川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

命日週間

2012-10-31 04:28:18 | 父・家族・自分

10月31日(水)

今日は弟・祥介の命日です。1955年、8歳で逝きました。57年がたってあの日の絶望感・空虚感は遠くなりましたが、「人に代わりはない」ことを僕にとことん教えてくれた人生最大の事件でした。おかげで自分にかかわりを持ってくれたたくさんの人々の一人ひとりを大事に思う心がいくらかは育ったのではないか。そんな風に感じることがあります。

 故郷を遠く離れて生活してきたせいもあって墓参りをするわけでもありませんが在りし日の生活の一こまを思い出して懐かしんでいます。

母26日、父11月1日。このところ命日が続きます。元気に生きて喜んでもらいたいものです。

 30日(火)曇り

午前中、近所の病院でインフルエンザ予防注射。65歳から自己負担1000円です。右肺切除以来毎年欠かさず接種してもらうようになりました。

 午後は一応庭の片付け。先日、伐採したコリンゴの枝を整理してゴミ回収に出す準備です。時間をかけてゆっくりやったつもりでも僕にとっては「重労働」か。目の周りに隈ができたと妻に心配される始末です。これで庭がすっきりしました。

 妻の手作りの餃子とおつゆの夕食がおいしい。

 

【川越だより】のアクセス・ランキング

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付閲覧数訪問者数ランキング
2012.10.30(火) 1457 PV 324 IP 2006 位  / 1780288ブログ
2012.10.29(月) 966 PV 364 IP 2011 位  / 1779933ブログ
2012.10.28(日) 1020 PV 382 IP 1771 位  / 1779493ブログ
2012.10.27(土) 1089 PV 302 IP 2057 位  / 1779123ブログ
2012.10.26(金) 994 PV 315 IP 1970 位  / 1778811ブログ
2012.10.25(木) 1047 PV 357 IP 1643 位  / 1778435ブログ
2012.10.24(水) 1034 PV 349 IP 1745 位  / 1777998ブログ

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)

日付閲覧数訪問者数ランキング
2012.10.21 ~ 2012.10.27 7277 PV 2323 IP 1895 位  / 1779123ブログ
2012.10.14 ~ 2012.10.20 7306 PV 2451 IP 1734 位  / 1776453ブログ
2012.10.07 ~ 2012.10.13 7011 PV 2996 IP 1306 位  / 1773839ブログ
 

 

<form action="/admin/access_count/#access_total" method="post">
トータル閲覧数(PV) <input type="text" name="accesst/accesst_pv_user" value="1463040" /> PV
トータル訪問者数(IP) <input type="text" name="accesst/accesst_uu_user" value="358018" /> IP
</form>

 


東京を走る 

2012-10-30 07:07:04 | 病状

 10月29日(月)快晴

 2時ごろ癌研有明病院西尾医師の診断がありました。「血液検査に異常はない。CT検査。右肺に転移したガンは3ヶ月前と変わらず、横ばい。引き続き抗がん剤タルセバを続けましょう」。次回のCT検査は来年一月です。

 12月で左肺摘出からは7年になります。執刀医だった中川先生は「君の場合は僥倖」と評してくれました。日々を元気に生きて、もらった命をあだやおろそかにはしたくないものです。

 

 久しぶりの東京都心縦断記。

 9時前に豊島区要町の佐和子ちゃん宅を出発。順子号に乗るのは本当に久しぶりだ。今年は夏にただの一度もなかった。

池袋で軽い朝食。江戸川橋から飯田橋、そして千代田区役所。Kさんは元気かと訪ねてみたら特別休暇とか。堀端を東京駅へ。

面目一新の駅舎、観光客でにぎわっている。それにしてもバックのビルは何だ。(八重洲側にはもう何年も行ってないなあ。)いくら土一升金一升だといっても近頃の高層ビルラッシュは異常すぎないか。景観も何もあったものじゃない。

 

皇居前広場に続く反対側の景観。青空。こちらも高層ビルラッシュは変わらないが秩序は保たれているか。

癌研からの帰りは風が出てきたので池袋には帰らず、江東区を横断して江戸川区の葛西を目指すことにする。洪さん宅に自転車を預かってもらおう。

 湾岸に沿った道をどんどん行くと「荒川河口大橋」に出た。思いがけず自転車道もあった。(この橋は高速道路の橋だとばかり思っていた)。橋の中央から見える「大東京」。

 突然の来訪だが洪(ほん)さんは大喜び。この夏にたどったお連れ合いとの東北「鎮魂のたび」の詳細を語ってくれた。暮れには勤続25年になるお連れ合いと函館の旅。「北斗星」の切符の手配も済んでいる。末の娘さんが挨拶してくれた。今春に就職が決まったという。

三人の娘さんを立派に育て上げて洪さん夫婦にも余裕の時が来たのか。とはいえ、お連れ合いは若く職場での緊張は続く。「体をいたわって俺よりは長生きをせよ」。この弟分には強く言い聞かせた。

大東京の彼方に陽が沈む。富士山も見える。12月、新潟で会おうと約して辞去した。

 

 
 

 

 

 

 


旧友たちとの交信に明け暮れる一日だった

2012-10-29 06:09:46 | 友人たち

10月28日(日)雨

 体の芯まで冷えて一日ベッドの中。今シーズン初めてストーブをたいてもらいました。抗がん剤の後遺症で下肢に痺れがあるため体がなかなか活性化しないのです。

 断続して各地の旧知と交信しました。

①室戸岬小(旧津呂小)ミニ同窓会  7月になくなった公夫くんの墓参をかねて11月11日(日)正午にJR金町駅に集合と決まりました。高知の沖くんとも数年ぶりに会話。トッコちゃんの店が民放のたび番組で全国に紹介されたとか。来春には訪ねられるかな。

②先日、金子潔くんとあって思い出したMくんの消息を尋ねあて、40年?振りに久闊を叙しました。1963年秋、僕が教育大学の文学部自治会委員長に担ぎ出されたときの常任委員の一人です。04年に新聞社を退職して穏やかな市民生活を楽しんでおられるようです。

9月に心臓の手術をした入江勝通くんはペースを調整しながらも相変わらず地域活動に忙しそうです。共通の友人の名前が何人か出てきました。金子くんの著作を読んだのを喜んでいました。

 僕にとっては「自治会活動」は降って湧いたような特別付録です。ですからそこで出会った後輩たちとの交友は任期の終了とともにほとんどありません。それでもときに懐かしく思い出されます。みなそれぞれに魅力があり、誠実です。半世紀がたってあってみたいと思う人ばかりです。

③大島高校1967年3月卒業クラス会。今回は11月22日、伊豆高原だと知らせを受けました。移動教室の直後なのでいつものように即座に「参加」とはいきません。夜になって幹事の西川くんと通じました。参加希望者はいつもより格段に少ないということです。体調など今しばらく様子見ということにします。

こうして友人たちと交信しているうちに体もいくらか内側からあったまってくるような気がしました。不思議なものですね。

勢いに乗って久しぶりに「寅さん劇場」。第47作「拝啓 車寅次郎様」。どうしても寅さん(渥美清さん)との別れのときが近づいているのを意識します。

 47-poster.jpg (82814 バイト)

「男はつらいよ」 渥美清●http://www.youtube.com/watch?v=yh31yDnubIQ

 

男はつらいよ 
作詞:星野哲郎 作曲:山本直純 (昭和45年) 

俺がいたんじゃお嫁にゃ行けぬ
わかあっちゃいるんだ妹よ
いつかお前が喜ぶような 偉い兄貴になりたくて
奮闘努力の甲斐もなく
今日も涙の 今日も涙の 陽が落ちる 陽が落ちる

どぶに落ちても根のある奴は
いつかは蓮の花と咲く
意地は張っても心の中じゃ 泣いているんだ兄さんは
目方で男が売れるなら
こんな苦労も こんな苦労も かけまいに かけまいに

どおせおいらは底抜けバケツ
わかあっちゃいるんだ妹よ
入れたつもりがスポンのポンで 何もせぬよりまだ悪い
それでも男の夢だけは
何で忘れて 何で忘れて いるものか いるものか

あても無いのにあるよな素振り
それじゃあ行くぜと風の中
止めに来るかとあと振り返りゃ 誰も来ないで汽車が来る
男の人生一人旅
泣くな嘆くな 泣くな嘆くな 影法師 影法師

 


ロボット搾乳  榎本牧場

2012-10-28 09:39:04 | 川越・近郊

 10月27日(土)曇り

昼前に川越公園の森を歩きました。あわただしく走り抜ける成人の姿が見られました。宝探し競争でもやっているのでしょう。グラウンドは小学生のサッカー大会。平日と違ってどこもにぎやかです。久しぶりに安楽亭で昼食。

忘れないうちに榎本牧場の紹介です。

9日。荒川の上尾側の道を走ったとき久しぶりに榎本牧場に寄ってジェラートを食べました。何気なく牛舎を見てびっくり。ロボットが牛の乳頭を消毒したり、ミルカーを装着して搾乳をしたりしているのです。

やおら屋内に入って牛舎の様子も見せてもらいました。

 

 

  埼玉県上尾市にある榎本牧場

 24時間かけて60頭近くの牛の搾乳がこのロボットで行われているといいます。本当にびっくり。

1974年に北海道池田町の森田農場でひと夏牛の世話をさせてもらったことがあります。手での搾乳も体験はしましたがたいていはミルカーを乳頭に装着してパイプラインでクーラーに送っていました。近代化が進んでいたのです。

今は搾乳の現場に人は誰一人いません。牛が順番に搾乳装置に入り、ロボットが一連の仕事をしています。

榎本牧場●http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1008/spe1_03.html

農水省のHPに載るくらいですから最先端牧場なのでしょう。酪農のあり方もずいぶん変わってきたものです。カネがかかるだろうなあ。どうするんだろう?素人の心配です。

僕のママチャリで川越から一時間ぐらいです。僕はたいてい開平橋を渡り、丸山公園を散歩し、近くの食堂で昼食のあと、榎本牧場でジェラートを食べます。帰りは樋詰橋で川島町に出、荒川サイクリングロード・入間川サイクリングロードとなります。広い荒川の河川敷を走る心地よさ。これからは上州三山はもとより浅間もよく見えるようになるはずです。案内したいなあ。


牧場周辺の案内


榎本牧場周辺地図
地図

 

 

 

 


身の程知らずのコリンゴ伐採記

2012-10-27 05:35:00 | 父・家族・自分

10月26日(金)晴れ

よく晴れて温暖な日だというのに下肢をはじめからだが冷えてベッドから出られません。

午後になってもういいかとベッド脇のコリンゴの枝の伐採に挑戦しました。夏のうちに枝を張って隣の駐車場に大きく張り出しているのです。

片肺になってから力仕事はほとんどできなくなってしまいましたが休み休み鋸を引きました。

  

小一時間の奮闘で何とか伐りおわったか。へとへとでへたり込んでしまいました。

外出から帰った妻に「酸欠で、真っ青だよ」と いわれてやりすぎを反省しました。手を出してしまうとなかなか止められないのです。妻がいないと自己管理ができないことにあらためて気づいたしだいです。

コリンゴは大切な存在です。春は花、香りがまたいい。夏は木陰を作ってくれます。秋はたわわの実。

冬は落葉して日差しをさえぎることはないのですが隣の敷地に勢いよく張り出してしまうのが困ります。上にも伸びて今では2階の屋根ほどにも達しています。

幅2Mの一応庭に植えるのは非常識かもしれません。こんな巨木になるとは思ってもいなかったのです。

散髪が済んだコリンゴの向こうに青空が広がっています。

 


佃島

2012-10-26 06:04:22 | 友人たち

10月25日(木)曇り

癌研有明病院に行ってCT検査をする日です。早めに出て佃島で佃煮を買うことにしました。

どこで何を買うかは妻がメモをして渡してくれます。

癌研に通うようになって佃島にも時々寄るようになりました。大学時代からの友人・金子潔くんがご馳走してくれて以来、佃煮はやはり佃島だと思うようになったからです。

スーパーで買う佃煮とは味が違います。値段も違いますが近頃はいたって小食です。ご飯は朝夕それぞれ軽めの一膳です。佃煮があるとご飯が美味しいのですがそれでも一杯が限度です。少々高くても美味しいご飯を食べさせたいと妻が決めているのです。

  

田中屋でメモ通り買ったあと、隅田川を望む灯台付近で一休み。

  石川島 灯台

金子くんに電話をしてみました。昼食の準備中だというのに呼び出してしまいました。一昨年夏、伊豆の家に世話になって以来かな。ここは彼の故郷です。

小一時間、共通の友人の消息などを交流してすごしました。学生自治会の活動で出会って以来、来年には半世紀になります。旧友の訃報を聞いたり、闘病の情報を耳にしたりすることが増えました。それでもなかなか会うことはできません。金子くんとこうして会えるのは例外的です。流れる時間がとても快い。

地下鉄の駅近くまで見送ってくれました。元気に生きて旧友たちと交歓する日にも出会えるといいなあ。それぞれが精一杯に生きた50年です。出会うことなしに永訣するのはさびしい気がします。

癌研の成績発表は29日です。

 

 

 

 

 


小沢一郎さんのリーダーシップに期待し、引き続き支持します。

2012-10-25 04:21:21 | 政治・社会

10月25日(木)

ドイツから帰った小沢一郎「国民の生活が第一」代表が記者会見し、「脱原発」を国策とすべく、選挙戦を戦うと闡明したということです。

僕は「政権交代」が現実化し始めた数年前の参議院選挙のころから小沢一郎という人を大切な政治的リーダーだと理解し、その政治的行動を支持するようになりました。僕とは逆にそのリーダーシップを恐れる守旧勢力の手によって小沢さんは「犯罪者」に仕立てあげられ、政権交代は惨めな結果になりました。

 小沢さんは4年近くよく耐えたと思います。僕と同い年ですが表情にゆがみも見られず、この苦難をむしろ糧として深化し、民主主義をこの地に打ち立てる課題に再挑戦しようとしているように見えます。

 「フクシマ」の体験の只中にあって、イデオロギーのいかんを問わず、現在および未来の国民が生き抜くために「脱原発」の国是を確立することが次期衆議院選挙の最大の課題です。小沢さんがしっかり勉強して自信を持って「脱原発」を闡明したとすれば心強いことです。

 小沢一郎を「犯罪者」に仕立てようとしたものたちこそが原発利権の当事者でもあります。冤罪を完全に打ち砕いて、その力で「脱原発」の選挙戦を戦うことが重要です。

 僕は引き続き小沢一郎さんの政治的リーダーシップに期待し、一市民としてできる行動を模索します。

次期衆議院選挙は来夏までにあります。「脱原発」を闡明する候補者を全選挙区で立て勝利のために力を合わせなければなりません。

 

 


生活・小沢代表 「原発ゼロを国として推進してゆきたい」 

 2012年10月23日 18:37

記者会見で総選挙に向けた第2次公認候補24名を発表する小沢代表。左隣はヤワラちゃんこと谷亮子議員。=23日夕、「国民の生活が第一」党本部。写真:田中撮影=

記者会見で総選挙に向けた第2次公認候補24名を発表する小沢代表。左隣はヤワラちゃんこと谷亮子議員。=23日夕、「国民の生活が第一」党本部。写真:田中撮影=

 年内解散・総選挙の観測気球が上がるなか、『国民の生活が第一』の小沢一郎代表が今夕、記者会見した。小沢代表は「3年前の政権交代時の訴えをもう一度主張してゆきたい」「原発ゼロを国として推進してゆきたい」と選挙戦を貫く政策の柱を述べた。 
 
 17日から3日間の日程でドイツを訪れ脱原発事情を視察した小沢代表は次のように話した――

 「ドイツでは、政権、国会、財界、マスコミが10年後に原発ゼロを決めた。私自身が確信を持って進めて行けるものと強く思った。日本の福島原発の事故を受けて、ほとんど全てのドイツ国民がきれいな再生可能エネルギーに変えようと全政党賛成でこれを決めたと言う。

 ドイツ国民の8割はこれに異論はないだろうと政府の人が言っていた。経済界も9年後に廃止する原則について一切異論はないとのこと。日本の福島事故を(深刻に)受け止めたドイツだが、福島原発を抱える日本でなぜできないのか?

 大手マスコミの調査でも6割が(脱原発)だそうだ。全国民にまんべんなく問えば8割以上になるのではないか。政治、行政、産業界、原発に関連した既得権、利権の体質がまだまだ強く残っており、国民の命や暮らしより、既得権を守るほうに重点が行っていると思う。

 旧体制が原発の維持、再稼働、新設など推進を主張している。国民の意志に大きく反することと思う。自信をもって原発ゼロの政策を国として推進していきたいと思っている」。

 民主党がいとも簡単に捨て去った政治改革については次のように強調した――
 
 「半世紀にわたる自民党中心政治が時代の変化に対応できないと思い、民主党で政権交代したが、結果として民主党は国民との約束を反故にし、手を付けようとせず、旧来政治の延長に陥っている。

 もう一度3年前に主張した抜本的な政治・行政機構の改革をめざし、時代の変化に対応し国民の生活を安定させる。3年前の政権交代の考え方、訴えをもう一度主張していきたい」。

出典●http://tanakaryusaku.jp/2012/10/0005419

 

参考ブログ(こういう風に考えて精一杯行動している方を僕は尊敬します。)

http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-1203.html


この空しさをどうしたら癒せるのか

2012-10-24 05:31:45 | 韓国・北朝鮮

10月22日(月)晴れ

 Kさんを案内して奥武蔵の花めぐりをしました。

鴻巣市の川原のコスモスは今が盛りです。前日の祭り以来、一部は採って持ち帰りも自由です。二人の女性は花摘みを楽しみました。(おかげで我が家はコスモスの花盛りです)。

 午後は国立武蔵丘陵森林公園。キンモクセイの香る道を長く歩いたらこんな風景がありました。

 

ホウキギ(ホウキグサ)というそうです。

北朝鮮からの電話でKさんの知り合いの母子が飢え死にをしたと知らされたということです。

国土が鉱物資源に恵まれ、黄海道の平野は類まれな穀倉地帯なのだといいます。政権をほしいままにするものたちによって豊かな国土が飢餓の地に化したのです。Kさんの嘆きと悔しさ、そして空しさ。奥武蔵の美しい風景の只中で悔しさが倍増したのかもしれません。

川原に生えるカラシ菜を即席のキムチにして夕食の食卓に出してくれました。豊かな才能に恵まれた本当の意味で賢い人です。

夜になって意を決したように帰っていかれました。

 

 

 


姉弟 義兄姉弟妹

2012-10-24 04:10:19 | 父・家族・自分

今回の伊勢の旅は横浜でBarを営む息子夫婦が4月に愛知県豊川市に嫁いだ娘夫婦を訪ねることがきっかけになりました。

「Bar招福堂」の休みは日曜日だけです。今回は前夜からの仕事を終わるとともに日曜日の早朝に新横浜から豊橋に向かったようです。月火を臨時休業にして年に一度の2泊3日のたびを楽しんだのでしょう。

Facebookで二枚の写真を見つけました。

<左>娘と息子  ツーショットは小学校以来だとか。

<右>息子夫婦と娘の婿さん 

四人で豊川稲荷に「商売繁盛」を祈願したのでしょう。夜は遅くまで名古屋のBarか?

姉弟がそれぞれに信頼する伴侶に恵まれてよかったなあと思います。仲のよい姉弟でしたがこれからは四人兄姉弟妹です。東と西に離れていても「ひかり」では一駅です。折に触れて交流しながら新たな人生を切り拓いていくことでしょう。

二枚の写真を見ながらあらためてうれしい気持ちになりました。

 10月15日(日) 豊川稲荷 

  


伊良子清白の故地を訪ねる 安乗崎から鳥羽・小浜

2012-10-23 07:46:49 | 出会いの旅

10月16日(火)晴れ

 伊良子清白の詩「安乗の稚児」に魅せられて故地を訪ねる一日です。山田館の女将さんに見送られて安乗崎に向かいました。 

 灯台に登って四周の風光を楽しみました。潮騒の轟く岬です。

 

詩碑

 

 休憩舎に地元の学校の校長が清書したという「安乗の稚児」の全文が掲額されています。近くの安乗港もたずねて見ましたが100年前の詩の世界を見つけることはできません。堤防に上がってみると美しい志摩の海が広がっています。

鳥羽駅近くに小浜にあった清白の住居が移築保存されています。「伊良子清白の家」という資料館にもなっていて詩集『孔雀船』も復刻販売されているそうですが管理人が不在だったり、休館日だったりして、3回も訪ねたのに買うことはできなかった。

小浜の村を訪ねてみました。旧居跡の表示はありますが詩碑の所在は一向にわかりません。通りがかった人は今は藪になっていてとてもいけないなどという始末です。そんなバカなことがあるかと探し回っていたらAさんが丁寧に教えてくれました。

医者だった清白に診てもらったこともあり、好きな詩を暗誦されているのには驚きました。「参宮船」というのだそうです。

ここ鳥羽市小浜は伊勢参宮の船の風待ち港だったようです。Aさんはこどもの日に目撃した「連合艦隊」の参宮風景についても目を輝かして語ってくれました。出陣する艦船が洋上に並んでアマテラスの加護を祈ったのでしょう。

「安乗の稚児」の詩碑はホテルの脇の八幡社に通じる小路を入った日の当たらない場所に見つかりました。鳥羽でももっとも美しい場所に建てたと碑の裏に刻まれています。

  

かつての小浜の伊良子清白の家の絵です。遠景の森がホテルに占拠され神社も詩碑も人目に付かなくなってしまいました。

清白逝きて60余年、「孔雀船」からは100年余です。ここ小浜では85になられるという古老の記憶の中にのみ清白の詩は生きているのでしょうか。

今頃、「伊良子清白」の故地を訪ね歩くなどという人はよっぽど変わった人なのかも知れませんね。半世紀前高校の教科書でであった「秋和の里」という詩がなぜか忘れられず、信州上田の秋和を訪ねたのがことの始まりでした。読み返してみると「孔雀船」の詩たちはやはりなかなかいい。時々、声に出して読んでみようと思う。

 『孔雀船』伊良子清白● http://homepage2.nifty.com/onibi/kujiakubune.html

川越だより「秋和の里」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/e15f9c7470c3b8b68cd6bf0c0264019c

 


中谷公夫くん逝く

2012-10-22 05:54:15 | ふるさと 土佐・室戸

10月21日(日)晴れ

 室戸岬小学校の同級生・中谷公夫くんの訃報がありました。7月24日逝去とのことです。

近年通信が途絶え在京の同窓会にも顔を見せないので友人たちとともに心配していました。5年前に室戸で開いた同窓会であったのが最後になりました。

 利和・正広・邦啓・治雄・浩昭。幼い日々をともにしてくれた友人たちが早くになくなりました。公夫くんが逝ってしまうと近くで会える男友達は敏昭くんだけになります。

 小学校を終えるまで毎日のように慣れ親しんだ友人です。寂しさが身にしみます。

街は川越祭り。夕方、Kさんが遊びに来てくれ遅くまで3人で交流。こちらは最も新しい友達です。心配事を山ほど抱えながら、元気に生き抜いています。

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付閲覧数訪問者数ランキング
2012.10.21(日) 1045 PV 362 IP 1574 位  / 1776785ブログ
2012.10.20(土) 920 PV 319 IP 1817 位  / 1776453ブログ
2012.10.19(金) 1283 PV 326 IP 1855 位  / 1776189ブログ
2012.10.18(木) 998 PV 361 IP 1698 位  / 1775821ブログ
2012.10.17(水) 945 PV 307 IP 2232 位  / 1775490ブログ
2012.10.16(火) 1008 PV 330 IP 1947 位  / 1775082ブログ
2012.10.15(月) 1035 PV 408 IP 1422 位  / 1774647ブログ

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)

日付閲覧数訪問者数ランキング
2012.10.14 ~ 2012.10.20 7306 PV 2451 IP 1734 位  / 1776453ブログ
2012.10.07 ~ 2012.10.13 7011 PV 2996 IP 1306 位  / 1773839ブログ
2012.09.30 ~ 2012.10.06 8822 PV 2225 IP 2201 位  / 1771197ブログ
人気ブログランキングに参加

 

<form action="/admin/access_count/#access_total" method="post">
トータル閲覧数(PV) <input type="text" name="accesst/accesst_pv_user" value="1453365" /> PV
トータル訪問者数(IP) <input type="text" name="accesst/accesst_uu_user" value="354987" /> IP
</form>

 

 


『週刊朝日』と朝日新聞社はなぜ謝るのか? 

2012-10-21 07:09:52 | 政治・社会

10月20日(日)晴れ

旅の途中のTVで『週刊朝日』の記事が問題になっていることを知った。18日に豊橋・東京駅では売り切れで?読めなかった記事を、昨日ネットで読むことができた。橋下市長のツイッターによる批判発言も読んだ。

 これらを読む限り、僕は橋下大阪市長の指摘はもっともであり、『週刊朝日』の記事は許しがたい人権侵害だと思う。

読者はどう思われただろう?

 橋下大阪市長の批判●http://blogos.com/article/48554/

 

 

週刊朝日 2012/10/26号表紙 橋下市長を誹謗する記事を連載

19日になって『週刊朝日』と親会社の朝日新聞社は記事について謝罪し、連載を打ち切ると発表した。

一件落着なのかもしれないが、僕は腑に落ちない。

著者の佐野眞一さんが記事の中でこう書いているからだ。著者はあらかじめ橋下知事の反論も十分に予測したうえで覚悟を決めて書いたのだ。

「この連載で私が解明したいと思っているのは橋下徹という人間そのものである。もし、万が一、橋下が日本の政治を左右したりするような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な性格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。

 そのためには、橋下徹の両親や橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない。」 

出典●http://twitpic.com/b4vp9b

これだけの批判を覚悟して書いた記事についてなぜかくも簡単に謝罪したり、連載を打ち切ったりするのか?そちらのほうが僕には疑問だ。週刊誌も新聞社もいい加減な存在だとは承知しているがこんなことが許されてはたまらない。

 近く『週刊朝日』や「朝日新聞」でくわしい弁明があるか?それらを鶴首して待つことにする。

 

 

 


御在所岳 

2012-10-20 07:08:39 | 出会いの旅

10月19日(金)晴れ

 朝から晴れあがったが強風。大石公園の石渓を散歩したあと御在所岳ロープウェイ乗り場へ行ったが妻が怖いというので止める。

代わりに鈴鹿スカイラインで御在所岳の武平峠へ。ここから登山の方に道を教わって中腹まで登ってみた。

伊勢湾が遠望できるところまで来たので引き返すことにした。久しぶりの「登山」で上まで行く自信がない。

 

伊勢のたびの終わりは四日市IC近くの智積(ちしゃく)用水。思ったよりは小規模だが鯉と遊ぶ母子の姿が印象深い。用水脇の東屋で昼食。あめご寿司と草もち。

 学びの多いたのしい旅だった。

「大名古屋」を左に見ながら伊勢湾岸道路を豊橋に向かった。いくつもの巨大な斜張橋を渡った。

 

 

  

 


津から関宿まで

2012-10-19 06:15:35 | 出会いの旅

10月18日(木)雨

①津城跡公園

 ここも石垣が素晴らしい。

城跡全体が日本庭園になっている。石垣の上をゆっくり歩く。

②鈴鹿市大黒屋光太夫記念館

ラックスマン来航から220年になるらしくあちこちから原資料を集めて当時の再現に務めている。 

 

それにしても光太夫という人もすごい。アリュウシャンのアムチトカ島に漂着した後、ロシアのペテルブルクまで往復してエカテリーナ女帝からラックスマンとともに帰国する許可を得たのだという。

③佐佐木信綱記念館

東海道石薬師宿にある。気品のある村。「夏はきぬ」はこのひとの詞だったのか。卯の花があちこちに植栽されている。

石薬師宿が「信綱カルタ道」になっていて歌額に36首が紹介されている。一つだけは僕の記憶にある歌だった。

 ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲

 願はくは われ春風に 身をなして 憂いある人の 門をとはばや

 日本語 いく千万の 中にして なつかしきかも 「ふるさと」といふは

 障子から のぞいてみれば ちらちらと 雪の降る日に 鶯が鳴く(5歳のときの作という)

 思ったことをそのままに歌う、作風は僕と同じだなあ。恐れ多くもそんな風に感じた。

 

④東海道関宿

 

江戸時代の宿場町全体が今もそのままの姿でいき続けている。感動した。


河崎から松阪へ

2012-10-18 05:00:47 | 出会いの旅

17日(水)雨

①伊勢の台所といわれた河崎を訪ね商人館でゆっくりする。1960年ぐらいまでは問屋が軒を連ねて賑わっていた。江戸時代にも年間500万人の客が来たというから伊勢の経済力は相当なものだっただろう。

②午後は松阪へ。城跡公園の石垣が素晴らしい.江戸時代の大半、ここは紀州徳川の領地だったという。駐在した武士の長屋がめずらしい。

③郊外に松浦武四郎記念館があった。三重はこんな凄い人を生んだ土地だったのか。夏に訪ねた北海道静内で武四郎の銅像を見たばかりだ。この人の仕事のすごさには舌を巻くばかりだ。

アイヌの民族衣装が試着できる.アイヌ刺繍に凝っている妻は大喜び。

 

雨の伊勢路だったが充実した学びは出来て満足。4時過ぎに津の宿に着く。