四国の旅のメモの続きです。
11月21日(土)晴れ
小豆島でゆっくりしたため愛媛県中央市の恵康病院着は暗くなってから。鄭秀男さんがいつものようににこやかに迎えてくれる。初めて訪ねる姉に細やかな配慮をされるのが心に残る。
インフルエンザの蔓延で病院を空けるわけにはいかず、病院に隣接した自宅のキッチンで交流する。近年ますます学ぶことが多く、医者が楽しくなったと聞いたのは前回訪問時だが、顔色もよく充実した活躍ぶりが伺われる。しかし、派遣医の引き揚げで地域医療の困難は増しているという。
夜になっても患者さんの対応に追われる先生と別れて私たちは土居駅近くの蔦廼家(つたのや)さんで瀬戸内の魚料理の接待を受けた。中学の同級生だった鄭くんと交流が始まって二十数年になるが近年はゆっくり飲み交わすというのが難しくなった。地域医療の最前線にますます余裕がなくなったということだろう。先生にはそれを楽しんでいる?風情もあるが…。
恵康病院http://keikouhosp.ftw.jp/
11月22日(日)曇りのち雨
病院でしばらく交流した後、祖谷渓を見学して高知へ。室戸に帰る姉を見送る。3時過ぎホテルに車をおいて、土電で鏡川をわたって土佐高校裏の「太助」へ。
主人の彰人さんと奥さんが待ち受けていてくれる。従姉もきてくれた。
焼いてくれる牛肉の味が、普段は縁のない上物であることがぼくにもわかる。キスの丸焼きも格別だ。いつになくビールがおいしい。
彰人さんは高校の先輩であり、遠戚にもあたる。父上には中高の保証人になっていただいた。ぼくが帰高するたびに接待してくれ、励ましを受ける。
大学を出てから、新宿・西口の朝鮮料理・明月館で修業し、いつの頃からか自宅で「太助」を開業した。
12月14日の新潟での追悼集会の案内を渡すと1960年代初めの話をしてくれる。北に「帰る」家族と残る家族の分裂・離散の悲劇についてである。この数十年間心を痛めてきた人がぼくの近くにもいたのだ。
彰人さんのそばにいるとこの人は「高知のふんどし」じゃないかと思わされる。焼き肉屋の主人だが長い間、民生委員をやってこられた。
担当してきた一人一人との関わりがただごとではない。ぼくのように口先だけではなく、手足と頭を総動員して世話をし、自立をとことん助けている。
それでも地域社会と家族の崩壊に手のつけようはなく、個人の活動の限界は明らかだ。行政の担当者のお役所仕事への批判は厳しい。
ぼくはただ聞くだけだが、この兄(に)やんはただ者ではないなあと思ったり、励ましを受けている自分がいることに気づく。
後輩であるということはありがたいことである。こうして思い切りかわいがってもらえるのだ。
高知の友人たちが「太助」を利用したとき、この兄やんと出会ってくれることをぼくは願っている。
炭火焼き・太助 http://www.sairatown.com/town/diary-000095.shtml
11月21日(土)晴れ
小豆島でゆっくりしたため愛媛県中央市の恵康病院着は暗くなってから。鄭秀男さんがいつものようににこやかに迎えてくれる。初めて訪ねる姉に細やかな配慮をされるのが心に残る。
インフルエンザの蔓延で病院を空けるわけにはいかず、病院に隣接した自宅のキッチンで交流する。近年ますます学ぶことが多く、医者が楽しくなったと聞いたのは前回訪問時だが、顔色もよく充実した活躍ぶりが伺われる。しかし、派遣医の引き揚げで地域医療の困難は増しているという。
夜になっても患者さんの対応に追われる先生と別れて私たちは土居駅近くの蔦廼家(つたのや)さんで瀬戸内の魚料理の接待を受けた。中学の同級生だった鄭くんと交流が始まって二十数年になるが近年はゆっくり飲み交わすというのが難しくなった。地域医療の最前線にますます余裕がなくなったということだろう。先生にはそれを楽しんでいる?風情もあるが…。
恵康病院http://keikouhosp.ftw.jp/
11月22日(日)曇りのち雨
病院でしばらく交流した後、祖谷渓を見学して高知へ。室戸に帰る姉を見送る。3時過ぎホテルに車をおいて、土電で鏡川をわたって土佐高校裏の「太助」へ。
主人の彰人さんと奥さんが待ち受けていてくれる。従姉もきてくれた。
焼いてくれる牛肉の味が、普段は縁のない上物であることがぼくにもわかる。キスの丸焼きも格別だ。いつになくビールがおいしい。
彰人さんは高校の先輩であり、遠戚にもあたる。父上には中高の保証人になっていただいた。ぼくが帰高するたびに接待してくれ、励ましを受ける。
大学を出てから、新宿・西口の朝鮮料理・明月館で修業し、いつの頃からか自宅で「太助」を開業した。
12月14日の新潟での追悼集会の案内を渡すと1960年代初めの話をしてくれる。北に「帰る」家族と残る家族の分裂・離散の悲劇についてである。この数十年間心を痛めてきた人がぼくの近くにもいたのだ。
彰人さんのそばにいるとこの人は「高知のふんどし」じゃないかと思わされる。焼き肉屋の主人だが長い間、民生委員をやってこられた。
担当してきた一人一人との関わりがただごとではない。ぼくのように口先だけではなく、手足と頭を総動員して世話をし、自立をとことん助けている。
それでも地域社会と家族の崩壊に手のつけようはなく、個人の活動の限界は明らかだ。行政の担当者のお役所仕事への批判は厳しい。
ぼくはただ聞くだけだが、この兄(に)やんはただ者ではないなあと思ったり、励ましを受けている自分がいることに気づく。
後輩であるということはありがたいことである。こうして思い切りかわいがってもらえるのだ。
高知の友人たちが「太助」を利用したとき、この兄やんと出会ってくれることをぼくは願っている。
炭火焼き・太助 http://www.sairatown.com/town/diary-000095.shtml