川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

よかったね 「神宮」 カンちゃん14歳

2013-07-16 12:08:16 | こどもたち 学校 教育

7月15日(祝)晴
2時間半かけて神宮球場につきました。



卒業以来12年、野球部OBの山田真一くんが迎えてくれました。今日が14歳の誕生日のカンちゃん一家も駆けつけて嬉しい大事業のはじまりです。捻挫でナリちゃんが居ないのが残念。



文京高校 郁文館 ともになかなか決定打が出ず、3回裏神谷選手のホームランが文京に
勝利をもたらす結果となりました。文京高校 2-1 郁文館。文京のエース大塚くんが踏ん張って3安打しか許さなかったことが印象に残りました。応援のし甲斐があってともかくよかった!

バックネット裏の2階席からの観覧で風通しもよく快適なひと時でした。
 試合の途中でカンちゃんが疲れた僕の全身を揉み解してくれました。気持ちよかったなあ。

 

「北」から来て4年余り、「神宮」はもちろんのこと、高校野球の観戦は初めてとのことです。開放的な雰囲気を楽しんでもらうことができて何よりでした。

北朝鮮でも友好国「キューバ」との関係で一時期野球が導入されたが、米日の「敵性スポーツ」ということで結局長続きしなかったとのことです。

写真: 文京 2ー1 郁文館    野球部OB山田くんと14歳になったカンちゃん

 

山田くんの授業を担当したのは高一のときで、僕がHR担任をしたわけでもありません。それでもfacebookでの呼びかけにこたえて会いに来てくれました。立派な青年になっていました。

出版社に勤めているとのことです。カンちゃん一家との出会いをきっかけにして「脱北者」や「日本人妻」のことを心にとどめて活動してほしいとお願いしました。心強い返事がありました。

 カンちゃん、14歳おめでとう!

本を読むのが好きなカンちゃんに妻からの『チポリーノの冒険』を手渡しました。妻や娘が好んで読んだ古本です。

 30歳になる頃にはどんな青年になっていることだろうか。

やさしい気持ちはもうすっかり自分のものだ。まっすぐに力強く育てよ、カンちゃん。

こんなすばらしい舞台を与えてくれた都立文京高校の野球部の選手諸君に心からの感謝。ますますの健闘を祈ります。

 

 


今日は神宮球場へ。頑張れ!文京高

2013-07-15 09:49:16 | こどもたち 学校 教育

7月15日(祝)晴

 今日16時から都立文京高校野球部が郁文館と対戦します。東東京大会3回戦でなんと神宮球場です。

 神宮でヤクルト・阪神戦を見たことはありますが高校野球は記憶にありません。幸いにも抗がん剤の谷間で体調が回復してきたので文京の応援に行きます。

 文京高校は僕が定年間際に7年間働いた学校です。最後にHR担任をした人たちのなかにも野球部員がいました。一度も応援に行けなくて心残りでした。

 今年は春の成績がよかったのか、なんと第4シード校になって、緒戦が神宮です。

facebookで呼びかけたら野球部OBの山田くんと李さんが「いくよー」といってくれました。

うれしさ100倍です。

さて、どんな一日になるのか。わくわくどきどきです。

これを読んでくれた方で都合のつくOBOGなどがおられたら駆けつけてくださいね。

15時半過ぎに一塁側2階席に行くつもりです。


素晴らしい熱闘「 川越高ー朝霞西高」

2013-07-13 09:46:37 | こどもたち 学校 教育

7月12日(金)晴 猛暑日

9時、川越初雁球場。
今年も高校野球を楽しむことが出来る。自転車で10分もかからないからこそだ。感動で涙が滲む。

試合は川越高ー朝霞西高。

川越城(初雁城)跡に立地する川越高は3塁側だがライトスタンドまで生徒の応援団がぎっしり。伝統校らしい懐かしい応援ぶり。

朝霞西は女生徒中心のきらびやかな応援。



ぼくは木陰のある朝霞西側のスタンドで両ティームの好打好守に声援を送った。

3回、朝霞はホームランで3点を先取したが、その裏、川越は好打で同点に。

力の拮抗した熱闘に高校野球の醍醐味を味わう心地がする。

9回、朝霞が再び一点のリード。勝負あったかと思いきや、その裏の川越の攻撃は鋭かった。一死満塁からのまさかの逆転サヨナラ勝ち。

川越高5-4朝霞西高。

先制に屈しない川越の選手たちに祝福の拍手。今回は地の利も味方したかな。これからも頑張って川越市民を楽しませてね。

朝霞西の選手たちの敢闘に大きな拍手。公式戦を闘い終わった3年生、
山あり谷ありの人生を果敢に生き抜いていってね。

この日、川越の公立勢は果敢に闘い、市立川越高校はシード校・埼玉栄高校を撃破した。

川越初雁高校も緒戦突破。南高・工業高はすでに敗退したが、明日には西高・総合高が登場する。

今年は朝霞や熊谷まで自転車を転がして応援に行く体力はない。
頑張れ!川越勢。

東東京では大島は緒戦敗退。文京高はなんと第4シードとなっていて3回戦から登場。15日16時から神宮球場で試合があるという。相手は郁文館。

 体調を整えて応援に行きたいものだ。今日あたりから上向き加減だから夢物語ではない。

一緒に行ってくれるOBOGはいるか、な。


よじ登る

2013-04-18 06:24:28 | こどもたち 学校 教育
4月17日(水)晴 一時強風

昼前後に近所の散歩。家園~ヤオコー美術館~氷川神社~川越市役所~新河岸川遊歩道。


保育園の子どもたちの散歩風景に出会った。石垣を一生懸命よじ登る女の子。いいね。

午後になると一時強風が吹き付けてコリンゴの花びらは吹き飛んでしまった。


小散歩だが疲れが出たのか目の周りにクマができているといわれた。あとは寝てばかり。ちょっと元気の出ない一日だった。

良心の抵抗を押しつぶしてどうするつもりか 土肥元校長裁判

2013-02-08 06:40:34 | こどもたち 学校 教育

2月7日(木)曇り

高校の職員会議での採決を禁止した都教育委員会の通知を「不当」と訴えていた元・三鷹高校長の主張が再び棄却された。

生徒や教員の自由な言論が保障されなければ学校は死んでしまう。「採決禁止」は「学校の死」につながると僕は考える。

 退職して11年になるので学校の現実は何一つわからないが、石原都政下で進んだ教職員への管理統制の強化を裁判所も公認激励しているのである。無気力といじめを容認する雰囲気が職員室に蔓延してきているのではないか。

 心ある校長の問題提起をも「反逆」としか捉えられない行政と司法の硬直は日本の民主主義の脆弱さを示していて、危うい。


 

職員会議での採決禁止、都立高元校長の控訴棄却 TBS

都立高校の元校長が「職員会議での採決を禁止した教育委員会の通知は不当」と訴えていた裁判で、東京高裁は1審と同じく訴えを退けました。

 この裁判は、東京都教育委員会が2006年に出した「職員会議で教職員に挙手や採決をさせてはならない」との通知について、都立三鷹高校の土肥信雄元校長(64)が「教育への不当な支配にあたる」として1850万円の損害賠償を求めたものです。

 7日の控訴審判決で、東京高裁は「学校運営に責任を負う立場にない職員会議が重要事項を多数決で決定する実態があった」としたうえで、「通知には校長の学校経営を支援する目的があり、不当ではない」として、1審と同じく元校長の訴えを退けました。元校長が退職後、非常勤教員に採用されなかったことについても、「組織への協力も採用基準の重要な要素で、不合理ではない」としました。

 「全く他の意見を認めないとなれば、それは子どもにとって最大の不幸。『教育の主体は誰だ』と問いかけるのがこの裁判だと思う。最高裁で判断してもらいたい」(都立三鷹高校 土肥信雄元校長)
(07日17:41)

 

出典●http://www.labornetjp.org/news/2013/0207dohi

土肥さんを支援する人たちのHPを見ると「体罰」にかかわる土肥さんの見解を読むことができる。体罰を実行する同僚に手紙を書いて再考を求めたことがあるとか。実際にはなかなか難しい。尊敬できる人だということが良くわかる。

http://dohi-shien.com/html/


Rさん 高校合格おめでとう。

2013-02-04 08:47:49 | こどもたち 学校 教育

2月4日(晴れ)

Rさんが都立高校に合格したとの報がありました。北朝鮮を脱出して来日してから4年余り、日本社会の一員になる努力も並大抵ではなかったでしょう。健闘を讃え、心から「おめでとう」を言います。

 今日は立春。葦が「角ぐむ」頃だとか。大好きな「早春賦」をRさんに贈ります。


 

早春賦●http://www.youtube.com/watch?v=BlhV3BwDgvI

吉丸一昌の詩を声に出して読んでみましょう。「角ぐむ」は葦(あし)が芽吹く様子を表現した言葉です。

 

 早春賦(そうしゅんふ) 作詞:吉丸一昌 作曲:中田 章

春は名のみの 風の寒さや 

谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど 

時にあらずと 声も立てず 

時にあらずと 声も立てず


  氷融(と)け去り 葦は角(つの)ぐむ 

  さては時ぞと 思うあやにく 

  今日も昨日も 雪の空 

  今日も昨日も 雪の空   




春と聞かねば 知らでありしを 

聞けば急(せ)かるる 胸の思いを 

いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か


 吉丸の詩想は信州・安曇野で生まれたといいます。一昨年5月、「きいちご移動教室」でここを訪ね、春を迎える喜びをともにしました。また、一緒に行けるかな。 


 人生にも四季があります。青春・朱夏・白秋・玄冬。春を迎えようとする季節のワクワク、ドキドキ‥。玄冬期を迎えても忘れることはありません。Rさんをはじめ世界中の青春に祝福を送ります。春は忍び寄っています。


早春賦(安曇野)●http://www.youtube.com/watch?v=lZawuVwTxvo&feature=g-upl&context=G2e7fcc1AUAAAAAAAAAA

早春賦(東京放送兒童合唱団)●http://www.youtube.com/watch?v=n_vWpnYv2FA

 

 出典●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/e70388cc06617ba31df1ea619a4e0afa


桜宮高校入試中止もやむをえない

2013-01-20 06:20:14 | こどもたち 学校 教育

 1月19日(土)晴れ

 昼前に川越公園の林を歩いた。木が生えている部分の雪はすっかり消えているが日当たりのいい、斜面などに残雪がある。予期せぬことでちょっと?。病後の散歩だという方が入間川に鯉が泳いでいるのを教えてくれた。ただぼけっと眺めているだけの僕は7年間気づかなかったことだ。


 

 大阪の市立桜宮高校の入試中止を求める橋下市長の言動に批判が強いようだ。市議会のみならず、僕の知る人権派の古い知人たちもこれに和している。

 バスケット部やバレー部の「顧問」なる男たちの所業を読む限り、これは「体罰」などというものではない。「暴行」「処刑」などの言葉が浮かんでくる。大阪府警が今日に至るまで「暴行」「傷害」容疑で逮捕状を請求しないのが不思議なくらいだ。

 「バレー部でも体罰 生徒が克明に記録」 ●http://news.tbs.co.jp/20130115/newseye/tbs_newseye5232214.html

 この顧問の周りに蝟集する保護者や同業者、実態を知りながら黙認を続けてきた校長・府教委に重大な責任があることは言うまでもない。

 このような学校にいかなる存在理由があるのか、設置責任者である市教委の見解を聞きたいものだ。

 大阪の教員たちは「人権教育」の本場を自認していたのではないのか。このような顧問や学校のあり方はまさに「糾弾」されなければならない。どうなっているのか?人ひとりが死を強いられたというのにあまりにもノーテンキではないのか。

 橋下市長の強力なリーダーシップの下に進められてきた大阪市教育基本条例制定などの動きに僕は反対だが、ことここに及んで市長が提案している「桜宮高校体育科の入試中止」は責任あるものの当然の行為ではないかと思う。事なかれ主義でごまかされるのはもうゴメンだと心あるものは思うだろう。

 市長のtwitter での発言を読んでみた。


 

1月15日

桜宮高校体育科の入試中止については賛否両論がある。ただ、これは子どもに責任を取らせたわけではない。桜宮高校体育科が生徒を受け入れる状態ではないということ。実態解明も済んでおらず対応策も何も決まっていない。こんな状況で生徒を受け入れることはできない。

顧問の暴力を誰も止めることができなかった。周囲の教員も、生徒も、保護者も。そして生徒が死に至った。この実態解明、原因究明せずしてなぜ新入生を受け入れることができるのか。体育科を目指して頑張ってきた受験生には申し訳ない。しかし、今、桜宮体育科は新入生を受け入れる状態ではない。

中学校の現場から特に中学校長から、「受験生のことを考えているのか!」と声が上がっているらしい。そのままそっくり返す。桜宮高校のこの現状を、どこまで中学校の現場は知って進路指導していたのか。桜宮高校に求める生徒や保護者の期待の在り方そのものも問題だった

受け入れ態勢が整っていない学校に新入生を受け入れるわけにはいかない。在校生についてはそのまま継続。そして受験生には普通科枠の増員。これが混乱回避のギリギリのところ。生徒や受験生に責任を取らせたわけではない。

 なによりも実態解明。なぜ桜宮高校がこのような状態になってしまったのか。生徒や保護者意識も含めて解明する必要がある。その上で対応策。それができて、初めて活動再開。それまでは活動は停止だ。それが子どもたちのためである。
 

 
 

旧池袋商業高校の今 フランス人学校

2012-07-01 10:14:43 | こどもたち 学校 教育

7月1日(日)☁

木金と東京通いだったので少し疲れたようです。昨夜は風邪薬を飲んで休みました。

(旧姓)東田さん(81年3月卒業)が旧池袋商業高校を訪ねて写真を送ってくれました。ことし5月から東京国際フランス学園が開校したようです。

 旧校舎の骨格は変わっていません。体育館は昔のままで校庭には芝生が敷き詰められているそうです。東京ガス側の桜並木は健在で遊歩道が作られているとか。

 東京国際フランス学園のHP http://www.lfjtokyo.org/を見るとあの懐かしい校舎に今は小学生から中高生までフランス系の人々が学んでいます。9月からが新学年の始まりで6月で旧年度は終わったようです。

 P1000001.JPG P1000004.JPG

北区のコミュニティTVに狐塚商店街をフィールドワークするフランス人学校のこどもたちの様子が写っています。中華料理の金秀軒にも立ち寄ったかな。

 きつね塚が北Qテレビで放映中!

出典●http://ameblo.jp/rentalspace-artco/theme-10039216024.html

 


カンちゃんの一人旅日記

2012-04-04 08:47:57 | こどもたち 学校 教育

4月3日(火)☂嵐

 昨日の病院めぐりの疲れか一日ベッド生活。嵐にコリンゴの木が激しく揺れる。

カンちゃんからメールが届いた。

 

鈴木先生、倫子先生へ

   二日間本当にありがとうございました。

   初めて一人で川越まで行くので緊張しました。

   一日目に行った金勝山うんもうのお守りお姉ちゃんたちも喜んでました。

   プラネタリウムでの夏の星座鑑賞

   銀河鉄道の夜

   面白かったです。

   夜は僕のためにおいしいご飯や楽しいトランプをしてくれてありがとうございました。

   楽しかったです。

二日目は山を登ったり おいしい昼ご飯を食べて みかん狩りをしたところに行き

最後の日も楽しく過ごしました。

初めてざぼんを見たのでみんな驚いていました。とてもおいしかったです。

ありがとうございました。         

     カンより

 TVのない我が家です。カンちゃんは僕のiPhoneで遊んでいました。僕よりははるかにしっかり使いこなします。

「川越だより」も開いて読んでくれていました。今回の「後生畏るべし」はまだ読んでいないのかな?

文章に間違いが三つ。

①金勝山で拾ったのは「雲母」。「うんも」で「うんもう」じゃないよ。

②見たのは「春の星座」。「夏」じゃないよ。

③大きなみかんは「バンペイユ」。「ざぼん」には似ているが。

バンペイユが「おいしかった」。それは良かったね。大附みかん園はみかんの北限地です。熊本名物のみかん「バンペイユ」が本当に美味しく育つのか?ちょっと心配していたのです。

人生初の「一人旅」を楽しんでもらえて本当に良かった。

最後にお母さんからの「追伸」があった。

 「五月十九日から二十日のバス旅行に三人で行く事にしました。

よろしくおねがいします。」

第14回きいちご移動教室「富士と湖と桜と」。今度はみんなで楽しめるのか。

 1954年の今頃、僕は中学生になった。故郷の家族からひとり離れて高知市での下宿生活が始まった。一人旅の始まりだった、なあ。


 

 


 青森?光星学院

2012-04-03 15:56:23 | こどもたち 学校 教育

4月2日(月)☼

午前中、癌研有明病院で血液・CT検査 。夕方、歯科と接骨院。接骨院には初めて行った。右足の外反母趾がこのところ痛む。先生の見立てによれば僕のそれはかなりひどく直す手立てはない。それでも電気マッサージをかけてくれた。川越の人だが独身時代に沖縄・残波岬の近くの接骨師学校の教師をしたことがあるという。金城実さんのアトリエの近くかと思った

残波岬に建つ巨大なシーサー(金城実・作)の記憶はないという。

 

甲子園の選抜がいよいよ決勝戦になる。光星学院(青森・八戸)と大阪桐蔭高。野球専門学校同士の対戦でなんの興味もないが、光星学院のレギュラーメンバーの出身中学校を知ってなんともはや‥。

光星学院高校

1(右) A(沖縄・石垣市)   2(左) B(宮城・仙台市)   3(捕) C(大阪・狭山市) 

4(遊) D(大阪・堺市)    5(一) E(岩手・北上市)   6(三) F(大阪・八尾市) 

7(投) G(大阪・大阪市)   8(中) H(神奈川・川崎市) 9(二) I(大阪・堺市) 

東北・青森の代表として選抜されたのだが青森県の出身者は一人もいない。大阪府の出身者が5人いるので大阪代表というほうが事実にちかい。決勝は「大阪決戦」とも言える。

 僕の故郷の甲子園常連校「明徳義塾」も同じようなものだと聞いたことがある。高知県代表だが選手は大阪産。故郷を愛する僕だがこの学校を応援したことはない。親戚にも聞いてみたが‥。

青森の人はどうなんだろう?

甲子園が野球専門学校の大会になって盛り上がっているのは出場校の野球部関係者だけになっているのでは?そこへ来て「光星」や「明徳」のように地域と無関係な選手集めをする学校が増えた。これで「郷土の代表」とは‥。

僕の中では「甲子園」は夢・幻になってしまった。

こんな記事が見つかった。

甲子園準V 光星学院 不祥事の病巣

           (日刊ゲンダイ 2011年8月23日 掲載)

母校凱旋のその日、主力選手3人の飲酒発覚

<ベンチ入り18人のうち15人が県外出身者>

 今夏の甲子園で準優勝した光星学院の不祥事発覚にスポーツマスコミは大騒ぎだが、地元の青森では「さもありなん」と冷ややかな声が多い。
 記者会見した同校の法官新一校長によれば、部員3人が昨年12月に帰省した際に飲酒。そのことを自らインターネット上のブログに書き込んだ部員がいるとの指摘を外部から受けた学校が内部調査をした結果、3人の部員が事実を認めた。
「3人は先日の甲子園でプレーした主力選手で、いずれも県外出身者。光星学院は、高校球界でもえげつない選手集めをすることで有名で、この夏の甲子園メンバー18人のうち、青森県出身は3人しかいない。レギュラーはすべて大阪、沖縄からの野球留学選手。ブログに自慢げに飲酒の事実を書いた部員も大阪出身の選手です。学校の生徒集めに甲子園を利用するいわゆる野球学校。素行や偏差値は二の次で、とにかく野球のうまい中学生を全国からかき集めているから、地元では『いずれこういうことが……』という受け止め方をされているわけです。ブログには上級生の暴力についても書かれている。いずれにしても、青森県勢として42年ぶりの準優勝という快挙に完全に水を差しました」(地元関係者)
 甲子園での快挙達成後の不祥事発覚といえば、05年夏に甲子園連覇を果たした駒大苫小牧(北海道)が有名だ。優勝直後に指導者による部内暴力が発覚。翌06年春のセンバツ大会直前に今度は部員の飲酒が露見し、出場辞退に追い込まれた例がある。
プロ野球の西武による裏金問題が発覚した07年に、特待生制度や野球留学が併せて問題視された。高野連は学費免除などの特待生制度を禁じていたにもかかわらず、実際はほとんどの学校で採用されていて、高野連もそれを知りながら黙認していた。07年を契機に抜本的な改革をするとしたにもかかわらず、結局は『1学年5人以下が望ましい』との条件付きで容認した。経済的理由を抱える家庭もあって特待生イコール悪とはいえないが、問題を棚上げにしたままの高野連に、相次ぐ野球部員の不祥事の病巣がある」(アマチュア野球関係者)
 光星ナインはこの日の午前、八戸市内の母校に凱旋。
夢と勇気と感動をありがとう」との横断幕が掲げられる中、約600人の関係者、ファンに迎えられ、爽やかな笑顔を見せていた。その直後に明らかになった不祥事。8カ月も前の飲酒が甲子園直後に発覚する不自然なタイミングから、学校側が事実を把握しながら隠蔽しようとしていた可能性もある。問題は根深い。

 

出典●http://gendai.net/articles/view/sports/132211


聴きたくもない「甲子園」

2012-03-26 08:32:35 | こどもたち 学校 教育

3月26日(月)☼

 昨日は結局、一日中ベッド生活。曇りがちではだざむい。印象に残ったのは白鵬の逆転優勝くらい。甲子園の大会が続いているが興味を引き起こさない。

 高校生ぐらいまでは高校野球の中継もよく聞いた。黒沢尻・魚津・滑川(なめりかわ)・高鍋・日田など聞き慣れない学校の名前を通して地名を知り、その土地への親近感をもった。ラジオの中継もその学校の地元とつながっていた。「洲本」「飯田長姫」「海南」などの田舎の学校の大活躍に声援を送った。

 近頃はなんの楽しみもない。プロ野球予備軍のような野球専門学校の大会になってしまったからだろう。

「地球環境」という学校が「通信制高校」として甲子園初出場だと言うので学校のHPなどを見てみた。なんのことはない。「通信制」を悪用したにわか造りの「サッカー専門学校」「野球専門学校」ではないか?

その道では有名な指導者(監督)をスカウトして広域通信制の制度を悪用して東京・大阪・愛知などから生徒を集めている。あるブログにこうあった。指摘通りではないのか。

通信制高校の本義とはかけ離れている。要するに高校生の皮をかぶったセミプロ選手を養成しているのだ。他の学校よりも強くなるのは当たり前だ。」

出典●http://matome.naver.jp/odai/2132823082054883701

 高校のクラブ活動のひとつとしての「野球部」という原点がどこにあるのか。高野連というのはもはや野球利権団体というほかはない。

 朝日・毎日・NHKがいくら高校野球を美化しても甲子園から人心は離れていくだけだろう。選抜では「21世紀枠」などと称して「洲本」「石巻工業」「女満別」を出場させたが表面を糊塗するだけの小細工に過ぎない。

高校野球にはもともと問題が多く、「クラブ活動」の域を超えていると思ってきたが近頃は度を越してきた。春の楽しみがなくなってしまった。

 

 


最高裁宮川裁判官の反対意見 国旗国歌強制問題

2012-01-25 07:15:05 | こどもたち 学校 教育

16日の最高裁(第一小法廷・裁判官5人)の判決文の中から宮川裁判官の反対意見を紹介する。

東京都教育委員会が卒業式等において「君が代は歌えない」と静かに着席する教員に対し、懲戒処分を課し、定年後の再雇用を認めないなどの報復処分をすることを最高裁は追認する判決を出した。

 これは驚くべきことである。こんなことを許したら「学校」は死んでしまう。僕はそう考える。

「君が代の強制」に疑問を感じ、強権が発動された中でも静かに自分の意思を表明できる教師は今や「学校の寳」ではないのか。そんな多少でも「自分」を持つ人間を排除して成り立つ「学校」のおぞましさを想像できる裁判官が一人でもいたことは救いだ。

 宮川裁判官が指摘していることは人類普遍の原理として僕らが小学校で習ったことだ。ごくごく普通のことを言っているに過ぎない。だが、その原点に帰って民主主義と人権をこの国の社会と学校に確立する闘いを私たちひとりひとりが開始していかなければならない。

 

裁判官宮川光治の反対意見は,次のとおりである。

 多数意見は,本件職務命令は憲法19条(思想及び良心の自由)に違反せず,ま

た,第1審原告X4を除くその余の第1審原告らに対し戒告処分をした都教委の判

断は懲戒権者としての裁量権の範囲にあるとするが,私は,そのいずれについても

同意できない。なお,第1審原告X4に対する減給処分を裁量権の範囲を超えるも

のとした結論には同意できるが,理由を異にする。

 第1 本件職務命令の憲法適合性について

 1 原審は,第1審原告らがそれぞれ所属校の各校長から受けた本件職務命令に

従わなかったのは,「君が代」や「日の丸」が過去の我が国において果たした役割

に関わる第1審原告らの歴史観ないし世界観及び教育上の信念に基づくものである

という事実を,適法に確定している。そのように真摯なものである場合は,その行

為は第1審原告らの思想及び良心の核心の表出であるか少なくともこれと密接に関

連しているとみることができる。したがって,その行為は第1審原告らの精神的自

由に関わるものとして,憲法上保護されなければならない。第1審原告らとの関係

では,本件職務命令はいわゆる厳格な基準による憲法審査の対象となり,その結- 17 -

果,憲法19条に違反する可能性がある。このことは,多数意見が引用する最高裁

平成23年6月6日第一小法廷判決における私の反対意見で述べたとおりである。

なお,そこでは,国旗及び国歌に関する法律と学習指導要領が教職員に起立斉唱行

為等を職務命令として強制することの根拠となるものではないこと,本件通達は,

式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せられたものではなく,その

意図は,前記歴史観等を有する教職員を念頭に置き,その歴史観等に対する強い否

定的評価を背景に,不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制すること

にあるとみることができ,職務命令はこうした本件通達に基づいている旨を指摘し

た。本件では,さらに多数意見が指摘する「地方公務員の地位の性質及びその職務

の公共性」について,私の意見を付加しておくこととする。

 2 第1審原告らは,地方公務員ではあるが,教育公務員であり,一般行政とは

異なり,教育の目標に照らし,特別の自由が保障されている。すなわち,教育は,

その目的を実現するため,学問の自由を尊重しつつ,幅広い知識と教養を身に付け

ること,真理を求める態度を養うこと,個人の価値を尊重して,その能力を伸ば

し,創造性を培い,自主及び自律の精神を養うこと等の目標を達成するよう行われ

るものであり(教育基本法2条),教育をつかさどる教員には,こうした目標を達

成するために,教育の専門性を懸けた責任があるとともに,教育の自由が保障され

ているというべきである。もっとも,普通教育においては完全な教育の自由を認め

ることはできないが,公権力によって特別の意見のみを教授することを強制される

ことがあってはならないのであり,他方,教授の具体的内容及び方法についてある

程度自由な裁量が認められることについては自明のことであると思われる(最高裁

昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号6- 18 -

15頁参照)。上記のような目標を有する教育に携わる教員には,幅広い知識と教

養,真理を求め,個人の価値を尊重する姿勢,創造性を希求する自律的精神の持ち

主であること等が求められるのであり,上記のような教育の目標を考慮すると,教

員における精神の自由は,取り分けて尊重されなければならないと考える。

 個々の教員は,教科教育として生徒に対し国旗及び国歌について教育するという

場合,教師としての専門的裁量の下で職務を適正に遂行しなければならない。した

がって,「日の丸」や「君が代」の歴史や過去に果たした役割について,自由な創

意と工夫により教授することができるが,その内容はできるだけ中立的に行うべき

である。そして,式典において,教育の一環として,国旗掲揚,国歌斉唱が準備さ

れ,遂行される場合に,これを妨害する行為を行うことは許されない。しかし,そ

こまでであって,それ以上に生徒に対し直接に教育するという場を離れた場面にお

いては,自らの思想及び良心の核心に反する行為を求められることはないというべ

きである。音楽専科の教員についても,同様である。

 このように,私は,第1審原告らは,地方公務員であっても,教育をつかさどる

教員であるからこそ,一般行政に携わる者とは異なって,自由が保障されなければ

ならない側面があると考えるのである。

 3 以上のとおり,第1審原告らの上告理由のうち本件職務命令が憲法19条違

反をいう部分は理由がある。

 第2 懲戒処分の裁量審査について

 1 多数意見は,本件職務命令の違反を理由として,過去に同種の行為による懲

戒処分等の処分歴のない第1審原告らに対してなされた戒告処分(以下「本件戒告

処分」という。)は,懲戒権者としての裁量権の範囲を超え又はこれを濫用したも- 19 -

のとはいえないという。そこで,私も,本件職務命令の憲法適合性に関する判断を

留保し,また,本件戒告処分自体も憲法19条に違反する可能性があるが,その判

断を留保し,その上で,本件の懲戒処分に係る裁量審査に関し,私の反対意見を述

べる。以下,2において考慮すべき諸事情のうち第1審原告らの行為の原因,動機

及び行為の態様と法益の侵害の程度について述べ,3において本件では戒告処分は

実質的にみると重い不利益処分であることを指摘し,4において他の非違行為に対

する処分及び他地域の処分例と比較すると不公正であることを述べる。

 2 第1審原告らの不起立行為等は,「日の丸」や「君が代」は軍国主義や戦前

の天皇制絶対主義のシンボルであり平和主義や国民主権とは相容れないと考える歴

史観ないし世界観,及び人権の尊重や自主的に思考することの大切さを強調する教

育実践を続けてきた教育者としての教育上の信念に起因するものであり,その動機

は真摯であり,いわゆる非行・非違行為とは次元を異にする。また,他の職務命令

違反と比較しても,違法性は顕著に希薄である。

 第1審原告らが抱いている歴史観等は,ひとり第1審原告ら独自のものではな

く,我が国社会において,人々の間に一定の広がりを有し,共感が存在している。

また,原審も指摘しているが,憲法学などの学説及び日本弁護士連合会等の法律家

団体においては,式典において「君が代」を起立して斉唱すること及びピアノ伴奏

をすることを職務命令により強制することは憲法19条等に違反するという見解が

大多数を占めていると思われる。確かに,この点に関して最高裁は異なる判断を示

したが,こうした議論状況は一朝には変化しないであろう。

 第1審原告らの不起立行為等は消極的不作為にすぎないのであって,式典を妨害

する等の積極的行為を含まず,したがって,式典の円滑な遂行に物理的支障をいさ- 20 -

さかも生じさせていない。法益の侵害はほとんどない。

 3 第1審原告らは,最初の不起立行為等で本件戒告処分を受けたのであるが,

その処分が第1審原告らに与える不利益については過小評価されるべきではないと

思われる。確かに,戒告処分は法の定める懲戒処分の中では最も軽いが,処分を受

けると,履歴に残り,多数意見も認めるとおり勤勉手当は当該支給期間(半年間)

において10%の割合で減額され,昇給が少なくとも3か月延伸される可能性があ

り,その延伸によりひいては,退職金や年金支給額への影響もあり得る。そして,

東京都の教職員は定年退職後に再雇用を希望するとほぼ例外なく再雇用されている

が,戒告処分を受けるとその機会を事実上失い,合格通知を受けていた者も合格は

取り消されるのが通例であることがうかがわれる。

 都教委は,不起立行為等をした教職員に対し,おおむね1回目は戒告処分,2回

目は1か月間月額給与10分の1を減ずる減給処分,3回目は6か月間月額給与1

0分の1を減ずる減給処分,4回目は停職1か月の停職処分等という基準で懲戒処

分を行っていることがうかがわれる。毎年度2回以上の卒業式や入学式等の式典の

たびに懲戒処分が累積加重されるのであるから,短期間で反復継続的に不利益が拡

大していくのである。戒告処分がひとたびなされると,こうした累積処分が機械的

にスタートする。

 以上のとおり,実質的にみると,本件では,戒告処分は,相当に重い不利益処分

であるというべきである。

 4 教職員の主な非行に対する標準的な処分量定(東京都教育長決定)に列挙さ

れている非行の大半は,刑事罰の対象となる行為や性的非行であり,量定上それら

に関しても戒告処分にとどまる例が少なくないと思われる。原審は,体罰,交通事- 21 -

故,セクハラ,会計事故等の服務事故について都教委の行った処分等の実績をみる

と,平成16年から18年度において,懲戒処分を受けた者が205人(うち戒告

が74人)であるのに対し,文書訓告又は口頭注意といった事実上の措置を受けた

者が397人,指導等を受けた者が279人となっており,服務事故(非違行為)

と認められた者のうち懲戒処分を受けたのは4分の1にも満たないとし,これによ

れば,戒告処分であっても,一般的には,非違行為の中でもかなり情状の悪い場合

にのみ行われるものということができるとしている。

 さらに,不起立行為等に関する懲戒処分の状況を全国的にみると,懲戒処分まで

行っている地域は少なく,例えば神奈川県や千葉県では,不起立行為等があって

も,またそれが繰り返されていても,懲戒処分はされていないことがうかがわれ

る。

 このように比較すると,本件戒告処分は過剰に過ぎ,比例原則に反するというべ

きである。

 5 以上を総合すると,多数意見がいう不起立行為等の性質,態様,影響を前提

としても,不起立行為等という職務命令違反行為に対しては,口頭又は文書による

注意や訓告により責任を問い戒めることが適切であり,これらにとどめることなく

たとえ戒告処分であっても懲戒処分を科すことは,重きに過ぎ,社会通念上著しく

妥当性を欠き,裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用するものであって,是認す

ることはできない。この点に関する原審の判断は相当である。

 第1審原告X4については,多数意見は減給処分の取消請求を認容した原審の判

断を是認することができるとしており,結論において同じとなるが,上記のとお

り,私の意見は理由を異にする。なお,多数意見は,過去の処分歴に係る非違行為- 22 -

がその内容や頻度等において規律や秩序を害する程度の相応に大きいものであるな

どの場合は,減給処分が裁量の範囲にあるものとされる可能性を容認していると思

われる。そうであるとすると,前述のとおり式典は毎年度2回以上あり,不起立行

為等を理由とする戒告処分は短期間に累積されていくのであるから,ある段階では

減給処分がなされる可能性がある。多数意見は,起立斉唱行為に係る職務命令は思

想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることを認めていることに

鑑みると,ただ単に不起立行為等が累積したにすぎない場合に減給処分が裁量の範

囲にあるものとされる可能性を容認することは,相当でないと思われる。

(裁判長裁判官 金築誠志 裁判官 宮川光治 裁判官 櫻井龍子 裁判官   

横田尤孝 裁判官 白木 勇)

 出典●最高裁判決(全文)http://okidentt.sakura.ne.jp/hinokimi/2012saikousaihanketsu/2012saikousaihanketsu.pdf

 

 


最高裁が決めた処分基準 国旗・国歌強制問題

2012-01-17 09:27:08 | こどもたち 学校 教育

 

最高裁判所は昨日(16日)、学校の卒業式などにおいて日の丸・君が代の強制に不服従の意思を示し着席する教員に対する処分基準を「判決」と称して発表した。

東京高裁段階では「懲戒処分は不当で無効」から「減給」「「停職」まで判断が大きく別れていた。 

最高裁の決めた基準は懲戒処分を妥当とするもので例え度重なっても「減給」や「停職」は「慎重に」というものだ。宮川光治裁判官だけは懲戒処分そのものに反対の少数意見。

 僕の目には司法の一員たる衿持を保つ裁判官は宮川さんだけであとの4人は行政権や立法権を併せ持つ「お上」そのものに見える。

この問題の背景には今日の世界情勢の中で学校教育の目的をめぐる大きな対立がある。国権重視と民権重視の対立という側面もある。

僕の考えはしばらく置いて今日は「毎日」と「産経」の社説を紹介します。見つかり次第、宮川裁判官の意見も紹介します。読者が今この国

にどんな教育が必要かと考える資料にして欲しいと思います。大阪では「教育基本条例」を作って不服従に「免職」をもって対応しようとして

います。ただならぬことです。

 

毎日新聞社説:日の丸・君が代判決 行き過ぎ処分には警鐘

 学校の式典で、日の丸に向かって起立せず、君が代を斉唱しなかった教職員を懲戒処分にするのは妥当か。東京都立学校の教職員が処分の取り消しを求めた訴訟で、最高裁が具体的な考え方を初めて示した。

 結論としては、学校の規律や秩序保持などの見地から重すぎない範囲で懲戒処分をするのは、懲戒権者の「裁量権の範囲内」というものだ。

 では、どういう場合が重すぎるのか。最高裁は「戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択するに当たっては、慎重な考慮が必要となる」と指摘して、まず線引きをした。

 さらに、停職処分については「直接の職務上、給与上の不利益があり、昇給にも影響が及ぶ。式典のたびに懲戒処分が積み重なると、不利益が拡大する」と指摘。学校の規律や秩序の保持と処分による不利益の内容を比較し、「停職処分が相当だという具体的な事情が必要だ」とした。具体的な事情は、過去の処分歴や本人の態度などから判断するのだという。そして、最高裁は停職と減給処分を受けた2人の処分は取り消しが妥当と結論づけた。その点を都教委は重く受け止めるべきだ。

 一方で、戒告処分の教職員について、判決は処分を妥当だとした。1度の不起立行為での戒告処分も認めた。要するに「行き過ぎ」はいけないということだろう。

 都教委は03年、「式典の際に教職員は国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること」と通達した。また、校長に職務命令を出すよう指示し、違反者に次々と懲戒処分を科して処分件数は400件を超える。

 だが、そもそも教育現場で、力で抑え込むような指導が妥当なのかは疑問が残るところだ。生徒らの入学や卒業を祝う式典の場ではなおさらではないだろうか。

 学校で君が代斉唱を巡り処分が相次ぐようになったのは、99年に国旗・国歌法が成立した影響も大きいだろう。だが、当時の小渕恵三首相が国会論議で述べたように、個々人に強制するものであってはならない。

 最高裁は昨年、君が代斉唱時に起立を命じた校長の職務命令が合憲だとした判決で「君が代の起立・斉唱行為には、思想・良心の自由に対する間接的な制約となる面があることは否定し難い」と述べた。たとえ戒告処分であっても慎重に判断すべきなのは当然だ。判決を「より軽い処分」のお墨付きにしてはならない。

 大阪府では昨年、公立校教職員に君が代の起立・斉唱を義務づける全国初の条例が成立した。府議会には、「常習的な職務命令違反者」の分限免職も規定した教育基本条例案が提出されている。最高裁の判決の内容も踏まえて議論してもらいたい(毎日新聞 2012年1月17日 2時31分)

 

 

【主張】
国旗国歌判決 悪質違反は厳しく処分を

2012.1.17 03:36 [産経新聞主張

 最高裁で学校行事での国旗国歌をめぐる3件の判決が下された。国歌斉唱の際、起立しなかった教師に対する東京都の処分を不当とした2審判決を破棄するなど、大筋で妥当な判断である。しかし一方で、停職や減給を行き過ぎとした一部判断には疑問が残る。

 3判決では、国旗国歌への指導や教師への職務命令について昨年5月以降の最高裁判決を踏襲し、改めて合憲と判断した。そのうえで懲戒処分のうち最も軽い「戒告」に問題はなく、昨年3月、教職員約170人への戒告処分の取り消しを命じた2審・東京高裁判決を破棄し、処分を有効とした。当然である。

 ところが戒告よりも重い「停職」や「減給」などについては裁量権の逸脱を一部認め、処分の取り消しを命じた。国旗の引き下ろしやゼッケンの着用、文書配布といった積極的な妨害や抗議行動などがない場合、停職や減給処分まで科すのは違法という判断だ。教育委員会に抑制的で慎重な対応を求めたといえる。

 だが、停職処分が取り消された教師は過去2年間で3回、不起立により処分を受けている。積極的な妨害はしていないといっても、校長による再三の指導や処分にも一向に耳を貸さず改めなかった。判決がこうした実態を踏まえなかった点は残念だ。

 指導を無視し続けた結果、処分が重くなっていったのは当然である。そもそも卒業式など厳粛な式典の雰囲気を壊し、児童生徒に及ぼす悪影響を考えると、停職1カ月の処分はむしろ妥当で、「公務員は身分が守られ過ぎている」と感じる国民は多いだろう。

 大阪府では再三の職務命令にも従わない教職員について、処分を明確にする条例が検討されている。処分に高いハードルを課す今回の最高裁判決によって、条例化の作業自体が停滞する恐れもある。さらに各地の教育委員会が処分をためらい、見て見ぬふりをしている教育界の悪弊が一層強まることも危惧される。

 国旗や国歌を大切にするのは国民の素養だ。子供たちにも、きちんと教えなければならない。ところが学校では、長年にわたって国旗や国歌を政治闘争や裁判闘争の道具とする教師勢力がおり、さまざまな弊害がもたらされてきた。教育委員会には、さらなる毅然(きぜん)とした対応を求めたい。

関連「川越だより」

 「都教委の処分は職権濫用」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/b57c92cab11803c3398b39a02023b3eb

 「宮川裁判官の少数意見を支持する」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/2ef915a55703b1983cee9d3bf32292a7

 「『故郷』をもうひとつの国歌に」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/92f7f41a1714996a070cd8798ad04b6f

 

 

 


小西豊著『ボチボチ力のすすめ』①

2011-11-23 05:18:00 | こどもたち 学校 教育

11月のはじめに高知のコニヤンが出版したばかりの自著を届けてくれました。「今日も笑顔でボチボチです」という合い言葉と似顔絵付きのサイン入りです。

イメージ 1

 旅から帰ってボチボチ読んでいるところです。読書の習慣がなくなってゆっくりゆっくりです。どういうわけか病院の行き帰りの電車の中が一番集中して読めます。

 中学校の管理職を1年で辞めて不登校の中学生と付き合う道を選んだコニヤン。彼らとキャッチボールを共にする中で身に付けた「ボチボチ力」。元気を恢復したコニヤンの思索は今や一冊の本となって私たちの眼前に現れました。

 「競争と管理」のただ中にあって希望を見失いそうになっているあなた、それでもかけがえのない「自分」を殺されてはたまらないと悪戦苦闘しているあなた。 中学生から熟年まで、そんな友人たちに僕はこの本を推薦します。心から。

 400頁近い大冊が1000円で読めるというのですから驚きです。購入申し込みは

 「たんぽぽ教育研究所」(osaki@tanpopo-k.net 電話 088-855-4546 )か、鈴木啓介(keisukelap@yahoo.co.jp  電話 049-224-4646)へ。高知の「富士書房」以外は本屋では買えません。

この本について思いついたことを時々紹介します。

 今日はこの本を編集・発行した大崎博澄さんの「あとがき」です。高知県の教育長をやめたあと「たんぽぽ教育研究所」を主宰して不登校のこどもやその親たちの相談相手になっています。僕がもっとも尊敬する友人の一人です。

編集者あとがき

 

 小西先生に自分から本を作らせてくださいとお願いして引き受けておきながら、編集作業に二年もかかってしまったこ

 

  とを、まずお詫びしなければなりません。よく気長に待ってくださいました。コニヤン、ありがとう。感謝です。


なにしろ小西先生は、毎日膨大なブログを書いておられ、そのどれもが質が高いので、本に入れたい原稿の量が膨

 

大でした。加えて、病人を抱えたぼくの家庭の事情で、作業ができる時間は、ぼくがたんぽぽ教育研究所にいる時

 

に限られました。そのたんぽぽが、ありがたいことですが、思いのほかお客様も仕事も多くてとても忙しい、というような

 

物理的な言い訳がひとつあります。


さらに、もっと大きな問題は、小西先生の日々進化する膨大な思索の成果を、どんな風に体系化するか、という

 

、いささかぼくの手に余る難事業がありました。これは、毎日届くたくさんのお便りに返信を書いているうちに、ごく自

 

然に考え方がまとまって来ました。


家庭訪問、日々の声かけ、学習支援、スポーツ交流などを通じて、子どもと教師の信頼関係づくり、子ども達の

 

心の耕し、自分づくり、肯定脳づくりを目指す、微に入り細をうがった取り組み、支援の実際の記録、小西先生の

 

活動のありのままが、まず語られねばならない。第一章は、不登校児童の支援に実際に汗をかいている現場の

 

先生方に、考え方においてもスキルの面でも、おおいに役立つだろうと思います。


コニヤンの凄いところは、そこにとどまらないことですね。そこまでなら、この本は、学校に行けない子ども達の支援に半

 

生を捧げた熱血教師の汗と涙の実践記録ということになるのですが、コニヤンは、不登校の子ども達への支援のあ

 

り方を掘り下げ、進化させていく中で、教育の本質にたどり着いているのですね。


だから、不登校の支援のあり方を援用して、学力問題の解決策を提起できるのですね。不登校もイジメも学力問

 

題も学級・学校崩壊も、すべての教育課題は別々の問題ではない。原因もひとつ、だから対策もひとつなんです

 

ね。不登校を追究することで、すべての教育課題の解決の展望を開いてみせてくれるのが第二章です。

 

 コニヤンはしかし、そこにもとどまらないでさらに進化をとげる。なんと教師としての生き方、人間としての生き方を変え

 

ていく。


 自己変革なんてことは、言うべくして誰にもできないことだけど、コニヤンは自らのウツや強迫神経症的資質を否定せ

 

ず、むしろ積極的に受け容れることで、自分に合ったペースで自分の人生を歩く、「ボチボチ力」という生き方にたどり

 

着きます。


ぼくは、森田療法の創始者である精神科医、森田正馬と重なる東洋哲学的な思想性をここに感じます。第三章

 

は、自己変革に挑み続けるコニヤンの自分史ですね。

 

 こんな風に書くと、ずいぶん難しそうな本と受け止められそうですが、コニヤンの文章はすべて実践に裏付けられてい

 

て、しかも話し言葉、語り言葉で書かれているのでやさしくて分かりやすいですね。

 

 二十五万字の大冊を校了して、ぼくは今、とても大きな幸せをかみしめています。巷に読物はあふれていますが、読

 

む価値のある本は少ない。その人にしか語れないことが、誰にも分かるやさしい言葉で書いてある本、それが読む価

 

値のある本です。この本は、コニヤンにしか語れないことが、誰にも分かるやさしい言葉で書いてある。読む価値

 

のある本の誕生に立ち会えたことが、嬉しくてたまらない。

 

 

 不登校は当事者や家族、個人の責任ではありません。今や、小中学生から高校生、大学生、社会人にまで広が

 

る社会現象、社会病理です。その背景には、弱肉強食、格差の拡大を無制限に許容する、心のつながりを失った

 

過酷な競争社会があります。


 そういう社会をどうやってもう少し温かいものに変えてゆくか。私たちみんなが問われているのが二十一世紀という時

 

代です。


 コニヤンの「ボチボチ力」は、その問いに応える確かな展望をぼくに与えてくれます。


  ああ、感謝!!

2011年9月19日たんぽぽ教育研究所 大崎博澄

 


川合川越市長の「教育基本条例」見解を支持します

2011-11-16 20:47:52 | こどもたち 学校 教育

昨日届いた11月10日付の「広報川越」に川合善明川越市長の「教育について」という一文が載っています。その中で川合市長は大阪府の橋下前知事らが推進する「教育基本条例案」に「大きな危惧」を表明されています。

 穏やかで極めて常識的な見解だと思いますが、僕は心から同感し、市長に敬意を表します。学校や教育の抱える歪みは頂点に達しているのかと思うほどです。ひとりひとりのこどもと向き合う原点からの取り組みが教員や親に求められています。行政はそれを支援しなければなりません。

 川合市長の見解は抽象的ではありますが教育の原点を確認し、関係者の「不断の努力」を励ますもので時宜にかなっていると思います。

 大阪府市はこの条例案をひとつの争点として首長選挙の真っ最中です。大阪府教育委員のほぼ全員がその職をかけて「反対」の意思を表明しています。こんなことを許したら学校は知事の私塾になってしまいます。

 全国各地の自治体の首長や教育委員はどう考えているのでしょう。今こそ「大きな危惧」を表明して市民の教育への関心を呼び覚ます時ではないでしょうか。

 

 

市長からの手紙(17)教育について

(略)ところで最近、「教員を査定して最低ランクの評価を 

2年連続して受け、更に一定の指導等の手続きをしても

、改善見込みがなければ分限処分で免職できること」や

「高校の校長をすべて任期付きの職員とし、マネジメン

ト力の高さを基準に選任すること」などの内容を定めた

条例を作ろうとしてる自治体があります。

 最近の新聞にこの条例案の作成者のインタビュー記事 

が載っていました。その発言を見ても、この条例は「教

育とは知育に尽きる」という極めて割り切った、単純な

考えに基づく条例案のように、私には思えます。

 確かに知育は重要です。しかし、学校が単にテストで 

良い点を取れる子どもをつくる場であるべきではないこ

とは誰でも分かっていることです。知育偏重体制の学校

を、しかも、少々強引な手法で作ろうとしている状況に

、大きな危惧の念を抱きながら注目しています。

 本市の学校では、将来の川越を担う子どもたち一人ひ 

とりが、知育だけに偏らずバランスよく豊かな人間性を

育んでいけるような教育に取り組んでいます。

 

 関連「川越だより」・「大阪府教育委員の見解」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/2bad10f083897481413b62f7f8154958