集会のお知らせ二つです。
◆ シンポジウム『一刻も早く日本人妻等の救出を・日本人妻の斉藤博子さんは訴える』
北朝鮮帰国運動で北朝鮮に渡った日本人妻の多くは、「日本へ帰りたい」という願いを果たせずに亡くなった。現在、無念の死を迎える人たちが増えており、高齢の日本人妻の救出は緊急を要する。「日本の土を踏んでから死にたい」という日本人妻の願いを叶えるために…いま我々は何をなすべきか。
◆日時: 4月19日(土) 13時30分~16時15分
◆会場: 港区勤労福祉会館 第一集会室
◆プログラム:
Ⅰ.坂中英徳と神田真実が語る北朝鮮帰国者問題
Ⅱ.パネルディスカッション
コーディネーター 河明生
パネリスト
斉藤博子(日本人妻)
石原進 (外国人政策研究所理事)
神田真実(脱北帰国者支援機構相談員)
坂中英徳 (脱北帰国者支援機構代表)
◆参加費: 無料(先着100名まで)
◆主催: 脱北帰国者支援機構
◆連絡先: 03-6662-5230 事務局まで
1960年頃、帰国運動の熱狂の中で北朝鮮に帰った在日朝鮮人に付き添っていった日本人女性達のことです。2・3年すれば一時帰国ができるという話を信じて夫についていったとのことです。「日帝」の血を引く者として社会の最底辺に位置づけられ、すでになくなった方が多いようです。
日本人の保護は日本政府の義務です。拉致被害者と同様、これらの方々の消息を確かめ、日本への帰国の道を切りひらかなければなりません。
脱北帰国者支援機構は元東京入管局長の坂中英徳さんが中心になって設立されました。日本政府の役人が退職後、市民運動を始めたのです。設立時から僕も一会員です。19日は受付の手伝いをします。ご都合のつく方は足を運んでください。
脱北帰国者支援機構HP
http://kikokusyashien.com/003.html
もう一つ、集会の案内です。
コメント欄に勝義さんがシンさんの本『収容所に生まれた僕は愛を知らない』(KKベストセラーズ)について感想を寄せてくれました。勝手ながら紹介します。
『収容所に生まれた僕は愛を知らない』の感想を記します。読みながら付箋をつけた箇所を辿りながら。
・「ダム建設現場での大惨事」……「1999年3月のある日、水を堰き止めるコンクリートの堤防の上で、左官3人と彼らを補佐していた13歳の女の子3人、そして男の子2人が働いていた。(中略)コンクリートの壁が崩れ落ちるのを、私は目の前で目撃した。私は叫んだ。『おい、おい、おい……!!た、倒れる、倒れる!!』しかし、すでに時は遅く、そこで働いていた左官と男女生徒の8人が、コンクリートの壁とともに30メートルの高さから墜落し始めた。結果は言うまでもない。彼らは数十トンのコンクリートの下敷きになり、形もわからないほど押し潰された。それでも私たちは、彼らの遺体を片付けることができなかった。保衛員たちが『今している仕事を続けろ』と言うからだ。しかし、建設現場で誰かが死んだからといって、悲しんで涙を流す人はいない。ただ自分の命がまだあることだけを確認して、もう一度自分の持
ち場で働くだけだ」……この書は、こういう悲惨な体験に満ちています。なぜ闘わないのか、暴動を起こさないのか、逃げ出さないのか。読み進めるうちに、恐ろしい暴力装置(虐待・拷問・公開処刑など)と戦慄的な監視体制(密告制度や強制的な相互批判など)とともに、邪悪な「心の鎖」が見えてきます。「お前たちは罪を犯した。だからこの土地で一生労働することによって罪を償うのだ」という執拗な刷り込み。人々にとって一辺数十キロの四辺形のようなこの土地の現実と、自分は罪人(なぜかわからぬが)なのだという認識が全てです。自由に考えることもできず、「ここより他の場所」を夢見ることもできないそら恐ろしさ!
・「温かい看護を受け奇跡的に回復」……収容所内の男女の間に生まれた筆者シン・ドンヒョクさんは、13歳の時に、残虐な火あぶりの刑を受けます。そのとき一人の人物に出会います。火の拷問のために熱があって食欲がなかったドンヒョクさんに、自分の食事を差し出してその人は言います。「『お前はまだガキでちっこいから、まだ生きる日も多かろう。ねずみの穴にも日が昇る日があるとか。熱心に食べて生きなさい』
私はまだ幼くて希望があるから、具合が悪くても飯をちゃんと食べれば傷もはやく治って、いつか明るい日も見られるだろうと、おじさんは言うのだ。真明(シンミョン)おじさんは『まだ幼いのだから、よい世の中を見なければ』とか、『空が崩れても生き残る道がある』などと、私の力になる言葉を続けてくれた。その言葉に力を得て、私は無理にでも飯を食べるようになった」 筆者は続けて「おじさんを殺さずに、仕事もさせず、ただ監房の中にだけ20年間も閉じ込めているのは、おじさんが当代の大人物であったからではないか」「おじさんの人に対する態度は、かつて何かを多く学んだ人のように見えた」と書いています。このような地上の地獄の中でもなお人間であろうとする人がいる、そして僕(ら)は収容所に呻吟する人々と同時代を生きている……「感動」と呼ぶのも軽々しく思われるような深く厳粛な思いが僕を捉えていました。
父親が心を開いて語った言葉も印象的です。「『お前は機会があったら、世の中がどんなものか見てみるべきだ。私にも、そんな暮らしをしたときがあった…』
父は私に、どんな方法を使ってでも収容所を抜け出して、外の世界を知って、一族を絶やさずに引き継いでくれと言った」
・脱出へ……シン・ドンヒョク青年に大きな影響を与える人物が現れます。「朴課長」とシンさんが呼ぶ人物は、シンさんの「麻痺した意識を覚醒してくれて」一緒に脱出を試みることになります。北朝鮮の実情や韓国に関する情報を率直に語る朴課長に「真心」を感じたシンさんが、しだいに「ここより他の場所」へとこころを膨らませてゆくプロセスは、こちらも胸が熱くなりました。(いきなりはしょりますが)脱出後に彼が見た北朝鮮・中国・韓国の印象も正直に語られています。ぼくには次の言葉が特に重く響きました。「二つの体制下で生きてきた私は、民主主義がどれほど人間の意識を覚ましてくれるのかを、本当に感じることができた」 そしてソウルの街角で見た労働者、学生のデモ行進への驚嘆を語ります。彼の中で「民主主義」は輝ける価値として存在しています。
長くなりましたのでまとめます。ぼくはこの本を大きな問いかけとして読みました。
「収容所に生まれた僕は愛を知らない」と言うが、この苦難の中でも「人間性」を失わなかったこの青年はすでに「愛を知っている」のではないか? ならばぼくはどのような「愛を知っている」だろうか? また、この収容所の人たちは「一辺が数十キロの四辺形の現実と、『お前は罪人なの』だという執拗な刷り込みに縛られている」と書いたが、ぼくも形は違うにせよ、ある種の「刷り込み」の中にいて、囚われずに自由に考えることを失ってはいないか? シンさんの中で「民主主義は輝ける価値としてある」と書いたが、ではぼくは「民主主義」を日々大切に行使しているだろうか? 矢継ぎ早に問いかけが飛んできます。目を洗いなおされる気持ちでした。自分の立ち位置を確認させてくれる一冊でした。
それともう一つ。シンさんの行動を突き動かしたものが、シンミョンおじさんの温かさと知性、父親の情愛、朴課長の豊富な情報だったことです。これからの北朝鮮を考える上で、示唆的だと思いました。
そのシン・ドンヒョクさんが証言されます。12日に池商71年卒業の方々のクラス会があり、僕は残念ながら13日は休養です。よろしかったらシンさんにお会いしてみてください。25歳の青年です。
NO FENCE IN NORTR KOREA (北朝鮮強制収容所をなくするアクションの会)
発足記念発表会
08. 4月13日(日)10:00am~4:20pm 午前の部(発足報告)、午後の部( 記念講演)
記念講演、
申東ヒョクさん
キムテジンさん
カンチョルハンさん
安明哲さん
[会場] 星陵会館ホール (地下鉄永田町駅6番出口)
参加費 千円 学生500円
主催
NO FENCE IN NORTR KOREA (北朝鮮強制収容所をなくするアクションの会)
東京都千代田区平河町1-5-7-203 tel / fax 03-3262-7473
共同代表 小沢木理、砂川昌順
インタネットhttp://www.netlive.ne.jp にて同時中継。