川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

講演会とデモ  原発NO!行動 川越地区

2012-09-30 06:26:58 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

 9月30日(日)

 川越など埼玉県西部地域で原発NO!の実現を目指して地道な取り組みをしておられる方々が集会とデモを企画してくれました。

小出さんのお話も聞けるというので今日は小川町に連れて行ってもらいます。6日にはデモがあります。ありがたいことです。

 

9月30日(日)

「原発に依存しない暮らしを考える」
暮らしを分けあうやさしい街づくりのために・・・

・講師:小出裕章氏 中島紀一氏
・時間:13:00~16:45
    (13:30開演)
・会場:リリックおがわ大ホール
 (小川町町民会館 小川町大塚55-2 0493-73-2711 小川町駅より200m)
8月1日(水)よりチケット販売開始
定員:580名
料金:1,000円
    全席指定・座席選択不可
※講師を囲んでの懇親会
 3,000円(先着100名)
 17:00~18:30
主催:社会福祉法人 昴
●入金後のお客様都合でのキャンセルによる返金はお受けできませんので予めご了承ください。
●保育をご用意しております。先着10名(おやつ代300円)となります。
●会場の都合上、車いすのスペースは4席のみとなります。
 4席を超える場合は、座席にお移り頂くようになりますので、予めご了承ください。
●会場内は障害のある方を優先した場所がございますので、予めご了承ください。
●小学生以下のお子様には内容が難しいため、ご遠慮ください。
●手話通訳を準備しておりますので、ご利用の方はお申し出ください。
☆講師紹介
 小出裕章氏
  (京都大学原子炉実験所・助教)
  「福島原発事故以降を生きる」
   原発を終わらせるため原子力研究一筋
 中島紀一氏
  (茨城大学・名誉教授)
  「農を通じた暮らしの再生」
   有機農業、自然共生型地域社会を研究実践
・お問い合わせ・申し込み
 社会福祉法人 昴
 TEL:090-8303-7514  FAX:0493-39-1248
※チケットの販売・申し込みは、FAXでの受付のみとなります。


「脱原発さいたま市・みんなでトーク会」
新しい反原発市民グループ始動準備会です。
市民会館おおみや第3集会室
http://nonukescitysaitama.web.fc2.com


10月6日(土)

「さようなら原発川越パレード」
集 合:15時・川越駅東口・緑地公園
    (川越市駅よりの踏切脇)    
出 発:15時半
コース:緑地公園出発⇒本川越⇒連雀町交差点右折⇒新富町通⇒クレアパーク⇒川越駅東口・緑地公園16:30(解散予定)
主 催:さようなら原発川越の会
詳 細:http://blogs.yahoo.co.jp/sayonara_nukeskawagoe/6702243.html
その他:
メッセージを書いたプラカードや風船・のぼり等、音の鳴るもの、楽器など。もちろん手ぶらでもOKです。
団体名の入っているものや、主旨にそぐわない幟旗プラカード、チラシの配布また宗教団体の機関紙配布等はお断り致します。次に繋げる為にも、法令遵守をお願いします。



詩集「人生の扉は一つじゃない」ただいま快進撃!!

2012-09-29 07:37:05 | 友人たち

9月28日(金)曇り

一日中ベッドで休養。

先日、大崎博澄さんから届いたメールを紹介します。

詩集『人生の扉は一つじゃない』が反響をよんで何よりです。読者の声が僕にも響いてきます。よかったら、皆さんも詩集を手に取ってみてください。

 ●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/52a36d57f2b3f265fc99c66d14910866

詩集「人生の扉は一つじゃない」ただいま快進撃!!

 

人生をこの上なく愚かに生きた先輩から、悩める十代、やかなしみを抱えたすべての世代に贈る小さな哲学「詩集・人生の扉は一つじゃない」をお買い上げいただいた皆様に心より感謝です。おかげ様でただ今、1000部を突破、快進撃を続けています。

たんぽぽの運営資金にするため、娘が手造りケーキを作ってくれているので、時々はりまや橋の近くのケーキ材料のお店に買物に行きます。

先日、そのお店の若いスタッフの方が、新聞で見ましたよ、と思いがけない声をかけてくれました。プライベートでは変装のため、いつも帽子を目深にかぶっているのですが、ばればれなんですねー。

その素敵なお嬢さんに詩集を進呈したところ、後日、ものすごく励まされました、と、またまた声をかけてくれました。若さにあふれ、幸せそうに見えても、人はそれぞれの荷物を背負って人生を歩いているのだなー、と思いました。

 

<読者のみなさんの声>

彼女に感想を聞くと「かなしいけれど前向き」と答えてくれました。好きな詩はと聞くと「もし不幸が訪れたら、小さな傷、友達について、不安について、人生の問題の解き方」と教えてくれました。(浦木秀雄さん)

 

奈比川さんに6階の建築課でばったり会いました。「僕、大崎さんの詩集3冊も買いました」というと「あたしも3冊買いました。4位ですものね。」と言われました。もうベストセラーまちがいなしです。カバンに入れて、思いついたとき、手にとって読んでいます。いつも勇気づけられています。(北村竜平さん)

 

 私も娘の厳しい人生を代わってやることはできませんが、少しでも生きやすい手伝いができたらと鬼母(真子のネット中の私の代名詞らしい)として付き合っています。涙を拭っては立ち上がって前を向いて生きています。(高橋京子さん)

 

一ページ、一ページに勇気づけられる言葉がおしつけがましくなく、ゆったりと語られており、元気が出ました。中でも、今の私の思いを代弁してくれている!そうよね!と思ったのは、29ページの「歴史について」の一節です。

覇を競う権力者の歴史のほかに

日々の糧を伝えるために遠い道を歩いた

名も無い人々の歴史がある

世の中がどう変わろうと、小さくて弱い人の味方、大崎さんの理念は、今の世の中には必要な宝物です。

新聞を取りに出て、思いがけないたからものを見つけました。二度、読みました。また、読みます。(島崎みつわさん)

 

詩集の最後に「たんぽぽはいつも香り高い珈琲を用意してあなたを待っています」とありました。ちょっと休みたくなった時、休める処があるのは、今の自分にとっても安心です。人はそういう場所を求めているのでしょう。(瀬戸保彦さん)

 

若い人たちだけでなく、大人も共感できる1冊です。私もこうだったな、とか、今でも想っていることも。また、「ああ、わたしはこんなに強くないな」と思うことも。

(奈比川あおいさん)

 

父親というのは失礼かと思いますが、ついつい娘のような心境にさせていただいているので、中澤社長にたんぽぽの事務所を設けていただいたことの御礼を申し上げてしまいました。だって、今、大さんの活動の拠点がここにあることで多くの方が救われているはずですもの。そう思うとついついそして、何より大さんの活動されることを見守ってくださる神様に私も心より感謝しています。(上田真弓)

 

 ――この詩、胸につきささりました――私は母ひとり、子ひとりでこれまで来ましたが、母が死ねばどんなにさみしいだろうというのが、私の一つの悩みです。大崎さんのように、いつか私も「本質的な意味で恐れるものがなくなった」と思える日が来るでしょうか。

(小川京子さん)

 

「おとなになってゆくきみへ」の新聞の切り抜きを今もお守りにしています。ニワゼキショウは、うちの子供が小さい頃大好きな花でした。(掛水ひとみさん)

 

カタバミ、アレチノギクほか素朴な章の立て方にも、作者の目の位置が感じられ、小心だ、赤面恐怖だ、ハゲだと殊更にご自分を卑小化されたのも、若い人たちへ自信を持たせるためでしょう。負を語るのは勇気もいるし、程合いも難しいものですが、高みからでない、同列からの言葉がけであることが、読む人にも伝わる筆致です。(西岡寿美子さん)

 

子供たちの抱える問題に足を踏み入れることは出来ませんが、手をにぎったり、抱っこしたり、お話を聞いてあげたり、母親のようなぬくもりを一瞬でも感じてもらい、ボクの味方の人もいるんだなあって思ってもらえることができればと思います。(神原ゆかりさん)

 

私の気持を言葉に表す事はなかなかできません。お手紙書きながら二度目読み返しました。大崎さんはカッコいい人です。(多田和子さん)

 

私の娘は1学期の半ばより、突然学校が嫌になり、それでも何とか好きな科目は出席する日々でした。私の気持が迷いとあせりと不安でいっぱいになった時、この詩集の事を新聞で知りました。読み終える頃、心がふっと軽くなりました。救われました。(徳廣博子さん)

 

息子はいじめが原因の不登校でした。その時は涙が止まりませんでしたが、今は息子から学ぶ事がたくさんあったと思います。少しでも不登校に悩む子どもや保護者の方の支えになりたいと思います。(大崎加代さん)

 

詩集の扉を見たとき涙がポロン、カリンさんがとても幸せそうに思えたからです。

(浜田陽子さん)

 

いまだ自分の弱さをさらけ出すことができず、自分で自分を許すことができずにいる私ですが、そんな時にはこの詩集を読み、心を落ち着かせたいと思っています。(片岡憲子さん)

 

ひとつひとつ、言葉が心に落ちました。未知さんの表紙の絵がとってもいいですね。励まされます。(西山寿万子さん)

 

小さな弱い人を守る教育の実現に精魂をこめるも敗北、すごい言葉です。この詩集を政治家の必読図書に指定してほしいくらいです。(尾崎文明)

 

毎夜少しずつ読み返して、安心して眠りについております。(津野美保さん)

 

庭にぶらさがっているニガウリを佃煮にしたり、炒めたりしながら「ニガウリの食べ方」を反復しています。(入野照子さん)

 

「小さなものを」「アレチノギク」「異端について」という詩が特に好きです。多感な少年少女が読んでくれるといいですね。(浜崎秀洋さん)

 

後書きに不登校の問題の本質をズバッと一言で書いておられましたね。ものすごく勉強になりました^^。(ぴよっちゃん)

 

ご希望は下記へ・定価税込1000円・送料当方負担でお届けします

   Tel 088-855-4546  または E-Mail  osaki@tanpopo-k.net

高知市内では、下記で販売しています

   富士書房(高知城前) または 高知こどもの図書館(永国寺町)

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たんぽぽ教育研究所 大博澄
 
〒780-0833 高知市南はりまや町2-4-15
Tel 088-855-4546 携帯 090-7627-3543
E-mail  osaki@tanpopo-k.net
 
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農産物直売所めぐり

2012-09-28 07:58:26 | 川越・近郊

9月27日(木)晴れのち曇

 中国家庭料理「家園」の河本さんの車に同乗して近くの農産物直売所を案内しました。新鮮で安い農産物を手に入れたい夫妻ですが日ごろの生活におわれて地域の事情には今なお暗いのです。あさ10時出発。ピクニック気分です。

①道の駅よしみ 農産物直売所●http://www.ichigonosato.com/agricultural.html

季節の新鮮野菜

川越から30分。遊園地のような道の駅に隣接しています。朝どれの野菜が豊富で値段も安いようです。

 ②嵐山町 農産物直売所●http://www.ja-sc.or.jp/chokubai/cyokubai3.html

国道254に面しているのでわかり易い。かぼちゃのコーナーが断然充実。

 ③川島町 農産物直売所●http://www.ja-sc.or.jp/chokubai/cyokubai7.html

川越からは15分くらい。国道254沿い。


 

途中で吉見百穴に寄ってみました。20年くらいこないうちに埋蔵文化財の展示施設ができるなど様子が変わっています。300円の入場料を取るようにもなっていました。

 ●http://www.town.yoshimi.saitama.jp/guide_hyakuana.html

昼食は嵐山の菅谷館跡。

鎌倉時代の武将の館跡です。

出典●http://www.ranzan-shiseki.spec.ed.jp/index.php?page_id=27

人気のない本郭跡の東屋に4人が腰をおろして道の駅で買ってきたご馳走で昼食としました。屋外での食事は日本に来て初めてだといいます。

食後に都幾川まで散歩。あちこちで彼岸花が咲き始めています。

家園は木曜日が定休日です。看護婦をしている秋子さんも仕事は夕方からです。こうやって時々、近隣・郊外を案内するのもいいかな。

 


秋は来ぬ

2012-09-27 07:30:33 | 川越・近郊

 9月26日(水)晴れ

季節の変わり目の体調不良が続いています。天気もよいので午後思い切って川越公園の散歩に出かけてみました。

あちこちに彼岸花の群落があります。開花はこれからです。

写真: 頑張で散歩中。 写真: 白萩が咲きました。

我が家の一応庭の白萩が咲き始めているのに気づきました。

好天が続くようになれば秋の気に慣れて体調も回復するはずです。今年もあちこちの土手の彼岸花を楽しみたいものです。  


『あの戦争から遠く離れて』が文庫化

2012-09-26 11:59:53 | 中国残留日本人孤児

9月25日(火)雨のち曇

 急な季節の変化に体がついていきません。一日中布団のなか。

城戸久枝さんからメールをもらいました。

『あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅』が文庫本になって出版されたそうです。日本生まれ(愛媛県)の残留孤児二世の自分発見の10年のたび。

まだ読んでおられない方はぜひ手に取って見てください。

 


 

9月も中旬になり、朝晩は少し涼しくなってまいりました。お元気でいらっしゃいますか?

2007年に『あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅』を出版してから5年。
このたび、文春文庫より新たに文庫として発売されました。(9月4日発売)

単行本出版の際、また、本書を原作としたNHK土曜ドラマ『遥かなる絆』が放映された際、
本当に多くの皆様に応援していただきました。心よりお礼申し上げます。


『あの戦争から遠く離れて』の表紙画像

今回新たに、文庫化のためのあとがきを加えました。出版に到るまでの経緯や、
出版後のプライベートも含めたさまざまなエピソードを綴っています。
解説は恩師である野村進さんが書いてくださいました。
表紙は、単行本に引き続き、鈴木成一さんにお願いしました。
私にとって、本当に大切なこの本を、このような形で出版できたことに感謝しています。

本屋でみかけた際は、ぜひ手にとっていただけるとうれしいです。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

参考 川越だより●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/444aa881b74c093412d0628e41d6c09c

  ●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/17c28b34047c9c1c6539811b5332607f


旧友

2012-09-25 16:40:04 | 病状

9月24日(月)晴れ

 3時前に癌研有明病院西尾医師の診断がありました。「血液検査・X線検査に格別の異常はない。したがって抗がん剤タルセバの服用を継続する」。次回は10月末でCT検査があります。

 小康状態が続いているということです。

 うれしいことがありました。待ち時間に中川健・元主治医が会ってくれて久しぶりにゆっくり相手をしてくれたのです。「名誉院長」になっても外来には出ていますが「経営」の第一線からは解放されて表情がとても穏やかです。

 市井の町医者になる気はないかとたずねてみました。「とてもそんな自信はないよ」。これが答えです。肺がん手術の第一人者も40年以上この道一筋です。専門家中の専門家になってしまったのです。そういうものかと納得しました。

 そんな先生も若いときに田舎の村で医者をやったことがあるとのことです。開業医だった父上が急逝されたときに、医療施設などをすべて村に寄付し、「一ヶ月」の期限付きで診療所長をやったといいます。(今の町立梼原病院の起源はここにあるのかな。)

 梼原とはすっかり縁がなくなったという旧友からこんな話を聞くのは初めてです。何とはなしにうれしくなります。

中川くんとは中一以来の付き合いです。人生のおしまいにしっかり世話になっています。心強い存在です。

70歳を過ぎて第一線を退いたら「世界の中川」もたまには一緒に遊んでくれるかな? そんな願いもあります。

 

 

 

 


「秋色のいわき海岸と湯本温泉」 最後の移動教室 

2012-09-24 06:51:17 | 中国残留日本人孤児

9月23日(日)雨

 朝から一日中雨が降り続く寒い一日だった。

「第15回きいちご移動教室」の版下が娘から届いたので、近くのコンビにでコピーする。「きいちご」10号とともに袋詰めにする作業を妻と二人で完了したのはもう夕方。120人くらいに発送する準備が整った。

 「きいちご」10号は精さんががんばって編集してくれた。5月の「富士山の旅」の感想が中心。「残留孤児」やその家族、脱北家族の人々が心のこもった文章を寄せてくれた。

 移動教室も次回でいよいよ終結する。財政的な問題もあるが、世話人の高齢化・病気などの事情もある。残念だがやむをえない。僕としては元気の続く限り「きいちご基金」の活動は続けていくつもりだ。旅行・ハイキング・談話会などなど、「残留孤児」やその家族、脱北家族との交流の場を新たな形で作っていけたらと考えている。旅の夜の交流会で皆さんの意見を伺って決めたい。

 発送する案内文の一部です。関心を持たれた方がいたらご一報ください。案内をお届けします。keisukelap@yahoo.co.jp

 

<第15 回(最終回)きいちご移動教室>

秋色のいわき海岸と湯本温泉
東日本大震災・鎮魂と再生を願って
 

東日本大震災から一年半が経ちました。福島第一原
発の事故の影響が大きすぎて福島県南部の震災津波
被害は忘れられがちです。
 映画『喜びも悲しみも幾歳月』、美空ひばりの歌「み
だれ髪」で知られた塩屋崎と近くの海岸集落を訪ねま
す。震災津波被害地の只中に立って鎮魂と再生を祈願
し、 恵みと脅威ー大自然と人間のかかわりにあらた
めて思いをめぐらせます。
 泊まりは湯本温泉「ゆったり館」。常磐炭鉱跡から湧
く豊かなお湯に身と心をゆだねましょう。

①目的地  福島県いわき市
②宿舎  いわき・ゆったり館(温泉のほかプールなどのあるクアハウスを利用できます)
③日程  2012年11月17日(土)~18日(日)
④集合時間 17日(土)7時50分(バスは定刻8時に発車します)
⑤集合場所 JR日暮里(にっぽり)駅東口広場(JR日暮里駅北口改札を出て右に行くと東口広場があります)
⑥参加費(旅行傷害保険料を含む)
    大人(高校生以上)6300円 小学生・中学生4300円 幼児(3歳以上)1300円
⑦必需携帯物品 17日の昼食(弁当) 水着・水泳用キャップ レジャーシート 雨具
⑧服装 散歩に適した服装と靴
⑨参加申し込み
  ○申込期限 10月9日(火) ただし、定員45名になり次第締め切ります。


 

白鵬と日馬富士の秋場所千秋楽決戦はすばらしい相撲だった。日馬富士の連続全勝優勝、横綱昇進、おめでとう。

白鵬も立派。両雄並び立って「勇気と感動」を与え続けてほしい。

 

<大相撲秋場所>3場所連続V逸…白鵬「悔いはない」

毎日新聞 9月23日(日)21時21分配信

 大相撲秋場所千秋楽の23日。白鵬は、右肩と右足に土をべったりとつけて、うつむきながら花道を引き揚げた。優勝力士を横目に見ながら支度部屋で髪を結い直すのは、これで3場所連続。「悔いはないです」とつぶやいたきり、目をつぶって「ふー」と繰り返し息を吐き出した。

 10年春場所から15場所連続で一人横綱を務めて「しんどい」とこぼすこともあった。日馬富士にはこれで3連敗。同一相手の3連敗は、07年秋場所から08年初場所以来で、その時も同じ相手。「体は小さいけど、気持ちは大きいから。肩を並べるものができた」と新横綱の実力を認めた。

 今年は年3回の東京場所すべてで賜杯をつかめず、優勝は春場所の1回のみ。「半年ないからね」と、一年納めの九州場所での雪辱を誓った。


「安乗の稚児」 伊良子清白

2012-09-23 04:24:52 | 出会いの旅

9月23日(日)

 雨の朝です。昨日あたりから急激な気温の変化で体調がいまひとつです。例年のことです。天候の回復とともに秋の気に慣れてきます。

伊良子清白という人に「安乗の稚児」という詩があります。5年ほど前に知っておぼろげに記憶にあります。100年以上も前の情景ですがどこか気に入っているのです。

 三重県安乗崎に詩碑があるといいます。「志摩の果て」で伊勢路ではありませんが10月に連れて行ってもらえそうです。

よろしかったら声に出して読んでみてください。

  

 

【安乗の稚児】  伊良子清白

志摩の果(はて)安乗の小村(こむら)
早手風(はやてかぜ)岩をどよもし
柳道(やなぎみち)木々を根こじて
虚空(みそら)飛ぶ断(ちぎ)れの細葉(ほそば)

水底(みなぞこ)の泥を逆上(さかあ)
かきにごす海の病(いたずき)
そそりたつ波の大鋸(おおのこ)
(よ)げとこそ船をまつらめ

とある家(や)に飯蒸(いいむせ)かへり
(お)もあらず女(め)も出で行きて
稚子ひとり小籠(こかご)に座り
ほゝゑみて海に対(むか)へり

荒壁(あらかべ)の小家(こいえ)一村(ひとむら)
こだまする心と心
稚子ひとり恐怖(おそれ)をしらず
ほゝゑみて海に対(むか)へり

いみじくも貴(たふと)き景色(けしき)
今もなほ胸にぞ跳(おど)
(わか)くして人と行きたる
志摩の果安乗の小村                

 


 

 伊良子清白は鳥取の人ですが晩年は鳥羽市小浜で医者をしていたようです。わたしたちが泊まる宿「ホテル〆湯楽々」はまさにその小浜にあります。高校の「国語」(日本語)」の教科書でであった詩人と半世紀ぶりに会うような縁を感じます。

 ここにも詩碑があるそうです。医者をしていた家は今は鳥羽駅の近くに移築され記念館となっているとか。

3.JPG 

出典●http://www.wwalnuts.jp/fmn/?cat=6 

関連「川越だより」秋和の里●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/e15f9c7470c3b8b68cd6bf0c0264019c 

                  ●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/187d55f7d18cbab783135684e187607d

       


レンタカー生活への転換を考える

2012-09-22 04:51:46 | 政治・社会

9月21日(金)

 すっきりとはいかないが秋の気配です。夜になって驟雨がありました。長い夏、元気に過ごせてよかったなあ。

娘からの助言で「伊勢のたび」では「ニコニコレンタカー」を利用することにしました。5泊6日の旅行期間中の借用料金が18900円ということですから大手のレンタカーに比べたら格安です。

 近所の「川越山田店」を訪ねて「会員」になる手続きをしてきました。こんな近くにレンタカー屋さんがあったのか、という感じです。

 

店舗画像

「安い」理由がHPに書いてあります。

「走行性能が失われていないにもかかわらず、世の中から「不要」と烙印を押された低年式車をしっかり整備・補修し、クルマを利用したい人に、利用したい時だけ、低料金で利用できるサービスを提供したい──これが「エコロジー&エコノミーレンタカー」の理念です。

「クルマ離れ」とは、クルマ本体にかかる費用だけでなく、クルマにまつわる税金、保険、点検整備、駐車場費などの高額な維持費用に抑圧されたライフスタイルから解放されたいという、消費者の欲求の現れにほかなりません。 しかし「自由に移動したい」という人間本来の欲求もあります。この相反する欲求に対してどのように折り合いをつけるか、これがすべてのクルマユーザーの悩みです。

これを解決する有効な手段の一つとして、ニコニコレンタカーは誕生しました。」

 出典「ニコニコれんたかー」●http://www.2525r.com/price_list.php

自動車には(運転してくれるのは妻ですが)ずいぶん助けられました。「闘病」が生活になってからは特にいえることです。

しかし、車はカネ喰い虫です。年金生活者には高負担です。老夫婦だけの生活になって利用頻度も小さくなり、遠くへのたびは列車(飛行機)プラスレンタカーになりました。

 車を処分して、必要に応じてレンタカーを借りることにする、か。

近所のニコニコレンタカーを訪ねた妻と僕の結論です。税金・保険などの関係を精査して時期を決めます。

店舗が近いので格別の不便はなく必要に応じて車を利用する生活にはかわりがないはずです。


秋は伊勢路の旅

2012-09-21 07:01:19 | 出会いの旅

9月20日(木)晴れ

 日差しの強い一日、でも夏もそろそろ終わりかな。

旅行社への振込みを済ませたので「伊勢の旅」の日程が決まりました。

① 10月14日(日)東京=豊橋~田原~伊良湖崎(伊良湖ビューH泊)

 豊橋でレンタカーを借り、妻が運転するのはいつものとおりです。

②  15日(月)伊良湖崎~鳥羽~伊勢(山田館泊)

 息子夫婦と半日を参宮などですごします。

③  16日(火)伊勢~伊雑宮~鳥羽(ホテル〆湯楽々泊)

④  17日(水)鳥羽~松阪~津(Hプラザ洞津泊)

⑤  18日(木)津~鈴鹿~湯の山温泉(ウェルネス鈴鹿路泊)

⑥  19日(金)湯の山温泉~豊橋=東京

 息子が愛知に嫁した姉夫婦と交流がてら伊勢参宮をするというので、わたしたちも伊勢路でゆっくりすることにしました。

 何度か訪ねたり通ったりしたことはあってもゆっくりすごしたことはありません。伊勢神宮をはじめ古代国家形成期の神話や伝説に富む地域ですから妻はとても楽しみにしています。健忘症の僕には古代史は?ですが、瞬間的には結構楽しめます。

 いつものとおり、宿が決まっているだけです。ここに寄ったらいいよ、などと教えてくださる方が居られたら大歓迎です。

 

 


好日 上州路

2012-09-20 04:14:50 | 友人たち

9月19日(水)曇時々小雨

 中国家庭料理「家園」をやっているKさん一家と小旅行をして心躍る一日でした。

6時。雨は上がってきたが予定通り赤城山に行くのは無理かな。夕方には晴れるというが。

8時半。 「家園」。主人の安祥さんの笑顔がこぼれている。お連れ合いの秋子さん、娘さん。3人での旅行は09年5月の「きいちご移動教室」以来らしい。「家園」を始めてこの夫婦には休みがなかったのではないか。娘さんの高校が学校行事の代休で、看護婦の秋子さんもこの日が休みだ。思い切って「家園」を臨時休業にした。

9時。近くでガソリンを満タンにして東松山ICから「出発進行」。前々からの約束を実現できて運転の妻も快調。5人の旅の始まり。

10時過ぎ。 赤城高原SAで一休み。雨上がりで周囲の山々の緑が気持ちよい。お目当ての赤城山は雨雲の中。

11時。沼田ICから程近い道の駅・白沢。夫婦は農協の売店で野菜をしこたま買い入れる。良質で安い。

  近くの「ぶどう畑・桑原」●http://www.budoubatake-kuwabara.com/message.html

 

お兄さんたちの応対が気持ちいい。僕はぶどう狩り初体験。ふだん手が届かない高級品がたわわ。お土産にもいいと妻の収穫意欲も旺盛のようだ。

12時。道の駅・川場 展望台まで散歩。上州武尊(ほたか)山は雲の中だが黄金の里の眺めがいい。記念撮影。

娘さんが中学時代の体験話。学校がひどく荒れ、無秩序状態だったらしい。秋子さんも心配の日々だったという。

近頃「いじめ」のため、意識不明になった子どもがいるというニュースがあった。僕の子どもたちの母校でもある。心が痛む。娘さんが孤立の危機を乗り越えて元気に高校生になれて本当によかった。

13時。「誉国光」。 武尊の伏流水でのどを潤す。昼食。古民家風のレストランで一家の歴史を聞く。秋子さんのお父さんが「中国残留日本人孤児」だが、身元はわからないままだという。養父母も晩年になって来日し一緒に生活したらしい。この一家を見ているとうらやましいくらいだ。家族が互いにいたわりあい、助け合っている。

14時半。吹割の滝。●http://www.houbien.jp/fukiware/

雨の後のせいか、流れに一段と勢いがある。一同感服。

娘が磐に登ってカッコつける父の写真を撮る。いい風景だ。

対岸の山道を散歩して帰る。この道を通るのはわたしたちだけだ。滝がはるか下に見える。

16時すぎ。帰途に着く。沼田からの関越もすいすい。東松山近くで雲が切れ、虹が見える。すばらしいフィナーレ。

18時半。家園着。

19時半。夕食。Kさん一家に喜んでもらえて本当によかったなあ。妻は満足げである。僕もうれしかった。若い人たちと一日を過ごす喜びを満喫した。 

 

 


中国の「反日」とどう向き合うか?

2012-09-19 05:14:37 | 中国

9月18日(火)晴夜雨

午前中に自転車を漕いで狭山に行ってみた。柏原の彼岸花はもう盛りを過ぎたようだ。日ごろの暑さで彼岸花もはやいのか?

えび善でハンバーグなどを買って帰ってきた。体調は戻ってきたようだ。

中国の「反日」はまるで戦争前夜のようだ。「愛国無罪」とばかり狼藉を働く暴徒のやりたい放題。

共産党指導部は戦争をしてでも「釣魚島」を「奪還」するつもりがあるのか。

戦争以外の方法で領土の変更を実現することは不可能に近い。日本の敗戦で南千島はソ連に占領され、竹島は韓国支配下に置かれた。日本がこれらの領土を回復することは不可能に近いと僕は思っている。いい悪いではない。それが「領土問題」というものだ。

中国を甘く見てはならない。95年から始まった「愛国主義教育」はもう17年の蓄積がある。いつでも戦争をやれる態勢が整っているということだ。僕は中国の現状を「遅れてきた帝国主義」と見ている。日本だけでなく周辺の諸国にとって「脅威」そのものだ。

「東アジア共同体」だの「戦略的互恵関係」だのと幻想を振りまくのはやめたほうがいい。戦争を放棄した日本がどうやってこの脅威に対応していけばいいのか?全国民が考えるチャンスにしなければならない。

日本国民の大半は日中戦争をやったことさえ知らない。「侵略戦争」の実態を知る人はほんの一握りだろう。歴史認識は歴史認識できちんと教育した上で(相手がどんな教育を受けているかをよく知った上で)、どうやってこの厄介な隣国と付き合っていくかを考えなくては日本の未来はない。

日本もいつでも戦争ができる態勢を整えよと右派は言っているがそんなことで対応できるだろうか。

共産党の独裁に反対し、民主主義の確立と民族の解放を求めて闘っている中国の人々と力を合わせていく力量をわたしたち自身が身に着けていくことが根本だと僕は考えている。

 

 

 


敬老の日 9・17から10年

2012-09-18 05:52:34 | 父・家族・自分

9月17日(祝)晴雨

 尖閣諸島の国有化をきっかけとする中国の反日デモが暴徒化しているとか。9・18と時期的にかさなってしまった。どういうことになっていくのか?

 02年の小泉訪朝から10年。「5人生存8人死亡」。あの衝撃は忘れられない。見てみぬふりをやめた。自分なりに懸命に「北」と闘う方向に舵を切った。だが05年、癌の手術でくじけてしまった。挫けるわけにはいかない横田夫妻が新しい本を出版したというので近くのツタヤにいってみた。

めぐみへの遺言めぐみと私の35年[横田早紀江]

 

二著ともに入荷の予定はないという。どういうことなのか?

 半日かけて10月の「伊勢のたび」の計画を立てた。一日だけだが息子夫婦と行動を共にする予定だ。

夕方、敬老の日で無料だというので「本丸御殿」「博物館」「美術館」と歩いてみた。

古市場の「橋本家に伝わる子どもの民具」の中に「ああ乃木将軍かるた」というのがあった。「水師営の会見」の唄は子どものときからおなじみだが「かるた」があったとは初めて知る。同じ場所に「新しい理科」「新しい社会科」(六学年用)があった。「昭和28年(1953) 東京書籍」とあるのでまさに僕が六年生のときの教科書かも知れない。編者は「茅誠司」「海後宗臣」。なじみのかたがただがさてどんな内容だったのか?

帰りに「旭湯」にも寄った。無料になるので毎年この時期になるとこの銭湯に入る。このところ夏の疲れか、体調が今一歩。入浴も「大仕事」だった。

 


ありがとう!金本知憲選手

2012-09-17 05:37:41 | 政治・社会

9月16日(日)

阪神は対読売最終戦も負けたが金本がホームランを打ち、田淵の記録を抜いたという。

阪神があまりにもぶざまなので僕はプロ野球にすっかり無関心を決め込んでいる。特に今シーズンはほとんど最初から無視してきた。

そんなときに金本引退のニュースがあった。とうとうそんなときが来たのかと思った。

金本のおかげで楽しい思いをさせてもらった。阪神は史上最強の時を迎えることができた。退職後だったので神宮に応援に行くこともできた。抗がん剤治療の合間に西武球場に行くこともできた。本当にありがたかった。

阪神の勝利に酔う 西武球場

http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/d58f6a0efb5b8351acaf106ec3f10bad

阪神の低迷はまた20年ぐらいは続き、僕はもうあの黄金の日々を味わうことはないかもしれない。

ありがとう!金本知憲さん。

 

金本涙「自分に限界」鉄人伝説に幕…最終決断は10日夜

金本涙「自分に限界」鉄人伝説に幕…最終決断は10日夜
 会見で涙をこぼす金本
 阪神の金本知憲外野手(44)が12日、西宮市内で会見し、今季限りでの現役引退を表明した。「(最近は)肩身が狭いというのもあった」と振り返り、母親やファンへの思いを聞かれると大粒の涙を流した。1492試合連続フルイニング出場など数々の大記録を樹立した鉄人よ、さらば。アニキ、夢をありがとう。

 戦いの軌跡、復活の奇跡に、涙が頬を伝った。現役か、引退か、激しく心が揺れた10日間。最終決断は10日の夜だった。寂しさ、そして悔しさが残る胸中。だが、それ以上にホッとした心があった。家族への思いを‐。会見で問われた金本は、声を詰まらせて続けた。

 「母親には一番、最初に伝えました。『体のケアを、これから…してくれよ』と。それだけですね」。声を震わせながら、必死に言葉を紡いだ。左膝の半月板損傷で出場。死球で左手首の軟骨を損傷しながら、右腕1本でもフルスイングした。その体で夢や、希望を担ってきた。人は「鉄人」と呼ぶ。だが、限界だった。

 2010年6月。福岡県内の病院で絶望的な診断を受けた。3月のオープン戦前練習で、味方選手と激突して肩を強打。「右肩棘(きょく)上筋断裂」の重傷であることが判明した。過去復帰した前例はなかった。「ケガした人に夢を与えたい。前例がないなら、僕が前例になればいい」。不屈の心で懸命なリハビリに励んだ。だが、若い選手の台頭に心を決めた。

 「正直自分に対する限界。時代の流れで若手に切り替わって行く中で、いつまでもパフォーマンスを出せない自分がいるのも、肩身が狭い思いもあった。体がしんどいなという思いもあります」

 激動の野球人生だった。91年のドラフト4位で広島に入団。「クビを覚悟した」と言う屈辱の3年が、21年に及ぶプロ野球人生の礎だ。江藤、前田智、緒方に野村。後に黄金期を迎えるカープで、ドラフト4位の金本は日陰の存在だった。同世代の有望株が徹底指導を受ける中、球場を去ることしかできない日々。悔しさを練習の力に変えた。

 自宅にティー打撃用のネットを購入。知人に頼み込んで、1000球の打ち込みを日課にした。1日も欠かさなかった。住宅が並ぶ敷地内。打ち損じれば止まっている車、近隣の住宅を傷つける可能性すらあった。「そんなもん弁償すればええんや」。そう言って来る日も来る日もバットを振った。「今にみとけよ」‐。反骨心が鉄人と呼ばれる男の原点だった。

 03年の阪神移籍後は同年、05年と2度のリーグ優勝に貢献。世界記録となる1492試合連続フルイニング出場に、史上7人目の2500安打にも到達した。数々の偉業を成し遂げたが、最も誇ったのはプロ野球記録の「1002打席連続無併殺打」。野球への情熱だった。「併殺打は(併殺崩れでも)打率が下がる局面ですけど、そこでも一塁に全力で走ることができたので。フルイニング記録より誇りに思いますね」。

 残り18試合。シーズン終了まで全力で戦う。スーツではなく、阪神のユニホームを着て引退会見。目を閉じれば初優勝の瞬間が浮かぶ。デーゲームで広島に勝利後、ヤクルトの勝敗をベンチで待った。「ずっとワクワクしてね。阪神に来ていい思いをさせてもらいました」と金本。ありがとう、タイガース。球史を彩った鉄人伝説が、輝かしい成績と共に幕を閉じる。

 出典●http://news.livedoor.com/article/detail/6946540/


昭和9年の室戸台風

2012-09-16 11:18:19 | ふるさと 土佐・室戸

9月15日(日)晴れ

 第二室戸台風が室戸岬に上陸し、関西地方に大被害をもたらしたのが1961年9月15日です。今朝のラジオで知りました。

僕は4月に東京教育大学に入学し、世田谷に下宿していました。だから何も知りません。

子どものときから「昭和9年の台風」のことは折に触れて耳にしていました。1934年(昭和9年)9月21日に室戸岬に上陸した台風が関西地方に大被害をもたらし、「室戸台風」と名づけられました。

 毎朝毎夕通る、道端にこんな碑が立っています。「海嘯」は「かいしょう」と読むそうです。室戸台風のときの高潮がここまで来たというしるしです。こんな碑が町のあちこちにたっています。父の生家はこの碑の近くです。それでも「怖かっただろうな」とかの実感をもって眺めたことはないような気がします。

(室戸岬港旧港)

僕がこの町で過ごしたのは小学校を終えるまでです。台風の怖さを身にしみて感じたのは一度だけです。猛烈な風で家が根こそぎにされそうです。そんな恐怖の時間を覚えています。いつの何台風だったのか?

珍しく父が家にいて雨戸を釘付けにしたりしていました。不安でも家族がそろってアットホームな感じがうれしかったような気がします。

あんな台風が来たら今の我が家などは紙切れのようなものでしょう。間違いなく跡形もなく吹き飛ばされます。

どういうわけか、川越に住んで40余年。こんなバラックでも補修を重ねながら住み続けられたのですからありがたいことです。

「天災は忘れた頃にやって来る」 寺田寅彦の言葉だといいます。寅彦は高知の人で室戸岬に先祖の墓というものがあります。そんなこともあるのか、子どものときからこの言葉は覚えています。しかし、それだけです。

去年の3・11からまだ1年半ですから忘れ去ったわけではありませんが我が家では地震対策らしきものは何もやっていません。家そのものが補強の対象にならないといわれています。耐震建築に建てかえるしかないのですが先立つものがありません。老夫婦二人きりになったからまあいいかなと考えないようにしています。

寺田寅彦には室戸台風にかかわって書いた文章があることを知りました。今朝読んだばかりです。

颱風雑俎 

● http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/4670_13511.html