送りたくて何かの手続きをしたのですが、不具合だったのか、行き会うことが出来なかったのです。
 こにやんのクラス名簿を見ると室戸岬の出身と思われるかたの名前があります。ぼくの推測が当たって居ればこの方も同業です。父の昔話を教材にしてくれた人です。

 8日 あさ、Aさんのお母さんにやっとあいさつ。リンゴ畑で摘果中だった。お年寄り同士になって義母が元気になる。
 近くの「和(かのう)学校」を訪ねる。長野は教育県といわれたが、その遺跡。

 http://www.city.tomi.nagano.jp/manabu/bunkazai/kanou_gakkou.html

 小学校で鍵を借りて見学させて貰ったが、内部は長く利用していない倉庫のような感じで、様々な資料が生かされていない。この学校で40年以上勤めたという一教師の記念碑が印象に残った。開校100年に当たり、地区民が建てたという。何世代にも渡ってこの地区の子どもたちの先生としてやさしくおだやかな印象を刻み続けたという。地区民の手で葬儀が行われたというが、どういう方だったのだろうか。
 和の坂を上り詰めた所に富士山神社というのがあるのでいって見たが、大きなダムで行き止まり。富士山に浅間神社、浅間山の近くに富士山神社、是いかに?という妻の疑問は解けず。山菜取りのおじさんがいうにはダムが出来るまでは行けたが今は営林署が道を遮断した、と。
 大田区の豪華な保養施設を見学し、湯楽里で昼食・入浴。夕方からゆっくり休む。

蓼科山

2008-05-08 15:47:03 | 出会いの旅
 7日(水) 起き抜けに高速道路をくぐって、直ぐ下のへ行ってみた。春原家住宅が公開されていたので寄る。江戸時代からの農民の家。
 
 http://www.harakejyutaku.htmlcity.tomi.nagano.jp/manabu/bunkazai/suno

 ご主人が相手をしてくださった。今は隣りに新しい家を建てて住んのでいるが、20年前くらいまでこの家で生活していたという。養蚕農家で家中寝るところもないほど蚕が占拠する時期もあった。千枚田の石垣からわき出る清水は冷たく、子どもたちが手で畦をつくって直接田圃には入らないようにした。今は蚕も稲もやめ、米は買っているという。

 海野宿を散歩したあと、白樺湖まで足をのばし、湖畔で昼食。目の前に蓼科山。雪がところどころ残っている。連休明けとて人影もなく、山桜の散る昼さがり。おにぎりがおいしい。
 
 海野宿 http://www.city.tomi.nagano.jp/manabu/bunkazai/unno_jyuku.html

 大河原峠から望月に下りようと御泉水自然公園を通りすぎていったら、これから先は冬季通行止め。道に雪が残っているようだった。
 望月の福王密寺に寄る。2年前、抗ガン剤治療の終わりに佐久で養生した際、豪華なしだれ桜の出迎えを受けた。今は青々とした葉桜だが、鐘楼に登って、鐘を突かせて貰う。 しだれサクラhttp://www.shinmai.co.jp/flower/2001/01041905.htm

 帰って夕寝。夜も早く休む。だいぶ眠りが深くなった。

信州・東御(とうみ)市和(かのう)

2008-05-07 09:19:26 | 出会いの旅
 6日 正午到着。午前中に着けばAさん夫妻にお会いできるかと駆けつけてきましたが、残念ながら帰京したあとでした。ここを利用させて貰うのは4回目、一年ぶりです。かって知ったるなんとかで、妻はさっそく昼食準備、ぼくはソファにへたり込んで八ヶ岳の遠望。
 昼寝のあと、近くの日帰り温泉へ。

 湯楽里館http://www.yurarikan.com/yurarikan.html

 8年前この地に移り住んだという方に地域の情報を聞き乍らつい長湯。4月の選挙で前市長は敗北したという。お連れ合いはぼくの昔の生徒。病を克服し、司法書士をしながら夫を支えてきた。高校生の時から頑張りやさん。

 食事まで夕寝、食後も早く休む。病院生活のよう。

 東御市の空中写真がありました。千曲川を挟んで南北に山並みが連なっています。http://www.tomikan.jp/sora/index.html

 今日も天気がいいので千曲川の左岸の村里を訪ねて見ようかと思っています。

昨日は138人もの方がこのブログを訪れてくれました。一気に30人以上の記録更新なので驚きました。ありがたいことです。