川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

憲法と私

2009-02-28 15:33:44 | 政治・社会
 久しぶりに薄日が差したので、花粉を恐れず、川越公園の落葉樹の森を歩いてきました。やっぱり、気持がいいものです。

 かつて属していた教職員組合のOB会のニュースに「憲法と私」という文章を書くよう求められていたので今朝ほど送りました。前に『川越だより』に書いたものを縮小改編したものです。

 『停戦求め国民集会を 日本国民の責務』http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/36f5abad6fefe184fe86edc6b5ab6ff0

  

  憲法と私      鈴木啓介(1941年生まれ)

 「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。
 
 近年、憲法のこの文言に対して「現実的でない、馬鹿げた認識」の見本だとして批判的な意見が多く見られます。
 現実の世界がカネと暴力によって支配されていることは冷厳な事実です。アメリカの巨大な金融資本が世界を攪乱し私たちの生活を脅かしています。近隣の中国も飽くことなく軍事力の強化につとめ東アジアの盟主たらんとしているようです。
 北朝鮮は核武装に踏み切り、「先軍政治」と称して軍国主義を自賛する始末です。そして工作員が我が国の領土領海を深く侵して平和に生きる庶民を拉致する暴挙までおかしました。今日に至るまで誠実に解決する姿勢さえ示していません。
 この憲法は日本を亡国に導くというひとびとの主張がますます説得力を持つような現実です。
 しかし、いや、だからこそ、非戦非武装の憲法を堅持し、非暴力の原理にのっとった国民的闘いによって国際紛争を解決出来ることを世界に示さなければなりません。その覚悟が私たち一人一人に問われているのだと、ぼくは考えます。
 戦争によって平和を確立することはできません。数千年のパレスチナの歴史が教えてくれます。生み出すものは憎しみと暴力の果てしない連鎖です。
 戦争に負けて私たちはこの憲法を手にし、精神的にもアメリカの植民地になったという人もいますが、曲がりなりにも侵略を自省し、復讐の思想からも解放された私たちは人類史の貴重な財産かも知れないのです。
 ぼくは戦争がもたらす苦しみに比べたら、平和の創造に力を注ぐ苦労はそれがどんなに大変であっても耐えられるのではないかと思います。戦争以外の方法で国際紛争を解決するという日本国憲法の原理原則は人類の灯火なのです。問題はそれを行動によって示すことが出来るかどうかです。
 かくいうぼくがそうであったように、言うならば一種の「平和ぼけ」がこの国のひとびとの中にあったことは否めません。同胞が隣国の独裁政権の手によって拉致されているのにそのことに気づくことも出来なかったのです。
 憲法を守ろうとする勢力に世界の情勢を「公正」に認識する力が欠如していたことを、事実として認めなければなりません。「社会主義」を自称する専制国家を「平和勢力」と思いこむイデオロギー的な偏向があったことはたしかです。冷戦の崩壊後、誰の目にも明らかになったことです。
 護憲勢力が国民的信頼を得られない大きな原因の一つです。   
 世界は未曾有(みぞう)の混乱のただ中に落ち込もうとしています。自らの歴史認識・世界認識をこれでいいかとたえず問い返しながら、独裁に反対し民主主義と人権を地上に実現しようとする世界中の全ての人々の行動に微力でも与していきたいと思います。「平和を愛する諸國民の公正と信義」が不滅であることを、私たち自身が行動によって示すほかに人類生存の道はありません。

 
 


 

地方参政権獲得運動は誰のため?

2009-02-27 11:07:54 | 在日コリアン
シンポジウム「日本の移民政策と在日コリアンのスタンス」の続きです。

 坂中さんのほかに河・近江渡来人クラブ代表、鄭・大妻女子大教授、林・青年会OB会会長が討論に参加しました。

 坂中さんの移民政策論に対してはそれを肯定しつつも、移民の先達とも言うべき在日コリアンやブラジル系の人々に対する日本政府や日本社会の今までの対応を考えると実現は多難、という意見が多かったように思います。
 坂中さんは1月9日、内閣府に「定住外国人施策推進室」が設置され、日系ブラジル人の就職支援に取り組み始めたことは日本にとっては「革命的なこと」で、政策転換につながるかもしれないと強調していました。

 http://blog.livedoor.jp/jipi/

 韓国で在外国民に国政参加の道が開けたことについて。

 坂中さんは民団の運動が奏効したのだから民団は大統領選挙の立会演説会を実施するなど、若者を教育して、海外居住国民としての自覚を高めてほしいと述べました。これに対し、林さんなどからは積極的な施策は語られず、むしろ韓国内の政治的対立が在日コリアン社会に持ち込まれることを危惧する意見が聞かれました。

 討論になってコリア系日本国民のBさんから子どもたちに自分はよそ者だという思いをさせてはならないという印象的なお話がありました。前もって質問用紙を提出してあったのに司会者が無視して紹介しないので僕も手を上げて発言しました。
 
 青年会の皆さんとは1978年東京都歯科医師会付属歯科衛生士学院が在日コリアンの入学差別をしたとき、ともに手を携えて闘いました。79年、埼玉県上福岡3中の林賢一くんが集中的ないじめを受けて自殺に追い込まれたときにも、ともに全力を挙げて真相の解明と学校教育指針の確立を求めて闘いました。ですから僕にとっては『戦闘的友誼』で結ばれた友人たちです。林さんがその当時の青年会の会長だったのです。思っていることを率直に述べているうちに叫びに近い声になったのではないかと思います。
 僕の発言の趣旨。子供たちにいつまでも韓国人として生きろということは非現実的で、こどもたちの自然なアイデンティティ形成を妨げる。コリア系日本人として生きる選択肢を積極的に提示していくべきではないか。そのために特別永住者に国籍選択権を付与する法律の制定運動に協力してほしい。

 林さんの答えは苦渋に満ちているようでした。次世代以降の課題は理解しているが、自分にはどうしてもそれはできない。何ができるかと考えた末、外国人地方参政権獲得運動に力を注いでいる。僕らの運動はそれとして理解している。僕はそのように受け取りました。

 この問題はここまでで、間もなく閉会。

 何人かの方が近寄ってきて声をかけてくれました。「先生のいわれる通りです」と昔出会った生徒の兄だという方がいいます。
 懐かしい顔は陳さんです。30年前ともに闘った仲間です。同じ四国の出身で彼が松山で仕事をしているころ訪ねたことがあります。今は民団中央の仕事をしているそうです。
 古い友人たちも集っていることがわかったので夜の交流会にも急遽参加することにしました。

 久闊を叙しながら意見の交換をしましたが、外国人地方参政権運動は特別永住資格を持つ在日コリアンのためではなく、ニューカマーといわれる人々の権利の確立のためだという鄭さんの話が印象に残りました。新渡来外国人の中心は中国人と日系ブラジル人です。
 それならそれでわからないではないのですが、なぜ自分たちのための運動を中心に据えないのでしょうか。
 ぼくは在日2世が歩んできた道をいくらか知っています。日本国籍を一方的に剥奪され、社会的差別のただ中で自己形成を余儀なくされたのです。帰化申請をしても生活の細部まで調べられたあげくに不許可になった人も少なくありません。そんな仕打ちをしてきた日本国家の一員に今更なれるものか、と思うのはむしろ当然のことかも知れません。国籍選択権確立運動に消極的な原因はここらにあると思っています。
 しかし、時は流れ、世代は交代し、日本社会にも変化がありました。自分はコリアンの生き方を貫いても子孫には別の道を選ぶ自由を確立するのが賢明な指導者のとるべき態度ではないか、と、ぼくは言っているのです。
 オバマ大統領の誕生は人類史にのこる出来事かも知れないと坂中さんは言います。在日コリアンの指導者たちが運動方針を転換し、コリア系の子どもたちも首相や裁判官になる夢を持てるようにすべきだと思います。
 闘いに立ち上がらなければ権利を獲得することは出来ません。青年会OBたちと再び手を組んで最後の闘いが出来ることをぼくは期待しているのです。その思いを伝えることが出来たのでしょうか。

確定申告

2009-02-25 22:11:03 | 父・家族・自分
 昨日・今日と年金や確定申告事務などで暮れてしまいました。毎年今頃の年中行事です。妻と二人で我が家の財務状況の厳しさを改めて知り、今後の腹づもりをする機会です。

 我が家は昨年から純粋な年金生活を送るようになりましたから、収入は67歳になったぼくの年金のみです。
 
  【支出の特徴】

 ①ぼくの医療費が大きくなっていること。
 昨年は抗ガン剤治療を受け5回も入院したため、病院に支払った医療費はほぼ50万円です。社会保険事務所で「健康保険限度額適用認定証」を貰っていますので本人負担は軽減されています。(社会保険にずいぶん負担をかけたことになります)。差額ベッド代のかかる病室はいちども使っていません。
 病院の往復の交通費もバカになりません。年間に26回通院しています。大抵は妻に同行して貰うので二人で15万円くらいになります。

 政府管掌健康保険の保険料は17万円程度でしたが、今春からは国民健康保険になり、かなり増える見込みです。
 闘病はこれからも続きます。安心して最高の医療が受けられるように準備しなければなりませんが、民間の医療保険には入っていないため、7年前に貰った退職金だけがたよりです。

 ② 旅行費  自然の恵みに身を任せたり、様々な人の人生に出会ったりするのがぼくの最高の贅沢です。これがまた最良の薬です。許される時に、思いつくままに出かけることにしています。
 細かく会計簿を附ける人は我が家にはいません。どこに行っても無駄遣いはしていないのでそれもまあいいかと思っています。気が付いてみたら預金通帳が寂しくなっていますが、退職金のお陰で今まではやってこられました。まだ、大丈夫かな?
 これが出来なくなったら生きては行かれません。ぼくの旅は日本の田舎を訪ねて歩くだけです。今暫くこの贅沢を許してくれますように!

 退職金だけがたよりの財政です。地震がないことを祈っています。間違いなく壊れてしまう家を建て直す力はどこにもないのです。

 医療費控除の確定申告書をようやく作りました。認められれば2万円余の所得税が還付されるはずです。

 



 

かしこい人  病状報告

2009-02-24 06:16:11 | 父・家族・自分
 昨日は嬉しい一日でした。
 午前中に『日本から「北」に帰った人の物語』(新幹社)という本を書かれた韓錫圭(ハン・ソッキュ)さんにお会いすることが出来ました。幾重にもつながる友人たちの縁に恵まれてのことです。
 この本の奥付の著者紹介にはこう書いてあります。

 http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8C%E5%8C%97%E3%80%8D%E3%81%AB%E5%B8%B0%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E9%9F%93-%E9%8C%AB%E5%9C%AD/dp/4884000714

 1930年代後半、関東で在日朝鮮人二世として生まれる。高校を卒業後、就職できず、帰国運動を展開している朝総連傘下の在日本朝鮮青年同盟に誘われて加入。6ヶ月間、朝鮮語と社会主義祖国に対する教育を受け、専任活動家として働いたあとに帰国。
 帰国後は、朝鮮中部の炭鉱都市に配置され、無煙炭運搬用のトラックの運転手として働いた。
 2003年、日本から「帰国」した人々と日本人家族の実情を世界に知らせ、何らかの対策を立ててほしいとの一心で、脱北を敢行。2004年に日本入国。

 現在、なんとしても帰国の目的を果たすために、パソコン入力を習い、その前で奮闘している。


 ぼくとは同じくらいの年頃の方です。17歳で北朝鮮に渡って以来、40数年間封印していた日本語を駆使して書かれた本です。日本に来て直ぐにパソコンを買ったと言われます。
 生活保護の身で買えないことがわかったとき、同行していた支援者が何も言わずお金を出してくれたが、温情に頼るわけには行かないので月一万円ずつ返却する約束をして買ったそうです。そのパソコンに向かったのです。思いの程が察せられます。

 お会いする前に読んでおこうと本を取り寄せたのですが、まだ全てを読み切ってはいません。電車の行き帰りなどに一章ずつ読むという具合なのです。家で集中的に読むという精神力がないのです。
 ぼくのような微温的な人生を歩んできた人間にはとてもとても想像も出来ないお話の連続です。しかし、それは全てぼくと同じ時代を生きてきた人の歩みです。

 「地獄への道は、善意のジュータンで敷き詰められている」 
 
 つい最近、コニヤンのブログで読んだばかりのことばです。躊躇する日本人妻を説得し、北に送る背中を押したのは寺尾五郎さんの奥さんなど左派日本人女性たちであったといいます。
 ぼくがあと一回り先に生まれていたら、このような『善意』から無縁であり得ただろうか?
 日教組に組織された先輩教師たちは「教え子を再び戦場に送らない」といいながら、この犯罪行為に手を染めた。「朝鮮の子は朝鮮学校の門へ連れて行くのが日本人教師の役割だ」と。
 これらの人の誰一人からも罪を告白する人が出てこない。これはいったいどういうわけだ?
 どこを切り取っても自分とは無縁といい切れないお話ばかりで、ぼくでさえ感情が高ぶります。

 韓さんが一番に伝えたいことはまだかけない事情があるとのことです。たくさんの家族が北朝鮮に残されているからです。子どもたちをはじめとする家族の再会を実現することが当面する課題です。
 お話を伺っていると17歳の時から今日に至るまで、寸分の隙もなく現実と対峙し、自己を堅持して譲ることのなかった人間の力強さが伝わってきます。朝鮮労働党に入ることだけは注意深く峻拒したと言います。相手の価値観に屈してしまうからです。
 ほんとうに『かしこい』人とはこういう方を言うのではないか。ぼくのような人間から見ると現代史のただ中を生き抜いてきた奇跡的な人と言う他はありません。
 友人たちがこの方と出会って感服した謎が解けた気がしました。この人の仕事が少しでも順調に進むように彼らは精一杯協力しています。そういう友人たちの姿にもぼくは深く励まされます。


 午後は癌研有明病院で主治医の診察がありました。

 X線検査では右肺の癌の成長は見られず、抗ガン剤の効き目が持続している模様です。血液検査は全ての項目が合格です。先生からは何の注意事項もなく生活を楽しんでくださいという趣旨の診断がありました。次は4月です。
 それまでまた病気であることを忘れて、会いたい人に会い、行きたいところにいき、やりたいことをやって人生を楽しむことができます。
 ここのところ花粉が飛び交うので散歩することもままなりません。昨日からは雨模様です。忠幸さんが勧めてくれた『神なるオオカミ』(姜戎著・講談社)を図書館で借りてきたので、読んでみようかと思っています。

 http://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%BB%E4%B8%8A-%E5%A7%9C-%E6%88%8E/dp/4062138492 

3月の声を聞くころには春の匂いもするようになって、またどこかへ行きたくなることでしょう。花粉の飛ばないところがいいな。
  
 

韓国民団と在外国民投票法

2009-02-23 06:19:31 | 在日コリアン
 【川越だより】へのアクセス

 中川財務相の行動と麻生首相の対応を批判した記事が出たせいか、水曜日はアクセスが目立って多くなりました。こうした場で人を呼び捨てにするのはいかがなものかと思っているのですが、一時の感情でしたことではなく、この際はやむを得ないと考えてやったことです。念のため。



  過去1週間の閲覧数・訪問者数(日別)


  日付    閲覧数 訪問者数
2009.02.22(日) 516 PV 139 IP
2009.02.21(土) 405 PV 162 IP
2009.02.20(金) 271 PV 125 IP
2009.02.19(木) 508 PV 145 IP
2009.02.18(水) 578 PV 207 IP
2009.02.17(火) 365 PV 121 IP
2009.02.16(月) 417 PV 144 IP



 過去3週間の閲覧数・訪問者数(週別)

   日付        閲覧数 訪問者数
2009.02.15 ~ 2009.02.21 3015 PV 1045 IP
2009.02.08 ~ 2009.02.14 2731 PV 985 IP
2009.02.01 ~ 2009.02.07 2585 PV 938 IP


 さて、先日の在日韓国青年会OB主催のシンポジウムにかかわる話題の続きです。
 
 呼ばれてもいないのにぼくがあえて出席したのは「在日コリアンのスタンス」が議論されるとあったからです。国籍や参政権という基本的な問題についても話し合われるはずです。
 在日韓国青年会OB会といえば今や韓国民団の中枢を支える人たちです。日本の国会に対し「地方参政権」の付与を求めてたたかってきた在日コリアンのリーダーたちでもあるのです。
 折から韓国では画期的な法案が通りました。在外国民に国政選挙に参加する権利が認められたのです。特別永住資格を持つ在日コリアンも韓国国民であるからには当然のこととして大統領や国会議員を選ぶ投票権を持つことになります。日本の敗戦直後に選挙権を剥奪されていらい初めて投票権を行使できるようになるのです。USAでは在米コリアンが大喜びをしていると伝えられています。
 しかし、祖国の国会で初めて在外国民としてその権利がきちんと認められたのに「民団」の新聞を見ても喜んでいる風情は伝わってきません。自分たちが要求して来たことが実現したというのにその機関誌の扱いも日本の一般紙なみです。これはいったいどういうことなのでしょう。


在外国民に国政選挙権 法改正で12年から本格適用 (2009.2.18 民団新聞)
 
【ソウル】19歳以上の在外国民に大統領選挙と国会議員比例代表選挙の投票権を付与する内容の在外国民投票関連法改正案が5日、国会本会議を通過した。国会は同日の本会議で公職選挙法、国民投票法、住民投票法の3法案を、国会政治改革委員会が議決した原案通り処理した。

 従来は韓国内に住民登録をした国民だけが投票権を持っていたが、憲法裁判所が07年6月、「住民登録の有無で選挙権付与の可否を決める現行公選法は違憲」と判断、昨年12月までに公選法を改正するよう勧告していた。投票権を得る在外国民は約240万人で、国内の有権者の約6%。

 改正法によると、韓国籍を持つ19歳以上の永住権者全員に大統領選挙および国会議員比例代表選の投票権を付与し、国内に住民登録している一時滞在者については地域区(小選挙区)国会議員選挙にも不在者投票に準じる形で参加できる。地方選挙は原則対象外で、地方自治体の管轄区域に国内居所申告を行った在外国民に限り地方選挙でも投票できる。

 在外投票の方法は、有権者の居住国にある韓国公館での投票を原則とし、不可避の場合は別の施設に投票所を設置する。郵便投票などは受け付けない。在外国民を対象にした海外での街頭演説などの選挙運動はできないが、インターネットや電話などによる選挙運動、衛星放送を使った広告などは可能だ。

 ただ、在外国民投票は違法行為の取り締まりに限界があり、司法権の発動も困難なことから、実施過程では少なからず曲折が予想される。このため、在外国民投票権は2012年の大統領選挙と国会議員総選挙から本格的に適用される。国内居所申告を済ませた国内在住の在外国民は、今年4月29日に実施される国会議員再・補欠選挙で投票できる。

 なお、今回の在外国民国政選挙権付与について在外国民の間では、投票権付与は当然のことと歓迎する一方で、国内での政治的対立・葛藤がストレートに同胞社会に持ち込まれ、過熱化し、選挙運動規制・投票管理などの難しさも加わり、国内の政治的葛藤に海外同胞社会が巻き込まれ混乱を招きかねないと憂慮する声もでている。

出典http://www.mindan.org/shinbun/news_view.php?page=12&category=4&newsid=10894


 在日韓国人として国政は祖国・韓国に参政権を求め、地方参政権は居住国の日本に求めるというのが彼らの基本姿勢ではなかったのか。ここらのところをきちんと確かめておかないと私たちがすすめる運動にも影響が出てくるのです。
 青年会の人たちとは昔、ともに民族差別と闘った友誼があります。ぼくがのこのこ出ていっても怒られはしないだろう、そんな思いがあったのです。

 <付録>

  韓国で在外投票の改正案成立 在日含め240万人対象
               2009年2月5日 12時30分 東京新聞

 【ソウル5日共同】国外に居住する韓国人が大統領選や総選挙で投票権を行使できるようにする公選法などの関連法改正案が5日、国会本会議で賛成多数で可決、成立した。在日韓国人も対象に含まれ、2012年の総選挙から適用される。

 政府によると、今回の法改正で、韓国籍を持つ海外の永住権保持者、駐在員、留学生、外交官ら合わせて約300万人のうち、選挙権を持つ19歳以上の約240万人が対象となる。

 政府が昨年、国会に提出した当初案では、総選挙で韓国内の有権者と同様、1人で比例区と小選挙区の計2票を行使できるよう規定していたが、与野党の協議で原則として比例区だけとなった。ただ、国内で住民登録を行っている場合は、不在者投票に準じる形で小選挙区にも投票できる。

 投票場所は有権者の居住国にある韓国公館とし、郵便投票などは受け付けない。

 在外投票は、韓国憲法裁判所が07年6月、国外に居住する韓国人に選挙権を認めない公選法と国民投票法の条項について、事実上の「違憲」とする判断を下し、関連条項を改正するよう求めたことから導入に向け本格的な論議が始まった。

出典http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009020501000350.html

日本型移民国家構想

2009-02-22 10:41:54 | 在日コリアン
 21日(土) 午後、水道橋の在日韓国YMCAで開かれた「日本の移民政策と在日コリアンのスタンス」というシンポジウムに出席しました。
 元東京入国管理局長・坂中英徳さんの『日本型移民国家構想』と題する講演をふまえて在日コリアンはこれにどう向き合うべきか、という討論が行われました。

 坂中さんが主宰する外国人政策研究所のHPから同趣旨の記事を紹介します。
 移民といえば「満州」や「ブラジル」へ送り出すものと思っていた私たちに、移民を積極的に受け入れていく国造りがほんとうに出来るのでしょうか。人口の減少が急激に進むのは間違いありません。どうしたらこの社会を維持できるのか、坂中さんの提言を皆さんはどううけとめますか?


“移民”50年で1000万人の受け入れを 坂中英徳

日本の総人口は2055年に9000万人を下回ると予想されています。生産年齢人口がほぼ半減し、内需も縮小して、経済成長は望めません。財政・年金制度の維持が困難になり、地域社会も崩壊する心配があります。


 私は、この国家的な危機を救うには、大規模な移民受け入れで国の活性化を図る「移民立国」への転換しかないと考えます。外国人と切磋琢磨することで、新しい生き方や価値観が生まれ、日本再生が図られるはずです。


 移民受け入れには、必ず治安悪化を心配する声が出ます。しかし、入国管理局に長年勤めた私の経験や欧州の事情から言えるのは、定住国の言葉の能力が不十分で仕事がない移民は犯罪などに走ることもあるが、社会に適応し安定した仕事のある移民は問題を起こさないことです。


 一方で非正規雇用労働者や女性、障害者雇用の問題は解決を急ぐべきですが、全体として日本の人口は激減しますから、それだけでは根本的解決になりません。
 

 そこで、私は定住化を前提とした人材育成型の移民受け入れ、すなわち「日本型移民政策」を提唱しています。日本語教育を充実し、少子化で定数割れの短大・大学・大学院や、農業・工業・水産高校などを活用して、外国人の人材育成を支援します。


 受け入れ側の意識改革も重要です。他民族と互いの立場を尊重しあい、「多民族(多文化)共生社会」を作る心構えが必要です。移民法や民族差別禁止法を制定し、外国人に同等の待遇を保障するとともに、国内小中学校で多民族共生教育を進めます。


 具体的には今後50年間で総人口の10%、1000万人程度の移民を受け入れてはどうか。対象は留学生を要として、大卒レベルの「高度人材」、日本で職業訓練を受けた熟練労働者、人道的配慮を要する移民(難民、脱北日本人妻など北朝鮮帰国者ら)、その家族が中心となるでしょう。


 ある外資系証券会社幹部は、「もし移民開国を宣言したら、日本の株価は暴騰する」と話しています。オバマ氏のように、日本にも救世主になる移民2世が誕生するかもしれません。私の案は、自民党国家戦略本部「日本型移民国家への道プロジェクトチーム」が取り入れて、今年6月、「人材開国!日本型移民国家への道」という報告書を出し、日本経団連も10月、日本型移民政策を促す提言を出しました。


 世界の若者が移住したいと憧(あこが)れる国は、日本人にも住みよい社会です。有史以来の「移民開国」を行ってこそ、明るい未来が開かれるのです。
 


(『読売ウイークリー』(2008年11月30日号)に掲載されたもの)

出典 外国人政策研究所http://blog.livedoor.jp/jipi/archives/51207722.html

 この日のお話の中で坂中さんが農林業への移民の受け入れについて近く提言すると言われたことにぼくは興味を持ちました。荒廃する農山村の再生は日本の生命線にかかわる課題です。どんな内容になるのか期待したいと思います。
 鈴木さんの故郷のような漁業の分野は一次産業ではあっても困難ですね、と漏らしていました。漁業資源はどこに行っても枯渇状態ですから、移民を受けいれる余地がないと言うことでしょうか。

権力の下僕(しもべ) 新聞記者の醜態

2009-02-21 07:05:10 | 政治・社会
『裸の王様』の続きです。深夜や昼食会中に中川財務省といっぱいやっていた新聞・TV記者たちの実態が少し明らかになってきました。
 ふたつの記事をご覧ください。



 中川氏、ワインを自ら注文 G7会見前の昼食
                2009年2月19日12時11分(朝日新聞)

 中川前財務・金融相が主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)の記者会見前の昼食で、自らワインを注文していたことが19日、明らかになった。昼食に同席していた財務省の玉木林太郎国際局長が、衆院予算委員会で質問に答えた。

 玉木氏によると、中川氏は14日のG7の本会合に出席後、G7昼食会を中座した。ホテルに戻っての昼食には中川氏のほか、財務省関係者4人、通訳らと読売新聞記者が同席。「大臣がワインを注文し、レストラン側から『このボトルでいいですか』と聞かれて、大臣が『それでいい』といった。大臣は口に付けた程度の飲み方しかしていない」と説明した。

 また、13日夜の中川氏と財務省幹部、一部記者の懇談について、玉木氏は男性2人、女性2人の記者が参加したことを明らかにした。記者の所属については「2人からは公表を控えてほしいと。1人は回答が届かず、最後の1人は読売新聞記者の方だ」と述べた。


 読売新聞の女性記者は13日深夜まで中川財務省と「懇談」のあと、昼食会を中座したホテルのレストランの「昼食」にも同席していたことがわかります。(ほかの3人については所属社の公表を避けている)。

 深夜の飲み会に「出席」することも「取材」なのでしょうか。だとすればこの女性記者は中川財務相とそのグループに深く食い込んだ辣腕記者ということになるのでしょう。中川財務相を泥酔状態に追い込み恥をかかせる謀略に荷担したという話も出ているくらいです。事実をしっかり記事にして貰いたいものです。
 ぼくはこれは記者という名のコンパニオンで、記者たちが権力者の僕(しもべ)に堕している風景だと思います。

 読売新聞社などの対応にふれた記事を紹介します。しっかり事実を解明し、マスコミ界の闇を白日の下にさらす機会にしてほしいと思います。


 大臣と同席した「読売美人記者」 プロフィール削除などで波紋広がる
           2009年02月20日21時17分 / 提供:J-CASTニュース

中川前財務相のワイン昼食会に「読売美人記者」が同席したと、スポーツ紙などで話題になっている。取材先に食い込んでいるとも言えるものの、ネット上では、癒着だなどと批判の声が多い。プロフィールまで晒され、読売側が削除する騒ぎになっている。

「中川前財務相 美人記者と酒」
こんな1面ぶち抜き見出しで報じたのが、日刊スポーツ。2009年2月20日付の記事では、中川昭一前財務相がG7記者会見直前にワインを飲んだ昼食会で、読売新聞の記者を招いた様子を再現した。ワイングラスを前に、「お気に入り30代記者」と並んで座るイラストまで掲載されている。

昼食会の様子は、財務省の玉木林太郎国際局長が19日の衆院予算委員会で明らかにした。それによると、読売記者には、「取材で近寄ってきて、時間がないので入ってもらった」という。ワインは、中川前財務相自らが注文し、レストラン側から「このボトルでいいですか」と聞かれ、「それでいい」と言った。

ネット上では、民放キー局、外資系通信社の女性記者も同席したとの情報が流れていた。が、国際局長は、読売以外の記者がいたとはしていない。

読売記者は、昼食会前日夜の飲み会でも、参加した記者4人の中に含まれている。それだけ肉迫していたわけだ。昼食会では、中川前財務相は、「口を付けた程度」といい、読売新聞の20日付記事によると、記者はグラスに口をつけていないとしている。

読売新聞は、紙面上などでこの記者の素性を明らかにしていない。しかし、他の新聞各紙では、「女性記者」「美人記者」などと特定して報じている。毎日新聞は、中川前財務相が女性記者ばかりと飲食していると報じていただけに、ネット上は、その話題でお祭り騒ぎに。

読売記者の同席が明るみに出た18日は、2ちゃんねるなどで、同席したとみられる女性記者の顔写真が晒されてしまった。顔写真は、読売新聞ホームページにある採用情報の「第一線で活躍する先輩記者」で、プロフィールに載せられていたものなどだった。

「取材の内容や過程については、従来よりお答えしていません」
ところが、読売新聞のホームページからは、女性記者のプロフィールが、ネット上に晒された2009年2月18日中に削除されてしまった。なぜ削除したかについては、この日のJ-CASTニュースの取材に対し、読売新聞東京本社広報部では、同席したのが女性記者なのかどうかも含めて、「取材の内容や過程については、従来よりお答えしていません」とだけコメントした。

ネット上では、「読売の記者はたんに、熱心に取材してただけじゃねえか。どこの会社も営業だったら得意先とのコンタクトは大切だ」(2ちゃんねる)と、食い込んだ取材ぶりを評価する声もある。しかし、女性記者のプロフィール削除などがかえって疑念を持たれる結果となり、政治家との癒着から謀略説まで、根拠がない憶測が飛び交うようになっている。

昼食会同席については、J-CASTニュースにも読者から様々なコメントが寄せられている。18日の記事「『中川大臣酩酊してませんか』 会見出席記者なぜ質問しない」のコメント欄では、

「まず政治家、マスコミ両方の緊張感のなさ、政治家と記者との飲食、飲酒することを業界的に許してるのが問題」(「解体せよ」さん)と、厳しい声が上がった。また、次のように、政治家の言いなりになる危険性を指摘する書き込みもあった。

「そもそも、女性記者のみをワイン会に参加させることをマスコミが認めていた時点で問題なんだよな」(「にゃん」さん)
マスコミ不信が強まる中で、今後、報道各社は、政治家ら取材相手との飲食をどこまで許すべきか、その距離をどう保つかについて、再考を迫られそうだ。

 出典http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090220-00000004-jct-soci

櫻井よしこさんたちの提言

2009-02-19 16:01:00 | 在日コリアン
「ある論文」の続きです。
 
 読んでいただいたでしょうか。お気づきのようにこの論文の筆者は櫻井よしこさんです。5年前にこのような論文を書いておられたとは気づきませんでした。
 
「日本国籍取得運動」という表現は正確ではありません。わたしたちの運動の目的は「在日コリアンが権利として日本国籍が取得できる法律の制定」です。特別永住資格を持つ人については届け出だけで日本国籍を取得できるようにすことです。「コリア系日本人」の生き方を奨励し、ネットワークづくりをしますが、日本国籍を選択するかどうかはあくまでも個人の自由であり、外国人(韓国・朝鮮人)として生き続けようとする人の立場も尊重します。

 この点をのぞけば櫻井さんは私たちの運動の趣旨をしっかりと理解され、世間に伝えてくれています。
 櫻井さんといえば皇室典範の改正問題で小泉首相などの女帝容認論にも強く反対した伝統重視の右派国体派のイデオローグです。憲法の改正も強く主張しています。このような方がこう述べているのです。

 日本にとっても、協議会の提案は歓迎すべきものだ。人口減少に対処するためにも、外国人の参加が重要な意味を持つ21世紀の日本で、他民族と折り合って、1+1を3にも5にもしていく賢さをいかに培っていくか。その第一歩が、在日の人びととの互尊共存だ。具体策として、何世代も日本に住み特別永住許可を持つ在日の人びとには、届け出だけで国籍を付与する道を早急に拓くべきだ。

 このブログを読んでくださる方にはおわかりのように、ぼくは日本国憲法の落とし子のような存在で櫻井さんのような国家観には賛成できません。しかし、櫻井さんのような国家観の持ち主から見ても私たちの運動が普遍性を持っているとみなされたことは心強いことです。これからの日本のあり方をまじめに考える人であるなら私たちの提案には左右を問わず、賛成してもらえるはずなのです。

 ところがどういうわけか在日コリアンに対する民族差別に反対し、人権運動に取り組んできたはずの左派市民派と目される人々が賛成してくれません。これらの人々の中にはきちんとした態度を示さず、裏で私たちを非難する人たちもいたようです。反対ならそれはなぜかをはっきりと言ってほしいものです。
 これからも日本の中で外国人として生きることを謳って入るコリア系のふたつの民族団体(韓国民団・朝鮮総連)に同調しているのかなと考えられます。

 ふたつの民族団体、中でも民団が実質的に反対しているため2001年に与党が法律案を作成するところまでいったのに国会上程さえ出来ない状態が続いています。
 ぼくは民団が特別永住者を中心とする組織なら外国人という建前に固執することを止め、この法案の趣旨にはっきりと賛成すべきだと考えます。在外国民だと言い張り続けるにしても国籍選択を保障するこの法案に反対する大義はどこにもないはずです。未来を生きる人々の可能性を閉ざすことだけはやめて貰いたいと思います。

 櫻井さんたちは昨年、この問題について提言をしています。(ぼくは昨日になって気づくというていたらくです)。民団などの主張する外国人地方参政権にははっきりと反対。特別永住者については国籍取得の具体的手続きを提案しています。
 ぼくは永住外国人(一般永住について言えば中国人が一番多い)に地方参政権を認めるかどうかはこの問題と全く別に考えるべき問題であり、現段階で賛否両論があるのは当然だと思っています。(ぼくの意見は改めて書きます)。しかし、特別永住者に国籍選択権を認めることについて反対だという政党はないのです。国民の間にも合意が成立するのではないかと思われます。櫻井さんたちの提案も含め早急に結論を出すべきです。

 国家基本問題研究所提言2(2008年3月)
参政権行使は国籍取得が条件?特別永住者には特例帰化制度導入を
http://jinf.jp/suggestion/archives/103

裸の王様

2009-02-18 14:04:05 | 政治・社会
 朝からの迷走の果てに中川財務相は辞任に追い込まれました。自らの醜態を恥じて自決したわけではありません。世間が許してくれなかったので体調不良と言うことで病院に逃げ込んだのです。まことに無責任きわまりない恥知らずです。こんな人間が国家の体面や愛国を説いて政権の中心に座っているのですからこの国がおかしくなるのは当然です。
 
 おぞましい記事を読みました。彼はG7の昼食会を抜け出し、同行の女性記者を呼んでいっぱいやっていたというのです.



<中川財務相>G7昼食会抜け出し、同行記者とワイン
(2月18日2時30分配信 毎日新聞)

 「薬の飲み過ぎ。酒の影響ではない」--。ローマG7での「もうろう会見」で17日引責辞任した中川昭一財務・金融担当相は、最後まで原因はカゼや腰痛など薬の併用だったと強調した。しかし、G7閉幕後の内外記者会見の直前、同行の記者らと会食してワインを口にしていた事実も判明するなど、疑惑は深まるばかりだ。


 中川氏はG7出席のため13日昼、羽田発の特別便に搭乗。同行筋によると、機内のファーストクラスの席でカゼ薬などを多めに飲んだ上、酒も飲んだという。

 約13時間のフライトを経て同日夕(現地時間)にローマに到着。直後のガイトナー米財務長官との初の日米財務相会談やG7夕食会は無難にこなした。その後、中川氏は男性新聞記者など「親しいひとたち」(中川氏)とサンドイッチをつまみながら、ジントニック3~4杯を飲んだ。その際、睡眠薬を服用したという。

 深酒のためなのか、睡眠薬のせいなのか。同行筋によると、翌14日午前8時15分からイタリア経済・財務省で始まったG7会合の際には、体調がひどく悪い様子だったという。

 G7昼食会でもワインが出たが、中川氏は「口はつけたが、ゴックンはしていない」と説明している。

 ただ、中川氏は午後1時50分まで予定されていた昼食会を1時ごろに途中退席し、宿泊先の高級ホテル「ウェスティン・エクチェルシオール」に戻った。

 予想外の行動に財務省同行筋は対応に追われたが、中川氏はホテルの1階のイタリアレストラン「ドニー」に移動、財務省の玉木林太郎国際局長や日本から取材で同行した女性記者、イタリア人通訳など数人で会食した。

 レストランの支配人によると、中川氏らは午後2時ごろから、ビッフェ形式のサラダとパスタとともに赤のグラスワインを注文。中川氏はここでの飲酒について「本当に口をつけた程度」と話す。

 中川氏は、女性記者らとの会食について「たまたまそこにいて、話を聞かれたから」と説明したが、中川氏は昨年9月の財務相就任以降、G7などの海外出張では同行の女性記者を集めて飲食を行うことが恒例化していた。今回のG7でも、中川氏と麻布高校の同期で、東大法学部の同窓でもある玉木局長が一部の女性記者を招いたという。

 「約30分ほど」(レストランの支配人)だった飲食後に中川氏は午後2時50分から約15分、同ホテル内でロシアのクドリン財務相と日露財務相会談に臨んだ。この際、麻生太郎首相を「麻生大臣」と言い間違えるなど、言動に不安定さもみられた。

 その後、部屋に戻り30分ほど財務省幹部らと打ち合わせをした。中川氏は「打ち合わせは仕事であり、酒を飲むことはない」としている。だが、午後3時45分からの内外記者会見の前にはすでにろれつが回らない状態だった。政府・与党からも「あんな状態の中川氏になぜ会見させたのか」と財務省の対応を疑問視する声も出ているが、「G7という世界が注目する会合であり、すでに会見の時間も設定されていた。欠席させればよかったというのは後知恵で、とうていできる状態ではなかった」(幹部)と財務省は説明している。

 毎日新聞の記者は、中川氏との会合には、いずれも出席しなかった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090218-00000005-mai-pol

 

記者クラブ制度の弊害は昔から指摘されながらいっこうに改善されません。権力を持つ者(大臣など)や官庁の垂れ流し記事がどの新聞にも満ちあふれている一因はここにあります。
 しかし、いくら呼ばれたといっても、昼食会中にホテルのレストランで一緒に飲み食いする女性記者たちがいるというのはひどすぎないか。これでは「御用記者」というのさえおこがましい。「コンパニオン」という言葉しか思いつきません。こんな連中によいしょされていい気になっているのですから自己省察も出来ない裸の王様になるのでしょう。
 この飲み食いをともにした新聞記者の所属社と飲み食いの費用の出所を「毎日新聞」には調べてほしいものです。税金でやっている疑いが濃厚です。こんなことを外国への出張のたびにやっているのです。
 この例に限らず、権力の腐敗を助長しているマスコミの罪は軽視できません。民主党が政権を執ったら記者クラブ制度を廃止すると小沢代表が述べている記事を読みましたが、忘れないで実行してほしいものです。どんな権力でも権力である限り腐敗します。言論で生きる者が批判精神を失ったら民主主義は成り立ちません。

 日本の政治の混迷は選挙によって信任されていない政権がのさばっているからです。ここは民主党を中心にする野党に頑張って貰って一日も早く衆議院を解散に追い込まなければなりません。小泉政権とマスコミが作った劇場選挙に踊らされて自民党を大勝させたツケが今に及んでいることも忘れてはなりません。

 

 

恥を知れ!中川昭一・麻生太郎

2009-02-17 07:57:44 | 政治・社会
 16日。珍しくTVのニュースを何回も見る一日だった。ぼくは単純だから、「中川昭一は自殺するのではないか」などと思ったりしたからだ。
 イタリアでの記者会見の様子は正視に耐えられない代物だ。原因がどこにあるのかは別にして「中川財務大臣の失態、醜態」そのものである。世界中にその姿をさらしたのであるから正気に返った時、本人も恥ずかしくて生きておられなくなるのではないか。ふと、そんな風に思ってしまった。
 中川昭一という人のことをぼくはほとんど何も知らないが、どこか「国士」ふうのナショナリスト(国家主義者)かと、勝手に思っていた。ふだんから日本の国家の体面を重んじ、領土問題や拉致問題に取り組んでいたのではなかったのか。
 父親が中川一郎という人でどういう理由だったか知らないが札幌のホテルで自殺している(他殺説もあった)。そんなこともあってか「自裁」という言葉が浮かんできてしまった。

 事実は全く違った。たいしたことではないという認識なのか、国会のやりとりでも笑いながら、「ごっくんはしていない」などと答えている。夕方になって首相官邸に行ったというので、やっぱり「辞表か」と思っていたら「続投」。

 我ながら人を見る目のなさに反省もするが、今の世の中、ほんとうにこんなことがまかり通るのだろうか。
 「恥を知る」というのは生きていく上でもっとも原初的なモラルではないのか。人は失態をしでかすこともあるが恥を知っているから、気づいたら引っ込んだり、小さくなったりしながら少しは成長していく。時には人生の転機になることもある。そのときには気づかなくてもあとになって穴に入りたくなることもある。

 麻生首相は「自らけじめをつけてください」というどころか、ふだんから良くして貰っているからと励ましたという。
 こんな「恥知らず同志」が「未曾有の国難」に立ち向かう日本丸のリーダーなのである。
 おぼっちゃまのお遊びとしか思えないこんなふざけた連中に日本のかじ取りを一瞬も任せてはならないと思う。

 こんなわけで昨日の続きは他日ということに。ごめんなさい。

 ある論文  「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」設立記念集会

2009-02-16 07:41:21 | 在日コリアン
 昨日の日曜日は花粉症が現れて、一歩も外出せずに一日ごろごろしていました。自然にパソコンに向かう時間が長くなります。偶然、ある方が5年前の今頃、書かれた文章に出会いました。『週刊ダイヤモンド』(2004年2月14日号)に掲載されたもののようです。私たちが開催した「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」設立記念集会を紹介し、その歴史的意義を論じた文章です。
 
 少し長くなりますが読んでいただけますか。そして皆さんはこの文章についてどう思われるでしょうか。ぼくの考えは明日の「川越だより」に書かせて貰います。     

 内容も姿勢も一新した『在日』の日本国籍取得運動  
          
   日本は早急に道を拓くとき 

「2004年2月1日は、われわれと日本の歴史において記念すべき日になるでしょう」
こう語るのは河炳俊(ハ・ビョン・ジォン)氏、56歳、日本生まれの在日コリアン2世である。

 河氏らはこの日、都内で「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」設立記念集会を開いた。「在日に権利としての日本国籍を」と大書し、国籍取得問題に前向きに取り組む河氏らの姿勢は、従来の在日の人びとによる権利要求運動とは大きく異なる。従来は、在日を外部者ととらえて権利を主張してきた。だが今、河氏らは日本国籍を取得し、この国の一員となって権利も義務も引き受け在日コリアンとして活動の場を広げたい、加害者・被害者の関係からも脱却して、対等の関係になろうというのだ。

 これまで、在日の人びとの日本国籍取得には後ろ向きの影が色濃く落ちていた。日本当局が、かつては強引に、最近はやんわりと彼らの歴史や文化を否定し、姓名まで変えさせようとしたことも原因の一つだ。名前まで日本風にというのは、それが必ずしも悪意から出た助言ではなかったとしても、また、日本名のほうがこの国で生きていくのには摩擦も少なくてすむという親心だったとしても、在日の人びとにとっては自己否定にほかならない。

 日本側がそんなふうだったから、彼らの考えもおのずと否定的になる。“差別する日本”に反発しながら法律上その国の一員になることに、心がついていかない。にもかかわらず、便宜上、日本人になる。だから素直になれない。葛藤の国籍取得は、被害者意識や諦めの感情につながり、責任を日本国に転嫁する姿勢をも招いてきた。

「そんな時代はもう終わりにしなければならない。客観的情勢が大きく変わりつつあります。日本は人口減少で外国人を受け入れ、多民族国家へと移っていかざるをえず、そのことを政府も日本人も認識しつつあります。われわれ在日コリアンは、このままでは文化も名前も喪って、日本社会に埋没してしまうかもしれません。通名(日本名)でなく、本名で国籍を取得し、コリア系日本人として誇りを持って生きていく道を選びたいのです」

 河氏らの国籍取得運動は、ひと昔前にはとうてい考えられなかった。1世が強い影響力を持つ在日大韓民国居留民団(民団)などの組織に、裏切り者呼ばわりされるのが落ちだった。しかし、協議会設立集会には、韓国系の民団からも北朝鮮系の在日本朝鮮人総聯合会からも参加者がいた。状況は確実に変わりつつある。権利としての国籍取得、という視点への共感も興味も強いのだ。

 背景には、日本における在日社会の変化もある。現在、日本に住む韓国、北朝鮮籍の人びとは48万人、毎年約1万人が日本国籍を取得しつつある。

 法務省東京入国管理局長・坂中英徳氏が指摘する。
「単純計算すれば、在日は長くても50年以内に消滅します。3世4世が多数を占める今、結婚相手の9割が日本人で、彼らには朝鮮半島に戻る発想はほとんどない。しかし、その場合でさえも、彼らの民族性と誇りを埋没させてよいわけではありません」

 河氏が強調するのも、この点である。便宜上、通名で日本国籍を取得するのでなく、コリア系日本人となり、名前も民族の誇りも喪わずに、この国の“正会員”になるほうがよいという点だ。日本にとっても、協議会の提案は歓迎すべきものだ。人口減少に対処するためにも、外国人の参加が重要な意味を持つ21世紀の日本で、他民族と折り合って、1+1を3にも5にもしていく賢さをいかに培っていくか。その第一歩が、在日の人びととの互尊共存だ。具体策として、何世代も日本に住み特別永住許可を持つ在日の人びとには、届け出だけで国籍を付与する道を早急に拓くべきだ。

 出典
  http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2004/02/14/post_98/

安久山のスダジイ 常総の旅(3)

2009-02-15 06:59:29 | 出会いの旅
 いつも「川越だより」を覗いていただいてありがとうございます。先日は突然の中断でご心配をかけました。ごらんのように霞ヶ浦方面に小旅行をしていました。お断りする暇もないほど突発的な行動だったのです。ごめんなさい。

 このところ訪れてくださる方が150人を過ぎる日が続きました。ただの身辺雑記です。でも読んでくださる方が増えるのは嬉しいことです。
 

  <川越だより>
過去1週間の閲覧数・訪問者数(日別)
日付      閲覧数  訪問者数
2009.02.13(金) 388 PV 161 IP
2009.02.12(木) 356 PV 152 IP
2009.02.11(水) 344 PV 139 IP
2009.02.10(火) 433 PV 121 IP
2009.02.09(月) 496 PV 156 IP
2009.02.08(日) 340 PV 124 IP
2009.02.07(土) 388 PV 118 IP

過去3週間の閲覧数・訪問者数(週別)
日付           閲覧数 訪問者数
2009.02.01 ~ 2009.02.07 2585 PV 938 IP
2009.01.25 ~ 2009.01.31 2515 PV 893 IP
2009.01.18 ~ 2009.01.24 2425 PV 909 IP

 2月12日(木)晴れ 無風

 望洋荘で府馬の大楠の話をしてみたが知る人はいなかった。代わりに二人の人が匝瑳(そうさ)市の名所として飯高の檀林跡を教えてくれたので行ってみることにする。
 駐車場から10分ほど歩いた山の中に飯高寺(ばんこうじ)講堂の立派な建物がある。ここは日蓮宗の檀林(大学のようなところ、か)があったところだが、明治の廃仏毀釈で打ち壊されたのか、いまはただ「立正大学発祥の地」という碑が立っているだけで人の気配さえ感じられない。
 妻の話では日蓮は偶像崇拝を否定したので仏像なども安置されていないと言う。そういえばとてもシンプルなお寺の感じがする。鐘楼があったので撞かせて貰おうかと近寄ってみたが「お断り」とあった。
 いったん山を下り、法福寺の裏から天神ノ森に登ってみた。お社を取り囲むようにスダジイの巨木が数本生えていてまるで物語の世界に迷い込んだような気分だ。その中の一本は素晴らしく板根が発達している。
 「関東ふれあいの道」という案内板にしたがって歩いてゆくと飯高神社に出るが途中の社叢林もスダジイの林といって良さそうだ。ぼくは昔、伊豆大島の泉津の山奥で素晴らしいスダジイの森を見たことがあるがそれ以来の体験のような気がする。こんな道を歩けば誰もが森が好きになるのではないかと思う。

 妙福寺という寺の境内に出た。「中帰連」という文字が目にはいったので真新しい黒御影の石碑に近づいてみた。

 中帰連千葉県支部の「感謝と謝罪」の碑  妙福寺
 http://www.news.janjan.jp/area/0706/0706056762/1.php 

 中国帰還者連絡会の人々が中国人民に対し自らが侵した戦争犯罪を謝罪する思いを持って建てた碑である。文京高校在職中に話をしていただいた方の名が刻まれているかと名簿を辿ってみたが見あたらない。


 駐車場で改めて案内板を見ると近くの安久山というところに全国4位のスダジイの巨木があると書いてあるではないか。個人の宅地内だというが兎に角行ってみることにする。
 村のお祖母ちゃんに聞くと「西」さんの家だという。この地の旧地主の家かと思われる立派な屋敷を訪ねてみると、83歳になるという利子お祖母ちゃんが行き届いた接待をしてくださった。
 スダジイは母屋の裏に聳えていた。根を張っていたというのがいいか。

 安久山の大椎http://seseragi.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_618d.html

 お祖母ちゃんは大根を干す手を休めて案内してくれる。「どうぞ、見てやってください。椎の木も喜ぶでしょう」。
 どのくらいの年月を重ねてきたのか、あちこちに柊(ひいらぎ)や榊(さかき)の木を宿している。数年前、実をつけなくなったのでいよいよ寿命かなと噂していたら、翌年からまた実をつけ始めたという。こんな話もあった。
 大木の脇に、小さな祠(ほこら)がふたつ並んでいる。氏神さんとお稲荷さんで、根元の洞(ほら)に祀(まつ)ってあったのだが、木が太るのに押されてゆがんできたので取り出して祀り直した。数年前、真上の大枝が折れて地面に落ちたが、うまい具合に祠の屋根を壊すこともなかった。これは縁起がいいと、折れた枝はそのままにした。ふたつ並んだ祠の前にいまも横たわっている大枝は、まるで龍のようにも見える。

 日当たりのいい縁側で勧められるままにお茶をいただき、しばし、人生の話を伺った。「西」というのはこのお宅の屋号で敗戦直後に軍隊帰りの跡取り息子の元に嫁いできた。旧地主のお宅だから農地解放をはじめ歴史の大波をくぐってこられたに違いない。何でもいいようにいいように考えて生きてきました、といわれる。
 近頃は私たちのように椎をみせてくださいと訪ねて来る人も少なくないらしいが「椎も喜ぶだろうし、自分もいろいろな人に会えて楽しい」から歓迎しているとおっしゃる。
 帰りには近所に住む妹さんが届けてくれたという収穫したばかりの大根を6本も袋に入れて持たせてくれる。思いがけない心のこもったお接待に感謝しつつ佐原に向かった。匝瑳一帯は巨木の里と言うことがわかったが「西」の利子お祖母ちゃんの住むところとして私たちには記憶され続けるだろう。
 
 香取神宮によって昼食のあと、こんどは霞ヶ浦の稲敷大橋から阿見町までの湖岸の道を走った。これで霞ヶ浦をほぼ一周したことになる。4時過ぎに桜土浦のインターから帰途についた。
 

万感胸に迫る絶唱 田月仙さん

2009-02-14 13:07:53 | こどもたち 学校 教育
 13日。昼寝をして体調を整えてからほぼ2時間かけて都立小山台高校に行きました。小山台高校定時制の第7回「こや定ふれあいスクール」に出席するためです。生徒たちが教員や大学院生と連携しながら人権について学びを深める「学校」です。
 今回のテーマは「家族の思い 人権は国を越えて」。
 
 最初に横田滋(しげる)・早紀江(さきえ)ご夫妻のお話。いつものように滋さんがめぐみちゃんがいなくなった日から今日までの経緯を話し、早紀江さんが母としての思いを語ります。03年7月20日に僕たちが主催した集会でお聞きしたのと骨格は変わりません。あれからでももう6年です。来る日も来る日も日本中を駆け回って協力を呼びかけるご夫妻の姿にぼくは合わせる顔がないような気持です。
 
 同胞が罪もなく拉致されたというのに政治家も国民も力を合わせて動こうとはしません。この日も早紀江さんが言っておられました。戦争以外のあらゆる方法で北朝鮮の独裁政権の手から拉致被害者を取り戻すことができなければ「日本」は融けて流れます。「国民」の実体、人間の核心の抜けた幽霊のような集団に化していくに違いありません。娘を奪われた一人の母親としてその胸ははち切れんばかりの筈ですが、一人の日本人として、一人の人間として、そのあり方を冷静に問う早紀江さんのきっぱりとした姿勢にぼくは心から共感します。
 国会の拉致問題特別委員会は何をしているのでしょうか。北朝鮮人権法に基づいて国民大集会を開くなどということは出来ないでしょうか。スローガンは一つ、「拉致被害者を帰せ」。場所は皇居前広場。呼びかけは全政党。この日は仕事を休み全国から100万人以上の参加を目指します。国民の怒りの心を結集し、独裁者に見せつけることが闘いの基本であるはずです。これに反対する政党があるのでしょうか。

 第2部は田月仙(チョン・ウォルソン)さんの独唱。4人の兄を北朝鮮の独裁政権に奪われ、3人が非業の死をとげています。在日コリアン二世のオペラ歌手です。引き裂かれた親子・姉弟・恋人…の思いを謳う絶唱が続きます。
 
 『夜明けの歌』『山河を越えて』『桜の悲しみ?』『歌劇 蝶々夫人から ある晴れた日に』『浜千鳥』『ふるさと』『故郷の春(韓国語)』

 あふれる思いを抑制して歌に託し、舞台に立つ姿はほんとうに凛々しい。ぼくは深い感動にとらわれ嗚咽寸前です。心の奥底から励ましを受けたともいえます。力強いのです。
 横に座っておられる早紀江さんも目頭を押さえています。中学生のめぐみさんが『流浪の民』が好きだったという早紀江さんのお話をふと思い出しました。

 横田さんご夫妻の目の前で歌うことは田さんにとってまたとない喜びではなかったかと思います。三つの心は響き合って深いところで固く結ばれていったのでしょう。そのようなまたとない場にいることが出来て私たちは最高の学びをすることができたのです。

 この企画を立て実行した生徒たちはどう感じたのでしょうか。それを知りたいのですが今日はここまででした。
 この企画は公開されており、保護者や卒業生も見えているようでした。残念なことは小山台高校の全日制の教師や生徒の姿が見られないことです。冒頭に校長の挨拶がありましたが、昼間の人々への呼びかけは為されたのでしょうか。このような機会を生かそうとしないでどうやって学校に命を蘇らせることが出来るのでしょうか。これは校長に聞いてみたかったことです。
 カツヨシさんと精さんと3人で遅くまで語り合いました。家についたのは一時前です。お陰で元気いっぱいです。
 
 

土浦といえばレンコンだとか 常総の旅(2)

2009-02-13 11:55:30 | 出会いの旅
 2月11日(水)曇りのち晴れ
 土浦という町を知りたいと思って亀城を捜しているうちに上高津貝塚に来てしまった。縄文の村あとが整備されて公園となっている。

 http://www.city.tsuchiura.lg.jp/section.php?code=44

 ここにある資料館は祝日だというのにお休みだった。犬の散歩をさせている方に亀城の在処を聞き、旧市街の中心部へ。小規模だがきちんと掘も残っている城跡だ。川越城跡にくらべれば遙かにその昔の雰囲気が残っている。しかし、隣接する市立博物館はやはり休み。どこもかしこも土浦では祝日は定休日なのか。

 土浦・亀城http://www5b.biglobe.ne.jp/~miur/points/1/ib12.htm 

 昨日、宿舎の前の湖畔で40年前に東京から移り住んだという方が土浦の寂れぶりを嘆いておられた。しかし、それはむべなるかな、ではないか。市立の国民宿舎にも市街の案内地図の一つもなく、公共の観光(?)施設は祝日だというのに休みなのだ。霞ヶ浦という宝のような湖に面した恵まれた地でありながら、町のリーダーたちに故郷を大切に思う気持ちが乏しいのであろうか。
 霞ヶ浦の岸辺をドライブして一回りすることにする。郊外に出てびっくりした。湖畔に蓮根(れんこん)の田圃がどこまでも続いているのだ。胸のあたりまで泥田に沈めながら蓮根の収穫をしている人の姿も見える。
 田村というところの道ばたの「武井れんこん農園」に寄る。武井さん夫妻が収穫したばかりのレンコンを箱詰めにして東京の有名な食材店に送る作業をしている。ここはEM菌を使った農法で消費者の信頼があり、東京では信じられない高値が付いているらしい。スッカリ意気投合した妻は知友へのお土産をかねてそのレンコンを買い込む。我が家の二人の女性はレンコンが好きである。武井さんの奥さんがレンコンのソテーを味見させてくれたがぼくにも結構おいしかった。
 蓮田が尽きるあたりの湖畔に道路があるというので行ってみる。水際の堤防の上に快適なアスファルトのみちがどこまでも続いている。右側は霞ヶ浦、左側は蓮田ばかりである。今はこれからレンコンを収穫する水を抜いた田圃や収穫済みの田圃ばかりだが、花の頃はどんな風景なのだろう。ぼくは現地に来るまで知らなかったがここは日本一のレンコンの産地なのだ。霞ヶ浦大橋に近い歩崎公園で昼食。

  日本一の蓮田風景http://www.kouikikankou-ibaraki.jp/spot/tuchiura/index2.html
 

 午後も霞ヶ浦の南岸の道路を走り、利根川をわたって千葉県の佐原へ。ここでは油茂(あぶも)商店という古くからの油屋さんに直行。妻がかねてからほしかったごま油とラーユを買い求める。祝日で賑わう町の散策は今回は省略して、今宵の宿と定めた九十九里海岸を目指す。
 旭市府馬(ふま)というところに大楠があるというので寄ってみる。これがまた凄い古木。

 府馬の大楠http://www.geocities.jp/ir5o_kjmt2/kigi/tabfuma.htm

 実際は楠ではなくタブの木である。何かの事情で誤って登録されたという。ぼくの故郷では「どうねり」というありふれた木だがこんな巨木に出会うとありがたさに感動する。どういうわけかリスがこの木の表皮を傷つけるのを伊豆の海岸では何度も見たことがある。
 付近は公園として整備されている。旧い神社もあるが戦国時代には城山でもあったようだ。

 野栄(のさか)の国民宿舎・望洋荘泊まり。松林を散歩すると九十九里の砂浜に出る。宿舎の前がサーファーのたまり場か。黒ゴマのようにサーフィンの若者の姿が洋上に見える。 

予科練記念館 常総の旅(1)

2009-02-12 21:59:45 | 出会いの旅
 2月10日(火)
 久しぶりに温かい晴天だというので、急に霞ヶ浦方面に連れて行って貰うことにする。16号で野田まで往き、芽吹大橋を渡って茨城県へ。小貝川の土手で昼食。霞ヶ浦に着いたところに自衛隊武器学校があり、構内に予科練記念館があるというので見学する。
 予科練出身者の戦没者の遺影と遺族に残した手紙などが年代順に展示されている。特攻機で出撃するに際し、父母や弟妹に残した手紙を読んでいると胸に迫るものがある。ぼくはこの種の文章(『みんなみの巌の果てに』<カッパブックス>など)を高校の時から読んできた。このような思いをすることだけはどんなことがあってもごめんである。
 職をかけたり、命を懸けたりする勇気はぼくにはない。そのときには遅すぎる。民主主義と言論の自由がある時に戦争を許さない日本を作っていこう。こんな風に考えてきたぼくの原点を作ってくれたのである。
 展示の最後に大西瀧次郎という人を顕彰するコーナーがあった。特攻隊を創設した海軍中将で敗戦時に自刃したという。ぼくがびっくりしたのは1974年田中角栄首相の時この人に『旭日大綬章』の叙勲がおこなわれ、その勲章がここに飾られていることだ。
 目の前には彼の発案による『桜花』(特攻機にくくりつけられた人間ロケット)や『伏龍』(兵士に潜水服を着せ爆弾を持たせて上陸用舟艇に突撃させる人間機雷)などの模型が展示されている。このようなむちゃくちゃな作戦を編み出し、指揮した人に田中首相は死後30年近く経って最高の勲章を贈ったのである。それが今、自衛隊の武器学校の構内に場所を得て展示されている。
 こんなことが許されていいのか。ぼくは悔しさのあまり思わず声に出してしまった。施設の入り口でぼくらを丁寧に案内してくれた若い自衛隊員はこれらの展示をどういう目で見ているのだろう。

 大西瀧次郎http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/sinpu-oonisi.htm
 

 館外にはたくさんの兵器が展示されている。何十台もの戦車が並んでいる風景は初めてである。ぼくはかつて横須賀の防衛大学を見学したことがあるだけで自衛隊の施設の実態をほとんど知らない。思いがけず、ちょっとばかり覗くことになった。

 予科練記念館http://www5a.biglobe.ne.jp/~FUDOU/rikuji/2004.10.17tsuiura/yokaren.htm

 霞ヶ浦総合公園にある国民宿舎「水郷」泊まり。霞ヶ浦の岸辺に鴨が群がっている。白鳥の姿も見える。