入院4日目、変化が早い感じ。
呼吸困難体験を2、3の早朝にしました。苦しかった。
医療環境の万全を期して妻は忙しそうです。
勝義さんが見舞ってくれました。
長田三姉妹が千羽鶴を届けてくてました。
友情・祈りに感謝しつつ、いまはしずかな時を楽しんでいます。
8月23日(金)曇
21日にガン研有明病院の西尾医師の診察がありました。
「血液検査に顕著な変化はないので、抗がん剤イレッサの服用を今しばらく続けよう」。
次回検査は9月9日。
長時間の通院に疲れ果てたのか 家に着くのがやっとでした。病院を出るとき雨が降り出したので駅まで急ごうとしたのが体調不良の直接的な原因ではないか、妻はそういって足裏に膏薬を張るなどの手当てをしてくれました。
昨日今日と療養中です。少しずつ恢復しているのか、パソコンに向かうことができました。
「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の機関誌『かるめぎ』が送られてきました。
郷土の先輩でもある萩原遼さんが個人雑誌を新たに発刊し、北朝鮮の独裁=朝鮮総連と闘う決意を表明されています。
日ごろから精力的な活動に敬服するばかりですが、新たな挑戦の言葉に元気を奮い起こされるような感じです。
8月5日(月)晴
午後2時過ぎ、ガン研有明病院の西尾医師の診察があった。
抗がん剤「イレッサ」の隔日服用から2週間がたった。X線で見る限り病状は横ばい、副作用は許容範囲。今しばらく服用をつづけてみよう。次回検査は8月21日。
もともと冷房には弱いが近頃は「敵」になってきた。咳き込んだり呼吸の乱れの原因になる。
ガン研有明病院は◎だが往復の電車やバスの過度な冷房は何とかならないものか。レストランなども僕にはきつい。
僕は弱冷房車を選び、小さな毛布などをかけて冷気から身を守っている。今日は概してうまくいったがいつもこういう風にいくわけではない。
福一の事故以来「省エネ」がはやった時期があったがもう終わってしまったのか?
夏は暑いのが当たり前である。子どものときから過度な冷房になれたりすればとんでもないことになるのはわかりきっている。
7月25日(木)曇
謙一くんが薦めてくれた千葉の漢方医を訪ねました。昼前から3時間近く相手をしてくれました。
「顔色がよい、声もしっかりしている、何より目が輝いている。」
何の心配もありません。といって漢方の処方をしてくれました。
「症例をたくさん持っている方の言葉だから、ちゃんとした根拠がある。信じて頑張りましょう。」
帰途に謙一くんから電話をもらいました。先生からすぐに報告の電話があったようです。なんだかうれしい帰りの2時間。
6時前、帰宅すると栄子さんが来てくれていました。ニンニクを二週間かけて燻製にしたというお手製の漢方薬「黒ニンニク」を頂戴しました。
そして参鶏湯。心づくしのご馳走をゆっくりゆっくりいただきました。
今日は72歳の誕生日でした。期せずして漢方に通じた方々の心のこもった激励を受けてまだまだやれるかもしれないと意を強くすることができた一日でした。ありがたい限りです。
7月23日(水)晴
昨日あたりから暑さが復活してきました。「選挙」が一段落したので病状の報告です。
19日(金)昼前、ガン研有明病院 西尾医師の診察がありました。
CT検査で見る限り、右肺に転移したガンはやや増殖しており、抗がん剤「アリムタ」の薬効は認められない。副作用を考えれば3回目の投与は中止。
これで抗がん剤治療は終結という流れですが先生と協議した結果、2012年1月に中断した「イレッサ」を念のため服用してみることにしました。薬効はあったが肝機能障害を引き起こして短期間で服用を止めた薬です。同じ副作用があるかどうかはわからないのでやってみる手はあると聞いていたので、僕のほうに未練があったのです。8月5日に血液検査をして継続するかどうかを判断します。隔日に1錠ずつ服用しています。
「アリムタ」から解放されたのはうれしいような気持ちです。思ったより体が動かなくなっていたのです。手術から7年半以上がたってこの間に受けた抗がん剤治療の後遺症が影響しているのではないかと思います。
いずれにせよ、抗がん剤治療は今回のイレッサでおしまいです。
抗がん剤治療には否定的な意見もあり、漢方などを薦めてくれる友人もいます。免疫力をつけることは大切なことですから相談してみようかと思っています。
72歳の誕生日を間近にして僕の闘病にも転機が訪れたようです。
6月3日(月)晴
今朝、「川越だより」の「人気記事」の10番目に5年も前の「つぶされた感性をとりもどす」がランクされているのに気づきました。今年早くに逝ってしまったコニヤンの記事に僕がコメントしたものです。
「つぶされた感性をとりもどす」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/5e79f9b61f62375366ea948c33abda2f?fm=entry_awp
小学校の友人たちと別れてただ一人「進学校」に進んだことで「得たもの」と「失ったもの」。失ったものの大きさに気づいたときから僕の自覚的な人生が始まったと書きました。
僕にきっかけを与えてくれたのは僕の最初の生徒であった人びとです。1966年のことですから47年前ということになります。
その生徒の一人であった秀樹くんが昨夜「川越だより」にコメントを寄せて、「来年の同窓会の幹事になった。元気になって出席せよ」と励ましてくれました。
入院の朝に僕の中ではつながりのあるお2人の文章を読むことができてありがたいことだと思っています。コニヤンの生き方に励まされる方々のおかげでもあります。
今日から2週間は有明の病院暮らしです。大事に生きて今しばらくあの人この人との出会いを楽しませてもらいます。
都合がつく方がおられたら遠慮なく遊びに来てくださいね。
がん研有明病院(呼吸器内科病棟)
●http://www.jfcr.or.jp/hospital/examination/interview.html
連絡電話(家) 049-224-4646
連絡メール keisukelap@yahoo.o.jp
「川越だより」はiphoneから発行します。
25日(土)午後、駅前のビルの一室で「がんサロン」というものがありました。
このところ急速に患者らしい自覚が出てきたので出席させてもらいました。患者・家族・医師・看護士など30人ばかりの方々の自己紹介のあと、自由な懇談がありました。
ご近所さんといってもよい方が2人もおられて心強い思いをしました。
このサロンを主催しているのは「かわごえ緩和ケアネットワーク」ですが儀賀理暁という大学病院(埼玉医大医療センター)の先生が「代表世話人」です。仕事の合間に今日も顔を出して人々の会話に加わっておられます。いまどきこういう医師もおられるのかと思ったことです。
訪問看護で働いているSさんが僕のところに来て「緩和ケア」の実際を丁寧に説明してくれました。僕が通っている癌研有明病院には2時間以上かかります。いずれ地元の医療機関に世話になるほかはありません。願ってもないチャンスに恵まれたものです。
在宅のままで訪問看護を受けながら緩和ケアを受けている人も結構いる?ようです。ちょっとした驚きです。
僕は呼び出しがあり次第、癌研有明病院に入院して何回目かの抗がん剤治療を受ける予定です。今回は「緩和ケア」についてもそれなりに勉強しなければなりません。
サロンを主催しているかたがたは「リレー・フォー・ライフ」というチャリティーイベントの準備で大忙しの様子です。何年か前、川越公園を散歩中に偶然このイベントに出会ったのが今日の「サロン」につながりました。感謝あるのみです。
リレーフォーライフ・川越●http://rfl-kawagoe.com/rfl%e5%b7%9d%e8%b6%8a%e3%81%ae%e3%81%94%e7%b4%b9%e4%bb%8b/
「川越だより」の訪問者数の異常高が終結しました。姜サンジュン教授の小説が出版されたようで、関連記事が目に付いたのでしょう。
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2013.05.28(火) | 1024 | PV | 422 | IP | 1304 位 / | 1878120ブログ |
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5月20日(月)曇
午後2時半、癌研究会有明病院の西尾医師の診断がありました。
「x線検査でみると右肺に転移したガンは一ヶ月前よりはかなり増悪している。腫瘍マーカーも高くなった。54。片肺なのでこのままでは急激に呼吸困難をきたす可能性がないとはいえない。」
来週入院して「アリムタ」という抗がん剤の投与(点滴)を受けることにしました。効果のほどはわかりませんが副作用もさほどではないらしいので。
2週間入院して副作用の様子を観察した後は3週間毎に外来で点滴を受けることになります。
うまくいけばしばらく今まで通りの生活を楽しめる、かな。
手術以来7年余り、「僥倖」といわれる闘病生活をおくることができました。
7月には72歳になります。よく生きてきたものです。
いずれにしても先が長いという年ではありません。心してやりたいことをやって人生を楽しみ尽くしたいものです。
友人たちには心配をかけますがこれがありのままの報告です。
何の力にもなれないのに友人たちの話を聞いたり、人生や社会について議論したりするのが大好きにんげんです。
暇を作って付き合ってくださいね。
これまで通り僕の方からも出かけます。泊りがけなら夜でも大丈夫です。
川越にもおでかけください。数人なら泊りがけも可能です。
一緒に旅ができたら最高です。