16日の最高裁(第一小法廷・裁判官5人)の判決文の中から宮川裁判官の反対意見を紹介する。
東京都教育委員会が卒業式等において「君が代は歌えない」と静かに着席する教員に対し、懲戒処分を課し、定年後の再雇用を認めないなどの報復処分をすることを最高裁は追認する判決を出した。
これは驚くべきことである。こんなことを許したら「学校」は死んでしまう。僕はそう考える。
「君が代の強制」に疑問を感じ、強権が発動された中でも静かに自分の意思を表明できる教師は今や「学校の寳」ではないのか。そんな多少でも「自分」を持つ人間を排除して成り立つ「学校」のおぞましさを想像できる裁判官が一人でもいたことは救いだ。
宮川裁判官が指摘していることは人類普遍の原理として僕らが小学校で習ったことだ。ごくごく普通のことを言っているに過ぎない。だが、その原点に帰って民主主義と人権をこの国の社会と学校に確立する闘いを私たちひとりひとりが開始していかなければならない。
裁判官宮川光治の反対意見は,次のとおりである。
多数意見は,本件職務命令は憲法19条(思想及び良心の自由)に違反せず,ま
た,第1審原告X4を除くその余の第1審原告らに対し戒告処分をした都教委の判
断は懲戒権者としての裁量権の範囲にあるとするが,私は,そのいずれについても
同意できない。なお,第1審原告X4に対する減給処分を裁量権の範囲を超えるも
のとした結論には同意できるが,理由を異にする。
第1 本件職務命令の憲法適合性について
1 原審は,第1審原告らがそれぞれ所属校の各校長から受けた本件職務命令に
従わなかったのは,「君が代」や「日の丸」が過去の我が国において果たした役割
に関わる第1審原告らの歴史観ないし世界観及び教育上の信念に基づくものである
という事実を,適法に確定している。そのように真摯なものである場合は,その行
為は第1審原告らの思想及び良心の核心の表出であるか少なくともこれと密接に関
連しているとみることができる。したがって,その行為は第1審原告らの精神的自
由に関わるものとして,憲法上保護されなければならない。第1審原告らとの関係
では,本件職務命令はいわゆる厳格な基準による憲法審査の対象となり,その結- 17 -
果,憲法19条に違反する可能性がある。このことは,多数意見が引用する最高裁
平成23年6月6日第一小法廷判決における私の反対意見で述べたとおりである。
なお,そこでは,国旗及び国歌に関する法律と学習指導要領が教職員に起立斉唱行
為等を職務命令として強制することの根拠となるものではないこと,本件通達は,
式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せられたものではなく,その
意図は,前記歴史観等を有する教職員を念頭に置き,その歴史観等に対する強い否
定的評価を背景に,不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制すること
にあるとみることができ,職務命令はこうした本件通達に基づいている旨を指摘し
た。本件では,さらに多数意見が指摘する「地方公務員の地位の性質及びその職務
の公共性」について,私の意見を付加しておくこととする。
2 第1審原告らは,地方公務員ではあるが,教育公務員であり,一般行政とは
異なり,教育の目標に照らし,特別の自由が保障されている。すなわち,教育は,
その目的を実現するため,学問の自由を尊重しつつ,幅広い知識と教養を身に付け
ること,真理を求める態度を養うこと,個人の価値を尊重して,その能力を伸ば
し,創造性を培い,自主及び自律の精神を養うこと等の目標を達成するよう行われ
るものであり(教育基本法2条),教育をつかさどる教員には,こうした目標を達
成するために,教育の専門性を懸けた責任があるとともに,教育の自由が保障され
ているというべきである。もっとも,普通教育においては完全な教育の自由を認め
ることはできないが,公権力によって特別の意見のみを教授することを強制される
ことがあってはならないのであり,他方,教授の具体的内容及び方法についてある
程度自由な裁量が認められることについては自明のことであると思われる(最高裁
昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号6- 18 -
15頁参照)。上記のような目標を有する教育に携わる教員には,幅広い知識と教
養,真理を求め,個人の価値を尊重する姿勢,創造性を希求する自律的精神の持ち
主であること等が求められるのであり,上記のような教育の目標を考慮すると,教
員における精神の自由は,取り分けて尊重されなければならないと考える。
個々の教員は,教科教育として生徒に対し国旗及び国歌について教育するという
場合,教師としての専門的裁量の下で職務を適正に遂行しなければならない。した
がって,「日の丸」や「君が代」の歴史や過去に果たした役割について,自由な創
意と工夫により教授することができるが,その内容はできるだけ中立的に行うべき
である。そして,式典において,教育の一環として,国旗掲揚,国歌斉唱が準備さ
れ,遂行される場合に,これを妨害する行為を行うことは許されない。しかし,そ
こまでであって,それ以上に生徒に対し直接に教育するという場を離れた場面にお
いては,自らの思想及び良心の核心に反する行為を求められることはないというべ
きである。音楽専科の教員についても,同様である。
このように,私は,第1審原告らは,地方公務員であっても,教育をつかさどる
教員であるからこそ,一般行政に携わる者とは異なって,自由が保障されなければ
ならない側面があると考えるのである。
3 以上のとおり,第1審原告らの上告理由のうち本件職務命令が憲法19条違
反をいう部分は理由がある。
第2 懲戒処分の裁量審査について
1 多数意見は,本件職務命令の違反を理由として,過去に同種の行為による懲
戒処分等の処分歴のない第1審原告らに対してなされた戒告処分(以下「本件戒告
処分」という。)は,懲戒権者としての裁量権の範囲を超え又はこれを濫用したも- 19 -
のとはいえないという。そこで,私も,本件職務命令の憲法適合性に関する判断を
留保し,また,本件戒告処分自体も憲法19条に違反する可能性があるが,その判
断を留保し,その上で,本件の懲戒処分に係る裁量審査に関し,私の反対意見を述
べる。以下,2において考慮すべき諸事情のうち第1審原告らの行為の原因,動機
及び行為の態様と法益の侵害の程度について述べ,3において本件では戒告処分は
実質的にみると重い不利益処分であることを指摘し,4において他の非違行為に対
する処分及び他地域の処分例と比較すると不公正であることを述べる。
2 第1審原告らの不起立行為等は,「日の丸」や「君が代」は軍国主義や戦前
の天皇制絶対主義のシンボルであり平和主義や国民主権とは相容れないと考える歴
史観ないし世界観,及び人権の尊重や自主的に思考することの大切さを強調する教
育実践を続けてきた教育者としての教育上の信念に起因するものであり,その動機
は真摯であり,いわゆる非行・非違行為とは次元を異にする。また,他の職務命令
違反と比較しても,違法性は顕著に希薄である。
第1審原告らが抱いている歴史観等は,ひとり第1審原告ら独自のものではな
く,我が国社会において,人々の間に一定の広がりを有し,共感が存在している。
また,原審も指摘しているが,憲法学などの学説及び日本弁護士連合会等の法律家
団体においては,式典において「君が代」を起立して斉唱すること及びピアノ伴奏
をすることを職務命令により強制することは憲法19条等に違反するという見解が
大多数を占めていると思われる。確かに,この点に関して最高裁は異なる判断を示
したが,こうした議論状況は一朝には変化しないであろう。
第1審原告らの不起立行為等は消極的不作為にすぎないのであって,式典を妨害
する等の積極的行為を含まず,したがって,式典の円滑な遂行に物理的支障をいさ- 20 -
さかも生じさせていない。法益の侵害はほとんどない。
3 第1審原告らは,最初の不起立行為等で本件戒告処分を受けたのであるが,
その処分が第1審原告らに与える不利益については過小評価されるべきではないと
思われる。確かに,戒告処分は法の定める懲戒処分の中では最も軽いが,処分を受
けると,履歴に残り,多数意見も認めるとおり勤勉手当は当該支給期間(半年間)
において10%の割合で減額され,昇給が少なくとも3か月延伸される可能性があ
り,その延伸によりひいては,退職金や年金支給額への影響もあり得る。そして,
東京都の教職員は定年退職後に再雇用を希望するとほぼ例外なく再雇用されている
が,戒告処分を受けるとその機会を事実上失い,合格通知を受けていた者も合格は
取り消されるのが通例であることがうかがわれる。
都教委は,不起立行為等をした教職員に対し,おおむね1回目は戒告処分,2回
目は1か月間月額給与10分の1を減ずる減給処分,3回目は6か月間月額給与1
0分の1を減ずる減給処分,4回目は停職1か月の停職処分等という基準で懲戒処
分を行っていることがうかがわれる。毎年度2回以上の卒業式や入学式等の式典の
たびに懲戒処分が累積加重されるのであるから,短期間で反復継続的に不利益が拡
大していくのである。戒告処分がひとたびなされると,こうした累積処分が機械的
にスタートする。
以上のとおり,実質的にみると,本件では,戒告処分は,相当に重い不利益処分
であるというべきである。
4 教職員の主な非行に対する標準的な処分量定(東京都教育長決定)に列挙さ
れている非行の大半は,刑事罰の対象となる行為や性的非行であり,量定上それら
に関しても戒告処分にとどまる例が少なくないと思われる。原審は,体罰,交通事- 21 -
故,セクハラ,会計事故等の服務事故について都教委の行った処分等の実績をみる
と,平成16年から18年度において,懲戒処分を受けた者が205人(うち戒告
が74人)であるのに対し,文書訓告又は口頭注意といった事実上の措置を受けた
者が397人,指導等を受けた者が279人となっており,服務事故(非違行為)
と認められた者のうち懲戒処分を受けたのは4分の1にも満たないとし,これによ
れば,戒告処分であっても,一般的には,非違行為の中でもかなり情状の悪い場合
にのみ行われるものということができるとしている。
さらに,不起立行為等に関する懲戒処分の状況を全国的にみると,懲戒処分まで
行っている地域は少なく,例えば神奈川県や千葉県では,不起立行為等があって
も,またそれが繰り返されていても,懲戒処分はされていないことがうかがわれ
る。
このように比較すると,本件戒告処分は過剰に過ぎ,比例原則に反するというべ
きである。
5 以上を総合すると,多数意見がいう不起立行為等の性質,態様,影響を前提
としても,不起立行為等という職務命令違反行為に対しては,口頭又は文書による
注意や訓告により責任を問い戒めることが適切であり,これらにとどめることなく
たとえ戒告処分であっても懲戒処分を科すことは,重きに過ぎ,社会通念上著しく
妥当性を欠き,裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用するものであって,是認す
ることはできない。この点に関する原審の判断は相当である。
第1審原告X4については,多数意見は減給処分の取消請求を認容した原審の判
断を是認することができるとしており,結論において同じとなるが,上記のとお
り,私の意見は理由を異にする。なお,多数意見は,過去の処分歴に係る非違行為- 22 -
がその内容や頻度等において規律や秩序を害する程度の相応に大きいものであるな
どの場合は,減給処分が裁量の範囲にあるものとされる可能性を容認していると思
われる。そうであるとすると,前述のとおり式典は毎年度2回以上あり,不起立行
為等を理由とする戒告処分は短期間に累積されていくのであるから,ある段階では
減給処分がなされる可能性がある。多数意見は,起立斉唱行為に係る職務命令は思
想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることを認めていることに
鑑みると,ただ単に不起立行為等が累積したにすぎない場合に減給処分が裁量の範
囲にあるものとされる可能性を容認することは,相当でないと思われる。
(裁判長裁判官 金築誠志 裁判官 宮川光治 裁判官 櫻井龍子 裁判官
横田尤孝 裁判官 白木 勇)
出典●最高裁判決(全文)http://okidentt.sakura.ne.jp/hinokimi/2012saikousaihanketsu/2012saikousaihanketsu.pdf